Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (306)
シュバルツとヴァイスの採寸
本日はシュバルツとヴァイスの採寸を行う日である。3の鐘が鳴ったら、図書館へと向かい、シュバルツとヴァイスを寮まで連れて来ることになっている。
今日までに何とか座学を終えようと必死だった女の子達は、わたしの講義終了から少し余裕があったので、全員が座学を終えたようだ。シュバルツとヴァイスの採寸の楽しみと座学からの解放感が相まって、非常に良い笑顔である。
「シュバルツとヴァイスがエーレンフェスト寮にやってくるというだけで、心が弾みますね」
花嫁修業として、刺繍やちょっとした小物、親戚の赤ちゃんやペットに服を作っている女子力高めの女の子達が、本日は採寸をすることになっている。わたしは碌に花嫁修業などしていないので、お裁縫関係は得意とは言えない。
……サボってたわけじゃないよ。二年間寝ていたから仕方がないの。確かに花嫁修業に時間を使うより本を読みたいけど。
正直なところ、わたしにはどこをどのように測れば良いのかわからない。人間ならまだしも、相手は大きいシュミル型だ。女子力高めの皆様にお任せしたい。
「ローゼマイン様、気になるのはわかりますけれど、もう少し集中してくださいませ」
多目的ホールでわたしがフェシュピールの練習をしている横では、リーゼレータや女の子達がうきうきとした笑顔で採寸のための準備をしていた。
シュバルツとヴァイスのお腹の部分にあると言われている魔法陣を少しでも書きとめようと筆記用具の準備をしているヒルシュールと文官見習い達の姿もある。昔の王族が作った、しかも、製法が伝わっていない魔術具にはロマンと秘密がいっぱいらしい。魔術具作成を得意としている文官見習い達にとって、非常に心躍るイベントのようで、派閥関係なくワクワクしているのがわかる。
「それにしても、このような紙があるならば、もっと早くわたくしに教えてくださっても良いではありませんか」
今回シュバルツとヴァイスについてわかったことを書くために植物紙を提供したところ、ヒルシュールが裏を見たり、触ったりしながらそんなことを言った。
他の先生方や生徒達からエーレンフェストの生徒達が見慣れない紙を使っていると報告を受け、次に寮へ入った時には確認しなければ、と思っていたらしい。
「ヒルシュール先生が寮監として、この寮にいれば、嫌でも目に入ったと思いますよ。こちらではローゼマイン様が日常的に紙を使っていますから」
一年生が座学を終えるために、それぞれに弱点をまとめた資料を作ったり、何か話し合うとなれば、記録したりするので、普通の寮監ならば、もっと前に見ていたはずだ、と文官見習い達が口々に言った。
「ローゼマイン様が貴族院に在籍する間は寮で生活することも考えた方が良いかもしれませんわね。これからも色々なことが起こりそうですもの」
「そうだな。週に一度ではなく、もっと頻繁に父上に報告を上げた方が良いと思うぞ。たった一週間でローゼマインは色々なことを起こしすぎる。毎日報告しても良いくらいだ」
ヴィルフリートがヒルシュールに向かってそう言った。そんなに色々なことをしているつもりはないので、報告はできるだけ控えめにしてほしいものである。
騎士見習い達は少し離れたところで、護衛に関する打ち合わせを真剣な顔でしていた。わたしの護衛としてシュバルツとヴァイスを間近で見ている護衛騎士達はシュバルツとヴァイスにどれだけの価値があるのか、わたしよりもよく知っている。
「ベストに付けられている魔石だけでも価値があるのに、シュバルツとヴァイスは王族の遺物だ。図書館を出た時を狙う者は複数いると考えてよい」
「ソランジュ先生にシュバルツとヴァイスを譲るように、としつこく言っている領主候補生の存在も確認できています」
「ローゼマイン様はシュバルツとヴァイスを守る、と仰せだ。上位領地が相手でも退かぬ。良いな?」
わたしもお祭り前の準備をしているような興奮と楽しそうな雰囲気に混ざりたい。そわそわとしながら、周囲を見回すわたしを見て、ロジーナがコホンと咳払いした。
「せっかく先生方にお茶会で褒められたのですから、ご自分で作った曲を弾けるように努力してくださいませ」
「……善処いたします」
ロジーナは音楽の先生方とのお茶会で、フェシュピールの腕前を褒められ、わたしの作曲能力を伸ばしてほしいとお願いされ、やる気満々だ。もっと練習時間を増やしたいと言ったけれど、それは却下した。フェシュピールの練習時間より、読書時間の確保が最優先である。
ロジーナに注意されながら練習しているうちに、3の鐘が鳴った。わたしはフェシュピールから即座に手を離す。ロジーナが呆れたように溜息を吐いたのを視界の端に映しながら、わたしは周囲の期待に満ちた視線を受けて、立ち上がった。
「3の鐘です! 図書館へ行きましょう!」
「ローゼマインと図書館に向かう者、こちらで受け入れ態勢を整えて待機する者、全て打ち合わせた通りだ。シュバルツとヴァイスは貴重な魔術具である故、十分に注意するように」
ヴィルフリートの号令により、決められていた通りの隊列を組んで、図書館に向かって出発である。先頭を歩くのは、寮監であるヒルシュール、わたしは皆に周囲を囲まれて埋もれるような状態で歩いていくことになる。
「ソランジュ先生、おはようございます」
「おはようございます、ローゼマイン様。あら、今日もたくさんいらっしゃること」
「シュバルツとヴァイスの護衛ですわ。何かあったら困りますもの」
図書館の閲覧室へと行くと、ソランジュがエーレンフェスト御一行の姿に目を丸くした。
最初は大袈裟だな、と思っていたけれど、文官見習い達からこんこんとシュバルツとヴァイスの希少さについて語られ、騎士見習いから他の貴族から狙われていると聞かされれば、いくら危機感が足りない考えなしと言われているわたしもシュバルツとヴァイスを守るために備えは必要だと考えを改めた。
「ひめさま、きた」
「おはよう、ひめさま」
シュバルツとヴァイスがほてほてと歩いてやってくる。その姿にリーゼレータが「なんて可愛いのでしょう」と相好を崩した。自分が飼っているシュミルと会えない寂しさをシュバルツとヴァイスで補っているらしい。寂しさを埋めるために代わりが欲しくなる気持ちはよくわかる。
「シュバルツ、ヴァイス。今日は衣装を作るために採寸を行います。これからわたくしのお部屋に行きますよ」
「わかった。さいすん」
「いろいろはかる」
すでに何人も主を交代し、そのたびに新しい衣装をもらってきたシュバルツとヴァイスは採寸についてもわかっているようだ。ぴょこぴょこと飛び跳ねるようにして、わたしの隣へとやってきた。
「ローゼマイン様、シュバルツとヴァイスは主と共に行動しなければ、図書館を出ることができません。二人と手を繋いで行動してくださいませ」
わたしはソランジュにそう言われて、右手はシュバルツと、左手はヴァイスと手を繋いだ。
「ご覧になって。シュバルツとヴァイスと手を繋いでいますわ」
「触ってはならないのではなかったのでしょうか」
図書館の中には確かにシュバルツとヴァイスを目当てに来ている女子生徒がいるようで、驚きに目を見張り、こちらを見ているのがわかった。
許可なく触れば、バチッと魔力で弾かれるとヒルシュールから聞いている。最初はピリッとした程度だが、しつこくすると弾く力が大きくなってくるらしい。
「では、採寸が終わったら、また連れて参りますね」
「かしこまりました」
わたしはシュバルツとヴァイスと手を繋いで歩いていく。
戻る時もまた、先頭を寮監であるヒルシュールが歩き、わたしとシュバルツとヴァイスはちょうど団体の真ん中にいる。わたし達の周囲は側仕えを初めとした女の子達が囲み、その周囲を文官見習いが囲むようにいて、騎士見習いが外周を固めて歩いている。多分、わたし達は周囲を囲まれていて見えないのではないかと思う。
けれど、講義以外ではほとんど自室を出ないと言われているヒルシュールが嬉々とした顔で先頭を歩き、騎士が周囲を固める物々しさが周囲の目を引いているようだ。周囲でひそひそと交わされる会話が耳に飛び込んでくる。
「あれは図書館のシュミルではないか? 何故エーレンフェストが?」
「図書館から出られるのか?」
「触ったら魔力によって弾かれたと聞いたが……」
何か起こるのではないかとドキドキしながら、わたしはエーレンフェスト寮へと戻ってきた。
寮へと入ると、護衛騎士を半分貸してくれたヴィルフリートが安心したように息を吐く。
「何事もなかったようだな。では、採寸を行うぞ。準備は良いか?」
「はい!」
多目的ホールには、今日の午前に講義の入っていない生徒が全員集まっていた。皆、シュバルツとヴァイスに興味があるらしい。
少し距離を取った状態で見る分には構わないが、触れても良いのはわたしの側仕えだけになっている。
「では、一度服を脱がせますね。シュバルツとヴァイスに触れても良いとわたくしが許可を出すのは、リーゼレータとリヒャルダとブリュンヒルデの三人です」
「わかった。さんにんだけ」
「さわっていい」
リーゼレータとブリュンヒルデが服を脱がせ、メジャーで次々とサイズを測っていく。そのサイズを書きとめていくのは、少しでもシュバルツとヴァイスの近くに寄りたいと志願する女の子達だ。リヒャルダは不用意に周囲の者が触れないようにするための監視係だ。
「ローゼマイン様、見えませんわ」
触れないけれど、できるだけ近くで見たい女の子達に囲まれて、シュバルツとヴァイスは少し離れた机からでは見えない。ヒルシュールはシュバルツとヴァイスのお腹辺りを見ようと、左右に頭を動かしているが、全く意味がないようだった。
わたしはベストとワンピースを脱がされたシュバルツとヴァイスを見つめる。ヒルシュールが言った通り、お腹の部分には複雑な魔法陣が見える。
「……もう少し待ってくださいませ。採寸が終わったらシュバルツとヴァイスをそちらに向かわせますから。それよりも、わたくし、ヒルシュール先生にはこちらを見ていただきたいのです」
わたしはリーゼレータとブリュンヒルデが脱がせた服を手に取って、ヒルシュールのところへと持って行く。リヒャルダが見張ってくれているし、女の子達はお互いに牽制しあいながら距離を保っているので、目を離しても問題ないだろう。
わたしは手にした衣装を文官見習い達が取り囲んでいる机の上に広げた。
「これに触れてよいのはヒルシュール先生とハルトムートとフィリーネだけです。他の者は見るだけにしてくださいませ」
ぐぐっと頭を近付ける文官見習い達と違って、ヒルシュールは早速手に取って、じっくりと見つめ始めた。
「ワンピースの裾の模様やこのベストの模様が魔法陣に似ていると思うのです。わたくし、それほど多くを見たことがないので、何の魔法陣なのかよくわからないのですけれど……」
さまざまな色で刺繍をされているベストも同色の糸をたどっていくと、魔法陣に見える部分がいくつかある。わたしの目にはハッキリとはわからないけれどヒルシュールならば、わかるのではないだろうか。
「えぇ、確かにこれは魔法陣ですわね。同じ色でもここは見た目を誤魔化すために同色の糸を使っているだけですし、こちらは途中で途切れていて意味をなさない魔法陣になっていますわ。上手く繋がっていて効力を発しているのは……」
ヒルシュールが目を細めて、視線で魔法陣を追って行き、手が次々と紙の上に文字や模様を描いていく。
ベストの複雑な刺繍の中に魔法陣がいくつも縫い込まれているらしい。
「何の魔法陣か、わかりますか?」
「えぇ、シュバルツとヴァイスを守るための魔法陣ですわね。こちらのボタンは魔石を使っているでしょう? これに主の魔力を込めておけば、シュバルツとヴァイスは守られるというわけです。これだけ複雑な魔法陣を刺繍として縫い込み、発動させることができるなんて、とても繊細で高度な魔術ですよ。なんて美しいのでしょう!」
興奮気味にベストを見つめるヒルシュールの言葉を聞いて、わたしは冷汗が垂れる思いでシュバルツとヴァイスの服へと視線を向ける。
「……あの、ヒルシュール先生。もしかして、新しく衣装を作る時にも、同じように魔法陣の刺繍と魔石のボタンが必要なのでしょうか?」
「もちろん、シュバルツとヴァイスの守りを万全にするためにはあった方が良いでしょう」
当たり前だ、というようにヒルシュールは簡単に言ってくれるけれど、そんな魔法陣の刺繍などギルベルタ商会で取り扱えると思えない。
「どのように刺繍すれば良いのでしょう? わたくし、全くわからないのですけれど……」
「わたくしが更に改良した魔法陣を作りましょう。これは腕が鳴ります。先達に負けるわけには参りませんもの」
周囲の文官見習い達が期待に満ちた目でヒルシュールを見た。その視線を受けて、ヒルシュールは紫の目を輝かせて、ふふふふ、と笑う。
「ハルトムート、こちらの裾の図案をそのまま書き込むように。線の一本たりとも疎かにしてはなりませんよ」
ヒルシュールが感嘆の溜息を吐きながら、ハルトムートに指示を出す。ヒルシュール自身はベストの図案を書き込んでいる。
ハルトムートがシュバルツのワンピースの裾を指でたどりながら、刺繍の図案を書きとめている横で、フィリーネもヴァイスのワンピースを手に、難しい顔をしながら図案を写しはじめた。
「違う、そうではない。そこは間違いやすいのだ」
けれど、まだ全く魔法陣について勉強していないフィリーネには難しいようだ。周囲の文官見習いが「私に書かせてくれれば……」ともどかしげな声を出している。
「フィリーネ、衣装を他の文官見習い達に見えるように広げて差し上げて。他の皆様がフィリーネの代わりに書きとめてくださる?」
「任せてください!」
フィリーネは少し肩を落としながら、衣装を文官見習い達に見えるように丁寧に広げた。がっくりとしているフィリーネの肩をわたしは軽く叩く。
「フィリーネ、わたくしも魔法陣についてはさっぱりわかりません。この衣装作りを通して一緒に勉強しましょう」
「はい、ローゼマイン様」
文官見習い達は「このような組み合わせで本当に発動するのか?」といちいち驚きの声を上げながら、書き写している。
その様子をちらりと見ながら、ヒルシュールは裏返したり、刺繍の部分を丹念に指でなぞったりして、素材の確認もし始めた。
「こちらの魔法陣を作用させようと思えば魔力で染めた糸の準備も必要ですし、衣装を作るために調合しなければならない物がいくつかございます。まだ魔法陣について詳しくないローゼマイン様お一人で刺繍をするのは無理でしょう。二年間眠っていたことを考えても花嫁修業は足りていないでしょうから」
こうして魔法陣を刺繍することもあるため、貴族女性の花嫁修業として刺繍は必須になるというヒルシュールの言葉に、わたしはぎょっとした。
……今まで軽く見ていた花嫁修業にもそんな意味があっただなんて! わたし、決して器用じゃないのに、どうしよう!?
「この衣装作りはエーレンフェストが一丸となって取り組まなければならない課題になりそうですわね。魔法陣や魔術具について勉強する良い機会になりますよ」
シュバルツとヴァイスは王族の姫が作った魔術具で、それを守るために歴代の主が準備した衣装には高度な技術はもちろん、高品質な素材が惜しげもなくふんだんに使われているそうだ。
「素材を集めるところから始めなくては……と言いたいところですけれど、それはフェルディナンド様にお任せすれば良いでしょう。良質の素材をたくさん持っているはずですもの。ローゼマイン様の後見人がフェルディナンド様で助かりましたわ。素材を一から集めようと思えば大変なことになりましたよ」
被後見人であるわたしが頼めば大丈夫だ、とヒルシュールは簡単に言ってくれるけれど、神官長はメリットもなく、そんなに簡単に動いてくれる人ではない。
「……フェルディナンド様が快く譲ってくれるとは思えないのですけれど」
「シュバルツとヴァイスの衣装を作っていると言えば、書きとめた魔法陣の横流しでいくらでも融通を利かせてくれます。自分が知らない魔術具のために、素材やお金を惜しむ方ではございませんよ。師であるわたくしが言うのですから、間違いありません」
……うわぁ、すごい説得力がある。魔法陣の横流しで融通を利かせてくれるって辺りが特に。
「ローゼマイン様、シュバルツとヴァイスの採寸が終了しました」
リーゼレータの声がかかり、わたしはハッとしてシュバルツとヴァイスを中心にした女の子達の集団へと視線を向けた。
「ヒルシュール先生、終わったようですよ」
「こちらへ呼んでくださいませんか? 書ける場所がなければ困るのです」
わたしがシュバルツとヴァイスを呼ぶと、ひょこひょこと頭を動かしながらやってくる。
服を着ていると、生きているシュミルそのままにしか見えなかったけれど、服を脱がせると、ぬいぐるみのように頭と手足、胴体でパーツに分かれているのがわかる。その胴の部分はびっしりと金の糸で刺繍されていた。
「まぁ、本当にお腹の部分が魔法陣でいっぱいですわね」
「リヒャルダ、シュバルツとヴァイスを机の上に座らせてください。このままでは書き写せません」
リヒャルダがシュバルツを、リーゼレータとブリュンヒルデがヴァイスを持ち上げて、机の上に座らせてくれる。
「助かりますわ、ローゼマイン様」
ヒルシュールが食い入るように見ていて、その目が爛々と光っているところがちょっと怖い。お腹はもちろん、背中にもお尻にも魔法陣はある。ずいぶんと複雑なようだ。
途中で立ってもらったり、両手を上げてもらったりしながら、書いているうちに4の鐘が鳴った。
「お昼ですね。一度休憩にして、お昼ご飯を食べましょう。シュバルツとヴァイスはわたくしと一緒に行動してくださいね」
絶対に目を離すな、と言われている。わたしはシュバルツとヴァイスに服を着せてもらい、手を繋いで食堂へと行った。ヒルシュールも今日は一緒に昼食を食べるのだ。わたしの隣に席を作ってもらっている。
「衣装を作るのが、それほど大がかりなものになるのか」
「えぇ、これはエーレンフェストが一丸となって取り組まなければならない課題です。本来ならば、中央の上級貴族が行っていたことですから」
ヒルシュールはアウブ・エーレンフェストにも助力を頼んだ方が良いとヴィルフリートに言う。ヴィルフリートは「わかった」と頷き、カトラリーを手に取り、ヒルシュールもカトラリーを手にする。
「……ローゼマイン様」
「何でしょう、ヒルシュール先生?」
「このお食事は何ですか?」
「昼食ですけれど?」
わたしはフーゴとエラを初めとした料理人達が作ってくれている食事を見た。今日はとてもおいしいクリームシチューだ。寒い冬には嬉しいメニューである。
「……エーレンフェストの料理は一体いつの間にこのような味になったのですか?」
「二~三年くらい前ですね」
「わたくし、存じませんでした」
「寮にいらっしゃらないからですよ」
もう何年も寮で食事をしていないから、知らないだけだ。学生達は皆知っている。
しばらく黙ってシチューを食べていたヒルシュールが、突然顔を上げた。
「わたくし、これからエーレンフェスト寮でなるべく生活いたします」
寮監が寮で生活するという、他では当たり前のことをヒルシュールが宣言して周囲を驚かせ、昼食は終わった。
午後からも魔法陣の書き写しは続く。シュバルツとヴァイスにはまた服を脱いでもらい、書いていくのだが、胴回りの魔法陣はかなり難解なようで、衣装の魔法陣が読み取れた高学年の文官見習い達でもお手上げ状態らしい。
ヒルシュールだけが目を輝かせながら、書き写している。
「変わった先生だとは思っていましたけれど、優秀さは本物ですね。これでも成績は優秀な方なのですが、全く理解できません」
ハルトムートが軽く肩を竦めてそう言った。魔法陣の作りが古すぎて、わからないそうだ。
「光と闇の属性に関する魔法陣だということは、辛うじて理解できました。おそらく、領主候補生や王族でなければ使えないのではないでしょうか」
たとえ、理解できたとしてもハルトムートには属性が足りないため、シュバルツとヴァイスの主にはなれないらしい。
「ローゼマイン様は両方の属性をお持ちなのですね」
「シュバルツとヴァイスの主になれたのですから、そうなのでしょう」
胴全体の魔法陣を書き終えたヒルシュールが眉間に皺を刻んで、書き上げた紙を見比べていく。
「……これだけでは足りませんわ。穴だらけです」
「さすがに誰の目に触れるかわからない表面に全てを記すということはなさらないのでは?」
「私でも隠匿しますからね」
リヒャルダ達に命じてシュバルツとヴァイスに服を着せてもらう間、ヒルシュールと文官見習い達は頭を突きあわせるようにして、紙を覗き込んで話し合っていた。
「やはり、分解してみなければわからないことがたくさんありそうですわね……」
「ヒルシュール先生はこれ以上シュバルツとヴァイスに近付かないでくださいませ」
分解という物騒な言葉に、女の子達の目が鋭くなった。一斉に剣呑な目で睨まれたヒルシュールは、軽く肩を竦めて立ち上がる。
「わたくしは守りの魔法陣をもっと改良できないか、考えてみますね。皆はシュバルツとヴァイスを図書館に戻してくださいませ」
ヒルシュールはそう言い残すと、飛び出すようにして、自分の工房がある専門棟の自室へと戻って行った。
「シュバルツ、ヴァイス、お疲れ様」
「つかれない」
「だいじょうぶ、ひめさま」
わたしは額の魔石を撫でて魔力を注ぎ、手を繋ぐ。
「では、図書館へ戻りましょう」
そう言った瞬間、玄関の扉が開いて、講義を終えたアンゲリカが飛び込んできた。いつでも抜刀できるように、魔剣シュティンルークに手をかけた状態で玄関ホールに集まる面々を見回す。
「ローゼマイン様、最大限の警戒をお願いします。ヒルシュール先生が飛び出していったことから、採寸が終わったことが周囲に知られています。待ち構えている領主候補生の姿が見えました」
「アンゲリカ!?」
「力押しで来られる可能性が高いです。いつでも戦えるように準備と覚悟を!」
アンゲリカの報告に一気に緊張感が走った。
ヴィルフリートが自分の護衛騎士を見回す。
「ローゼマイン、私の護衛騎士も連れて行け! 其方等、ローゼマイン達を守るのだ! 私は足手まといにならぬように、ここで待機する!」
ヴィルフリートの指示に、護衛騎士一人を残して、他の護衛騎士が一行に加わる。
「戦う能力のない文官や女子生徒は残るんだ。護衛の邪魔になる。代わりに高学年の騎士見習いが一行に入れ」
「低学年の騎士見習いは寮の護衛だ。入って来られないけれど、警戒だけは怠るな!」
「シュバルツとヴァイスに触れることができ、多少なりとも戦う力がある側仕えは……」
護衛対象をギリギリ減らすため、大急ぎで図書館に向かう一行が見直される。側仕えはわたしとシュバルツとヴァイスを担いで走れるリヒャルダだけが付けられ、他は留守番することになった。
「では、行くぞ!」
「待ってください!」
コルネリウス兄様を急いで止める。どうした、と視線を向けてくる皆をわたしはくるりと見回した。
「皆、跪いてください。武勇の神アングリーフの御加護を与えます」
騎士団では数回加護を与えたことがあるけれど、見習い達はわたしの言っている意味がよくわからなかったようだ。首を傾げている。
隊列の先頭にいたアンゲリカがすぐさまわたしのいる中心へと駆け寄ってきて跪くと、静かに頭を垂れた。
「よろしくお願いいたします、ローゼマイン様」
アンゲリカの様子を見て、コルネリウス兄様が、わたしの護衛騎士が、ヴィルフリートの護衛騎士が段々と跪いていく。わたしを中心に隊列を組んでいたため、わたしの周囲は跪いた騎士見習いに囲まれた。
わたしは右手に魔力を込め、自分の魔力を最も扱いやすいシュタープを出した。右手を掲げ、いつも通りに魔力を込めていく。
「炎の神 ライデンシャフトが眷属 武勇の神アングリーフの御加護が皆にありますように」
シュタープから青の光が放たれて、皆に降り注ぐ。まるで祝福を初めて見たように、騎士見習い達が目を瞬いていた。