Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (315)
エーレンフェストへの帰還命令
やっと体調が回復した。意外と疲れが溜まっていたのだろうか。体力が全くなくなっているのだろうか。今回は回復に三日もかかってしまった。
「熱が下がって、本当に安心いたしました。この三日間はとても大変だったのですよ」
リヒャルダが「今日はベッドから出てはなりませんよ」と言いながら、三日間の騒動を教えてくれた。
まず、わたしが会談中に意識を失ったことで、アナスタージウスとその側近達を非常に慌てさせてしまったらしい。虚弱だとわかっていながら、体調の悪い中、報告をさせて倒れさせてしまったのだから、アナスタージウスの筆頭側仕えは非常に恐縮していたそうだ。
そのうえ、わたしが目の前で倒れるのを見ることがほとんどなかった新入りの側近達も慌てふためき、使い物にならなかったようだ。リヒャルダはわたしを抱きかかえて、アナスタージウスのところから退出してくるだけでも大変だったようだ。
そして、寮に戻ってきてからもわたしの意識は戻らず、呼んでも全く返事がなく、ぐてっとした状態は、眠りについた二年前を思い出させたようで、コルネリウス兄様とヴィルフリート兄様を真っ青にさせてしまったらしい。
「ヴィルフリート兄様達に謝った方が良さそうですね」
「体調を戻すのが先ですわ。謝る途中でまた気分が悪くなる方が困ります」
「はい……」
わたしはベッドでおとなしくしている代わりに、図書館から借りてきた本を読む許可をもらって、一日ゴロゴロとしていた。
「今日は図書館に行っても良いでしょう?」
「えぇ、そうですね」
リヒャルダから図書館へと向かう許可をもらったわたしは、完全復帰だ、と喜んで、ベッドから降りた。
「ローゼマイン様の虚弱さについては色々と聞き及んでおりましたが、実際に意識を失う瞬間を見ると、頭が真っ白になって、どうして良いのかわからなくなりますね」
部屋の内側に立って護衛をしていたレオノーレがホッと安堵したように胸を撫で下ろし、朝食へと向かうために扉を開けてくれる。
訓練中に気を失う騎士見習いはよく見るが、これといって特に何もしていない者が突然意識を失うのは初めて見たらしい。倒れた原因がわからないため、対処の仕方がわからず、右往左往してしまったと言った。
「おはようございます、ローゼマイン様」
二階へと降りると、ハルトムートとコルネリウス兄様が待っていた。二人ともわたしの顔を見て、安心したように表情を緩める。
「ハルトムートも驚かせてしまったようですね」
「肝が冷えました。ローゼマイン様がお披露目をした年に子供部屋で一緒に過ごした者は、雪玉で倒れるローゼマイン様を見たことがあったようですが、私は初めてだったもので」
母親のオティーリエから話だけは聞いていたが、それでも、驚いた、と言う。
朝食の席に着くと、ヴィルフリートが「ローゼマインは本当に動き回っても大丈夫なのだろうな?」と疑わしそうな目でリヒャルダを見た。
「昨日一日、熱も上がらず、本を読んでいられましたから、体調は戻ったようですよ」
「そうか。ならば、其方はエーレンフェストに戻れ」
「はい? どういうことですか?」
わたしが首を傾げると、ヴィルフリートがゆっくりと息を吐きながら「食事の後に説明する」と言った。
わたしはエーレンフェストに戻らなければならない理由がわからず、首を傾げたまま朝食を終える。その後、ヴィルフリートとその側近、わたしとその側近が一室に集められた。
「これが届いた。其方への帰還命令だ」
ヴィルフリートが差し出したのは、養父様と神官長からの手紙だった。
大まかな内容としては、「もう講義を終えているならば、さっさと戻ってきなさい」「次々と想定外の事を起こすローゼマインは一度貴族院から離した方が良い」「戻ってきて、説明しなければならないことが大量にあるだろう。報告書だけではさっぱりわからぬ」……というようなことが書かれていた。
ここから先の貴族院での社交はヴィルフリートに任せて、わたしはエーレンフェストで保護者達による尋問会が行われるらしい。
「い、嫌です! 奉納式までは良いとおっしゃったではありませんか。まだ十日ほどあります! わたくし、ギリギリまで図書館に通いますからねっ!」
ただでさえ残り少なくなっていたわたしの図書館ライフは体調不良のせいで四日も減ってしまったのだ。これ以上の減少は断固として阻止したい。
「ローゼマイン、これはアウブ・エーレンフェストからの命令だぞ」
「わ、わたくしは奉納式まで体調不良のため、エーレンフェストへの帰還はできません。精神的な安定と気力回復を求めて図書館に引き籠ります」
「混乱しているのは見ればわかるが、一体何を言っているのだ、其方は?」
呆れたようにヴィルフリートが溜息を吐いた。
「だって、あまりにも突然すぎるではありませんか」
「そうです! あまりにも突然すぎます!」
帰還を嫌がるわたしに大きな声で賛同をしてくれたのは、アンゲリカだ。
「ローゼマイン様は帰しませんっ! わたくし、最後の試験の予約が三日後なのです! それで合格して、第四段階の魔力圧縮を教えていただくのです。ローゼマイン様、まだ帰らないでくださいませ! せめて、あと三日! あと三日はダメです!」
帰しません、とアンゲリカに抱きつかれ、わたしもアンゲリカにぎゅっと抱き着く。貴重な賛同者は大事にしなければならない。
「そうです。アンゲリカの試験はもちろん、アナスタージウス王子に楽譜を届ける約束もしておりますし、エグランティーヌ様へお見舞いのお礼もしなければなりません。長期に渡って戻るのでしたらシュバルツとヴァイスへの魔力供給も必要ですもの。こちらにも準備というものがあるのです。すぐに帰還はできません」
わたしが帰還する前に終わらせておかなければならないことを並べ立てると、リヒャルダが「そうですね。不在の間の段取りは大事です」と頷いた。
「残されたヴィルフリート坊ちゃまが困らないように、姫様が不在になる旨をアナスタージウス王子とエグランティーヌ様にはお知らせしておかなければならないでしょう」
「確かに王族関係は終わらせておいてもらわなければ、困るな」
側近を排して行われた会談の内容は漏らせない。わたしが帰った後にヴィルフリートは何もわからないまま対処を求められることになる。
ヴィルフリートが譲歩の姿勢を見せ始めたのを感じ取ったようで、アンゲリカの勉強に付き合わされてきた騎士見習いと、アンゲリカの合格に魔力圧縮の第四段階がかかっているわたしの側近達は揃って頷く。
「アンゲリカの試験が終わるまでは待っていただきたいです」
「これでアンゲリカが卒業できるか、エーレンフェストから落第者を出すかの運命の分かれ目なのです」
「三日、三日だけで結構です。準備期間とさせてください」
魔力圧縮という餌がなくなったアンゲリカのやる気の低下は目を覆いたくなるようなものになるに違いない。たった一科目が終わらないという状況になるのが目に見えている。去年の状態を知っている騎士見習い達はこのままアンゲリカの座学を終わらせたいと一丸となった。
「アンゲリカ、其方は卒業がかかっているほどひどい成績なのか?」
「はい! 座学はどれもこれも合格点すれすれです」
……威張って言うことじゃないよ、アンゲリカ。
今年は魔力圧縮のためにとても頑張っています、と得意そうに胸を張っているが、その得意そうな顔が一層アンゲリカの残念さを際立たせている。
「ヴィルフリート様、アンゲリカの試験を終えた後は、すぐにでもローゼマイン様をエーレンフェストに帰らせます。側近一同が責任を持って、本から引き離し、帰還させますので、どうか……。どうか三日の猶予を」
「コルネリウス、何だかわたくしの扱いがひどいですよ!?」
皆の必死の願いが通じたらしい。考え込んでいたヴィルフリートが顔を上げた。
「わかった。三日間の準備期間を設けるように父上には進言するので、その間にやるべきことを終えよ。次の土の日に帰還だ。良いな、ローゼマイン」
皆を見回してヴィルフリートがそう言うと、周囲がよしっ! というような気合の入った顔で頷いた。
一週間ほど帰還が早くなることに、わたしは不満たっぷりだが、これだけ周囲が納得していては、一人で何を言っても無駄だ。ガクンと項垂れながら、わたしは不承不承頷いた。
「……わかりました」
物を移動させる魔法陣に比べて、人を移動させる魔法陣を動かすためには魔力が多く必要になるため、エーレンフェストへの報告は基本的に木札や手紙のやりとりで行われている。
魔法陣のある部屋には見張りのための騎士がいて、彼らがヒルシュールからのオルドナンツを受け取り、報告書を書いて送っているのだ。
ここ最近はヴィルフリートがわたしのやらかしたことを書いて、毎日のように木札を送っていたらしい。そのため、帰還命令が出たのだそうだ。
……ヴィルフリート兄様めっ!
わたしは帰還準備のため、エーレンフェストに向けた手紙に、「奉納式の時はエラを連れて帰るので、代わりの料理人を寄越してください」と書いて送ってもらった。
奉納式のために神殿へ戻るのに、ニコラ一人に料理を任せるのは大変すぎる。専属料理人のどちらを連れて帰るかと考えれば、答えは一つしかない。フーゴを連れて帰って、守る者もないままにエラを貴族院には置いておけないのだ。
「ヴィルフリート兄様、ロジーナも連れて帰って良いかしら?」
「できれば、残してほしい。ここにいる楽師の中で、ロジーナの腕が一番良いし、音楽の先生方にも褒めてもらったのであろう? これからの社交には必要な存在だ」
お茶会に同行しなければならない楽師だとヴィルフリートが言った。エーレンフェストで流行している新しい曲を何曲も奏でられ、貴族院に来てからも新しい曲を作っている楽師。その腕前は先生方やエグランティーヌにも認められているとなれば、社交の上でエーレンフェストが少しでも優位に立つために必要だと言う。
「では、ロジーナのことはヴィルフリート兄様にお願いいたします。ロジーナが嫌な目に遭ったり、引き抜きにあったりしないように、よく注意してくださいませ」
「わかっている。ローゼマインの大事な楽師だからな。粗雑な扱いはさせぬ」
ヴィルフリートが請け負ってくれたので、わたしはロジーナを任せることにした。
一緒に帰らないのであれば、ロジーナにはしておいてもらわなければならないことが色々とある。
「……そういうわけでロジーナには社交のために貴族院に残っていただきます。急いで書いてほしい楽譜があるのですけれど、良いかしら? 光の女神に捧げる曲と英知の女神に捧げる曲と土の女神に捧げる曲です」
光の女神に捧げる曲と英知の女神に捧げる曲は神官長への機嫌取りである。新しい曲があれば、少しは尋問の手を緩めてくれないかな、という淡い期待が籠っている。
「光の女神に捧げる曲はフェルディナンド様に見せてみようと思うのです」
「フェルディナンド様ならば、どのように編曲をするのか、ぜひ意見を伺ってくださいませ」
そして、土の女神に捧げる曲は、例の失神者が出たラブソングである。アナスタージウスに贈っておかなければならない。
印刷物はまだ貴族院へ出さないと決めているので、ロジーナに手書きで楽譜を書いてもらって、お見舞いのお礼状と不在連絡と楽譜をアナスタージウスに届けてもらうのだ。
……歌詞は合うと思うんだよね。
君の幸せを知りたい、知らないままに終わりたくはない、という歌詞は今のアナスタージウスにピッタリだと思う。練習して上手く歌えれば、失神はしなくても、エグランティーヌの心がちょっとは近付くような気がする。
アナスタージウスにはずいぶんと失礼な事をやらかしてしまったので、点数稼ぎもしておきたい。わたしはむーんと考えて、不在の連絡手紙に追伸を書き加えた。「わたくしが帰還する土の日までにエグランティーヌ様の好きな花と色を教えてくだされば、髪飾りの注文ができます。卒業式に髪飾りを贈られるのはいかがでしょう?」と。
同時に、エグランティーヌにもお見舞いのお礼状と不在連絡を出しておく。「リンシャンを買ってまいります」と書いて送った。
ブリュンヒルデに頼んで手紙を渡してもらった次の日、アナスタージウスから熱のこもったオルドナンツが飛んできた。
「素晴らしいぞ、ローゼマイン。この曲は実に良い! そして、エグランティーヌの衣装は赤だと聞いている。そして、好きな花はコラレーリエ。髪飾りはそれに合わせ……」
重要だったのは、エグランティーヌ様が百合に似たコラレーリエが好きで、赤の衣装を着るというほんの最初の部分だけだ。その後はエグランティーヌへの褒め言葉が延々と続き、三回も聞かされることに本気でうんざりとした。
そして、わたしはアナスタージウスに「わかりました」と返事をした後、図書館へと向かった。読書も大事だが、一番の目的はシュバルツとヴァイスへの魔力供給である。奉納式が終わってもすぐに帰って来られる気がしないので、なるべくたくさん入れておいた方が良いだろう。
「ソランジュ先生」
「あら、ローゼマイン様。しばらくお姿を見ていないので、心配しておりましたが、お元気そうで安心したしました」
アナスタージウスに連行される姿を最後に、毎日開館から閉館まで図書館にいたわたしがぱったりと姿を見せなくなったのだから、とても心配をかけたと思う。
「少し体調を崩していたのです。ご心配をおかけいたしました。本日はしばらく不在にするためのその連絡とシュバルツとヴァイスへの魔力供給に参りました」
「わざわざありがとう存じます」
ソランジュに呼ばれたシュバルツとヴァイスがくりんとした金色の瞳でわたしを見上げた。
「ひめさま、かえる?」
「ひめさま、もうこない?」
「大事な御用があるので、エーレンフェストに一度帰りますけれど、領地対抗戦までにはまた貴族院に戻ってまいります」
わたしはそう言いながら、シュバルツとヴァイスの額の魔石に手をかざす。なるべく多めに魔力を注ぎこみ、ハァ、と軽く息を吐いた。
「これでしばらくは大丈夫だと思います」
「領主候補生としてのお勤めでたくさんの魔力が必要な中、シュバルツとヴァイスのために魔力補給をしてくださってありがとう存じます、ローゼマイン様」
そのままわたしはゆっくりと図書館で最後の読書を楽しむつもりだったのだが、ヒルシュールからオルドナンツが飛んできて、阻止されてしまった。
「ローゼマイン様、エーレンフェストへ帰還されるのでしたら、こちらにも連絡をいただかないと困ります。すぐに寮へと戻ってくださいませ」
寮監からの呼び出しである。無視するわけにもいかないだろう。ヒルシュールは間違いなく図書館に乗り込んでくる。周囲への迷惑を考えて、わたしは泣く泣く本を閉じた。
「……図書館に迷惑をかける前に戻りましょう。では、シュバルツとヴァイスはソランジュ先生のお手伝いをしっかりしてくださいね」
「わかった、ひめさま」
「おてつだいする」
挨拶を終えて、寮へと戻るとヒルシュールが大量の紙束と木箱を抱えて待ち構えているのが見えた。
「エーレンフェストに戻られるのでしたら、こちらをフェルディナンド様にお渡しくださいませ。シュバルツとヴァイスの服やお腹に刺繍されていた魔法陣の数々とわたくしの考察をまとめてあります。次にこちらへ戻るまでに、フェルディナンド様の見解をいただいてきてくださいませ。それから、こちらは以前にフェルディナンド様が作成してくださった魔術具です。調子が悪いので、直していただけると嬉しいです」
いくつか積み重ねられている箱は全て神官長へ渡す物だ。神官長が一度神殿に入ったことで連絡が途絶えていて、わたしの入学を機に連絡が来たため、お届け物がたくさんあるらしい。
その整理と荷造りのため、側近達は皆忙しくなったため、同行者が不在になったわたしは図書館にも行けず、帰還前の最終日はしょんぼりしながら、皆が集めてきた情報の整理と準備するお金の計算と保護者達の尋問会に向けた対策を練っていた。
アンゲリカの合格に自分達の魔力圧縮もかかっているわたしの側近とこれまでの努力を無にしたくない騎士見習いが一丸となって教え込んでいたアンゲリカは、半眼になりながら鬼気迫る雰囲気で最終の試験に臨んだ。
皆の期待と自分の目的を果たすため、全力で打ち込んだ試験でアンゲリカはギリギリの合格を勝ち取ってきた。まだ期間があるからもう一度受けた方が……という先生を泣き落として、合格を勝ち取ったのだと誇らしそうだ。
「これでわたくし、全ての講義を終えました!」
実技はすぐに合格レベルになるが、座学が常に足を引っ張るアンゲリカが晴れやかな顔で、全講義の終了を宣言する。
「魔力圧縮の第四段階は教えていただけますし、やっと護衛の任務につけます」
やりきった笑顔でアンゲリカはそう言う。
一緒に帰るのは、筆頭側仕えのリヒャルダ、全講義を終えたコルネリウス兄様とアンゲリカとレオノーレだ。ユーディットとブリュンヒルデとリーゼレータは実技の講義がまだ残っているし、文官は情報収集のために貴族院に置いておきたい。
「フィリーネ、ハルトムート、これから貴族院で本格的な社交が始まります。色々な情報が飛び交うでしょう。情報収集をよろしくお願いいたします」
「かしこまりました」
「騎士見習いで全ての講義を終えていないのは、わたくしだけなんて……」
一緒に帰りたかった、とユーディットが嘆くが、終わっていないものは仕方がない。ユーディットは得手不得手が実技にも座学にも偏っていない平均的な成績のため、もう少しかかる。だが、ユーディットはできない子ではない。貴族院が社交シーズンに入っていないことを考えても普通なのだ。
「リーゼレータとブリュンヒルデはヴィルフリート兄様がお茶会に向かうことがあれば、兄様の側仕えに助言してあげてくださいね」
「かしこまりました」
側近達に挨拶を終え、後のことをヴィルフリートに託して、わたしは転移陣のある部屋へと入った。
「あちらでは皆がローゼマイン様の帰還を心待ちにしているようですよ。本日だけですでにアウブ・エーレンフェストから木札が三枚も届いております」
番をしている騎士が苦笑交じりに「まだか?」と簡潔に書かれた木札を見せてくれた。その殴り書き加減に、何とも言えない苛立ちを感じて、首筋がヒヤッとした。
転移陣で移動できるのは三名までだ。わたしとリヒャルダとコルネリウス兄様が先に転移陣へ入る。
転移するための魔法陣に魔力が満ち、黒と金の光を放った。同時に、ブローチにはめ込まれている魔石が光る。目の前の空間がゆらりと揺らめき、一瞬立ちくらみがするような感覚に襲われた。
瞬きをすると、次の瞬間には懐かしい顔がずらりと並んでいた。一番に駆け寄ってきたのはシャルロッテだ。不安そうに眉尻を下げて、潤んだ目でわたしを覗き込む。
「おかえりなさいませ、お姉様。倒れて三日も熱が下がらなかったと伺いましたが、お加減はもうよろしいのですか?」
「ただいま戻りました、シャルロッテ。えぇ、もう大丈夫ですよ」
わたし達は次に戻ってくるアンゲリカとレオノーレのために場所を空けようと魔法陣から出て、控室へと移動する。
「ローゼマイン、元気そうで何よりだ」
「おじい様」
「ほれ、この通り、ダームエルも鍛えておいたからな」
何だか傷がたくさん増えているが、体つきががっしりしてきて、苛められっ子っぽい雰囲気だった顔付きがちょっと精悍になったような気がする。
「……大変だったようだけれど、ちょっと強そうになっていますよ」
「ご帰還いただけて嬉しく存じます。……本当に」
実感の籠った言葉に小さく笑っていると、お父様が大股で歩いてきた。
「心配したぞ、ローゼマイン。宝盗りディッターに参加したと聞いた時には生きた心地がしなかった」
「お父様……」
心配したぞ、と言いながら、お父様の目は詳しい話が聞きたいと言っているように見える。それを制するようにお母様が前に出てきた。
「わたくしもその話を聞いて、驚きのあまり気を失うかと思いましたよ。騎士見習いでもない貴女が何故ディッターに参加するようなことになったのです? 護衛騎士のコルネリウスは止めなかったのですか?」
じろりとコルネリウス兄様が睨まれ、わたしは慌ててお母様を止める。
「お母様、コルネリウス兄様は悪くないのです。わたくしが参加すると言ったのです」
「止めたけれど、止まらなかったのです。ルーフェン先生が嬉々として参加を認めてしまったので、どうしようもありませんでした」
コルネリウス兄様の言葉に、「ルーフェンは面白がるでしょうね」と養母様が軽く息を吐いた。ダンケルフェルガーのディッターが強くなったのはルーフェンが鍛えたかららしい。ルーフェンの学生時代、めきめきと強くなっていくダンケルフェルガーを見ていた養母様の言葉に、何とも言えない諦めの溜息が周囲から漏れた。
「ダンケルフェルガーに勝ったのでしょう? これから先、ルーフェンが何度も再選を申し込んでくることになりますよ」
「……それで頑張るのは騎士見習いですから、わたくしはもう参加しません。大丈夫です」
養母様は「そうだったら良いのですけれど……」と実に先が不安になる言葉をくれた。好敵手と見定めたら、食らいついて離れないしつこさがあるらしい。
……そんな情報、知りたくなかった。
ガクリと肩を落とすわたしの右肩をガシッとつかんだのは、とてもイイ笑顔の養父様だった。深緑の目が全く笑っていない笑顔に、わたしの頬が引きつる。
「ずいぶんと遅かったな、ローゼマイン。其方の帰還を心待ちにしていたぞ」
「……養父様に心待ちにされるような何かがございました?」
「あぁ、もう前代未聞の異常事態と言って良いだろう。例年は週に一度だけ、特筆することはございません、という報告書が届いていた貴族院から、次々と報告書と質問書が届くようになって、毎日のようにヴィルフリートからの意味不明な報告書が届くようになれば、当人から話を聞くのが一番だという結論に達してもおかしくはあるまい」
ヴィルフリートは結構まめに報告書を送っていたらしいが、意味不明では報告書の意味がないではないか。
「わたくしを呼び出すのではなく、ヴィルフリート兄様に報告書の書き方を指導した方が良いのではございませんか?」
「ヴィルフリートの報告書が読めないのではない! 其方の行動が意味不明なのだ! ローゼマインが図書館に登録に行って王族の魔術具の主になる、では全く繋がりがなくてわからぬだろう。全て説明しろ。其方はこれから私の執務室に来るように」
……やっぱりヴィルフリート兄様の書き方が悪いと思うんだけどな。
一つ一つ丁寧に書いていけば、意味不明になるような行動はしていないと思う。
わたしがうーんと考えていると、養父様とか反対の肩がガシッとつかまれた。顔を上げると、そこにはひんやりとした笑みを浮かべている神官長の顔があった。こちらもまた金色の目が全く笑っていない。
「おかえり、ローゼマイン。ずいぶんと遅い帰還だったな」
「ただいま戻りました、フェルディナンド様。奉納式までにはまだ日があるのですから、わたくしの予定よりずいぶんと早い帰還なのですけれど……」
図書館を取り上げられた恨みは深いのだ、とわたしが神官長を見上げると、神官長は眉間に皺を刻んだ。
「私は確か、できるだけ早く試験を終え、余計なことをしでかす前に必ず帰ってくるように、と言ったはずだ」
「そうでしたか? 講義を全て終えるまで図書館を禁止されたことは覚えているのですけれど、そのような言葉は記憶にございません」
フフフ、ほほほ、と笑みを交わしあった後、神官長はうっすらと笑みを浮かべたまま、すぅっと目を細めた。
「君に聞きたいことが山ほどある。何がどうなって、大領地クラッセンブルクや第二王子と個人的なお茶会をすることになったのだ? その内容や付き合い方によってはエーレンフェストが中立ではなく、第二王子の派閥に入ることになるわけだが、まさか何の考えもなく、お茶会をしていたとは言うまい?」
……ごめんなさい! この王子、面倒くさいな。図書館で本が読みたいとしか考えていませんでした!
「さぁ、行こうか。奉納式までに君の話を聞く時間はまだたくさんある」
「……はひ」
こうして、わたしは保護者三人組によって、帰還早々領主の執務室へと拉致されることになった。