Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (325)
わたしが帰る場所
わたし達の契約魔術が解消された後は、アウブ・エーレンフェストが主導で製紙業や印刷業を広げられるようにするための新しい契約魔術が交わされることになった。
代替わりしても製紙や印刷に関する事業を領主が扱えるように、ジルヴェスターではなく、アウブ・エーレンフェストとして契約する。同じく、ベンノも代替わりを見据えて、プランタン商会として契約する。領主の養女であり、実質的に印刷業を広げていくことになるわたしは個人名で契約に名を連ね、事業を広げていく上で利益が入るようになっているが、プランタン商会のダプラでしかないルッツは今回の契約には名を連ねない。
新しい契約でわたしがこれまで持っていた製紙工房を決める権利やルッツが持っていた売る権利をアウブ・エーレンフェストが買い取った形になり、プランタン商会にはこれからも製紙や印刷に関する利益の一部が流れていく契約だ。もちろん、今までのような割合ではないし、売買は他の商会でも取り扱えるようになった。
「……プランタン商会、これで問題はないな?」
差し出された新しい契約魔術の紙を睨むようにじっと見つめていたベンノが頷いた。
「アウブ・エーレンフェストのご配慮とプランタン商会への破格の扱い、光栄の極みに存じます」
これまで事業を興してきたプランタン商会とわたしに、最大限配慮したという新しい契約内容に、ベンノは感謝の意を示している。
……破格の扱いなんだって。
新しい契約からルッツが外されている時点で、わたしにとっては破格でも何でもない。
ベンノがサインして血判を押した後、わたしも同意を示すサインをして、最後に文官から契約魔術の紙を受け取ったアウブ・エーレンフェストがサインする。
金色の炎で包まれた契約魔術により、新しい契約がなされた。
そこにルッツの名がない。新しい契約で新しい繋がりを作っていけばよいとお母様は言ったけれど、新しい繋がりなんてできなかった。ずっと一緒にやってきたのに、ルッツとの距離がものすごく離れてしまったことを目の前に突き付けられたようで、心が冷たくなっていく。
……ルッツにぎゅーってしたいな。
変わらないという安心が欲しい。触れ合いとか、温もりとか、貴族となった今では得られないものが、切実に欲しい。
……おうちに帰りたいよ。
契約魔術が終わった後、下町の整備について、文官から話があり、一気に創造魔術で作り変えるのが一番早いが、下町にそれだけの魔力を回せる余力がないため、人力で何とかするように、というのが回りくどい言葉で言われた。
一気に街を作り変えるという発言に「アウブ・エーレンフェストのお手を煩わせるなど、とんでもございません。できる限りの手配をこちらでやらせていただきます」とギルド長とベンノが真っ青になって辞退する。
それはそうだろう。ギルド長とベンノはハッセの小神殿が魔術で建つ様子を見ている。あの調子で下町をいじられるなんて考えるだけで恐ろしい。
わたしは文官と商人達の間に入って、口を開いた。
「文官に命じて、下町の整備に関する予算の編成はわたくしが手配いたしますが、実際に事に当たるのは下町の者で、商業ギルド長であるグスタフに統轄を任せることになります。大事業となるでしょう。できれば、人通りの多い西門から東門への大通り周辺から始めてください。どのように街を美化していくかは、後日、話し合いましょう」
「ローゼマイン様の仰せのままに」
商人達がわたしの言葉に首を垂れる。ホッとした声をしていた。
そして、解散するように、と告げられ、商人達は文官によって部屋から出される。謁見室を出て行く動きに迷いはなく、わたしは皆の動きをじっと見ていたけれど、ルッツは一度もこちらを見なかった。
商人達との話し合いが終わると、わたしはすぐに領主の執務室に呼ばれた。首脳陣と何人もの文官達に囲まれ、本日の話し合いの結果について、その場にはいなかった神官長やお母様方に向けて文官が報告をする。
「ご要望通り、新しい契約書ではプランタン商会に最大限の配慮をさせていただきました」
権利を買い取って終了にするのが、普通の扱いらしい。ほんの一部とはいえ、これから先も利益を与え続けるのだ。できて数年しかたっていない新興の商会に。
ローゼマイン様がご贔屓にしている商会でなければ、このような契約内容にはしませんでした、と遠回しに言った文官にイラッとした。新しい技術を生み出す苦労も知らず、何もなかったわたし達にベンノが与えてくれた援助の数々も知らず、ただの依怙贔屓のような言われ方に、わたしが思わず目を細めた。
「ローゼマイン」
神官長がハッとしたように軽く手を動かし、抑えろ、と指示を出す。ゆっくりと息を吸って、息を吐き、わたしはニッコリと極上の愛想笑いを浮かべた。
「先程プランタン商会と交わした契約は、製紙業と印刷業に関する、製造、販売に関する契約ですから、技術供与は含まれておりませんよね?」
「……ローゼマイン?」
「これから先、わたくしがローゼマイン工房から教師役を派遣し、エーレンフェスト紙協会や印刷協会の設立をプランタン商会にお願いすることで、工房が開設されていくわけですが、技術供与に関してはわたくしが金額を決めて、その土地のギーベから回収いたします。そして、回収した金額からプランタン商会や教師役として協力してくれるイルクナーに相応の金額を支払います」
わたしの突然の発言に皆が目を丸くした。養父様が不思議そうに目を瞬く。
「いきなりどうした? 一体、何故そのようなことを?」
「これまでの話し合いの状況から考えても、契約内容にないという理由で、あちらこちらにプランタン商会や職人を動かしても、相応の礼も技術料も支払われそうにありませんもの。春から秋に従業員を何人も割かなければならない新事業に参加しつつ、これまでと同じだけの仕事をこなさなければならない商人や職人の大変さが、貴族の文官に理解できるとはとても思えないのです」
慈善事業ではなく、領主から発注される大型事業のはずだ。だが、きちんとそれだけの予算が割かれ、グーテンベルク達がしっかり仕事ができる状況を作ってくれるとは思えない。貴族特有の無茶振りで、貴重な職人達が潰される未来しか見えないのだ。
「平民と貴族は違いますから」
事業に対する理解が足りないので貴方達に任せられません、というわたしの言葉を文官はちょっとずれて解釈したらしい。わたしは心の中で「完全失格」の烙印を押した。
「そうですね。端から理解する気がない者に、わたくしの重要な事業を任せることなどできません。印刷業や製紙業に関わることができる文官はわたくしが育てます」
わたしの笑顔の宣言に神官長が目を剥いた。
「ローゼマイン、少し落ち着きなさい。それは君が勝手に決めることではない」
アウブ・エーレンフェストが主導で行う事業となったのだから、わたしの言葉は越権で不敬でしかないだろう。だが、不敬だろうが、何だろうが、プランタン商会やグーテンベルクが使い潰されるような事態は許しがたい。
「わたくしが決めなければ、誰が決めるのですか、フェルディナンド様? 製紙業と印刷業について知識を得て、職人や商会と足並みを揃えて、ここまで育った事業を更に発展させることができる文官がどれだけいるのでしょう? 二年間わたくしが寝ている間に、フェルディナンド様が育ててくださったのですか? それとも、アウブ・エーレンフェストが? 新しい事業として展開するつもりならば、文官を育てるくらいはできているのでしょう? いるならば、わたくしが育てる必要などないのです」
……ここにいる文官のレベルを見れば、察するのは簡単ですけどね。
わたしの心の声はダダ漏れだったようだ。二年間神官長に任せきりで製紙業や印刷業に関しては手を付けていない養父様は視線を逸らし、神官長がこめかみを押さえて唸るような声を出した。
「……この二年間でユストクスがある程度把握しているはずだ」
「では、ユストクスを中心に文官を育てます」
ユストクスは情報収集に命を懸けるような変人だが、下町への忌避感は少ないし、新しいことが好きなので、新事業への適性は高いかもしれない。意外と良い人材かもしれないとわたしが笑顔で頷くと、神官長が「駄目だ」と首を振った。
「あれは使い勝手が良いのだ。君に取られるのは困る」
「ローゼマイン、ユストクスはフェルディナンドの側近だ。勝手に使ってはならぬ。事業にはここにいる文官を使えばよかろう」
好きに使って良いぞ、と養父様は言ったが、お断りだ。能無しは必要ない。わたしは即座に首を振って断った。
「アウブ・エーレンフェスト、製紙業と印刷業は、わたくしがこれまでずっと携わり、育ててきた大事な事業です。紙を作るのも、印刷をするのも、そのための道具を作るのも、大勢の平民の仕事であり、むしろ、今まで貴族など関わらなくてもできていました。ここで何も知らない貴族に手を出され、商会や職人を潰されるような事態は看過できません。プランタン商会の重要性も職人の貴重性も理解せず、無茶振りして、責任を押し付けて、潰すしか能がなさそうな文官に任せるつもりなど、これっぽっちもないのです」
「ここにいる文官では駄目だということか?」
「はい。人材不足は重々承知していますが、せめて、もう少し見所がある者が欲しいです」
神殿への出入りを忌避しない者、平民と普通に話ができる者、新しい事業に関心を持っている者、とわたしが必要な資質を述べていくと、養父様が頭を抱えた。
「それは今までの文官に必要とされている能力とは全く関係がないな」
「当たり前です。今までの文官では平民との事業などできるわけがございません」
養父様にとっての有能とわたしにとっての有能は別物です、と言うと、養父様は「なるほど」と頷いた。
「……わかった。製紙業、印刷業に関わる人材育成はローゼマインに任せる。エーレンフェスト内で其方が一番詳しいのは間違いないし、望まれる資質が私には理解不能だからな」
「恐れ入ります」
じっと話を聞いていたお母様が頬に手を当てて、口を開いた。
「土地持ち貴族が代官として使っている下級貴族や中級貴族の文官達を育てれば良いのではないかしら?」
「エルヴィーラ?」
皆が一斉にお母様へと視線を向けた。ここにいるのはほとんどが貴族街で生まれ育った貴族ばかりだ。ギーベ・ハルデンツェルの娘として育ったお母様以外は土地持ちの貴族がいないと言っても間違いではない。
「貴族街で育った貴族に比べると平民と接する機会も多いですし、新しい事業で自分達の土地を潤すことができるとなれば、真剣に事業について学ぶと思いますよ」
「……それは良い案ですね。検討材料にさせていただきます」
良い案かもしれないが、各地のギーベから技術供与のお金を取るのが難しくなるかもしれない。文官の資質としては良いかもしれないので、要検討だ。ベンノに相談してみよう。
その夜、夢を見た。
道を歩いていく。長い長い、先が見えない平坦な道をぽてぽてと歩いていく夢だ。北極星みたいに光っている星があって、わたしはそれを目指して歩いているのだ。
最初は一人だった。そこに家族が増えて、ルッツが増えて、ベンノやマルクも増えて、どんどんにぎやかになっていく。
ルッツに背負ってもらったり、父さんに肩車してもらったり、ベンノやマルクに抱き上げられたりして、足の遅いわたしも皆と一緒に歩いていた。皆笑顔でくだらない話をして、笑っている。
途中でフランやギルが増えて、神官長もいつの間にかいた。その頃には、足元に少し草が生えていた。踏んで歩けて柔らかい程度の草だ。家族やルッツと代わる代わる手を繋いでいるけれど、どんどんと草が伸びてきて、歩きにくくなってくる。
邪魔な草だな、と唇を尖らせながら足元を見たら、いつのまにか家族やルッツ達と道が分かれていた。
それでも、歩いていく方向は同じだし、一緒にお話しながら歩いていけるので、わたしは変わらず星を目指して、歩いていく。
……ちょっと遠くなりすぎだよ。
まだ手は繋いでいるけれど、少しずつ、少しずつ距離が離れ、皆の歩くスピードがどんどんと速くなっていく。草に足を取られそうになりながら、わたしは必死に足を動かす。
……待って。待って。置いていかないで!
歩けば歩くほど道が離れていく。皆が笑顔で楽しそうなのに、わたしが遅れていることに気付いてくれない。いつの間にか手も離れていて、わたしは一人になっていた。
……父さん、母さん、トゥーリ、待って! ルッツ、ルッツ、置いていかないでよ!
自分の背丈ほどになった草を掻き分けて、皆を探して泣きながら道を進んでいるところで、誰かが「姫様」とわたしを呼んだ。
「……リヒャルダ?」
揺さぶられて、ハッとしたように目を覚ますと、リヒャルダが心配そうに覗き込んでいるのが見えた。夢を見ながら、泣いていたようだ。枕が冷たい。
ゆっくりと体を起こして、目元を拭う。夢の情景を振り払いたくて、何度か頭を振る。それでも、脳裏に焼き付いているように、夢の情景が消えてくれない。
「姫様、ずいぶんとうなされておりましたが、大丈夫ですか?」
……全然大丈夫じゃないよ。
頭の奥が痺れるようにじんじんとしていて、自分の中の魔力が煮立っているように熱くなっているように感じる。
「リヒャルダ、フェルディナンド様に帰りたいと伝えてください」
「……かしこまりました」
朝早いのも気にせずに、リヒャルダがすぐにオルドナンツを飛ばしてくれた。
わたしは顔を洗って、着替えさせてもらい、朝食を取る。朝食の途中で、神官長からオルドナンツが戻ってくる。白い鳥は神官長の声で同じ内容を三回繰り返した。
「ローゼマイン、リヒャルダからの要請を聞いたが、今日はギーベ・ハルデンツェルと面会予定が入っている。面会の後まで我慢できそうか?」
我慢できると思えない。ギーベ・ハルデンツェルは印刷事業を広げる中、契約魔術で製紙工房が作れなかった人だ。今の状態で「契約魔術が解消されてよかった」なんて言われたら、わたしはもう感情を抑えられる自信がない。
「ローゼマインです。問題を起こす前に一人で帰ります」
わたしがオルドナンツを飛ばすと、今度はすぐに神官長から溜息交じりの返事が届いた。
「面会の断りを入れてから、迎えに行く。勝手な行動はせずに、支度して待っていなさい」
「かしこまりました」
まだ待つのか、とわたしはグッと奥歯を噛みしめる。そんなわたしの肩をリヒャルダが軽くポンポンと叩く。
「さぁさぁ、姫様。急いで朝食を終えてくださいませ。フェルディナンド坊ちゃまのあのご様子では、すぐに迎えに来てくださいますよ。朝早くから呼び寄せておいて準備ができていないのか、と叱られたくはございませんでしょう?」
少しでも雰囲気を明るくしようとしてくれているリヒャルダの物言いに、わたしは頷いて、朝食の続きに手を伸ばした。
その間にオティーリエはわたしが神殿に戻るための準備をしてくれている。防寒具を揃え、護衛騎士達にオルドナンツで連絡している姿が見えた。
「今日は普段よりも一層お顔の色が悪くなっておりますからね。姫様は神殿の方が落ち着くのでしょう? 少しゆっくりしていらっしゃいませ」
「リヒャルダ……」
少し悲しげにリヒャルダが笑った。
「ローゼマイン、準備はできているか?」
神官長が迎えに来てくれたのは、リヒャルダが言った通り、すぐだった。ぼんやりと朝食を食べていたら、叱られていたかもしれない。
「できています」
準備と言っても、それぞれに生活用品が揃っているので、わたしが持って移動する荷物はそれほど多くない。今回はギーベ・イルクナーにいただいたリンファイ紙が一番大きな荷物だ。
「では、行くぞ」
「いってらっしゃいませ、ローゼマイン姫様」
神官長とエックハルト兄様を先頭に、わたしのレッサーバスが続き、ダームエルとアンゲリカが後方の護衛につく。
気が急くままにスピードを上げて神殿へと戻ると、フランが出迎えに来てくれていた。
「おかえりなさいませ、ローゼマイン様」
わたしが騎獣から降りるよりも早く、自分の騎獣を片付けた神官長がフランへと近付く。
「フラン、連絡は?」
「すでに終えております。他の側仕えは孤児院長室を整えに行きました」
「そうか。ずいぶんと溜め込んでいるようだ。余計な挨拶は省いて、直接隠し部屋へ案内するように」
「かしこまりました」
わたしが騎獣から降りると、神官長はわたしに革袋を一つ差し出した。
「ローゼマイン、この中に手を入れて、できるだけ魔力を抜いておきなさい。感情のままに魔力を爆発させて傷つけたくはないだろう?」
「恐れ入ります」
わたしは神官長から預かった革袋を持って、直接孤児院長室へと向かう。
「朝早くに神官長からお手紙が届き、側仕え一同、本当に驚いたのですよ」
フランが苦笑するようにそう言った。シュタープを持っていない相手にオルドナンツは使えない。鳥のように飛んでくる魔術具の手紙で、プランタン商会を呼びだしておくように、と命令されたらしい。
「手紙を見たギルが大慌てで飛び出していきました。そろそろルッツを連れて戻ってくるのではありませんか?」
暖炉に火がくべられたばかりなのだろう。普段使わない孤児院長室はまだ冷え切っていた。
「ここはまだ寒いですから、防寒具は外さないでくださいませ」
フランにそう言われ、わたしは防寒具を脱がないまま、孤児院長室に入る。平民の青色巫女だった頃と変わらない部屋に半分安堵して、もう半分は確実にできてしまっている距離を見せつけられて、あの夢が正夢になる気がして不安になった。
「ローゼマイン様とダームエル様は隠し部屋の方でお待ちください。アンゲリカ様は扉の前で護衛をお願いいたします」
「任せてください。フランの采配は完璧です」
商人との難しい話し合いの場は、ダームエルに任せる方が確実ですから、とアンゲリカは嬉々として孤児院長室の戸口に立った。「頭を使うことはできないよ」というアンゲリカのアピールに、神官長とよく似ているフランは頭を抱えるか、と思っていたが、そうではなかった。
フランにとってはブリギッテよりも付き合いやすい相手なのか、それほどの緊張感も見せずにアンゲリカに対応している。
ダームエルが「久しぶりにあの光景を見ることになるのですか」と呟きながら階段を上がるのを無視して、わたしは隠し部屋へと入る。わたしの側仕えは入れるようになっている隠し部屋も急いで掃除がされたようで、すでに整えられていた。
ルッツが入って来られるように、隠し部屋の扉は大きく開いたままにして、フランはわたしに椅子を勧める。
「ローゼマイン様、神官長にいただいた革袋を使われてはいかがですか? お目の色が不安定になっておられます」
フランが心配そうにわたしの顔を覗き込み、そう提案した。目の色が変わるのは、魔力が暴走する時のものだ。わたしは慌てて神官長からもらった革袋に手を突っ込む。
小さな丸い物がたくさん入っているのが感触でわかった。すぐさま魔力がずわっと吸われていく。
……何が入っているんだろう?
わたしが革袋の中身を覗くと、黒い魔石がいくつか見えて、一部が金色の粉になっているのが見えた。どうやら、わたしの暴走を抑えつつ、素材回収するつもりのようだ。この神官長の用意周到な無駄のなさに腹が立つのはわたしだけだろうか。
「ルッツを連れて参りました!」
ギルがそう言って、孤児院長室に飛び込んできた。全速力で走ってきたのか、ギルも声がところどころ途切れている。
「ギル、ローゼマイン様は隠し部屋にいらっしゃいます。ルッツをこちらに案内してください」
「かしこまりました」
二人が階段を上がってくる足音が聞こえる。ここ最近落ち着いた動きを見せていた二人の足音が早くて少し乱れていた。
「ルッツ、朝早くからご足労いただきありがとうございます。後はよろしくお願いいたします」
フランはそう言いながら、扉を閉める。完全に閉まるのを待てず、わたしはガタッと立ち上がった。
ギルもルッツも全速力で走ってきてくれたのだろう、肩を上下に大きく動かして、荒い息を吐いている。
そこにわたしは飛びつこうと駆け出した。
「ルッツ、ルッツ、ルッツ!」
飛びつこうとした瞬間、ガシッと肩をつかまれて阻止された。
「なんで止めるの!? ダメなの!?」
「違う。まだ息が苦しい。せめて、勢いよくぶつかってくるのは勘弁してくれ」
一度足を止めたわたしをルッツが抱きしめるようにして「落ち着け」と軽く背中を叩いた。その慣れた仕草に不安が解けて、体の力が抜けていく。
ルッツの背中に腕を回して、ほぅ、とゆっくり息を吐いた。
「ねぇ、ルッツ。契約魔術がなくなっても、変わらない?」
「お前は変わるのか?」
ぽふぽふと頭を叩かれながら、逆に問われて、わたしは即座に頭を振った。
「オレも一緒だ。契約魔術が消えちまったのは、ちょっと寂しいと思うけど、オレにとって大事なのは、お前が考えたのはオレが作るって約束の方だから。何も変わらない」
「そっか。そうだよね。よかった。今日はすごく嫌な夢を見てね。どうしても我慢できなくて、神殿に戻ってきたんだよ」
わたしの言葉にルッツがハァと疲れ切った溜息を吐いた。
「おいおい、オレはお前の夢見が悪かったせいで、こんな朝早くから緊急事態だと呼び出されたのか……。そのくらい何とかできるヤツ、いないのかよ?」
「いたら、こんな事態になってないよ。不安と仕事は上乗せしてくれるけど、解消してくれる人なんていないもん」
「……そうか」
まだまだ振り回されそうだな、と言ったルッツの顔もどこか安堵しているように見えた。