Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (333)
領地対抗戦
体内の魔力をきちんと圧縮して片付けて、普通に動けるようになってから、わたしは枕元にあるサイドテーブルのベルへと手を伸ばす。もぞもぞと動く音に気が付いたのか、ベルを鳴らすよりも先にリヒャルダが天幕の中へと入ってきた。
「やっと気が付かれたのですね、姫様。二日も目覚めず、本当に心配いたしました。腰の重いフェルディナンド坊ちゃまに何度もお願いして、やっとこちらにいらしてくださることになったのですけれど……」
ユストクスが興奮しすぎてぶっ倒れたことを報告したところ、空の魔石を押し付けた後は、体内の魔力が落ち着くまで放っておけ、と神官長はリヒャルダに言ったらしい。それでも、二日も眠っていたらしい自分の興奮具合に自分で呆れるしかない。
同時に、何度も呼びつけられて嫌々神官長がこちらに来た時に、わたしがすでに目を覚ましていたらどうなるのか考えてみた。神官長の不機嫌極まりない顔が思い浮かんで、お小言の嵐が想像できて、すぅっと血の気が引いていく。
「リヒャルダ、わたくし、もう一度気を失いたいです。できれば、フェルディナンド様がいらっしゃるまで」
「何をおっしゃるのですか、姫様。皆も心配しておりますよ。魔力が落ち着いているならば、問題ないそうなので、夕食には食堂へ向かいましょう」
夕食の席に向かうと、皆が一斉にこちらを振り返った。
「ローゼマイン様!」
「やっと目が覚めたのか。叔父上は心配いらぬ、と返事をくれたが、さすがに心配したぞ」
「お茶会はどうなったのでしょう?」
夕食を食べながら、わたしは自分が倒れたその後について尋ねた。
グードルーンが付いていたため、リヒャルダはお茶会の部屋にはおらず、裏方で指示を出していたのだ。リヒャルダがお菓子の追加を出すように側仕え達に指示を出していたら、意識のなくなったわたしを抱えてグードルーンがやってきて、わたしを渡すと、グードルーンはお茶会の後始末に取って返したので、中の様子はわからないと言っていた。
「主催者である其方がぶっ倒れてしまったのに、そのまま呑気にお茶とお喋りが楽しめるわけがなかろう」
出席した領主候補生にわたしの虚弱さが露呈し、不用意に触ったら倒れるという認識を植え付け、お茶会は即座に解散となったそうだ。
「最も大変だったのはハンネローレ様だ。後でしっかりと謝っておけ。必死に堪えていたが、泣いていたぞ」
手を握ったら倒れられてしまったハンネローレは、もうどうして良いのかわからないパニック状態になってしまったようだ。同じようにわたしに関するトラウマ持ちで、パニック状態に覚えのあるヴィルフリートがハンネローレとその側近を必死に慰めたらしい。
洗礼式の時に初対面で手を繋いで走ったところ、途中でわたしの意識が途切れて転ばせた上に引きずって、血みどろで死なせかけた時の話や雪合戦で数個の雪玉に当たって気を失って、学友や周囲を警戒していた騎士が全員真っ青になったとなどを語ったそうだ。「ローゼマインにとってはよくあることなのだ。周囲の者にとっては本当に衝撃的だが、意識が戻った時には何事もなかったように平然としているので、気に病まないでほしい」と。
側近達もわたしが突然意識を失うところは見ているので、皆がヴィルフリートの言葉に力強く頷き、「ハンネローレ様の責任ではございませんから、お気になさらず」と言ったそうだ。
それでも、まだ「わたくしのせいかもしれません」としょげているので、ダンケルフェルガーの寮まで送っていき、本日の出来事を説明して、ハンネローレを驚かせたことを丁重に詫びてきたらしい。
「皆様には大変ご迷惑をおかけいたしました」
「其方は丸二日意識を取り戻さなかったのだ。もう明日は領地対抗戦だぞ。……それにしても、今回は一体何故倒れたのだ? 特に何もしていなかったと思うが……」
ヴィルフリートの質問に「本好きで可愛らしいハンネローレ様に興奮しすぎて倒れました」と答えようとして、はたと気付いた。
……これをそのまま言ったら、わたし、変態っぽくない? もうちょっと取り繕った方が良いかも。うーん、お友達になれたことに興奮して? いやいや、お友達になったことが嬉しすぎて?
何と言えば聞こえが良いのか悩んでいると、背筋が凍るような低い美声が上の方から降ってきた。
「君が倒れた理由については、私もぜひ詳しく聞かせてもらいたいものだ」
「フェ、フェルディナンド様!?」
思わず声が裏返り、心臓が縮み上がるほど驚いて、バッと振り返ると神官長が苛立ちの籠った目を細めてわたしを見下ろしていた。その後ろにはエックハルト兄様もいた。神官長の金の瞳が「この忙しい中、一体何をやらかした?」と雄弁に物語っている。
「二日も目を覚まさないと何度もリヒャルダに呼ばれて、仕方なく来てみれば、ずいぶんと元気そうではないか、ローゼマイン」
「姫様は夕食前に目覚めたところなのです」
リヒャルダの言葉に神官長は軽く息を吐きながら、扉を指差した。
「とりあえず詳しい話を聞くので、来なさい」
「あの、でも、フェルディナンド様。明日が領地対抗戦で、わたくし、色々と準備がございまして……」
お小言は後回しにしてほしいな、と遠回しに拒否すると、神官長は食堂の中をくるりと見回して肩を竦めた。
「心配する必要はない。君は欠席と決まっている」
「……え?」
「ローゼマインは領地対抗戦には出さぬ。これはアウブ・エーレンフェストの決定だ。それについても話をする。側仕えはリヒャルダとユストクスがいれば良い。ローゼマインの側近も対抗戦の準備をするように」
神官長の宣言に呆然としたまま、わたしはリヒャルダに背中を押されるようにして、話し合いをするための個室へと向かう。エックハルト兄様が扉の前に立ち、部屋の中へ入ったのは、わたしと神官長、そして、ユストクスとリヒャルダの四人だった。
「お話の前に姫様の具合を確認してくださいませ、フェルディナンド坊ちゃま」
「わかっている。来なさい、ローゼマイン」
わたしがのっそりと椅子に座った神官長の前へと歩いていくと、神官長は首筋に触れたり、手首に触れたりして、何やら色々と調べ始めた。
「魔力はすでに落ち着いているようだな。何が起こったのか、自分でわかるか? ユストクスの報告では、本の貸し借りに興奮したのではないかと推測がされている」
「……大体合っています」
わたしは初めての本好きのお友達に興奮したのだ。ここは元々本が希少で高価な物なので、読書を嗜む習慣がある者が少ない。本が好きで、気軽にお友達付き合いができるくらいには家格が釣り合っていて、同じ年の女の子なんてこの先見つかる気がしない。ハンネローレはわたしにとって、この先離してはならないお友達なのである。
「本好きのお友達に興奮して、お祈りを捧げかけて、ユストクスにも止められましたし、さすがにお茶会でお祈りと祝福はダメだ、と思って我慢したのです。必死で我慢したのですけれど、すでに奥の方で解放されてしまった魔力が、こう、ぐるぐるっと体の中を駆け巡って、あ、と思った時には目の前が真っ暗になっていました」
「許容量を超えたようだな。おおよそ予想通りだ。これだけ魔力が落ち着いているのだから、もう問題なかろう」
問題なのは友人関係だと神官長が溜息を吐いた。一体どのような人物だ、と聞かれ、わたしはハンネローレのことを思い出す。
「ダンケルフェルガーのハンネローレ様なのですけれど、『うさぎ』のように可愛らしくて、本好きのお姫様なのです。今度本の貸し借りをする約束をしました。わたくし、お友達と本のお話ができるのですよ! あぁ、楽しみすぎます!」
「興奮しすぎだ、この馬鹿者」
わたしをグイッと引き寄せ、べちっと額に魔石を押し付けた神官長がひどく面倒くさそうにそう言いながら、魔石をすぐに別の物に変えた。
「君はその友人には近付かぬ方が良いのではないか? また意識を失いそうだ」
どうやらかなり興奮状態にあるらしい。あっという間に色を変えていく魔石を見て、「あ」と声を出すと、リヒャルダが「処置なし」と言いたそうに溜息と共に頭を振った。
「姫様が倒れられたため、ハンネローレ様は非常にお困りになっておられたのでしょう? あまり近付くのはお相手のためにも控えられた方が良いかもしれませんね」
「……なるべく、興奮しないようにいたしますから、そんなひどいことをおっしゃらないでくださいませ。初めての本好きなお友達ですのに」
「もしかして、今まで本が好きな友人はいなかったのか?」
麗乃時代には方向性が違うが、それぞれ濃い趣味を持つ、変わった友人が数人いたけれど、マインとなってから、ローゼマインとなってからを考えると、いない。ずっと一緒に本作りをしているルッツにとってさえ、本は商品であり、読書を楽しむ物ではないのだから。
「こちらで生活するようになって本が好きなお友達は初めてです。本が高価すぎて、貴族でも何冊も持っている方は少ないではございませんか」
フィリーネも本を作るということで仲良くなったけれど、下級貴族と領主候補生は違う。同じ目線で語り合って、本の貸し借りをすることはできない。側近として自分の側に取り込む以上のお付き合いにはならないのだ。
フィリーネも慕ってくれているけれど、粗相をしては困るので、周囲の反応を見ながら一定以上は近付いて来ない。あくまで主従としてのお付き合いになる。
「けれど、ハンネローレ様はダンケルフェルガーの領主候補生ですもの。きっとたくさん本を持っているに違いありません。わたくしもハンネローレ様に同じだけお貸しできるように次々と本を作らなければならないのです」
「しばらくは全く落ち着けそうにないな。リヒャルダ、ローゼマインの魔力が溢れすぎないように、興奮する度に魔石で吸い取ると良い」
コトリと音を立てて机の上に置かれた革袋の形が魔石の形を浮き立たせる。中には大きめの魔石が三個入っているのがわかった。
「それはそうと、フェルディナンド様。何故、わたくしは領地対抗戦に欠席が決まっているのですか? もう体調は大丈夫です」
「ユストクスの報告から、君は常に騒動の元なので面倒事を起こす前に隔離しておいた方が良いと判断した。領地対抗戦は他領のアウブはもちろん、王族もいらっしゃる。先日、君自身が開催したお茶会で派手に倒れたのだから、そのまま寝ていた方が、周囲にとって面倒が少ない」
領地対抗戦は麗乃時代の学校生活で言うならば、体育祭であり、文化祭。つまり、学園祭のようなものだ。一番の大きな行事である。それに出席するなとは酷い。わたしの不満が顔に出ていたのだろう、神官長は仕方がなさそうに溜息を吐いた。
「ローゼマイン、この領地対抗戦は領主会議の前哨戦にもなる。正直なところ、不確定要素が多く、社交に不安のある君を出したくない。もう少し社交技術と体力を身に付けてからにしてほしいのだ。他領のアウブに話しかけられて、そつなく対応できる自信はあるのか? お茶会のように突然倒れることなく最後まで意識を保っていられるか?」
神官長の金の瞳で静かに見据えられて、うっと息を呑んだ。そつなくこなす自信など、わたしにあるわけがない。この間もユストクスが頭を抱えていたのを見たところだ。
「……わたくしの社交はそれほど酷いのですか?」
「大体はできている、とユストクスは言った。表面上を取り繕う社交はできる。だが、時々、どうしてその方向に向かうのか理解できないと言いたくなるような言動が飛び出してくるそうだ。それは君が全く違う常識、基盤で動くからだろう」
相変わらずこちらの常識からはずれているらしい。けれど、正直なところ、どこがどのようにずれているのか、自分ではわからないのだ。ずれている箇所がわからないため、どこにどう気を付ければ良いのか理解できない。
「フェルディナンド坊ちゃま、姫様はこの小さい体でとても頑張っておられますよ。ユレーヴェに二年間も浸かっていたとは思えない程にとても優秀な成績を収め、奉納式もこなし、社交もしています。これ以上、病み上がりの姫様に何を望むのです?」
しょぼんと項垂れたわたしを庇うように前へと出たリヒャルダを見ながら、神官長はいつも通りの無表情で口を開いた。
「休息だ。貴族院へ入る前にアウブ・エーレンフェストが要求されたところをローゼマインは軽々と越えた。正直なところ、こちらの予想を越え過ぎたのだ。王族と交流を深める予定はなかったし、上位領地とこれだけの繋がりができる予想はなかった。明日の領地対抗戦で学生だけではなく、王族や他領のアウブとこの調子で繋がりを持たれては困る。これ以上は周囲の者がついて行けぬ。故に、ローゼマインには王族や上位領地のアウブと接触することを控え、体を休めることを求める」
そう言いながら、神官長はわたしへと視線を移す。
「もしかしたら、お茶会で倒れる程、領地対抗戦の準備や社交で疲れたのではないか、ともユストクスから報告を受けている。君の体調を考え、君がゆっくり休めるように本を数冊持参したのだが、君は領地対抗戦に出たいか?」
「え? そうですね。わたくし、まだ体調が良くなくて……。リヒャルダと寮でおとなしくしていた方が良いと心の底から思います」
……いやっふぅ! 一日読書のお許しだ。
「フェルディナンド様、わたくしは欠席でも構いませんけれど、わたくしの側近達はどうなるのでしょう? 人手不足が予測されているので、全員領地対抗戦に出席させていただきたいです」
「あぁ、私が君の監視役として寮に残るので、君の側近は必要ない。リヒャルダさえいれば一日くらいは何とかなるだろう」
……え? 神官長の監視付き? いらないですよ。
読書よりもお説教タイムになりそうで、わたしは何とか監視を外せないものか考える。
「フェルディナンド様は領地対抗戦を見にいらしたのではないのですか? わたくしに構わず観戦してきてくださいませ」
「今回、私は君の後見人として、そして、上位領地との交渉の補佐をするために領地対抗戦を観戦する予定だったのだが、かなり面倒なことになっているようだな」
「はい?」
じろりと睨まれて、わたしはこてりと首を傾げた。一体何に関して面倒だと言っているのかわからない。
「私に関する妙な伝説ができあがっているとユストクスが頭の痛くなるような内容を話してくれた。下手に私が領地対抗戦に姿を現すと大変なことになるのではないか、と言われたのだが、君は一体何をした?」
……あぁ、フェルディナンド伝説か。
「何でもわたくしのせいにしないでくださいませ。ヒルシュール先生がわたくしをフェルディナンド様の弟子と言ったことで、学生時代のフェルディナンド様の行いが貴族院で語られるようになっただけです。事実だけではなく、何人もの行いが混じってとんでもない伝説になっていることは否定しませんけれど、わたくしは無関係です」
「お茶会でも話題になるから、とお話を集めさせたのは姫様だと伺っておりますが……」
「ユストクス、しーっ!」
慌てて黙らせようとするのと、わたしが神官長に睨まれるのはほぼ同時だった。
そして、わたしが神官長に雷を落とされた後、当然のようにユストクスが神官長の側仕えとして世話を焼いて、トラウゴットが放置されていたり、領地対抗戦の準備に関して神官長のチェックが入り、甘いところを指摘されたり、寮内が少々バタバタとしたと思ったら、すぐに就寝時間となった。
夜が明けて領地対抗戦当日。わたしにとっては久し振りの読書日。
皆が早目の朝食を終え、各自の準備に大忙しだ。厨房からはもう何日も甘い香りが漂ってきている。切り分けられたカトルカールが大量に準備されているのだ。
エーレンフェストから次々と届く荷物も大半は領地対抗戦に使う物で、カトルカールが詰まった箱からは何ともおいしそうな甘い香りがしていた。側仕え見習い達が荷物を確認しては指示を出し、下働きの者達が荷物を運んでいく。
ヴィルフリートはすでに領地対抗戦が行われる競技場へと向かっていて、現地で指示を出しているようだ。
文官見習いは神官長とユストクスに展示発表に関する注意事項をもらい、真剣な顔で書き留めていた。「おそらく発表を放り出して、研究の話をしに寮へ飛び込んでくるので、ヒルシュール先生に私の存在を口外するな」というのが神官長の一番大事な注意事項だった。
騎士見習い達も魔物の弱点や攻め方をおさらいし、玄関扉とは違う扉から寮の外へと出て、外で新人教育を担っていたエックハルト兄様から多少のレクチャーを受けている。
自分達の連携が全くなっていない、と自覚している学生達は自覚がない新人よりも扱いやすくて良い、とエックハルト兄様が満足そうに言っていた。教えを素直に受けることができるので、春からおじい様に鍛えられれば、来年にはぐっと伸びるそうだ。
バタバタと準備をしているところへアウブ・エーレンフェスト夫妻を始め、卒業生の保護者が続々とやってくる。社交向けのきらびやかな衣装を着ていて、寮を素通りするように、対抗戦の行われる競技場へと向かう。皆が貴族院の卒業生であるため、案内も必要ないようだ。
「ローゼマイン、やっと目覚めたか。今日は一日寮で休んでおきなさい。まだ顔色が良くない」
「ご心配いただき、ありがとう存じます、養父様」
読書が予定されているのが嬉しくて、普段よりも顔色は良いくらいだが、アウブ・エーレンフェストが「顔色が悪い」と言えば、悪いのだ。わたしはお休みである。
「フェルディナンド、ローゼマインを頼む。二人とも寮から出ないように」
「かしこまりました」
観戦する客人が通り過ぎて静かになったと思ったら、すぐに騎士見習い達が寮へと戻ってきた。もう競技場へと移動しておかなければならないそうだ。
「ローゼマイン様、祝福をお願いしても良いですか?」
「皆、跪いてください。武勇の神アングリーフの御加護を与えます」
ザッと整列した騎士見習い達が跪くと、静かに頭を垂れる。
「よろしくお願いいたします、ローゼマイン様」
そう言ったのは最上級生のアンゲリカだ。
わたしは軽く頷いて右手に魔力を込め、シュタープを出すと、右手を掲げ、いつも通りに魔力を込めていく。
「炎の神 ライデンシャフトが眷属 武勇の神アングリーフの御加護が皆にありますように」
シュタープから飛び出した青の光が騎士見習い達に降り注いでいく。
「学んだことを少しでも活用できるように、周囲を見て、協力し合い、エーレンフェストにとって最良の成績を収められることを祈っております」
「はっ!」
皆が出かけてしまうと、わたしは一階の多目的ホールで神官長が差し入れてくれた本を読みながらのんびりと過ごす。
文官見習いやユストクスが神官長の指示を仰ぐために、時折出入りする以外は静かなものだ。
神官長はユストクスがまとめている報告書はもちろん、ヴィルフリートやシャルロッテの文官見習いやハルトムート達がまとめている資料に目を通している。文官教育としてユストクスを通して出していた課題があったらしい。
3の鐘が鳴って、すぐに食堂から昼食のおいしそうな匂いが漂い始めた。しばらくすると、文官や側仕え達が代わる代わる昼食を取りに戻ってくる。交代しながら取らなければならないそうだ。
「今年は大変ですよ、ローゼマイン様」
「エーレンフェストにこれだけのお客様がいらっしゃるのを初めて見ました」
昼食に戻ってきた学生達が興奮気味に領地対抗戦の様子を教えてくれる。シュバルツ達の研究には中央の研究者達が目を輝かせて寄ってきているそうで、ヒルシュールは嬉々として説明して、まだ穴のあるところはどうなっているのかと予想を立てて盛り上がっているらしい。
ついでに、わたしが考えた新しい騎獣としてシュミル型の騎獣も展示しているそうだ。こちらは騎獣服に着替えることなく乗れる、という謳い文句で女性の目を引いているらしい。
「その場にいないのに、ローゼマイン様の名前が周囲に知れ渡っているように感じられました」
「ダンケルフェルガーの騎士団長もいらっしゃいましたよ。フェルディナンド様の愛弟子という領主候補生はどこだ、と」
うぇ、と思ったのはわたしだけではなかったようだ。話を一緒に聞いていた神官長が心当たりがあるような微妙な顔になった。もしかしたら、同世代の人で神官長が悪辣な作戦でコテンパンにした人だろうか。
「観戦しなくて正解だったようだな」
「ローゼマイン様がまだ臥せっているということで、クラッセンブルクやダンケルフェルガーの領主候補生がそれぞれの保護者と共にお見舞いの品を持って来てくださいました。アウブ・エーレンフェストが必死に対処しておられます」
……わぉ、養父様、ファイト!
そうこうしているうちに、騎士見習い達が一斉に入ってきた。自分達の戦いが終わったそうだ。アンゲリカ以外はどの顔も晴れやかからは程遠い微妙な顔をして、わたしを見た。祝福を与えたのに、ダメだったのだろうか。
「コルネリウス兄様、ディッターの成績はいかがでした?」
「順位としてはまだまだですが、これまでの模擬戦と比べると最速で倒せました」
「それにしては晴れやかとは言えない顔ですね」
わたしの言葉にコルネリウス兄様は騎士見習い達と顔を見合わせた後、ゆっくりと溜息を吐いた。
「対戦相手として出てきたのがグリュンで、あれをローゼマイン様が騎獣として使っているのか、と思うと少し……」
「どのような魔獣だったのですか?」
「実に凶暴で臭い魔獣でした」
「……え? 臭いのですか?」
それはちょっと嫌かも、とわたしも一緒に顔をしかめていると、神官長の声が響いた。
「グリュンの話は今度にして、昼食を終えたら、側仕え達の補佐をしろ。客が多すぎて、断ることさえ儘ならないと報告が入っている」
騎士見習い達はハッとしたように動き始めると、昼食を終えてすぐに飛び出していった。
少し食堂が落ち着いてきたので、わたしと神官長もリヒャルダの給仕で昼食だ。食べながら、神官長がポツリと言った。
「……君には悪いことをしたと思っている」
「何ですか?」
「今日の領地対抗戦に出席するのを禁じたことだ。表彰式にも出られぬわけだからな」
神官長によると、領地対抗戦の競技自体は5の鐘までには終わるようで、5の鐘が鳴った後に一年間の成績優秀者の発表があるそうだ。
「一年生の最優秀は君だろうとヒルシュールの手紙にあった。本来ならば、王から直々にお褒めの言葉を賜り、皆の称賛を浴びるはずだったのだが、こちらの都合で欠席させたのだ」
「……欠席で良かったです。王様とお話なんて、今のわたくしにはできません」
全領地のアウブ夫妻がいて、王族が列席し、最優秀として表彰されて、王と直接話をするなんて、今度こそどんな粗相をするか、考えただけで恐ろしい。
「来年は領地対抗戦に出られるようになれば良いが、君への教育方法を考えあぐねているところだ。君の常識や思考の基本が我々と異なるのをどうすれば良いのか、わからぬ。私はこれまでも教えてきたつもりだからな」
「姫様は神殿でお育ちのため、貴族の常識に疎いところがございますが、そこは慣れるしかございません。年月の積み重ねが大事なのです。」
給仕しているリヒャルダが穏やかに笑いながらそう言った。
「洗礼式を終え、領主の娘として一年半。その後、二年間を眠ってお過ごしになられて、貴族院へのご入学でしょう? 神殿でお過ごしの時間を考えると、姫様が貴族として過ごした時間はおそらく半年程ですもの。これからですよ」
細々したことをきっちりと覚えている神官長は貴族として城で過ごした日数を指折り数え始めた。
「半年は超えるようだが、確かに貴族として過ごした時間はずいぶんと短いな。神殿でも教育はしていたので、それほど短いとは感じなかったが……」
「貴族しかいない城と、厳密に言えば貴族ではない者ばかりの神殿は違います。神殿で貴族の考え方は身に付きませんよ。貴族が坊ちゃましかいないのですから」
「なるほど」
「フェルディナンド坊ちゃまは性急に結果を求めますが、人が育つには時間がかかるものなのです。もう少しゆっくりなさいませ」
5の鐘が鳴って少したつと、皆が戻ってきた。神官長が言っていた通り、わたしは一年生の最優秀を取ったらしい。わたしの代わりに、ヴィルフリートが受け取ってきてくれたようだ。そのヴィルフリートも優秀者に選ばれたと言っていた。
他の学年でも優秀者が数人出たけれど、合格点すれすれで試験を終える者が多かったようで、エーレンフェストは講義を終える速さだけではなく点数も考慮するように、と注意を頂いたらしい。来年の課題になりそうだ。