Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (334)
アンゲリカの卒業式
領地対抗戦の翌日が卒業式である。アウブ夫妻はそれぞれの部屋に泊まるが、他の保護者達は一旦エーレンフェストに戻ることになる。
……道理で観戦に来ている人が少ないと思った。
連日で魔力を使って転移するのは大変なので、中級、下級貴族の保護者はよほど我が子の見せ場があると解かっていたり、結婚したいと希望する子が他領の子だったりするのではない限り、領地対抗戦には来ないらしい。
アンゲリカの父親は今日のディッター勝負よりも、明日の剣舞を見たいと考え、明日はお休みをもらってやってくるらしい。ちなみに、アンゲリカの母親は養母様の側仕えであるため、本日一緒に貴族院へと来ていて、ディッター観戦をしたらしい。明日はお休みをもらえることになっているとリーゼレータが言っていた。
……本当に優秀な側仕え一家の中にアンゲリカ一人が騎士見習いなんだ。
卒業式は3の鐘から始まる。午前中は奉納舞や剣舞などの披露があり、中央神殿から神殿長がやってきて祝福を与えるそうだ。どちらかというと成人式の色合いが強いといえるだろう。
そして、午後からは成人した卒業生が正装して講堂に集い、卒業式が行われる。
「明日もわたくしは寮でお留守番なのですよね?」
夕食を終えた多目的ホールでわたしは神官長にそう尋ねた。神官長も貴族院にお泊りだと言っていたので、明日もわたしの監視係なのだろうと思っている。
「卒業式にやってくる重要人物の顔ぶれは今日と同じだ。出席しては全く意味がない。……寮で本を読んでいるのでは不満か?」
「読書は嬉しいのですけれど、わたくし、アンゲリカの剣舞やエグランティーヌ様の奉納舞が見たかったのです」
領地対抗戦を欠席して、卒業式だけ出席できるわけがないのはわかっているが、本番のエグランティーヌ様や練習場所が違うので全く見られなかったアンゲリカの剣舞は非常に気になる。たった一回限りだとわかっているから尚更だ。
「せめて、『ビデオカメラ』があれば、よかったのですけれど……」
「何だ、それは?」
「剣舞や奉納舞を映しておいて、後から映像で見ることができるものなのです。……そうですね。ヒルシュール先生の講義で使っていた魔術具があったでしょう? あのような感じで動きがついて見られるものと言えばわかりやすいでしょうか」
何と説明したものか、と考えながら、わたしが伝えると、神官長は軽く肩を竦めた。
「映写の魔術具ならばヒルシュール先生が持っているはずだ。講義に使うために私が作ったことがある。使用する際に魔力を馬鹿のように使うので、一度使っただけでお蔵入りになっていたはずだが、君の魔力を魔石に移して稼働させれば剣舞と奉納舞だけならば何とかなるのではないか?」
「本当ですか!?」
……ビデオカメラに相当する魔術具がすでにあったのか!
おぉ、と感動しながら、わたしが期待を込めて神官長を見上げると、神官長はひどく苦い顔つきになって、オルドナンツの魔石を手に取った。
「当面の問題は私が貴族院に来ているとヒルシュール先生に知られることだが、君をおとなしくさせておくためならば仕方があるまい。君はこちらの魔石に魔力を込めておきなさい。足りなかったら、途中で切れるぞ」
そう言って、神官長はオルドナンツでヒルシュールに映写の魔術具を借りられないか、と飛ばした。わたしは喜んでバッテリー業務をやらせてもらう。魔石を握って、魔力を込めていく。
……うふふん、ふふん。剣舞と奉納舞が見れる。
そろそろお返事が戻ってくるかな、と思っていたら、オルドナンツの返事ではなく、ヒルシュール本人が魔術具と資料の束を抱えて、寮へと飛び込んできた。
「フェルディナンド様、こちらにいらっしゃっているならば、何故もっと早く連絡してくださらなかったのです!? わたくし、戻ってきた資料で話し合いたいことが山のようにあるのですよ!」
「そう言って、領地対抗戦を放置しそうだったので、敢えて、連絡いたしませんでした。ご無沙汰しております、ヒルシュール先生。こちらの魔術具はまだ使えそうですか?」
神官長はヒルシュールの手にあった魔術具を取り上げて、いじり始めた。
「魔力がずいぶんと必要になると言って、放り出した魔術具を今更何に使われるのです?」
「明日の剣舞と奉納舞を撮影する必要性が出てきたのです。魔力はローゼマインが提供するので問題ありません。……あぁ、問題なく動きます。相変わらず魔術具の手入れはこまめになさっているようで、感心いたしました。そのくらいこまめに報告書を上げていただきたいものです」
神官長の言葉はさらっと聞き流したようで、ヒルシュールはその場にざっと資料を広げ始めた。
「図書館の魔術具なのですけれど、本日の領地対抗戦で何人もの研究者の方々と討論をしていた出てきた予測の数々です。中央で王族の魔術具を研究していらっしゃる方がいて、この部分には命の神に関する魔法陣が入るのではないかと。同じような繋がりをご覧になったことがあるようです。ただ、その方が覚えていた魔法陣では上手くはまらなかったのです」
「ふぅむ、それは興味深い。一体どのような魔法陣でした?」
マッドサイエンティストの集いが盛り上がり始め、文官達は興味深そうに、しかし、さっぱり理解できないというような顔で二人を見ている。
わたしは魔石に魔力を込め終ると、その場をそっと退いた。わけがわからない魔法陣の話よりも、せっかく神官長が持って来てくれた本が読みたい。自室に戻って本を読み、お風呂に入って就寝だ。
そして、次の朝。
朝食を終えて多目的ホールに向かうと、昨夜と同じ状態で二人がまだ話し合っていて、書き散らした資料が増えていた。
エックハルト兄様がしかめ面で壁にもたれかかるようにして、立っている。神官長の護衛騎士は徹夜の研究話にも付き合わなければならないようだ。もしかしたら、これが神官長達の貴族院時代の日常風景だったのだろうか。
「おはようございます、フェルディナンド様、ヒルシュール先生。お二人ともまだお話をしていたのですか? 朝食くらいは食べた方がよいのではございません?」
「あぁ、ローゼマイン。もう朝か。ヒルシュール先生、本日は卒業式です。このくらいで終わりにしておいた方が良いと思われます」
「……卒業式ですか。せっかく研究が良い感じに進みそうですのに」
本気で悔しそうにヒルシュールが言うのを聞いた神官長が呆れたような表情で頭を振った。
「今日くらいは我慢してください。私の後釜がいないと以前嘆いておられましたが、有望な弟子は見つかったのですか?」
「えぇ。なかなか見つからなかったのですけれど、今年の二年生に有望な学生がいます。下級貴族に近い中級貴族で、魔力が少ないのが惜しいのですけれど、その分、改良に関してとても優秀なのです」
神官長は発想や着眼点が天才的で、魔術具を数多く作り出していたけれど、魔力が大量にあるので、自分にしか使えないような魔術具も多かったそうだ。新しい弟子になりそうな学生はそんな神官長の魔術具をより少ない魔力で使えるようにできないか、研究することにはまっているらしい。
「わたくしはこうして語り合うことができ、新しい弟子を得て、懐かしく楽しい時間が戻ってきた気分で日々を過ごしております。フェルディナンド様は、卒業される日、これから退屈で鬱々とした生活を送ることになるとおっしゃいましたけれど、エーレンフェストに戻られてから少しでも楽しい時間がございましたか?」
ヒルシュールの表情が研究一筋のマッドサイエンティストから弟子を心配する師匠の顔になった。師匠の言葉に、珍しく神官長が一瞬言葉に詰まる。そして、ひどく懐かしそうに目を細めた。
「飽きることがない、退屈とは縁遠い時間を過ごしております」
「その言葉を聞いて、少し安心いたしました。フェルディナンド様の新しい魔術具、研究成果、恋愛話、何でもわたくしは待っておりますからね」
ヒルシュールはそう言って資料をざざっと集めると、さっさと食堂へと向かった。朝食を食べて、卒業式の準備を急がねばならないそうだ。
そして、ヒルシュールと入れ替わるようにして、ユストクスが食堂から出てきた。
「ヒルシュール先生は朝食を取られるそうですが、フェルディナンド様はどうされますか? やはり、仮眠を優先されますか?」
「あぁ、2と半の鐘に起こしてほしい」
「かしこまりました。おやすみなさいませ。……エックハルトも少し仮眠を取った方が良いのではないか? 久し振りにあの二人に付き合うのは大変だっただろう?」
私はトラウゴットに付いていたのでしっかり寝たが、とユストクスが呟き、恨めしそうにエックハルト兄様がユストクスを睨んだ後、神官長の後を追っていく。
「ユストクスはどうして食堂から出てきたのですか?」
「あぁ、トラウゴットの給仕をしている時に、ヒルシュール先生が入ってきたので、やっとお開きになったのかと思ったのです」
「……では、トラウゴットは今、放置されているのではなくて?」
「そうですが、優先度を考えると仕方がありません」
ユストクスはそう言って肩を竦めると、食堂へと戻っていく。
「一番の被害者はトラウゴットかもしれませんね」
ユーディットが「ちょっと可哀想になってきました」と呟いた。
朝食を終えた学生達が少しずつ多目的ホールへと集まり始めた頃、卒業生の親が転移陣でやってきた。そして、待ち構えている側仕え見習い達によって、それぞれの子供の自室へと案内されていく。卒業式の準備を手伝わなければならないからだ。不備がないか親の目で確認しなければならないと言う方が適切だろうか。
「お父様、お母様」
「ローゼマイン様、ご無沙汰しております。この度は……」
娘であるリーゼレータよりも先にわたしに目を留めて、真っ直ぐにこちらへと向かって来て、挨拶しようとするアンゲリカの両親の姿にわたしは軽く肩を竦めた。
「長い挨拶は結構ですわ。今日は時間がありませんもの。リーゼレータ、ご両親を早くアンゲリカの部屋へと案内して差し上げて。アンゲリカはきっと面倒がって支度の手を抜いているでしょうから、三人で手を抜かないように見張ってくださいね。わたくしからの命令です」
剣舞の準備は完璧でも、その後の正装の準備は適当だったり、剣舞最優先で髪型を決めて、華やかさは全く考えていなかったり、アンゲリカには不安要素が多すぎる。
両親と妹という優秀な側仕えが三人も増えたら、手を抜くことなどできないだろう。
「かしこまりました」
リーゼレータがそう言って、両親を連れて多目的ホールを出て行く。これでアンゲリカは問題なしだ。
これでよし、と頷いていると、何故かダームエルがやってきた。多目的ホールをくるりと見回し、目が合うと同時にわたしのところへとやってきて跪く。
「ローゼマイン様、ただいま参上いたしました」
「何故ダームエルがここにいるのですか?」
「昨夜、フェルディナンド様より緊急の要請がございました。卒業式で側近がほとんど出払うため、護衛任務を任せる、と」
ヒルシュールと論議することになるので、自分とエックハルト兄様が仮眠を取ることになるのも予定通りだったようだ。
「では、皆も卒業式の準備に向かってくれて大丈夫ですよ」
わたしは自分の護衛騎士見習いに声をかける。それぞれが準備のために動き始める。
「ダームエル、城の方は変わりありませんか? おじい様はお元気ですか?」
「……とても。とてもお元気でいらっしゃいます。騎士団の方へと乗り込んできて、見習い達の教育について騎士団幹部と話し合っておられました」
春から見習い達は大変だと思います、とダームエルが呟いた。おじい様がとてもやる気になっているようで何よりである。
2と半の鐘が鳴ると、すぐさまユストクスが神官長を起こしに行くのが目に入った。やはり、トラウゴットの見送りは後回しにされている。
「リヒャルダ、いくら何でも可哀想ですからトラウゴットに付いてあげてください」
「ローゼマイン様に他の側仕えが付いている時ならばともかく、皆が出発しようとしている今はできません」
リヒャルダにそう言われ、わたしは小さく頷く。できないと言われれば仕方がない。
卒業生と卒業生のエスコート役以外の学生達が揃って寮を出て行った。主役の卒業生が入場するまでに講堂の準備をするらしい。
学生達が出かけて少したつと、神官長が多目的ホールへとやってきた。ユストクスとエックハルト兄様も一緒だ。ただ、エックハルト兄様の姿が見慣れぬ正装で、わたしは軽く目を見張った。
「……今日のエックハルト兄様は護衛任務には珍しい正装ですね。何かあるのですか?」
「アンゲリカのエスコートをしなければならないのだ。騎士の鎧というわけにはいかぬだろう?」
「えぇ!? アンゲリカのエスコートはエックハルト兄様がするのですか!?」
わたしが驚きに目を見張ると、エックハルト兄様も驚いたように目を見張った。
「知らなかったのか? 普通は誰がエスコートするのか、寮内でも話題になるだろう?」
「妹のリーゼレータは知っているようでしたけれど、他は誰も知らないようでした。相手は誰だろうと疑問に思う人は多かったのですけれど、アンゲリカが首を傾げるだけだったので、もしかしたら本人も知らない内に親族から決まっていたのではないか、と専らの評判だったのです。一体いつの間に、そのような仲になっていたのですか?」
昨日もエックハルト兄様は神官長と一緒にいたけれど、別にアンゲリカと親しげに会話することもなければ、視線を交わすようなこともなかったはずだ。どこからどう見ても、恋仲には見えなかった。
「……そのような仲ではないからな。おじい様はアンゲリカを弟子に取って以来、自分の身内の誰かと縁付かせたいと考えておられて、本当にギリギリまで相手は決定していなかったのだ。本当にアンゲリカは知らないのかもしれない。お師匠様にお任せいたします、と言った後、何も言ってきていないらしいからな」
……間違いなく、おじい様に任せた後は思考放棄だ。
「アンゲリカと我々と縁付かせるのはおじい様の希望だったため、この冬は大変だったのだ」
ボニファティウスの身内の誰かと縁付かせるというのは、領主一族に連なる一族と縁ができるわけなので光栄極まりないが、中級貴族であるアンゲリカにとっては完全に身分違いだ。それに、アンゲリカは騎士としては強いけれど、性格や社交能力から考えると、上級貴族の第一夫人には向かない。
アンゲリカの両親は必死で辞退の道を探していたらしい。けれど、ボニファティウスが決定したことを覆す力など、彼等にはなかった。
困り果てている彼らとアンゲリカのこれからを考えた結果、ボニファティウスの孫の内、年齢が釣り合う者の第二夫人として嫁ぐのが一番良いのではないか、とお母様が言ったそうだ。
アンゲリカの両親はできれば第三夫人くらいが良いと懇願したそうだが、それはボニファティウスに聞き入れられず、一応第二夫人で何とか折り合いをつけることができたらしい。
「だが、誰の第二夫人にするかが問題だった」
当初はトラウゴットの第二夫人になる予定だったそうだ。アンゲリカはまだまだ結婚など考えておらず、強くなることだけを考えている残念美少女なので、すぐに結婚を求められる年上相手よりも、年下相手の方が良いのでは、と考えられたらしい。
そして、トラウゴットはわたしの護衛騎士となる予定だったので、ちょうど良い組み合わせだと大人達は話し合った。
だが、トラウゴットはわたしの護衛騎士を辞任した。それも解任に近い辞任でボニファティウスの怒りを買う結果となり、同時に愛弟子であるアンゲリカの相手を取り消されたそうだ。
一族会議ではトラウゴットの進退だけではなく、卒業式が間近に迫っているアンゲリカの将来の相手の決め直しも行わなければならず、とても大変だったとエックハルト兄様は言った。
「次は我々三兄弟の誰を相手とするか、という話になった。年回りから考えればランプレヒトとコルネリウスだ。だが、ランプレヒトはアーレンスバッハとの問題が片付くまで明確な相手は作らぬ方が良いし、コルネリウスは意中の相手がいるのでアンゲリカのエスコートはしたくないと以前に言っていた。最終的に妻を亡くした私が適任だという結果になったのだ」
神官長が結婚するまで結婚しないと粘っていたエックハルト兄様がとうとう結婚か、と考えて、ポンと手を打った。
「しばらくは結婚する気がないアンゲリカが相手ならば、エックハルト兄様もしばらくの間、確実に結婚とお母様のお小言から逃れられるという利点がありますね」
「そういうことだ」
エックハルト兄様が苦笑しながら頷いた。これからまだ何年か結婚するつもりはないようだ。ある意味、良い組み合わせなのかもしれない。
ただ、エックハルト兄様は自分なりに考えて利点を見出して承諾したけれど、アンゲリカは何も考えていなさそうで、こちらの方が心配だ。
「お待たせいたしました、エックハルト様」
アンゲリカの両親が支度の整ったアンゲリカを連れて多目的ホールへと入ってきた。強さを表すライデンシャフトの青をまとったアンゲリカが見えた。騎獣服に似て、スカートのように見えてもキュロットの衣装である。成人したため、丈が靴を隠すほどに長くなっている。
髪をきちんと結い上げた成人女性の髪形に一瞬戸惑う。薄く化粧もされたアンゲリカは、普段見慣れていたわたしが思わず目を見張るほど美人だった。
「あぁ、これは美しく仕上がったな。其方の剣舞が楽しみだ」
「最高の剣舞をお見せできれば、と存じます」
アンゲリカの手を取るエックハルト兄様と小さく笑うアンゲリカは、一見頼り甲斐のありそうな騎士と儚げなお姫様が寄り添う図だった。
「アンゲリカはエックハルト兄様がお相手でよいのですか?」
剣舞の衣装を身にまとったアンゲリカに、わたしは開口一番尋ねた。アンゲリカは迷いもなくコクリと頷いた。
「わたくしはお師匠様にお任せすると言ったのです。お師匠様の紹介ですから、わたくしには文句など全くありません。エックハルト様がお気の毒だとは思いますけれど。わたくし、ローゼマイン様に仕え続けることができるならば、相手は別に誰でも良いのです」
……なんてアンゲリカらしい潔い返事。
そう思っていたら、アンゲリカの両親が「誰でも良いとは何だ。エックハルト様に対して失礼極まりない」と即座にアンゲリカを叱り飛ばす。そして、エックハルト兄様に「このような娘のエスコートは今から辞退してくださっても良いのですが……」と訴えかける。
「それは私が祖父に叱られます。それに、これくらい恋愛や結婚に興味がない娘の方が私にとっては都合が良いのです」
3の鐘が鳴るとエックハルト兄様はアンゲリカをエスコートして寮を出て行く。神官長が作った映写の魔術具とわたしの魔力がたっぷりと詰まった魔石を持って。
「アンゲリカと奉納舞の光の女神、エグランティーヌ様をしっかり撮影してきてくださいませ、エックハルト兄様」
今日もわたしは読書三昧だ。ダームエルは神官長にこき使われて書類整理をしている。
午後には皆が戻ってきて、昼食を食べる。それから、卒業生は式に出るために衣装に乱れがないか、確認して待機。剣舞を披露したアンゲリカは正装に着替えなければならない。
着替えたらすぐに出発することになる。
「エックハルト兄様、さぁ、剣舞と奉納舞を見せてくださいませ」
わたしがねだるとエックハルト兄様は魔術具を神官長に渡した。撮影にも魔力が必要だが、映すためにも魔力が大量に必要になるらしい。エックハルト兄様はこの後まだアンゲリカをエスコートして卒業式に出なければならないので、映せないと言った。
「つまり、お預けですか?」
「いや、エックハルトの魔力は必要ない。ローゼマイン、見たければ君が自分で写せ。ここの魔石に魔力を込めれば良い」
「はい!」
神官長が魔術具をいじって、ごそごそと準備を始める。映すためには相応の準備が必要なのだそうだ。
神官長が準備しているうちに、卒業式に向けて卒業生が一組、また一組と出発していく。
他領の生徒がエスコートする場合は側仕えがお茶会の部屋で待っているらしい。お相手の側仕えが迎えを知らせてくれたら、玄関を出る。そこにはお相手が待っているそうだ。
「アンゲリカ、卒業おめでとう」
「わたくしが貴族院を卒業できるのはローゼマイン様のおかげです。わたくしの方こそ、お礼申し上げなければなりません。感謝しております」
アンゲリカが跪き、首を垂れると、アンゲリカの両親もリーゼレータも同じように跪いた。
「ローゼマイン様には家族一同、一族一同、心より感謝しております。本日、アンゲリカが卒業式を無事に迎えることができたのはローゼマイン様のご尽力あってのこと。本当にありがたく思っております」
落第に退学を覚悟していたアンゲリカの卒業に両親は表現しようがない感慨を抱いているようだ。
「エックハルト兄様、アンゲリカのエスコートをお願いいたしますね。兄様のフォローは素晴らしいと思っています。アンゲリカのボロが出ないように……」
「それほど心配しなくても大丈夫です。私は役目を果たします」
エックハルト兄様はわたしを安心させるように、軽く頭を撫でると、アンゲリカの手を取って出て行った。
卒業生が出て行き、保護者と領主夫妻が出て行き、寮には卒業式に関係しない学生達が残される。
「フェルディナンド様、準備は終わりまして?」
わたしが多目的ホールに戻ると、神官長は軽く頷いていた。魔術具に興味があるらしい学生達が映写の魔術具を眺めている。
「この板に映るので、このようにして自分にとって見やすいように位置を変えなさい。位置が定まったら、魔力を流すと良い」
「はい」
ギルドカードと同じようなつるりとしていて光に当たると虹色に輝くようなA4くらいの大きさの金属板があり、その位置を調整して、神官長は魔力を流すように指示する。
わたしが嬉々として魔力を流すと金属板に映像が映り始めた。おぉ、と周囲から感嘆の声が上がる。
「剣舞だ。すごい」
「このような魔術具があるなんて初めて知りました」
「ローゼマイン、私にも見せてくれ」
ヴィルフリートが寄ってきて、わたしの周りは二人の側近達がぎゅうぎゅうに寄ってくる。
正直なところ、映写の魔術具の画像はそれほど良くない。一応カラーだが、解像度が荒い感じで、音が付いているわけでもない。ただ、映像だけだ。
それでも、自分が見に行けなかった剣舞と奉納式が見られるのがとても嬉しい。
「これはシュティンルークですか?」
「そうです。アンゲリカの剣舞はシュティンルークで舞うのです。一振り一振りで魔力がわずかに飛び散って刀身がほんのりと青く光り、それはそれは美しいのですよ」
アンゲリカを尊敬していて大好きなユーディットが嬉しそうに笑いながら教えてくれる。魔剣を扱っている者は貴族院でもそれほど多くないそうだ。成長させるにも扱うにも魔力が必要になるので、中級貴族で持っている者は皆無だと言う。
アンゲリカの他にも女性騎士で剣舞に参加している者はいるけれど、明らかに他より目立っていた。刀身が青く光っているシュティンルークを自在に振り回す美少女は人目を釘付けにする魅力がある。
「見事ですね」
ハァと感嘆の溜息を吐いていると、すぐに奉納舞が始まった。どうやらエックハルト兄様は魔力をできるだけ節約しようとしたようだ。余韻も何もないけれど、わたしはそのまま続けて奉納舞を見る。
エグランティーヌの手がゆるりと動いて、奉納舞が始まった。奉納舞は自分もお稽古しているので、音楽がわかる。口ずさみながら、わたしが見ているとエグランティーヌと一緒にアナスタージウスも映った。
エグランティーヌとは釣り合わないと思っていた奉納舞も真面目にお稽古したのか、それなりに様になっている。
……アナスタージウス王子が上達してる。
夫婦神なのに釣り合わないのはちょっと、と思っていたので、上達してくれて釣り合うようになったのはとても嬉しい。
この舞の途中にも視線を交わしてほんのりと微笑み合う二人を見ていると、何とも幸せそうでこちらも嬉しくなって祝福したくなる。
……二人まとめて祝福するよ。この幸せそうな笑顔がそのまま続きますように、って。
「ローゼマイン、魔石から手を退けるんだ!」
「はい?」
わたしが顔を上げるのと、神官長が顔色を変えて駆け寄ってくるのはほぼ同時だった。
神官長がわたしの手首をつかんで、万歳させるように上にあげる。同時に指輪から祝福の光が飛び出し、どこかへ飛んでいった。
「……君は一体何を考えた?」
「え、えーと、アナスタージウス王子とエグランティーヌ様の幸せが末永く続きますように、と考えただけです。あ、祝福しようとも考えました」
今の祝福の光が飛んでいく先は卒業式の会場に決まっている。突然飛んできた祝福の光がアナスタージウスとエグランティーヌに降り注ぐ図が想像できた。今、講堂では一騒動起きているような気がする。
「……フェルディナンド様、祝福って取り戻せますか?」
「無理に決まっているだろう、馬鹿者」
「ですよね? 騒動、起きるでしょうか?」
「わからぬ。だが、何を聞かれても素知らぬ顔をしておけ。……ここにいる全員、今の祝福のことは口外法度だ。余計なことを漏らせば、自ら死にたくなるような目に遭わせるぞ」
冗談など全く感じさせないひやりとした真面目な無表情に脅され、神官長とほとんど面識がない学生達は震え上がりながら、何度も頷く。
「留守番をさせていたにも関わらず、このようなことが起こるとは……まったく」
神官長がこめかみを押さえて、深い深い溜息を吐いた。
……ごめんね、神官長。でも、わざとじゃないんだよ。