Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (335)
一年生終了
「今、戻った。留守中に変わったことはなかったか?」
卒業式を終えた領主夫妻が寮へと戻ってきた。卒業生は別れを惜しんだり、それぞれの親へとお相手を紹介したりするので、まだ講堂に残っているそうだ。
疲れきった顔の養父様がじろりとわたしを睨む。
思わずうっと息を呑んだ。これは間違いなく私の祝福の光で何かあったに違いない。そして、養父様には犯人がわたしだとバレている。
「何もございませんでした、アウブ・エーレンフェスト」
そう言って神官長がすっと一歩前に出た。わたしは半分くらい養父様の視線から隠れたのを良いことに、じりじりとほんの少しずつ移動して神官長の後ろに隠れる。
「変わったことなど、何も起こりませんでした。卒業式はいかがでした? 何か面白い出来事でも?」
「……あぁ、聞かせてやろう。私の部屋に来ると良い。ローゼマインもだ」
「わたくし、女の子ですから、殿方の部屋が並ぶ二階へ立ち入ることは禁じられているのです」
残念ですわ、と逃げ出そうとしたが、もちろん許してくれるはずがない。養父様はピクリと眉を震わせ、「私の命令だ」と低い声を出し、隣にいる養母様がにっこりと笑って、「わたくしも一緒ですから、心配しなくても良いのですよ」と言う。逃げられるわけがなかった。
「……はひ」
養父様がバサリとマントを翻して、部屋へと向かう。わたしは肩を落としながら、とぼとぼとついていくしかない。側近達は部屋に立ち入ることを禁じられ、部屋の中には領主夫妻と神官長とわたしだけだ。扉の外側には騎士団長であるお父様とエックハルト兄様が立っているはずだ。
「一体何があったのだ?」
「卒業式でアナスタージウス王子とエグランティーヌ様の名が呼ばれ、入場された瞬間にどこからともなく祝福の光が飛んできた」
その祝福がどこから飛んできたのか、誰も見ていなかった。王子とクラッセンブルクの領主候補生という組み合わせが入場してくるところを興味深く見ていると、二人の頭上に光が降り注いだらしい。
一体何事だ、神殿長が何かしたのか、と騒然となる中、祝福の犯人扱いされた中央神殿の神殿長は、大きく手を挙げ、静まるように、と示した。
何か言葉があるのだろう、と皆が口を閉ざし、シンと静まったところで神殿長は「神からの祝福だ」と宣言したそうだ。エグランティーヌの成人と結婚を祝福しているのだ、と。
「エグランティーヌ様を? お二人ではなく、ですか?」
「目に見えて祝福の光の量が偏っておりましたもの。エグランティーヌ様の選んだお相手なので、アナスタージウス王子は共に祝福されたという印象でしたね」
わたしは二人の幸せを願ったので、エグランティーヌだけが祝福されるのはおかしい。首を傾げるわたしを見て、養母様も同じように首を傾げた。
「では、わたくしは無関係かもしれませんね。エグランティーヌ様が神々に寵愛されているから、そのような結果になったのでしょう、きっと」
このまま本当の神様の祝福ということにしちゃいましょう、とわたしの中で結論が出たところで、神官長がこめかみを押さえて、わたしを睨んだ。
「無意識の時、君の祝福は感情に大きく左右される。二人の祝福に偏りがあっても全く不思議ではないだろう。シャルロッテの洗礼式のために、君はどれだけ練習したと思っている?」
「……あぅ」
他の子供達と祝福の量に違いが出ないように、必死で練習したことを指摘され、わたしは反論できなかった。そう言われれば、エグランティーヌとアナスタージウスで差が出るのは当然かもしれない。
「とりあえず、神々の祝福ということになっているので、決して口外しないように。余計なことは言うな。他に目撃者はいるのか?」
「あぁ、その場にいた学生には口外を禁じている。中央神殿の神殿長が神々の祝福として認め、それが広がった後ならば、後出しでローゼマインの祝福だったと言っても、それほど聖女の肩書が必要かと嘲笑されるだけだ」
皆が領地に戻るまで口外しなければ、次の冬には神々からの祝福として定着しているだろう、と神官長は言った。
「……エグランティーヌ様は神の寵愛を受けているようだ。それでいい。だが、こちらとしては状況把握をしておく必要がある。前後の状況を話せ。ローゼマイン、今回は一体どの神に祈ったのだ?」
疲れ切った声の養父様に促され、わたしは口籠った。じろりと睨まれてどの神と言われても困る。今回わたしはお祈りしていないのだ。
「わたくし、アナスタージウス王子とエグランティーヌ様が幸せになればいい、とは思いました。けれど、特定の神にお祈りはしていないのです。……お祈りの言葉も口にしていません」
疑わしそうに養父様がわたしを見て、神官長へと視線を向ける。
「間違いない。ローゼマインが普通に祈りを捧げていれば、私は祝福が飛び出す前に止められたはずだ」
「まぁ。では、ローゼマインは一体何をしていたのかしら?」
養母様の優しい声にわたしは幾分安心して、エグランティーヌの奉納舞を見ていたことを告げた。
「フェルディナンド様の魔術具で、エックハルト兄様が剣舞と奉納舞を撮影してきてくれたのです」
「……見せてみろ。私はそのような魔術具を見たことがない」
「ジルヴェスター、話し合いは終わっていないぞ」
「いや、その映像に何か秘密があるかもしれぬ」
養父様の言葉に神官長が「本音が先に出ているぞ」と呟きながら、扉を開け、魔術具を持ってくるようにエックハルト兄様に命じた。神官長の部屋に置かれていた魔術具が持ち込まれ、問題の奉納舞の映像が映し出される。
「これはすごいな」
「馬鹿のように魔力を使うのだ。気軽に使えるようなものではない」
「この奉納舞は本当に素晴らしいものでしたから、このような形でもう一度拝見できるのをとても嬉しく思います」
養母様もこの奉納舞、特にエグランティーヌの舞を素晴らしいと感じたらしい。わたしは嬉しくなって養母様を見上げた。
「エグランティーヌ様は本当に素敵ですよね? 特にここの……大自然の神々諸共にただひたすら祈れ、祈れよ のところで、このお二人が……」
「ローゼマイン、君はもしかして、先程もそのように歌っていたのか?」
「はい。音がないですから、覚えている奉納舞は自分で音を付けていましたけれど?」
わたしの返事に神官長がこめかみを押さえた。
「では、それが原因だ」
「どれですか?」
「奉納舞の歌に決まっている。奉納舞の歌は元々神に捧げる物。ローゼマインはお披露目の時にもライデンシャフトに捧げる歌で祝福となったのだ。さらに古い言葉で神に捧げる物として作られた奉納舞の歌を元に祝福が起こっても特に不思議なことではない。他の者ならば異常事態だが、君の場合はよく起こることと言える」
この異常事態をわたしの普通と言い切った神官長に養父様が何とも言えない視線を向ける。
「どうすれば止められるのだ?」
「私に聞くな。ローゼマインがいつ誰を祝福したくなるかまで管理できるわけがなかろう」
「……奉納舞は心を籠めて踊りましょう、と先生に言われた時に、気を付けなければ、と思ったのですけれど、まさか歌で祝福になるとは思いませんでした。自分でもビックリです」
わたしの規格外さに皆が一斉に頭を抱えた。
「更に、頭が痛くなる事実に気付いたぞ。ローゼマインはすでに神の意志を手に入れている」
「……それが何だ?」
「ジルヴェスター、其方、何のために神の意志を己に取り込み、シュタープとするのか、覚えていないのか?」
「己の魔力を扱いやすくして、神に祈りを届けやすくし、加護を……もう良い。わかった」
シュタープを取得したために、わたしは以前よりもずっと神に祈りが届きやすくなっているらしい。
「これ以上考え込んでも解決策など思い浮かぶはずもないな。早急に考えなければならぬことを優先するとしよう」
「何か考えなければならないことがあるのですか?」
「あぁ。領地対抗戦やこの卒業式で、流行を広げ、優秀を得た聖女と噂されるローゼマインのお相手について、すでに数件問い合わせが来た。今の打診はまだ下位領地のものなので簡単に退けられるが、上位領地からの申し込みがある前に、早急にローゼマインの婚約を整える必要がある」
……おぉ、わたし、モテモテ!?
何件も婚約打診という初めての事態に、内心ちょっとだけ浮かれていると、神官長にコツンと頭を小突かれた。
「面倒事なのに浮かれるな、馬鹿者。それで、一体何と答えたのだ?」
「もちろん、エーレンフェスト内に相手がいると答えたに決まっている。ヴィルフリートが春には決まると匂わせたのだ。それに便乗して、領主会議で婚約発表をすると答えておいた」
「妥当な答えだ。ローゼマインを余所に出すわけにはいかぬ。魔力の問題だけではなく、他領で取り繕いながら生きていけると思えぬ。扱いが面倒で情緒不安定で魔力を暴走させやすい危険物だからな」
「……危険物? 物扱いはひどいと思います、フェルディナンド様!」
内容は大体間違っていないので、反論できないけれど、物扱いについては断固として抗議する。
そんなわたしを見て、養母様が困ったように笑って首を振った。
「ローゼマイン、先に自分の婚約が決められることに反応してちょうだい」
「でも、わたくしが養女になったのはエーレンフェストに利益と魔力をもたらすためで、政略結婚することになるのは、元々決まっていたことですよね? わたしは図書館さえ自由にできれば、誰に嫁いでも良いのです」
「……君の言い分はアンゲリカと全く同じだな。恐ろしく似た主従だ」
神官長の言葉に「あ」と小さく声が出た。
……確かに。……あれ? もしかして、わたしも残念美少女になるのかな?
「ローゼマインの扱いの巧みさと魔力の釣り合いを考えるとフェルディナンドが一番有力なのだが……」
「馬鹿なことを言うな、ジルヴェスター」
それほどわたくしとの婚約がお嫌ですか、と口に出しかけて、わたしは慌てて言葉を呑み込んだ。神官長の顔が恐ろしいほどに真剣だったのだ。
「其方の子が次期領主となれる可能性がなくなる。冗談では済まなくなるぞ」
「……どういうことですか?」
意味がわからなくてわたしが首を傾げると、神官長は軽く息を吐いた。
「今現在、エーレンフェストにおいて次期領主候補と目される者は五名いる」
「えーと、ヴィルフリート兄様とシャルロッテとメルヒオールとわたくしとフェルディナンド様ですよね?」
「正確にはボニファティウス様も領主候補生だが、年と本人がすでに辞退しているので、貴族達の意識からボニファティウス様は後継者候補から除かれている」
……そういえば、おじい様も領主の子だったね。忘れてたよ。
「白の塔に入ったことで汚点があるヴィルフリート、他領の領主候補生を婿として迎えねばならないシャルロッテ、未だ洗礼式を終えていないメルヒオール、ヴェローニカに疎まれたことで、後ろ盾のない私、そして、魔力量を認められて養女となり、印刷や様々な流行の中核を担うローゼマイン。客観的に見て、誰が次期領主に適しているか、一目瞭然だろう?」
「でも、わたくしは……」
元平民だから、と言いかけたわたしを遮って神官長が続けた。
「事実を知らない者から見れば、私と違ってローゼマインにはカルステッドとエルヴィーラという両親がいて、親族という後ろ盾があるのだ」
わたしが元平民であるという事情を知る者はほとんどいない。その場合、わたしはボニファティウスの孫として領主の血を引く、騎士団長と正妻の子になる。血筋にも全く問題がなくなる。
「これからローゼマインとエルヴィーラを中心に広がることになる印刷業と両親の血縁を考えても、ハルデンツェル伯爵、イルクナー子爵、グレッシェル伯爵、そして、ライゼガング伯爵はすでにローゼマイン派と言ってもよいくらいだ。第一夫人だった娘を第二夫人の身分に落とされ、ヴェローニカには邪険にされ、アーレンスバッハの血統に煮え湯を飲まされ続けてきたライゼガング伯爵は血族であり、アーレンスバッハの血統と無関係なローゼマインを強硬に推すだろう」
養母様がざっと顔色を変えた。ライゼガング伯爵はボニファティウスの妻の実家でエーレンフェスト内では最大の土地を持つ有力者だ。ちなみに、お母様のおばあ様もライゼガング伯爵家の人物らしい。他者から見れば、わたしは完全にライゼガング伯爵の縁者である。
「そんなローゼマインが私と結婚することになれば、どうなるかは明白だ。確実に私は次期領主として担ぎ出されることになる。後ろ盾がなかった私がローゼマインとの結婚により後ろ盾を得るのだ。結婚がローゼマインの成人後としても、成人したてのヴィルフリートやシャルロッテでは私の相手にならぬぞ」
奢りでも何でもなく、事実だろう。成人したてのヴィルフリートやシャルロッテが今よりも老獪さを増す神官長に勝てるとは思えない。
「ローゼマインを他領に取られぬうちに対策を練りたいならば、ヴィルフリートと婚約させておけ。そうすれば、其方の望み通りにヴィルフリートが次期領主になれる可能性はぐっと高くなる」
「なるほど。……では、フェルディナンド、ローゼマインをヴィルフリートと婚約させて、其方はシャルロッテと婚約するか?」
明らかに冗談とわかる口調でそう言いながら、養父様が神官長を見上げた。笑えない冗談に神官長がピシッと青筋を立てる。
「ふざけるな」
「そうですよ! いくら何でもシャルロッテが可哀想じゃないですか! シャルロッテが成人する頃にはフェルディナンド様はもうおじさんですよ。フェルディナンド様みたいに意地悪じゃなくて、もっと若くて優しくてシャルロッテを大事にしてくれる殿方でなければわたくしが許しませんっ!」
「ほほぅ、もう一度言ってみなさい」
神官長の意見に賛同してあげたのに、更に怒りを募らせた神官長にほっぺをぐにぃっと引っ張られる。
「いだいいだいっ! ごべんなひゃい!」
フンと言われながら、やっと離してくれたほっぺをなでなでしていると、養母様がそっと息を吐く。
「ローゼマインはヴィルフリートと婚約することに異存はないのですか?」
「城の図書室と神殿の図書室をわたくしの好きにできるのならば、全く問題ございません」
「……ヴィルフリートを支えてやってくれますか?」
「できる限り努力します」
安泰な図書館運営のためには、領主にしっかりしてもらわなければならない。支えるくらいは頑張れるはずだ。
そんなわたしの決意を神官長が鼻で笑った。
「フロレンツィア様、それをローゼマインに望むのは間違っている。むしろ、ヴィルフリートがローゼマインの手綱を握れるようになるかどうかが大事なのだ」
「わたくしは暴れ馬か何かですか!?」
「周囲への影響を考えれば、暴れ馬の方がよほど扱いやすいであろう」
養母様がひどく複雑な表情でわたし達のやりとりを見て苦笑する。
しばらく考え込んでいた養父様が、くっと顔を上げた。
「異存がなければ、春を寿ぐ宴で領地内の貴族に向けてヴィルフリートとローゼマインの婚約発表をし、領主会議で全領地に向けて告知する。良いか?」
「わかりました。……ヴィルフリート兄様にもきちんとお話を通しておいてくださいね」
退室を促され、わたしが自室へと戻ると、エグランティーヌとアナスタージウスからお見舞いが届いていた。
エグランティーヌの手紙には、わたしの言葉がきっかけでアナスタージウスが動き出し、エグランティーヌにとって最良の結果に終わったので、卒業式ではわたしに祝福して欲しかったと書かれていた。
……もしかして、祝福について探り入れられているのかな?
髪飾りもリンシャンもとても好評で、おじい様やアウブ・クラッセンブルクも興味を持ち、領地対抗戦ではアウブ・エーレンフェストと楽しくお話していました、と書かれている。
……養父様はげっそりしていたけど、大領地のアウブ達が喜んでいたなら、頑張った甲斐があったね。
わたしもエグランティーヌ様の奉納舞を拝見したかったので非常に残念でした、とお返事を書いた。
アナスタージウスからも、このような大事な式典で体調を崩すとは虚弱すぎるのではないか? と叱責交じりの見舞いが届いた。
それに対しては「虚弱で申し訳ございません。できることならば、わたくしも出席したかったです。卒業式では皆様から祝福がいただけたようですね。わたくしもお二人を祝福いたします」と返事を出しておく。
あくまであの祝福は私とは無関係です、という態度を崩さない。
二人に返事を書いた後は、領地対抗戦でお見舞いに来てくれたハンネローレにもお詫びとお礼の手紙を書いた。
「この手紙と本をダンケルフェルガーのハンネローレ様に届けてくださる?」
お見舞いの処理を終えると、わたしは少しずつ片付けられている自室を見回した。
卒業式が終わったので、明日からは順次帰還が始まるのだ。
「明日には図書館へ行って、シュバルツ達に魔力供給をしなければなりませんね。それに、先日借りた本も返却しなければ……」
「姫様、先にフェルディナンド坊ちゃまに相談なさいませ。次の冬までの間、ソランジュ先生に魔力を預けておくことができるかもしれません」
次の日、神官長に相談した結果、わたしの魔力が籠った魔石を貸してもらえることになった。ただし、大きめの魔石で非常に高価なので、神官長が足を運んでソランジュと直接貸し借りの契約をすると言う。
わたしは養父様に許可を得ると、神官長と一緒に側近達を引きつれて、ぞろぞろと図書館へ向かった。
「ソランジュ先生は悪いことをする方ではないと思うのですけれど……」
「これだけの大きさの魔石に、君の魔力がたっぷりと詰まっているのだ。悪用されたり、盗られたりしないように先に手を打っておくのは当然のことだ。君は危機感なく誰にでも魔石や魔術具を貸しそうだが、貸したものは帰ってこないという前提で動きなさい。魔力は普通、気軽に貸すようなものではないのだ」
それが常識だと言われれば、覚えておくしかない。わたしはコクリと頷いた。神官長は気軽に魔石を貸してくれるし、わたしも魔力を貸している気がするのだが、保護者枠は問題ないのだろうか。
「ひめさま、きた」
「ひめさま、ほんよむ?」
シュバルツとヴァイスに迎えられ、わたしはリーゼレータに持ってもらっていた本を返却する。シュバルツとヴァイスがひょこひょこと周りを歩き回る様を見て、神官長が驚いたような、呆れたような息を吐いた。
「……本当に君が主なのだな」
「そうですよ」
「ローゼマイン様、それに、フェルディナンド様ではございませんか。お懐かしゅうございます。お元気そうですね」
ヒルシュールの資料集めに図書館によく出入りしていた神官長をソランジュは覚えていたらしい。ソランジュに声をかけられた神官長も懐かしげに目を細めた。
「お久しぶりです。……私が知る司書はもういないとローゼマインから聞いております。一人でも覚えのある方がいて、安心しました」
ソランジュに辛い話をさせないようにさらりと流した神官長の気遣いに気付いたソランジュが柔らかく笑う。
「ソランジュ先生、今日は本の返却と魔力供給の相談をしたいと思って参りました。お時間、よろしいですか?」
「えぇ、お心を配っていただきありがとう存じます」
卒業式の翌日のため、図書館に人気はない。ガランとしている図書館の本棚までがガランとしている様子にわたしは目を見張った。前に来た時は最終試験前で、たくさんの学生達がそれぞれに本を抱えていたので本棚が空いていた。けれど、今も隙間が多いのは一体どういうことだろうか。
「これだけの本がまだ戻っていないのですか? もう各領地とも帰還する時期ですのに……」
「年々ひどくなっております。わたくしの力が及ばないせいなのですが……」
ソランジュが悲しげに目を伏せた。きちんと貸出し手続きをした者でも、ソランジュを中級貴族と下に見て、返却しない者がいると言う。キャレルに持ち込み、勝手に持ち出した者については調べることもできないと言う。
「調べられない? そんなはずはない。一体何のためにシュバルツとヴァイスがいるのです? 以前はこのシュバルツとヴァイスの記録を元に督促が送られていたではありませんか」
自分が在籍していた時の図書館との変わりように神官長が目を吊り上げた。だが、ソランジュは主ではないため、その情報をシュバルツとヴァイスから得ることができないらしい。
「ローゼマイン様にこれ以上負担をかけるわけには参りませんから」
「いいえ、負担ではありません。図書館のお手伝いは図書委員の仕事ですから。お役に立てるなら、お手伝いくらい、わたくしはいくらでもいたします」
勝手に手伝ったらソランジュの迷惑になるから、図書館における読書以外の活動を控えていただけで、何かお仕事をさせてもらえるならば、わたしは図書委員として頑張るつもりだ。
「図書委員が何かは知らぬが、ローゼマインにはやる気と魔力がある。むしろ、このような有様の図書館を放置しておけば、いずれ本を粗末に扱った者に祝福ではなく、呪いが降りかかるのではないか?」
「……呪いだなんて人聞きの悪いことをおっしゃらないでくださいませ。英知の女神の怒りですよ」
資料を撒き散らかされて荒らされただけで血祭りなどという物騒な言葉が飛び出すのだから、貴族院で殺生が起こる前に対処した方が良い、と神官長が呟いた。
「ローゼマイン、シュバルツとヴァイスの主である君の仕事だ。本を返却していない者、無断で持ち出した者を領地別に聞きだしなさい。その間に私はソランジュ先生と魔石の貸し借りについて話をしてくる」
「かしこまりました」
わたしは神官長に言われた通り、シュバルツとヴァイスを呼んで、本を持ち出して返していない者のリストを領地別に作り始めた。一緒にいる側近達もフル稼働である。
「シュバルツ、ヴァイス。図書館から無断で本を持ち出した者、未だ返却していない者の名前を領地別に教えてください」
「りょうちべつ、みへんきゃくしゃ……」
「りょうちべつ、むだんもちだし……」
呟くシュバルツとヴァイスの目が淡く光り、その口からは名前が述べられる。わたしと側近達はその名前をどんどんと書いていく。
リストを作成した結果、上位領地には督促を送る必要はなく、下位領地の方が図書館利用のマナーが悪いことに気付いた。
「エーレンフェストにはいませんね」
「ローゼマイン様がこれだけのめりこんでいる図書館で迷惑をかけるような愚かな真似はいたしませんよ。図書館の本を滞納することに自分の将来がかかるのですから」
コルネリウス兄様が肩を竦めてそう言い、周囲の者が同意する。できあがったリストを持って、わたしはソランジュの執務室へと向かった。
「フェルディナンド様、ソランジュ先生、名前の書き出しが終わりました」
「あぁ、こちらも魔石の貸し借りについての契約が終わった。それを見せてみなさい」
リストを見せると、無断持ち出しの人数の多さに神官長が眉間に深い皺を刻んだ。
「ソランジュ先生、督促用のオルドナンツを」
「フェルディナンド様?」
「今回は私が督促を送りましょう。聞いたことがない成人男性の声で督促が届けば、中央が動いたと相手が勝手に誤解してくれるに違いありません」
確かに、ソランジュの声では今まで通りだし、わたしの子供の声では更になめられる可能性がある。しかし、神官長の厳しい声ならば震え上がって、本を返却してくるだろう。
「助かります、フェルディナンド様。図書館運営にフェルディナンド様が協力してくれるなんて思いませんでした。嬉しいです」
わたしが感激して感謝すると、神官長はニッと唇の端を上げた。
「ローゼマイン、後でシュバルツとヴァイスのお腹を見せろ。私は実物を見てみたい。図書館運営に協力するのだ。そのくらいの褒美は許されるだろう?」
……それが目的!? 神官長が図書館にわざわざ来て、協力してくれるなんておかしいって、ちょっとだけ思っていたんだよ!
わたしは神官長に協力してもらうメリットとデメリットを考える。
すでにヒルシュールから資料をもらっている神官長に見せたところで大した問題はない気がする。これでシュバルツとヴァイスの衣装作りに協力的になってくれて、図書館に本がきちんと返却されるならば、わたしのメリットの方が多いだろう。
「……フェルディナンド様にお任せすれば、絶対に本が返却されるのですか?」
「あぁ、絶対に本を返却せずにはいられないような督促を送ってやろう」
気合の籠った神官長の低い声で、「貴族院の図書館は王族に管理を委任されたものであり、その蔵書は王族の所有物。帰還するまでに返却しない者は窃盗犯とみなし、王の名で各領主に通達する。同時に、図書館登録の際の英知の女神 メスティオノーラへの誓いを破ったということで、契約魔術を行使する」という脅しをたっぷりと含んだ内容の後、個人名が述べられるという未だかつてない恐怖の督促オルドナンツが各領地の寮へと飛ばされた。
……卒業式の次の日だもん。まだ領主がいる寮が多いよね? 怒られるだろうな。
その日の図書館は、血相を変えて本を持ち込む学生達、返却作業に追われるソランジュとシュバルツ、そして、図書委員として嬉々としてお手伝いするわたし、執務室でヴァイスのお腹をじっくり観察して魔法陣を書き散らす神官長という混沌とした空間になっていた。
図書委員のお仕事に満足したわたしと、ヴァイスのお腹をじっと見て何やら思いついたらしい神官長は機嫌よくエーレンフェストに戻ったのだった。