Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (341)
わたしと神官長
深く意識が沈んでいる中、微かにわたしを呼ぶ声が聞こえた。まだ起きたくない。このまま眠りの海に沈んでいたい。
そう思っても、わたしを呼ぶ声は止まらない。
「ローゼマイン、起きなさい」
「うぅ……」
ゆさゆさと体を揺さぶられて、仕方なくわたしはゆっくりと目を開ける。瞼が腫れぼったくて重たく感じる。泣きすぎたせいか、こめかみの辺りがジンジンして、まだ熱を持っているようだ。
「神官長とユストクスとエックハルト兄様……?」
視界に映った面々がどうして自分の近くにいるのかわからなくて、周囲を見回し、自分が隠し部屋にいることを思い出した。
どうやら手紙を読んで泣きながら寝てしまったようだ。わたしは神官長とその背後に控える二人を見ながら、机に伏せたままだった体をゆっくりと起こす。変な体勢で寝てしまったのか、あちらこちらが軋むように痛い。
「いたた……」
「まったく、何というひどい顔だ」
起き上がると同時に、神官長が眉間に皺を刻んでそう言った。「嘆かわしい有様になっているぞ」と更なる追い打ちをかけられて、わたしはムッと唇を尖らせる。
「女の子に対してひどい言い草ですよ」
「本当のことではないか」
……余計にひどい。
「泣いて腫れている上に、手紙に伏せて寝たせいだろう。頬にインクがべったりだ。顔の文字が読めるくらいに大変なことになっているぞ」
神官長の指摘にそっと頬に触れ、自分が眠りこけていた机を見て、ひぃぃっ! と息を呑んだ。
「いやああぁぁぁ! 手紙の文字が滲んじゃった!」
「読み終わった手紙よりもその悲惨な顔を何とかしなさい」
「顔より手紙が大事ですよ!」
涙でインクが滲み、濡れて一度乾いたせいで、かぴかぴのぐしゃぐしゃになってしまった手紙を持って、わたしは頭を抱える。
「神官長、この手紙を元通りにする素敵魔術はないですか!?」
「インクを綺麗に取り去る魔術具ならば知っているが?」
「完全に消えちゃうじゃないですか!」
無表情で「その通りだ」と神官長が頷くと、ユストクスが笑いを堪えるように口元に手を当てた。神官長はわたしを見下ろしたまま、ハァ、と面倒くさそうに溜息を吐く。
「……思ったより元気そうだな」
城に向かう準備をする時間だ、とフランが連絡用の魔術具を光らせても、眠りこけていたわたしは全く気付かなかったらしい。もしかしたら隠し部屋で倒れているのではないか、と心配したフランが神官長に連絡を入れ、隠し部屋に入ることができる神官長が様子を見に来ることになったそうだ。
「隠し部屋に入ったら、机に伏せて意識がない姫様を発見したのですから、驚きましたよ。眠っているだけだと気付いて胸を撫で下ろしました」
一拍置いて「フェルディナンド様が」と付け加えたユストクスを神官長が「余計なこと言うな」とじろりと睨んだ後、わたしを見た。
「反省室の一件を思い出しただけだ。特に意味はない」
「フェルディナンド様、反省室の一件とは何でしょう? 何があったのですか?」
知りたい、と目を輝かせるユストクスを軽く手を挙げて制すると、神官長はわたしの額に触れ、首筋に触れる。
「熱は上がっていない。脈拍も正常。魔力も安定しているようだな」
「体調はともかく、全く元気はないですよ。しょんぼりへにょんです。でも、目標は定まっているので、大丈夫。それに向かって頑張れます」
図書館の設立と蔵書充実のために、わたしは全力を尽くします、と宣言すると、神官長がものすごく嫌そうに顔をしかめた。
「元気がないようには見えぬが、まぁ、良い。ひとまずその見るに堪えない顔を何とかしよう」
「神官長のひどい言い草こそ何とかしてくださいよ。
貶
し言葉が豊富すぎます」
わたしが文句を言いつつ神官長の方へと向き直ると、シュタープを出した神官長に唐突に「息を止めろ」と言われた。
意味がわからなくて、「え?」と首を傾げると同時に、水の玉がどこからともなく飛んできて、顔を目がけてぶつかってくる。
「がぼばっ!?」
それが前にハッセの小神殿で父さんのマントを洗浄した魔術だと気付いた時には、わたしは水の玉に溺れかけ、直後、それは消えていた。
思わず顔にぶつかってきた水を飲んでしまったが、すでにその水気は全くなく、水が鼻を逆流していった感触だけが残っている。
「げほっ! ごほっ! 鼻が痛いです」
「馬鹿者、何故息を止めなかった!?」
神官長が驚いたように言ったけれど、「息を止めろ」だけではなく、「洗浄の魔術を使うから」と理由を述べてくれれば、わたしはきちんと息が止められたはずだ。ユストクスに背中を擦られながら、神官長をじとっと睨む。
「神官長は説明が足りなすぎます」
わたしの指摘に神官長はフンと鼻を鳴らしつつ、「癒しを与えるので、目を閉じなさい」と今度は理由も含めて教えてくれた。
言われるままに目を閉じると神官長の手がわたしの目元を覆う。「ルングシュメールの癒しを」という呟きと共に優しい緑の光が満ちて、目元の腫れぼったい感じがすぅっと消えていった。
「ありがとうございます、神官長」
「これで多少は見られるようになったな。本当に君は手がかかる」
面倒くさそうに言った神官長の視線がわたしの手の中にある手紙で止まった。ゆっくりと目が細められて、凝視しているのがわかる。何だろうと思ったら、すいっと大きく広がった神官長の手が伸びてきた。
……没収される!?
わたしは慌てて手紙を自分の背後へと隠した。
その直後、神官長の手はわたしの頭に乗せられ、ぐりんぐりんと頭が回るように動かされる。無言で頭を左右に振られ、数秒間は耐えたが、目が回ってきた。わたしはぐらんぐらんと揺れる景色に目を白黒させながら、制止をかける。
「待ってください。何ですか、一体!?」
「……そう言えば、褒めてはいなかったと思ったのだ」
頭をぐりんぐりんと振り回すのが神官長なりの褒め表現なのだろうか。神官長には褒められなくても良い気がしてきた。
「わたくし、何か褒められるようなことをしましたか?」
「最優秀をとったであろう? 後見人という保護者の立場でありながら、私は褒めていなかったな、と今、君の手紙を見て思った」
「もしかして、神官長も最優秀を取った時は褒めてもらったのですか?」
わたしの質問にフッと目が細められ、大事な思い出を噛みしめるような顔になった。今までに見たことがないような思慕の情が浮かんでいるのを不思議な気分で見つめる。
そういえば、わたしが表彰式に出られなかったことも謝っていた。最優秀を取るというのは、神官長にとってはとても嬉しくて大事な思い出なのかもしれない。
「……神官長は誰に褒められたのですか?」
「父上だ」
洗礼式を機に城へと連れて来られた神官長は、最初から北の離れに部屋を与えられた。住む場所が違うので、父親である先代領主と会話ができるのは夕食の時間だけ。その時はヴェローニカが同席しているので、少しでも接触を控えたい神官長は質問されない限り無言で食べる。そんな生活が貴族院に入るまで続いたそうだ。
貴族院の一年生で最優秀を取った夜、神官長は初めて父親から部屋に呼ばれたらしい。貴族院の寮は二階と三階で男女が分けられていて、領主夫妻も部屋が違うので、ヴェローニカが立ち入って来ない。初めての父と子の時間が取れたのだそうだ。
その場にはジルヴェスターもいて、神官長は二人から最優秀を取ったことを褒められた。貴族院であったことをジルヴェスターが雄弁に報告し、穏やかな表情で父親が目を細めて聞く。普段は目を合わせようとしない父親が自分にも視線を向けて、話を聞いてくれた。他に邪魔が入らない男三人で語った貴重な時間だったと言う。
それからも領主夫妻が貴族院へとやってきた時は、夜に少し話をする時間を設けてくれたらしい。滅多にとれない父親との時間に褒められたくて、全力投球した結果がフェルディナンド伝説だそうだ。
「その時、神官長はこんなふうにお父様から褒められたのですか?」
もうちょっと褒め方を考えてよ、先代! と思っていたら、神官長は「いや、違うな」とあっさり首を振った。目が回るような褒め方は神官長独自のものだったようだ。道理で優しさが欠ける褒め方だと思った。
「じゃあ、神官長がしてもらったように褒めてくださいよ」
「私が父上にしてもらったように?」
さぁ、褒めて! とわたしが両手を広げると、神官長はわたしが座っていた椅子に座った。そして、わたしを引き寄せて、軽く抱きしめる。まさか貴族の親子のふれあいでそのようなことをすると思わなかったわたしは大きく目を見開いた。
思わず「わっ!?」と驚きの声を上げるわたしにお構いなしで、神官長は今まで聞いたことがないような優しい声を出した。
「よくやった、フェルディナンド。エーレンフェストの領主候補生として、十分な働きをしたぞ。其方は私の誇りだ」
「……神官長のお父様が優しい方だったのはわかりましたが、そこはローゼマインに置き換えてください」
わたしのことを褒めてないのでやり直しですよ、と膨れつつ、わたしはそっと息を吐いた。家族や人との関わりが薄くて、人間関係に不器用な人だと思っていたけれど、父親との交流が一年に数日これだけだなんて、予想以上にひどいと思う。
「よくやった、ローゼマイン。エーレンフェストの領主候補生として、十分な働きをしたぞ。君は私の誇りだ」
今度はちゃんとわたしを褒めてくれたけれど、神官長の中の思い出補正が薄れたせいか、かなり棒読みの褒め言葉で、言い終わるとすぐに突き放された。
きっと神官長は父親にこんな扱いをされなかったはずだ。後見人で親代わりなのに、わたしへの扱いがちょっとひどいと思う。
「……神官長、わたしも頑張りますから、一年に何回かはこうして褒めてくださいね」
「最優秀が取れたらな」
わたしが神官長の要求するハードルの高さに目を剥いていると、ユストクスが溜息を吐いて首を振った。
「フェルディナンド様、そのくらいは姫様にも必要です。先程もご報告したように、姫様は隠し部屋と寝台を失ったに等しいのですから、代わりを準備するのは後見人の務めではございませんか。これまで姫様の心の安定を下町に丸投げしていたのですから、取り上げた以上は責任を取るべきです」
リヒャルダによく似た口調で言われた神官長が何とも言えない複雑な顔になった。こめかみをトントンと軽く叩きながら、わたしを見る。
「責任と言われても、ローゼマインにはもう新しい家族があるだろう。……ローゼマイン、君にとって下町の家族が隠し部屋で、プランタン商会が寝台ならば、カルステッドやジルヴェスターは何だ?」
じろりと睨まれながら問われて、わたしはうーんと考え込んだ。
「お父様と養父様は……扉ですね。外から他者の侵入を防ぎ、わたしを守ると同時に、わたしを外に出さないための扉……」
「なるほど」
「面白い例えですね。では、エルヴィーラ様や私の母上はどのような存在になるのでしょう?」
ユストクスが楽しげに目を輝かせて、次を挙げた。わたしは自分の部屋にある家具を思い浮かべながら、例えてみる。
「お母様やリヒャルダは暖炉。明るくて、温かくて、絶対に生活には必要な物なのですけれど、寄り掛かることはできなくて、近付きすぎると火傷してしまうのです」
「ふむ、興味深いな」
神官長が少しだけ楽しそうに唇の端を上げ、次々と周囲の人物を挙げていく。わたしはそれに一つ一つ答えていった。
「アンゲリカやコルネリウス兄様達、護衛騎士は本棚でしょうか。わたくしの大事なものを守ってくれるのです。……そう考えると、ダームエルは鍵のかかる書箱ですね。わたしの秘密を知っていて、口を閉ざしていてくれるのですから」
「こちらの予想以上にダームエルを重視しているのだな」
「フラン達、神殿の側仕えは執務机ですね。仕事をするところでもあり、本を広げて読むところでもある。公私が両方含まれていて、わたしの生活になくてはならない感じです」
「執務机に公私の私を入れるのは姫様だけではございませんか?」
ユストクスがそう言って肩を竦めた。趣味の読書をじっくり楽しむ場所なのだから、私的な場所で間違っていないと思う。
何人もの名前が挙がった後、神官長が少しだけ目を細めた。
「ローゼマイン、これから君が頼らなくてはならないのは婚約するヴィルフリートだが、今の君にとってヴィルフリートはどのような存在だ?」
「ヴィルフリート兄様ですか? うーん……。背もたれがない椅子ですね。座って一息つくことはできるけれど、寄り掛かることはできません」
二年の間に成長したし、とても頑張っているとは思うけれど、寄り掛かれるような安心感はない、というわたしの所感に神官長が軽く片方の眉を上げた。
「確かに頼りないな。背もたれくらいは付くように教育せねばならぬ」
神官長の教育を受けるヴィルフリートに心の中で「頑張れ」とエールを送りつつ、ハードルを上げる。
「できれば、肘掛が付くくらいの安心感が欲しいです」
「ふむ、考慮しておこう」
……ヴィルフリート兄様に合掌。
「姫様、前ライゼガング伯爵はどのようにお考えですか?」
「曾祖父様ですか?」
ユストクスの口からあまり身近ではない人物の名前が出てきて、わたしはゆっくりと首を傾げる。
「暖炉や棚の上に置かれている細かい細工の置物……どちらかというと、砂でできているようにちょっと突いたらザッと崩れそうな物ですね。遠くから見ているだけでもハラハラします」
クッと小さくエックハルト兄様が笑って、「確かに曾祖父様は触ってはならないと私も思う」と言った。共感してくれるのが嬉しくて、わたしはエックハルト兄様を見上げて笑うと、兄様は少し厳しい表情になった。
「だが、その脆そうな細工物は意外と頑丈で危険な存在なのだ、ローゼマイン」
前ライゼガング伯爵は、次期領主と目されていた領主候補生に望まれて嫁に行った愛娘を無下に扱われた。第一夫人として嫁いだにもかかわらず、アーレンスバッハの姫君が輿入れしたことで第二夫人とされたのだ。そのうえ、その領主候補生はアーレンスバッハの姫を娶ったことで領地内に波乱を生むと次期領主の候補から外された。
同時に、当時の領主から領地内のバランスを取るためにボニファティウスおじい様へ末娘を嫁がせるように言われ、嫁がせたけれど、おじい様は領主の地位に頓着せずに弟に譲ってしまう。
その正妻はアーレンスバッハの姫君が生んだヴェローニカで、自分の愛娘の子や孫までがヴェローニカに邪険にされることになってしまった。
最大の土地を持つ上級貴族でありながら、権力の中枢から少しずつ外されていくのを実感するだけの年月はとても長く、エルヴィーラお母様をお父様と結婚させることで守るくらいしかできず、先祖に申し訳が立たぬ、と悔し泣きの人生だったらしい。
「領主の養女となり、次期領主候補となれるだけの魔力量と実績を持ったローゼマインは、ライゼガングの希望の光であり、人生の最後に神々が与えてくださった贈り物なのだそうだ」
「……期待が重いですね。領主になるつもりなんてないんです、って言ったら、冗談じゃなく、絶望して死にそうなのですけれど、大丈夫なのですか?」
「曾祖父様はすでに其方が次期領主となれるように動いている。ライゼガングを中心に、ハルデンツェルやグレッシェル、其方の製紙業を一番に取り入れたイルクナーをまとめ始めているのだ」
わたしは元々平民で領主になれるような存在ではない。婚約させて領地に縛り付けておこうとした養父様が一番挙げた相手は神官長で、次期領主としたいと考えているヴィルフリートではなかったことからも、本当はわたしを正妻にしたいとは考えていなかったはずだ。
「どのように対処すれば良いのですか? わたくし、領主になるつもりなどございませんよ?」
「こちらも君を領主にするつもりはない。ヴィルフリートと婚約させることで多少は収まると思うが、長年生きてきた前ライゼガング伯爵は老獪だ。君のような単純でお人好しの子供を手のひらで転がすくらい容易いだろう。できる限り近付くな」
神官長の言い分を聞いていると、今にもはるか高みに上がってしまいそうなひいおじいちゃんがまるで黒幕のようだ。今のライゼガング伯爵はともかく、ひいおじいちゃんはそこまで危険だとは思えない。
……わたしの判断の方が間違っているので、神官長に言われた通りにするつもりだけれど。
「これからは印刷業に関連することで、ライゼガング伯爵と接触が増えるかもしれないが、なるべくエルヴィーラに頼るように。君が表に出るのは控えた方が良い。それから、最初は振りでも良い。ヴィルフリートに頼るようにしなさい。次期領主を支えていくという姿勢を見せることが必要になる」
「わかりました」
わたしが頷くと、神官長は「よろしい」と言った後、一度口を噤んだ。少し考え込むようにして、目を伏せた後、わたしを見る。
「ローゼマイン、君は秘密を抱えて生きている。相談できる相手がほとんどいない秘密を。そのせいで、貴族社会に上手く馴染めていないことをユストクスに指摘された。本来はその秘密を知る者がもっと細やかに手助けしなければならない、と」
わたしは驚いてユストクスを見上げた。ユストクスは軽く溜息を吐く。
「自分が知らぬ常識に馴染むのは大変です。それも一時を誤魔化すのではなく、そこで生きていかなければならないのですから、禁止するだけではなく、その理由も丁寧に教えなければならない、と言っただけです。ルッツがそのように言っていました」
「ルッツと何を話したのですか?」
「工房での仕事をしながらの世間話の一つですよ。私と工房の者で共通の話題はほとんどありませんから、姫様のことがよく話題に上がっていただけです」
神殿の灰色神官達とプランタン商会やグーテンベルクの話がぐちゃぐちゃに混ざって、大変面白いことになっていました、とユストクスが笑った。
「ずっと病気がちで外には出られなかった虚弱体質で、夢の世界で神とお話して、その知識を得て孤児達を救った聖女なので、こちらの常識がわからない。そんな工房での噂に対してルッツは姫様のことを、どこが違うのか、どのように違うのか、どうするのが正解なのか、一つ一つ指摘しなければならない商売相手だと評していました」
何だか聖女伝説がいつの間にか大きく盛られている気がする。他人事の気分で、へぇ、と聞き流していると神官長が肩を竦めた。
「ユストクスにこう言われたため、これから私は君の行動を細かく見て、指摘して行こうと思う。君が貴族社会に馴染むことは急務で、秘密はなるべく漏らさぬ方が良いからな」
……常識を知る上ではものすごくありがたいけど、ずっと監視されているみたいで全く嬉しくないですね。
「……ローゼマイン、秘密を抱えて生きるのは楽なことではないことは知っている。だが、その秘密が漏れた時の波紋を考えると、容易に漏らすべきでないことは理解できるだろう?」
「神官長も何か秘密を抱えているのですか?」
知っているという言葉にほんの少しの引っ掛かりを覚えて、わたしが尋ねると、神官長はじろりと私を睨んだ。
「容易に漏らすわけにはいかないから秘密なのだ。答えられないとわかっていることを聞くな、馬鹿者」
「申し訳ございません」
……秘密自体はあるのか。
「ヴィルフリートとの婚約発表で領地内がまた動く。なるべく貴族全体をまとめられるように動くつもりだ。君も自分の言動にはよくよく気を付けなさい。何か事を起こす前に相談しなさい。良いな?」
「はい」
それで話は終わったようで、神官長が立ち上がり、城に向かう時間を過ぎているのではないか、と言いながら扉へと向かう。
その背中を追いかけていると、ユストクスが「姫様」と声をかけてきた。
「何ですか、ユストクス?」
「先程、色々な方を例えてくださいましたが、フェルディナンド様について伺っていなかったことを思い出しました。姫様にとってフェルディナンド様はどのような存在ですか?」
わたしは神官長を見上げた。神官長がほんの少し目を細めてわたしの答えを待っている。
「……長椅子ですね。本を読むことができて、寛ぐこともできるけれど、完全に体を預けて眠ってしまうと、体のあちこちが痛くなったり、風邪を引いたり、自分が痛い目に遭うのです」