Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (348)
グーテンベルクの集い
新しい染色方法に関する商談を投げかけると、オットーが目を細めて、考え込み始めた。それに一体どれだけの価値を付ければ良いのか、と考える商人の目だ。
わたしはオットーが答えを出すのを待って、じっと見上げていると、すいっとコリンナが前に出てきた。
「ローゼマイン様、新しい染め方については、これから広めようとしている染め方が広がった後で、染織協会と直接やり取りすることをお勧めいたします」
コリンナが穏やかな笑みを湛えながら、真っ直ぐにわたしを見てそう言った。
「染めの技術自体はギルベルタ商会が買っても、わたくし共の専属工房で独占できるような技術ではございません。ローゼマイン様の影響力が大きすぎるのです」
わたしが何かを流行させようと思うと、貴族女性に一気に広がるため、ギルベルタ商会専属の少数の工房で取り扱うことは難しい、とコリンナは言った。
ギルベルタ商会が権利を買い取り、研究費を負担し、貴族のお眼鏡に適うレベルに工房を育てるには時間もお金もかかる。けれど、わたしが流行させようとすると、技術も情報も開放して、職人を一気に育てなければならないほど、貴族からの依頼が集中する。当然のことながら、依頼を受けることもできない状態になるのが予想できるそうだ。
「流行に乗りたくても手に入らず、他の店や工房に頼もうとしても技術や情報がないということになりますと、貴族はもちろん、同業者の反感の矛先が向かうのはギルベルタ商会になります」
新しい染め方を買っても店の利益にならない、コリンナはそう判断したようだ。
わたしが提案する新しいことは他に取られる前に確保しておいて、何とか利益を出そうとするベンノと、裁縫という自分の領域の中で利益が出るかどうかを測るコリンナは兄妹でも全く違う。けれど、自分にとっての利益をしっかりと見定めている目が非常に似通っていた。
……コリンナさんって、おっとりして見えても、やっぱりベンノさんの妹だよね。
わたしはこの街における商人同士の繋がりや商売に関するやり取りがよくわかっていないので、ギルベルタ商会に迷惑ならば今回の技術供与も止めておいた方が良いのかもしれない。
「この蝋結染に関しても染織協会と直接取引した方が良いですか?」
「いいえ。こちらに関してはローゼマイン様より賜った褒美ですから、ありがたくいただきます」
コリンナはゆるりと首を振った。
「褒美として賜った染め方は、その経緯と共にギルベルタ商会が染織協会に低価格で提供いたします。そして、染織協会へのローゼマイン様からの依頼という形で、先程おっしゃった布を各工房に作らせます」
コリンナの言葉に、実家がギルベルタ商会に布を卸している大店だと言っていたレオンが今までに見たことがないほどに生き生きとし始めた。
「全ての染色工房に声をかけ、布を作らせるのですから、ローゼマイン様の専属になるためにどの染色工房も力を振るってくれるでしょう」
「あぁ。エーレンフェストではグーテンベルクが名を挙げ、街の外でも活躍しているからな。グーテンベルクの称号が欲しいと思っている職人は多い」
そう呟いたオットーがわたしを見た。
「ローゼマイン様、鍛冶工房と同じように二つくらい専属を決めても良いのではありませんか? 染色工房にもグーテンベルクの称号を与えるのはいかがでしょう?」
「今回提出された布に順位を付けて、染織協会と取引する新しい技術を得るための料金に差をつけるのでも良いかもしれませんね」
……ユストクスに色々と探られる前になるべく下町に蝋結染を広げたいな、と思っただけなのに、何だかすごく話が大きくなってる気がする。
予想外の展開になってきた。どうしようと思っていると、トゥーリと目が合った。トゥーリが「どうするの? 知らないよ」という顔でこちらを見ている。
「それにしても、ローゼマイン様は一体どこでこのような古い技術をお知りになったのですか?」
不思議そうにレオンに問われて、わたしはニッコリと微笑んだ。
「もちろん、本ですわ」
「なるほど。記録を残すというのは重要なことなのですね」
……納得してくれたのなら、それでよし。本でも読んだけど、やり方に詳しいのは家庭科の授業でやったからです。
麗乃時代、中学校の家庭科で輪ゴムや糸で縫った絞り染めも蝋結染もやった。あの時はオタクな友人が蝋結染でハンカチにやたら達者なお気に入りキャラの絵を描いて周囲を驚かせていた。わたしが驚いたのは、あれだけお気に入りだと公言していたキャラの名前の綴りを間違えていたことだけれど。
結局、ギルベルタ商会が主催で「昔の技術を復活させて、グーテンベルクの称号を勝ち取ろう」コンペが開催されることになってしまった。冬の社交界に間に合わせるために、夏の終わりに予定するらしい。
レオンが生き生きしているところを見ると、ギルベルタ商会の依頼を受けたレオンの実家が大活躍することになるのだろう。
……なんか予想外に事が大きくなったけど、まぁ、いいか。
ギルベルタ商会との面会を終えて、自室に戻ったわたしは、書字板とフランが控えてくれていた議事録に目を通しながら、年間予定の中に布染めのコンペを書き足した。
「星結びの儀式が終わった後は、収穫祭まで特に予定はないですよね?」
「神殿の予定はございません。城の予定は大丈夫ですか?」
「……領主会議の結果次第、ですね。商人が大勢集まって大変なことになっているかもしれませんから」
今のところ、夏の終わりから秋ならば、特に予定はない。わたしは書字板の蝋を均して文字を消す。そこにギルが手紙を持って駆けこんできた。
「ローゼマイン様、プランタン商会からお手紙です」
安全ピンの依頼に加えて、頼んでおいたことの進歩状況を知るためにも、ハルデンツェルに向かう前にグーテンベルクと一度会っておかなければ、と思っていたところにちょうど良いタイミングで、ベンノから手紙が届いた。
「ありがとう、ギル。すぐに返事を書くので、少し休んで待っていてちょうだい。工房で実演の準備や後片付けもお願いしたから大変だったでしょう?」
ギルに労いの言葉をかけ、わたしは手紙を開く。
早速読んでみたところ、貴族的な修飾語で書かれているし、一見普通の面会依頼の文章だが、行間をよくよく読み取れば「お前は何をやらかした? 説明しろ、この阿呆」と読める気がした。
……貴族的表現に負けていない苛立ちを感じるんだけど、気のせいかな? 気のせいじゃないよね?
何とも表現しがたい怒りを行間から嗅ぎ取ったわたしは「ハルデンツェルに行く前にグーテンベルクと会って、二年間の成果を聞きたいです」と返事を出した。他の人がいればきっと少しは怒りが逸らせるに違いない。
……姑息なことを考えやがって、と怒られる可能性もちょっとだけあるけど、打てる手は打っておかなきゃ。
春の洗礼式までそれほど時間はないので急いでね、と付け加えたせいだろうか、面会の日時はすぐに決まった。
洗礼式の前日に孤児院の院長室で、プランタン商会の三人、鍛冶職人のヨハンとザック、木工職人のインゴ、インク職人のハイディとヨゼフ、そして、ウチの工房からギルが出席して、グーテンベルク会議である。
「よく考えてみると、ここでグーテンベルクの会議を開くのは初めてですね」
印刷機を作るためにヨハンやザック、インゴが出入りしたことはあったけれど、ハイディとヨゼフが来るのは初めてだと思う。
「フラン、ダームエル、アンゲリカ。今日は下町の職人がたくさん集まるので、少々お行儀の良くない人もいると思うのですけれど、目くじらを立てないようにしてくださいませ」
「かしこまりました」
人数が多くなるので、今日は一階のホールで話し合いをすることになった。人数に合わせて椅子を二階から下ろして来たり、テーブルを準備したり、側仕え達が頑張って場所を整えてくれたようだ。
「ローゼマイン様、グーテンベルクの皆様が到着いたしました」
ギルの案内で次々と人が入ってくる。慣れているので平然と入ってくるプランタン商会の三人、久し振りのせいか少しオドオドしているように見えるヨハンとザック、急かされているように後ろを振り返りつつ入ってきたインゴ、インゴの背中を押していたハイディと「止めろ」と声をかけてハイディを押さえようとしているヨゼフ。
「お嬢様、元気そうだね。よかった。二年も起きられないなんて心配したんだよ!」
ひょこっとインゴの背中から顔を出したハイディがわたしを見つけて、笑顔全開で大きく手を振った。城に出入りする御用商人になってからはベンノやルッツも隠し部屋以外では見せなくなった下町のノリにわたしの頬が懐かしさに緩む。
しかし、そのノリはここでは受け入れられない。護衛騎士であるダームエルは顔を引きつらせ、フランは神官長のようにこめかみを押さえつつ、ハイディから視線を逸らした。「怒るな、怒るな」と自分に言い聞かせているように見える。
ダームエルやフランの様子を見たヨゼフが真っ青になって、ハイディの首根っこを引っつかんで自分の方へと引き寄せた。
「ハイディ、この馬鹿! その人は本物の祝福ができる神殿長で、今はもうお前がそんなふうに呼びかけて良い相手じゃないんだ!」
「それはそうだけど、本作りに邁進するわたしのインク研究の出資者だよ?」
「間違っていないが、不敬すぎる! お前も母親になったんだから、ちょっとは落ち着け!」
ヨゼフの言葉に、わたしは頭が真っ白になった。ハイディは最初から成人していたせいか、ほとんど変わっていないように見えたので、まさか子持ちになっていたとは思わなかったのだ。
……二年の間にフォルクが結婚して、子供もできてたくらいなんだから、すでに結婚してたハイディに子供ができてても、全く不思議じゃないんだけど。不思議じゃないはずなんだけど、やっぱり不思議。
「ヨゼフの言う通り、いくら何でもその態度は不安すぎる。これから先の打ち合わせには貴族の文官が同席するようになる。態度を少し改めるか、ハイディの出席自体、見合わせた方がいいぞ」
ハイディのテンションにつられているのか、今日は下町の職人ばかりなので、取り繕っても通じないと思っているのか、ベンノが頭を抱えつつ、そう言った。
ヨゼフが「それは良い考えだ」と目を輝かせた。文官が同席する時はハイディを留守番させることに決めたらしい。
「これからはずっと文官が付くようになるので、会議に顔を出すのはずっとヨゼフになりそうですね」
「ハイディを連れて出席することを思えば、自分だけならばずいぶんと気が楽です」
ハァ、と息を吐いたヨゼフを見て、わたしはクスクスと笑いながら、周囲を見回す。ヨゼフの言葉にダームエルとフランが深く頷いていた。
「インクが関わらなければ、もう少し態度も落ち着くのですが、数年ぶりの出資者との再会で興奮しているようです」
色々研究して、コンスタントに色が作れるようになってきたらしい。聞く前から研究成果の発表を始めたハイディに苦笑しつつ、わたしは手元の紙にザッと成果を書き込んでいく。新しい定着剤というか、ニスのように上から塗ってインクを変色させることなく保護する薬剤の開発もできたそうだ。
そして、その後でハイディの色インクの研究成果を神官長が褒めていたことと、魔力の属性に関する話をした。
「……ということで、素材に含まれる魔力の属性によって、混ぜ合わせると色が変わるそうです」
わたしの話を聞いたハイディはぷるぷると握った拳を震わせながら、キッとわたしを見た。
「属性を調べるそんな便利な魔術具があるなんて……。わたしも欲しいです、お嬢様! 研究費用で買ってください!」
「わかります。わたくしも欲しいと思ったのですが、簡単には手に入らないのです。それに、魔術具ですから平民に使える物かどうかがわかりません」
「ぅああ……。お貴族様、ずるいです」
頭を抱えて大袈裟にのたうつハイディの姿には既視感があった。本を持っているのも、司書になれるのも貴族だけだと知った時の自分の姿を見ているようで居た堪れない。
「わたくしとしては紙を作る素材を測定して、魔木による紙がどのような感じなのか調べたかったのですけれど、測定の魔術具が手に入らなければどうしようもありません」
「諦めちゃダメです、お嬢様! 勝ち取りましょう!」
「……時間と素材があれば、のお話ですね。今は本当に余裕がないのです」
わたしが首を振ると、ハイディが目を潤ませて「お嬢様にも手に入れられないんじゃ、どうしようもないですね」としょんぼりと項垂れた。
「次は……ヨハンとザック。鍛冶工房ではどのような成果が出ましたか?」
わたしが二人を指名すると、ヨハンとザックが顔を見合わせて肩を竦めた。二人ともわたしの記憶にある成人したての少年という雰囲気がすっかりなくなり、一人前の仕事ができる職人の顔になっている。
「まずはオレから。揺れの少ない馬車の設計とバネを利用したベッドの設計という課題をもらっていました。こちらに設計があります」
「オレもザックの設計を見たけれど、一番揺れが少ないのはこの馬車になると思います。ただ、量産することを考えると、こちらの方が良いですよ。部品がそれほど難しくないので」
二人の意見を聞きながら、わたしは三枚の設計図を覗き込んだ。吊り下げるタイプの馬車が設計されているのが見える。
「こちらがご要望のベッドです。以前に言われた通りに設計した物がこちらです。もう少し良い物ができないか考えたのですが、なかなか難しいです。ただ、完成までにものすごく時間がかかりますし、値段も高くなります」
「お金に関しては稼ぐので良いです。それにしても、よく実現可能な状態に設計できましたね。驚きました」
ポケットコイルとボンネコイルについて、あやふやな知識を教えただけなのだが、ザックはイメージしやすかったとポケットコイルを採用していた。本当にこのベッドが完成したら、わたしの睡眠時間は至福のものになるだろう。
「では、ベッドは大人のサイズで作り始めてください。馬車は量産可能な方を採用して、設計図をザックから買い取りましょう。その後の設計図の扱いに関しては、ポンプと同じように鍛冶協会へ任せるので良いですか?」
「馬車を作るには木工協会とも足並みを揃えなければならないので、そちらともまとめて話し合ってください。料金に関してはポンプと同じで良いです」
馬車を作る度に設計図に関する著作料が支払われるという形である。
「鍛冶協会と木工協会との折衝はベンノに任せますね。インゴでも良いかと思ったのですけれど、どちらとも関係がない第三者であるベンノの方が良いでしょう」
「……かしこまりました」
わたしはローゼマイン工房の工房長として持っているギルドカードでザックへの支払いを済ませると、ヨハンに向き直った。
「ヨハンはどうですか? 金属活字の増産と手押しポンプの普及をお願いしていたと思うのですけれど……」
「金属活字は順調に増えています。……そして、増えた片端から売れています。ハルデンツェルではまだ完璧な仕事ができる職人がいなかったので、ごっそりと売れました」
冬籠りの間に印刷をするのに、金属活字が欠けると仕事にならないのだ。正確に作れていないとダメ出ししてきたと聞いているので、予備がたくさん必要だったのだろう。
「早くハルデンツェルで作れるようになってくれないと何度も行くのは辛いです」
「この春に行ってもダメなら、ハルデンツェルの職人をエーレンフェストに寄越すようにギーベ・ハルデンツェルとは話が付いています。ヨハンがハルデンツェルに向かうのは、これっきりです」
ホッとしたように顔を上げたヨハンに「他のところにも向かってもらわなければなりませんから」と言うと、ガクンと肩を落とした。あまりの落差にわたしが首を傾げていると、グーテンベルク達が何とも言えない目でヨハンを見る。
「ヨハンは仕事に関しては完璧主義な上に、人付き合いは下手だから、反感を食らいやすくて、新しい土地で教えるのは結構苦労していたんです」
ルッツがヨハンを弁護し、他の皆も頷く。
「ハルデンツェルの人達も内向的なようですから、大変だったのですね。でも、彼等の中でヨハンの評価はかなり高いと聞きましたよ」
「え?」
「春には絶対に合格を勝ち取るのだと鍛冶職人達が奮起していたそうです」
意外そうな顔をしているヨハンを軽く小突き、ザックがニッと唇の端を上げる。
「だから、言っただろ? お前に敵わないから、ガーガー言ってるだけだって。……まぁ、どっちにしても、あいつが育つまではお前が我慢するしかないんだ。諦めていくしかねぇよ」
「ザック、あいつとはどなたですか?」
「ヨハンの弟子、ダニロです。絶対にグーテンベルクになるんだと闘志を燃やしているので、その内にこの会議に押しかけてきます、きっと」
押しかけてきてグーテンベルクに入ったザックが肩を揺らして笑うと、悔しそうにヨハンが口をへの字に曲げた。
「手押しポンプは順調に広がっています。職人街や北から売れ始めて、やっと東の方からの注文に手を付けることができるようになってきました」
仕事場とその付き合いのあるところや金持ちの北からの依頼がどうしても優先され、ようやく他の地域に手押しポンプが回り始めたらしい。
「順調ですね。この調子で進めてください。あぁ、忘れるところでした。ヨハン、これを作ってほしいのです」
新しい依頼として安全ピンの設計図を渡した。ヨハンが設計図に目を通し、難しい顔になった。
「……普通のピンでは駄目なのですか? 大して変わらないと思うのですが」
「この針の先が出ていたら危険ではありませんか。わたくし、痛いのは嫌いなのです。このピン先がきちんと隠れるところが重要なのです」
わたしが設計図のピンが隠れるところを指先で軽く叩くと、ヨハンは「相変わらず他の人が全くこだわらないところに注目している」と小さく笑った。
「ローゼマイン様、こちらの依頼は弟子に回してよいですか?」
「設計図通りに作れるならば、構いませんよ」
「ダニロに回してみます」
ヨハンの弟子として認められるようになろうと思えば、わたしの依頼がこなせなければダメらしい。
設計図を大事に片付けるヨハンから、わたしはインゴへと視線を移した。これがわたしの本命の依頼である。
「インゴはどうですか? 本棚はできましたか?」
棚が動く本棚ができたら、その後は集密書庫も作ってもらう予定なのだ。わくわくしながら、わたしが見上げると、インゴは少し難しい顔になった。
「ローゼマイン様の持ってきた設計図通りの物にはなったが……」
「何か問題があるのですか?」
「本を入れたら多分重すぎて動かないと思います」
「……え?」
目を見開くわたしにインゴはポリポリと頬を掻いた。空の状態ならば動くが、本を詰め込むと非常に重くなる。物を詰め込んだ状態では動かなかったらしい。レールや滑車の設計や改良は木工工房の管轄外なので、少し考え直した方が良いと言う。
「ヨハン……」
「設計はザックに回してください」
これ以上の仕事は勘弁してくださいというようにヨハンがザックに仕事を振った。わたしがザックに視線を向けると、「細かい修正はあまり得意じゃない」と言いつつ、仕方がなさそうな顔で引き受けてくれた。
「そういえば、ローゼマイン様。先日、コリンナより興味深い話を聞きました」
「はひ?」
笑みを深めたベンノにくるっと話を変えられて、わたしはビクッと竦み上った。
「今度は染色にも手を伸ばすそうですね。何でも古い技術を蘇らせる、と実に興味深いです」
ベンノの顔に「染色関係にまで手を広げるなんてこの阿呆が」と書かれている。怒っているとも呆れているともつかない雰囲気に、わたしはそっと頬に手を当てた。
「新しい流行の元になる物はいくらあっても困りませんし、昔の技術の復活ですから、今回のことに関してはわたしの功績ではないと思います。古い技術を蘇らせ、新しく使うことができる職人の功績です。せっかくの機会なので、染色職人もこれからゆっくり育てますよ」
「ふぅむ、ゆっくりという言葉の意味が貴族と我々では全く違うように思えます」
ベンノが今度こそハッキリと呆れた顔になった。グーテンベルクも「そうか。貴族はこれがゆっくりなのか」と呟いている。
なんと、わたしはグーテンベルクの皆に高速でガンガンと課題を積み上げてスパルタで育てる人だと思われているらしい。それは神官長であって、わたしではないと思う。心外だ。
わたしはいつも「できたらいいな」と思って、仕事を与えているのであって、「絶対にしなければならないこと」とは思っていない。
そう伝えると、ザックが「常識が違う」と頭を抱えた。
「顧客に出された要望を達成できない職人は無能扱いされるんだ」
……あぁ、それはそうだろうね。……なんか、ごめん。でも、反省はしたが、自重はしない。
「新しい染め方が広がれば、インクが売れるようになるかもしれませんし、全くの無駄というわけではないと思うのですけれど。プランタン商会が関係する方の染め方はまだ喋っていませんし、染織協会と直接取引した方が良いとコリンナに言われましたから」
「プランタン商会が関係する染め方、ですか?」
……あ、しまった。喋りすぎた。
型紙捺染
については、もうしばらく黙っていようと思ったのに。
「他にも染め方があるのです。今回、わたしの専属の染色工房が決まってから、プランタン商会も関わることになる染めの技術を染織協会に売って、優先的に専属に回してもらうことになりそうです」
うふふ、と笑いながら話をしていると、どんどんとベンノの機嫌が降下していくがわかった。プランタン商会がどこにどのように関わるのか、さっさと報告しろ、と険しくなっていく赤褐色の目が脅してくる。
「う、うぅ……、紙やインクを使うので、プランタン商会にも関係があると言ったのです。道具が売れるようになるだけですよ。こ、これ以上の情報は有料ですからね!」
「……わかりました」
一応納得はしてもらえたらしい。
皆の話を聞いた後はハルデンツェルへの予定についての話し合いである。わたしが祈念式を終えた後、騎獣で一気にハルデンツェルへと向かうことを述べる。連れて行く人員は契約魔術のあれこれが変わったのでそれに関する手続きのためにプランタン商会からベンノとダミアン、それから、鍛冶職人のヨハンとザックだけだ。
黒のインクの作り方はすでに教えてあり、色インクはプランタン商会から持って行って、必要そうならば売るだけなので、ハイディとヨゼフは行く必要がない。
インゴも一番大事な印刷機の作り方を教えてきたし、木工職人にはすでに合格が出ているらしい。印刷の仕方を教え終わっているし、ハルデンツェルは製紙業をしばらく見合わせると連絡が来ているので、ローゼマイン工房も移動はない。
「ベンノ、手続きの方はどれくらいの期間がかかりそうですか?」
「ローゼマイン様がご一緒くださるのでしたら、三日もあれば十分だと思います」
貴族相手は少し話をするにも時間がかかるが、わたしが一緒ならば、ごねられることもなく、さっさと進むだろうと言う。この言い方ならばパパーッと行って、パパーッと戻って来れそうだ。
「わたくしもできるだけ印刷業を広げられるように文官達との交渉も全力で頑張りますね」
「少し抑えるくらいがちょうど良いと思います」
ルッツがひくっと頬を引きつらせてそう言ったが、わたしは自分の夢を実現するために全力を尽くすと決めたのだ。
「今回から納本制度の導入も決めました。印刷協会で工房にきっちりと申し渡しておいてくださいね」
わたしは納本制度の説明をして、エーレンフェストとわたしに一冊ずつ納入するように言った。
「主旨は理解しましたし、これまでと変わらないので、こちらとしては構いませんが、何故二冊も必要なのでしょう? ローゼマイン様はずっと城にいらっしゃいますよね?」
嫁に行くわけでもないのに、二冊もいらないだろう、と遠回しに言うベンノに向かって、わたしは人差し指をピッと立てて振った。わたしの野望は城の図書室だけでは収まらない。もっと、もっと大きいのだ。
「いずれ、わたくしはエーレンフェストだけではなく、ユルゲンシュミット中の本を集めた巨大図書館を作る予定ですからね。そのための本は今から集めておかなければならないのです」
うふふん、と胸を張って自分の野望を発表すると、「これに付いて行くのか」とグーテンベルクが揃って頭を抱えた。