Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (351)
ハッセの祈念式
会議を終えてから祈念式の一週間前までの間、わたしは城で過ごすことになった。
ヴィルフリートとシャルロッテには祈念式で向かう場所やその順番について話をして、それぞれに準備を整えてもらう。今回、神殿からの側近は神官長の側仕えから出ることになっている。
「向かう場所は以前に話し合った通りの分担になりました」
「……お姉様お一人だけ、ずいぶんと日数が短いですわね」
「わたくしは騎獣を使いますから」
わたしの祈念式の日程は皆の半分ほどだ。別に回る数が少ないわけではない。騎獣を使って、一日で数カ所回るので短いだけだ。
「ならば、私も短くできるのではないか?」
「ヴィルフリート兄様は無理ですよ」
「う?」
「わたくしの騎獣は乗り込み型で、これまでずっと行ってきたので、自分の側仕えでもある灰色神官や灰色巫女を一緒に乗せられます。けれど、ヴィルフリート兄様の騎獣は普通の一人乗りですし、貴族達が灰色神官達を同乗させるのは嫌がるでしょう?」
聖杯がなければ祈念式を行うことができないが、その聖杯を管理する灰色神官を同乗させることができなければ、日程の短縮はできない。神殿に出入りしていて、これまでにもわたしが側仕えを乗せるのを当たり前に見ているダームエルと違って、ヴィルフリートの側近は孤児の灰色神官を同乗させるのは嫌がるだろう。グーテンベルクを乗せて移動すると言った時にも驚きの声が上がったのだから。
「それに、ヴィルフリート兄様もシャルロッテも一日に何度も祝福が行える程の魔力はまだないでしょう?」
「む……。その通りだな」
わたしの魔力が入った魔石を使って、祝福を行うのだ。わたしは経験がないのでよくわからないけれど、他人の魔力を使うのは、自分の魔力を使うより疲れるらしい。
「わたくしは魔力よりも体力がないので、なるべく早く祈念式を終わらせるのです。その後は皆が戻ってくる頃までしばらく神殿で休養となります。祈念式にかかる日数自体は多分同じくらいですよ」
ユレーヴェで多少元気になっているけれど、祈念式の後は多分寝込む。寝込むまでが予定に入ったわたしの祈念式の日程に、ヴィルフリートとシャルロッテが揃って溜息を吐いた。
……でも、回復日を予定に入れておくことは大事なんだよ。
祈念式の話をした次の日は、お母様や養母様、シャルロッテとお茶会だ。神官長に言われた通り、派閥のトップである養母様とお母様には、染め物に関する報告をしなければならない。
……言われたことを忘れずに実行できるところを見せなければ!
ギルベルタ商会と染織協会が主導となって、染め物を復活させることになったことと、そのコンペが夏の終わりに行われることになったことを報告した。
報連相を忘れなかったわたし、ちょっと成長してるよ、と胸を張っていると、目を丸くした養母様が理解できないというように、おっとりと首を傾げながらわたしを見つめる。
「ローゼマイン、どうしてそのような催しを行うことになったのです? 繋がりが見えないのですけれど」
「成り行きです。いつの間にかそのような展開になっていました」
「ローゼマイン様、報告は詳細に、そして、正確になさいませ」
お母様に凄みのある笑顔で睨まれ、わたしはビクッとする。
「ローゼマイン様、こちらをどうぞ」
背後に控えていたフィリーネがフランの報告の中から染め物に関して抜粋した資料をさっと出してくれた。よくできた文官である。
わたしがそれを養母様に提出すると、すぐに養母様とお母様が資料を読み始める。
「……そのような流れで、わたくしの専属となったグーテンベルクの躍進が下町では羨ましがられているようです。古い技術を蘇らせるならば、染織工房の専属を選んで、称号を与えてほしいとギルベルタ商会に言われました」
「専属を選ぶのは普通のことですけれど、お姉様が行うことは何に関しても事が大きくて、驚かされますね」
シャルロッテによると、普通の貴族は親や親戚からの紹介であったり、友人が使っている物を見て紹介してもらったりして専属を決めるらしい。全部の工房で同じ課題を出して、自分の好みの工房を選ぶようなことはしないそうだ。
資料に目を通し終わったお母様が資料をフィリーネに返し、楽しげに漆黒の瞳を輝かせる。
「せっかくですから、わたくしも見てみたいですわ。期日が近くなったら、ギルベルタ商会を呼んで、どこでどのように開催するのか、話をしましょう」
……お母様が関わると、更に事が大きくなる気がするんだけど、それはいいのかな?
心の中に浮かんだ言葉を口に出すような迂闊なことはせずに、とりあえず口を噤んでおいた。わたし、成長した。
自分の成長を噛みしめたお茶会の次の日は、シュバルツ達の衣装のデザインについて側近達に相談する日だ。なるべく早くデザインを決めて、ギルベルタ商会に生地を頼まなければならない。
全ての側近に一応声をかけたけれど、デザインの決定は衣装作りに並々ならぬ情熱を注いでいるリーゼレータやブリュンヒルデを中心に行われる。
シャルロッテも興味を示していたので、一緒に選ぶことになった。シャルロッテの側近で、貴族院の寮ではリーゼレータ達と盛り上がっていた女の子達もいて、コルネリウス兄様とハルトムートは少々居心地が悪いと部屋の隅の方にいる。
「ローゼマイン様、わたくし、シュバルツとヴァイスには同じ格好ではなく、男女の格好をさせたいのです。並べてみると、とても可愛らしいではありませんか」
濃い緑の瞳に強い光を閃かせ、拳を握って力説するのは、リーゼレータだ。普段の淑やかで控え目な姿はどこにもなく、いかにシュミルが可愛いのか、シュバルツとヴァイスの衣装作りを楽しみにしているのか訴えてくる。わたしとしては嬉々として刺繍をしてくれそうなので大歓迎だが、普段との違いにポカーンとしてしまう。
「シュバルツ達の衣装を男女それぞれの物にするのは構わないのですけれど、衣装のどの部分にどのように魔法陣を刺繍するのか、それぞれ考えなければなりませんから大変ですよ?」
「構いません。わたくし、全力を尽くします」
……リーゼレータって、ホントにアンゲリカの妹だよね。魔力圧縮を前にしたアンゲリカと同じ顔をしてるよ。
普段の様子は全く違うのに、隠しようのない血の繋がりを感じて、わたしが笑いを堪えている間にも、女の子達がシュバルツ達の衣装のデザインについて色々と意見を出し合っている。
「シュバルツ達の衣装の袖は短めでなければ、お仕事の邪魔になってしまうのです。少し残念ですね。せめて、レースで飾りましょう」
「衣装のどこに刺繍を入れるかも考えなくてはなりませんわ」
わたしはシュバルツ達に図書委員の腕章を付けさせる予定なので、セーラー服と学ランを提案してみた。わたしが描いたデザイン画を見せたところ、その上にアンゲリカが「このような感じで魔法陣の刺繍が入ります」と模様をたくさん足してくれた。
……う、学ランが特攻服にしか見えない。全然可愛くない。
「魔法陣が加わると、これほど雰囲気が変わるのですね。わたくしの想像と全く別物のようになってしまいました」
「シュバルツとヴァイスにはもっと可愛らしい衣装を着せたいですわ」
ブリュンヒルデに却下され、リーゼレータ達にも大きく頷かれた。
第二弾として、わたしはメイドと執事の服を提案してみた。これならば、ワンピースとエプロン、シャツとズボンとベストという実にシンプルな組み合わせなので、すぐに却下はされなかった。
「基本のデザインはこちらでよろしいでしょう」
「袖を短くする分、こうして膨らませるのが可愛らしくて良いと思います」
「新しい染めの技術をシュバルツ達の衣装に取り入れられないかしら?」
「布ができあがるのが夏の終わりですもの。それから刺繍をしていては間に合わないでしょう?」
「新しい染めは小物に使えばよろしいのではございませんか?」
わたしはすすすっと輪から外れると、少し離れて本を読みながら、女の子達の楽しそうな声を聞いていた。この情熱に任せておけば、可愛い物に仕上がるだろう。
「中央の色である黒で衣装を作って、エプロンとベストは魔法陣の刺繍をびっしりにすれば、ブラウスやワンピースは着替えさせられるのではなくて?」
「それは良いですね。新しくできた染めの布でスカーフを付け、スカーフ留めにはエーレンフェストの花飾りを使いましょう」
「女の子のカチューシャは、布ではなく、花飾りで作りましょう。花冠のようで素敵だと思いません? 男の子は胸元に花飾りをピンで留めるのはどうかしら?」
皆がそれぞれの意見を取り入れて、最終的にできあがったデザインは、ただの可愛い民族衣装だ。わたしが提案したメイドと執事の印象はどこにもない。
……可愛いので、別にいいけどね。
「ローゼマイン様、刺繍のための糸とエプロンとベストの生地だけは早目に揃えて、魔力で染めてくださいませ。すぐにでも刺繍に取り掛かりますから」
「ローゼマイン様が祈念式へと向かう前に生地を選ばなければ、刺繍をするのが大変ではございません?」
口々に言い合う女の子達の意見をリーゼレータがまとめてくれる。
「明日か明後日にギルベルタ商会を呼んで、皆で生地を選びたいと思うのですけれど、ローゼマイン様、いかがでしょう?」
「リーゼレータの良きに計らってくださいませ」
「はい!」
実に優秀な側仕え見習いであるリーゼレータは、その見事な手腕を発揮し、次の日の午後にはギルベルタ商会を呼び出して、生地選びが始まった。
生地選びもわたしは読書をしつつ、最後に許可を出すだけである。
「今日決めた布と糸は神殿に運んでくださいませ。わたくしの工房は神殿にありますから」
「かしこまりました」
注文を受けたコリンナが挨拶を終えて帰って行く。
これでシュバルツ達の衣装に関しても一歩前進である。「楽しみですわね」と盛り上がっている女の子達を見ながら、ホッと安堵の息を吐いていると、オティーリエが穏やかな笑顔を見せる。
「ローゼマイン様とシャルロッテ様もせっかくの機会ですから、刺繍のお稽古に励みましょうね」
わたしはシャルロッテと顔を合わせて、軽く肩を竦めた。
祈念式の一週間前には神殿に戻って、準備をすることになっている。しかし、ほとんどの準備はフラン達が整えてくれているので、わたしは基本的に確認をするだけだ。同行者の選別、食料の準備、馬車の手配、護衛の手配、不在時の孤児院の管理……どれもこれも慣れたもので、すでに準備はできていた。
ただ、今回はプランタン商会に馬車を準備してもらうけれど、プランタン商会の者は同行しないことになっている。
プランタン商会はハルデンツェルに向かうグーテンベルクの取りまとめと、その後のエントヴィッケルンのための手配もしなければならない。すでに文官からのお達しが来ているようで、下町は大騒ぎになっているらしい。ギルからの報告があった。
わたしは、エントヴィッケルンの詳細や勘合符による商人の判別など領主一族の会議で決まったことや染め物のコンペにお母様達も審査員として参加することになったことも追記して、ギルベルタ商会とプランタン商会と商業ギルドに手紙を出しておく。
文官からも話は聞いているだろうけれど、情報源は複数あった方が良いとベンノが言っていたからだ。
「ローゼマイン様、ギルベルタ商会から布や糸が届いているのですが、こちらはどうされますか?」
ザームが神殿長室に届けられている布や糸などを示しながらそう言った。どうせ魔力で染めなければならないのだから、と注文した布や糸を神殿に届けてくれるようにお願いしていたけれど、工房で染めるにも神官長がいないと染められない。わたしには自由に使える素材がないのだ。
「ザーム、神官長に素材を染めたいことを伝えて、面会依頼を出してください。できれば、祈念式までに布も糸も染めたいのです」
刺繍には時間がかかるので、早目に取り掛かった方が良かろう、と神官長は協力してくれて、魔力で染めるのはすぐに終わった。ちなみに、今回の片付けもヴァッシェンで行ったが、魔力量の調整をしたので、溺れるようなことはなかった。
「アンゲリカ、これをリーゼレータ達に届けてくださいませ」
染まった布や糸、魔法陣が描かれた紙の束をまとめて荷物にし、城へと運んでもらうことにする。
「これから祈念式の間は休みなしでずっと一緒についていてもらうことになるので、アンゲリカには準備期間も含めて、祈念式までの休暇を与えます」
「ありがとう存じます。わたくしも祈念式の期間に自分のマントに刺繍ができるよう、図案を描いて、糸も準備して参ります」
……暇潰しに刺繍って聞くとすごく女子力高いよね? 実際には防具の強化だけど。
嬉々として神殿から飛び出していったアンゲリカを見送っていたダームエルがやや不満そうにわたしを見下ろす。
「ローゼマイン様は女の子には甘いですよ」
「え? でも、休暇は祈念式の後で良い、とダームエルが言ったではありませんか」
きちんと意見を聞いてあげたはずだけど、と首を傾げると、ダームエルは「違います」と首を振った。
「休暇の話ではありません。マントへの刺繍をしたいというアンゲリカの望みは優先的に叶えるのに、私の結婚相手は未だに決まらないではありませんか。覚えてくださっているのでしょうか? エルヴィーラ様にお願いしてくださいましたか? 星結びの儀式の時にはご紹介いただけるのですか?」
「すっかり忘れていました」
「やっぱり!」
ダームエルが絶望の顔になって、その場に蹲る。そんなに結婚相手が欲しがっているとは思わなかった。
「ごめんなさいね。今度お母様に頼みます」
「また忘れるんですね?」
星結びの儀式が近付くと、独身者には厳しい雰囲気が漂うらしい。今度こそ忘れないようにしなければ。
忘れないうちにダームエルの嘆きをオルドナンツでお母様に送って、数日後には祈念式に出発である。
「ローゼマイン様、お元気そうなお姿を拝見できて、安心いたしました」
朝早くから馬車でハッセへと向かう一団の警備に来てくれたのは父さんだ。目元にちょっと皺ができていて、年を取っているのがわかる。それでも、変わらぬ愛情が細められた目から伝わってきて、わたしは何とも嬉しい気持ちになった。
父さんの後ろに何人も並んだ兵士達も嬉しそうにわたしを見ているのがわかる。
「皆には心配かけました。わたくしはもう大丈夫です。今回の護衛もギュンターに任せます。よろしくお願いしますね」
「はっ! お任せください」
ハッセから三人の灰色神官を連れて来るので、代わりとなる灰色神官や見習いが馬車に乗り込む。すでにギルとフーゴは乗り込んでいるはずだ。
皆を「道中、お気を付けて」と見送ると、わたしも午後の祈念式に向けて出発準備を整えなければならない。
昼食を終えると儀式用の衣装に着替え、わたしとフランとモニカはいつも通り騎獣で行動である。ダームエルとアンゲリカを護衛騎士として連れて出発だ。
「今回は回る場所も少ないので、それほど体への負担もなく終わるだろう」
神官長に見送られ、わたしは騎獣を動かす。今日の助手席にはアンゲリカが乗っている。空を駆け、エーレンフェストの街を出ると、アンゲリカが嬉しそうに笑った。
「エーレンフェストの外へと出る護衛任務は初めてです。強い魔獣が相手ですか?」
「祈念式で向かうのは、平民達が過ごす冬の館です。強い魔獣が出るような場所に近付く予定はありません」
「……え? 素材採集はどうするのですか?」
素材採集をしたかったらしいアンゲリカには悪いが、神官長への相談もなく勝手なことをしたら、怒られるどころの話では済まない。
「何故、素材採集をすると思ったのですか?」
「ダームエルがブリギッテに贈ろうとした魔石は城の森にはないので、護衛任務で神事に同行した際に取ったと考えたのです。神事とは魔獣退治で素材採集の旅だとばかり……」
前半は間違いではないが、後半が全く違う。神事は城の外で素材採集をする旅ではない。
「土地に魔力を満たすための神事ですよ」
「そうなのですか」
ちょっとテンションが落ちたアンゲリカの様子に、後部座席に座っているフランとモニカから小さな笑いが漏れた。
……神事と素材採集を一緒にしてるなんて、神殿育ちのフランやモニカにとってはビックリだもんね。笑いそうになる気持ちはわかるよ。
「アンゲリカ、あれがハッセの町です。こちらの白い建物が小神殿で、今夜は小神殿に泊まります」
ハッセへの移動はそれほど時間がかからない。上空から見ると、冬の館にある大きな広場には大勢の人達が集まっているのがわかる。
わたし達の騎獣が下りられるように、人々が避けて広い空間ができ始めた。
「ローゼマイン様!」
「神殿長だ!」
ハッセに到着すると大歓迎された。わたしがレッサーバスから下りると、真っ直ぐに町長のリヒトと周辺の村長達がやってくる。皆、わたしの記憶にある姿から変わっていた。村長の一人は顔ぶれが違う。
「神殿長がお目覚めになられたと小神殿の者から聞いて、心よりお待ち申し上げておりました」
リヒトの挨拶に頷きながら、わたしはフランに抱き上げられて舞台へと向かう。舞台までの道はぬかるんでいるので、衣装がぬかるみで汚れるのを防ぐためだ。裾を踏んですっ転んだら、目も当てられない。
舞台に下ろしてもらい、聖杯が準備される。その間、わたしはハッセの者達に礼を述べた。
「わたくしが眠りについた二年の間、ハッセの者達には小神殿の者達がずいぶんと世話になったと聞いています。助かりました。わたくしはハッセに感謝を送ります」
おおぉぉ、と盛り上がる住民達に軽く手を振った後、わたしはフランに抱き上げてもらって台の上へと上がる。
蓋のついた10リットルバケツくらいの大きさの桶を持った5人の村長達が舞台の上に上がってくるのを確認し、聖杯に手を伸ばした。
「癒しと変化をもたらす水の女神 フリュートレーネよ 側に仕える眷属たる十二の女神よ 命の神 エーヴィリーベより解放されし 御身が妹 土の女神 ゲドゥルリーヒに 新たな命を育む力を 与え給え 御身に捧ぐは命喜ぶ歓喜の歌 祈りと感謝を捧げて 清らかなる御加護を賜わらん 広く浩浩たる大地に在る万物を 御身が貴色で満たし給え」
聖杯に魔力を注いで、祈りを唱えると、聖杯から緑に光る液体が流れ出す。フランが聖杯を傾けて、順番に並んでいる村長の桶へと注いでいった。
儀式を終えると、リヒトと二年間にあったことの話をし、シャルロッテの話題が出たので、妹自慢をしておいた。積もる話はあるけれど、わたしは一通り話を聞いたところで立ち上がる。
「ハッセの町が立ち直ったようで、安心いたしました。二年ぶりですから、わたくしは小神殿にも顔を出さなければなりません。今日はこれで失礼いたします」
「小神殿の者達も心待ちにしているでしょう。ぜひ、安心させてあげてください」
ハッセの民に見送られ、わたしは騎獣で小神殿へと移動した。フランとモニカが扉を開けると、出迎えに灰色神官や灰色巫女達が出てくる。
「ローゼマイン様!」
「久し振りですね、皆」
ハッセの孤児だったノーラ達もぐっと成長していた。完全に神殿に馴染んでいて、もう気後れしているような様子は全くない。
「ノーラが主導して、リリーの子を取り上げてくれたのでしょう? 孤児院の者は出産に関して知らない者ばかりなので、ノーラ達が指示を出してくれて助かったと聞いています」
「わたくしも経験があったわけではありません。ハッセの女性がずいぶんと助けてくれました。無事に生まれた時は本当にホッといたしました」
「……あの子は元気ですか? もう大きくなっているのですよね?」
マルテがおずおずとした様子で、赤子の様子を尋ねてきた。
わたしは笑って頷く。孤児院の視察をした時は食堂を高速ハイハイしていた。
「最近は這い始めて、目が離せないとヴィルマが言っていましたよ。小神殿で何か変わったことはありますか?」
「実は、畑を始めました」
最近、ハッセの小神殿では家庭菜園のような大きさだが、畑も始めたらしい。小神殿の周囲は魔力が豊富で、なかなか良い実りが得られるそうだ。畑作りの指導はトールとリックが主導で行っているらしい。
「できることが増えるのは良いことです。けれど、紙作りや印刷業を疎かにしないように気を付けてくださいね」
「もちろんです」
礼拝室にある魔石に魔力を供給した後は、自室で着替えて、夕食になる。
小神殿での夕食はテーブルこそ分かれているものの、貴族も灰色神官達も兵士も同じ場所で食事をすることになる。
「アンゲリカにとってはマナーなどが不快に感じるかもしれませんが、今夜だけだと思って我慢してくださいね」
「かしこまりました」
フランとモニカの給仕で食事を終えると、わたしは兵士達が食事を終えて寛ぎ始めたテーブルへと向かう。今日は兵士達に話しておかなければならないことがあるのだ。
父さんが一番にわたしに気付いて姿勢を正した。フランがすぐに椅子を準備して、座れるようにしてくれる。
「ローゼマイン様」
急いでその場に跪いた兵士達に席へと戻るように言って、わたしは準備された椅子に座る。
「兵士の皆様にお話とお願いがございます」
「何でしょう?」
身を乗り出すようにして話を聞こうとする父さん達に、「会議で騎士から説明があったと思いますが……」とわたしはこれから行われるエントヴィッケルンの説明をした。
「そういうわけで、他領からの商人がエーレンフェストへとやってくる前に改造がなされることになりました」
「ずいぶんと急な話だと感じていましたが、そのような理由があったのですか」
わたしが事情を説明すると、父さんが「なるほど」と頷いた。
騎士から兵士達にエントヴィッケルンが行われることと、周知徹底への協力要請はされたが、理由やどのような改造が行われるのかは十分な説明がなかったらしい。
「この改造でエーレンフェストを他領の者に見せて恥ずかしくない程度には美しくできなければ、次は全部ひっくり返すような大改造が行われます」
「全部……とは?」
怪訝そうな顔になる兵士達を見回した後、わたしは父さんを真っ直ぐに見つめる。
「街を全て作り変えることになるのです。その場合、領主の魔力で作り上げる白い石造りの部分しか残りません。多くの者が住んでいる木造の部分は全て消え去ります」
「なっ!?」
兵士達が一斉に目を剥いた。木造部分は自分達の住居だ。それが全て消されると言われて驚かない者はいないだろう。
「通りの部分だけを改造するより、本当は下町全体を作り変える方が設計する上では簡単なのです。下町の家には影響がない範囲で済ませるようにわたくしが要請し、通りましたけれど、元々は全て変える計画がありました」
貴族が決めたことを平民が覆すのは不可能だ。知らない間に全て終わっていることさえ珍しくない。
貴族の横暴さをよく知っている父さんは強張った顔でゴクリと息を呑んだ。
「今回は通りだけの改造です。ただ、これから先、今ある住居を守るためには住人の努力が必要になります。皆様には危険性を知らせることも含めて、協力をお願いしたいのです」
改造当日は街の外に出ているか、絶対に家から出ないこと。窓や扉を固く閉ざし、改造が終わったと連絡が入るまで不用意に窓や扉を開けないこと。通りにある物は消えると思っておくこと。
改造された後は街を汚さないように必ず決められたところに汚物やゴミを捨てること。お互いが気を付けるようにご近所と注意し合うこと。
わたしは思いつく限りの注意事項を述べる。それを父さんや兵士達は真剣な眼差しで身を入れて聞いてくれた。
「下町の皆の生活が守れるか否か、貴方達の肩にかかっています。協力し合って守ってくださると信じています」
「ローゼマイン様の我々へのご配慮、ありがたく存じます。皆の生活は私が必ず守ります」
父さんがそう言って、右の拳で左胸を二回叩いた。兵士達がそれに続いて、同じように左胸を二回叩く。
わたしは同じように兵士の敬礼を返し、ニッと笑った。