Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (352)
ハルデンツェル 前編
翌朝、グーテンベルクとして活動する灰色神官達を乗せた馬車は、父さん達兵士と共にエーレンフェストの街に向かって出発する。
「ギュンター、皆様、どうぞよろしくお願いいたします」
「ローゼマイン様のお言葉は必ず皆に伝えます。ご安心ください」
いつも通りの出張費を兵士達に渡した後、その馬車を見送った。すぐに自分達も次の冬の館へ向かって出発しなければならない。
「ギルとフーゴは今夜の宿泊地へ向かってくださいね」
「はい、ローゼマイン様」
わたしの荷物を載せた馬車が出発すると、見送りに出ている小神殿の神官や巫女を見回す。
「わたくしが眠りについていた二年間、ハッセの住民とも協力し合い、良い関係を築くことができました。それはエーレンフェストの神殿が未だ達成できていない素晴らしいことです。これからも頑張ってくださいね。……トール、おいしい野菜が収穫できたら教えてくださいませ。食べに来ますから」
わたしが畑のある方へと視線を向けてそう言うと、トールが誇らしそうに笑いながら「一番おいしそうな物を取り分けておきます」と請け負ってくれる。収穫の時期が楽しみだ。
皆が跪いて見送ってくれる中、わたしはレッサーバスに乗り込んで、次の目的地へと向かった。
その後、各地の冬の館で熱烈な歓迎は受けたものの、特に何事もなく祈念式を終えた。今までは神官長と一緒に直轄地を全部回っていたので、四分の一になるとすごく楽だった。
もう神殿へと帰るだけ、という状態になったわたしは大きく伸びをする。今回は神官長の優しさ入りの薬も二つ使っただけで終わったので、体を酷使している感覚もない。
「範囲が少ないと非常に楽ですね。シャルロッテとヴィルフリート兄様に感謝しなくては」
「ローゼマイン様、神官長への感謝を忘れています」
ちろりとフランに睨まれて、わたしはニッコリと笑う。別に忘れてはいない。ちょっと後回しになっただけだ。
「薬を作ってくれている神官長には特大の感謝をしなければならないので、別枠なのです」
「そうですか」
馬車で移動しているフーゴやギルは、今日一日かけてハッセへと戻り、小神殿に泊まってから神殿に戻ることになっている。神殿に到着するのは明日の昼頃になるだろう。
騎獣で一気に神殿へと向かうわたし達は聖杯を持って一足先に戻ることになる。
「オルドナンツ」
わたしは神官長から預かっているオルドナンツで到着の予定を知らせる。
「ローゼマインです。4の鐘には神殿に戻れそうなので、シャルロッテに連絡をお願いします」
神具である聖杯は一つしかないので、直轄地を回る祈念式は四人で順番に回ることになる。わたしは休息日が必要なので、一番だった。次はシャルロッテ、ヴィルフリート、神官長だ。
予定通りに神殿へ到着すると、正面玄関前には馬車の列ができていて、シャルロッテが青い儀式用の衣装を着て待っていた。その隣には神官長もいる。
「ただいま戻りました」
「おかえりなさいませ、お姉様。体調はいかがですか?」
「シャルロッテやヴィルフリート兄様が協力してくれたおかげでほとんど体調を崩すことなく祈念式を終えることができました。シャルロッテは大変でしょうけれど、よろしくお願いいたしますね」
わたしは神具である聖杯をシャルロッテと共に祈念式に向かう神官長の側仕えに渡す。大事な神具を抱えた彼が馬車に乗り込むのを見届けたら、シャルロッテも出発だ。今日は一番近い南側の冬の館で儀式をこなし、宿泊するらしい。
「あまり遅くなっては困りますので、参りますね」
「えぇ、いってらっしゃいませ。皆様、シャルロッテをよろしくお願いいたしますね」
馬車が行くのを見届け、自室に向かおうとしたら、神官長に腕をつかまれ、グイッと顔を上げさせられた。
「わっ!? 急に何ですか?」
「……祈念式から戻ったばかりだが、予想よりは顔色が良いようだな」
「今回は範囲が狭かったので、薬もあまり飲まずに終わりました。皆で回ると負担が少なくて良いですね」
「あぁ、そうだな。だが、午後は寝台で過ごしなさい」
神官長に言われた通り、わたしは寝台でゴロゴロしつつ、本を読んで過ごした。
次の日からはいつも通りの生活だ。午前中はフェシュピールと奉納舞のお稽古に神官長のお手伝いで、午後に孤児院や工房の見回りなど特に予定がない日は、神官長先生の調合特訓が入るようになった。
まずは騎士達がよく使っている基本的な薬の作り方からだ。最終的には自分の薬くらい自分で作れるようになれ、というありがたい保護者心である。
……あぁ、貴重な自由時間が。うぐぅ、本が読みたい。
そんな本音を時々漏らしつつ調合した結果、ひとまず、一番簡単な基礎の回復薬は作れるようになった。この薬は貴族院でも教えられる薬のようで、まずくなかった。普通に飲める薬だ。
だが、効かない。神官長の特製薬に慣らされたわたしには効果がないのだ。正確には効果が薄い上に、効くまでに時間がかかりすぎて、全く役に立たない感じがする。
「圧縮しすぎて馬鹿のような魔力を持っている君と周囲の同級生を同列に考えないように。この程度でも見習いには十分なのだ。ボニファティウス様に鍛えられている見習い達に売れば飛ぶように売れるぞ」
自分で採集して調合するような余裕はないだろうから、と神官長が唇の端を上げた。貴族院での有効なお金の稼ぎ方らしい。
「こんな簡単な回復薬よりは神官長の作ったお薬の方が高く売れるでしょう?」
「いや、高すぎて売れない。素材の品質も貴重さも作成の難易度も全く違う。見習いが簡単に買えるような値段ではない」
「……え? わたくしは日常的に使っていますよね? お金、払ったことがないと思うのですが」
「それ相応には働いてもらっているので問題ない。魔力も提供してもらっているからな」
本来ならば、神官長のお手伝いにもお金が出るらしい。実際、お手伝いをするようになった青色神官達には出ているそうだ。
しかし、わたしはもらっていない。本当にお手伝いの気分だったので、お金をもらっていないことを全く疑問に思っていなかった。
……それが薬代として計算されていたなんて!
回復薬を与えつつ、薬代分はしっかりとこき使う神官長のシビアさに項垂れるしかなかった。
シャルロッテが祈念式から戻ってきて、ヴィルフリートが向かう。ヴィルフリートが戻ってきたら、神官長と交代である。
聖杯の受け渡しを確認し、ヴィルフリートを見送り、シャルロッテを労った。城へと戻るシャルロッテを見送って、わたしは自室へと戻り始める。
「そういえば、神官長も騎獣を使って、馬車とは別行動をするのですよね? でも、日程はヴィルフリート兄様やシャルロッテとほぼ同じなのは何故ですか? 全く短縮になっていませんよ」
「騎獣で移動するのは君と違って日程の短縮が目的ではないからな」
一日にいくつもの冬の館を巡って日程を短縮するのではなく、午前に儀式を終えたら、付近で素材採集をする予定らしい。今年はわたしが起きて、ヴィルフリートやシャルロッテが祈念式を手伝ってくれるため、神官長には色々な意味で余裕があるようだ。
「せっかくの遠出の機会だ。有効活用せねば」
「神官長、それをアンゲリカの前で言うのは止めていただきたかったです」
「……素材採集」
アンゲリカが非常に羨ましそうな目で神官長とエックハルト兄様を見ているが、二人は完全に無視している。
「私が祈念式から戻るより先に、君はハルデンツェルに向かうのであろう? エルヴィーラから手紙が届いていたぞ。後で読んでおきなさい」
「はい」
お母様の手紙には、ハルデンツェルへと向かうメンバーや注意事項が書かれていた。わたしとグーテンベルク、それから、印刷業を見せるためにヴィルフリートとシャルロッテ、責任者のお母様は絶対に向かわなければならない人員だ。
そして、領主の子がこれだけ向かうのだから、騎士団長であるお父様を始め、騎士団から十名ほどの騎士が護衛としてついて来るらしい。
「神官長は一緒に向かわないのですね。わたくしの後見人なので、一緒なのかと思っていました」
「カルステッドとエルヴィーラという両親が揃っているのに、私が同行する必要はなかろう」
「あ、確かにそうですね。……大人数になるため、側仕え、文官、専属の護衛騎士は各一名で、同室で寝られるように同性を連れて来なさい、と書かれているのですけれど、側仕えも文官もわたしには成人している独身女性がいないのです。どうしましょう?」
未成年や家庭を持っている奥様に長期の出張は難しい。寒さの厳しい遠出にリヒャルダを連れ出すのも躊躇われる。貴族院への同行は神官長が決めたが、年齢的にリヒャルダばかりを酷使するのはどうだろうか。
「ハルデンツェルのためだけに新しい側近を選ぶのも無理だろう。時間がなさすぎる。ひとまずエルヴィーラに相談してみなさい」
お母様に見習いでも良いのか確認をして、わたしはリーゼレータとフィリーネを連れていくことにした。アンゲリカは唯一の女性騎士なので、最初から決定である。
神官長が祈念式へと向かってから数日がたった。今日はわたしがハルデンツェルへと向かう日である。
「ローゼマイン様、こちらがハルデンツェルへと渡す小聖杯でございます。こちらには小聖杯を渡す時の文言をまとめておりますので、参考にしてください」
「ありがとう、フラン。助かります」
小聖杯が入った布張りの箱をフランがレッサーバスに積み込んだ。ハルデンツェルに小聖杯を渡すという祈念式も行うので、わたしは神殿長の儀式服でハルデンツェルへ向かうことになっている。
祈念式ならば、フランかモニカも連れて行きたいのだが、貴族ばかりの一行の中に連れて行くのはあまりにも大変なので、断念した。
「おはようございます、ローゼマイン様」
今日は3の鐘までに城に到着したいので、早目に神殿へ来るように、と言っておいたプランタン商会のベンノとダミアンが馬車で正面玄関に到着した。ヨハンとザックは徒歩だったため、裏門の方から灰色神官に案内されてやってくるのが見える。
「荷物を積み込んでもよろしいでしょうか?」
「あら、ルッツ。お手伝いに駆り出されたのですか?」
「そうです。馬車を持ち帰らなくてはなりませんから」
ハルデンツェルへ同行はしないけれど、お手伝いのために駆り出されているらしいルッツの言葉に小さく笑い、わたしはレッサーバスの後部座席のドアを開ける。
「うわっ!? 何だ、これ!?」
みょんと穴が大きく広がったのに、ぎょっと目を見開いて叫んだのはヨハンだった。他の皆はレッサーバスに乗ったことがあるので、こういうものだと認識していて、淡々と荷物を運び込んでいる。
「ローゼマイン様の騎獣です。これで移動するので、荷物を運んでください」
ハルデンツェルに売る植物紙、色インク、契約魔術の変更に伴う手続きのために必要な道具などがレッサーバスに積み込まれていき、ザックもそれぞれの仕事道具や着替えなどの荷物を積んでいく。
ヨハンが不気味そうにレッサーバスを見ていたが、「さっさとしろ、遅れるだろう!」とザックに怒鳴られ、自分の荷物を載せる。
「おい、ヨハン。馬車よりずっと乗り心地が良いからさっさと乗れ。邪魔だ」
初めて乗るレッサーバスに怖気づいてしまうヨハンをザックがやや乱暴に押し込んで、出発である。飛び立った時もぎゃーぎゃーとヨハンが騒いでいたが、自分達も通った道だと皆が苦笑気味に眺めているのが、ちょっと面白かった。
神殿から城まで一度向かって、ハルデンツェルへの御一行と合流しなければならない。ダームエルに先導されて城へと戻る。アンゲリカは助手席だ。平民が同乗するのに、護衛もいないのはダメなのだ。
3の鐘が鳴る前なのに、すでに城の前には皆が準備を終えていた。二十名以上の団体が外に出ているのが見える。合流すると、ダームエルが護衛を外れ、リーゼレータがアンゲリカの荷物を持って駆け寄ってきた。
「では、参りますよ」
今回の一行の最高責任者であるお母様の号令によって、騎獣が出され、ザッと飛び出した。シャルロッテは自分の側仕えの騎獣に同乗しているのが見える。ヴィルフリートは自分の騎獣に乗っていた。
騎士団に周囲を囲まれるような状態でハルデンツェルへと駆ける。城までの道中と違って、レッサーバスの中は途端に静かになった。
「この辺りからハルデンツェルですよね?」
「エーレンフェスト、最北の土地です」
ベンノから答えが返ってきた。
去年、グーテンベルク達が馬車で移動した時は道中で本を売りつつ、数日はかかったという道のりも、騎獣で駆ければ半日もかからない。
針葉樹林が多い森を飛び越えた先にハルデンツェルがあった。南側には森があるけれど、北の方は雪がまだまだ残る土地で、低木の方が多いように感じる。
そんなふうに広く開けた土地に白い石造りの大きな城がどんとあった。そこはギーベ・ハルデンツェルの夏の館であり、ハルデンツェルの民が冬を過ごす冬の館でもあるらしい。
「ようこそ、ハルデンツェルへ」
ギーベ・ハルデンツェルを始めとした住人達が出迎えてくれる。代表者であるお母様と長々しい挨拶を交わした後、わたしは小聖杯を持って進み出る。
「癒しと変化をもたらす水の女神 フリュートレーネと側に仕える眷属たる十二の女神によって、土の女神 ゲドゥルリーヒには新たな命を育む力が与えられました。広く浩浩たる大地に在る万物が水の女神 フリュートレーネの貴色で満たされますことを心より願っております」
「確かに、土の女神 ゲドゥルリーヒは水の女神 フリュートレーネの魔力で満たされています。雪解けに祈りを、春の訪れに祝福を捧げます」
小聖杯の受け渡しが終わると、わたしの神殿長としてのお仕事は終了だ。貴族に直接小聖杯を渡すのは初めてだったので、ちょっと緊張したけれど、問題なくできたようだ。
小聖杯はギーベ・ハルデンツェルの側仕えに渡され、どこかへと運ばれていく。多分きちんと置いておく場所があるのだろう。
広い食堂に通され、温かいお茶を振る舞われる。今まで飲んだことがない、少し甘みのあるお茶で、ホッと体も心も温まる感じがした。
お茶を飲みながら、これからの予定が話される。あまり長居する予定はないので、この後すぐに印刷室と鍛冶場へ一行を案内し、職人はそこで仕事をする。その後、印刷協会の仕事をしている文官のところへ行って、プランタン商会は再契約をすることになった。
ヴィルフリートとシャルロッテや側近達はもちろん、お母様にも印刷がどのような仕事なのか実際に見てもらうための出張である。
ハルデンツェルの城は地下の方が住民達の居住区になっていて、上は仕事場とギーベ達の居住区となっていた。まるで小さな町のようだ。
「エルネスタはここで育ったのでしょう?」
「そうです。けれど、印刷業を始めたのはここ数年ですし、わたくしはシャルロッテ様にお仕えしていたので、詳しくありません」
シャルロッテの護衛騎士であるエルネスタはハルデンツェル出身の中級貴族らしい。エルネスタが説明しているのを聞きながら、回廊を歩いていく。薄暗い回廊の向こうの方から、ズン! バン! と大きな音が響いてくる。
「ずいぶんと大きいが、何の音だ?」
近づくたびにどんどんと大きくなっていくほぼ等間隔の音にヴィルフリートが首を傾げた。回廊にくわんくわんと響く音に周囲の騎士達が警戒しているのがわかる。
「印刷機が動いている音です。今は一台しか動いていませんが、三台が同時に動いている時はもっとすごい音がしています」
ギーベ・ハルデンツェルがフッと笑いながら、そう言う。
印刷室の扉を開けると、印刷が行われる音は一層大きくなった。がたいの良い大柄な男達が長い棒をつかんでグッと力を込める度にドン! と大きな音がする。
おそらく夏の間は狩りをしているような大柄な男達が黒のインクで汚れた姿で働いているのだ。貴族街育ちの者は驚いたように目を見開いている。
そんな中、印刷業に携わる文官が印刷機について説明を始めた。
今、ハルデンツェルの印刷室にはインゴが持ち込んで組み立てた物と、インゴが教えながらここで作った物、そして、自分達で作ってみた物、と印刷機が三つできていて、その内の一つが稼働しているのだそうだ。
「こちらは金属活字が入っている活字ケースです。植字や校正の仕事は今のところ、文官の仕事です。ローゼマイン様の工房では灰色神官が行っていると聞き、驚きました」
「わたくしの孤児院の者達は優秀なのです」
職人達は印刷できた紙を取り出し、インクを塗って、次の紙をセットする。二年ほどしか仕事をしていないはずだが、手慣れた動きだ。
「ハルデンツェルでは、印刷は冬の仕事です。夏は南では畑が、北では狩猟が主な仕事となり、人がいなくなるため、印刷は行いません。長い冬の仕事なのです」
印刷作業の手順について文官が説明しているのを、皆が聞いて、文官達がメモを取っている。わたしはすでに知っていることばかりなので、印刷の手順よりもハルデンツェルの生活の方に興味を引かれた。
「ハルデンツェルでは狩猟を行うのですか?」
わたしの質問にギーベ・ハルデンツェルが自分の仕事を誇る男の顔でゆっくりと頷いた。
「魔獣をなるべく多く狩っておくのが、我らの大事な役目なのです」
「北の寒い地域にいる魔物を少しでも多く狩っておくと、冬の主の力が弱まるのだ」
騎士団長であるお父様が説明を加えてくれる。北の魔獣が力を求めて食らい合い、最終的に一番強い魔獣が冬の主になるらしい。それを少しでも抑えるため、魔獣狩りを行っているハルデンツェルは、昔から最も騎士が多い土地らしく、平民でもある程度の魔獣が倒せなければならないため、強い者が多いらしい。
「我々が魔獣を狩るのは、カルステッド様がおっしゃられた理由だけではございません。自分達の食料を守るためでもあるのです」
芽吹きだした貴重な食料を荒らされぬようにしなければならないそうだ。
ハルデンツェルの南の住人はエーレンフェスト周辺の農民達と同じような生活をしているけれど、北の住民はいくつもの狩猟部族に分かれていて、夏の間はハルデンツェルを駆け回って過ごし、冬は城で暮らすらしい。
「すでにいくつかの部族は出発の準備を終えています。今夜の祈念式を終えたら、狩りへと向かうのです」
「わたくし、貴族が治める土地の祈念式に参加するのは初めてですから、楽しみです」
印刷室の説明が終わると、次に向かうのは鍛冶場だ。そこには緊張した顔でヨハンの到着を待っている職人達がいた。
お互いに強張った顔で向かい合う。ヨハンがゴクリと唾を呑んだ音がわたしには聞こえた。
「では、エーレンフェストの職人に冬の仕事を見てもらおうか」
ギーベ・ハルデンツェルの言葉に、ハルデンツェルの鍛冶職人が木箱を持って進み出る。金属活字が詰まった箱をヨハンが受け取り、勧められたテーブルの金属の台の上で選別を始めた。
シンと静まった空間にはピンと張りつめた緊張感があった。数人の鍛冶職人達が怖いくらいに険しい顔でヨハンの手元を見ている。
そんな周囲の様子が目に入っているのか、いないのか、ヨハンはただひたすらに真剣な眼差しで一本一本の金属活字を見ていた。レッサーバスを恐れ、貴族に囲まれてからは口を噤んでオドオドと周囲を見回していたヨハンの姿はない。
金属活字をどのようにして作るのか、印刷機を作る上でどのような部品を作っているのか、文官がヴィルフリートやシャルロッテに説明している中、ヨハンは黙々と金属活字を見定めていた。カチャン、チャリンと音を立てて、金属活字が選り分けられていく。
「こっちは合格。こっちはダメだ。設計図通りにできていない。不合格」
全力で仕事に当たっていたのだろう。金属活字の選り分けを終えたヨハンは袖口でグイッと汗を拭った。
はぁ、と一仕事を終えた息を吐くヨハンと違い、不合格を言い渡された職人達はカッと目を見開いた。
「設計図通りに作っただろう!? 何が不合格だ! ふざけるな!」
「何が悪いんだよ!?」
「何って言われても……だから、設計図通りにできていないんだ。これじゃあ使えない」
「何だと!?」
悔しそうに反発する若い職人とヨハンに対して反感を見せる他の職人達。
突然、剣呑な雰囲気になり、貴族達が驚いたように振り向いた。