Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (353)
ハルデンツェル 中編
冬の間、おそらく必死に作った物を「設計図通りにできていない」という一言で不合格にされて激昂するハルデンツェルの職人達と、「何と言われても不合格は不合格だ」とこんな時ばかり職人らしい頑固さを発揮して睨み合うヨハン。
どちらも主張としては間違っていないけれど、見学している貴族がたくさんいる中での剣呑な雰囲気は非常によろしくない。緊迫した雰囲気に、わたしは思わず双方の間に割って入った。
「ヨハン、わたくしにも見せてくださいませ。金属活字はもともとわたくしの注文した物ですから」
「ローゼマイン様……」
領主の養女であり、客分としてもてなされる立場のわたしが職人の領分に首を突っ込んだことに、職人も貴族も含めた周囲がざわめいた。しかし、そのざわめきを完全に無視して、わたしはヨハンが選別していた金属の台の上に不合格と合格それぞれの金属活字を四つほど積んで、四方八方から眺めていく。
「……あぁ、確かにこれはダメですね。この部分でしょう?」
「そうです」
わたしが示した部分にヨハンが頷く。こうして合格と不合格を比べれば、ほんのわずかだけれど、傾きや長さの違いがあるのがわかる。金属活字は、この「ほんのわずか」が致命的な問題なのだ。ヨハンが初めて持ってきた金属活字にはなかったことを思い出し、他人と比べることでヨハンの技術の高さに改めて驚かされた。
「これだけ傾きがあれば、印刷時に文字がぶれるので、これは使えません。こちらはこの部分の処理が甘いです。印刷する時に紙が痛みます」
「は!?」
わたしはハルデンツェルの鍛冶職人達に、小さい金属活字を指差して、不合格が出ている部分を一つ一つ説明していく。
職人達の表情に「細かすぎるんだよ!」という思いが浮かんできた。わたしが貴族なので、口にはどうにか出さずに堪えているだけだ。
「細かすぎると思われるかもしれませんけれど、わたくしはヨハンにいつもそれだけ細かい物を注文しているのです。金属活字は、これくらいは大丈夫、という甘さが許される物ではありません」
はぁ、と力なく答える職人達からヨハンへとわたしは視線を移した。
「……ヨハン、職人にはありがちなのですけれど、決定的に説明が足りていません。エーレンフェストの工房では、設計図通りにできていない、と不合格を出せばよかったのかもしれませんし、周囲の者はヨハンが口下手なのを知っています。けれど、ここはハルデンツェルです。初めて金属活字を作る人にはどの部分がどのように違うのか、細かく教えなければ、多分わかりませんよ」
「ですが、設計図が……」
「全員が設計図を読めるとは限りません。ヨハンと同じように数字は読めても、細かい注意書きまでは読めないかもしれませんし、わたくしのような精密さを要求する注文客は珍しいのでしょう? 慣れていなければ、どこまでの精密さが要求されているのか、わからないのではないかしら?」
ヨハンがハッとしたように顔を上げた。
精密さを要求されている仕事ばかりを回されているヨハンは、設計図通りに、ほんのわずかなぶれもなく作って当然だと思っているのだろうが、エーレンフェストでもヨハンの仕事は特殊だ。
「……ローゼマイン、私には同じに見えるが、違いがあるのか?」
いつの間にか背後にやってきていたヴィルフリートが台の上の金属活字を見ていた。
「えぇ、ヴィルフリート兄様。こうして見れば、わかると思いますよ」
台の上に合格を四つ、不合格ばかりを四つ、並べたり、積み重ねたりして見せる。ヴィルフリートが目を細めてその様子を見つめる。
「こちらの固まりのこれがちょっとだけ低く見えるな」
「お兄様、わたくしにも見せてくださいませ」
ヴィルフリートが交代してあげて、今度はシャルロッテが興味深そうに金属活字をじっと見た。
わたしが二人に向けて印刷の仕組みを丁寧に教えて、ほんの少しの違いが何故困るのか説明すると、それをハルデンツェルの鍛冶職人達も神妙な顔で聞いている。ヨハンは完璧に作ってくれるので、これほど詳しく説明したことが今までなかった。最初の説明不足はわたしかもしれない。
「そういうわけで、きっちりと高さが揃わなければ印刷できませんし、金属活字に傾きがあると困るのです。ヨハンが作った金属活字はこうして並べても全くズレがなく、完璧で美しいでしょう?」
一つではわからなくても、十個、二十個を固めてみると、微妙な差異がわかる。自立しない物、ややぐらつく物、1ミリも違わないけれど、わずかに高さが違う物……。
自分の目で確認したハルデンツェルの鍛冶職人達がぐっと体に力を入れて立ち上がった。
「……やり直します」
「半分ほどは合格が出ているのですから、もう一息ですよ。エーレンフェストでもまだヨハンが合格を出せる金属活字を作れる鍛冶職人はほとんどいません。ねぇ、ヨハン?」
「はい。ダニロも金属活字には苦労しています。まだ完全に合格点は出せません」
「そういうわけですから、わたくし、ハルデンツェルには期待しています。細かいところに気を配り、ヨハンの合格を勝ち取ってくださいませ」
剣呑な雰囲気が消え、緊迫した雰囲気になった。職人が揃って真剣な顔になったので、ザックとヨハンを鍛冶場に置いて、わたし達は鍛冶場を出る。
「次はハルデンツェルの印刷協会へと向かいます。印刷業を担当する文官が私だけなので、きっちりと部署があるわけではございません」
そう言いながら、印刷業を担当する文官が案内をしてくれる。貴族達の最後尾について来ているプランタン商会がこれから仕事をする場所になる。
文官達の仕事場の一角で、印刷協会に関する説明を受けた。平民と取引する上で必要になる書類の数々を見せてくれる。
「商業ギルドからの許可証です。この書類ができているかどうかで、印刷協会が作られているのかどうかわかります。こちらはアウブ・エーレンフェストからの許可証で、こちらがギーベからの令状です。次に新しい場所で印刷業を始める場合は、これらの書類をまず確認してください」
許可が出てから、印刷工房を整え、印刷をし、販売するまでの流れを担当文官が説明してくれる。きちんと関わってきたのだろう、現場ならではの苦労や工夫が話の随所に出てきた。
最終確認を任されるヴィルフリートが真剣な眼差しで聞き、その文官が必死にメモを取っている。来年からは確認に回されることになる、と前もって知らされているシャルロッテ達も同じだ。
「では、私はプランタン商会と明日からの打ち合わせをいたしますので、皆様は少しご休憩ください」
説明を終えた文官がベンノとダミアンを手招きした。
明日からの仕事をスムーズに行うための打ち合わせを始めた彼らに背を向けて、わたし達は領主の居住区へと戻る。
「お疲れになったでしょう。今夜は祈念式ですので、それまでお部屋でお寛ぎくださいませ」
見学する時には同行していなかったハルデンツェル伯爵夫人が采配を振るって、それぞれの部屋へと皆を案内してくれた。すでに、それぞれの側仕えが部屋と荷物を整えてくれているらしい。
フィリーネとアンゲリカと共に案内された部屋へと入れば、リーゼレータがきっちりと全員分の荷物を片付けて、湯浴みの準備をしてくれていた。
わたしの湯浴みを手伝いながら、リーゼレータが「祈念式に参加する衣装は神殿長の儀式用でよろしいのですか?」と問いかけてきた。
小聖杯を渡したので、もう終了、と考えることもできるけれど、祈念式なので神殿長の服の方が良いだろう。
「えぇ、ハルデンツェルの祈念式に小聖杯を持ってきた神殿長として参加するので、儀式用の衣装でお願いいたします」
伯爵夫人から説明を受けているリーゼレータによると、祈念式が始まるのは6の鐘で、わたし達は6の鐘までに広場へ移動できるように、早目に食堂に集まるように言われているそうだ。
儀式用の衣装で、春の髪飾りを付けて、わたしはレッサーバスに乗り込んだ。本日の見学でかなり疲労したので、滞在中は城の中を騎獣で動き回るための許可をギーベ・ハルデンツェルにもらったのである。
「あぁ、これで全員です。では、参りましょう」
食堂への到着はわたしが最後だったようだ。ギーベ・ハルデンツェルが立ち上がり、夫人をエスコートして歩き出す。
「本来はヴィルフリート様がローゼマイン様をエスコートするのですけれど……」
わたしが騎獣に乗っているので、隣に並んで歩くようにお母様に言われている。
わたし達の後ろにシャルロッテが続き、その後ろにはお母様とお父様だ。お母様をエスコートして歩いている。
文官や側仕え達はその後ろに身分順で並び、護衛騎士達は周囲を取り巻く形だ。わたしの右側にはヴィルフリートが歩いていて、左側にはアンゲリカがいる。
ギーベ・ハルデンツェル夫妻はゆっくりと階段を降りていく。祈念式が行われるのが広間ではなく、広場と言われたことに首を傾げていたが、よく考えてみれば、イルクナーの収穫祭も広場だった。平民とギーベが共に祝うお祭りだった。ハルデンツェルでも平民と共に春を祝う宴になるのだろう。
地下には平民の居住区があると聞いていたが、言葉の通りに真っ白の廊下と等間隔で並ぶ扉があった。まるで貴族院の寮のようだ。ほんのりと白い壁が発光しているようにも見えるが、基本的に薄暗い。
中心部には大きな広場があり、平民達がすでに集まっていた。祈念式で回ってきた冬の館と似ているのは、平民が集う祭りだということくらいではないだろうか。
広場の中心には円柱状の円くて広い台があり、その中心部分に更に祭壇が設置されて、神への供物と小聖杯が捧げられている。
ハッセやイルクナーの収穫祭では舞台の上から平民を見下ろす形で席が作られていたけれど、ハルデンツェルでは舞台が一番見やすい前の方を円いテーブルがぐるりと取り囲むように席が作られていて、すでにハルデンツェルの貴族達は席に着いていた。
正面になると思われる位置に誰も座っていないテーブルがいくつかあった。ギーベ・ハルデンツェル夫妻が座る椅子がほんの少し正面からずれた位置にある。領主の子であるわたし達の席になるのだろう。
「ローゼマイン様、こちらへ」
ギーベ・ハルデンツェルが椅子を引いた瞬間、周囲に隠しきれない動揺が走ったのがわかった。わたしはそのまま席に着いて良いのかどうかわからずに、お父様とお母様に視線を向ける。
二人は軽く首を横に振った。多分、座るな、と言われている。
「先にヴィルフリート兄様をお席に案内していただけませんか? わたくし、騎獣を片付けますから」
わたしは遠回しにお断りすると、レッサーバスをゆっくりと降りる。ギーベ・ハルデンツェルは少し笑みを深めて、ヴィルフリート兄様を席に案内してくれた。そのまま、シャルロッテにも席を勧めてくれる。
フッと周囲の緊張が緩んだ。
「こちらにどうぞ、ローゼマイン様」
騎獣を片付け終わると、ギーベ・ハルデンツェルはもう一度椅子を引いてくれた。今度は問題なさそうなので、わたしはその席に座った。クッションで高さの調節がされているわたし用の席だった。
左側にヴィルフリート兄様、その隣にシャルロッテ、右側にギーベ・ハルデンツェル、その隣に夫人、ほぼ正面にお父様とお母様がいる形だ。
周囲もそれぞれに場所が決まっているようで、文官や側仕え達も席に着く。護衛騎士だけが背後に控えている。祈念式が始まると側仕えも動き始めるらしい。
カラーンカラーンと6の鐘が鳴り響く。祈念式の始まりを告げる鐘の音に、それまではざわざわとしていた平民達がぴたりと静まった。
「神殿長も壇上へお願いします」
そう言ったギーベ・ハルデンツェル夫妻が立ち上がり、祭壇へと向かう。わたしは慌てて立ち上がり、二人の後ろを付いて歩く。突然役割を振られて、頭の中はぐるぐるだ。
……ちょっと待って。聞いてない。小聖杯を渡す以外の役割は何も聞いてないよ!? 助けて、神官長! カンペ持って来て、フラン! のおおぉぉ!
「こちらはエーレンフェストの聖女と名高い神殿長である。我が妹エルヴィーラの娘であり、この地へ戻った我らの同胞を歓迎せよ!」
わたしがハルデンツェル出身のお母様の娘で、印刷業を開発し、ハルデンツェルに富をもたらしたエーレンフェストの聖女であると紹介されると住民達は大盛り上がりで大歓迎してくれた。お母様の娘ならば、ハルデンツェルの住人にとっては初対面でも身内扱いになるらしい。
ギーベ・ハルデンツェルがすっと右手を伸ばし、肩の位置まで上げる。その動作だけでシンと広場が静まった。
静まった広場に低いずっしりとした声が響く。
「本日、エーレンフェストの聖女たる神殿長によって、ハルデンツェルに春がもたらされた。これでまた今年も水の女神 フリュートレーネの清らかなる流れに、命の神 エーヴィリーベは押し流され、土の女神 ゲドゥルリーヒは救い出される」
ギーベ・ハルデンツェルがそう言いながら腕を動かし、祭壇の上の小聖杯を示す。
一度言葉を切り、ゆっくりと周囲を見回した後、声を張り上げた。
「歌え、神に祈りの声を伝えよ! 舞え、神に感謝を伝えよ! 雪解けに祝福を!」
わっと平民達が歓喜の声を上げる。長い冬の終わりを待ち構えていたらしい民の喜びの熱量が直接伝わってくるような声に圧倒された。
それがハルデンツェルの祈念式の始まりだった。
わたしは皆に紹介されただけで、特に何をするでもなく席に戻る。この後は歌や舞が行われるらしい。
小聖杯が届いたので、明日からは畑をしている南側の住人達も移動するし、狩猟をする部族は北へ向かう。祈念式は春の訪れを喜ぶ祭りであり、同時に、住民達のしばしの別れを惜しむ場でもあるそうだ。
食事が運び込まれ、貴族達は食べ始めた。その間、平民達が太鼓を叩き、笛を吹き、歌い踊る。
「平民達が終わると、次は貴族達による剣舞と歌が奉納されます」
隣に座るギーベ・ハルデンツェルがそう教えてくれる。ヴィルフリートやシャルロッテが「祈念式で回る冬の館でも同じような歌を聴きました」と言っている。
……あれ? わたし、祈念式で歌なんて聴いたことないよ?
よくよく考えてみれば、次々と祝福を与えることを最優先にしてきたので、最後まできちんと祈念式に参加したことがなかったのを思い出した。
どうやら、わたしはこれだけ何度も色々なところに行っているのに、まともに祈念式に参加したことがなかったらしい。衝撃の事実だ。
「ヴィルフリート様やシャルロッテ様も祈念式に参加するのですか?」
ギーベ・ハルデンツェルが驚いたように目を見張った。土地持ちの貴族は春を寿ぐ宴が終わるとすぐに戻っていくので、ヴィルフリートやシャルロッテの動向についてあまり知られていないようだ。
ヴィルフリートが大きく頷き、当たり前の顔で口を開いた。
「うむ。兄妹は助け合わなければならぬ。ローゼマインだけに負担がかかるのはおかしいであろう? 我らは等しく領主の子なのだ」
「そうですわ。……その、お姉様の魔力がなければ、まだまだわたくし達では役に立ちませんけれど、できるところから行うのが大事ですもの。少しずつできることを増やしていくのです」
シャルロッテが「お姉様の魔力をお借りしなくても、自力で祝福を行えるようになるのが目標です」と藍色の瞳を輝かせる。
……どうしよう。わたしの兄妹が眩しすぎる。わたし、本を読むことしか考えていない子で、ホントにごめんね! でも、多分、止められない。それも謝っておくから、許して。
「ローゼマイン様にとって、お二人はよき兄妹ですか?」
「もちろんです、ギーベ・ハルデンツェル。わたくしが眠っていた二年間、二人はとても頑張ってくれました。あまりにも成長していて、わたくしの至らなさが目に見えるではございませんか」
わたしの言葉にギーベ・ハルデンツェルが思考するように目を細めた。
「我は世界を創り給いし神々に祈りと感謝を捧げる者なり」
耳慣れた祈り文句が聞こえてきて、わたしは舞台の上へと視線を向ける。これから北へ狩りに向かう部族を率いるハルデンツェルの騎士達が台の上にずらりと並んでいた。
「深い、深い白の世界に終焉を。全てを排する硬い氷を打ち砕き、我らの土の女神を救い出さん……」
……あ、この歌、知ってる。
正確には歌詞を知っていた。
土の女神の眷属だった女神が命の神によって引き離されて追放され、水の女神に助けを求めに行く時の詩である。眷属の女神達の力を光の女神と水の女神に捧げ、土の女神の救済を祈るのだ。
曲は初めて聞いたが、何度も同じフレーズを繰り返すので、それほど難しくはない。
何となく歌いかけて、ハッとした、聖典系の祈りの歌はまずい。変な祝福になる可能性がある。
わたしが鼻歌で我慢していると、それに気付いたらしいギーベ・ハルデンツェルが楽しげに目を細めた。
「これは春の訪れを喜び、狩猟の始まりを示すハルデンツェルの歌です。これを歌って、男達は狩りへと出かけます」
「……あら? 雪解けを願い、水の女神を呼び込む歌ではございませんか?」
思わず首を傾げると、ギーベ・ハルデンツェルが不思議そうな顔でわたしを見た。
「この歌はエーレンフェストの春を寿ぐ宴でも耳にした事がございませんし、貴族院でも同じです。ハルデンツェルでしか歌われないものだと思っておりましたが……ローゼマイン様はご存知なのですか?」
「曲は初めて聞きましたけれど、神殿長に代々伝わる聖典にはその詩と絵が載っていました。神殿図書室にある他の聖典には載っていませんから、本当に古い詩なのでしょうね。聖典の絵によると、本当は眷属の女神が歌うのですよ。あのような円柱状の舞台で」
わたしが説明すると、ギーベ・ハルデンツェルを始め、お父様やお母様が目を瞬いた。
今、円柱状の舞台にあるのは、神への供物と小聖杯だ。
「ローゼマイン様も歌ってくださいますか? エーレンフェストの聖女が祈りを捧げれば、今年の春の訪れは早そうです」
ギーベ・ハルデンツェルの提案にわたしは驚いて周囲を見回した。面白そうだ、と周囲の貴族達の顔に書いてあるが、宴会の隠し芸のノリで変な祝福が飛び出したら困る。
「……わたくし、ここで神事を行う予定はなくて」
「おや、この祈念式の小聖杯を届けること自体が神事の一部では?」
「それはそうですけれど……」
……どうしよう!? 助けて、神官長!
オルドナンツを飛ばそうか、と真剣に考えているとお母様がわたしとギーベ・ハルデンツェルの間に立った。
「お兄様、初めて聞いたばかりの曲を歌え、というのはいくら何でも酷ですわ。ローゼマインではなく、ハルデンツェルの女性が歌えば良いのではございませんか? 男性が皆で歌っていたように、今年は女性が歌いましょう」
お母様の助け舟に、わたしはホッと胸を撫で下ろした瞬間、すでに引退しているようなおじい様くらいのハルデンツェルの貴族達がお母様を見ながら楽しげに目を細める。
「おや、久方振りにエルヴィーラ様が歌を?」
「せっかくですから、エルヴィーラ様のフェシュピールを拝聴したいものですな」
エーレンフェストに嫁入りしてから、お母様は実家に戻ることもほとんどなかったようで、老人達が昔を懐かしむように目を細めた。
ギーベ・ハルデンツェルもわたしからお母様へと視線を移して、唇の端を上げる。妹をからかう兄の表情だが、そこには懐かしさも含んだ家族への情が見てとれた。
「あぁ、それはいい。エルヴィーラ、其方が上がれ。まだ歌えるであろう?」
結局、円柱のような台の上で、女性ばかりで歌うことになった。毎年、男性が歌うので、ハルデンツェルの女性も歌詞は覚えていて、誰でも歌えるらしい。
飛び入りというか、思い付きで行われることになった女性達による歌の奉納に、周囲が盛り上がり始める。周囲の期待と要望を断り切れず、お母様はフェシュピールを持って台に上がることになった。
「お父様、わたくしのせいでお母様が……」
お母様の本意ではないのに、どうしよう、とお父様を見ると、お父様はむしろ楽しみであるように、仕方なさそうな顔で立ち上がるお母様を見遣る。
「案ずるな。エルヴィーラの腕前はなかなかのものだ」
「……いきなり嫁自慢ですか?」
わたしは心配しているのに、と思っていたせいで、思わず零れた言葉に、ランプレヒト兄様から堪え切れなかったような笑いが漏れた。周囲も口元を押さえていて、微笑ましいものを見るような生温かい視線をお父様に向ける。
「あら、嫁自慢ですの、カルステッド様?」
茶目っ気たっぷりの視線でお母様がお父様を見下ろした。
ぐっと息を呑んだお父様が周囲を見回した後、ゴホンと咳払いする。
「あ~、ローゼマイン。そういうことは指摘せずに胸にしまっておくんだ。いいな?」
「はい。お父様が時々惚気ていることは胸にしまっておきます」
「後で詳しく聞かせて下さいませ、ローゼマイン様」
胸にしまっておくと約束した直後、お母様に話してほしいと言われた。
……さて、どうしよう?