Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (355)
エントヴィッケルン
フィリーネやリーゼレータを含め、他の皆は城へと戻ったけれど、わたしはアンゲリカをレッサーバスに乗せたまま、ハルデンツェルから直接神殿へと戻った。グーテンベルクを城に連れて行っても仕方がないからだ。
神殿の正面玄関に下りると、すでにプランタン商会から迎えの馬車が来ていた。騎獣からグーテンベルク達を下ろし、ベンノと向き合う。
「グーテンベルクの受け入れ準備が整い、次に向かう場所が決まったら、また連絡いたしますね」
「ローゼマイン様のおかげで、今回の仕事は実に円滑でございました。次の連絡をお待ちしております」
去年の移動に比べると、移動日数も仕事にかかる時間も段違いだったらしい。ベンノは満足そうな笑みを見せる。ザックとヨハンも職人達との真剣なやり取りで得るものがあったことに満足したようだ。
「次までには、設計図の見方を職人に説明できるように練習しておきます」
「オレも、もうちょっとヨハンと職人の間を取り持てるように頑張ります」
グーテンベルク達を見送って神殿の方へと向き直ると、そこにはフラン達側仕えとこめかみに手を当てた神官長の姿があった。
「おかえりなさいませ、ローゼマイン様」
「ただいま戻りました」
「……よく戻った、ローゼマイン。君は私に報告せねばならぬことがあるだろう? ギーベ・ハルデンツェルとエルヴィーラとカルステッドからオルドナンツが飛んできたぞ。不思議なことに、当事者である君からの連絡は全くなかったが」
神官長にじろりと睨まれて、うっ、と息を呑んだ。わたしとしては、聖典に載っているのとちょっと違うね、と指摘して、聖典通りにしてみたら女神様が頑張ってくれたという印象なのだが、どうやら周囲にとってはそうではなかったらしい。皆がオルドナンツで報告するような事態だったようだ。
「着替えが終わったら、わたくしのお部屋にお呼びいたします」
「そうだな。神殿長の聖典にまつわる話になるので、君の部屋の方がよかろう」
神官長がそう言うと、踵を返して戻っていく。わたしはザームとフランに荷物の片付けを任せて、モニカと一緒に自室へと戻り、神殿長の服に着替えた。アンゲリカはダームエルにオルドナンツを送り、神殿での護衛任務に就くように、と要請を出している。
ニコラにお菓子とお茶の準備を任せると、ハァ、と肩を落として息を吐いた。
「気が重いですけれど、神官長を呼んでくださいませ」
「かしこまりました」
ザームが神官長を連れて戻ってくる前に、フランが神殿長に伝わる聖典をテーブルの上に準備してくれた。装飾的で大きな聖典を開き、わたしは問題となったページを開いていく。
「さて、ローゼマイン。話を聞こうか?」
「話と言われても何を話せばよいのでしょう? ハルデンツェルの祈念式で男性によって歌われていた歌は、この聖典によると土の女神の眷属が歌っているのですよ、と指摘しただけなのです」
わたしは聖典を見せながら、自己弁護する。女性に歌わせてみようと決めたのはギーベ・ハルデンツェルだし、わたしを舞台に上げたのはお父様だし、ハルデンツェルに春をもたらしたのは女神様だ。今回は特に何もしていない。
「……このような記述があったのか。神殿長の聖典のみ記述が他と違うという話は初めて聞いたな」
「神官長はこの聖典を読んでいないのですか? 確か、初めての時は神官長が読んでくださったと思っていたのですけれど……」
「あれは前神殿長の許しがあり、これを読んでやれ、と言われたから、君に読んでやっただけだ。許しがなければ、私に記述は見えぬ」
神官長によると、神殿長に伝わる聖典は魔術具の一種らしい。宝石で装飾されているのではなく、魔石で守られているのだそうだ。それは神殿長が代々預かる鍵と連動していると言う。
初対面で読んでくれた聖典は、本当に最初の部分だけだったので、特に変わった記述はなかったそうだ。
「書き写す過程で、古い言い回しを言いやすくするとか、使われていない単語をわかるように書き換えるとか、政治的な圧力がかかって少し書き換えるとか、内容が変わるなんて、よくあることですよ。じっくり比べなければわかりません」
「つまり、君はじっくりと比べたのだな?」
「……古い聖典と新しい聖典で明らかにページ数が違ったので、どこに違いがあるのかは調べました」
神殿長に代々伝わっている聖典は大きくて分厚い。図書室にあった聖典は宝飾を除いても、本文の厚みが違うのだ。それも年代ごとに増えたり減ったりしている。
「青色巫女時代の、なかなか新しい本が増えなかった頃の暇潰しですよ。ついで、と言っては何ですが、前神殿長らしき人が書いていた祝詞の落書きについても調べました」
「祝詞の落書きだと?」
「覚えなくても良いように祝詞が書かれているのです。他にもないか調べた結果、聖典を比べて違いがあるページに落書きが多いことがわかりました」
「……研究成果を提出しなさい。君のことだ。覚書なり、何なり残しているのだろう?」
完全に把握されているのがちょっと悔しいが、その通りだ。気付いた点はいくつか書き残している。
「神官長がご自分で聖典を研究するのではないのですか? わたくしの許可が必要ならば出しますけれど」
「……時間があればする。誰かのせいで、研究しなければならないことが大量にあるのだ」
睨まれたけれど、知らない振りである。その時に必要なことだけがわかれば、後は軽く流しておけばいいのに、深く考えたい人は大変だ。
「今回の発見はエーレンフェストを救うかもしれぬ。祈念式で春の訪れを前倒しできるならば、非常に助かる土地は多いであろう」
エーレンフェストは全体的に寒さが厳しく、雪が深くて冬が長い土地だ。祈念式で春の訪れを調節できるならば、農民にとっても、徴税する貴族にとっても助かることは多いだろう、と神官長は言った。
「そうですね。ギーベ・ハルデンツェルはとてもお喜びでした。春をもたらしたということで、ブレンリュースの実をお土産にいただいたのです」
「ブレンリュースの実だと? あれはかなり稀有な素材だぞ」
神官長が大きく目を見開いた。土地の属性の関係で、滅多に見られない魔木らしい。
「ギーベ・ハルデンツェルもそう言っていました。二ついただいたので、一ついかがですか?」
わたしがハルデンツェルから持ち帰った荷物の中から金色の実を取り出すと、神官長がものすごく胡散臭い物を見る目で、わたしとブレンリュースの実を見比べる。
「……何を企んでいる?」
「回復薬に良い素材のようなので、お薬の改良に使えないかな? と思っただけです」
「エントヴィッケルンでジルヴェスター達にも回復薬が必要になるからな。せっかくなので、使わせてもらおう」
もう少し優しさを加えてくれると嬉しいです、とは口にしなかったけれど、言いたいことは伝わったらしい。神官長はブレンリュースの実で薬の改良を約束してくれた。
エントヴィッケルンに必要な魔力を礎の魔術に溜めるため、領主一族はこれから皆で薬漬けになりながら、魔力を込めなければならないそうだ。
「薬の改良ができ次第、城へと向かう。それまでに君もできるだけ魔石に魔力を溜めておきなさい」
わたしは神官長に空の魔石と回復薬を渡され、薬の改良が終わるまでせっせと魔力を溜めることになった。
……ぶっちゃけ、奉納の儀式や祈念式よりきついんですけど!
数日で薬の改良ができたらしい。神官長が工房から出てきて、「城に向かうぞ」と言った。改良された薬をわたしのレッサーバスに乗せて、城に向かう。魔石がいっぱい入った袋も一緒だ。
すぐに領主の執務室へと呼ばれ、エントヴィッケルンについての話し合いが行われる。
「予想外に多く溜まっているな。これならば、あと二日ほど魔力を溜めれば、エントヴィッケルンを行うことができそうだ」
わたしが持ち込んだ、魔力の溜まっている魔石を見ながら、養父様がそう言った。子供達が祈念式で領地内を回っている間、領主夫妻は神官長の激マズ薬で無理やり魔力を回復させながら魔力を溜めていたらしい。
「エントヴィッケルンを行う正確な日時を下町にも告知してくださいね。各門の兵士達と商業ギルドへ連絡をしてくだされば、平民達に話が回るようにお願いしてあります。それでも、全員に話が回るには時間がかかるでしょうけれど」
「ふむ。では、三日後の5の鐘に行うことに決めておこう。カルステッド、兵士への連絡は頼んだ。エルヴィーラは商業ギルドに連絡を」
「かしこまりました」
その後、わたし達は供給の間に向かい、礎の魔術に魔力を込めていくことになった。それぞれが回復薬を飲めるように、自分の杯を持って供給の間に入る。
大きな魔石が浮かび、天球儀のように魔法陣が光を放ちながら回っている不思議な部屋の隅に、神官長が水差しを置き、自分の杯を準備しているのが見えた。
革の袋に入った魔石も置かれ、ヴィルフリートとシャルロッテは魔石を使って、魔力供給をすることになっている。
「まず、ヴィルフリートとシャルロッテだ。そして、フェルディナンドとローゼマイン、私とフロレンツィアとボニファティウスが行う」
魔力量の似ている者同士でチーム分けして魔力を込めていくのは、同じ目的を持って集合し、同じ祈りを捧げながら魔力を放出すると、 相乗効果で魔力が流れやすくなるため、魔力のない者は危険を感じるほどの流出になる恐れがあるからだ。
一日に一度、魔力の少ない者に合わせて供給を行うならば、このようなチーム分けは必要ないけれど、できるだけ多くの魔力を込めようとすれば、チームを分けておいた方が、効率が良いらしい。
「我は世界を創り給いし神々に祈りと感謝を捧げる者なり」
ヴィルフリートとシャルロッテがわたしの魔力が籠った魔石を手に、陣の上に跪き、祈りを捧げる。わたしが寝ている二年間、領主会議の期間に魔石を使って供給をしていた二人は慣れた様子だ。
こうして他人が祈りを捧げる様子を眺めるのは初めてである。わたしは壁際に立って、二人の体からほんのりと湯気が立ち上るように魔力が薄く揺らめいている様子を見ていた。
ヴィルフリートから薄い緑が、シャルロッテからは薄い赤が見えている。これは魔石を染めた時の色と同じなのだろうか。そう言えば、わたしの魔力が暴走した時には黄色っぽい湯気のような物が見えた、とルッツや家族が言っていた。
「ここまでです」
シャルロッテの声が上がり、二人が魔石から手を離す。その場からゆっくりと立ち上がったシャルロッテが壁際へとやってきて、肩を大きく動かしながら荒い息を吐いた。ヴィルフリートはまだ少し余裕のある顔をしている。
「二人とも杯を」
神官長が水差しを構えてそう言った。回復薬を飲んで、回復させなければならない。祈念式で飲んだことがあるためだろう、二人は顔を引きつらせながら、杯を差し出した。神官長がその杯に薬を注いでいく。
ヴィルフリートがゴクッと息を呑んで、決意を必死に固めたような顔で杯をあおった。
「……ずいぶんと甘いな。これならば、飲んでも苦しくない」
「ブレンリュースの実で改良したのだ。貴重な素材を提供してくれたローゼマインに感謝すると良い」
「ローゼマイン、すごいぞ! 叔父上、私のブレンリュースも渡すので、次からは甘い薬をお願いします」
よほど飲みやすかったらしい。ヴィルフリートが輝く笑顔で薬を飲みきった。シャルロッテも杯に口を付けて、目を丸くし、コクコクと飲む。
「これならば、魔力供給も頑張れそうです」
薬の改良を喜ぶ二人の姿に、養父様と養母様も表情を緩めた。神官長の激マズ薬で回復して魔力を注ぎこんでいたらしい二人にとっても、味の改良は朗報だったようだ。
「ローゼマイン、行くぞ」
「はい」
わたしは神官長と一緒に魔力供給をして、改良版の回復薬を飲んだ。麗乃時代の子供用シロップのような甘みの中に薬の苦味が混ざっているのだが、今までののたうちたくなるような苦みとまずさに比べれば、一気飲みしても全く問題がない味になっている。
……ブレンリュースの実、凄い! ギーベ・ハルデンツェル、ありがとうっ!
わたしが薬を飲んでいる間に、養父様と養母様、それから、おじい様が魔力供給を始めた。
そうして、ぐるぐると順番を交代しながら、魔力を注いでいく。三回目の魔力供給を終えた時に、わたしは目が回るのを感じた。立ち上がるに立ち上がれず、座り込んだまま頭を押さえていると、神官長がわたしに杯を差し出した。
「君の体力を考えると、そろそろ限界だとは思っていた。今日はここまでにしておいた方が良かろう」
わたしは薬を飲みながら、コクリと頷く。魔力はともかく、体力がついてこない。魔石を扱っているヴィルフリートとシャルロッテの方がよほど元気だ。
「ローゼマインは大丈夫か、フェルディナンド?」
「薬を飲んで休めば問題ありません」
神官長が大丈夫だと言っても、おじい様はおろおろと心配そうにわたしを覗き込んでくる。
神官長はわたしとおじい様を何度か見比べた後、わたしから空になった杯を取り上げて下に置いた。そして、突然わたしをお姫様抱っこにしたかと思うと、目を吊り上げるおじい様に見せた。
「ボニファティウス様、手をこの形にしてください。ローゼマインを渡します」
「なぬ!?……こ、こうか?」
おじい様は顔を強張らせ、神官長の腕の形を見ながら、丸を作る状態にする。そんなおじい様の腕に神官長はわたしを無造作に置いた。おじい様の腕がビクッと動く。
「ボニファティウス様、手を動かさないように気を付けて、供給の間から先に出てください。私は他にも持ち帰らなければならない物があるので、ローゼマインをお任せします。リヒャルダに渡せば大丈夫でしょう」
「う、うむ。わかった。細心の注意を払おう。行くぞ、ローゼマイン」
カクカクと一歩一歩動くおじい様の動きに、わたしは落とされないか、ドキドキしながら頷いた。
……だ、大丈夫かな?
供給の間から出ると、それぞれの側近達が待ち構えていた。おじい様に抱えられているわたしに皆が驚きの目を向ける。
「ボニファティウス様!?」
「ローゼマイン姫様!?」
他を押し退ける勢いでやってきたリヒャルダにおじい様はわたしを差し出した。リヒャルダがわたしを抱き上げると、大仕事を終えたかのようにおじい様がやりきった笑みを浮かべて息を吐く。
「リヒャルダ、ローゼマインの具合が良くない。薬を飲ませているので、今日はもう部屋で休ませるように、とフェルディナンドが言っていた。後は頼んだぞ」
リヒャルダに交代するまでビクビクしていたが、落とされることもなく、放り投げられることもなかった。
「ボニファティウス様、ありがとう存じます」
「む? うむ。よく休め」
フッと一度笑ったおじい様がコホンと咳払いして厳めしい顔になって、もう一度供給の間に入っていった。わたしはリヒャルダに抱えられたまま、部屋へと戻り、寝台へと直行である。
そして、エントヴィッケルンが行われる予定の日、十分な魔力が溜まったので、予定通りに5の鐘で行われる、と昼食の席で養父様が言った。
5の鐘に向けて、薬と休憩で体力と魔力をきちんと回復させ、わたしは領主の執務室へと向かう。
「兵士や商業ギルドへの連絡はきちんと行われたらしい。騎獣で下町の様子を見てきた数名の騎士によると、4の鐘の後から一気に人の気配がなくなり、家の窓まできっちりと閉められた状態になっているようだ」
そんなお父様の報告があり、領主の血を引く上級貴族のみが入室を許された執務室で 、リヒャルダに見送られ、フロレンツィア、ボニファティウス、神官長、ヴィルフリート、シャルロッテ、そして、わたしが供給の間に入る。
領主である養父様は、一人で礎の魔術がある場所に向かうらしい。そこでエントヴィッケルンを行うことになるのだそうだ。わたし達の役目はエントヴィッケルンでほぼ空になる礎の魔術に魔力を供給することである。
「準備はよろしいですか?」
養母様の指示に従い、魔法陣の上に跪いた状態で待っていると、養母様の腰に下げられているベルがリンリンリンと可愛らしい音を立てた。養父様の準備が終わった合図だ。
「我は世界を創り給いし神々に祈りと感謝を捧げる者なり」
養母様の祈りの言葉に続いて、わたし達も祈りを捧げる。礎の魔術がほぼ空になっていくせいだろう、魔力がどんどんと吸い取られていくのがわかる。
「ここまでです!」
シャルロッテの悲鳴のような声に皆が一斉に魔力供給を止める。これからは、また少しずつ魔力を注いでいけばよいらしい。
供給の間から出ると、ぐったりとした様子の養父様がやってきた。
「皆の協力に感謝する。エントヴィッケルンは成功した。あとは下町の人間がどうするか、だ」
「大丈夫ですよ。きちんと美しく保ってくれます」
今日は魔力も体力もまだ余裕がある。
「養父様、わたくし、下町がどのように変わったのか、見に行きたいです」
「騎士団が終了の連絡を入れるために門へ向かうことになっている。それと一緒に行けば、護衛は十分だろう」
養父様が神官長の薬を飲みながら、わたしに騎士団と共に出かける許可をくれた。
「ここには副団長を残してくれれば良い。カルステッド、見回りとローゼマインの護衛を頼む」
「かしこまりました」
ダームエルとアンゲリカ、そして、十名ほどの騎士団の皆様と一緒にわたしは早速下町へと繰り出した。何をしでかすのかわからないという理由で、神官長も一緒である。
完全に窓や扉が閉ざされて、人が一人もいない下町の様子が眼下に見えているけれど、あまり綺麗になっている様子は見られない。
「……全く変化がないように見えるのですけれど」
「地下が変わっただけで、表はほとんど差がないからな。よく目を凝らせば、汚物を捨てるための場所が見えるぞ」
神官長に言われて、身体強化でよく目を凝らせば、道路の端の方にはマンホールのように蓋の付いた部分がある。その部分だけが白く綺麗だ。
「これでは困りますね」
「やはり、全て変えるべきだったか……」
神官長が「これでは意味がない」と呟いた。これまでの魔力供給も、下町との連携も何もかも無駄だと判断されては困る。わたしは慌てて神官長を止めた。
「いやいや、ちょっと待ってください。下町を綺麗にすれば良いのですよね? 街ごと洗浄しましょう」
「……君は何を言っている?」
「ほら、今ならば誰もいませんから。こんな感じで……ヴァッシェン!」
わたしはシュタープを出して、下町の一部に水球を落とした。その部分だけが洗浄されて綺麗になった。その様子を見て、神官長が信じられないものを見る目をわたしに向ける。
「ローゼマイン、ヴァッシェンで下町全てを洗浄するつもりか? 君は馬鹿か?」
「エントヴィッケルンのやり直しで、下町全部をひっくり返される方が困ります! それならば、街の洗浄くらい頑張りますよ」
兵士達も商業ギルドも下町を綺麗に保つと約束してくれたのだから、そのためのお膳立てには全力を尽くすつもりだ。
わたしがシュタープに魔力を込め始めると、神官長が「待ちなさい」と止める。
「君のやり方には無駄が多い」
「え?」
「広域に魔力を広げるには、魔法陣を使った方が、効率が良いのだ。カルステッド、アウブ・エーレンフェストに広域魔術を使う報告をせよ。ローゼマインはこれに魔力を込めるんだ。……スティロ」
神官長がシュタープを取り出し、空中に魔法陣を描き始めた。
短い詠唱で最小限のことができるように、長い歴史の中で改良されてきたけれど、広域で大きく魔術を使うには魔法陣を使う方が、魔力的な効率は良いらしい。
わたしが手渡された5つの魔石に魔力を注いでいる間に、シュタープで魔法陣が描かれていく。それほど大きくはない魔石なので、魔力で染めるのにそれほど時間はかからない。
「ローゼマイン、魔石の準備は良いか?」
「はい」
わたしが神官長に魔石を渡すと、神官長は魔法陣に向かって次々と魔石を投げた。今わたしが染めた5つだけではなく、さらに8つの魔石が投げられる。磁石が惹きつけられるように魔石が魔法陣の特定の位置に飛んでいき、輝き始めた。
「癒しと変化をもたらす水の女神 フリュートレーネよ 側に仕える眷属たる十二の女神よ 御身に捧ぐは命喜ぶ歓喜の歌 祈りと感謝を捧げて 清らかなる御加護を賜わらん あるべき姿を取り戻すため 清き流れをこの地に」
神官長の祈りと共に魔石が光りを増し、魔法陣が緑の光を帯びながらぐるりと回る。直後、13の魔石を中心に魔法陣が分裂した。
そして、13の魔法陣が下町の上空へと飛んでいき、それぞれから一気に水が放たれる。滝のような水が下町に一斉に降り注ぎ、大洪水を起こすかと思うようなうねりを見せて路地を駆け抜けていく。
ただし、それは十秒にも満たない時間のことだった。
水は消え、下町が輝きを取り戻した。二階までは貴族街と同じような白を取り戻し、増築されている木造部分も薄汚い汚れは消えている。
「すごい! すごいです、フェルディナンド様!」
「使ったのは君の魔力だ」
「でも、フェルディナンド様でなければ、こんなことできませんよ! ね、お父様?」
わたしが綺麗になった下町に興奮しながらそう言うと、お父様は苦笑する。
「其方等、エントヴィッケルンで魔力が尽きているのかと思えば、ずいぶんと余裕があったのだな」
「フェルディナンド様のお薬はすごいのです。ブレンリュースの実で飲みやすくなって、さらにすごくなったのですよ。うふふん」
「だが、君の体力のなさは如何ともしがたい。今は興奮していて、自覚がないようだが、なるべく早く休んだ方が良いぞ」
門の兵士にエントヴィッケルンの終了を報告し、わたしは城へと戻った。
やはり、少し無理をしすぎたようだ。神官長が言った通り、自室に戻ってホッとした瞬間、倒れた。
わたしが完全に復活して自由に動き回る許可が出るのと、領主夫妻が領主会議へ向かうのは同日だった。