Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (356)
留守番中の生活 前編
熱が下がっても、すぐには寝台から下りる許可が出なかった。リヒャルダによると、神官長の言いつけだそうだ。熱が下がってから二日間はおとなしくさせておくように、と本を預かっているらしい。「良い子にしていないと、本はお預けですよ」と言われた。
もちろん、わたしは良い子なので、寝台でおとなしく本を読んで過ごす。魔法陣の基礎に関する本だった。属性を示す記号やら、神様を象徴する記号やら、新しい言語を覚えなければならない感じだ。本というよりは辞書である。筆跡から察するに、神官長が書いた物だ。
……こういう辞書を持たずに、あんなにスラスラと魔法陣を空中に描ける神官長ってすごいよね。
「フィリーネ、一緒にこれを覚えませんか?」
「……すごいですね」
わたしは魔法陣の勉強をまだ受けていないフィリーネを枕元に呼んで、一緒に記号の勉強をしつつ、二日間ののんびり読書タイムを楽しんだ。
「さぁ、姫様。急いで支度をしてくださいませ。今ならば領主夫妻のお見送りに間に合うかもしれません」
領主夫妻の見送り前に自由に動き回っても良いか、神官長が確認をすることになっているらしい。わたしは北の離れに一番近い面会室へと向かうように言われた。その面会室では神官長が待ち構えていた。
難しい顔で、わたしの額や首に触れて、軽く息を吐く。
「顔色も悪くはない。体温、魔力、共に安定しているな。動き回っても問題なさそうだ。あぁ、先程領主夫妻が領主会議に向かったが、君のことを心配していたぞ」
なんと、すでに領主会議に出発してしまったらしい。リヒャルダが見送りに間に合うかどうか、気を揉んでいたが、ダメだったようだ。
会議に向かう者は全員リンシャンで磨きをかけ、女性は髪飾りを付け、文官達に植物紙をたくさん持たせて、城の料理人を数人連れて、領主会議という戦場に赴いたらしい。
「……フェルディナンド様は神殿にいなくて良いのですか? 去年は神殿から離れられない、と言っていましたよね?」
「今年は側仕えとカンフェルとフリタークに任せてきた。日中はなるべくこちらの執務室に詰めておくつもりだ。ジルヴェスターから緊急の呼び出しがあるかもしれぬ」
今年の領主会議は不安要素が多すぎる、と神官長がわたしを軽く睨みながら言った。確かに流行に関することも、婚約に関することもわたしが絡んでいるけれど、どちらも最終的に決めたのは養父様である。わたしだけのせいではないだろう。
わたしにとっての不安要素は、打ち合わせした文官が何人もついていて、緊急時には神官長に呼び出しがかけられる養父様ではない。むしろ、呼び出される神官長の方だ。
「フェルディナンド様、日中はこちらに……ということは、夜は神殿に戻るつもりですか?」
どれだけ無理のある生活をするつもりか、とわたしが神官長を睨むと、フンと軽く鼻を鳴らす。
「私のことは気にしなくて良いので、君は自分の側近や兄妹と交流を深めなさい」
交流を深める中で貴族の常識を知り、わたしのずれたところを側近達に知ってもらうように努力しなければならないそうだ。お互いにどの程度ずれているのかわからなければ、修正しようもないだろう、と呟いた。
「フェルディナンド様、貴族間の交流はどのように深めれば良いのですか?」
「……異性である私よりもエルヴィーラに尋ねた方が良かろう」
「わかりました。お母様に聞いてみます」
毎日の魔力供給を欠かさずに、側近達と交流を深めることが、今回のわたしの課題らしい。夕食時には今日の出来事を神官長に報告しなければならないそうだ。神殿でもそんなことをしていないのに、と思いつつ、わたしは頷いた。
自室に戻って、わたしはお母様にオルドナンツを飛ばした。どのように交流を深めると良いのか、聞いてみた。お母様からの返事は「共同で物事を行い、会話をすると良いですよ」ということだった。
共同で行わなければならないことはある。皆でシュバルツ達の衣装作りだ。これはシャルロッテ達も一緒に行うのだ。
ハルトムート達、文官の手によって薄らと描かれた線の通りに刺繍をしていかなければならない。文官達によって線が描かれたので、ここから先は女の子達の出番である。ダームエルとコルネリウス兄様に護衛を任せて、護衛騎士見習いの女の子達も含めて、刺繍をするのだ。
布も糸もすでにわたしの魔力で染めているし、神官長に言われて、消えるもこもこインクで魔法陣は描いてある。わたしが触ったら、魔法陣が光って浮かび上がるので、極力触らないように、と神官長には言われている。消えるインクの存在はなるべく知られない方が良いらしい。
「一年生のローゼマイン様、フィリーネ、それから、シャルロッテ様には魔法陣はまだ難しいでしょうから、こちらの刺繍をお願いいたしますね」
わたしとシャルロッテとフィリーネはエプロンのポケットになる部分の刺繍を任された。少々間違っても問題ない偽物の魔法陣部分である。間違ってはならない複雑な魔法陣は細かい作業が得意な者に任せる。適材適所だ。
「ライゼガング伯爵はハルデンツェル伯爵のお言葉で、ローゼマイン様を次期領主にすることは一旦諦めるようですよ。よほど情勢が変わらなければ、このまま様子見だそうです。ハルデンツェルで何かございましたの?」
ブリュンヒルデにそう言われて、わたしはシャルロッテを見た。「何かあったっけ?」と首を傾げるわたしと目が合うと、シャルロッテが軽く肩を竦めながら、わたしの代わりに答えてくれた。
「お兄様を優先し、支えていく姿勢を見せたことが大きいのではないかと思います。お兄様とお姉様は仲が良いので、少し安心したのではないでしょうか」
……ほぅほぅ、なるほど。
わたしがシャルロッテの言葉に納得して頷いていると、シャルロッテは軽く溜息を吐いた。
「お姉様を社交の方面で支えるのが、わたくしの役目のようですね」
一番刺繍を頑張っているのは、リーゼレータとアンゲリカの姉妹だ。二人はとてもよく似た真剣な眼差しで刺繍をしている。シュミルが大好きで、シュバルツ達の衣装を作るのが楽しくて仕方がないリーゼレータと、ノルマの刺繍を終えたら自分のマントに刺繍をしたいアンゲリカなので、その真剣さには方向性の違いがあるけれど、刺繍の腕は目を見張るものがある。
「リーゼレータもアンゲリカも刺繍が得意なのですね」
「あら、ローゼマイン様も決して不得手ではないでしょう? あまりお好きではないようですけれど」
クスクスと笑いながらも、リーゼレータは刺繍をする手を止めない。花嫁修業として刺繍の練習はさせられるので、貴族女性にそれほど下手な女性はいないと言う。次期領主の第一夫人となるならば、ある程度の刺繍の腕は必須になるらしい。
「レオノーレもそちらの魔法陣の刺繍をするのですか?」
「えぇ、せっかくの機会ですから、わたくしも図案を覚えたいのです。これほどに高度な魔法陣をじっくりと眺められる機会は少ないですし……」
レオノーレが魔法陣の刺繍をしながらそう呟くと、ブリュンヒルデがキラリと飴色の瞳を輝かせた。
「レオノーレは魔法陣をどなたかに贈られる予定なのですか? それとも、すでにマントに刺繍を手掛けるお約束でもございまして?」
ブリュンヒルデがそう言った途端、アンゲリカを除く皆の視線がバッとレオノーレに向かった。その表情や回答を心待ちにしている雰囲気には麗乃時代でも覚えがある。恋愛話だ。恋愛話に花を咲かせるのはどこでも変わらないものなのだろうか。
皆の視線が集まったレオノーレは困ったように笑う。
「それは、その……できれば、マントに刺繍できるような立場になりたいとは思っておりますけれど、特別なお約束などございませんわ。すでに意中の方がいらっしゃるようですし……」
レオノーレは美人だし、頭が良いし、上級貴族で生まれも良いし、頑張れば振り向かせられるかもしれないとは思う。けれど、こちらの恋愛事情は個人の感情だけではどうにもならないようなので、無責任な発言はできない。変に焚きつけるのは止めて、疑問解消を優先しよう。
「マントに刺繍ができるのは特別なのですか?」
「そうです。マントに刺繍ができるのは、自分自身、親子、夫婦だけなのです」
ハンカチのような布に刺繍して好きな人に渡すのが女性からの告白になるらしい。「わたくしはこんな魔法陣の刺繍ができます。貴方のマントに刺繍をしたい」という思いが込められているのだそうだ。何でも、マントに刺繍をするのは夫婦間でなければできないそうで、夫のマントに刺繍するのは妻の特権らしい。
……あぁ、貴族院の恋物語の「私のマントに刺繍して欲しい」という口説き文句で、ときめきどころがわからなかったけれど、プロポーズの言葉と同等の意味があったのか。やっぱり恋愛小説は難しいね。
「ローゼマイン様もヴィルフリート様のマントに刺繍するためには、腕を磨かなくてはなりませんね。突然、魔法陣の刺繍が欲しい、とねだられるかもしれませんよ」
「ローゼマイン様ならば、きっとすごい魔法陣の刺繍をしてくださるでしょう。今から楽しみですわ」
……いやいや、そんな期待されても困るからね。
「ユーディットも熱心に刺繍していらっしゃるけれど、もうどなたか想う方がいらっしゃるの?」
「いいえ、わたくし、アンゲリカを見習って自分のマントに刺繍をするのです。わたくしは中級貴族で、他の方よりも魔力が低いですから、少しでも底上げしたいのです。そして、アンゲリカのように魔剣を育てて強くなりたいです」
そう力説するユーディットのポニーテールがふわふわと揺れる。髪型もアンゲリカの真似っこだ。アンゲリカは成人したので、ポニーテールを三つ編みにしてぐるりとまとめているので、もう髪型が同じではないけれど。
「お姉様を目指すのは、あまりお勧めできません、ユーディット。ご自分の良いところを見つめて伸ばす方が良いですよ」
リーゼレータがそう言うと、当人のアンゲリカが隣でコクコクと頷いた。アンゲリカは自分の得意なところだけを伸ばした結果だ。欠点は全て置き去りになっている。
「ユーディットはどうしてアンゲリカに憧れているのですか?」
「ローゼマイン様から魔力を与えられた魔剣を扱い、貴族院の剣舞に選ばれ、ボニファティウス様の愛弟子と言われ、エックハルト様とご婚約されているのですよ。憧れない方がおかしいではありませんか!」
そう主張するユーディットの菫色の瞳には焦燥感が見てとれる。わたしは首を傾げてユーディットを見つめた。
「ユーディットはアンゲリカへの憧れを力説しているけれど、わたくしには焦燥感の方が強いように感じられます。何に対して焦っているのですか?」
「え?」
目を丸くした後、ユーディットは困ったように笑った。
「それは……その……やっぱり焦りますよ。上級騎士が多い中の中級騎士ですし、アンゲリカは上級騎士並みの魔力を持っていますし、下級騎士のダームエルの方が今はわたくしよりも魔力が多いのですから。……それに、貴族院に一人だけ置いていかれましたし、あまり護衛任務に就けていません……」
同じ中級騎士でもアンゲリカとは大きな差がある。ユーディットは数人の弟妹がいるお姉ちゃんで、弟妹達のためにも良い働きをして認められなければならないのに、護衛騎士の中で一番魔力が低いらしい。これから成長するので、そのうちダームエルには勝てると思うけれど、それではダメなのだそうだ。
「ダームエルは下級騎士ながら、神殿時代からローゼマイン様に信頼されて、一番に魔力圧縮を教えていただいたのでしょう? 中級騎士くらいの魔力に伸びていますし、ローゼマイン様にも、アンゲリカにも一番信頼されています」
「護衛任務に没頭しようと思うと、ダームエルはとても頼りになるのです」
アンゲリカがニコリと笑ってそう言った。わたしには「頭を使う仕事が丸投げできるので」という隠された言葉が聞こえたけれど、ユーディットには聞こえないようだ。
ユーディットは菫色の瞳をきらめかせて、拳を握って立ち上がった。
「これだけアンゲリカに信頼されているのですよ。まずは、打倒ダームエルなのです。わたくし、ダームエルには負けませんっ!」
ユーディットが中級騎士として目指す目標はアンゲリカで、ライバルはダームエルらしい。ユーディットのライバル宣言は、喧嘩する気もない大型犬に向かって子犬がキャンキャン吠えているような感じで、何とも微笑ましい。「うんうん、頑張れ」と言いたくなる。
「わ、わたくしもっ! わたくしも負けませんっ!」
突然、フィリーネがそう言って立ち上がった。
「下級貴族ですけれど、中級貴族並に魔力が伸ばせることをダームエルは証明してくださいましたもの。わたくしも頑張ります。ローゼマイン様の側近として恥ずかしくないように、ダームエルのように信頼が得られるように努力します」
あらあら、と周囲の皆が力説するユーディットとフィリーネを見て、クスクスと笑い合う。周囲の視線に気付いた二人がハッとしたように頬を染めて、恥ずかしそうな顔で座り直して、刺繍の続きを始めた。
「わたくしの側近は皆、頑張り屋さんですね。その調子で切磋琢磨すると良いですよ。ただね、ユーディットはアンゲリカの真似をしても強くなれませんよ。魔剣も多分魔力の無駄遣いです」
「え?」
「だって、得意なのは剣ではないでしょう? ユーディットは弓や投擲が上手いのですから、アンゲリカを真似て剣の腕を磨くのではなく、投擲の腕を磨き、百発百中を狙った方が良いと思いますよ」
ディッター勝負の時にリュエルの実を魔獣に食べさせることができたのはユーディットの腕が良かったからだ。別に得意ではない剣を鍛える必要はないと思う。
わたしがそう言うと、ユーディットだけではなく、他の護衛騎士達も驚いたようにわたしを見た。学生の騎士見習い達は基本的に剣を持っているので、騎士は剣を持つ者だと思っていたらしい。
「投擲を極めれば、魔力がなくても石は投げられるし、魔力を込めるのに集中している時に石を当てられたら、集中が切れますよ。革袋に砂を詰めて、敵に当てても怯ませることはできますし、上手くいけば視界を奪えます。剣だけが戦いの道具ではありません。せっかくなので、得意なところを伸ばしましょう」
わたしの言葉にシャルロッテがひくっと頬を引きつらせる。
「……お姉様、それは騎士の戦いではないのでは……」
「あら、シャルロッテ。護衛騎士が戦い方にこだわりなど持ってはならないのですよ」
「え?」
「護衛騎士がやるべきことは護衛対象を守ること。綺麗に戦うことではありませんもの。いくらでも奥の手を持っておくべきです」
魔獣相手でも、人が相手でも、大事なのは護衛対象を守ることだ。相手がどのような手段を使ってくるのかわからない時に騎士らしい戦いなど意味がない。
「フェルディナンド様はその時に応じて何でも使います。トロンベ退治の時には矢が分裂していく弓、弱いけれど数が多い魔獣を相手にした時には投げ網でした。もちろん、剣も使いますし、鎌を手にした姿を見たこともあります。武器を使いながら、魔石を投げて爆発させることもできると言っていました。フェルディナンド様のように、一人でこれだけたくさんのことができる者は少ないでしょうけれど、剣以外の武器を主に使っても良いと思いますよ」
わたしの言葉にユーディットが「考えてみます」と呟いた。
その日の夕食の席で今日はシュバルツ達の衣装の刺繍をしたことを述べ、「わたくしの側近達は皆、努力家です」とわたしが報告すると、シャルロッテが「お姉様の社交はわたくしがなるべく補佐するようにいたします」と神官長に向かって決意表明した。
もちろん、側近達と行うのは刺繍だけではない。フェシュピールの練習もするし、わたしのリハビリのために騎士達の訓練場にも向かう。
見習い達が訓練している間、成人で訓練の時間が違うアンゲリカは、扉を守りつつ、見習い達の訓練を見ている。
わたしは魔術具を外して少しずつ腕を動かしたり、足を動かしたりリハビリをするのだ。だが、なかなか動かなくてイライラするので、身体強化をしたくなる。
「ローゼマイン様、微量ですが、魔力が流れています。こっそり身体強化をしないでください」
見極めを行うのはダームエルだ。微量すぎる魔力を感じ取れるので、ダームエルはいつもこうしてリハビリに付き合ってくれる。
「ローゼマインはもう無意識に身体強化を行うことができるようになっているのか?」
リハビリを見守るおじい様が驚いたように目を見開いてそう言った。無意識ではない。ズルをしようとして意識的だ。わたしはすいっと視線を逸らす。
「おじい様、学生達はどうですか? 少しは連携が取れるようになってまいりましたか?」
「いや、まだまだだ。攻撃することばかりを考えて、守りを全く考えていない。あれでは護衛はできぬ。……やる気があるのだけが取り柄だな」
護衛対象を意識しながら戦えるようにならなければ、護衛騎士に取り立てられることはない、とおじい様が言った。守るべき対象をきちんと認識していないトラウゴットのような騎士を増やしてはならない、と。
わたしやヴィルフリートと同時期に在学する以上、護衛騎士でなくても、護衛任務くらいはできなければ困るらしい。
「少し訓練を見てみるか?」
おじい様に、身体強化を使わずに訓練場が見える位置に移動するように言われ、わたしはゆっくりと動きながら、訓練場が見える位置へと移動した。窓から見習い達が訓練している様子が見える。武器を持った騎獣に乗った見習い達が飛び交っていた。
「ローゼマインは護衛騎士を増やさぬのか? その、神殿に向かうのに成人女性が必要だとカルステッドから聞いたが……」
「アンゲリカが成人しましたから、成人女性は必要ありません。むしろ、コルネリウス兄様が卒業した後の護衛騎士が必要になります。トラウゴットが辞任したので」
神殿での護衛は灰色神官の側仕え達と上手く付き合ってくれる人でなければ難しい。今のところはアンゲリカとダームエルで十分だと思っている。
必要なのは、貴族院での護衛騎士見習いだ。トラウゴットが抜けた今、その部分を補える人材が欲しい。
「でも、難しいのですよ、わたくしの護衛は」
「虚弱で、いつ倒れてもおかしくないからか?」
「違います。一番付き合いが長くて、信用している騎士はダームエルなのです。ですから、ダームエルと上手くやっていけない人は困ります」
わたしの言葉におじい様が何かを思案するように目を細めた。
「ローゼマインはダームエルの解任を考えていないのか? カルステッドもフェルディナンドも首を横に振っていたが……」
今まで領主一族の護衛騎士に下級騎士が任命された前例がないので、下級騎士を外して、上級や中級の騎士を護衛騎士にする方が良いという意見は根強い、とおじい様は言う。
「わたくしは神殿長で、孤児院長です。神殿や孤児院に立ち入り、神殿の側仕えと協力して仕事ができる上級騎士がいれば、喜んで護衛騎士にしますけれど、現実は難しいですよ。神殿と聞くと、顔をしかめる方が多いですからね。わたくしは神殿育ちですから、そのような顔をされるとあまり良い気分にはなりません。出世のためならば、と考える下級貴族や中級貴族の方が、わたくしにはよほど使いやすいのです」
「そうか……」
おじい様がゆっくりと息を吐いた。「それは難しいな」と呟く。神殿育ちで神殿長をしていても、わたしは可愛い孫娘だが、神殿に対する忌避感はおじい様にもあるらしい。
「これからは文官が印刷業に関する打ち合わせのために出入りすることになりますから、護衛騎士見習いでも神殿までは出入りできるように、養父様と交渉するつもりです。神殿に立ち入ることができない騎士は、わたくしには必要ないのです」
ダームエルやアンゲリカ、コルネリウス兄様が神殿に出入りしたことがある、と言っているせいだろう、レオノーレもユーディットも神殿に対する嫌悪感を剥き出しにすることがない。わたしにとってはとても良い感じなのだ。この雰囲気を壊す人は困る。
「ですから、中級か下級騎士から探すつもりです。それに、わたくしの護衛騎士には他にも条件があるのですよ」
「まだあるのか?」
「はい。神殿では神官長のお手伝いをしなければなりません。エックハルト兄様もお手伝いをしているのです。アンゲリカは扉にかじりついて、護衛任務から離れませんけれど、そんな騎士は二人も三人もいりません。わたくしの護衛騎士には最低限の文官仕事もこなしていただくことになります」
おじい様がクッと笑いを漏らし、ダームエルの方へと視線を向けた。
「ダームエルが適任というのは、文官仕事が優秀という意味か?」
「えぇ、アンゲリカの分も頑張っていますよ」
「別にアンゲリカの分を頑張りたくて頑張っているわけではありませんから!」
ダームエルがそう主張すると、おじい様は更に声を上げて笑う。
そこにユーディットが入室許可を求めているとアンゲリカが声をかけてきた。わたしが許可を出すと、ユーディットが泣きそうな顔で飛び込んでくる。
「もう回復薬がありませんっ! 採集に行く許可をください、ローゼマイン様! このままではわたくし、特訓が受けられません!」
おじい様の特訓のせいで、見習い達への特訓は非常に厳しいものになっているらしい。それで、次々と回復薬を使うので、ユーディットは貴族院の講義中に作った分がもうなくなってしまったそうだ。
他の騎士達に売ってもらうことも考えたが、皆、自分で使うために置いておきたいらしい。今、騎士団では回復薬の需要が高くなっているのだ。ユーディットは自分で作らなければ、薬が手に入らない状態になっている、と訴える。
許可を出すのは良いけれど、わたしは不思議で仕方がなかった。
「採集とはどこでするのですか? 見習いは貴族街から出てはならないでしょう?」
わたしが首を傾げると、ユーディットは「城の森です」と言った。
貴族街で育ち、貴族街から出ることがないダームエルやユーディットのような見習いは、城の中にある森や下町の者は立ち入り禁止とされている貴族の森で、貴族院の調合で使う基礎的な素材の採集をするそうだ。
……採集か。いいなぁ。
ルッツやトゥーリと一緒に森へ出かけていた頃の記憶が蘇ってきて、ひどく懐かしくてたまらなくなった。
わたしはポンと手を叩いて、おじい様を見上げる。
「おじい様、護衛任務の実習をいたしましょう」
「む?」
「わたくしも採集に行きます。わたくしを守りながら、騎士見習い達が採集するのです。おじい様が監督役として同行してくだされば、万が一の心配はないでしょう?」