Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (362)
イタリアンレストランへ行こう
次の日、わたしは会合に関する神官長への報告をフランに任せ、神殿で過ごしていた。
朝食後にエラを呼びだしてもらい、「結婚祝いです」と髪飾りをあげたら、感激のあまり泣かれたり、ロジーナとフェシュピールの練習をしていたら、神殿へとやってきたフィリーネに感心されたり、奉納舞のお稽古をしていたらハルトムートに「奉納舞では祝福は出ないのですか?」と聞かれたり、いつも通りなのに、いつもと少し違う時間になった。
3の鐘が鳴ったら、文官見習いと護衛騎士を連れて、神官長のところへお手伝いに行く。扉の前を死守するアンゲリカ以外の側近達に仕事を割り振った神官長がわたしを呼んだ。
「ローゼマイン、フランからの報告を受けた。衣装を仕立てるために一度城へと戻るのか?」
「夏の衣装ですから、急がないと、できあがる時には夏が終わってしまいますもの。それに、お母様達に染め物の催しに関する話もしなければならないのです」
「ふむ。まぁ、いいだろう。それから、下町の商人達に声をかけるため、イタリアンレストランへ向かうということだが……君を野放しにするのは危険であること、また、エントヴィッケルン後の下町の様子が気になるため、私も同行する」
「神官長が新しいメニューを食べたいだけではございません?」
トッドを通じて、神官長が買い上げたレシピ以外は教えていない。神官長の専属料理人も色々と工夫して新しいメニューに挑戦しているらしいことはザームから聞いていたが、イタリアンレストランのメニューが気になっているに違いない。
わたしの言葉に、神官長は軽く片方の眉を上げただけで何も答えなかったが、否定しなかったことで、その答えがわかる。
「私が行くことは決定事項だが、ジルヴェスターには黙っておけ。少しでも漏らしたら、間違いなくやってくるぞ。大騒動だ」
「領主自ら声をかけてくれれば、商人達のやる気はグンと上がると思うのですけれど……」
「春の成人式までに行くのだろう? 今は珍しく積み上げられた仕事をこなしているのだから、邪魔はしない方が良い」
神官長は何が何でも養父様の来訪を阻止したいようだ。養父様が来たら、事が大きくなるので、黙っていることには基本的に賛成である。
「それから、孤児院長室の家具を入れ替えるか否か、という話だが……」
フランはしっかりハルトムート達の言葉も報告していたらしい。お金の無駄遣いは嫌だな、と思っていると、神官長が「孤児院長室はあのままでよかろう」と言った。
城からの文官を呼んで、会議を行う時は、正面玄関から程近い貴族区域の部屋を使うことになるらしい。貴族である文官を孤児院へ呼びつけるわけにはいかない、というのが神官長の言葉だった。
「それに、神殿へやってくる貴族達に青色神官達がどのような接触をするのか、わからぬ。目の届く範囲にしか、文官の立ち入りを許さないつもりだ」
「家具を買い替える必要がないのならば、それで良いのです」
「あぁ、その部屋も、前神殿長が使っていた、引き取り手のない家具が残っているので、それらを利用するつもりだ」
もったいない精神は大事ですよね、とわたしが頷いていると、神官長が軽く肩を竦めた。
「ただし、君は領主の養女として、自分の格に相応しい家具を周囲に準備しなければならないことは覚えておきなさい」
わかりました、と答えたわたしに、神官長は「次に準備するのは、結婚の時であろう」と言った。まだまだ先の話である。
「神官長、追加で質問なのですけれど、側近へのご褒美には何をあげればよいのでしょう? わたくし、神殿の側仕えやグーテンベルクには書字板を与えたり、服を与えたりしていますし、孤児院の者が頑張った時にはデザートを付けたり、一品加えてみたりしているのですけれど、貴族の側近に与える物が思い浮かばないのです」
女の子ならば、色違いの髪飾りや新作リンシャンでも良いだろうし、これから作られる新しい染めの布でも良いかもしれない。けれど、男の子にあげる物が全く思い浮かばない。
「報酬分を働いているのだから、よほどの功を立てない限りは褒美など必要なかろう」
領主一族の側近という名誉を得ているので、わたしが主に相応しくあることが一番大事なのだそうだ。
……でも、神殿の側仕え達とすごく差ができると思うんだよね。
「よほどの功を立てた場合は、どのような褒美を与えるのですか?」
「紋章入りの物だ。……気軽に渡すような物ではないので、与えたいと思う時は必ず周囲に相談するように」
「わかりました」
そして、4の鐘までお手伝いをして、昼食を終えた後、わたしはオトマール商会のフリーダに向けて手紙を書いた。
イタリアンレストランに行く許可は下りたけれど、神官長という保護者が同行すること、それぞれが護衛騎士を二人と側仕えを一人、連れて行くこと、同席する他の客に関する情報が欲しいことを記す。城から戻って、体調を崩しても大丈夫なように、五日後から春の成人式三日前までの期間で、フリーダ達に都合の良い日を指定してもらうことにした。
「ギル、これをオトマール商会へ届けてちょうだい」
「かしこまりました」
手紙をギルにお願いすると、わたしは側近達を連れて城へと戻る。
ギルベルタ商会に衣装を誂えてもらうつもりであることをリヒャルダに伝えたら、ものすごく喜ばれた。
「まぁまぁ! 姫様がご自分から衣装を誂えようとするのは初めてではございませんか?」
衣装に関しては側仕えに任せっぱなしで、基本的に「何でもいいよ」という状態なので、わたしが衣装に関心を示したことがリヒャルダにとっては嬉しいらしい。
「フロレンツィア様やエルヴィーラ様にもお声をかけて、衣装を誂えましょう」
二年間眠っているうちに、十歳になってスカート丈が変わってしまったわたしは、体が成長していなくても、服がないのだ。一気に仕立てを頼むために、ギルベルタ商会に加えて、養母様やお母様の専属針子達も呼ぶことになった。
二日後には針子達が呼ばれ、衣装の注文が始まる。養母様とお母様とシャルロッテが一緒に衣装を選んでくれるらしい。気が付いたら、染め物に手を出していたわたしが、また突然妙な流行を作り出さないか、よくよく監視しておかなければならないそうだ。事後報告では足りないらしい。
……ごめんね。ちょっと思いついただけで、別に悪気があったわけじゃないんだよ。
当日はコリンナを始め、ギルベルタ商会の針子が数人やってきたけれど、そこにトゥーリの姿はない。行儀作法を習って頑張っているけれど、まだ城に上がれるようにはなっていないようだ。
それを残念に思いながら、わたしはコリンナが広げてくれたトゥーリのデザインを指して、この衣装が欲しい、と養母様達に訴えた。冬に使ったスカートのバルーンが可愛かったから、とねだると、養母様とお母様とシャルロッテがデザインを覗き込み、次々と修正案を出し始める。
「この辺りの飾りがもう少し欲しいですわね。少し寂しい感じですもの」
「胸元の花飾りはこれでよいでしょうけれど、スカートの花飾りを少し大きくした方が良いのではないかしら?」
「色は何色が良いかしら? 夏ですし、やはり、青でしょうね」
「お姉様の髪の色が映えるように、薄い青が良いと思います。それに白のレースを多用いたしましょう。涼しげに見えるでしょう」
貴族らしく、布やレースをもっとたっぷりと使うことになったけれど、基本的なデザインは通してもらえたことにホッと安堵の息を吐く。却下されなくて良かった。
トゥーリがデザインしてくれた、涼しげな水色の衣装の注文が終わると、他にも側仕え達がデザインを選び始めた。ここではブリュンヒルデがとても張り切っていて、リヒャルダと二人、ああでもない、こうでもないと真剣にデザインを選んでいる。
養母様達にお茶を配って回るリーゼレータが全く衣装の方へと近付かないのを見て、わたしは首を傾げた。
「リーゼレータはあまり意見を言わないのですね。衣装にはあまり興味がないのかしら?」
「わたくしは冬の衣装の誂えを待っております。ローゼマイン様の衣装とシュバルツ達の衣装に少し繋がりを見せるのです」
冬は譲りません、とリーゼレータが楽しそうに笑った。シュバルツ達とお揃い、とはいかなくても、雰囲気を似せた衣装を一着は作るのだ、と静かに野望を燃やしている。
……楽しそうだから、まぁ、いいか。
「そういえば、夏の終わりか、秋の始めに行う染色の催しですけれど、どこで開催しましょう?」
わたしはリーゼレータが淹れてくれたお茶を飲みながら、養母様とお母様へ視線を向けた。染められた布をわたしだけが見るのならば、神殿に職人を呼ぶのが手っ取り早かったのだが、養母様やお母様が参加する時点で、神殿での開催は消えた。城で行うのが無難だが、職人を城に入れるのは難しい。
「たくさんの貴族を招くのですから、城でしょうね」
「職人を城に入れるのですか?」
養母様の意見に、わたしが目を瞬くと、お母様がわたしの言葉に驚いたように目を見張った。
「職人を城に入れるわけがないでしょう? 何を言い出すのです? 新しい流行となる染めの布を品評しながら、お茶会を開催するのですから、下町の職人が出入りしたら見苦しいではありませんか」
……確かに、トゥーリでさえ城に上げてもらえないんだもん。行儀作法の教育を全く受けてない職人じゃ無理だよね。
染色工房の職人が来るのならば、母さんに会えるかと思ったけれど、現実はそう甘くない。
色々と話し合った結果、染色工房からギルベルタ商会が布を預かってきてもらう。そして、壁際にそれぞれの工房名と染められた布を飾ってもらい、わたし達はお茶会を楽しみながら、好みの布に投票したり、気に入った工房を専属に指名したりすると決まった。
城でやることを終えたら、わたしは神殿に戻る。今日は見習い達の訓練があるので、同行する護衛騎士はダームエルとアンゲリカだけだ。領主一族の文官は三日後に騎士団での訓練があると今からフィリーネが青い顔をしている。おじい様の怒号だけで、頭が真っ白になって竦みあがって動けなくなるらしい。
「実際に襲撃を受けたら、怒号も飛びますし、敵からの攻撃も飛んできますから、竦みあがっていたら、自分が危険ですよ。フィリーネが危険から逃れるためです。しっかり訓練してきてくださいませ」
そんな話をしながら、わたしは染色コンペについて決まったことを手紙に書いていく。ギルド長とギルベルタ商会と染織協会に知らせておかなければならない。
ハルトムートが手紙を見て、目を細めた。
「ローゼマイン様は平民相手にずいぶんと細かく連絡するのですね」
「えぇ。貴族側が望んでいることをわかりやすく説明することで、両者の行き違いをなるべく減らすのです。情報を与えておくと、上手く立ち回ってくれますよ」
わたしはハルトムートに書き上げた手紙を渡して、同じ文面で二つ手紙を書いてもらう。一つはギルド長、一つはギルベルタ商会、一つは染織協会に宛てなければならない。
ハルトムートが手紙を写し、フィリーネはハンネローレの本の写本をする間、わたしはフリーダから届いていた返事に目を通す。貴族に対して書くことに慣れた文面に、練習を重ねたことがわかる綺麗な文字が綴られている。
ずいぶんと分厚い手紙で、同席することになる客の名前と所属する店の名前、どのような物を扱っている店なのか、も合わせて書かれている。最も紹介客の多い者や頻繁に利用している者や最近の収益についても細かな情報が書かれていた。
イタリアンレストランに向かう日付が書かれていた。五日後だ。同時に、神官長やわたしが食べられない物、苦手な物がないか、問いかけている。好みがわかれば尚嬉しいそうだ。
「フラン、ザーム、神官長が食べられない苦手な物をご存知ですか? あと、好んで食べる物があれば、教えてくださいませ」
「召し上がることができないくらい苦手な物は特にないと存じます。出された物は何でも口にしておられますから」
「イタリアンレストランで召し上がったスープを最も好んでいるようです。神官長の望むフーゴの味が、神官長の専属料理人にはなかなか出せないと伺ったことがございます」
側仕えネットワークで入手されている情報を二人が教えてくれた。わたしはそれをメモしながら、うーん、と考える。せっかくなので、一つレシピも書いておこう。
わたしはフリーダに苦手な物や好みを書き、パンナコッタのレシピと、膠を作る時に作ったゼラチンを少し紙に包んで同封してあげる。
……新しいレシピに食いついてきたら、ゼラチンの作り方を売って、今度から作ってもらってもいいかも。
「ザーム、これをオトマール商会に届けるようにギルに頼んでちょうだい。それから、神官長に日時をお知らせしておいてくださいませ」
「かしこまりました」
わたしはフリーダへの手紙を託し、神官長に日時を知らせるようにザームに頼むと、フランと一緒にイタリアンレストランへ向かう準備について話し合う。
「護衛騎士は神殿から出て下町に入るので、ダームエルとアンゲリカで決定でしょう? 側仕えはどうしましょう? 下町に向かうのだから、城の側仕えに来るように、とは言いにくいですよね」
「私が同行いたします。一度、足を運んだことがございますし、準備する物も心得ておりますから」
フランに任せておけば心配ないようだ。わたしはコクリと頷いて、了承した。
そして、当日。4の鐘が鳴る頃には店に到着できるように、と時間を見計らった馬車がフリーダから寄越された。少し古い型の馬車が一台と、最新の新しい馬車が一台である。
食器を持ち、給仕のために色々と準備することになる灰色神官の側仕えと楽器を演奏するロジーナが古い型の馬車に乗り込んで、先にイタリアンレストランへ向かった。
側仕えとロジーナが乗った馬車が出発するのを見送り、わたしとアンゲリカ、神官長とユストクスがピカピカの新しい馬車に同乗する。馬車の周囲はダームエルとエックハルト兄様が護衛することになった。
「どうしてユストクスがいるのですか? 給仕には神殿の側仕えを使うと言っていましたよね?」
「今回は護衛代わりです、ローゼマイン姫様」
ユストクスによると、神官長は還俗してからも、城以外ではあまり周囲に人を置いていないそうだ。今回、下町に向かう護衛騎士がいなかったため、ユストクスが頭数を合わせるために同行することになったらしい。
「ユストクス、自分が行きたいから騎士達に連絡をしなかったのと、下町に行きたがる騎士が少ないのは別だ」
「普段から神殿や下町に行きたがる騎士が少ないので、気を利かせたのです。下町の富豪向けで、紹介がなければ入れない店に入れるのですから、この機会は大事にしなければなりません」
一見さんお断りで、下町にある高級食事処というのは、ユストクスでも簡単には入れないらしい。上級貴族のユストクスとしては下町に向かえないし、下町にいる者として違和感なく変装してしまうと、今度は大店の商人から紹介してもらえるだけの付き合いや権力がなくなってしまう、と言った。
……ユストクスをシャットアウトできるなんて、一見さんお断りって、なかなかすごいシステムかもしれない。
わたしが感心していると、馬車が動き始める。神官長が少しだけ眉根を寄せながら、馬車の中を見回した。
「ずいぶんと揺れが少なくなっていないか?」
「これは、わたくしが提案して、グーテンベルクのザックが新しく設計した馬車なのです。早速ギルド長が取り入れたようですね」
わたしがザックはすごいのですよ、と自慢していると、神官長がものすごく難しい顔になった。
「グーテンベルクというのは、印刷業に関わる者と考えていたのだが、馬車の設計をするのか?」
「鍛冶工房の職人ですもの。印刷業だけではございません。ポンプを作ったのもザックですよ。神官長も会ったことがあるでしょう?」
「……あぁ、あの職人か。グーテンベルクは印刷業を広げるのに忙しいと思っていたが、このような開発ができるということは、ずいぶんと余裕があるのではないか?」
神官長の言葉にわたしは肩を竦めた。
「余裕はないですけれど、街と関わる他の仕事もしなければ、パトロンとの繋がりが切れてしまいますからね」
「下町の職人も色々と面倒なのだな」
今までは門を出ると、道が汚れて汚く、ひどい悪臭がしていたのだが、エントヴィッケルンとヴァッシェンのおかげで、下町は生まれ変わっていた。
貴族街と同じように白い道と、二階までは白い建物が続いている。その上には木造の建物があるのだが、ヴァッシェンで綺麗になったようで、街全体が生まれ変わったように見えた。
「すごいですね」
「……これならば、他領の商人が見ても見苦しくなかろう」
神官長も満足したようで、下町を見回している。下町の住人の行動によっては、すぐに汚れるのではないか、と心配していたけれど、どうやら美しさも維持できているようだ。
きっと父さん達が頑張ってくれている結果だろう。
綺麗になった街並みは、わたしが知っている下町とは全く違う場所に見えて、少しだけ落ち着かない気分で周囲を見回しているうちに、イタリアンレストランの前に到着した。
すでに皆が待ち構えているらしい。イタリアンレストランの従業員によって扉が開かれると、扉をくぐったばかりのホールに二十名強の大店のオーナーが揃って跪いているのが見えた。そこには、ギルド長、ベンノ、オットーの姿もある。
貴族に向ける長々しい挨拶をギルド長が述べ、わたし達は食堂へと案内される。四角のテーブルがずらりと並べられていて、大勢で食事をするための場が整えられていた。
わたしと神官長は一番奥に席が準備されているようで、先に到着していたフラン達が奥で待っているのが見える。ロジーナも奥にいて、すでにフェシュピールを構えて奏でていた。
「ローゼマイン様はこちらですわ」
柔らかな演奏の中、フリーダの案内を受けて、わたしは席へと向かう。ダームエルが扉を守り、アンゲリカがわたしは側に立つことになった。神官長のところは、ユストクスが扉の前に立ち、エックハルト兄様が神官長の後ろに立つようだ。
わたしの席には、神殿で愛用しているクッションがすでに椅子の上に置かれていて、一目でわかった。高さが調節されているのを見ながら、わたしはフランに座らせてもらう。すでにテーブルの上には食器が準備されていた。
わたしと神官長が長い長方形の短辺に隣の席で座り、付近にはギルド長やベンノ、オットーなどの顔馴染みが並んでいる。イタリアンレストランで売り上げに貢献してくれている店主やベンノ達と協力体制にある店主が並び、席が遠くなるほど、わたしにはあまり馴染みがない店主になるという席順だ。
……知らない人に囲まれるよりは、知っている顔が近くにある方が安心できるから、ちょっとホッとしたよ。
わたしはベンノやオットーに視線を向けて、少し笑って見せた。
「本日は集まってくださってありがとう存じます。皆様がこの店をご愛用してくださっていることは、経営を担っているフリーダから伺っております」
わたしは特に頻繁に利用してくれている者や紹介客が多い者の名を挙げて、感謝の言葉を述べた。イタリアンレストランにも力を入れているのですよ、ということをアピールしておくのだ。
まさか名指しで感謝されると思っていなかったらしい店主達が驚きに目を見張り、誇らしげに笑った。領主の養女に名を憶えられているということは、これから先のお気に入りに一歩近付いていることを他者に示すことだからだ。
「わざわざ集まっていただいたのは、エーレンフェストを代表する大店の皆様にお願いすることがあるからです」
わたしはそう言いながら、皆を見回す。端と端で一番遠くの店主は顔も見にくいけれど、こちらに注目しているのはわかった。
「エーレンフェストは大きな転換の時を迎えています」
わたしは、貴族院を通じてエーレンフェストの流行が他領に広がったこと、一応制限はかけてあるけれど、他領からの商人が多く訪れることを告げる。
「アウブ・エーレンフェストはこれを機に他領への影響力を強めたいとお考えです。そのためには、皆様の協力が必要なのです」
他領の商人を迎え入れるために、大掛かりな魔術が行われたことを述べ、その街並みを保つことは下町の平民達にかかっていることを説明した。
ちらりと神官長に視線を向けると、「そのまま続けなさい」と軽く頷いてくれる。
「街並みを美しく保つだけではダメなのです。これまで、それだけ多くの商人を迎え入れたことがないエーレンフェストの街は、大勢の商人の来訪に混乱に陥るでしょう。すでに高級な宿の不足がグスタフより指摘されております」
わたしの言葉に皆が頷いた。「来年には一つ二つの宿が増やせるかもしれませんが、今年は間に合いません」という店主の声も届く。
「商人の歓待は皆様にお願いすることになります。他領の街について、色々と話を聞いてください。その情報によって、商人達の受け入れも変化させていくことができます。貴族の協力が必要な事態があれば、わたくしができるだけの協力をいたしましょう。商業ギルドへと情報を集めてくれれば、こちらでも考えます」
貴族側からの協力姿勢を見せることがないせいで、驚いている店主達が多いけれど、ここでやる気を出してくれなければ、他領との取引が上手くいかなければ、エーレンフェストの皆が困る。領主も貴族も平民も皆である。
「それから、夏の終わりにアーレンスバッハから二人の花嫁がやってくることが決定しました。おそらく、彼女達を迎え入れるために急ぎの仕事が増えることになるでしょう」
新しい家具の誂え、祝宴が開かれるために、食材が多く必要になり、衣装を仕立てる者や装飾品を求める者も増える。貴族の結婚には経済効果があるけれど、忙しい中に仕事が増えることになるのだから大変だ。
「そして、秋の始めには新しい催しも企画されています。こちらは染織協会とギルベルタ商会が中心になって行うことですけれど、領主夫人を始め、上級貴族が何人も関わる催しになります。そして、わたくしの専属を決め、印刷のグーテンベルクに等しく、職人に服飾に関する称号を与える予定ですから、服飾に関わっている店の者にはできるだけ協力をしていただきたいと思っています」
ざわりと店内の雰囲気が変わる。「新しい称号だと?」と声が上がる中、オットーはすまし顔で座っている。
話の切れ目を察したフリーダが近付いてきて、「食事を運びましょうか?」と声をかけてくれた。
食事を運ぶ従業員が出入りし始め、飲み物が注がれていく。フランが注いでくれたのは、少し甘い匂いがするジュースだ。
その後、フランがお皿に盛りつけてくれた前菜は、ポメとチーズとハーブのカプレーゼもどきと、ブロッコリーやカリフラワーのような花野菜の焼き物である。フリーダの説明によると、花野菜は一度コンソメでじっくりと煮込まれたあと、じゅわっと焼き上げてあるらしい。食べたら、スープの濃厚な味わいが楽しめるそうだ。
皆に飲み物と食事が行き渡るのを待って、神官長が立ち上がる。
「幾千幾万の命を我々の糧としてお恵み下さる高く亭亭たる大空を司る最高神、広く浩浩たる大地を司る五柱の大神、神々の御心に感謝と祈りを捧げ、この食事を頂きます」