Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (387)
奉納舞と調合・オルドナンツ
「ただいま戻りました、ローゼマイン様」
ハルトムートが仕入れてきてくれた騎士物語を読んでいると、ブリュンヒルデとリーゼレータが側仕え達の集まりから帰ってきた。側仕え達の集まりは春から秋の間に起こった事の情報交換や今年の主達の動向についてそれとなく話を通しておく大事な集まりらしい。
「こちらをローゼマイン様に。音楽の先生方からの招待状でございます」
音楽の先生方の側仕えも集まっていたようで、ブリュンヒルデから招待状が渡された。お茶会は三日後だそうだ。こちらに打診がほとんどなく決まってしまった予定にわたしが首を傾げていると、ブリュンヒルデが困ったように微笑んだ。
「エーレンフェストの二年生が全員合格を勝ち取ったことがすでに先生方の間に広がっているようで、今ならばローゼマイン様の予定がないでしょう、とおっしゃられたそうです。わたくし達の成績や学習の進度も把握していらっしゃるようでした。先生方が相手でもお断りできるように、わたくし、もっと精進しなければなりませんね」
ブリュンヒルデがそう言って少し悔しそうに唇を尖らせる。去年初めて先生方に招かれるようになったエーレンフェストでは、先生方の招待を断るのは難しい。もっと上手く立ち回りたいと情熱を燃やしているので、ブリュンヒルデに任せておいて問題はなさそうだ。
「ローゼマイン様、二年生の社会学ではエーレンフェスト以外から合格者が出なかったことが、先生方や他領でずいぶんと噂になっているようです」
リーゼレータがそう言って軽く微笑んだ。
「色々な意味でエーレンフェストが注目されていますし、二年生が全員合格して座学を終えていることは広く知られているので、ローゼマイン様の社交も増える可能性がありますね」
リーゼレータの予想にブリュンヒルデが首を傾げた。
「社交が増えるのはシャルロッテ様ではないかしら? ローゼマイン様が奉納式で不在になる頃から社交シーズンに入って、お茶会のお招きが増え始めますもの」
「……わたくし、シャルロッテのためにもできるだけ社交を頑張らなければなりませんね。お姉様として」
社交シーズンにはいなくなってしまうのだから、貴族院にいる間だけでも頑張らなければならないだろう。やる気に燃えるわたしを見ながら、リーゼレータがクスクスと笑う。
「ローゼマイン様、妹というのは姉に頼られると、成長を認められたようで嬉しいものですから、ある程度の社交をシャルロッテ様にお任せしても良いと思われますよ」
リーゼレータの言葉に、そう言えばわたしもトゥーリに褒められたり、「コリンナ様に会いたいの」と頼られたりすると張り切った記憶がある。シャルロッテを褒めたり、頼って成長を促したりするのも姉の役目ということだろうか。
「……素敵なお姉様になるのは難しいですね。わたくし、頼りになるお姉様になりたいのですけれど」
「まぁ。ローゼマイン様でなければならない先生方とのお茶会や本の貸し借りをするダンケルフェルガーとのお茶会を確実に終えるだけでも、頼りになるお姉様だと思いますけれど。先生方や上位領地のお茶会はお招きを受けることが、これまでのエーレンフェストではほとんどなかったのですから」
先生方や上位領地とのお茶会に全力を注ぐことを決意したわたしは、ブリュンヒルデやリーゼレータを中心にリヒャルダとロジーナを加えて、音楽のお茶会の打ち合わせを始める。土産物や準備する新曲について話し合っているうちに6の鐘が鳴り響き、夕食の時間となった。
夕食には下級貴族の一年生が一人、顔を見せていたけれど、まだ他の一年生は部屋から出られないようだ。
「ヴィルフリート様、ローゼマイン様、エーレンフェストから返事が届きました」
夕食後、イグナーツというヴィルフリートの文官見習いが転移の間にいる騎士から預かった手紙を持って来てくれた。そして、受け取ったハルトムートが目を通し、わたしに渡してくれる分と自分が読む分に分けていく。
「こちらがローゼマイン様宛てですね。これはコルネリウス。君の母上からのようです」
コルネリウス兄様が非常に嫌そうな顔で手紙を受け取り、目を通し始め、天を仰ぐようにして頭を抱えた。何が書かれていたのか、頭の痛いことが起こったようだ。
コルネリウス兄様の表情から察するに、エスコート相手を教えろという催促か、隠しているつもりですでにバレていたか、どちらかだと思う。コルネリウス兄様の様子を横目で見て、軽く肩を竦めた後、わたしは自分の手紙に目を通した。
神官長からの返事だったが、ヴィルフリートやハルトムートから報告が上がっていたわたしの行いについては特に触れられておらず、「君とは平穏という言葉の意味について話し合うところから始めなければならないようだ」という匙を投げたかのような言葉だけで済まされている。
それ以外は「ミズデッポウという新しい武器に関しては私が確認をするまで人目に触れさせるな」とか「どうしても出なければならない社交以外はシャルロッテに任せるようにしなさい」とか他にもいくつか細々とした指示が出されているだけだ。
……あれ? お叱りの言葉が全然ないんだけど?
わたしは何度か読み返し、続きがないのか確認して、首を傾げた。これまでならば、お叱りの言葉が数枚分くらいは入っているはずなのに、たった一行で済まされている現状が逆に怖い。
「ハルトムート、本当に報告したのですよね? わたくしが寝台で水鉄砲を使って天幕に穴を開けてしまったこと……」
「フェルディナンド様からお叱りの言葉がありましたか?」
「す、少しだけです……」
ハルトムートに読まれないように手紙を自分で抱え込んでいるうちに、何だかどんどんと不安になってきた。
……わたし、もしかしたら、叱る価値もない子だと思われるようになったんじゃ?
神官長は匙を投げた相手に関しては自分の邪魔にならない限り、視界に入れないタイプだ。そして、邪魔になった時は問答無用で排除する。
……ど、どどど、どうしよう!? 怒られない方が不安だよ。ああぁぁ……。
「ローゼマイン様、それほど大変なことが書かれていたのですか? ずいぶんと顔色が悪いようですが」
「大丈夫です。わたくし、フェルディナンド様の指示通りにいたしますから!」
……良い子にするからちゃんと怒ってください、神官長!
夢の中で神官長にくどくどと怒られてちょっとだけホッとして目が覚めた朝。自分で採ってきた「神の意志」を馴染ませ終わった一年生がちらほらと朝食の食堂に戻ってきているのが見える。下級貴族より上級貴族の方が時間はかかるようで、シャルロッテはまだ部屋から出て来ない。
「私も土の日だけでは間に合わず、水の日のお昼近くになるまで時間がかかっていたから、シャルロッテも昼食には下りてくるだろう」
ヴィルフリートの言葉に軽く頷きながら、わたしはシャルロッテの部屋がある上へと視線を向けた。
「午後からは奉納舞ですけれど、大丈夫でしょうか?」
「一年生は上級生のお稽古を見るのが一番大事だったであろう? それほど心配しなくても、稽古の時間は長くない」
そう言われて、自分が去年の奉納舞のお稽古ではエグランティーヌの舞をじっと見ていたことを思い出した。確かに一年生のお稽古の時間は長くない。上級生が優先される。今年の卒業生にはエグランティーヌに匹敵するような素敵な舞を舞える人がいるだろうか。ちょっと楽しみになってきた。
奉納舞は領主候補生が全学年勢揃いするお稽古だ。領主候補生以外は剣舞であったり、音楽であったり、それぞれに決められたお稽古をすることになっている。
無事に「神の意志」を取り込んで昼食を摂ったシャルロッテとヴィルフリートと一緒に小広間へ向かえば、すでに何人もの領主候補生がいた。慣れた感じで学年ごとに分かれて、お稽古を始めているのが見える。
「では、上級生にお手本を見せていただきましょう。一年生や二年生はよく見ていてくださいませ」
先生の言葉で、最上級生と五年生がお稽古を始めたけれど、今年の最高学年にはエグランティーヌのようにパッと目を引く人はいない。見てすぐにわかる領主候補生はドレヴァンヒェルのアドルフィーネとフレーベルタークのリュディガーだけだ。
アドルフィーネは風の女神の位置で舞っている。ドレヴァンヒェルの領主候補生にはピッタリだ。ただ、今年の光の女神は風の女神よりも見劣りする気がする。本当はアドルフィーネが光の女神をした方が良いのではないだろうか。
リュディガーは命の神の位置で舞っていた。何というかイメージが違いすぎて変な感じだが、領地の順位を撥ね退ける程の実力もないということだろうか。
最上級生の一群から少し離れたところでは五年生が舞っている。五年生のうちに役が決まっていくようで、誰の表情も真剣である。その中にダンケルフェルガーのレスティラウトやアーレンスバッハのディートリンデが舞う姿が見えた。やはり大領地の領主候補生として、闇の神や光の女神を狙っているのだろうか。
……意外とレスティラウト様の舞が上手いね。軸がしっかりしていて、舞っている時の安定感があるみたい。ダンケルフェルガーで鍛えられているのかな? ディートリンデ様は……うん、普通。エグランティーヌ様と比べちゃダメだよね。
上級生が舞うのを見た後は、三年生や四年生のお稽古も始まる。二年生と一年生は場所が空くまで、去年と同じように他の学年のお稽古を見ながら待機だ。
「ローゼマイン様、シャルロッテ様。ごきげんよう」
「ごきげんよう、アドルフィーネ様」
休憩時間になると、アドルフィーネがにこやかに近付いてきた。大領地ドレヴァンヒェルの最上級生が10位のエーレンフェストの下級生のところへ真っ直ぐにやってくるのだから、周囲の注目を集めているのが嫌でもわかる。
うひぃ、と内心びくついていたわたしと違い、シャルロッテはにこやかに笑いながら一歩前に出た。
「やはり上級生はお上手ですね。わたくし、うっとりと見惚れていました」
「まぁ。シャルロッテ様もお稽古を続ければ、これくらいは舞えるようになります。継続が大事なのです」
アドルフィーネはにこやかにそう言いながら琥珀の瞳でシャルロッテを見つめる。親睦会でシャルロッテがロックオンされたことを思い出し、わたしは慌ててシャルロッテを隠すように前に出た。お姉様として妹を守らなくてはならないのだ。
「アドルフィーネ様は風の女神なのですね。ドレヴァンヒェルの領主候補生にはとてもよく合っていると思いました。……力量を考えると、アドルフィーネ様が光の女神でも良いと思うのですけれど」
「ローゼマイン様のお言葉は嬉しいのですけれど、わたくしの中で光の女神はエグランティーヌ様が舞うものなのです。わたくしが舞うものではないと思っていますの」
その意見は理解できる。やっぱり光の女神はエグランティーヌが一番似合うと思う。わたしが同意していると、アドルフィーネがクスクスと笑いながら、お茶会の話題を出してきた。
「ローゼマイン様のお茶会の予定はいかが? エーレンフェストは優秀ですから、ずいぶん早くから社交が始められるのでしょう?」
「座学が終わるのは早いのですけれど、実技にはまだ時間がかかりますし、シャルロッテもお招きいただいているので、少し先のことになりそうです」
一年生は優秀な成績を収めるために少し時間をかけることに決めている。シャルロッテは一年生の最優秀を目指すようで、少しでもミスをなくそうと頑張っているのだ。
「実技はどうしても時間がかかりますもの。わたくしもなるべく早く終えるつもりでいるのですけれど、下級生と同じようには参りませんから」
講義内容は上級生の方が難しく、課題も多くなるので、どうしても社交に入る時期が遅くなる。「もちろん、ローゼマイン様がエーレンフェストに帰還される前にはお茶会ができると思いますけれど」とアドルフィーネが言った。
「お話したいことがたくさんございますもの。楽しみにしていますね」
にこやかにアドルフィーネが去っていくと、待ち構えていたようにディートリンデがヴィルフリートとリュディガーを連れてやってきた。
「ごきげんよう。今年も従姉弟同士でお茶会を開きたいと考えているのですけれど、いかが? シャルロッテを歓迎する意味も込めて」
去年と違って、非常に優しい笑顔でディートリンデが提案してきた。シャルロッテもにこやかに応じる。
「わたくし、これまで親族と会う機会がございませんでした。ですから、とても嬉しいです」
シャルロッテの笑顔に頷きながら、ディートリンデは従姉弟同士のお茶会の予定を立てていく。去年と同じように社交シーズンが始まってからの予定なので、どうやら今年もわたしは参加できそうにない。
「ディートリンデ様、大変申し訳ございません。わたくし、その時期は貴族院を離れていますから……」
日取りをちょっとずらしてほしいな、とお願いしようかと思ったら、ディートリンデが悲しげに眉尻を下げて、残念そうに溜息を吐いた。
「まぁ、ローゼマインはまた不参加ですの? 残念ですけれど、大事なお務めですものね。わたくしが我儘を言うわけには参りませんもの。仕方がありませんわ。シャルロッテは参加できるのでしょう?」
「え、えぇ……」
シャルロッテがわたしを気遣うように視線を向けてくる。神殿の務めがあるので、社交シーズンにいない。それは周知の事実なので、ディートリンデに日取りを変える気がないならばどうしようもない。
ディートリンデは時々面倒で嫌らしいことをする人なので心配だが、ヴェローニカ同様に身内には甘いタイプのようだ。シャルロッテは身内認定されているようだし、ヴィルフリートもいるので大丈夫だろう。
「あの、ローゼマイン様……」
「さぁ、休憩は終わりですよ! 上級生はこちらで、下級生はこちらです」
ハンネローレの声が聞こえた瞬間、先生の声がかかった。ハンネローレが「あ」と小さく呟いたのが聞こえたけれど、終わってしまったものは仕方がない。軽く手を振って笑みを交わしただけでハンネローレとの交流は終わりとなった。
……ディートリンデ様と話をするよりハンネローレ様と図書委員について話をしたかったよ。
休憩を終えると、下級生の奉納舞のお稽古である。わたしの場合、奉納舞のお稽古で大事なのは、真剣に神に祈らないことだ。神殿にいる間もずっとお稽古させられていたので、妙な祝福が飛び出すこともなく、無事に合格をもらうことができた。「よくお稽古されていらっしゃいます」と先生は褒めてくれたけれど、これはお稽古を日常に組み込んだ神官長やロジーナの成果である。
そして、次の日の午前中は来年の自習と、ハルトムートにヒントをもらった魔法陣の作成で時間を過ごし、午後には調合服に着替えて、調合の実技に向かう。
「本日はオルドナンツの調合を学びます。どの階級においても最も使用頻度が高い魔術具ですから、複数準備した方が良いでしょう」
そう言いながら、ヒルシュールが壁に貼られた白い布にオルドナンツの調合手順を映し出した。回復薬の時にも使った魔術具なのでもう誰も驚かない。皆が淡々と書き写していく。オルドナンツの調合をしたことはないけれど、手順自体は神官長の参考書にあった。参考書をまとめる時に書き写してあるので、もう写す必要はない。わたしとヴィルフリートは調合の準備を始めた。
「ローゼマイン様、お手本をお願いいたします」
「……ヒルシュール先生、わたくし、オルドナンツは調合したことがないのですけれど」
「大丈夫です、ローゼマイン様ならば」
ものすごく適当なことを言いながら、ヒルシュールが今回の調合のために持参した材料を抱えて前へと持って行く。材料がなければ、調合はできない。わたしは諦めて前へと向かった。
「では、手順通りにどうぞ」
わたしはたくさんの生徒に見つめられる中、前に映し出されている手順通りに調合をしていった。
まず、羊皮紙に書かれている通りの魔法陣を魔力で書くペンで書きこみ、魔法陣に間違いがないか、ヒルシュールに確認してもらう。
次に、鍋をヴァッシェンで洗浄する。
そして、調合鍋に風の属性の鳥から取った魔石を入れて、「バイメーン」でシュタープを変化させた混ぜ棒でぐるぐると混ぜていく。
「あ、解けてきた」
わたしの調合鍋を覗き込んでいた生徒達が声を上げた。魔石の形が崩れて黄色のでろりとしたゲル状になってきている。
「完全に解けてしまってから、この魔法陣を入れます」
ヒルシュールの声に合わせて、わたしは一度皆に見えるように羊皮紙を上げた後、調合鍋に入れた。羊皮紙が一瞬で解けて、黄色のゲルに魔法陣が焼き付いた。それを更にぐるぐると混ぜていく。腕がだるくなっても、魔力を流し続けるのが大事だ。
混ぜるうちに、今度はどんどん硬くなっていく。鍋にべったりとへばりついていたのが段々まとまっていって、最終的にはカランカランと音を立てて鍋の中を転がるようになるのだ。
一瞬カッと光ればできあがりである。周囲から「わぁ!」と歓声が上がった。
「ご覧になりますか?」
黄色の魔石にしか見えないオルドナンツを鍋から取り出すと、近くにいた生徒達に見えるように置いた。生徒達が興味深そうに顔を近付けてくるのがちょっと面白い。
「注意すべき点は、魔法陣に間違いがないこと、完全に魔石が解けてから魔法陣を加えること、できあがるまで魔力を切らさず丁寧に流し続けることです」
わたしが鍋を洗浄し、手早く後片付けをしている間、ヒルシュールは先生らしく調合する時の注意点を述べた。
真剣に聞いていた生徒達が自分も調合に取り掛かろうと席に戻っていくのを見て、ヒルシュールはわたしにシュタープを出すように言う。
「きちんと使えるかどうか、試しましょう。ローゼマイン様、わたくしにオルドナンツを送ってくださいませ」
わたしはシュタープで軽くオルドナンツを叩いて、ヒルシュールに向かって「できました」と飛ばしてみる。間違いなく作れたようで、黄色の魔石から白い鳥へと変化し、ヒルシュールのところへ飛んでいったオルドナンツは三回「できました」と言って石に戻った。
「大変結構ですね」
「ヒルシュール先生、わたくし、先生の助手ではございませんよ。お手本と言いながら失敗したらどうするのですか?」
今回は成功したから良かったけれど、回復薬と違って初めての調合だったのだ。お手本と言われながら失敗したら、目も当てられない結果になってしまう。「先生がお手本を見せれば良いでしょう」とわたしが不満を漏らすと、ヒルシュールが軽く肩を竦めた。
「あれだけ安定して魔力を流しているのに、このような初歩の調合で失敗するはずがないではありませんか。それに、ローゼマイン様はフェルディナンド様の弟子ですから、わたくしの弟子のようなものでしょう?」
「え? 違うと思います」
勝手にヒルシュールの弟子にされても困る。神官長と違って、わたしには徹夜で魔術具談義ができるような体力もやる気もない。
「それに、お手本を見せるたびにわたくしのオルドナンツが増えても困るのです。優秀な弟子がお手本を見せるのが一番合理的ではありませんか」
「ですから、わたくしは弟子ではないと……」
わたしが反論するよりも早く、ヒルシュールがニコリと笑った。
「ローゼマイン様、わたくし、研究成果をまとめて図書館に新しい本を寄贈しようと考えているのですけれど……」
……新しい本ですと!?
ついつい反論の口を閉ざしてしまったわたしを見て、ヒルシュールがニッと赤い唇の端を上げた。
「一番に見せるのは弟子だと決めているのです」
……悪魔の誘惑だ! ダメダメ! よく考えて! そりゃできれば一番に読みたいよ。読みたいけど、別に一番じゃなくてもいい。読みたいけれど、大丈夫。我慢できる。ヒルシュール先生の弟子という肩書の方がきっと後々大変なことになるはず。我慢だ、我慢。
「うっ……。わ、わたくしは弟子ではありません」
断腸の思いでわたしはヒルシュールの言葉を振りきった。
……やったよ。わたし、悪魔の誘惑を振りきったよ。誰か、褒めて!
しかし、悪魔は諦めが悪かった。わたしが断ったのを意外そうな目で見下ろし、少し首を傾げる。
「……ローゼマイン様、残り時間、魔法陣の確認をするための助手を務めて下さったら、特別に一番にお貸しいたしますよ」
そんなに助手が必要なら、最初から連れてくればいいでしょう! と答えるつもりだったのに、口から出たのは何故か正反対の言葉だった。
「この時間だけならば助手をいたしましょう。……でも、弟子ではありませんからね」
結局、悪魔の誘惑を完全に振り払うことはできず、わたしは残りの講義時間をヒルシュールと並んで魔法陣のチェックをして過ごすことになった。おかしい。こんなはずではなかったのに。
「なんだ、ローゼマイン。其方、ヒルシュール先生の助手になったのか?」
「今日だけです」
むぅっと唇を尖らせながら、わたしはヴィルフリートの書いた魔法陣に目を走らせる。
「……ヴィルフリート兄様、ここの記号が逆さまです。書き直してくださいませ」