Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (40)
フリーダの髪飾り
フリーダの家を出て、わたしとルッツは帰途に就く。
にこやかに見送ってくれたはずなのに、命からがら逃げ出してきた気分なのは何故だろう。甘い物を食べて、お話をしただけなのに、森に行くより疲れた気分なのは何故だろう。
「おや、やっと商談がお済みですか?」
「マルクさん?」
ベンノの店の前を通り過ぎようとしたら、マルクに呼び止められた。
明日、午後から今日の報告に来るように、と言われていたので、今日はそのまま帰るつもりだったが、マルクがニッコリと笑って、店に来るように手招きした。
「旦那様がやきもきしていらっしゃるので、予定では明日でしたが、今、報告いただいてよろしいですか?」
「……はい」
勝手に2個目を半額にしてしまったことを、どう責められるだろうと考えただけで胃がキリキリするので、さっさと報告を終わらせてしまいたい。
「旦那様、マインとルッツを通してもよろしいですか?」
「おぅ、通せ」
開かれたドアの向こうにはさっさと来いと言わんばかりに机をタンタン叩くベンノの姿があった。
「……マイン、どうだった? あのじじいの孫娘は」
「えーと、とても可愛らしい、噂に違わないお嬢様でした」
「取り繕った報告は良い。どう思った?」
せっかくオブラートに包んで表現したのに、ベンノはパタパタと手を振って、本音で話せと言いだした。
「正直、外見と中身が違いすぎて、ビックリしました。でも、単にお金が大好きというだけではなく、洗礼前から身近にいるギルド長をよく観察して、お金を増やしたり、事業の拡大を狙ったりしているなんて、商売人としてはすごい才能だと思います」
「お前がすごいと思うのか……」
ベンノがガシガシと頭を掻いて、ハァ、と溜息を吐いた。
「えーと、何て言うか……可愛いけど、変わった子だったよね、ルッツ?」
万感の思いを込めて言うと、ルッツは軽く眉を上げて、お前が言うなと言いたそうな顔でわたしを見下ろしてくる。
ベンノが興味深そうにニヤリと唇の端を上げて、ルッツに同じ質問をした。
「ルッツ、お前はどう思った?」
「昨日のギルド長と同じようにマインを勧誘してきたから、油断できないヤツだと思った。それから、オレは……マインと似てると思った」
「えぇ!? どこが!?」
心外すぎる!
衝撃的な言葉にわたしが噛みついて説明を求めると、ルッツは軽く肩を竦めて答えた。
「あいつがお金について語っている時と、本について語っている時のマインが同じ顔してる。二人とも自分が好きな事にしか目が向いていないところと、さっきマインが言ってたように、可愛い顔して、中身が変なところがそっくりだ」
あ、そうか。わたし、今、そこそこ可愛い外見なんだ。
家の中に鏡がなかったので、自分の容姿なんて桶の水に映った歪んだ影くらいしか見たことがなかったし、面と向かって褒めてくれるのは初対面の人と親馬鹿な父親ばかりだったので、ただのお世辞と社交辞令だと思っていた。
ただの本好きじゃなくて、むしろ、変人というのは、昔から散々言われていたので自覚もあるし、特に何とも思わないけれど、前は外見が別に可愛くなかった。見るからにオタクっぽい、図書室を根城にしてそうな外見だったので、ギャップがあるなんて言われたことがなかった。
わたしは、姉妹で似ていると仮定して、トゥーリのような外見の幼女がこの辺りには存在しない本を求めて、奇行とも思えるような大奮闘している様子を思い浮かべて、その残念さに項垂れた。
「……ごめんなさい。ちょっと反省する」
「たっぷりしてくれ」
「うぐぅ……」
凹むわたしの前で、ニヤニヤとやりとりを聞いていたベンノがトントンと指先で机を叩いた。
「それで? 商談はまとまったのか?」
「えーと、フリーダさんの髪は2つに結っていたので、飾りも2つ作ることになりました」
「ふーん、利益は二倍か」
ベンノの言葉に心臓がビクッと縮みあがる。報告しないわけにいかないが、報告したら絶対に怒られる。
「いえ、その、えーと……」
「何だ?」
ベンノの赤褐色の目が、ぎろりとわたしを見た。
うひっと息を呑んで、何と説明しようか、あわあわしていると、ベンノの視線がわたしからルッツに向かう。
くいっとベンノの顎が上がった瞬間、ルッツの口が開いた。
「お嬢様に材料になる糸をもらったマインが、そのままの値段で2つ作るって言いだして……」
「ルッツ!?」
「何だと!?」
わたしとベンノの反応を完全に黙殺してルッツは続ける。
「金額は決まっているから、2つ分きっちり払うって、お嬢様が言い張って……」
「……ほぉ?」
「いつまでたっても決着がつかなそうだったから、オレが口を出して、2つ目を半額にすることで合意した」
簡潔で的確なルッツの報告にベンノは眉を上げて、わたしを見た。
「マイン、お前、阿呆か? 聞いてなかったのか? 覚えていなかったのか?」
「うっ、覚えていたから、材料もらっても一つ目は値引きしなかったんですよ。でも、半額で合意した時、フリーダさんにも、お金は取れる時に、取れるところから、取れるだけ、取っておくものって、言われました」
「商談相手に言われてどうするんだ?」
ハァ、とベンノが呆れたように額に手を当てて、頭を振った。
商談相手に指摘されるのは、確かにちょっと情けないな、とわたしも思ったけれど、ぼったくりすぎはわたしの胃に優しくない。
「でも、利益の上乗せにも限度があるっていうか、適正価格に反しているというか、胃が痛いので、これ以上は勘弁してください」
「商人が金をとって胃を痛めてどうする? まったく……。まぁ、お前の利益が減るだけだ。2つ目の料金をきっちり取ってきたのなら、それでいい。変な噂が流れて、ここで買えば2つ目は無料なんて、ごり押ししてくる客がいないわけでもないからな。負けてもいい相手かどうかはよく見極めろ」
そんな客の存在までは全く思い至らなかった。
わたしの常識で動くな、と釘を刺されたようで、深く項垂れる。
「うっ、そこまでは考えてませんでした。すみません。それで、これがフリーダさんからお預かりした糸なんですけど、これに釣り合うレベルの白い糸が欲しいんです。長さはえーと……」
わたしはトートバッグの中からメジャーを取り出し、自分の指先から指先まで伸ばす。
「これくらい……100フェリくらいの長さでお願いします」
「わかった。明日、マルクと一緒に糸問屋に行って来い。ついでに、冬の手仕事用の糸も仕入れてくればいい」
「はい」
もう帰っていい、と言われたので、わたしはルッツと一緒にベンノの店を出て家に帰った。
疲れ果てたサラリーマンの気持ちが今ならすごくよくわかる。
家に帰って癒されたい。
「ただいま」
「おかえり、マイン。今日会った女の子はどんな子だった? お友達になれた?」
料理番のトゥーリが鍋を掻きまわしながら、ニコリと笑う。
顔が可愛くて、面倒見が良くて、優しくて、最近料理の腕も上がってきた料理上手(予定)で、針子仕事もしている裁縫美人(予定)なトゥーリを見て、胸にじわりと感動的なものが込み上げてくる。
「トゥーリ~!」
ぎゅぅっと抱きつくと、トゥーリが少し眉を寄せて、顔を覗きこんできた。
「どうしたの、マイン? 嫌な事でもされたの?」
「トゥーリは天使だよ。わたしの癒し。トゥーリは最高のお姉ちゃんなのに、わたしは病気持ちで役立たずってだけじゃなかったんだよ。今日、ルッツに言われて、外見詐欺の変な妹だったって、気付いた。ごめんね、トゥーリ」
「ハァ……。今更?」
溜息を吐きながら、わたしの頭を何度か撫でた後、トゥーリは寝室の方を指差した。
「マイン、料理の邪魔だよ。荷物を置いたら手伝って」
「うん」
トートバッグを置いて、トゥーリのお手伝いをする。
小さい小さいと言われながらも、ちょっと背が伸びたので、台に上がれば鍋を混ぜることが危なげなくできるようになった。
焦げ付かないように鍋を混ぜながら、今日あったことをトゥーリに報告する。
「それでね、その子はフリーダって言うんだけど、とっても可愛い子なのに、趣味がお金でね。一番好きなのは金貨を数えることなんだって」
「金貨!? そんなの見たことがないわ。数えられるだけあるなんてすごいお金持ちね」
トゥーリはフリーダの変な趣味というより、金貨の量に意識が飛んだようだ。この辺りでは金貨なんて、一生かかっても見ることがないと思われるので、インパクトが大きいのはわかる。
「家もすごかったよ。飾りや布もいっぱいあって、とってもきれいだった。あ、それで、フリーダが教えてくれたんだけど、わたしの病気の名前は身食いって言うんだって」
「……聞いたことないね」
トゥーリも知らない病名だったようで、首を傾げた。知っている人が滅多にいないので、仕方ない。
「とても珍しい病気みたい。オットーさんやベンノさんも知らないって言ってたから。フリーダが知っていたのは、フリーダも身食いだったからなの。でも、治すにはすごくお金がかかるって、言ってた。あんなお金持ちがすごくお金がかかるって言うんだから……」
「ウチでは無理だね」
トゥーリはあっさりとわたしと同じ結論に行きついた。考えるまでもない。熱で倒れても医者を呼べない経済状況ではどうなるものでもないだろう。
「……うん。でもね、悪くならないようにするにはどうすればいいか教えてくれたよ」
「そうなの?」
「目的や目標を持って、全力で頑張っている時は大丈夫なんだって」
「そうなんだ。マインは好きなようにやってるから、最近は元気なんだね。前はトゥーリばっかり好きなことができてずるいって泣いてたのに……」
「うぅ……」
そういえば、熱が出るたびによく泣いてトゥーリを困らせてたマインの記憶も多かった。
さらっと前と比べる発言が出るってことは、トゥーリはやっぱり変わったことに気付いているんじゃないかな。
考え込んでいると、トゥーリが慌てたように頭を撫でてきた。
「落ち込まないで。元気になってよかったって思ってるからね。それで、髪飾りはどうだったの?」
「フリーダの好きな色も聞いたし、衣装の刺繍に使った糸ももらってきたよ。それで、作るつもりなの。フリーダは髪を2つに結うから、2つ飾りがいるんだよ」
「ふぅん、そうなんだ」
二人で準備しているうちに母が帰宅し、しばらく夜勤続きであまり顔を合わせていなかった父が久し振りの昼勤から帰ってきた。
家族全員が揃う夕飯を久し振りに食べながら、ギルド長の家の話をした。そんな金持ちの家に出入りすることなんて普通はないので、みんな興味津々で聞いてくれる。
母は飾られているタペストリーやクッションに一番興味があるようで、父は応接室の棚に並んでいた酒の銘柄に関心を示していた。トゥーリはフリーダの着ている物や持ち物が気になるようで、質問は専らフリーダの持ち物についてだった。
思った以上に盛り上がった夕飯の後、わたしは母を捕まえて、糸用のかぎ針を返してほしいと頼んだ。
「何するの?」
「髪飾りを作るの。昨日言ったでしょ? フリーダが欲しがってるって。今日、ちゃんと注文取ってきたんだよ。衣装の刺繍に使った糸も、これで作ってほしいって言われて、預かってきたの」
「その糸、見せてちょうだい」
裁縫上手で染色を仕事にしている母は、持ち帰ったフリーダの糸に興味津々な様子を隠そうともしない。裁縫箱を取り出して、かぎ針を取り出すと、さぁ、急いで取ってきて、と催促する。
わたしがトートバッグから糸を取り出して、台所のテーブルの上に置くや否や、母が手にして、まじまじと見つめる。
針子見習いをしているトゥーリも、お金持ちのお嬢様の衣装に使う糸には興味があるようで、いそいそと覗きに来た。
「こんなに深い赤に染めようと思ったら、すごく手間がかかるのよ」
「やっぱり良い糸を使っているんだね」
うっとりとした様子で糸を摘まむ二人の前で、わたしは早速かぎ針を構えた。
「髪飾りね、珍しいから、結構高い値段で買ってくれるんだって。だから、頑張って作るの」
「わたしの髪飾りと同じ感じ?」
トゥーリの時は糸の節約を一番に考えて、残っている数色の糸で小花をできるだけ作ったが、フリーダから預かってきた赤い糸はたっぷりとある。
そして、あれだけ利益を上乗せしているのだから、トゥーリの髪飾りより、もっと凝ったものにするつもりだ。わたしなりの誠意である。
「もっとお花を大きくするの。糸もたっぷりあるから」
イメージは赤いミニバラ数輪とかすみ草のブーケだ。お金持ちのお嬢様と言ったら、一番にバラが思い浮かぶ貧困な想像力でごめんなさい。
でも、やっぱりバラって華やかだし、見栄えがするんだよね。
最終的にくるくると巻いた時、花弁っぽくなるように、ギザギザのレースになるようなイメージで編んでいく。
適当な長さになったら、くるくる巻いて、底になる片方だけを糸で縫いとめて、花弁の方を少し広げると、小さな薔薇の形になった。
「わぁ、可愛い!」
トゥーリから褒めてもらったので、調子に乗ってもう一つ編み始めようとした時、お酒を飲みながら様子を見ていた父が、うずうずしながらわたしの手元を見ている母に問いかけた。
「なぁ、エーファ。そんなに気になるんだったら、もう一つ、かぎ針作ってやろうか?」
「父さん、わたしも欲しいから2つね!」
感激した母に抱きつかれ、可愛いトゥーリのおねだりも加わって、父はご機嫌で、木を削り始めた。一度わたしの分のかぎ針を作ったことがあるので、比較的短時間で細いかぎ針を作っていく。
先にできたかぎ針をトゥーリが握って、一緒に編み始めた。針子見習いに行くようになって、器用さがレベルアップしているらしいトゥーリはちょっと教えれば、すいすいと編めるようになった。ぶっちゃけ、わたしよりも速い。
母は食い入るようにわたしの手元を見ていたせいか、作ってもらったかぎ針を満面の笑みで握りしめると、わたしが教えるまでもなく、猛然と編み始めた。
「マイン、父さんがこの簪部分を作ってやろうか?」
かぎ針を作り終わって手持無沙汰になった父がやる気満々の顔で言った。一緒に作業したい父には悪いけれど、それはルッツの仕事だ。
取られると一緒に作るからフリーダのところにも一緒にお邪魔するという大義名分がなくなる。そして、自分が作っていないのに、お金だけ受け取るようなルッツではないので、ずっと一緒に行動してもらっているのに、ルッツだけ無報酬になってしまう。
「気持ちだけもらっておく。それはルッツの仕事だから、取らないで」
「ルッツ、ルッツって、マインは最近父さんに冷たいんじゃないか?」
解りやすく父が拗ねる。家族に対する愛情過多で、オットーやルッツといると妙なヤキモチを妬いてくるので、時々面倒くさい。
ハァ、と溜息を吐いて、わたしは頭を振った。
「どうせ簪を作るんだったら、父さんは他の子の簪じゃなくて、わたしの洗礼式用の簪を作ってくれないかな? わたしも洗礼式には飾りを付けるつもりだから、先に穴をあけたのが欲しいんだけど……」
「なんだ、マイン。他の子の分は作らないでほしいのか? ヤキモチか?」
違うし。
なんでそんな感想が出てくるのか、全然わからないし。
脳内で一体どんな妄想があったのか、父はニヤニヤと嬉しそうに笑いながら、わたしの簪を作り始めた。
父の機嫌が一気に上昇したので、わたしはかぎ針に視線を戻す。父と話をしている間に、トゥーリと母にずいぶん差を付けられてしまった。
「赤い花はこれくらいあればいいよ。今作っているので、最後ね」
同じようなバラをいくつか作るのだが、3人で作るとあっという間に出来上がる。特に母、速い。一番遅いのが注文をとってきたわたしだ。
「えぇ? もう終わり?」
よほど楽しく編んでいたのか、不満そうにトゥーリが唇を尖らせたけれど、わたしはバラの形を作りながら、軽く肩を竦める。
当初は左右の飾りにミニバラを3つの予定だったのが、気付いた時には数が増えていて、4つずつになっていたのだ。飾りの大きさを考えても、これ以上は必要ない。
「他人から預かった糸を無駄遣いするわけにいかないでしょ?」
「あ、そうだね。こんな綺麗な糸、無駄に使えないよね」
しょんぼりとしながら、トゥーリは納得して、かぎ針を片付け始めた。
「あとはベンノさんに頼んである白い糸で小さい花をたくさん作るの。白い糸もこの赤に釣り合う糸だから、良い糸だと思うよ。明日持って帰ってくるから、トゥーリが良かったら、白い花を手伝ってね」
「楽しみにしてる」
嬉しそうにトゥーリが裁縫箱を抱えて笑う。
……うーん、トゥーリのこの調子なら、冬の手仕事は籠作りじゃなくて、髪飾りを一緒に作った方がいいかも?
次の日、マルクとルッツとわたしの三人で糸問屋へ仕入れに出かけた。前に簀を作る時に職人と一緒に訪れた店だ。
最高級の糸らしいシュピンネの糸を購入していったことで、よほど印象深かったのか、店主はわたしのたちの顔を見ると、すぐに立ち上がった。
「おや、前にシュピンネの糸を買って行ったお客さんじゃないか? また必要かい?」
「えぇ、それは後日、職人と一緒にまた注文します。本日は別の糸が欲しくて伺ったのです」
マルクの言葉から、春までに職人に簀を作ってもらうと言っていたベンノの言葉を思い出した。
フリーダの髪飾りと冬の手仕事で頭がいっぱいだったけれど、忘れずに春の紙作りの準備も手配しておかなければならない。
……メモ帳が欲しい。擦れたら消えちゃう石板じゃなくて、メモ帳が欲しい。
「今日は何がいるんだい?」
「あの、これと同じ感じの白い糸が欲しいんです」
わたしがトートバッグからフリーダの糸を取り出すと、店主はまじまじと見て、小さく唸った。
「かなりの高級品だな。合わせて使っておかしくない糸は、この辺りだ」
二つの糸を取り出して、わたしの前に置いてくれる。
赤い糸と並べて、何度か見比べた後、綺麗に赤が引き立つ方を選んで、店主に渡した。
「これを100フェリと、そこの緑も100フェリください。あとは、一番安い糸でいいので、たくさんの色が欲しいんです。それは200フェリずつお願いします」
フリーダのための糸と冬の手仕事のための糸は別の発注書が必要だ。
トートバッグに常に入っている発注書セット――発注書用の木札、メジャー、インク、木を削って作られたペン――を取り出す。
わたしは注文を終えると、その場でガリガリと発注書を書いていく。
安い糸はあまり発色が良くないものも多いけれど、大銅貨2枚辺りまで値段を下げようと思ったら糸にこだわることはできない。
髪飾りは普段の生活で付けることはほとんどないので、ハレの日だけに付ける物になる。たった一回のために払っても惜しくない値段でなければ、買ってもらえないのだ。孫娘のためとはいえ、髪飾り2つに小銀貨6枚も払えるギルド長を基準に考えてはならない。
「こっちの手仕事用の糸は準備に時間がかかるから、準備ができてから店に運ぶのでいいかい?」
「はい。お願いします」
わたしはすぐに使う高級な白い糸だけをバッグに入れて、店を出た。糸問屋からは家が近いので、マルクとは糸問屋の前で解散して、家に帰ることにする。
帰りながら、昨日の夜のうちに赤い糸を使った部分は出来上がったことを報告すれば、ルッツが目を丸くした。
「え? じゃあ、もう髪飾りできるのか? まだ日があるからゆっくりやるって言ってただろ?」
「うん、明日か明後日には仕上がると思う。母さんとトゥーリまでやりたがって、わたしより上手くて速いから、あっという間にできたの。わたしだけだったら、もっと時間がかかってたよ」
当初の予測では、昼間は森に行ったり、店に行ったりしなければならないので、夕飯から寝るまでの時間を使って、7~10日くらいかけて作るつもりだった。
まさか、たった一日で作業がなくなるとは考えてもいなかったのだ。
「わかった。オレも簪の部分、すぐに作る」
「うん、お願い。仲間に入りたい父さんが作りたがってたから……」
「マジかよ……」
仕事を取られそうなルッツが、溜息と一緒に項垂れる。
「……でも、仕事をウチの家族に取られて、どうしようって思ってるけど、本当はどうしようじゃないんだよね? 作業は他の人に任せて、物の売買をするのが商人なんだから。ベンノさんなんて何も作ってないけど、わたし達の作った物の手数料で儲けてるでしょ?」
「そっか。そうだよな」
ルッツもハッとしたようにわたしを見た。
作らなければお金がもらえないのではない。物を移動させることでお金を生み出すのが商人だ。まだわたし達の意識は職人に近いのだ。
「今回はわたしとルッツが一緒に作るって、ギルド長やベンノさんに言っちゃったし、急に意識を変えるのも難しいけど、一緒に商人の仕事について、もっと勉強しようね」
「おぅ」
家に糸を持ちかえると、案の定、わたしがするはずだった仕事は、母とトゥーリに取られてしまった。
わたしが小花を1つ作る間に、トゥーリは2つ、母さんは4つも作るんだもん。あっという間に終わっちゃったよ。緑の糸で葉っぱのような飾りも作ろうとしたけど、ほとんどが二人の手によって作られちゃったし、わたし、今回もいまいち役立たず。
……結論。わたし、やっぱり裁縫美人は無理っぽい。
商人見習いへの道を切り開いて正解だったね。