Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (406)
聖典を調べる 後編
オルドナンツを飛ばした後、神官長に怒られないように言い訳を考えていたら、「すぐに神殿に向かうので、部屋で待機しているように」というオルドナンツが飛んできた。
その内容を聞いたフランとザームが、神官長を迎えるためにバタバタと動き始める。神官長の側仕えに連絡に行ったり、お茶の準備をするために厨房へ向かったりしているのを見ながら、わたしはオルドナンツの声の調子から神官長の怒り具合を計算していた。
「……うーん、怒りよりも驚きと焦りがちょっと上回ったかしら? まだ怒りの方が大きいようにも思えるし、微妙なところですね。どう思いますか、ダームエル?」
「悪あがきせず、フェルディナンド様に叱られれば良いのではありませんか?」
……全然良くないっ!
「今回、わたくしは悪いことを何一つしていないのですよ。叱られる理由がありません」
「でしたら、フェルディナンド様を回避する理由もないと思うのですが」
やれやれ、と肩を竦めたダームエルにそう言われ、わたしは唇を尖らせる。
「悪いことをしていないのに叱られるから何とか回避しようと思うのですよ」
「頑張ってください、ローゼマイン様。応援しています」
アンゲリカがグッと拳を握った。応援だけ? と思わずわたしが口に出すと、アンゲリカは悲しげに眉を震わせた。
「残念ながら、わたくしでは頭が良いフェルディナンド様のお説教には歯が立たないのです。シュティンルークと共に戦うならば敵わずとも精一杯頑張りますし、隣で一緒にお説教を聞くだけならばできますが、ローゼマイン様はどちらをお望みですか?」
……どっちもいらないよ!
そんなどうでもいい話をしているうちに、到着を知らせる鈴の音が響いた。フランとザームが開いた扉から、神官長がエックハルト兄様とユストクスを連れ、神殿の側仕え達を率いて入って来る。
「わたくし、悪くありませんからね!」
「開口一番、何を言っているのだ? まずは挨拶だろう?」
「申し訳ありません」
……お説教を回避するはずが、開口一番、全く関係のないことで叱られた。おかしい。こんなはずでは。
こめかみを押さえて溜息を吐く神官長と長ったらしい貴族の挨拶を交わし、わたしは神官長に席を勧める。
「もう一度言いますけれど……」
「もういい。君を信用して監視を頼んだ私が愚かだったのだ。君は単純で騙されやすく、本を目の前に吊り下げられれば、前後の事情も何もかも完全に忘れて飛びつくのだからな」
……あぅ、わたし、完全に信用を失くしたみたい。
「あの、やっぱり怒ってもいいですよ?」
呆れ果てた表情の神官長に見捨てられるような気がして、わたしが申し出ると、神官長はものすごく面倒くさそうな顔になった。
「時間の無駄だ。それよりも、とんでもない新事実とは何だ? 君の場合は先が読めなくて困る」
「どういう意味ですか?」
神官長には何もかも読まれているような気がしているのに、先が読めないと言われ、わたしは首を傾げる。
「君にとってはとんでもない新事実でも、他者にとっては何ということもないことを指していることがあれば、余人が想像もしていないようなことに首を突っ込んでしまっていることもある。全く予測できないのだ。今回はどちらだ?」
「どちらだと言われても、そんなこと、判断できるわけがありません。わたくしにとっては全部新事実なのですから」
神官長に文句を言われつつ、わたしは聖典を開いた。神官長だけではなく、ユストクスまで興味深そうに顔を近付けてくる。
「白紙ですね」
「神官長には内容が見えますか?」
「神殿長である君が許可を出していないのに見えるわけがなかろう」
「姫様、私にも許可をください」
許可を出さないと神官長も聖典を見られないことを確認し、わたしは神官長の様子をじっと見ながら、許可を出した。
「神官長とユストクスに閲覧許可を出します」
次の瞬間、神官長がほんの一瞬だけ眉をピクリと震わせたのがわかった。ほとんど表情が変わらないので、魔法陣が見えているのかどうか判断できない。
「ふーむ、これが神殿長だけに閲覧を許された聖典ですか。……他の聖典とどこが違うのですか?」
ユストクスは興奮気味に聖典を捲っているが、他の聖典とは区別がつかないようだ。少なくとも、浮かび上がる魔法陣や文字が見えている反応ではない。
「完全版というか、神殿図書室にあるどの聖典よりも詳しく書かれているのです」
神殿図書室の聖典の写しはいくつかあるが、ページ数には結構差があるのだ。神殿図書室の聖典との違いをユストクスに説明していると、神官長がわたしを呼んだ。
「ローゼマイン」
殊更に感情を廃した声で名を呼ばれ、わたしはバッと振り返って神官長を見上げた。薄い金の瞳が何の表情も映さずにわたしを見下ろしている。神官長は一度きつく目を瞑った後、聖典を手に取った。
「大っぴらに話すことではない。それはわかるな?」
……神官長には見えるんだ。
厳しい顔で側近の誰にも工房に立ち入る許可を出さず、神官長がわたしの隠し部屋の工房へ入っていく。「一体何が……」と驚きの表情を見せる側近達をその場に置いて、わたしも神官長の後に続いた。
調合の時に使う大きめのテーブルの上に聖典を開いて置くと、神官長はさっさと椅子に座った。聖典を挟んで向き合うように、わたしも椅子をガコガコと移動させてよじ登る。
「ローゼマイン、君には何が見える?」
「多分、神官長が見えている物と同じだと思います。浮かび上がる魔法陣と文字が見えています」
わたしの言葉に神官長が眉間を押さえた。
「以前に聖典を開いた時にはなかったはずだ」
「わたくしもアウブからのご命令で久し振りに聖典を開いて、今日初めてこの魔法陣を見つけて驚いたのです。アンゲリカにもダームエルにもユストクスにも見えなかったのに、神官長には見えるのですね? もしかしたら、神殿長であるわたくしにしか見えないのかと思っていました。何が条件なのでしょう? 突然見えるようになったのですから、何かあると……」
わたしは変わった魔法陣を指差しながらそう言いつつ、相槌さえなく沈黙している神官長へと視線を向ける。
「……」
ひどく静かで、感情を完全に排した無表情の神官長がわたしを見据えていた。思わず口を閉ざす。ひたと真っ直ぐに向けられた冷たい視線は今まで見た中で最も怖くて、ぞわっと全身に鳥肌が立った。
「……あの、神官長?」
「汝、王となるを望む者……君は王となることを望むのか?」
足元から冷気が漂ってくるような底冷えのする声に、わたしはコクリと息を呑む。静かに問われているが、その答え次第では自分がどうなってしまうのかわからない。そんな崖っぷちに立たされている気がした。
「そんなことは望みません。わたくしが望むのは本を読むことですから」
「ならば、忘れなさい。君は何も見ていない。この聖典には浮かび上がる魔法陣も文字も何も書かれていない。そういう素振りをするのだ。良いな?」
わたしの答えを聞いて、神官長の周りの張りつめた空気は少し緩んだけれど、話を打ち切るようにそう言われた。カタリと席を立って、聖典を閉じようとする神官長の目には魔法陣が見えていないようだ。
「わたくしが忘れるのは構わないのですけれど……」
「何だ?」
複雑で研究に向きそうな魔法陣に見向きもしない神官長が不思議で、わたしは首を傾げる。怒りを逸らせるために魔法陣の報告をしたのに、この魔法陣はあまり役に立っていない。
「神官長はこの魔法陣を研究しないのですか? 全属性が入っている複雑怪奇な魔法陣で、とても研究し甲斐があると思いますけれど」
「ローゼマイン、世の中には知らずに済ませた方が良いことはたくさんある。死にたくなければ、首を突っ込まないようにしなさい」
「……死?」
魔法陣の研究と死が結びつかないわたしを見て、神官長がゆっくりと息を吐いた後、座り直した。
「君はわかっていないようだから説明しておくが、今の王は王となるための条件を満たしていない」
「え?」
「聖典に書かれた条件を満たしていないのだ」
聖典にも載っているように、王位は初代のグルトリスハイトを写した者に与えられる。神官長の説明によると、長い年月の間で王の写した写本が次期王に継承されるように変化したそうだ。前の王から次の王に譲られるグルトリスハイトが王の証となっていた。ところが、政変によって前王が持っていた写本は失われ、初代のグルトリスハイトを写本しなければならない事態となった。けれど、今は初代のグルトリスハイトの所在がわからない。王族には口伝で伝わっていたのかもしれないが、政変で途切れた可能性が高いらしい。
「元々、今の王は政変が起こるまで臣下となるべく育てられていた。王となるための教育を受けておらず、口伝を知らぬ可能性は高い。領主も口伝で伝えられる事柄があるのだ。王にもあるだろう」
今の王は政変に勝利したことで即位したけれど、中央の神殿の聖典原理主義者はグルトリスハイトがないことを理由に王の即位を拒否した過去があるらしい。
「王族も貴族も激減し、重要な魔術具の半分近くが動きを止めた状態で国が保てるはずがなく、中央神殿は渋々王位を認めた。そんな中、君が正当な王となる条件を口にし、聖典に載っていたと公言すればどうなるか、少しは想像がつかないか?」
中央神殿の聖典原理主義者を煽り立て、不穏分子となるわたしを王は抹殺したがるだろう。物騒な予想にわたしは体を震わせる。
「神官長、聖典にこのような文言が出るということは、わたくし、もしかして王となる条件を満たしているのですか?」
だからこそ、これほど警戒されているのか、と問いかけると、神官長はすぐに首を横に振った。
「いや、それはない。君は全属性で魔力量も多い。聖典にあるようによく祈っているので、王となるための素質はあるのだろうが、肝心の条件が満たされていない」
「肝心の条件ですか?」
何かあったっけ、と聖典へ視線を向けると、神官長は「簡単なことだ」と言った。
「君は元々平民で、王の血を引いていない。故に、王にはなれぬ」
「王の血、ですか? 王の血を引くという文言は聖典には載っていなかったと思うのですけれど……」
わたしの疑問に神官長が少しばかり考え込むようにこめかみを指先で叩き、ゆっくりと息を吐いた。
「グルトリスハイトがあるのは、王族のみ……正確には、初代王の血を引く者のみが入れる書庫だ。この隠し部屋と同じように、入室条件が王の血を引く者と設定されている……と古い文献には書かれていた。故に、書庫に入れず、グルトリスハイトを写せぬ君は、いくら素質があっても王にはなれぬ」
「えぇ!? それって、もしかして、王族しか入れない開かずの書庫ですか!? ヒルデブラント王子と仲良くなって入れてもらおうと思っていたのに、入室条件に王族の血があれば、見つけてもわたくしは書庫に入れないではありませんか!」
想定外だ。貴族院にいる間に見つけようと思っていたのに、とわたしが嘆いていると、神官長が胡散臭いものを見るような目でわたしを睨んだ。
「君はついさっき王を望まぬと言わなかったか?」
「王は望みませんけれど、本は望みます! グルトリスハイトを読んでみたいと思うのは当然ではありませんか! わたくし、どうして初代王の血を引いていないのですか!?」
「元平民だからだ。ただ、君が王族の血を引いていなくて本当に良かったと、今、私は心から思っている。大体、書庫にあるグルトリスハイトもどうせ初代王の写本なのだから、この聖典とさほど変わるまい。諦めろ」
バカバカしいと言いたげに神官長が首を振りながらそう言った。書庫があるのに入れないという絶望に対して、神官長の言葉が軽すぎる。
「本が読めなくて嘆いているわたくしに、そんな言い方はひどいですっ!」
「ひどいのは君の頭の中だ。」
……もっとひどくなった!
これ以上悲しみを訴えても、暴言が返って来るだけだ。わたしはむすっと口を噤み、神官長を睨む。何か文句があるのか、と言わんばかりに睨み返されて、わたしはそっと視線を逸らした。視線と一緒に話題も逸らす。
「それにしても、何故このような文字や魔法陣が聖典に浮かび上がったのでしょうね?」
「君が何がしかの条件を満たしたのであろうが、何故浮かび上がったのかはわからぬ。私は神殿長になったことはなく、聖典を所有したことがないからな。……だが、この聖典の存在意義はわかったような気がする」
神官長が聖典に触れながら、そっと息を吐いた。
「この聖典の魔法陣も文字も王に至る道を示す物だ。おそらく、正しい王を選ぶためにあるのだろう」
「よくわかりません。どういうことですか?」
わたしが質問すると、「これはただの仮説だ」と前置きをした上で、神官長が説明してくれる。
「初代王は敬虔に神に仕える神殿長でもあった。それは歴史で学んだであろう?」
「はい。初代王の次には王の子が神殿で神事を行っていたのですよね? だからこそ、他の領地でも神殿長は領主の子に任されていた」
エグランティーヌが領主の子が神殿長を務めるのは古いやり方だと言っていたように、大昔はどの領地でもそうだったのだ。神殿は王や領主と等しいもので、王の子が神殿長を兼任していた。
「王の子が神殿長を務める以上、政変や争いが起こり、王族に伝わる口伝が途絶えても、聖典を見ればグルトリスハイトに至る道は開かれるはずだったのだろう。このように神殿が力を失い、王と反目するような状況を初代王は考えていなかったに違いない。……平民出身の君が神殿長に就く可能性も、その君が王となる素質を持っている可能性も、だ」
そう神官長が付け加えた。そんな言い方をされると、まるでわたしが規格外のようではないか。いや、規格外かもしれない。ちょっとだけ。
「そして、初期の領主達は王族と婚姻関係を結んでいる。つまり、どの領主の子孫も大体は王の血を引いていることになる。……そう考えると、自分の血を引く者で、少しでも力が強い王を選ぶため、各地の神殿に聖典を配布したのかもしれぬな」
各地の領主に聖典が配られたことは情報保存の観点から考えても有効だ。初代王はかなり賢い人だったのかもしれない。
「そういえば、大昔の話ですけれど、ダンケルフェルガーからも王が立ちましたよね? ダンケルフェルガーの歴史書にはそのような記述がありました。どうして王の子ではなく、ダンケルフェルガーから王が立ったのか、不思議だったのです」
「ほぅ、ダンケルフェルガーの歴史書か。……確か君は自分の文官に写させていただろう? 今度貸してくれないか?」
神官長が興味深そうに目を輝かせるのを見て、わたしはすぐに「いいですよ。新しい本と交換しましょう」と頷いた。神官長がひくりと頬を引きつらせる。
「私はすでに何冊も君に貸しているはずだが?」
「わたくし、新しい本には貪欲なのです。小さな機会も逃しません」
「知っている」
クッと小さく笑って、新しい本とダンケルフェルガーの歴史書を交換する約束をした後、神官長がすっと表情を変えた。突然真顔になった神官長につられ、わたしも口を閉ざして背筋を伸ばす。
「ここで話したこと、聖典に浮かび上がった物に関しては他言無用だ。決して他に漏らしてはならない。私も忘れる。君も忘れなさい」
知らなかったことにしろ、と神官長が言う。神官長も見なかったことにするらしい。
わたしは使用を禁じられ、工房の棚に置かれたままのインク壺に視線を向けた。神官長はこうして忘れたり、知らなかったことにしたりした秘密をどれだけ抱えているのだろうか。
「今回の件は関わったら碌なことにならない。下手をすると政変後のような粛清の嵐がエーレンフェストに吹き荒れる」
「え?」
物騒な言葉を耳にして、わたしは視線を神官長に戻す。真面目で真剣な表情で、厳しい眼差しで、神官長がわたしを見据えていた。
「神に選ばれた真の王となる情報を持った領主候補生であり、聖女と名高い神殿長など、周囲からは簒奪者にしか見えぬ。争いの種にしかならないのだ。第一王子が次期王と定められた今、君は新たな争乱の種になりたいのか?」
「いいえ」
そんなことはこれっぽっちも望んでいない。わたしは「本だけあれば、それでいいです」とハッキリ答えた。
神官長は「わかればよい」と言いながら立ち上がり、わたしの方へと歩いて来る。何だろう、と見上げていると、数秒間の躊躇の後、わたしの頭を軽く撫でた。
「……ローゼマイン、新しい本でも読んで、この聖典のことは忘れなさい。それが君のためだ」
争乱に巻き込まれるのを恐れる神官長の不器用な気遣いに気付いて、わたしはその場を和ませようと笑って請け負う。
「それは得意です。お任せくださいませ! 実は、緊急事態だと神官長を呼びましたけれど、怒られるのが嫌だっただけで、本当はどっぷりと読書をしてから報告するつもりだったのです」
忘れるのなんて簡単ですよ、と言った次の瞬間、わたしの頭の上に置かれた手にグッと力が籠った。うぇっ? と上を見上げれば、神官長が怖い笑顔を浮かべているのが見えた。無表情も怖いけれど、笑顔も怖い。
「ほほぅ。それを自己申告するとは、よほど怒られたかったようだな」
「ち、違います。そのちょっとした冗談というか、緊迫した雰囲気を和ませたかったというか、その……」
頭に乗せられた指先に力が籠り、ギリギリと締め付けられる。痛い。すごく痛い。神官長を見上げたまま、じわりと涙が浮かび上がってくる。半泣きのわたしを見下ろして、神官長はニィッと唇の端を吊り上げた。
「怒られることが君の希望ならば、極力応えねばなるまい。そこに直れ」
「あ、あぅ。ごめんなさい! ごめんなさい!」
……わたし、マジ失敗。
こんこんとお説教をした後、養父様のことも怒ってくると言って、城に帰った神官長だったが、結局、神官長に怒られたのはわたしだけという結果になった。
長時間姿を消したことで、わたしからも神官長からもサボリだと思われていた養父様だが、実は「わたしがいたら、絶対に入りたがって面倒だから」という理由で、監視役のわたしを排して、領主しか入れない書庫で儀式の舞台に関する資料を探していたらしい。
……うぬぅ、知っていたら神殿に戻らず、養父様に張り付いていたのにっ!