Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (41)
髪飾りの納品
ルッツが作った簪部分と花の部分を縫い合わせて、完成した髪飾りに、ほぅ、と自画自賛の溜息を吐く。
フリーダのために作った髪飾りは、自分が予想していたよりも、かなり豪華な仕上がりとなった。
深い赤のミニバラが4つ配置され、バラの周囲を白いかすみ草をイメージした小花が連なって赤を際立たせている。そして、白い小花の外側にところどころから葉っぱの形の緑が顔を出して、アクセントとなっていた。
「……なぁ、マイン。トゥーリの髪飾りとずいぶん違わねぇ? すっげぇ豪華なんだけど」
完成した髪飾りを見たルッツが、ひくっと顔をひきつらせるくらい良い出来だ。
理由は簡単だ。まず、使っている糸の質が違う。細くて艶のある糸を使っているので、仕上がった花も目が細かくて艶やかだ。
そして、技術力が違う。大半をわたしが作ったトゥーリの髪飾りと違って、八割方母とトゥーリによって作られているため、目が揃っていて、緻密なのだ。
「衣装に使われている素材や雰囲気から考えても、フリーダにはトゥーリの髪飾りより絶対こっちが似合うと思わない?」
「似合うとか似合わないって言うのは、オレ、わかんねぇよ」
頭を振って答えるルッツに、わたしは腕組みしながら考える。
「うーん、それも勉強しなきゃね。ベンノさんが扱っている商品って、貴族向けの物が増えているみたいだから」
苦手なことからはやはり目を逸らしたいのか、ルッツの視線がふらりと虚空をさまよう。
「あ~、マイン。できたやつ、どうする?」
「一度ベンノさんに見せてから、ギルド長に納品した方がいいと思うんだよね。今からベンノさんのところに行ってみる?」
「そうだな」
完成した髪飾りを小さな籠に入れて、上からウチの中ではまだ比較的綺麗なハンカチを被せて、他の人からは見えないようにした。
「マインが籠を持てよ。オレ、そのバッグ持ってやるから」
石板、石筆に発注書セットが入ったバッグは、わたしにとって結構重いので助かる。素直に感謝してルッツにトートバッグを渡し、わたしは小さな籠を手に持った。
「おや、今日はどうしました?」
マルクがわたし達の姿を見つけて声をかけてくれる。
「髪飾りが完成したんです。ギルド長に納品する前に、ベンノさんに一度見せておいた方がいいかなと思ったんですけど……」
「どれ、見せてみろ」
いきなり背後からベンノの声がかかって、ひゃっと小さく飛び上がる。
振り返ると、貴族のところへ行っていたのだろうか、隙なくきっちりと豪華な服に身を包んだベンノが立っていた。
「お帰りなさいませ、旦那様」
「あぁ。……来い、二人とも」
マルクに軽く頷き、ベンノが奥の部屋へと向かったので、わたし達もその後をついていく。
「それで、出来上がった髪飾りはどこだ?」
テーブルに向かって座ると同時に声をかけられ、わたしは小さな籠の上にかけていたハンカチを取って、ベンノの前にそっと差し出した。
「こんな感じでどうでしょう?」
一つを取り上げて、しばらく眺めていたベンノが髪飾りを籠に戻した後、大きな溜息を吐いた。
「……マイン、お前、2つ目を値引きする必要はなかったぞ」
「え? これでも結構ぼったくりだと思ってるんですけど……材料費が糸だけでしたから、利益が小銀貨3枚くらいにはなるでしょう?」
「物の価値をよく勉強しろ。お前が持ち込んだ物は全て贅沢品だ。高級な贅沢品がどれくらいの値段で扱われているのか知らないと、市場を混乱させることになる」
「……すみません」
自分の感覚とこの世界の物価が噛み合っていないことはよくわかっているし、ベンノが市場の混乱を防ぐための防波堤になってくれていることも理解できた。
衣類や装飾品が高価なことも良くわかっているけれど、どれくらいの物がどれくらいで売られるのか、街の中の店を自由に見て回る体力がないわたしにはわからない。特に、高級品を取り扱う店には、恰好と年齢で入店を断られるので、尚更だ。
……それにしても、贅沢品か。簡易ちゃんリンシャンにしても、紙にしても、髪飾りにしても、当たり前に周りにある物だったからねぇ。
本で読んだ中世の世界にはほとんどないと頭ではわかっていても、感覚ではそうもいかない。無ければ、何かで代用できないか、自分で作れないか、どうしても考えてしまう。
「ベンノさん、これをギルド長に納品したいんですけど、どうしたらいいですか? ギルド長に会えるように約束を取り付けたいんです」
「そうだな。せっかくだから教えておくか」
発注書セットを取り出して、板にギルド長との面会予約と書き、名前と用件を書きこむ。
「これをギルド3階の受付に渡せばいい。面会の時間が決まれば、ギルド職員が店に面会時間を書きこんだこの板を返してくれる」
「じゃあ、帰りに出しに行こうか?」
「……あ~、待て。二人だけで行ったら、その場で餌食だ。俺が一緒に行く」
受付に予約票を持っていくだけに大袈裟な、と思うんだけど。
商業ギルドに行って、今回は自分のカードを出して、上の階へと向かう。
カウンターで予約票を出して、一仕事終えた感動に、ルッツと笑いながら帰ろうとしたら、受付の人に呼び止められた。
「少々お待ちください」
「へ!?」
「マインとルッツと名乗る者が来たら、通すように言われています」
本当にギルド室に通された。部屋に来るよう言われて、右往左往するわたし達にベンノが「それ見たことか」と呟く。
おぉう、ベンノさん、大正解! ベンノさんがついてきてくれてよかったよぉ。
ギルド長の部屋に通され、ギルド長がちょっと嫌な顔をしながら、ベンノも一緒に迎え入れてくれた。
「今日はどうした?」
「髪飾りができたので、持って来ました」
「では、見せてもらおうか」
持っていた小さい籠を出して、ハンカチを退けて、そのままずいっとギルド長の前へと押し出した。ベンノからOKをもらったのだから大丈夫だとは思うが、心臓がバクバクするのは止められない。
ギルド長は籠の中を覗きこんで、髪飾りを一つ取り出すと、眉を寄せて検分する。クッと眉を上げて、わたしを見た。
「……これは、前に見せてもらった物とずいぶん違うようだが?」
「一応値段に合わせた特別仕様なんです。もしかして、前に見せた物の方が良かったでしょうか? フリーダさんとお話をして、髪型や衣装に合うように作ったつもりなんですけど……」
気に入られなかったか、と顔を青くするわたしにギルド長は慌てたように首を振った。
「いや、ここまで素晴らしい物になると思っていなかったので、驚いただけだ。確かにフリーダによく似合うだろう」
「そうですか。よかったです」
お断りされたわけではないと胸を撫で下ろしたわたしに、ギルド長が目をギラリと光らせた。
「マイン、やはりウチ……」
「マイン、用件は終わったな。帰るぞ」
ギルド長に最後まで言わせず、ベンノがわたしとルッツの腕をつかんで立ち上がる。用件が終わったので、このままお暇でも良いかな、とおとなしくベンノについていこうとすると、ギルド長が必死に引き留めてきた。
「いや、待て。せっかくなので、直接フリーダに渡してやってほしい。女の子の友達ができたことをとても喜んでいたぞ。フリーダに同じ年頃の友人ができるなんて、わしは初めて聞いて、感動している」
ほへー、フリーダは初めての友達できたんだ。それはめでたいね。
他人事として呑気にそう思いながら、ギルド長の感動を聞いていると、ベンノがしゃがんで、こそっと耳打ちしてきた。
「……お前、友達になったのか?」
「え!? わたし!?……えーと、どうなんでしょう?」
一方的に気に入られたことはわかっているが、これを友達というのは違うと思う。でも、孫娘に友人ができたことをこれほど喜んでいるギルド長の前でハッキリと否定はしにくい。
「いつ遊びに来てくれてもいいようにお菓子を作って待っているはずだ」
「……お菓子?」
つい反応してしまったわたしの額を、ベンノがビシッと指で弾く。隙を見せるな、ということだとはわかるが、甘い誘惑に反応してしまうのは止められない。
「よし、わしがフリーダのところへ連れて行ってやろう」
フリーダを抱き上げることもあるのか、ギルド長は軽々とわたしを抱き上げて、部屋を出る。
目の前で掻っ攫われたことに、ぎょっと目を剥いたベンノとルッツが慌てて追いかけてきた。
「こら、待て。俺も一緒に行くぞ」
「マインが行くならオレもだ」
何だか行くことに決定しているようだが、ギルド長の家は城壁の間近で、ベンノの店よりウチから遠くなる。正直、行ってしまうと、家に帰るだけの体力が残らないと思う。
「……ギルド長、わたし、体力ないから、今日はこれ以上歩けないんです」
「別に歩く必要はない。馬車を使うからな」
「馬車!?」
乗り物という発想はなかった。
大通りを行き交う行商人や農民は荷馬車や荷車を使っているけれど、わたし達の生活圏では、荷車さえ一家に一つあればいいというもので、使えるのは大人だけだ。
当たり前だが、ゴムのタイヤなどないので、荷物を乗せると大人でも引くのに相当力がいる。子供が使えるようなものではない。というより、子供は一家に一台あるかないかの大事な荷車なんて使わせてもらえない。移動手段は自分の足。そういうものだった。
しかも、馬は高い。ロバは比較的雑食だが、馬は食料にする草が高いので、維持費がとんでもないらしい。
くぅ、お金持ちめ。
ギルド長の金持ち具合をひがんでいるうちに、商業ギルドの一階についていて、ギルド長の馬車に乗せられていた。
ハッと我に帰った時にはベンノもルッツも馬車に乗り込んできて、全員でフリーダのところへ納品に行くことになった。
馬車なんて初めてだ。
去年の冬支度の頃に荷車には乗せられたことがあるけれど、動物が引く乗り物に乗るのは初めてだ。ルッツと二人できょろきょろしているとギルド長に苦笑された。
「ほぅ。マインは馬車が初めてか?」
「門や大通りを通っているのを見たことはありますけど、わたしやルッツの周りで持っている人なんていませんから」
本来は大人二人乗りの馬車なので、かなり狭い。きちんとした座席に大人二人が座り、わたしとルッツは荷物を置くための台のような場所に申し訳程度にお尻を置いているだけだ。わたしとルッツが子供だから何とか乗れているだけで、きゅうきゅうだ。
「……窮屈だな。ベンノ、下りろ」
「それなら、マインも連れて帰る」
しばらくベンノとギルド長が睨みあっていたが、結局、きつきつのまま馬車はゆっくりと動きだした。
「うわわわわっ!」
揺れがひどくて、とてもじっと座ってなんていられない。ルッツは乗り降りするための取っ手にしがみついていて無事だが、わたしは捕まるところもないので、ガクンガタンと揺れるたびに椅子から飛びそうになる。
「マイン、こっちに来い」
見かねたベンノが膝の上に座らせて、お腹に腕を回して、飛ばないように押さえてくれた。それでも、揺れればお尻が浮きそうになるし、ちょっと油断すればわたしの頭がベンノの顎にダメージを与えそうになる。
サスペンションがない馬車が揺れることはわかっていたが、ここまでひどいとは思わなかった。
馬車なんて、全然優雅じゃないよ。
「フリーダ、マインが髪飾りを持ってきてくれたぞ」
「まぁ、マイン。いらっしゃい」
ふんわりとした桜色の髪を揺らして、フリーダがやんわり穏やかそうな笑顔を浮かべてやってくる。
「お邪魔します」
「フリーダ嬢、はじめまして。ベンノです。マインからお話を伺っています」
「まぁ、どんな風にマインが話してくれたのかしら?」
穏やかでにこやかな挨拶なのに、寒気がするよぅ。
ベンノとフリーダの挨拶に背筋を震わせていると、ルッツがぎゅっと手を握ってくれた。ちらりとルッツを見ると、心なしか青ざめて見える。
わたしもルッツも商人同士の目に見えない争いにはまだ加われない。いつかあんな風に微笑みながら火花を散らし合うような真似ができるようになるんだろうか。
「フリーダ、わしはベンノと話がある。お前はマイン達からお前の髪飾りを受け取って、報酬を払っておいてくれ」
「わかりました、おじい様」
ギルド長はそう言うと、ベンノを連れてギルド長の部屋へと向かい、わたしとルッツは前回と同じように応接室に通された。
それと同時に甘い飲み物と甘いお菓子が運ばれてきて、テーブルの上にうっとりするような甘い匂いが立ちこめる。
「女の子は甘い物が好きだから、いつ遊びに来てくれてもいいように準備しているのよ。マイン、暇があったら遊びに来てね」
「はい!」
わたしが超絶笑顔で答えると、ルッツにテーブルの下で手を抓られた。
あぁ、そうだ。甘い誘惑に負けちゃダメだった。負けちゃダメ。負けちゃ……くんくん、幸せ~。
薄いピザ生地の上に蜂蜜漬けのナッツを置いて焼いてあるように見えるお菓子が切り分けられた。
「さぁ、マインもルッツも召し上がれ」
「いただきます」
はむはむ。たっぷりの蜂蜜が甘くて美味しい。なんて贅沢なお菓子。ここは天国ですか?
日本で食べたナッツのタルトを思い出しながら、ひとしきり食べて満足した。やっぱり甘い物を食べると幸せな気分になる。
「ごちそうさまでした。とても美味しかったです」
「そんな風に喜んでもらえると嬉しいわ。料理人にも伝えておくわね」
わぁお、料理人ですってよ、奥さん。
お菓子を作って待っているって、料理人がお菓子を作って、フリーダは待っているだけってことだったんだ。何この格差社会。
「では、髪飾りを見せていただいてもよろしいかしら?」
「はい。あ、その前に、余った糸、お返ししますね」
「……あら、別によかったのに」
いえいえ、こんな高価な糸はもらえません。
ギルド長やフリーダと話していると、無料ほど怖いものはないと、心の底から思う。安易に物を受け取ってはならない。誘いに乗ってはならないのだ。
「これが、フリーダさんの……」
「マイン、わたくし達はお友達なのだから、フリーダと呼んでくださいな」
可憐で可愛い幼女に、にこやかな笑顔でそう言われて、「友達じゃないよね?」なんて言えるわけがない。しどろもどろになりながら、逃げ道を探す。
「え? でも、お客様だから……」
「あら。……では、これで、お客様は終わりよ」
ニッコリと笑ったフリーダが、髪飾りの入った籠を自分の手前に引き寄せる。代わりに、わたしとルッツの間に小銀貨を6枚並べた。
「商品も受け取りましたし、お金も払いましたもの。これで心置きなくお友達になれるわね」
「……はい」
完全に逃げ道を塞がれ、否と言わせない空気に、わたしは諦めて頷いた。
考えようによっては、外見詐欺の変わったお友達なのだから、わたしが多少変でも問題ないかもしれない。前向きに喜ぼう。
名前はフリーダと呼び捨てで、言葉もちょっと崩した方がいいかな?
「えーと、じゃあ、フリーダ。髪飾りを見てもらっていい?」
「もちろん、見せていただくわ」
そっとフリーダが指でつまんで、ハンカチを退ける。
籠の中から髪飾りを一つ取り出して、目を丸くした。
「まぁ! なんて素敵! わたくしは冬の洗礼式だから、式の頃には雪が降り始めて、髪飾りにする花や木の実もないでしょう? 春や夏に洗礼式をする子がとても羨ましかったの。植物が枯れていく冬に色鮮やかな花や緑の葉っぱを身にまとうことができるなんて、本当に嬉しいわ」
「喜んでもらえてよかった」
そういえば、トゥーリも飾りにはその辺りの花を使う、と最初は言っていた。だったら、冬の方が、髪飾りは売れるかもしれない。
「付けてみて。フリーダの髪にどんな風に合うのか、知りたいの」
「どう付けていいのかわかりませんの。マインが付けてくださる?」
「いいよ。貸して」
髪飾りをツインテールの結い紐のところに挿しこむ。
淡い桜色の髪に深い赤の小さなバラがとても映えて、フリーダの大人びた上品な雰囲気を一層引き立てていた。
やっぱりバラで正解だったね。
「可愛いよ、フリーダ。まるで花の妖精みたい」
「褒めすぎですわ。おじい様みたいですわよ」
クスッと笑ってフリーダは流そうとするが、これは褒めすぎではない。趣味さえ知らなかったら、いつ誘拐されてもおかしくないくらいに可愛い。
「褒めすぎじゃないよ。可愛いし、似合うもん。ルッツもそう思うよね?」
「あぁ。飾りだけ見た時はそこまで似合うと思わなかった。マインがフリーダに似合うように作っただけのことはある。すげぇ可愛いと思うぞ」
「……」
少し頬を赤らめて、頬を膨らませるフリーダは、明らかに褒められ慣れていない。兄弟や友達がいないことがすぐにわかる反応だ。
この世界、家族間や友人間で褒め言葉がかなり頻繁に行き交うのだ。わたしもトゥーリを褒めちぎるし、トゥーリもわたしを褒めてくれる。ルッツだって何かやった時には褒めてくれるし、わたしも褒める言葉を口にできるようになってきた。
最初はビックリして固まっていたわたしが、最近は社交辞令と流せるようになってきたくらいだ。
「それにしても、糸でこんな立体的な花ができるなんて……」
そっと髪飾りを抜いたフリーダは、ベンノやギルド長がしていたようにまじまじと目を凝らして検分し始めた。目が完全に商人の物になっている。
「そんなに難しくはないんだよ。わたしでもできるんだから」
「……作り方を見出したということが、とても大事なのよ、マイン」
「え?」
ハァ、と軽く息を吐いたフリーダが思いのほか真面目な顔でわたしを見つめる。
「上流貴族の奥さまやお嬢様は、隙間なく刺繍がされた色鮮やかなヴェールをまとうことがあるし、魔術で時を留めた本当の花を飾りにすることもあるわ。でも、これのように形のある飾りを付けたことはないの」
贅沢品を使う貴族が魔術を使うから、こういう飾りが発達しなかったのではないだろうか。
むーんと唸るマインにフリーダは、この飾りのどこが素晴らしいのかと語る。
「刺繍をあしらった布は、この家にもたくさんあるけれど、立体化されたものはないのよ。糸だけで作られたこの立体的な赤い花は、とても画期的なの」
そこまで言われて、初めてわかった。ベンノが半額にする必要はなかったと言った意味が。これはいわゆる新技術に等しいのだ。完全に悪目立ちしている気がする。
もしかして、わたし、結構まずいことしちゃった?
さぁっと血の気が引いていくわたしの手をフリーダがぎゅっと握った。
「マインは意外と知らないことも多いのね? だったら、わたくしが色々な事を教えてあげるわ。だから、今度はお仕事じゃなく、お喋りに来てほしいの。たっぷり甘いお菓子お準備しておくから、女の子同士のお喋りを楽しみましょうよ」
「あぁ、それは……」
楽しみだ、と答える前に、くんっと髪が引っ張られた。思わず振り向くと、ルッツが険しい顔で、首を横に振っている。
うっ、危ない。うっかり女の子同士のお喋りに同意してしまうところだった。
うっかり同意してしまうと、ルッツもベンノも排除される危険性がある。何と答えればいいのかわからなくて言葉に詰まったわたしの代わりに、ルッツが口を開く。
「これからは忙しいから、残念だけど、あまり遊びに来る余裕はないな」
「あら、あなたには聞いてませんけど?」
ニコリと笑ったまま、フリーダはそう言ったけれど、わたしの外出なんて、基本的にルッツ次第だ。
「マインはオレがいない状態で外出するのを、家族にさえ止められているんだ。オレがいないで、マインがここに来ることはない」
「……あぁ、そうでしたわね。でしたら、仕方ありませんわ。ルッツも一緒にいらっしゃい」
身食いという病気持ちだったからだろう。フリーダはすぐにわたしの状況を理解したように頷いた。
しかし、ルッツは頷かない。お断りの態度を崩そうとはしない。
「だから、忙しいんだって」
「忙しいというのは?」
「冬支度が本格的に始まるんだ。冬を乗り切るために家族総出で準備するんだから、お喋りのために出かける余裕なんて、本当にないんだよ。それに、雪が降り始めたら、外には出られなくなるだろう?」
そう、お金で全ての薪が買えるフリーダの家と違って、大量の薪を準備したり、ろうそくを準備したり、冬支度はとても大変だ。
フリーダも冬支度の大変さを知らないわけではないようで、それ以上誘うことはなく、肩を落とした。
「……春まで無理ということですか」
「春になれば、フリーダが見習いになっているでしょう? 大丈夫?」
「それは大丈夫ですわ。見習いの仕事は毎日あるわけではありませんもの。春になったらお菓子をたっぷり準備するから、遊びにいらして」
春になったら、わたし達が紙作りで忙しくなるかもしれないけれど、ベンノがギルド長に隠しているようなので、口を滑らせることはできない。
うん、と大きく頷きながら、わたしはルッツを見た。
「そういえば、ルッツは甘い物にあんまり反応しなかったね? いつもなら、食べ物にはすぐに飛びつくのに、なんで?」
「ベンノの旦那によく見てろって言われたし、マインが作るパルゥケーキや料理の方がおいしいからな。たまのお菓子より、いつもの料理だ。マインを取りこまれる方が困る」
いつもお腹を空かせているルッツには、たまに食べる甘いお菓子より、普段の食生活の充実の方が重要らしい。だったら、また新しいレシピを持って、ルッツの家に行った方が良いかもしれない。
「あら? パルゥケーキなんて、初めて聞くわね。マインが作ったお菓子なら、わたくしも食べてみたいわ」
「え? それは、ちょっと……」
さすがにこんな家のお嬢様に、鳥の餌にされているパルゥの搾りかすを使ったお菓子なんて出せない。じいちゃんが青筋立てて怒るだろうし、栄養管理しているはずの料理人さんがひっくり返ると思う。
「ルッツは良くて、わたくしはダメだとおっしゃるの?」
悲しげに眉を寄せられると、苛めているみたいで、こちらが慌てるけれど、パルゥケーキはお嬢様に出せるものではない。
「材料が材料だから……フリーダみたいなお嬢様には出せないんだよ」
「ルッツばかりずるいですわ」
フリーダが拗ねた。唇を尖らせて拗ねた。
そんなに可愛く拗ねられても、無理な物は無理だ。ウチにはフリーダに食べさせられそうな食材なんてない。
それに、お菓子を作るには人手がいる。わたしができる作業なんて、実はほとんどない。ルッツの家で新作レシピの披露が多いのは、食べるためなら労力を惜しまない男の子が4人もいるからだ。
材料と人手がないとお菓子なんて作れない。現身食いのわたしはもちろん、元身食いのお嬢様のフリーダに腕力や体力を期待する方が間違っている。
「……えーと、じゃあ、今度、春になったら、この家の材料で一緒にお菓子作りしようか? ここの料理人さんにも手伝ってもらって。それなら、材料の心配をする必要もないし、作れる人もいるし、家族の方も安心でしょ? どう?」
「まぁ、素敵! 約束ですわよ」
一緒にお菓子作りすることで決着がついた時、ドアがノックされてギルド長とベンノが入ってきた。
「おい、そろそろいいか? 帰るぞ」
「はい。あの、ベンノさん。このお金……」
フリーダからもらった報酬は小銀貨6枚、大金だ。正直、自分で持っているのは怖い。ベンノに差し出して預かってもらおうとしたら、ベンノはギルド長に声をかけた。
「悪いが、少し応接室を借りていいか? 帰る前に精算を終わらせてしまいたい」
「あぁ、無理を言って連れてきたのは、こちらだ。使ってくれ」
応接室から、ギルド長とフリーダが出ていくのを待って、ベンノが小銀貨を受け取り、テーブルの上に並べ始めた。
「材料費と手数料を引いた小銀貨3枚が、お前達の取り分だ。2個目を半額になんてしなかったら、小銀貨があと2枚は手に入ったのにな」
「……これで十分ですよ。髪飾り一つでこれ以上儲けたら、次の安売りする髪飾りを作るのが嫌になります」
わたしの言葉にフンとベンノが鼻を鳴らし、財布を取り出した。
「金はどうする? 全部持って帰るか?」
「小銀貨1枚は商業ギルドに預けて、大銅貨5枚を持ち帰ります」
「オレも」
そう言うのがわかっていたように、ベンノはギルドカードと大銅貨を取り出した。
カードを合わせて、精算を終え、大銅貨5枚をハンカチに包んで、トートバッグに入れる。
「ギルド長が馬車で商業ギルドまで送ってくれると言っている。乗って行け」
「ベンノさんは?」
「店まで歩く。あの馬車は狭いからな。明日の午後、店に来い。糸が届く予定だ。値段も決めないといけないからな」
「はい」
ギルド長と何の話し合いをしたのだろうか。ベンノの警戒心が、先程までとは違ってかなり薄れているようだった。