Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (427)
神殿への帰還とグーテンベルクとの会合
神殿に戻るならば、魚が入った時を止める魔術具をレッサーバスで運ぶように、と神官長から指示された。わたしは大喜びでレッサーバスを準備する。いつも通りに神殿に戻るのと同じ気分でロジーナ、フーゴ、エラが後部座席に座れるようにファミリーカーサイズにしていると、神官長が「それでは駄目だ」と言った。
「ローゼマイン、それでは小さすぎて魔術具が載せられぬ。もっと騎獣を大きくしなさい。グーテンベルクを載せる時くらいだ」
神官長の言葉に首を傾げつつ、わたしはバスサイズにレッサーバスを大きくする。
「時を止める魔術具はそれほど大きいのですか?」
「あれだ」
ノルベルトの指示を受けて下働きの男達が数人がかりで運んできたのは、余裕で大人の男が足を伸ばして入れそうなくらいに大きな箱だった。ビックリするわたしの前で、大きな箱がレッサーバスに積み込まれる。
「この中にいっぱいのお魚がいるのですね?」
「すでに使っているのだから、いっぱいではないはずだ」
助手席にはユーディットを乗せ、わたしはレッサーバスを神殿へ走らせる。護衛騎士に加えて、文官達も一緒だ。初めて神殿に向かうローデリヒは緊張した面持ちで騎獣に乗っている。
「おかえりなさいませ」
「お待ちしておりました、ローゼマイン様」
神殿ではいつも通りにわたしと神官長の側仕えが帰りを待ってくれていた。
「フラン、ザーム、ギル、フリッツ。四人で足りなければ、他の者にも助力を頼んでこれを厨房に持ち込んでくださいませ。フーゴとエラには新しい食材について聞きたいことがあります。部屋に来てちょうだい」
側仕え達に声をかけ、すぐに大きな魔術具を厨房へと運んでもらう。フランに呼ばれた灰色神官達が何人か出てきて、魔術具を運んでいく。
側仕え達が荷物を運び出している間、側近達は騎獣を片付けて、しばらく待機だ。神殿とフラン達と神殿に慣れている側近達を見回していたローデリヒが不思議そうな顔で首を傾げた。
「ローゼマイン様は料理人を自室に呼ばれるのですか?」
「これまでも側仕え達には諌められてきましたけれど、直接聞かなければわからないことが多々あるのです」
イタリアンレストランに関する話し合いや宮廷料理人として移籍するかどうかなど、直接話をしなければならないことが多々あった。その結果、最初はわたしの自室に下働きの料理人を入れることに嫌な顔をしていたフランも、最近は「料理人本人でなければわからないことに関しては仕方がありません」と完全に諦め顔になっている。
「ローデリヒも諦めが肝心です。なるべく早くわたくしのやり方に慣れてくださいませ。名を受けた以上、ローデリヒは最もわたくしと付き合いの深い側近になるのですから」
「はい」
頑張ります、と頷くローデリヒを見て、フィリーネが小さく笑う。
「ローデリヒ、ローゼマイン様は印刷や製紙業に関わる話し合いも平民の商人と同席して、意見を聞き入れようとしますから、この程度で驚いていては大変ですよ」
フラン達が荷物を運び出し終わると、わたしはレッサーバスを片付けて神殿に入る。モニカに先導されて神殿長室へ歩いた。
神殿長室ではニコラがすでにお茶の準備をしてくれている。「おかえりなさいませ、ローゼマイン様」という明るい笑顔とお菓子の匂いに、わたしは自分のホームへ帰ってきた気分になった。
「フィリーネ、ローデリヒに神殿での仕事の説明をしてあげてちょうだい。ダームエル、護衛騎士で話し合って、神殿に来る順番を決めてください。神殿に来るのは二人で良いです。この部屋に五人も必要ありませんから」
「かしこまりました」
ニコラが淹れてくれたお茶を飲み、今年最後のパルゥケーキを食べながら、側近達に指示を出していると、荷物を置き終えたらしいフーゴとエラが緊張した面持ちで側近達を見回しながら入ってきた。
「フーゴ、エラ。新しい食材について話を聞かせてくださいませ」
わたしの質問にフーゴが少しばかり遠い目になった。
「苦戦しました。かなり手強かったです。解体の仕方を知らなければ、アーレンスバッハの食材は大変危険だと思いました」
時を止める魔術具から即座に取り出して、水を張った鍋に入れ、蓋をして、上に重しを載せて火にかけなければ、空を飛んで攻撃を仕掛けてくる小魚や鍋の蓋を盾として使いながら、木の棒で突いて完全に石を吐き出させなければならない魚、宮廷料理人にも処理方法がわからない奇妙な物体など、魔術具の中にはたくさんの不思議生物が入っていたらしい。
下処理をする厨房は戦場のような状態だったようだ。茸が踊ったり、凶暴と言われる野菜があったりする世界なのに、魚が普通のはずがなかった。
……味は普通だと思ったけど、やっぱりただのお魚じゃなかったのか。
「ローゼマイン様が必要とされるかどうかがわからなかったので、一応残っていた食材は全て魔術具に入れて神殿に持ち込みました。ですが、平民の料理人だけでは解体できないので捨てた方が良い、と宮廷料理人に言われた食材もあります。どれだけ暴れる凶暴な魔物でも水がなければそのうち死ぬので、土の上に放置しておくと良いそうです」
エラの言葉にわたしはぶるぶると首を振った。
「捨てるなどとんでもありません。神官長に解体方法を伺って、わたくしが解体します」
「……ローゼマイン様の細腕で解体は難しいかと存じます」
ものすごく言いにくそうにフーゴがそう言って、エラが同意するように頷いたけれど、魚の三枚おろしならば任せてほしい。きっとシュタープを変形させた魔力で切るナイフならば、わたしにだって魚が切れるはずだ。
「どちらにせよ、神官長に処理方法を伺いますから、結論が出るまで食材は捨てないでくださいませ」
「かしこまりました」
料理人二人から厨房での戦闘報告を受けた後は、残っている食材での調理方法について書いた紙をニコラに渡す。
「今日すぐでなくても良いので、ニコラはこのレシピを理解するところから始めてくださいませ。ツァンベルズッペで使った魚、と言ってもニコラにはわからないでしょう? レシピが理解できたら、このやり方で作ってみてください」
「やってみます」
料理人達が退室すると、魚の解体方法を教えてほしい、とわたしは神官長にお手紙を書いた。魔物に詳しくて、アーレンスバッハにしか生息しないマイナーな魔獣の倒し方を知っている神官長ならば、きっと解体方法も知っているはずだ。
「ザーム、この手紙を神官長に届けてちょうだい。フラン、留守中の報告をお願いします」
「かしこまりました」
それから、側仕え達の報告を聞いていく。特にこれと言って大きな変化はなかったらしい。孤児院の子供達も元気なようで、コンラートはこの冬に文字と簡単な計算を覚えたそうだ。ヴィルマの報告を頷きながら聞く。ちらりと様子を窺えば、フィリーネが聞き耳を立てているのがわかった。
「秋にルッツが森へ同行した下町の子供と遊んだことが良い刺激になったようです。春になったら、また森で遊ぶと約束したので、それまでにカルタをすべて覚えると張り切っていました」
孤児院の子供達と下町の子供達との交流も少しずつ深まっているようで何よりだ。
一通りの報告を聞き終わる頃にはザームが戻ってきた。側仕え達と話をしてグーテンベルクの会合の日を決めなければならないので、ザームも呼んで予定を聞く。
「冬の成人式や春の洗礼式も近いでしょう? いつならば都合が良いかしら?」
「洗礼式の後は祈念式が控えています。グーテンベルクを長期で移動させるならば、なるべく早く会合を行った方が良いでしょう」
フランの言葉にギルが「工房でも事前準備が必要ですから」と頷いた。なるべく早く、で意見がまとまりつつある時にザームが軽く手を挙げた。
「ローゼマイン様、グーテンベルクとの会合には神官長も同席されるそうです。下町の者に聞きたいことがあるとのことでした」
「ギル」
「すぐに行きます」
神官長が同席するというのは最重要連絡事項だ。会合の日取りを書いた手紙をギルに渡して、すぐにプランタン商会に持って行ってもらう。
……それにしても、神官長が下町の人に聞きたいことって何だろう?
プランタン商会からは「わかった。マットレスを運び込むのは会合の日が良いか、それとも、別の日にするか?」という返事が届いた。春は神事が立て込んでいるので、あまり日が取れない。グーテンベルクも出発準備を整えなければならないので、できればまとめてしまった方が良いとは思う。
「フラン、急すぎないかしら? こちらの受け入れ準備は整いますか?」
「いくら急でも、受け入れ準備を整えるのが側仕えの仕事です。お気になさらず。それに、職人がお部屋に出入りするのですから、ローゼマイン様が会議室にいらっしゃるうちに作業を終えてもらうのが一番良いと存じます」
下町の職人が出入りする時にわたしが部屋にいるのは護衛の立場から考えても良くない、とダームエルやコルネリウス兄様にも言われ、わたしは会合の日にマットレスを入れてもらうことにした。
そして、グーテンベルクとの会合の日となった。今日は神官長も同席するので、貴族区域の会議室を使って会合を行う。神殿の側仕えに加えて、側近の文官や護衛騎士がわたしと神官長二人分いるので、部屋の中はかなり人が多い。
ベンノ、マルク、ダミアン、ルッツのプランタン商会は城にも出入りできるように教育されているので問題ないが、その他のグーテンベルク達はガチガチに緊張しているのがよくわかった。孤児院長室でも緊張するのに、貴族区域なんて出入りしたくない、インク工房のヨゼフの強張った顔が主張しているようだ。
「ローゼマイン様、会合を始める前にこちらを紹介させてください。座面にマットレスを使用した椅子でございます。寝台のマットレスと共にいかがでしょう?」
ベンノの紹介によって、ザックとインゴが会議室に椅子を一つ運んできた。細かい装飾がなされた肘掛や脚が美しく優美な女性向けの一人用の豪華な椅子だ。座面には染めの布が使われている。
「マットレスの試作段階で作った椅子でございます。この木の部分はインゴの木工工房が、マットレスはザックの鍛冶工房が、布はローゼマイン様のルネッサンスであるエーファが染めた物、その染めに必要な染料はハイディが準備した物を使っています」
わたしは早速その椅子に座ってみる。コイルが敷き詰められた上に布が張られているだけなので、麗乃時代のソファと比べるとかなり硬めだが、クッションを敷けば全く問題ない。木の板ではないので、お尻が痛くない。このマットレスの上に今まで使っていた布団を敷けば、かなり寝心地が良さそうだ。何よりもグーテンベルクが皆で協力して作ってくれたのが嬉しい。
「気に入りました。寝台のマットレスと合わせて購入いたします」
「恐れ入ります」
ベンノとギルドカードを合わせて精算すると、成り行きをじっと見ていた神官長がわたしを睨んだ。
「マットレスというのは何だ? 私は報告を受けていないと思うが?」
マットレスを作るのはなかなか大変そうだし、非常に高価だ。何より、グーテンベルクには印刷業を優先してほしいと思っているわたしはマットレスをあまり広げる気がなかったのだけれど、神官長に見つかってしまった。
「これは、その、とても個人的なお買い物ですし、まだ試作品ですから、改良を重ねて完成すれば、こっそりと紹介するつもりだったのですけれど……」
「私は、マットレスとは何か? と聞いているのだ、ローゼマイン。君の個人的な事情はどうでもよろしい」
神官長は誤魔化されてくれない。わたしはそっと息を吐きながら、簡単にマットレスの説明する。
「わたくしが注文したマットレスは寝心地を良くするために寝台に入れる物です。ザックが気付いたように、こうして椅子にも使えます。わたくしのレッサーバスには不要ですけれど、これを使うことができれば、馬車はもっと乗り心地が良くなると思います」
言葉を付け加えると、ベンノやザックがバッと顔を上げた。二人とも良い販路を見つけた顔をしている。きっとギルド長に高く売りつけるに違いない。
「ローゼマイン、代わりなさい。座り心地を試してみて気に入れば、私が注文する」
「では、わたくしにお魚の解体を教えてください」
お魚の解体方法を教えてくださいという手紙に対して、ザームは神官長がこの会合に同席すると言ったけれど、肝心のお魚解体に関する返事がなかった。わたしだってお魚に関しては忘れていないし、誤魔化されない。許可を得るまでは動きません、と思いながら見上げていると、神官長が軽く息を吐いた。
「……よかろう」
わたしはニッと笑って椅子から退くと、神官長に椅子を譲る。座った神官長が何度か手で座面を押し、クッションを置いたり除けたりしながらマットレスを確認した後、立ち上がった。
「会合の後でグーテンベルクに長椅子を注文する。ギード、注文できるように準備を」
「心得ました」
呼びかけられた神官長の側仕えが会議室を出ていく。どうやらかなりマットレスがお気に召したようだ。一人掛けの椅子ではなく、長椅子で注文するようだ。
……もしかして、工房に入れてベッド代わりに使う気じゃ?
そんなことを考えながら、わたしはグーテンベルクに向き直った。
「では、グーテンベルクの冬の報告をお願いします」
ベンノからは城での売り上げに関する報告がされ、グレッシェルとハルデンツェルとローゼマイン工房の比較等がされる。植物紙で値段を抑えているとはいえ、本は高価な物だ。購入人数が決まっているエーレンフェストでは全体的な売り上げは落ちているらしい。
「来年には貴族院で印刷をお披露目すると伺っているので、販路の拡大を期待しています。それから、ローゼマイン様に教えていただいた文具も少しずつ揃ってまいりました」
紐を通して綴っていく昔のファイルに加えて、それを入れていく箱など、文具と言われてパッと思い浮かんだのは麗乃時代の百均にあったものだ。それをベンノが一生懸命に再現してくれているらしい。
いくつかの試作品をもらい、実際の使い心地を聞いてみる。プランタン商会ではすでに使っているようだ。
「ローゼマイン工房の紋章を入れて、それぞれ20ほど神殿長室に納品してくださいませ。これだけ文具が揃ってきたならば、綴りやすいように、穴あけのための機械と、紙を同じ大きさで裁断するための機械が必要ですね」
穴あけパンチと裁断機の注文をしたい。できれば、ホッチキスも欲しいな、と考えを巡らせていると、ヨハンがビクッと体を震わせた。ヨハンの反応は正しい。これはヨハンの仕事だ。
そんなヨハンからはポンプの普及具合や冬の間に預かっていたグレッシェルの職人に関する報告がされる。
「北から下町の中央にかけてはほとんどの井戸にポンプが付けられました。ローゼマイン様がおっしゃったように、他領の商人を迎えるところを優先で付けています。これから職人通りに普及しながら、南の居住区にも最終的には取り付ける予定です」
ヨハンの弟子のダニロが順調に育っているようで、細かい部品を作るのが少し楽になっているようだ。ザックの工房でもマットレスのコイル作りを延々としていたおかげで、ザックが不在でも神官長分のマットレスの注文を受けられる状態にはなっているらしい。
ヨゼフからはグレッシェルの素材を使ったインクに関する報告があった。今日は貴族がたくさん同席するので、ハイディはお留守番らしい。新しい素材が手に入りそうな長期出張を殊の外楽しみにしているそうだ。
「こちらの研究結果は城からギーベ・グレッシェルに送っておきましょう。それから、この春に向かうのはライゼガングです。今回も文官や領主候補生が同行します。大変でしょうが、よろしくお願いいたします」
わたしが行先を発表すると、ヨゼフが発言を求めておずおずと手を挙げた。
「何かしら、ヨゼフ?」
「大変不躾なお願いなのですが、滞在場所を貴族の館ではなく、去年のグレッシェルのように下町で過ごせるようにしていただきたいと思います」
ハイディを連れて行かなければ研究が進まないけれど、貴族の館に併設されている離れでは心労が大きすぎる、というヨゼフの苦悩にわたしは頷く。
「そちらの方がやりやすいのでしたら、下町に滞在場所を準備してもらえるようにギーベ・ライゼガングに交渉しましょう」
「ありがとうございます」
ヨゼフだけではなく、ザックやヨハンもホッとした顔になった。
ライゼガングに向かう日取りは去年と同じように、直轄地の祈念式を終えてからになる。祈念式を終えたらすぐに出られるように準備をしてほしい、とお願いしたが、もうさすがに長期出張にも慣れたようで、誰も表情を変えずに頷いた。
冬の報告とライゼガングに向かう打ち合わせが終わり、わたしは神官長へ視線を向ける。同席しているのは、聞きたいことがあるから、だったはずだ。
「神官長、下町の者に尋ねたいことがあるとおっしゃいましたよね?」
わたしの言葉に神官長が「あぁ」と顔を上げ、代わりにグーテンベルク達には何とも言えない緊張感が満ちていく。
「エーレンフェストの下町には魔石を扱う店があるか?」
ベンノやマルクは首を傾げ、思い当たるものがあるらしい職人達はどのように答えれば失礼にならないのかわからないようで、お互いに発言権を押し付け合うような表情で顔を見合わせ始めた。
「従者の身で失礼であることは重々承知ですが、私に発言をお許しください」
一向に答えが返ってこないことに神官長が苛立ち始めた時、挙手して発言の許可を求めたのは、ベンノの後ろに立っていたルッツだった。職人達と同じ環境に育ち、プランタン商会で貴族との会話することを叩きこまれているルッツは適任だ。
神官長が軽く片方の眉を上げた後、ルッツに発言の許可を与える。
「下町には森で解体に失敗した魔獣の魔石を買い取ってくれる石屋がございます」
ルッツによると、西門近くの市場が立つ辺りに魔石を買い取ってくれる店があるらしい。わたしは狩りをしたこともないので知らなかったが、魔獣を解体するのに失敗すると、平民でも魔石を取ることができ、それを中銅貨一枚から大銅貨一枚くらいのちょっとしたお金で買い取ってくれるそうだ。
「どのような魔獣の魔石だ?」
「シュミルが多いです。珍しいのだとアイフィント、ザンツェは比較的高く買い取ってくれます」
……シュミルってシュバルツやヴァイスのちっちゃいの、だよね? 狩っちゃうんだ。
初めて知る衝撃の事実だったが、あの頃の生活を知っているので、仕方がないことだと理解はできる。直視はしたくないけれど。
「ふむ。クズ魔石だな。買い取られた魔石がどこに売られているか、わかるか?」
「それは石屋の者か、商業ギルドの者でなければわからないと存じます」
「そうか」
神官長が何やら考え込み始めたので、わたしは神官長を放っておいてベンノに向き合った。
「ベンノ、クラッセンブルクの商人はどのような様子ですか? 前回の城では他のギーベもいたので尋ねられなかったでしょう?」
わたしとしては気を使ったつもりだったが、ベンノに笑顔で睨まれた。「神官長や貴族の側近がいるここでも尋ねるな、阿呆」と怒られている気がする。けれど、神官長はともかく、これ以上貴族の人数が減ることはこの先ないと思うのだ。
「ダルアとしては優秀です。それ以外の報告は文書でお届けしていると存じます」
「クラッセンブルクや他領の様子に関しては興味深く拝見しました。けれど、その情報源であるカーリンの人となりやどの程度の情報があちらに流れているのかが読み取れませんでした。責任者であるベンノから伺いたいのです」
わたしがじっとベンノを見据えると、ベンノは根負けしたように目を伏せた。
「エーレンフェストに置いて行かれるのは本人には知らされていなかったようですね。普段は気丈な姿をしていますが、時折不安そうな顔をしています。情報の受け渡しを行う者と連絡を取ることを警戒していましたが、秋の終わりから今まで接触していません」
「ベンノはカーリンをどうするおつもりですか?」
わたしの質問にベンノはゆっくりと顎を撫でた。
「今のところは特にどうとも。普通のダルアが契約を切るのと同じ扱いで問題ないと存じます」
……なんだ、嫁にはしないのか。
コリンナが冬の終わりには関係も変わっているだろうと言っていたので、少し期待していたが、特に関係は変わらなかったらしい。ベンノの星結びの儀式を楽しみにしていたのに残念だ。
「そうなのですか。オットーとコリンナの話から、次の星結びの儀式でベンノに祝福を与えることができるのではないか、と思っていたのですが……」
「そのようなことはあり得ません」
ベンノの赤褐色の目が「ふざけたことを言うな!」と怒っている。一瞬ビクッとした後、護衛騎士に囲まれていてよかった、とわたしは心底思った。その怒りはオットーやコリンナ、カーリンをベンノの嫁にしようとしたギルド長に向けてほしい。わたしが最初に言ったのではないのだ。
「カーリンに関する警戒すべき正念場は、春の終わりから夏にかけて、カーリンの父親がやってきた時になると考えています。商人のことは商人のうちで解決いたします。アウブ・エーレンフェストにご迷惑はかけません」
自分の手が届く範囲内で終わらせる。そう決意しているベンノを見て、わたしはゆっくりと頷いた。
「わたくしはベンノの判断と覚悟を信頼しています。……それでも、わたくしの力が必要になれば教えてくださいませ」
「恐れ入ります」
ベンノが礼を述べつつも、挑戦的にフッと笑う。「偉そうなことを言わずに俺に任せておけ、阿呆」と言われたような気がした。