Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (429)
祈念式とライゼガングへの出発
わたしが春の洗礼式を終えるより先に、ヴィルフリートが聖杯や魔石を持って祈念式に出発した。祈念式を終えると、すぐにライゼガングに向かって印刷関係の最終確認をしなければならないので忙しいらしい。
「私も其方の真似をして騎獣を使って移動し、午前と午後に祈念式を行うのだ。なるべく早く終えて、ライゼガングに行かねばならぬ」
「わたくしの真似をするのは構いませんが、回復薬を忘れずに準備していますか? 午前と午後で祈念式を行うと負担が大きいですよ」
わたしの魔力が籠った魔石を使うのだから、それほど自分の魔力を使うわけではないのかもしれない。それでも、一日に二回の祈念式は大変だと思う。わたしの言葉にヴィルフリートは神官長を一度見た後、ゆっくりと頷いた。
「うむ。準備した。自分で作れるようになったからな」
……神官長の優しさは必要ないってことかな?
かなりひどい味だが、講義で教わった回復薬とは効果が全く違うのだ。わたしはとりあえず予備としてランプレヒト兄様に神官長の回復薬を少し持たせ、無理させすぎないように、と注意して送り出す。
「大丈夫でしょうか? 一日に二回は大変だと思うのですけれど」
「青色巫女見習いの頃に君が一日に何カ所も回った祈念式に比べれば何ということもない。君と違って体力も魔石もあるのだ。心配する必要はない。やらせておけ」
ヴィルフリートから聖杯を引き継ぐ形でわたしは直轄地の祈念式に向かって出発だ。
出発までが大変だった。成人して街の外に出る任務に携わることができるようになって、祈念式に同行したがったハルトムートとコルネリウス兄様のせいである。
「二人ともお留守番です」
「何故ですか?」
神殿長として向かう神事なので文官は必要ないこと、こちらが食料などを準備して持ち込まなければならないこと、寝るための部屋が準備できないことが大きな理由だ。絶対に連れなければならない護衛騎士以外の側近はお留守番である。口惜しそうにハルトムートが護衛騎士であるコルネリウス兄様をしばらく睨んでいたが、何に気付いたのか、突然ポンと手を打った。
「仕方がありません。ローゼマイン様がご不在の間に、収穫祭でご一緒できるように徴税官の仕事を学んできます」
「え?」
「今は人手不足ですから、仕事を学び、どうしてもローゼマイン様に同行したいこの思いをアウブに訴えれば、受け入れられると思います」
……本当にそうなりそう。
人材不足というのは、養父様や神官長が安心してわたしに付けられる人材が少ないという意味である。税に関わるような重要な仕事は旧ヴェローニカ派ががっちりと押さえていたようで、要職は入れ替えたものの、全員を入れ替えられるわけもない。
ハルトムートが徴税の仕事を覚えれば、「ちょうど良いから行って来い」と養父様が言うのが目に見える。
……でも、全く知らない人よりはハルトムートの方が安心できるかな? ハルトムートの場合、別の種類の不安が大きくなるけど。
「ハルトムートは徴税官の仕事を覚えるためにお留守番ということでよろしいですね。それから、同行するつもりのコルネリウスには悪いのですけれど、護衛騎士はダームエルとアンゲリカだけです。コルネリウスも残ってくださいませ」
「ローゼマイン様、何故成人した私が護衛任務から外されるのでしょう?」
コルネリウス兄様が不愉快そうに顔をしかめた。そんな顔をされてもダメなものはダメだ。
「平民の冬の館に貴族を受け入れられる部屋が少ないと言ったではありませんか。それが最大の理由です」
本来の青色神官はぞろぞろと護衛騎士を連れて儀式に向かわないのだ。冬の館には青色神官が使うための部屋が大抵は三つほど確保されているが、貴族の護衛騎士が何人も付いてくることは想定されていないので、あまり増えられると困る。
青色神官向きの部屋がなければ、側仕え用の部屋でも寝られるダームエルと違って、コルネリウス兄様は生粋の上級貴族だ。騎士なので、一通り自分の身の回りのことはできるけれど、長期になるので自分の側仕えも連れて行っても良いか、と尋ねてくるようなお坊ちゃまなのである。平民に揉まれる直轄地の護衛騎士には向かない。
「それに、ライゼガングへの護衛はコルネリウス兄様、レオノーレ、アンゲリカにお願いすると決まっているではありませんか。直轄地はダームエル、ライゼガングはコルネリウスで何か問題がありますか?」
ライゼガングは祈念式だけではなく、印刷の仕事も兼ねているのでライゼガングの夏の館に泊まることになる。上級貴族の夏の館ならば、ダームエルよりも血族であるコルネリウス兄様の方が適任だ。側仕えを連れるのは当然で、受け入れ場所も豊富で、文句など言われないだろう。
「かしこまりました」
こんなやり取りを経て、何とかいつも通りに祈念式へ出発することができたのだ。例年通りハッセに寄って、町長であるリヒトから問題なく小神殿と町がお付き合いできていることを確認した。そして、小神殿で宿泊し、小神殿の灰色神官達からの報告を聞き、孤児院と少しずつ人員を入れ替える。こうして、次の年に印刷する原稿を渡すのだ。
「プランタン商会から紙やインクも問題なく届いています。小神殿では冬に何をしているのかという話になった時に印刷の話をしたところ、男達の冬の手仕事として印刷を手伝うことができないか、とハッセの町民から申し出がございました」
「わかりました。リヒトから正式な申し出があった時にお返事ができるように考慮してみますね」
印刷の手伝いが増えるのは嬉しいけれど、冬の手伝いは吹雪いて自宅に戻れなくなる者が出る可能性が高い。その場合の扱い、与える食料の予備、給料に関しても考えなければならないので、すぐには答えが出ない。
「まずは識字率を上げたいのですけれど、仕事から本に親しんだ方が、識字率を上げることができるかしら?」
そろそろ神殿教室の開催について真剣に考える時が来ているのかもしれない。ただ、少し遠くて状況がよく見えないハッセよりも先に領主のお膝元であるエーレンフェストの神殿で始めたいのだが、どのような建前が必要だろうか。
悩みながらも、わたしは神殿長の服から母さんが染めた布で作った衣装に着替えさせてもらい、それに合わせたトゥーリの髪飾りにつけ直してもらう。
……父さんにお披露目するんだ。
夕食を摂った後、わたしは兵士達のテーブルへ向かう。任務中なのでお酒は飲めないが、エラやフーゴが作る料理をたくさん食べて、わいわいと楽しそうに盛り上がっていた。灰色神官達の護衛としてエーレンフェストからやってくる兵士達、主に父さんとの短い交流はわたしにとって大事な時間だ。これは絶対に外せない。
「お久し振りですね、皆様。よろしければ、最近の下町の様子を聞かせてくださいませ。グーテンベルク達から入る情報と街中を隅々まで歩く兵士の皆様では見ている物が違いますから」
わたしが兵士たちのテーブルに向かって声をかけると、待っていました、というように声が上がり始めた。
「神殿長、実は士長の奥さんがルネッサンスなんですよ」
「冬の半ばに神殿長の専属としてルネッサンスに選ばれたって大騒ぎになったんです。知っていましたか?」
「まぁ! 不思議な偶然もあるものですね」
不思議でも何でもない。わたしはトゥーリの反応を見ながらルネッサンスを指定したのだ。それでも、わたしは驚いた振りをしておく。
その後は父さんが言いふらしたのだろう、兵士達は口々に母さんがルネッサンスに選ばれた頃の話を始めた。三人の候補に選ばれたが、ルネッサンスの称号を得られなかったことで奮起してどれほど頑張って称号を得たのかが細かく語られる。
「神殿長が称号を与えなかったことで、非常に悔しがった士長が荒れまして。次こそはルネッサンスに選ばれてほしいと兵士一同、願っていました。士長の奥さんをルネッサンスに選んでくださってありがとうございました」
「余計なことを喋りすぎだ、お前等」
口ではそう言っている父さんだが、顔は嬉しそうに笑っていて、わたしを見ていた。
「神殿長、私の妻のエーファはとても努力していました。自分の染めた布で作った服を神殿長に着てほしい、と。どのような布が似合うのか、専属で髪飾りを作っている娘とも相談して、いつも考え込んでいました」
父さんの言葉に母さんとトゥーリが一緒に染めのデザインを考えている図が思い浮かぶ。わたしは少し表情を緩ませながら、ほんの少しスカート部分を摘まんで見せた。
「これは新しい布で誂えた衣装です。エーファの布を使っているのですよ」
おぉ、と兵士達がどよめき、「本当に神殿長が着ているんですね」と目を丸くする。きっと父さんの話は大袈裟に脚色されていると思われていたのだろう。父さんの家族愛は暑苦しくて暴走しがちで、自慢話はどんどんと大袈裟になっていく傾向がある。そんなことさえ懐かしい。
「士長の娘さんも神殿長の専属なんですよね? 神殿長は娘さんとは面識があるのですか?」
「えぇ、トゥーリの髪飾りはいつもつけています。今日のこれもトゥーリの作品なのです」
わたしは自分の髪飾りに手を触れる。父さんがとても嬉しそうに目を細め、周囲の兵士達にエーレンフェストの新しい染めに挑戦する母さんや王族に収める髪飾りを作るトゥーリの自慢話を始めた。やっぱりちょっと大袈裟だ。
「士長の家族自慢はもう何度も聞きましたって。果汁で酔ったんですか?」
周囲の兵士はいつも聞かされていると言わんばかりに顔をしかめるが、父さんは「じゃあ、息子の話にしよう」と全く懲りない。
「そっちも聞きました!」
「あら、わたくしは少し興味があります。下町の子供達はどのように過ごすのでしょう? 孤児院の子供達とはどのように違うのでしょう?」
「下町の子供は孤児院の子供のようには行儀が良くないですよ。やりたい放題です」
一人がパタパタと軽く手を振ってそう言うと、他の兵士達も頷いた。森に向かう孤児院の子供達は引率の大人の言うことをよく聞いて、整列して歩き、門番の兵士達に必ず挨拶をする。言葉は下町の言葉に合わせようとしているけれど、咄嗟の時に出るのが丁寧な言葉だそうだ。
「下町の子供は門番にそんなに丁寧に接しません。友達の父ちゃんだと思えば、悪戯を仕掛けてくるのもいますから」
兵士達が自分達の幼い頃の思い出話をしたり、自分の子供がどんなことをしているのか、話し始めたりする中で、父さんはカミルが森で採集を始め、ルッツを通じて孤児院の子供達と交流が始まったことを教えてくれた。
「孤児院の同じ年頃の子供が神様や騎士のお話をとてもよく知っていると息子は言っていました」
……ちょっと待って。孤児院の同じ年頃の子供って、ディルクやコンラートしかいないよね!?
カミルに繋がる細い糸を見つけて、わたしはとても嬉しくなった。そういえば、ヴィルマからの報告でコンラートが下町の子供から良い影響を受けたと言っていた気がする。また詳しく聞いてみなければならない。
そう思っていると、7の鐘が鳴り響いた。ハッセの冬の館で鳴るので、普段の神殿で聞く音よりも遠く小さく聞こえる。
「就寝のお時間です、ローゼマイン様」
静かに背後に控えていたフランの言葉にわたしは頷き、暇を告げる。
「残念ですけれど、わたくしはもう下がらなければなりません。今年の夏もまたたくさんの商人が他領からやってくることになります。兵士の皆様も大変でしょうが、エーレンフェストの治安を守るために頑張ってください。おやすみなさいませ」
素敵な収穫を得た直轄地の祈念式を終えると、シャルロッテに交代だ。
「シャルロッテの騎獣はヴァイスですね。白くて額に金色の魔石が付いていますから」
「他の皆からも指摘されましたけれど、わたくしにとって一番印象深いシュミルがシュバルツとヴァイスだったのですもの」
「可愛いので良いと思いますよ」
「お姉様と同じように大きさを自在に変えたいのですけれど、なかなか上手くいきませんね」
シャルロッテはわたしのレッサーバスを見て、乗り込み型の騎獣とは自在に大きさが変えられる物という認識があるので、時間がかかったり、魔力が余分に必要だったりと大変だが、多少大きさが変えられるらしい。
「練習して慣れるしかありません。慣れるまでは回復薬を手放さないように気を付けて、魔力が少なくなったらすぐに回復させるのですよ」
「わかっています、お姉様」
祈念式に出発するシャルロッテを見送った後は、ライゼガングに最終確認に行っていたヴィルフリートからの報告を待ちつつ、体調を整えてライゼガングへの出発準備だ。
護衛騎士はコルネリウス兄様、レオノーレ、アンゲリカ、側仕えはオティーリエとブリュンヒルデと決まっている。
問題は文官だ。印刷関係の話をするので、できれば全員連れて行きたい。けれど、フィリーネは下級貴族で、ローデリヒは旧ヴェローニカ派である。不愉快な思いをするかもしれない。
「ローデリヒやフィリーネにとっては不愉快なことが多い場所になるかもしれません。寮でお留守番でも良いのですけれど、どうしますか?」
「わたくしは参ります。印刷はローゼマイン様の側近として避けて通れませんから」
フィリーネはきっぱりと即座に返事をした。ローデリヒもフィリーネの答えに同意する。
「フィリーネの言う通り、印刷に関わる機会を逃すわけにはまいりません。私はローゼマイン様の側近としてまだ満足に仕事ができていないので、多少の不愉快を気にしていられる状況ではないのです」
ローデリヒはフィリーネと争うようにしてほぼ毎日神殿に通い、神官長に振られる仕事をこなしては、「やり直し」と言われる去年のフィリーネ状態である。
できないと落ち込むローデリヒを「皆が通ってきた道だから、気にしなくても良いですよ」とフィリーネが慰めている横で、アンゲリカは「わたくしは今までもこれから先も通りません。そのためにも護衛仕事は誰にも譲りませんよ」と真面目な顔で宣言するし、ハルトムートは「私は最初からできたので、そのように悩んだことはありません」とローデリヒを更に突き落としたりするのだ。困った二人である。最近ではローデリヒを見かねたダームエルがアンゲリカとハルトムートが余計なことを言う前に二人を追い払うようになっている。
シャルロッテが戻ってくる頃には最終責任者であるお母様から詳しい日取りのお知らせがあった。準備を整えているだろうグーテンベルクにもすぐに日取りの連絡を入れる。
「また長期出張になりますが、よろしくお願いしますね」
出発当日はグーテンベルクがたくさんの仕事道具を持ってくる。荷札がついていることを確認し、それを次々とレッサーバスに積み込んでいくのだ。製紙工房に向かう灰色神官達も慣れない服を気にしながら、ギルの指示に従って作業を手伝い、フランとモニカはライゼガングで祈念式を行えるように、神事に必要な荷物を積み込んでいく。
「ザック、マットレスの開発、どうもありがとう。とても寝心地が良くて寝台から出るのが億劫になるほどです。神官長の長椅子も大変でしょうけれど、よろしくお願いしますね」
「任せてください。神官長からの注文にウチの工房の皆が、絶対に良い物を作るぞ! と張り切っています」
ザックが「紹介ありがとうございます」と言った。グーテンベルク繋がりのわたしだけではなく、これまでは全く注文がなかった領主の弟である神官長からの注文が増えたことで、このまま領主一族の専属を目指そうと、ザックの工房が盛り上がっているらしい。
「鍛冶協会がポンプと同じような登録を求めていますが、今年いっぱいはウチで独占させてください」
「注文が集中して手が回らなくなる前に、設計図を公開して作れる職人を準備しておいた方が良いと思いますけれど、わたくしはいつ鍛冶協会に設計図を譲るのでも問題ありません」
ザックの言葉をわたしは了承した。注文してアイデアは出したけれど、最終的にデザインをしたり、試行錯誤を重ねたりして作り上げたのはザックの工房の人達だ。鍛冶協会に設計図を譲ることになれば、アイデア料は少しもらうつもりだが、その時期はいつでも良い。
「恐れ入ります。ローゼマイン様が次から次へと新しい物を注文するので、独占していられるのもそれほど長い期間ではないと思います。それに、長期出張で留守にする間の仕事を任せるので、後続の腕が上がるのも早くなったように感じました」
ザックがそう言って苦笑した。ガンガン仕事を積み上げてザックが出かけるので、それをこなす間に弟子たちの腕も上がっているらしい。その話を聞いていたヨハンも肩を竦める。
「それはこちらの工房も同じです。グーテンベルクとして出張している間は嫌でも仕事を任せなければなりませんから」
「弟子の様子はいかがです? ダニロと言ったかしら?」
「ダニロの腕はぐんぐん上がっています。グレッシェルの若い職人が修行に来たのが良かったようです」
ヨハンの後を継げるのはダニロくらいだ、と工房内ではおだてられ、ダニロは少し驕っていたらしい。ハルデンツェルの職人が金属活字を半分ほど作れるようになったことをヨハンが言っても、あまり信用していなかったようだ。けれど、グレッシェルから有望な職人を引き受けてヨハンが育てることで、本当に自分と同じ程度まで金属活字を作れる職人がいるということを目で見て知り、気を引き締めて仕事に向かうようになったそうだ。
「インゴから注文を受けていた本棚用の滑車も見本がようやく完成しました。量を作るのをダニロ達の課題にしてきたので、戻るころにはできていると思います」
ガタガタとならない綺麗な円と本を入れた本棚を支えられる強度がとても大変だったらしい。本棚の完成は楽しみなので、ぜひ頑張ってほしいものである。
神殿の側仕えとグーテンベルクをレッサーバスに乗せ、助手席にはユーディットで、まずは集合場所の城に向かう。今日は神官長も一緒に神殿を出て城に集合だが、神官長の目的地は別だ。文官を引き連れて魔法陣の確認のためにハルデンツェルに向かうことになっている。
「新しい発見があれば良いですね」
「魔法陣が見られるだけでも十分だ」
神官長の口元には微かに笑みが浮かんでいる。楽しそうで何よりだ。
城には準備を終えた者達がわたし達の到着を待ち構えていた。ハルデンツェルの文官チームとライゼガング印刷チームである。
ライゼガングへ向かう方は文官達に加えて、ヴィルフリートとシャルロッテの側近達もいた。印刷事業を行うのがわたしだけではないことを、ライゼガングに知らせるためである。
「ローゼマイン、準備は良いか?」
最終責任者であるお母様がライゼガングに向かうのはわかっていたが、その隣にはお父様や五人ほどの騎士もいる。
「領主候補生の大移動だからな。ハルデンツェルの時と同じだ」
「カルステッドにとっては母方の実家にもなる。適任であろう?」
養父様はニッと笑ってそう言った後、少し心配そうにヴィルフリートを見た。
「ローゼマイン、ライゼガングはアーレンスバッハの血を引く二人にとって油断ならない土地だ。だが、ヴィルフリートが次期領主となるならば、避けて通れる相手ではない。あそこを味方に取り込むことができるかどうかでこの先が大きく変わる」
肉体的に傷つけられることはないだろうが、精神的にはかなりきついだろう、と養父様が言った。
「なるべくわたくしが二人の矢面に立ちますよ。ヴィルフリート兄様とシャルロッテには冬の社交界で色々と庇ってもらっていますからね」
「頼む。誰に似たのかヴィルフリートが楽観的で、不安なのだ」
養父様の言葉に、わたしはヴィルフリートへ視線を向ける。ヴィルフリートは神官長と話をしていた。
「ヴィルフリート、くれぐれも油断するな」
「最終確認に行った時はそのように心配する要素はありませんでした。とてもすんなりと終わりました」
ライゼガングの最終確認を終えたヴィルフリートは嬉しそうにそう言って胸を張った。その自信を神官長が「当り前だ、馬鹿者」と冷たい言葉で叩き潰していく。
「最終確認がすんなりと終わらないのはライゼガングに不備があるからということになる。其方に失点を見せるような真似をするわけがない。何より、確認が終わらなければ、彼等が熱望するローゼマインがライゼガングに足を運ぶことはないのだからな」
ヴィルフリートが押し黙っても、神官長は言葉を止めない。
「ライゼガングはローゼマインを次期領主に、と強く思っている者が多い土地だ。血族の側近達を通してローゼマイン本人に領主となる意思がないことや、其方と結婚して支えていきたいと思っていることを伝えてはいるものの、いまだ諦めていない者もいる。其方にとって敵地に等しい。そう心に刻んで迂闊な言動は控えるように細心の注意を払え。良いな?」
「……かしこまりました、叔父上」
俯いて口惜しそうに唇を噛みしめるヴィルフリートを見ながら、養父様がそっと息を吐く。
「支えてやってくれ、ローゼマイン」
養父様にそう言われ、わたしはヴィルフリートのところへ向かう。
「ヴィルフリート兄様、フェルディナンド様のお言葉は厳しいですが、あれは心配しているからなのです。心配していなかったら、フェルディナンド様は何もおっしゃいませんから」
わたしの言葉にヴィルフリートは懐疑的な表情になる。気持ちはわからないわけではないが、神官長のあれは一応とても心配している言葉なのだ。
「多分、ライゼガングに行けばわかります。わたくしも重々気を付けるように、それから、ヴィルフリート兄様を守ってライゼガングでは矢面に立つように、と言われているのです」
「其方が矢面に、か」
ヴェローニカの血筋を憎むひいおじい様がいるのだ。気を引き締めなければならない。
「ローゼマイン、私は大丈夫だと思うか?」
不安そうなヴィルフリートを安心させるため、わたしは自分の胸を叩いて答える。
「わたくしが付いているのですから、大丈夫に決まっています」
「……何だか余計に不安になったぞ」
そう言って唇を尖らせた後、ヴィルフリートはいつもと同じような笑顔を見せた。