Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (431)
曾祖父様
「ガブリエーレ様の輿入れによって煮え湯を飲まされ、ヴェローニカ様に冷遇され、憎悪を募らせて生きてきたおじい様は憎しみで凝り固まっているのです。ライゼガングの凋落をその身で味わってきたことを知っているので、その気持ちはわかりますが……」
わたし達に視線を戻し、ギーベ・ライゼガングはゆっくりと息を吐く。そして、この部屋にいる側近達を含めた全員をぐるりと見回し、「五年前と違って領主一族の側近がライゼガングの関係者ばかりになっているな」と苦笑した。
「我々はエーレンフェストが今のエーレンフェストとなるより、ずっと以前からライゼガングを守ってまいりました」
そこからライゼガングの歴史が語られる。冬が長く、領地の北が雪と氷に覆われるエーレンフェストにとって、南側に位置するライゼガングの土地は貴重な食糧庫だった。先祖代々、魔力で土地を開墾し、農地を広げ、アウブが変わっても恭順と婚姻によって、ずっと広大な食糧庫を守ってきたそうだ。
「ライゼガングを守るため、アウブに対する恭順を示す。それが我々の生き方でした。私としてはおじい様が亡くなれば、ヴェローニカ様にも恭順を示すつもりだったのです」
「何だと?」
ヴィルフリートが信じられないと大きく目を見開いた。
「ライゼガングはおばあ様を憎み、恨んでいると……」
「あからさまに冷遇されて悪感情を抱かない者はほとんどいないと存じます。ですが、どのような対応をする者でも領主一族です。恭順を示して土地を守るのがライゼガングの生き方ならば、心の内はともかく、恭順を見せるべきでしょう」
実際に頂点にいた状態から他領の姫の輿入れによって娘や孫が冷遇される状況を味わってきた曾祖父様と違い、ギーベ・ライゼガングは生まれた時から冷遇されている状況であった。
現実を直視し、恭順を示し、これから先また上がっていけば良いと考えたそうだ。養父様にライゼガングから第二夫人を娶らせたり、次期領主にライゼガングの娘を嫁がせたり、それまで通りに婚姻で繋がりを作っていく予定だった。
「ところが、事態が一転しました。おじい様が亡くなるより先にヴェローニカ様が失脚されたのです。そして、ほぼ同時期に、カルステッド様の娘であるローゼマイン様の洗礼式が行われ、その場で領主の養女となられました」
わたしが洗礼式で皆に贈った祝福の光とアウブとの養子縁組の話をすると、ライゼガングへの祝福だと曾祖父様は大喜びし、ライゼガングの栄光再び! とやたら元気になり始めたらしい。
養女となった以上、わたしには次期領主となる資格がある。当時のヴィルフリートの評判が良くなかったので、大半の貴族達は養父様が自分の血を繋ぐために、わたしを次期領主にして、ヴィルフリートを配偶者にするのだろうと考えたようだ。
城で働く文官やヴィルフリートの側近の大幅な配置転換が行われ、子供部屋の大規模な改革があり、わたしと神官長が主導する新しい本や玩具の販売など、城の中がどんどんと変わっていくのは離れた土地で過ごすギーベにもわかるほどだった。
「ローゼマイン様が次期領主となれば、アーレンスバッハから輿入れしてきたガブリエーレ様の血が混じらないライゼガング系の領主の誕生となる。おじい様が声をかけると、すぐさまヴェローニカ様に冷遇されていたライゼガング系がまとまり、後ろ盾になろうと動き出しました」
だが、シャルロッテの誘拐未遂事件が起こり、わたしがユレーヴェに浸かって二年も目覚めない事態に陥った。担ぐべき神輿がなければ、ライゼガングの復権もない。襲撃の話を聞いた曾祖父様は「神はいないのか!?」と叫んだ後、意識を失ってしばらく目覚めなかったそうだ。
「ローゼマイン様が眠られている間もエーレンフェストは目まぐるしく変わっていきました」
ヴェローニカ派に代わって、ライゼガング系が少しずつ重要なポストに就くようになってきて、ヴィルフリートとシャルロッテの二人で次期領主を競う空気が作られていく。「ローゼマイン様を次期領主に」と一つにまとまっていたライゼガング系も、わたしが目覚めないのでは徐々に分かれていくのを止められない。
「諦めかけた時にローゼマイン様の目覚めが知らされ、冬の社交界にいらっしゃいました」
曾祖父様は「神々の采配だ! 絶対にローゼマイン様を次期領主にするのだ!」と大声で叫んで、噎せて寝込んだらしい。
血族から次期領主が出ることに何の異存もない。ギーベ・ライゼガングは冬の社交界の時期にまたライゼガング系を集めてまとめ上げていった。
「ところが、おじい様の望みはヴィルフリート様とローゼマイン様の婚約でまた白紙に戻ってしまいました。それだけではなく、ライゼガングの娘が次期領主予定の者の第一夫人となるという状況に過去がまざまざと思い起こされるようになったのです」
エーレンフェストは今、順位を上げている。これまでは見向きもされなかった領地に注目が集まっている。「ならば、また大領地の姫が輿入れしてきて、第一夫人であるローゼマイン様が煮え湯を飲むことになるのではないか。次期領主の第一夫人となったところで、順位を上げることに最も尽力したはずのローゼマイン様が不利益を被るのではないか」と曾祖父様は勝手に想像して、勝手に怒って、本来は輿入れしてきたガブリエーレ様や当時のアウブに向けるべき憎悪をヴィルフリートと養父様に向けているらしい。
そのような不幸を回避するためには何としてもわたしを次期領主にしなければならないのだそうだ。年を取ったら頑固になると言うけれど、その上に寝込んで閉じこもっているので、世間の変化に疎く、自分の考えに固執しているらしい。曾祖父様はちょっと暴走しすぎだと思うが、ライゼガング系のお年寄りには曾祖父様に共感する者がまだまだ多いそうだ。
「頂点からの転落と長い間の冷遇を知っているおじい様のアーレンスバッハに対する憎しみは大変なものです。ヴィルフリート様やローゼマイン様にその憎しみを払うことができますか?」
ギーベ・ライゼガングが試すようにヴィルフリートを見る。だが、ヴィルフリートは特に気にした素振りも見せず、肩を竦めた。
「憎しみを払えるかどうかわからぬが、会って話をするしかなかろう。私はそのような歴史を繰り返すつもりはないのだ」
「助かります」
……それにしても、憎しみを払うって……曾祖父様がまるで生霊とか悪霊みたいだね。
祈念式で忙しくなる前に、お見舞いの日時を設定します、とギーベ・ライゼガングが自分の側仕えを振り返る。
「そういえば、ライゼガングではハルデンツェルと同じような祈念式を行わないのですか?」
冬の社交界でハルデンツェルの奇跡と言われている祈念式をどこのギーベも真似たいと考えていると聞いている。ライゼガングではどうなのか、とわたしが尋ねると、ギーベは静かに首を振った。
「ライゼガングでは舞台を紛失しているので、ハルデンツェルのようにはできないのです」
「舞台を壊してしまったのはライゼガングだったのですか?」
舞台の作り方を調べるために聖典を開いて、あれから起こった色々なことを思い出してしまったわたしが思わず眉をひそめると、ギーベが苦笑しながら否定した。
「いいえ、ライゼガングは壊したのではなく、長い歴史の中で失ってしまったのです」
ライゼガングでは農地を整備し、どんどんと広げていく過程で利便性が良いように本拠地を次々と変えていった。あまりにも昔のことなので、文献も残っておらず、元々の本拠地がどこなのか全くわからず、壊れているかどうかさえ定かではないそうだ。
「それでも大丈夫なのですか?」
「ハルデンツェルのように北の方ですと、雪解けを早めることができるかどうかは死活問題になります。だからこそ、北の方にも関わらず舞台を壊してしまったギーベは真っ青になっていましたが、ライゼガングは南ですから春を呼ぶ魔法陣がなくても農業にそれほど影響はございません」
ハルデンツェルやその周辺と違って、魔法陣のあるなしはそれほど切実な問題ではないようだ。収穫量が増えるならばあった方が良いけれど、というレベルらしい。
「ローゼマイン様の小聖杯があれば問題ございません。今年もまたライゼガングはエーレンフェストの食糧庫としての役目を果たすことができます」
「ローゼマイン様、曾祖父様のお見舞いの時間です」
ブリュンヒルデがそう声をかけてくれた。よくよく見てみれば、上級貴族の側近は曾祖父様の血を引いた者ばかりだ。
「ブリュンヒルデとレオノーレとハルトムートとコルネリウス兄様……皆、曾祖父様が同じなのですね。不思議な気分です」
「貴族ならばどこかで血が繋がっているものです。ヴェローニカ様の血が云々と曾祖父様はおっしゃいます。けれど、ヴィルフリート様もシャルロッテ様も領主の血を引いているのですから、それほど濃くなくてもライゼガングの血が混じっているのです」
コルネリウス兄様がそう言って肩を竦めると、レオノーレが小さく笑った。
「曾祖父様にとっては、その血の濃さが何よりも大切なのでしょう。だからこそ、ローゼマイン様を次期領主に、と望んだのでございます」
「……側近の皆は曾祖父様と同じようにわたくしが次期領主を目指さないことを不満に思いますか?」
わたしが問いかけると、側近達が揃って肩を竦めた。表情が明らかに「止めておくのが無難」と言っている。
「ローゼマイン様がお望みの通りに進めば良いと思います。そうして、生まれた流行でエーレンフェストが潤うように、わたくしが側仕えとして補佐していきますから」
ローゼマイン様を押し止めようとしたところで止まりませんから、とブリュンヒルデが笑った。その隣でハルトムートが何度も頷く。
「ブリュンヒルデの言うように、ローゼマイン様が何をしても、より聖女らしく見えるように、私が全力で補佐いたします」
どんな失敗をしても任せてください、と爽やかに笑って言われたが、快く受け入れられないのは何故だろう。ブリュンヒルデの頼もしさとは違って、不安に駆られる。
「……何でしょう? 同じようなことを言われているはずですけれど、ブリュンヒルデとハルトムートではずいぶんと違って聞こえますね」
そんな話をしながらレッサーバスで廊下を移動するうちにヴィルフリートとシャルロッテが待っているのが見えた。
「ヴィルフリート兄様、シャルロッテ。お待たせいたしました。二人とも難しい顔をして何を考えていたのですか?」
「おばあ様の血を引き、育てられてきたということで、私がライゼガングの協力を取り付けるのは難しいと思っていたのだが、ギーベ・ライゼガングの話を聞くと、前ギーベ・ライゼガングさえ何とかできれば協力体制に持っていくのは難しくなさそうだ、と話し合っていたのだ」
ヴィルフリートの言葉にシャルロッテが困った顔のままで頬に手を当てた。
「けれど、どのように言葉を重ねれば、何をすれば、前ギーベ・ライゼガングのお怒りが解けるのか、全く思い浮かばなくて……。お姉様に良案はございますか?」
曾祖父様の部屋に移動しながら、わたしは口を開く。
「わたくしに良案などありません。ギーベ・ライゼガングにお話ししたのと同じことです。人伝ではなく、自分がどうするのか、どうしたいのか、自分の言葉でお話しするだけです」
いくら曾祖父様に頼まれたところで次期領主になるつもりもなければ、なれるはずもない。「諦めてください」としか言えない。
「憎悪も怒りも曾祖父様自身が何とかすることですから、わたくしが何とかできるとは最初から考えていません。わたくしは曾祖父様に、次期領主になるつもりはありません、と宣言するだけです」
「其方の割り切り具合に感心するぞ。ライゼガング希望の星と言われている其方にそんな宣言をされては、前ギーベ・ライゼガングがはるか高みに向かわれるのではないか、それが心配だ」
ヴィルフリートの言葉に、わたしは目の前で曾祖父様に倒れられ、若干トラウマになった光景を思い出す。
「……それは困りますね。では、印刷業に関わり、図書館を自由にできれば、自由時間が多くなる第二夫人の方が嬉しいです、というような本音はとても言えませんね」
「そのような本音は私も聞いたことがないぞ!」
ヴィルフリートに怒鳴られ、わたしは「実はそうなのです」と真面目な顔をする。
「お姉様、それはライゼガング系の貴族が納得しませんよ」
「わかっています。ですから、本音はいつも隠しています」
時々、ちょっと顔を覗かせるだけです、と言うと、ヴィルフリートとシャルロッテに溜息を吐かれてしまった。
「言葉には重々気を付けろ、ローゼマイン。さすがにこの面会中にはるか高みに上られるのは困るからな」
「ですよね」
そして、曾祖父様が過ごしている離れに到着し、中に入れてもらう。広くて豪華な部屋の中、ベッドで寝ているのかと思えば、きっちりと着替えて椅子に座っている曾祖父様がいた。去年よりも元気そうに見えるのは気のせいだろうか。
「お、おぉ、ローゼマイン様。ようこそライゼガングへ。こうして再びお目見えが叶うとは神々の采配でございましょう」
非常に大袈裟に喜んでいる曾祖父様だが、ヴィルフリートとシャルロッテはまるで視界に入っていないような対応である。側仕えが軽く肩を叩いているが、鬱陶しそうにその手を払うだけである。
「曾祖父様、わたくしの兄妹も一緒なのです。ヴィルフリート兄様とシャルロッテなのですけれど、見えていらっしゃいますか?」
わたしが声をかけると、曾祖父様はやっと気が付いたというように何度か目を瞬き、目を凝らす。
「こうして、年を取るととても目が見えにくくなっているもので、光り輝くローゼマイン様の周囲は非常に見えにくく感じるのでございます。大変失礼いたしました」
平然とそう言いながら、曾祖父様は挨拶をする。その視線が二人に合っていない。本当に見えていないのか、見えているのに無視しているのか、判別できないくらいだ。
席を勧められ、わたしとヴィルフリートとシャルロッテが席に着き、お茶やお菓子が運ばれてくる。曾祖父様には毒見として一口食べて見せるのが難しいということで、側仕えが代わりに一口食べて、勧めてくれた。
お茶を飲み、お菓子を摘まむと、お茶会である。曾祖父様がわたしのレシピを絶賛し、ランプレヒト兄様の結婚式の時にフーゴが料理人に作り方を見せて教えたことで、料理の味が劇的に向上したと褒めてくれる。カトルカールが非常に柔らかくて食べやすく、お気に入りだそうだ。
「果物の果汁を少し混ぜたカトルカールでしたら、季節の味を味わうことができますね」
「季節の味ですか。……それは良いですなぁ」
シャルロッテの提案に曾祖父様が軽く目を閉じるようにして、ライゼガングで作られる季節の野菜や果物の話をしてくれる。
「ギーベ・ライゼガング、私はお話があって……」
和やかな雰囲気になったところでヴィルフリートが話し始めたけれど、曾祖父様はヴィルフリートの声に全く反応しない。軽く目を閉じたまま動かないので、聞こえていないのか、聞こえていない振りなのか、眠っているのかわからない状態だ。これは手強い。話を聞いてもらうだけでも一苦労になりそうである。
「曾祖父様、曾祖父様」
「何でしょう、ローゼマイン様?」
わたしの呼びかけに、ハッとしたように肩を動かした曾祖父様がよぼよぼとした動きでゆっくりとわたしの方を見た。
「曾祖父様、わたくしの声は聞こえるのですね?」
「えぇ、大層可愛らしいお声が聞こえています」
……聞こえない振りか。だったら、仕方がない。わたしがお話しするしかないね。
「曾祖父様、わたくし、次期領主にはなりません。なりたくないのです」
わたしが一番言わなければならないことを宣言すると、曾祖父様はしばらく動きを止めた後、ゆっくりと手を上げて、耳を押さえた。
「……む?……あぁ、大変申し訳ございません。ここ最近耳が遠くて、ローゼマイン様の可愛らしいお声を聞き逃すとは、何たる失態でしょう」
わたしの言葉を聞き逃したことを謝罪する曾祖父様に、わたしはもう一度繰り返した。
「曾祖父様、わたくし、次期領主にはなりません。なりたくないのです」
「きえええぇぇぇ!」
曾祖父様は突然奇声を上げて、ガタンとテーブルに伏せてしまった。そのままピクリとも動かない。
……曾祖父様がぽっくり逝った!?
「え?……えぇ!?」
「きゃああぁぁ!」
「だから、言葉を選べ、と言ったではないか! 直接的すぎるぞ」
テーブルに伏せたままの曾祖父様の姿に狼狽するわたし達の前に、曾祖父様の側仕えが入ってきて「大丈夫ですよ。いつものことですから。落ち着いてくださいませ」と言葉をかけてくれる。
「少し興奮しすぎただけなので、じきに目を覚まします。お茶を飲んでお待ちください」
「そのようなことを言われましても……」
こんな状態で落ち着いてお茶が飲めるわけがない。そう思ってオロオロと周りを見回すと、ヴィルフリートは意外と落ち着いていた。
「これがいつものことなのか。……そう言われても心臓に悪いな」
「ヴィルフリート兄様はずいぶんと落ち着いて見えますけれど!?」
わたしの言葉にヴィルフリート兄様は軽く眉を上げた。
「突然倒れる其方の対応に慣れているせいだ。ほら、見ろ。私よりも其方の側近の方がよほど落ち着いているではないか」
「え?」
ブリュンヒルデとオティーリエは曾祖父様を運び看病する側仕え達に代わって、わたし達にお茶を入れ直し始めていた。
「其方がお茶会で意識を失うと、私はここにいる側仕えのような役目を果たすことになるのだ。客を宥め、其方の後始末をするという……。シャルロッテは大丈夫か? このような倒れ方を見るのは初めてであろう?」
「だ、大丈夫です。わたくしも早く慣れなくてはならないのですね」
顔色が悪く、運ばれていく曾祖父様を見ているシャルロッテがそう言った。
「シャルロッテ様が慣れる必要はございません。ローゼマイン様が倒れないように、側仕え一同が対策を練っているところですから」
お茶のお代りを入れながらブリュンヒルデがそう言って笑う。お茶を飲んでいると、側仕えが、曾祖父様を軽く揺さぶっているのが見える。
「さ、起きてくださいませ。まだローゼマイン様とのお茶会の途中ですよ」
「むぅ……」
起き上がるのに時間はかかるが、わたしが意識を失った時と違って、すぐに起きる様子から「必殺死んだふり」ではないかと疑ってしまう。
「お、おぉ、大変失礼いたしました」
「前ギーベ・ライゼガング、私が言うべきことは多くない」
「ぐふっ!」
意識が戻った曾祖父様にお話をしようとする度に倒れられること五回。曾祖父様の側近が全く止めないので、細切れながら、わたし達は話を続けた。
「むぅ、大変失礼いたしました」
「気が付かれたのですね、曾祖父様。えーと、先程はどこまでお話ししましたっけ?」
「王から許可をいただいた婚約です、までです」
ハルトムートがすぐに答えをくれる。
「あぁ、そうでした。曾祖父様は王の決定に異論を唱えるのですか? そのようなおつもりはないでしょう?」
「……もちろん、そのようなつもりは。ただただ、ローゼマイン様の御身を案じているだけでございます」
「心配はいりません、前ギーベ・ライゼガング。私がローゼマインを第一夫人とし、ライゼガングの苦悩を終わらせると約束します」
曾祖父様が初めてヴィルフリートに視線を向けた。これまでの茶番のような回避ではなく、対峙することを選んだらしい。その瞬間、憎悪を押し隠しても隠しきれていないようなひやりとする空気が一瞬でその場に満ちていく。
皺くちゃに笑顔を浮かべていた曾祖父様の顔から表情がスコンと抜け落ちたように笑顔が消えた。無表情なのに、いや、無表情だからこそ、なお一層深い苦しみと屈辱を生き抜いた憎悪が伝わってくる。
ヴィルフリートが息を呑んだのがわかった。テーブルの上に出されている手が気圧されて震えている。わたしは精一杯手を伸ばして、ヴィルフリートの手に触れる。一瞬、ビクッとしたヴィルフリートがわたしを見た後、ゆっくりと頷いた。
「ライゼガングの血を引くローゼマインと婚約した以上、ライゼガングとうまく付き合っていきたいと思っています。その気持ちに偽りはありません」
「大領地より姫が嫁いで来たら、どうされるのです?」
掠れた声で曾祖父様が問う。
「私が初代ギーベ・グレッシェルと同じ立場になった時は、大領地の姫を迎え入れる前に子供と父上を養子縁組させ、領主候補生の身分を保証します」
「大領地からの反発がありますぞ」
「父上は引き受ける、と請け負ってくれました。先祖のアウブと同じ過ちは犯しません」
「……アウブにも覚悟がおありか」
静かにそう言った後、曾祖父様は一点を見つめたまま動かなくなった。曾祖父様が静かに見据える先にあるのが、ヴィルフリートなのか、自分の過去なのかわからない。
曾祖父様の反応を待っていると、「今日はこの辺りで……」と、それまでと違って曾祖父様の側仕えに退室を促された。
わたし達は暇乞いを告げて、静かに部屋を出る。最後に振り返って見た曾祖父様は変わらず一点を見つめたまま動いていない。けれど、静かに泣いているように見えた。