Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (434)
領主会議の報告会(二年)
神官長に何があったのか、同行していたハルトムートに尋ねてみたが、ハルトムートが同席を許されたのはダンケルフェルガーとの交渉の場だけだったようで、神官長が呼び出されたところには同席できなかったらしい。
「寮でアウブ・エーレンフェストが怒鳴りつけ、フェルディナンド様がそれを静かに受け流していらっしゃるお姿を見ただけです。言葉の端々から推測した結果ですが、避けようがない王命だったようです」
そして、わたしはハルトムートからダンケルフェルガーとの交渉結果について報告を受ける。印税や翻訳に関する取り決めはおおよそ予想通りの範囲に収まっていた。
「あちらの領主夫人が怖いですね。確信は持っていないようでしたが、印刷のことに気付いていらっしゃるようでした」
「どうしてでしょう?」
「ハンネローレ様にお貸しした本を見比べられたそうですが、同一人物と言うにもおかしいほどに手跡に乱れがないこと。文字周辺のインクの付き方が他の手書きの書物とは違うこと。何より、エーレンフェストで本を売るという発想が出るということは同じ物を準備できる技術があるのではないか、ということでした」
……大領地の文官って怖い。
お試しにもらったリンシャンをすぐさま分析するドレヴァンヒェルがものすごく怖く感じたけれど、娘が借りてきた本を見て、印刷を知らなくてもそれだけのことに気が付くダンケルフェルガーの文官も十分に怖い。エーレンフェストとの違いをまざまざと見せつけられた。
「それから、印税や翻訳にかかる費用やその取り分についても、比較的理解が早かったです」
これまでになかった概念を取り入れるのは大変だ。手書きで本を作るのが当たり前であるため、「本一冊につき」という部分がどうしても理解できないようで、印刷業に携わる下級文官達に理解させるのはとても大変だった。実際に本を作って売っているお母様の理解はとても早かったけれど。
「クラリッサの相手として相応しいのか、と突き刺さるような視線を向けられながらの会議で、非常に緊張いたしました」
クラリッサの父親がアウブの護衛騎士だったようで、ハルトムートはずっと睨まれていたらしい。突然切りかかられるのではないか、とドキドキしながら会議を終えたようだ。
「表彰式の強襲時にエーレンフェストの学生を守ったローゼマイン様の風の女神の盾が非常に目立っていたようで、領主会議でも噂になっていました」
「……ハルトムートは余計なことを言っていませんよね?」
「これまでも公的に言われていたローゼマイン様の聖女伝説だけです。それくらいの分別はございます」
本当は最初にターニスベファレンを討伐した時の闇の神の祝福や採集場所の回復など、最近仕入れた聖女伝説を広めたかったらしい。だが、きちんと自重したらしい。
「もう少し自重して、聖女伝説のような誇張話を広げるのも止めてくださいませ」
「控え目な話しかないため、私としては少々不満なのですが、ローゼマイン様がお望みならば仕方がありません」
次の日に行われるのは、去年と同じ報告会だ。領主一族とその側近達、騎士団、文官の上層部の者達が多く集まってくる。ヴィルフリートとシャルロッテとわたしは連れ立って会議室に向かい、決められている席に着いた。
「叔父上が珍しくご機嫌だな。領主会議の呼び出しは良いことだったのだろうか?」
左隣に座っているヴィルフリートがほぼ正面に座っている神官長を見てそう言った。わたしはなるべく視線を向けないようにしていた神官長の作り笑いを見て、ぶるりと体を震わせる。あまり見たことがないような作り笑顔だ。だからこそ、怖い。神官長が一体あの笑顔の裏で何を考え、何に対して怒っているのか全くわからないのである。
「ヴィルフリート兄様、騙されてはいけません。あれはとても不機嫌な顔なのです」
「そうなのですか?」
「……見たことがないような笑顔だぞ?」
わたしの右隣に座るシャルロッテが驚きの声を上げ、ヴィルフリートがわたしと神官長を見比べて疑わしそうにそう言った。
「フェルディナンド様は少々の感情の揺れであれば無表情に隠しますけれど、ものすごく怒っていたり、苦しかったりする時には、周囲に感情を悟られないように殊更笑顔になるのです」
「ローゼマイン」
神官長が笑顔を深めてわたしを呼び、すっと上げた片手で口元を押さえる。「黙れ」と言われているのがわかって、わたしは自分の口元を両手で押さえると何度か頷いた。
……やっぱり神官長は笑顔の方が怖いって。
「皆、揃っているようだな」
皆の準備が整った後、領主夫妻が入ってくる。そして、去年と同じように報告会は始まった。
「今年もまた大きな変化があったため、連絡事項が多い。大事な決定も多かったため、聞き漏らさぬように気を付けてくれ」
養父様の挨拶の後、養父様の文官によって、まず、今年の順位が発表された。エーレンフェストは8位だそうだ。次の貴族院では8番の扉や部屋を使うことになる。
「ローゼマイン式魔力圧縮により、多くの成長期の子供達の魔力が大幅な成長を見せている。そして、個人だけではなく領地全体の成績を上げるという目標を掲げて努力した子供達の成果がよく表れているのは優秀者の数でもよくわかると思う。貴族院での成績はかなり向上した。このままの調子で頑張ってほしい」
順位の発表にヴィルフリートが少しばかり不満そうに唇を尖らせた。
「もっと順位が上がるかと思っていたのだが……」
「貴族院の成績や流行だけではこれ以上は難しいでしょうね。エーレンフェストが中央にもっと影響力を持つようにならなければ、そろそろ頭打ちだと思いますよ。これより上の領地は王族の親族である中領地や元々影響力が大きい大領地ばかりですから」
今以上の順位を目指そうと思えば、流行はもちろん、人材を中央に送り出していかなければならない。けれど、中央で発言し、影響をもたらすことができるような人材がエーレンフェストから流出すると、途端にエーレンフェストが困ることになる。
「人材育成が必要か」
「この成績を保ちながら優秀な人材を出せるようにしなければならないのでしたら、時間が必要になりますね」
ヴィルフリートとシャルロッテが揃って溜息を吐いた。エーレンフェストはどちらかというと土地の広さの割に貴族の数が少ない。中央に出せるような人材が育つにはまだまだ時間がかかる。
「今年の取引により、中央とクラッセンブルクには少し影響力を持てるようになったといえる。来年はいよいよ貴族院で印刷物を広めていく予定だ。印刷業に関わる者は気を引き締めて仕事に当たってもらいたい」
そして、今年の取引についての話がされた。中央、クラッセンブルク、ダンケルフェルガーと決まったそうだ。文官が会議室の皆を見回して、報告する。
「中央が8、下町で騒動を起こしたクラッセンブルクは6、ダンケルフェルガーも6を上限として商会に許可を出すことになりました。今年もまた取引ができなかった領地にはリンシャンの製法やローゼマイン様に許可を得たお菓子のレシピを売りました」
リンシャンが欲しかった領地が多いため、結構高額で製法を売りに出したが、よく売れたらしい。
「これで少しは植物油の高騰も抑えられるでしょう。取引の拡大は必要ですが、そのためにはエーレンフェストの街だけではなく、全体の整備が必要であることを痛感いたしました」
エーレンフェストの下町だけでは受け入れられる商人に限りがあるため、エーレンフェストの街を広げるか、グレッシェルのように通り道となる町の整備をするか、何か対策を練らなくてはこれ以上取引を増やすことができないのである。
……でも、この辺の都市計画は養父様のお仕事だね。
「では、印刷業に関して報告いたします。ダンケルフェルガーの歴史に関する本を出版することに関して協議が行われました」
ハルトムートから聞いた報告がされた後、養父様の側近が何やら箱を持って来て、養父様に渡した。
「この権利をディッターで勝ち取ったフェルディナンドに、ダンケルフェルガーから戦利品を預かっている」
神官長を勝負に引っ張り出すためにハイスヒッツェが提示していた素材が入っているようだ。神官長が箱の中を確認して、「確かに受け取りました」と頷き、ユストクスに渡した。
また別の文官が立ち上がって、述べ始めたのはシャルロッテに対する縁談の申し込みだった。
「ヴィルフリート様とローゼマイン様が婚約されているため、シャルロッテ様に縁談の申し込みが殺到いたしました」
大領地の第二夫人や第三夫人、これまででは考えられなかった上位の中領地の第一夫人に、とあまりにもたくさん申し込みがあったらしい。
「こちらはすぐに決められることではないということで、返事に関しては保留とし、シャルロッテ様のご意見も含めて検討することになりました」
エーレンフェストとしても、まだどの領地と繋がりを持つのか、全く決められていない状態らしい。第二夫人や第三夫人でも大領地と繋がりを持った方が良いのか、領主会議にも出席できる第一夫人の方が良いのか、よく考えなければならない。
「同様に、アウブ・エーレンフェストには第二、第三夫人の申し込みがございました。こちらもよくご検討くださいませ」
養母様以外の妻を娶りたくないと公言している養父様だが、他と繋がりをほとんど持たずに引き籠っていればそれでよかった今までとは状況が変わってきている。婚姻により他領と繋がりを持ち、影響力を広げていかなければならない。
「……シャルロッテ同様、その案件に関しても保留とする」
養父様が苦い顔でそう言うと、養母様がその隣で「困った人」とでも言いたげに肩を竦めた。コホンと咳払いして、養父様が立ち上がり、さっと手を振って話題を変える。
「そして、王族関連の知らせがある。王の第三夫人の子、ヒルデブラント王子のお披露目が行われた」
大領地ダンケルフェルガーの血を引く王子だが、臣下として育てられていること。ダンケルフェルガーもそれで良しとしていることで、次期王はジギスヴァルトに決定したと言っても過言ではないらしい。
「ギレッセンマイアーの第一夫人の子より、ダンケルフェルガーの第三夫人の子が魔力も多くて優秀そうに思えますが、よくダンケルフェルガーが引き下がりましたね」
「政変を回避することを最優先に考えていらっしゃるのでしょう」
ヒルデブラントが臣下として育っていることについて、周囲から色々な意見が上がる。その声を遮るように、もう一つの報告がされた。
「それから、アナスタージウス王子とクラッセンブルクの領主候補生であるエグランティーヌ様の星結びの儀式も恙なく行われた。その際にエグランティーヌ様が使われた髪飾りはエーレンフェストの髪飾りだ。とても注目を浴びていたため、これからも大領地や王族から注文があるのではないかと思っている」
ギルベルタ商会の髪飾りが注目を浴びたのであれば、今年もまた注文があるだろう。次に卒業する領主候補生の顔を思い浮かべ、ダンケルフェルガーのレスティラウトからお相手に贈る髪飾りの注文があるかもしれない。
……ディートリンデ様は、どうするんだろうね? アウブから婿として要請があったけれど、神官長はお断りしたって言ってたし。
うーん、と考えていると、「最後にエーレンフェストにとって重大な報告がある」と養父様が言った。声がやや低くなっていて、感情を抑え込んでいるように表情が消えている。
……今回の領主会議の一番大事なことかな?
わたしが顔を上げる。全員が養父様に注目したところで、ゆっくりと口を開いた。
「王命により、フェルディナンドとアーレンスバッハの領主候補生の結婚が決まった。相手であるディートリンデ様がまだ貴族院を卒業していないため、当面は婚約となる」
……その話は終わったって言ったじゃない! 王命ってなんで?
思わずわたしは神官長を見た。神官長の顔は領主会議から戻って来てからずっと同じ、作り笑いのままだ。
「ご婚約、おめでとうございます。フェルディナンド様にやっとそのようなお話が……」
「神殿に入られていたので、まさか大領地からお話をいただくとは思いませんでした。何という光栄なことでしょう」
「連続で最優秀を取られた方ですから、王族の覚えもめでたかったのでしょう」
周囲の貴族達が祝福の言葉を口にする。それに神官長は作り笑いのままで、軽く頷いて応じている。神官長自身が望んだ結婚でないことは、本人の口で断ったことからも明らかで、作り笑いになるだけの怒りや不満が神官長の内心にあることがわかる。それなのに、神官長はさも喜ばしいことのような顔で祝福の言葉を受けているのだ。
……神官長はどれだけ我慢しなきゃいけないの? 苦手なヴェローニカ様によく似たディートリンデ様と結婚なんてして、ホントに幸せになれるの?
作り笑いの神官長を見ているだけで、わたしの方が泣きたくなるくらい口惜しくなってきた。同じような気持ちなのだろう、先程まで無表情だった養父様が神官長を見ているうちに眉間に深い皺を刻んで、不愉快そうな顔になってしまった。軽く養母様に腕を突かれて、顔を無表情に戻しているが、戻りきっていない。
少しばかり機嫌が悪そうな顔で、養父様が「静かに」と会議室を見回した。祝福の言葉が途切れ、再び養父様へ注目が集まる。
「今のところ決まっているのは、ディートリンデ様がご卒業後、フェルディナンドがアーレンスバッハへ移動すること。そして、その後すぐに行われる領主会議で星結びの儀式を行うことになっている」
普通は一年くらいの婚約期間を置くのだが、ずいぶんと急だ。アーレンスバッハで何かあったのだろうか。
「そのため、フェルディナンドを神官長の役職から外さなければならない。ローゼマイン一人で神殿を運営するのは無理なので、新しく神官長を任命する必要がある」
ざわりと会議場内がざわめいた。わたしの補佐をする立場になるのは繋がりができるので、喜ばしいことだが、貴族内での印象が悪くなるので神殿には関わりたくない。そんな空気が感じられた。
わたしや側近が出入りすること、神事でハルデンツェルの奇跡を起こしたことなどからじわじわと意識改革はされているようだが、咄嗟の時には神殿に対する忌避感がまだまだ強い。
「アウブ・エーレンフェスト。どうか私を神官長に任じてくださいませ」
そう立候補したのはハルトムートだった。ハルトムートはわたしの側近としてすでに神殿に出入りしていること、神官長の仕事を手伝っていた部分があるため引継ぎが他者に比べて容易であること、わたしの補佐をするのが側近の役目であることをつらつらと述べていく。
「だが、ハルトムート。其方……数年後には結婚するのではなかったか?」
神官長が結婚相手を紹介しておきながら、神殿に入れるわけがなかろう、と神官長が眉を寄せた。神殿に既婚者はいない。結婚できない。だからこそ、わたしが神殿長をするのも成人まで、結婚するまでの期間限定なのだ。
神官長の指摘にハルトムートは何でもないことのように微笑んだ。
「フェルディナンド様と同様に、貴族としての立場を捨てるわけではございません。私はローゼマイン様を補佐するだけです。ローゼマイン様が成人し、結婚のために退任されれば、私も神官長を辞任し、結婚します。ローゼマイン様の補佐をするために神殿に入ることをクラリッサが嫌がれば、結婚を止めれば良いだけですし、何の問題もありません」
……問題あると思うよ! 結婚の約束しちゃってから神殿入りなんて、クラリッサやクラリッサの両親からしたら問題だらけだし、唯一ハルトムートと結婚できそうな女の子なのに、この話が流れちゃったらどうするの!?
わたしが成人するのは四年後だ。その時まで待たせたら、来年成人するクラリッサは18歳になってしまう。嫁き遅れとは言われない年だが、クラリッサを待たせるにはちょっと長すぎると思う。
……これ以上側近に結婚できない人はいらないからね!
わたしが頭を抱えているうちに、養父様はたった一人の立候補者を新しい神官長に任じた。
「では、ハルトムートを神官長に任じる。城での側近任務に加えて、神殿でのローゼマインの補佐をすることになるのだ。非常に大変なことで、その上、引継ぎ期間はそれほど長くないが、よろしく頼む」
「確かに承りました」
神官長を引き継ぐ者が決定したことで報告会が終わり、ざわざわと会議室にざわめきが戻った。一部の者を除いて、お慶びの話題を得た皆が表情も明るく退室していく。
「今年もずいぶんとたくさん報告があったな」
「えぇ、来年は印刷業が大きく動くのですから、エルヴィーラに挨拶して、これからお仕事を回してもらえるように、お話をした方が良いかもしれませんね」
おじい様と一緒に仕事をする中で、文官達にもっと仕事を与えて鍛えていこうと決めたヴィルフリートとシャルロッテがお母様の方へと向かった。
二人の背中を見送りながら、わたしはガタリと立ち上がって、作り笑いを崩さない神官長のところへ足を向ける。
「フェルディナンド様、わたくし、お話がございます」
どういうことか、聞かせてほしい。わたしが神官長を睨み上げるのと、養父様がこちらへ足を進めてくるのは同時だった。
「奇遇だな、ローゼマイン。私もフェルディナンドに話があったのだ。二人まとめてわたしの執務室に来い」
その声には怒りがたっぷりと籠っていて、わたしは思わず「まとめなくて良いですよ!」と叫びたくなった。