Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (435)
私的な報告会(二年)
「人払いだ。出ろ」
養父様はそう言って、パッと手を振った。椅子に座る態度と深緑の鋭い眼光からとんでもなく機嫌が悪いことがすでに漏れていた。「早くしろ」という低い声に、側近達がそそくさと退室していく。
「わたくしとフェルディナンド様のお話は後で結構ですから、お二人でごゆっくり……」
養父様の様子があまりにも怖いので、皆と一緒に退室しようとしたが、ガシリと神官長に肩を押さえられた。貼り付けられたままの作り笑顔が近付いてくる。こっちも怖い。
「まとめて話し合った方が効率的だ。どうせ聞かれることは同じなのだろうからな」
……のおぅ! 逃亡失敗!
神官長に肩をつかまれたわたしを置いて、わたしの側近達も出ていく。
パタリと無情にも閉められる扉を見つめていると、養父様がドンと机を叩いた。
「では、話せ。王に呼ばれ、そこで何を言われた? 何故、私に一言の相談もなく勝手に結婚を決めたのだ!?」
「え!? アウブのいないところでフェルディナンド様の結婚が決まったのですか?」
領地内の貴族の結婚には領主の許可がいる。領主一族である神官長の結婚が領主である養父様抜きで決まるなどあり得ない。
「正確にはこの馬鹿が事情聴取中に打診され、勝手に承諾の返事をしたせいで、断る理由をことごとく潰されたのだ。私への許可の要求は事後承諾だった」
なんと、神官長は表彰式におけるターニスベファレンの討伐で周囲への被害が大きかったことに関する話があるという名目で呼び出され、そこで結婚話をされたらしい。
「あのような事件の事情聴取は個々に行うのが普通だ。ローゼマインも貴族院で経験したであろう? だからこそ、私は特に疑問を抱かずにフェルディナンドを送り出した。アーレンスバッハとの結婚話が持ち上がるとわかっていたら、誰が行かせるか。私はこれ以上其方に辛い思いなどさせたくないのだ!」
神官長を心配する養父様の言葉にわたしは胸が熱くなったけれど、神官長はそうではなかったようだ。腕を組んで冷たい金の瞳で養父様を見下ろした。
「其方がそう言って王命でも文句を付けそうだったから、事後承諾の形を取ったのだ。王に逆らうのは愚かな行為だとわかっているはずだ。それなのに、私一人のためにエーレンフェスト全体を危険に晒す気か? まったく、相変わらず身内には甘い。其方は自分の母親を断罪することになったあの一件から何も学んでいないのではないか?」
流れるような口調で養父様へそう言った神官長が一度目を伏せて、ゆっくりと息を吐いた。
「王の命令には従うしかない。それはわかるだろう、ジルヴェスター?」
「其方が勝手に承諾しなければ、断れるだけの理由はたくさんあったはずだ」
養父様がアーレンスバッハに断った時の理由を次々と並べていく。神官長は軽く肩を竦めた。
「中立と言えば聞こえは良いが、王に与することなく政変を乗り切り、今、急速に順位を上げているエーレンフェストと、王に与して協力したにもかかわらず、次期領主候補だった息子二人を上級貴族に落とすしかなく、魔力が枯渇状態で領地内が荒れ始めているアーレンスバッハ。傍から見て、どちらの領地に余裕があるか、王がどちらを優先するかなど、深く考えずとも一目瞭然ではないか」
エーレンフェストは中立で難を逃れたから余力があり、今の順位向上に繋がっていると言われている。政変で負けた方に与して苦境に立たされている領地や、勝った方に与したものの、粛清によって減った貴族の穴埋めに領内の貴族を差し出して魔力不足に陥っている領地からも妬まれているそうだ。同時に、中央や王に対する忠誠は低いのに、影響力だけは上げてきている危険領地と考えられているらしい。
王からの要請を受け入れ、敵対するつもりがないことを周知することが必要だ、と神官長が言った。
「それだけならば、其方が、よりにもよってアーレンスバッハとの結婚を引き受ける理由にならぬ。大領地の婿ならば、エーレンフェストよりずっと上位の領地がいくらでもあるではないか。神殿に関わっている其方よりも外聞が良く、年齢が近い候補は他にいるはずだ」
大領地アーレンスバッハの婿候補ならば、確かに他の領地が相応しいだろう。エーレンフェストが順位を伸ばしたのはほんの数年で、注目はされていても一過性のものだという声の方がまだ大きいくらいだ。大領地の配偶者の後ろ盾がエーレンフェストというのは、他から見ればとても頼りなく思えるだろう。
「私が神殿に関わっているのも問題のようだぞ。あちらこちらからエーレンフェストが私を冷遇しているという話が王の耳に届いているそうだ」
最優秀を取り続けた神官長が先代領主の死や卒業とほぼ同時くらいに神殿へ入れられ、同じように最優秀を取るわたしが領主の養女であるにもかかわらず、神殿長として神殿に入れられている。
「アウブ・エーレンフェストは実子を神殿に関わらせないのに、それ以外の領主候補生にはひどい扱いをする。あれだけ優秀なのだから、エーレンフェストから解放してやってほしい。そういう言葉があるらしい」
ヴィルフリートとシャルロッテも祈念式や収穫祭には赴いているが、それはあまり知られていないようだ。それに、わたしは城よりも神殿にいる方が伸び伸びできて楽だし、神官長も趣味の研究に没頭できる余裕ができてきたので、どちらかというと神事にかこつけて早く神殿に帰りたいとわたしも神官長も思っている。
「もう少し城にいる時間を増やせ、と言われているのを振り切って神殿に戻っているのですけれど、他所の方にはわかりませんよね。それにしても、どこのどなたがそのようなことをおっしゃるのですか?」
「ダンケルフェルガーやドレヴァンヒェルから出ていると聞いたな。神殿に押し込められている私を大領地と縁組させ、表舞台へ上げようと、周囲が盛り上がり始めているそうだ」
……きっと神官長に対する好意的な感情から出ている行動なんだろうけど、迷惑な。
神殿に対する見方が自分と他の人では全く違うことは知っているけれど、余計なことを、と思わずにはいられない。こうして周辺領地の意見を自分に有利なように持っていくような情報操作に関する手腕はエーレンフェストにまだまだ足りない部分だと思う。
「周囲の意見を完全に無視して、結婚を阻止しようと領主が動けばアウブ・エーレンフェストの評判が下がる。どう考えてもそれはまずいだろう?」
神官長の言葉に養父様がくわっと目を剥いた。
「私の評判で一生に関わる結婚という重要事を決める気か!? 大体、そのような噂くらいで其方が引き受けるとは思えぬ。振り払うことも可能だ。アーレンスバッハとの会合で断った後、何があって意見を翻した? まだ何かあるだろう? さっさと話せ。其方の悪い癖だ。抱え込むな」
神官長がのらりくらりと核心を避けているのがわかるようで、養父様の目に鋭い光が宿る。神官長は一つ息を吐いて、ふいっと顔を逸らした。
「確定情報ではないので、口外はしたくないのだが」
「いいから話せ」
「ユストクスからの情報は噂話やどこの誰が言っていたのかわからないような情報まで拾い集めてくるので、本当か嘘かわからぬぞ」
そう前置きをした後、神官長はゆっくりと周囲を見回し、声を潜めた。
「……アウブ・アーレンスバッハはもう長くない」
「え?」
「ユストクスの情報が正しければ、婚約期間中におそらくはるか高みに向かうことになるはずだ」
「何だと?」
神官長とディートリンデの婚約期間は一年ほどのはずだ。その間に、ということは、本当に時間がないではないか。
「それが確かな情報なのかどうか、今の時点で調べる術が私にはない。だが、それが正しければ、何としても王を動かそうとしたアウブ・アーレンスバッハの事情は理解できる。私を婿にすることに固執する言動に一定の説明はつくのだ」
婚約期間中に領主が亡くなれば、アーレンスバッハに残る領主一族は卒業間際の未成年の領主候補生と貴族院にさえ入学していない領主候補生、そして、未亡人が一人になる。たったそれだけで大領地を支えるのは難しい。
「おそらく、アウブはすぐにでも引継ぎを始めたいはずだ。アーレンスバッハにはすぐにでも大領地の領主代行が務まるだけの執務経験と魔力を持つ、未婚で成人している領主候補が必要なのだろう」
そして、その条件に該当する領主候補生はユルゲンシュミット内を探しても神官長くらいしかいない。普通は成人して数年で結婚するので、執務経験を積んでいる未婚の領主候補生などいるはずがないのだ。今は貴族が少なく、領主候補生や上級貴族は早目に結婚して、早目に子供を作ることが推奨されているくらいなのだから。
「アウブ自ら王に申し出るほどに余裕がないのであれば、領地内に必要なだけの魔力が行き渡っていないに違いない。ランプレヒトの星結びの時に境界門の周辺を見たであろう? ビンデバルトの土地だけではなく、アーレンスバッハ全体があのような状況に陥っている可能性は高いと思われる」
エーレンフェストとアーレンスバッハの領地の境界線でくっきり景色が分かれていたのを思い出す。あまりにも差が大きくて驚いたはずだ。
「自領がそのような状態なのだ。政変によって移譲された旧ベルケシュトック領は後回しにされ、放置されている可能性もある」
それが強襲を仕掛けたテロリスト達の温床になっているのならば、王としては早急に手を打たなければならないのだろう。
「それでしたら、旧ベルケシュトックの部分をアーレンスバッハではなく、中央が管理すればよいのでは?」
「余裕があればそうしているに違いない。第二王子とその妻を使っても手が足りぬ状態なのであろう」
政変前に比べて王族の数がガクンと減っているので、手を打ちたくても何もかも足りない状況だと養父様が言った。ユルゲンシュミット自体の魔力不足は、わたしがこれまで思っていた以上に深刻なようだ。
「どこもかしこも大変だが、中央やアーレンスバッハの魔力事情は、正直なところ、私にとってはどうでも良いことだ」
神官長はそう言って、ゆっくりと息を吐いた。
「大事なのは、少し先の話だ。アウブ・アーレンスバッハがはるか高みに向かった後、未成年の領主候補生が二人しかいない状況で最も権力を持つのが誰だかわかるか?」
養父様が押し黙って、神官長を睨むように見た。その状況で最も権力を持つのは、第一夫人であるゲオルギーネに決まっている。
「アウブ・アーレンスバッハがはるか高みに上った後、更なる魔力不足に陥るアーレンスバッハで彼女がどのような手段に出るのか、予想できるか? 他の領地からアーレンスバッハへ婿が行ったとして、エーレンフェストに配慮してもらえると思うのか? 少しでも情報を得て、ゲオルギーネの行動を抑えられる者がアーレンスバッハにいた方がエーレンフェストにとって都合が良い」
「そのような理由で行くのか? あれほど嫌そうに拒んでいたアーレンスバッハへ? 母上と似ているせいで、顔を見るだけで不愉快だと言っていた娘と結婚するために?」
淡々と語る神官長を養父様が口惜しそうに睨む。
「そうだ。婚約者としてアーレンスバッハに向かい、引継ぎを行いながらアーレンスバッハを掌握しなければならないと考えれば、こちらに残された時間はあまりにも短い。何よりも、私が最も適任だ。そう判断した」
「嫌々従ったわけではなく、其方が利を見出して選択したのならば、これ以上は言わぬ。相変わらず秘密主義で勝手に動き回るところに不満はたくさんあるが、な」
養父様の言葉に神官長が「わかってもらえたようで何よりだ」と言って、話を切り上げる。養父様は納得したのかもしれないけれど、わたしは全く納得できていない。エーレンフェストの利益ではなく、神官長自身に何か利益はあるのか。そこが一番大事なのだ。
「フェルディナンド様が適任なのは理解しました。でも、それはフェルディナンド様の望みですか?」
わたしの言葉に神官長は指折り、エーレンフェストにとっての利益を数えていく。
「王への忠誠を示し、中央とアーレンスバッハに恩を売り、エーレンフェストに対する評価も上向きになり、ゲオルギーネを抑えるための情報も得やすくなる。付け加えるならば、私がアーレンスバッハの次期領主の婿に決まれば、旧ヴェローニカ派から貴族が寄ってきて新しい情報が手に入るだろう。 私は不安要素を残してエーレンフェストを出るつもりなどない。証拠を得て、危険なものは排除していくつもりだ」
作り笑いのままで「エーレンフェストにとって最善の選択であろう」と言う神官長にふつふつと怒りが込み上げてきた。相変わらず周囲のことやエーレンフェストにとっての利益ばかりを追求していて、神官長は自分のことが完全に置き去りになっているではないか。
「フェルディナンド様、わたくしはエーレンフェストにとって最善かどうかなど尋ねていません」
「は?」
何を尋ねられているのかわからないと言いたげに神官長が首を傾げた。
「フェルディナンド様ご自身が結婚を望んでいるのかどうかが大事なのです」
「私は……」
わたしがじっと見上げていると、神官長は作り笑いの微笑みを更に深めた。あぁ、誤魔化すつもりだな、とすぐにわかる。
「望んでいるとおっしゃるのでしたら、その張り付いた作り笑いを止めてください。そんな顔でわたくしを誤魔化せると思ったら大間違いですからね」
リヒャルダを真似てビシッとわたしが指を突きつけると、神官長がスッと笑顔を消した。不愉快そうな眉間の皺が復活して、薄い金色の瞳が不満たっぷりにじろりとわたしを睨む。
「君も望んでいたではないか」
「何を、ですか?」
「アーレンスバッハが欲しいのであろう?」
君の望みのままに取ってやろうか、と神官長が魔王のような笑みを浮かべた。
「それは、お魚が欲しいという意味で、あ、本も欲しいですけれど……って、そういう意味ではない事はご存じでしょう! わたくしのことはどうでも良いのですっ! フェルディナンド様の本音が大事なのですよ」
わたしが怒ると、神官長はクッと小さく笑った。そして、静かに息を吐いた。
「……アーレンスバッハの情報と掌握は望んでいるが、結婚は望んではいない。だが、目的を達成するためには必要だとは思っている。必要だから行く。それは理解してほしい」
自分の要望を口にしない神官長の口から出た本音に近い言葉に、わたしは少しだけ満足する。でも、少しだけだ。ちょっとしたやり取りを終えるとすぐに復活する作り笑いからは、まだ何か隠している気がする。
「引継ぎ事項が山ほどあるので、しばらくは私もローゼマインも神殿に籠ることになる。何かあれば、オルドナンツを飛ばしてくれ」
「わかった」
養父様は話を切り上げる気になったようだけれど、神官長の作り笑いが完全に消えたわけではない。作り笑いをじっと見上げていると、神官長が何かを思い出したように軽く眉を上げた。
「ジルヴェスター、エーレンフェストは他領の影響力を見据えながら、結婚などで少しでも上位の領地と関係を作っていかなければならない時期になってきている。其方にこそ、望んでいなくても第二夫人や第三夫人が必要だ。よく考えろ」
「あぁ、わかった。よく考えるから、もう出て行け」
パタパタと嫌そうに手を振った養父様に執務室を追い出された。外で待っていたわたしの護衛騎士はダームエルとアンゲリカで、アンゲリカがすぐさまどこかで待機している他の側近達を呼びに行く。側近が集まるまでわたしはダームエルと待機だ。
エックハルト兄様とユストクスを連れてさっさと去ろうとする神官長の袖をつかんで、わたしは神官長を引き留めた。
「ローゼマイン、行儀が悪いぞ」
「ねぇ、フェルディナンド様。神殿に戻ったら、二人だけでお話しできる時間をくださいませ」
警戒するように神官長の顔が少しばかり険しくなった。
「婚約者がいる者同士が二人だけで話をするのはよろしくない。諦めなさい」
何と言われようと、わたしは自分の要望を覆す気はない。
「先程の話し合いで養父様は納得されたようですけれど、わたくしはまだ納得できていないのです。このように疑問がたくさん胸の内にあるのに、フェルディナンド様に相談に乗っていただけなければ、わたくし、色々な方に質問しなければならなくなります。アダ何とかの実について……。相談に乗ってくださいます?」
ニッコリと笑ってお願いすると、神官長にものすごく嫌な顔でじろりと睨まれた。やっぱり王に呼ばれて話し合ったことは養父様に報告した分だけではないようだ。まだ隠し事があったらしい。
「……神殿に戻ってからだ。それまでは他の者に質問するのではない」
「心得ています」
疑わしそうな顔を隠さずにわたしを見下ろす神官長の顔から作り笑顔が消えていることに気付いて、わたしはちょっとだけ安堵した。
それからすぐにでも神殿に戻るつもりだったが、そう簡単には事が運ばなかった。アーレンスバッハとの婚約が決まった神官長には面会依頼が殺到するし、わたしはお母様達のお茶会に呼び出されて怒りと悔しさに満ちた愚痴を聞かされるし、来年に向けての印刷業に関わりたい文官達からお願いの手紙がたくさん来るようになった。
お母様達には「その感情は原稿に叩きつけて昇華すると良いですよ」と執筆を勧め、印刷業に関わりたい文官達との面会をこなす。
ヴィルフリートとシャルロッテはお母様からたくさんのお仕事をもらって、文官達に与えている様子を確認して、印刷業は二人の文官に任せることにした。
「わたくしは他にやることがたくさんありますから」
神殿業務の引継ぎに、貴族院の予習、回復薬の講習など、神官長に教えてもらわなければならないことがたくさんある。
手早くある程度の面会を片付けた神官長と一緒にわたしは神殿へ戻った。