Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (438)
話し合いと回復薬の作り方
わたしが二年間ユレーヴェに浸かって寝込む羽目になった原因は、アーレンスバッハと深い繋がりがある貴族である。文官や護衛騎士がいる前で神官長が口にしたのはそれだけだったが、わたしが領主の養女となった原因もアーレンスバッハ貴族のビンデバルト伯爵だった。門番の父さんやオットーからその情報を得ていたプランタン商会とギルベルタ商会は明らかに顔色を変えてわたしを見た。
「以前、ローゼマイン様はアーレンスバッハの貴族に害されたと伺ったことがございます。まだ狙われていらっしゃるのでしょうか?」
代表して口を開いたのはベンノだ。立ち向かうべき敵を見据えようとする姿勢で神官長に尋ねた。トゥーリも青い瞳を強く光らせて神官長の答えを待っている。
「ないとは言い切れぬ。領地内の危険人物はなるべく片付けてから出るつもりだが、新しく入ってくる者に関しては私の目や手が届く範囲ではなくなる。貴族内の情報であれば側近達から得られるが、下町の情報は貴族ではなかなか手に入らぬ。他領の商人がもたらす情報は侮りがたく、其方等が商人達から集めてくれた情報は実に役立った」
神官長がそう言って、情報をもたらしたギルド長やベンノを褒める。わたしは同じ情報を見たはずだけれど、何がどう役に立ったのかわからない。何か役に立つような情報があったか、とよく思い返してみてもわからない。
……商売が上手くいった報告がほとんどだったんだよね。
首を傾げるわたしの隣で、神官長がゆっくりと息を吐き、下町の皆を順番に見ていく。フリーダ、ギルド長、その側仕え、ベンノ、マルク、オットー、テオ、トゥーリ。ここにいるのは下町時代のわたしを知っている者ばかりである。
「青色巫女時代よりローゼマインと交流のあった其方達にとって、ローゼマイン以上に身近で上位の貴族はいない。かけがえのない存在であるはずだ」
この場にいる者で神官長とユストクスとエックハルト兄様とダームエルだけが下町時代のわたしとその交流関係を知っている。神官長がアーレンスバッハに行ってしまえば、残るのはダームエルだけだ。
「其方等にとって、とても大事な存在であろう?」
普通の貴族はこのような会合を設けてまで下町の意見を汲み取ろうとしない。意見を交わすことができる貴族は大体が下級貴族だが、わたしは領主の養女で、次期領主夫人となることが決まっている。何よりも、新しい流行として他領に広めていく物は全てわたしが関係している。
周囲の側近達に聞かれても問題のない言葉を連ねる神官長に、下町の皆がゆっくりと頷いた。
「ローゼマインを守るため、其方等には其方等のやり方で尽力してもらいたい。怪しい者が入ってきたかどうか、最近の他領の情報、貴族でははいって来ない情報がある。何かあれば、危険をローゼマインや新しく神官長になるハルトムートに教えてほしい。彼はローゼマインの側近だ」
神官長がハルトムートに視線を向けると、青の衣をまとったハルトムートが小さく頷く。
「神官長の仰せの通りにいたします」
「もちろん、注意すべきはアーレンスバッハだけではない。中央や他領の動きにも注目しておいてほしいと思っている」
「かしこまりました」
神官長はそこで一度言葉を切った。ベンノが少しだけ苦笑するように表情を緩める。
「エーレンフェストとアーレンスバッハの結びつきを強める慶事なのでしょうが、これまでローゼマイン様の教育と後援を一手に引き受け、我々の意見を領主様に通すために尽力くださっていた神官長がローゼマイン様から離れるのは非常に心細く感じられます」
神官長も同じように苦笑気味に口元を緩めて、「ローゼマインの言動は予測不能だからな。その不安は理解できる」とわたしを見た。同時に、わたしの暴走っぷりを知っている下町の面々が笑いをこらえるような顔をして、皆がそっと視線を逸らす。
……ベンノさんの言葉って、もしかして、神官長がわたしの手綱を握ってる間は安心だったけど、次は誰がわたしの手綱を取るんだ? 大丈夫か? って意味?
わたしに対する不安の共通認識でその場の雰囲気が少しばかり和らいだ。非常に不本意だ。いくら不本意でも反論できないわたしを置き去りに、話はどんどんと進んでいく。商人を受け入れるための準備状況やこれから先の見通しについてもギルド長とベンノとオットーが報告や所感を述べ、神官長がそれを聞いていた。
その話し合いの中でわかったのは、今までは神官長がわたしの意見や報告を聞いて、養父様にある程度通していてくれたけれど、それを自分でしなければならなくなるということだった。
「神官長、不躾な質問ではございますが、お伺いしたいことがございます」
オットーがそう言った。神官長は片方の眉を上げ、発言を許可した。
「領主様の血縁者がご結婚されるのでしたら、今年も髪飾りが必要になるのではございませんか?」
「……あぁ、そうなるかもしれぬ。あちらが欲しいと言えば、その時に考えることにする。夏にエーヴィリーベについて思い煩うのは愚か者のすることだ」
至極面倒臭そうに神官長が軽く手を振った。これは放っておいたらディートリンデの髪飾りが意識の外に追いやって放置されるに違いない。外交の重要性から考えても、エーレンフェストから婿に行くのに婚約者に髪飾りを贈らないわけにはいかないだろう。
直前で注文されても糸の準備やデザインが大変だ。神官長は後回しにしたいのかもしれないけれど、ギルベルタ商会やトゥーリは少しでも早く見通しを立てたいのだと思う。トゥーリがちらりとわたしを見た。
トゥーリの困った顔を見て、わたしが意見しようとしたら、神官長は軽く手を上げて、「今は髪飾りなどどうでも良い。それよりも、グスタフ」と先にギルド長へ話しかけた。
「下町の魔石を扱う店についてだが、その売り先はわかったか?」
「以前はジョイソターク子爵が大口のお客様だったようです。彼の死後は目立った購入者はなく、常連だった貴族に向けて販売数が増加しているという話でございました」
すでに質問が飛ばされていたようで、ギルド長はきちんと調べていた。魔石の売り先について述べ、常連貴族の名前が書かれた紙を差し出す。神官長はそれに目を通し、「よく調べてある。これは良い」と何かを企んでいる時の魔王顔を少し覗かせた。
結局、その後、髪飾りに関する話題は出ないままに話し合いは終わってしまった。皆が帰ってしまった後、わたしは神官長に髪飾りを準備するように言う。
「神官長、去年の貴族院でディートリンデ様は髪飾りを欲しがっていましたよ。それに、髪飾りはエーレンフェストの大事な流行なのですから、きちんと贈らなければ神官長が恥をかくことになるかもしれません。わたくし、神官長が他の人にあれこれ言われるのは嫌ですからね」
まるで聞き流すような「そうか」の後、神官長が何を思いついたのか、胡散臭い爽やか笑顔でわたしを見下ろした。
「君に任せる。適当に見繕ってくれ」
「え!? 神官長はちゃんと見立てられる人なのですから、わたくしに任せずにご自分で注文された方が良いですよ。その方がきっとディートリンデ様も喜んでくださいます。もしくは、ご本人から好みを聞くことで交流を持つとか……」
いくらヴェローニカに似ていても本人ではないので、交流することで多少は嫌悪感が薄れるかもしれない。更に嫌悪感が増す危険性もあるけれど。
「君は家族同然なのだろう? わたしの婿入りの支度を手伝うのに、何の問題がある? 私が恥をかかない程度の物を適当に見繕ってくれ」
……家族同然って言葉が、なんか上手く使われてる気がするんだけど!
むぅっと唇を尖らせながら、わたしがディートリンデに似合いそうな色を思い浮かべていると、神官長に軽く頭を小突かれた。
「ついでに、君の分の髪飾りも注文して良いぞ」
「え?」
「餞別だ」
本当は「餞別って言うなら、ちゃんと見立ててくださいよ」と言いたかったけれど、婚約者にさえ見立てようとしない神官長に言っても無駄だ。それよりも、餞別という言葉に別れが近付いているのを嫌でも実感してしまう。
……でも、突然の別れだった下町の家族と違って、少しは心の準備ができるからマシかな。
沈む気分を払うように、わたしは軽く首を振って神官長を見上げた。
「わたくしも何か餞別のプレゼントを準備しますね。アウレーリアのようにエーレンフェストのお料理はどうでしょう? 時を止める魔術具を使えるならば、故郷の味を持ち込むのは大事だと思うのです。忙しくなると神官長はただでさえ食事を後回しにするのですから。回復薬も大事ですけれど、食事はもっと大事ですよ」
空になった魔術具にお魚を詰めて送り返してくれれば、こちらからはお料理を詰めて送ります、とわたしが言うと、神官長が「君の目当ては魚か」と呆れた顔になった。神官長の健康とわたしの魚の両方が得られるのだから、非常に合理的だと思う。
「他にもいろいろと餞別を贈りますよ。声を録音する魔術具に、きちんと食事を摂っていますか? 睡眠は大事ですよ、というわたしの声を入れて、時々ユストクスに流してもらうとか……」
「いらぬ。心の底からお断りだ」
疲れている中、余計に疲れそうだと言われて、わたしは遠く離れた大学へ進学した麗乃時代の友人の言葉を思い出す。
「神官長はご存じないかもしれませんけれど、故郷を遠く離れた時に嬉しい家族の愛は、仕送りと故郷の味とちょっとのお小言と相場が決まっているのです」
「聞いたことがないな」
……まぁ、そうだろうね。
オルドナンツは境界の結界を越えられないので、声を届けるのは録音の魔術具に頼るしかない。
「これもライムントに小型化を頼まなければなりませんね。間に合うでしょうか」
「ローゼマイン、ライムントは私の弟子であって、君が便利に扱っても良い側近ではないぞ」
「わたくしの師匠である神官長の弟子はわたくしの兄弟子? ん? 弟子入り順から考えると弟弟子かしら? どちらにせよ、わたくしとも無関係ではないのでお願いしても問題ありませんよ。ヒルシュール先生もわたくしのことを便利に使うのですから」
好きに振る舞っている師匠の姿を思い浮かべたのか、神官長がハァと息を吐いた。
「余計な餞別を考えるよりも先に残りの回復薬の作り方を覚えてもらおうか」
「……はい」
神官長に教えてもらわなければならないことはたくさんある。一番大事なのは回復薬の作り方だ。これまでは神官長が準備してくれていたけれど、神官長がいなくなったら自分で準備しなければならない。
「君の側近にも教えるので、何とかなるだろう」
調合服を着て、わたしの工房に集まるように、と命じられた側近は、ハルトムートとコルネリウス兄様だった。魔力がかなり必要になるので上級貴族の魔力が必要であることと、嫁入りや妊娠で任務を離れる心配がない男という条件が付けられた結果である。
回復薬の調合の何が大変かというと、わたしの体力だ。素材を魔力で練り合わせるまで混ぜ続ける体力が圧倒的に足りない。素材さえ揃っていれば、計って刻んで、決められた順番通りに素材を入れて、魔力を注ぎながらかき回していればそのうちできる。
でも、混ぜるのが大変なのだ。「腕が痛くなってきました」と泣き言を漏らすと、素材の品質を真剣に見ていたコルネリウス兄様が軽く息を吐いた。
「普通は魔力量と魔力の調整が難しいのですが、ローゼマイン様は体力が圧倒的に足りませんね。文官コースの実技は大丈夫なのですか?」
「騎士コースに比べれば何ともありませんし、神官長の求める調合レベルに比べれば、貴族院の講義は簡単なものです」
司書になるために文官コースは必須だ。何が何でも取らなければならない。諦める気などこれっぽっちもないのだ。
「身体強化の魔術具に魔力を注ぎながら、調合の調整もできるのですから、ローゼマイン様の魔力の扱いは素晴らしいです」
ハルトムートは調合の仕方を真剣にメモしながらそう言う。
身体強化と調合の両方に魔力を流すコツをつかんだことで、無事に激マズ回復薬は仕上がった。
「仕上がった回復薬はここに入れて、この布をかけておきなさい」
大きめの壺に仕上がった回復薬を入れて、わたしはバサリと品質が落ちたり、傷んだりするのを防ぐため布をかける。
「これでしばらくは大丈夫ですけれど、せっかく教えてもらっても、わたくしは素材がないので作れませんね」
「今回、コルネリウスに作り方を教えるのは素材を揃える必要があるからだ。どの程度の品質の物が必要になるのか、よく見て覚えておきなさい」
素材集めから始めなければならないが、コルネリウス兄様が顔をしかめるような品質の素材ばかりが必要なのだ。簡単には集まらないと思う。
「……だが、素材の大半は君の工房に置いていくつもりだ。五年ほどは大丈夫であろう」
「これだけの素材を置いていくのですか?」
ハルトムートがわたしの工房に持ち込まれた素材の数々を見て、驚きの声を上げた。私が見ただけではわからない貴重な素材もたくさんあるらしい。
「悠長に研究をしていられる時間はなさそうだし、あちらで工房が得られるかどうかわからぬからな」
「え? お薬作りはどうするのですか? 神官長こそお薬が必要になるのではございませんか?」
回復薬もなく、激務に立ち向かえるとは思えない。わたしの言葉に神官長が「もちろん回復薬は必要になる」と頷いた。
「だが、調合はユストクスに任せるつもりだ」
ユストクス本人が大量に素材を溜め込んでいるので、神官長が持っていく必要はないらしい。
「ここにある素材が必要ないとは、ユストクス様は一体どれだけの素材をお持ちなのでしょうか」
ハルトムートが呆然とした顔でそう言った。ユストクスは相変わらず謎な人物である。
そして、激マズ回復薬と、それを改良した優しさ入りのお薬の両方を作れるようになれば回復薬の作り方は終了である。
「後は、飲む量に気を付けなければならない。君は大雑把なところがあるので、薬を量るのはハルトムートに一任する。薬を与えすぎてもローゼマインは体調を崩すことがある。最も気を使わなければならない」
「お任せください」
ハルトムートが顔を引き締めたところで、神官長はわたしの前に素材と魔力が空になっている透明の魔石を置いた。
「ハルトムートに指導する間、ローゼマインは素材から他人の魔力を抜いて魔石に移す練習をしなさい。こちらが雑多な魔力が混じった物で、こちらは私が雑多な魔力を抜いた物だ。そろそろ他人の魔力を感知できると思われる」
二つ並べておかれた素材に触れ、その素材が持つ本来の魔力を感知し、余計な魔力を抜いていくのが課題だそうだ。
……何それ、難しい!
神官長に言われた通りにわたしは二つの素材に触れてみる。魔力の通りが違って、片方は雑多な魔力が混ざっているのが確かにわかる。
「片方は雑多で、もう片方は素材の魔力と私の魔力だけだ。違いがわかるか?」
「はい」
「ならば、自分の魔力を細い糸のように少しずつ入れながら、雑多な魔力を魔石に向かって追い出していきなさい」
わたしは集中して魔力を細く伸ばして、ろ過のイメージで自分の魔力を少しずつ素材に注ぎ、ろ紙に素材本来の魔力を残すようにして雑多な魔力を外に出していく。
その間に神官長はハルトムートに薬の量や使いどころ、リヒャルダが管理している分など、薬に関する細々とした注意をし始めた。
「できました!」
小さな一つの素材から雑多な魔力を抜くのに非常に時間がかかったけれど、達成感で胸はいっぱいだ。
「どれ?」
神官長ができあがった素材を手に取って、わずかに眉を寄せた。予想外に長い間じっと素材を見ている様子にだんだん不安になってくる。
「……あの、何か失敗していましたか?」
「いや、問題ない。雑多な魔力は除去されている」
神官長はそう言って、素材を返してくれた。そして、それほど大きくはない木箱を取って、わたしの前に置いた。
「この素材から雑多な魔力を除去しなさい」
そこに入っているのは、フランメルツの実、クヴェルヴァイデの葉、ヴィンファルの毛皮、グランツリングの粉の四つだ。
「これはディッター勝負でダンケルフェルガーのハイスヒッツェさんから巻き上げ……じゃなくて、大事な戦利品ではございませんか?」
「あぁ、貴重な素材でかなり品質が良い。君のユレーヴェの素材にするには最適だ。これから採りに行く時間はないし、私がアーレンスバッハに移動するまでにユレーヴェ作りは必要だからな」
神官長は事もなげにそう言っているが、この素材はハイスヒッツェが全財産を巻き上げられたような顔をしていた素材だ。
「わたくしのユレーヴェに使ってしまってよろしいのですか?」
「あぁ、そのためにグランツリングの粉を追加したからな」
エーレンフェストで採れる素材には限りがあるし、貴族院に在学中に採る素材は学生ばかりで採るので品質が足りないそうだ。
「……本当に使ってしまって良いのですか?」
「ぐずぐず言わずにさっさとしなさい。本当に時間がないのだ。ユレーヴェを作った後は貴族院の予習も行わなければならない。私が去った途端に成績が下がるような無様な真似だけは許さぬ。来年は領主候補生と文官コースの両方で最優秀を取ってもらうからな」
神官長にじろりと睨まれて、わたしはひぃっと息を呑んだ。何を考えているのかわからないけれど、怖すぎる。
「最優秀でなければダメなのですか?」
「私が教育すれば優秀であることと、元々の素質もあること、両方が揃っていれば、私がアーレンスバッハでやりやすい。家族同然の私のために協力してくれるのであろう?」
……父さん、父さん、ここに魔王がいるよっ!
心の中で絶叫してしまうけれど、神官長がちょっとでもやりやすくなるのならば、わたしはできるだけ努力するつもりだ。これまで神官長にしてもらってきたことはほんの少しの努力で返せるようなことではないのだから。
「やればいいのでしょう。やりますよ。最優秀もユレーヴェ作りも全部やります」
「ならば、全ての素材から雑多な魔力を取り除きなさい。それで今日は終わりだ」
わたしはふぅ、と息を吐き、もう一度ゆっくりと息を吸って素材に向き合う。まずはフランメルツの実から取り掛かる。
集中して魔力をゆっくりと注ぎ、フランメルツの実に含まれた雑多な魔力を取り除いていった。
全ての素材から雑多な魔力を取り除き、その日は終了だ。回復薬を飲んで眠り、その次の日には、素材を自分の魔力で完全に染めて魔石を作っていく。以前にユレーヴェ作りで魔石を作ったように、季節の貴色に合わせた魔石が完成した。
「これで問題なくユレーヴェが作れそうだな」
完成した魔石を見て、神官長が「大変結構」と言った。