Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (447)
平民の証言
「とりあえず、わたくしの本がなくなったのですから探すのは当然です。いってきます」
わたしが扉へ向かおうとすると、神官長が軽く手を上げた。
「どこへ行くつもりだ? 手がかりはあるのか?」
「いいえ、先程のように魔力で街中を闇雲に探してみます」
下町も貴族街も全部まとめて魔力で探索する、とわたしが主張すると、神官長は呆れ返った目でわたしを見た。
「魔力での探索では他人の魔力か否かは判明しても自分の魔力はつかめない。貴族街など他人の魔力ばかりで成り立っているようなところだ。全く役に立たぬ。魔力の無駄遣いだ、馬鹿者」
「うぐぅ……」
「それよりも、犯人の目的を考えてみなさい。狙いが絞れれば、多少は犯人に近付けるかもしれぬ」
……犯人の目的? そんなもの、一つしかないじゃない。
考えなくてもわかるのに神官長は一体何を言っているのだろう、とわたしは首を傾げる。
「聖典を欲しがるものの動機など一つしかないでしょう? エーレンフェストにたった一つの貴重な聖典を読みたかったに決まっています!」
正面から許可を求めて来てくれれば、閲覧許可を出したかもしれない。けれど、灰色神官達を消し、勝手に侵入して入れ替えるような犯罪行為をする者には許可を出せるわけがない。
わたしの完璧な推理は神官長に溜息一つで流された。
「聖典を読むだけが目的ならば、わざわざ君の部屋に忍び込んで入れ替える必要はあるまい。神殿図書室の写本だけでも十分なはずだし、青色神官に頼んで写本させれば良い」
「うっ、図書室の写本には載っていない闇の祝詞の部分を読みたいとか、ハルデンツェルの奇跡について書かれた部分が読みたいとか、色々と考えられるではありませんか」
苦し紛れに他と比べて自分の聖典が優れたところを探し出す。青色神官から神殿長が選ばれる他領の聖典よりも読める範囲が広いのだ。欲しがる人はたくさんいると思う。
……わたしの聖典はすごいんだから!
「君の言う通り、ハルデンツェルの奇跡について詳しく知りたい貴族や闇の神の祝詞を知りたい中央神殿が欲したというのは動機になり得る。だが、入れ替える理由もわからぬし、君の魔力が登録された聖典では許可もなく読めぬのでは意味がない」
「持ち主の登録をし直せばよいだけではございませんか?」
わたしも神殿長になってから鍵の登録をし直した。登録し直すのはそれほど難しくないはずだ。
「読める範囲が変わるではないか」
「……自分の魔力では範囲外になるところを読みたくて入れ替えたのでしょうか?」
中央神殿の聖典と比べたから、持ち主である神殿長の魔力に加えて閲覧者の魔力に左右されることをわたし達は知っている。けれど、あまり広範囲の人が知っていることではないと思う。
……聖典がないと困ることって何かあったっけ?
正直なところ、儀式の時に礼拝室へ持って行くけれど、わたしの場合は恰好だけだ。別に聖典がなくても祝詞は問題ない。儀式以外で聖典を使うことがないので、普段は神殿長室の飾りとなっているくらいである。ないと困ることが思い浮かばない。
逆に、聖典がなければできないことがあるだろうか。そう考えて、わたしは自分の聖典が変わったことを思い出した。
……もしかして、あの浮かんでいる魔法陣や文字が目当てとか?
王になるための指南書とも言える聖典だが、浮かんでいる魔法陣や文字が見えるのはわたしと神官長だけのはずだ。王族であるヒルデブラントにも見えていなかったのだから、他にはいないと思う。
「エーレンフェストの聖典自体が目的というのは考えられませんか?」
あの魔法陣、とは言えずにわたしは神官長を見上げた。神官長は顎に当てていた手から人差し指だけを少し伸ばした。ちょうど唇に当たって「黙れ」の合図になる。わたしが言いたいことは伝わったようだ。
わたしの質問には答えず、神官長は自分の推測を話し始める。
「……君に汚点を付けるというのが目的の一つではないかと考えられる。各領地に一つしかない聖典を失うなど、管理不行き届きで神殿長には相応しくないと文句を付けるのだ。君だけではなく、後見人であり神官長として神殿にいる私にとっても聖典の紛失は十分に汚点となり得る」
「か、代わりの聖典がありますよ?」
わたしは祭壇の上の聖典を指差した。神官長は聖典を睨むようにして見た後、首を振った。
「……それが本物の聖典とは限らぬ。見た目を似せただけのただの張りぼての魔術具かもしれぬ。仮に、他領の本物の聖典だったとしよう。それを証明できるのであれば、こちらが他領の聖典を盗んだのだと犯人は主張することもできるのだ。聖典の紛失だけではなく、盗難の濡れ衣まで着せられる。おそらくこれも目的であろう」
気付かないうちに泥棒扱いされるかもしれない、と言われ、わたしはすぅっと血の気が引いていく。
「とりあえず、これが本物の聖典かどうか調べなくては!」
「迂闊に触るな!」
祭壇に向かって伸ばしたわたしの手を神官長にバシッと払い除けられた。指先に痺れるような痛みが走る。全く力加減なく払われたのがわかって、わたしはジンジンと痛む指先を見た。
「い、いた……」
「聖典の紛失、盗難の濡れ衣、それから、君の暗殺。それが私の考える犯人の目的だ」
厳しい視線を神官長は祭壇の上の聖典に向けている。あまりにも物騒な単語が出てきて、わたしは大きく目を見張った。
「あ、暗殺ですか?」
「誘拐して、君の魔力を自在に使えるように監禁することができれば一番だろうが、殺すより誘拐の方が難易度は高い」
「殺すのは簡単なのですか?」
「あぁ。これほど精巧な物を準備して、秘密裏に入れ替えられるのだ。私ならば暗殺も考慮に入れる」
神官長が視線をエックハルト兄様に向けると、エックハルト兄様は腰元の薬品入れに手を伸ばし、白い実を取り出した。シュタープを出し、メッサーに変化させて軽く切り込みを入れる。そして、その実をギュッと絞った。聖典に向かって汁がバッと飛ぶ。
「わわっ! 何をするのですか!? 汚れ……え?」
汁がかかった瞬間、聖典はまるで血でもついているように赤く色を変えた。エックハルト兄様が忌々しそうな顔で聖典を見ながら、白い実の搾りかすをユストクスに渡す。神官長は「やはりな」と呟いた。
「この赤い汚れはアーレンスバッハとエーレンフェストの境の辺りでよく採れる毒物で、触ったら手から浸透していく珍しい毒だ。日常的に触れる物に塗り込んでおくと、毒に侵されていることに気付いた時には手遅れになっていることが多い。実際、この聖典が入れ替えられていることに気付かなければ、秋の成人式で確実にこれを持つ君も、準備をするフランも、君の手伝いをするハルトムートも遠からず毒に侵されていたであろう」
神官長がそう言いながら軽く手を振ると、ユストクスが自分の腰に下げている薬入れから一つの筒を取り出した。
「ハァ、またこれの出番があるとは思いませんでした」
溜息交じりにそう言って、ユストクスはガーゼのような布に薬を染み込ませていく。その間にエックハルト兄様が革の手袋をギュッとはめて、当たり前の顔でその布を受け取り、聖典を拭い始めた。薬の染み込んだ布で拭えば、毒の赤い汚れがするりと取れていくのがよくわかった。
「こうして毒に関する知識を仕入れ、主を守るのも側近の役目だ。其方等には知識と危機感があるか? 実際にこうして主の身近で毒物が使われているわけだが、解毒薬の数種類は準備できているのか?」
エックハルト兄様に問われ、コルネリウス兄様を始め、わたしの側近の皆が軽く息を呑んだ。
「ローゼマインは魔力の豊富なエーレンフェストの聖女であり、流行を生み出している次期領主の第一夫人予定者だ。エーレンフェストの力を削ぐことを目的にするならば、暗殺対象者となるのは確実ではないか。護衛騎士に覚悟が足りていないな」
エックハルト兄様は聖典を拭いながら静かな声でそう言う。コルネリウス兄様がぐっと拳を握るのが見えた。日常的に命の危険を感じて来た神官長の側近がどれだけの注意を払っているのか、どれだけの準備をしているのか、目の前に突きつけられた気分だ。
「コルネリウス、其方は躊躇いのなさと反応速度でアンゲリカに劣っているのだから、もっと周囲を見る目と事前に危険を取り除く術を学ばなければならぬ。これまでローゼマインの周囲の危険を取り除いてきたフェルディナンド様はいなくなるのだぞ。其方はその意味がしっかりと理解できていなかったであろう?」
基本的に何も考えない分、アンゲリカは躊躇わない。誰が相手でも武器を向けて主を守る。体を張って主を守る以外のことができる護衛騎士が必要なのに、それが足りていない、とエックハルト兄様は言った。
「これまでフェルディナンド様が行ってきたことを其方一人でする必要はない。フェルディナンド様と同じことなどできるわけがないからな。だが、ローゼマインの護衛騎士は何人もいるのだから、全員でフェルディナンド様一人分に少しでも近付く努力くらいはしなさい」
解毒された聖典に魔石を当てたり、他の薬を振りかけたり、色々と試して危険がないことを確認した後、エックハルト兄様は神官長に聖典を差し出した。神官長はそれに魔法陣を重ねて、首を振った。
「……聖典によく似せている魔術具だが、聖典ではないようだ。これを儀式の場に持って行けば、開こうとしても開くことができず、君は皆の前で醜態を晒すことになったであろう」
「つまり、それは本ではないということですか?」
「見た目を写し取る魔術具だな。中身はない」
聖典同士の入れ替えでもないというところで、わたしの怒りが限界を突破した。魔力を押し込んでいる蓋が外れ、怒りのままにぐわっと魔力が溢れてくるのがわかる。高熱を発したように体が熱いのに、頭が冷えている状態になった。
「わたくしの聖典が……」
「ローゼマイン様?」
ユーディットの驚きと恐怖に満ちた声が聞こえた次の瞬間、わたしの視界が大きな手によって塞がれる。
「ローゼマイン、感情に任せるな。とんでもない結果になる」
その声でわたしの視界を塞いでいるのが神官長だとわかった。
「幾重にも重なった嫌がらせのようなやり口はヴィルフリートの白の塔を思い出させる。君はあの時のヴィルフリートと同じような立場に立っているのだ。下手に動くと周囲を巻き込むぞ。君は誰を処刑に追い込みたいのだ?」
どこにどのように引っかかっても相手にダメージが向かうようなやり口と、どの失敗でどこまで周囲の者に失点が付くのかを懇切丁寧に説明されたわたしは、深呼吸して暴れ回ろうとする魔力を必死で抑え込む。
「君が思っているように聖典を取り戻さなければならぬ。それは間違いない。取り戻せなかった場合は被害が最も少ない方法を選ばなければならない。……少しは落ち着いたか?」
「はい」
神官長の手が離れ、視界にビックリした顔の側近達が映った。ポカンとしている側近達を見ながら、神官長が溜息を吐く。
「唖然としている場合ではないぞ。滅多に感情的にならぬが、本や自分が大事にしている身内が危険に遭うとローゼマインはすぐに暴走する。これを止めるのも側近の役目だ」
「……フェルディナンド様がいなくなるということの大変さが身に染みました」
コルネリウス兄様が呆然としたようにそう言うと、レオノーレとユーディットも揃って頷いた。
聖典の紛失について神官長がいくつかの対処を考えているところに、孤児院へ聴取に行っていたフィリーネが飛び込んできた。
「ローゼマイン様! コンラートの様子がおかしいのです。布団に潜り込んだまま震えていて、ローゼマイン様に助けを求めているだけで出て来てくれません」
「……何か知っている可能性が高いな。行くぞ」
神官長が自分の側近達を見回す。ユストクスとエックハルト兄様が頷く。
「殿方は食堂までしか入れません。わたくしはレオノーレとユーディットを護衛に、フィリーネとモニカを連れて行きます」
モニカが開けてくれた孤児院の扉を抜けて食堂へ入ると、デリアとディルクがホッとしたようにわたしを見て跪いたのがわかった。
「デリア、コンラートの様子はどうですか?」
「あまり体調が良くないから、と今日はお昼寝をさせていたのです。その時に何か見たのでしょう。フィリーネ様がお話を聞きに行った時には震えて出てこないという状態でした」
デリアの話を聞きながら、わたしは神官長達を食堂に置いて、奥の階段を下りていく。洗礼式前の子供達の部屋へ入った。心配そうにヴィルマや小さい子供達がコンラートに声をかけている。
「悪いけれど、皆は出てくれますか? わたくしとフィリーネと護衛騎士だけ残してください」
洗礼式前の子供の部屋はそれほど広くない。ヴィルマ達に出てもらい、わたしはコンラートが籠っている布団に向かって声をかけた。
「コンラート、わたくしです。何があったのか、誰をどのように助ければ良いのか、教えてくれますか?」
コンラートがのっそりと布団から顔を出した。その顔は恐怖に強張っている。
「は、灰色神官達を助けてください」
「灰色神官達は生きているのですか?」
コンラートはカチカチと歯を鳴らしながら、何度も頷いた。神官長が消しただろうと言ったので半分は諦めていたが、そうではなかったらしい。湧き出た希望に気持ちが昂ぶってくる。
「助けます。詳しく教えてください、コンラート」
「門番の灰色神官達を、シュタープで、ぐるぐるって、怖い女の人が……」
恐怖の方が強いようでコンラートの視線が定まっておらず、何度も瞬きしながら、途切れ途切れの言葉を紡ぐ。瞳からはボロボロと涙が零れ始めた。
「ヨナサーラ様のような怖い人がっ!……皆をひどい目に」
「コンラート!」
フィリーネがコンラートをギュッと抱き締める。安心したようにフィリーネにしがみついて泣きながら、コンラートは言葉を続けた。
昼食を終えたコンラートは、お昼寝をするように、とデリアとヴィルマに言われて一人だけ部屋に来たらしい。窓からは馬車のための門が見える位置で、ちょうど門を開いているところだったようだ。珍しいので、コンラートは窓から門を見ていた。
「門が開いて馬車が入って来たのに、突然馬車が止まって……」
あまりにも不思議で瞬きながら見ていると、馬車から降りて来た女性がシュタープを出し、光の帯で灰色神官達をぐるぐる巻きにしたらしい。そして、三人の男によって馬車の中に運び込まれたのだそうだ。そして、男達は門を閉めて、また馬車に乗った。貴族の女性だけは騎獣で正面玄関へ向かったそうだ。
「まだ助けられるかもしれません。私をヨナサーラ様から助けてくださったように、彼等も助けてあげてください」
灰色神官達が光の帯で縛り上げられて、さらわれる様子はシュタープで虐待を受けたことがあるコンラートのトラウマを刺激する光景だったのだろう。わたしは汗ばんでひやりとするほど冷たくなっているコンラートの頭を軽く撫でた。
「助けます。馬車の目撃情報はすでに門の兵士達から集めるように指示を出していますから、どの門から出て行ったのかすぐにわかります。安心して待っていてくださいませ」
コンラートを安心させるために、できるだけ優しい笑顔を浮かべてみたが、はらわたが煮え繰り返るほどの怒りを感じている。わたしの聖典を盗み、毒の付いた偽物を準備し、灰色神官達を拉致し、コンラートのトラウマを刺激したのだ。
でも、神官長の言葉で消されたかもしれないと思っていた灰色神官達が生きているという情報が手に入ったのは大きな収穫だった。
「フィリーネ、ここに残りますか?」
わたしの言葉にフィリーネは抱き締めたままのコンラートとわたしを見比べた。コンラートを抱き締める腕に少し力が籠った瞬間、コンラートがフィリーネの体を押した。
「姉上はローゼマイン様と一緒に行ってください。そして、皆を助けて。私はディルクと一緒に皆が戻るのを待っています」
「……わかりました」
わたしはコンラートの後をデリアとディルクに任せて食堂に戻る。フィリーネが「コンラートが頼もしくなったのは嬉しいですけれど、姉としては少し寂しいですね」と小さく笑った。
「お待たせいたしました」
食堂に戻ると、ユストクスがフリッツから話を聞いているところだった。わたしはそちらに向かって歩き出す。
「神官長、門番の灰色神官達が生きています」
「何だと?」
「シュタープの光の帯で拘束されて馬車に乗せられたところをコンラートが目撃しました。門の情報が集まり次第、助けに行きます」
「連れ去ったとは意外だったな。消した方が証拠も残らず、簡単なのだが」
顎を撫でるようにしながらそう呟く神官長にユストクスが軽く肩を竦めた。
「旧ヴェローニカ派は製紙業や印刷業から弾かれていますから、灰色神官達を連れ去って知識を得ようとした可能性がございます。知識を得たいと思っているのでしたら、今のところ命は無事でしょう」
「なるほど。だが、捕まると思ったところで、身食い兵のようになる可能性もある。救出作戦にはスピードと隠密行動が必須となるだろう。神殿長室に戻るぞ」
わたし達は孤児院を後にしながら、フィリーネとユストクスから孤児院で集めた情報について話を聞く。コンラートの重要な証言の他にもいくつかの証言が孤児院では得られたようだ。フィリーネがメモを見ながら話してくれた。
「清めをしていた灰色巫女が貴族区域へ連絡に向かった門番と会話をしています。貴族の来客があるので早く片付けるように、と言われたそうです」
門番は「あの方は灰色巫女や灰色神官にとても厳しいですから」と言ったらしい。ユストクスが更に続けた。
「フリッツによると、その門番はシキコーザの元側仕えだそうです。彼が見知った貴族ならばシキコーザの親族に違いないそうです。コンラートが目撃したのが怖い貴族女性ならばダールドルフ子爵夫人の線が濃厚ですね」
……ダールドルフ子爵夫人。
シキコーザの処刑原因となったわたしを恨んで憎んでいる旧ヴェローニカ派の女性だ。一族を連座に巻き込まないように、当主がわたしに関わらせないようにすると約束していたはずだが、連座に巻き込んでも良いと思ったのだろうか。それとも、何か逃れる方法を持っているのだろうか。
考え込んでいるところにダームエルとアンゲリカが駈け込んで来た。
「ローゼマイン様、各門の士長を集めて情報を聞いてきました。これからの馬車の出入りにも目を光らせてもらえるように頼んでいます」
馬車の出入りを管理している門の情報は大事だ。全員の視線がダームエルとアンゲリカに向けられる。
「情報をお願いします」
「はっ!」
「今は冬の社交界に向けて、北の方から貴族が集まって来る時期です。本日だけで貴族の馬車は十台、エーレンフェストに入って来ています。出て行った貴族の馬車はありません」
北の方はもう雪が降り始めているはずだ。南の方はまだ降っていないので、どうしても冬の社交界のために貴族街へやってくるのに差が生まれるのだ。
「普通は貴族門を使って貴族街に入るはずなのに、神殿に門番がおらず神殿に入れないと文句を言いながら北門を使った馬車が四台あったようです。時間はお昼頃に集中していたとギュンターより聞きました」
ダームエルは北門の情報を教えてくれた。父さんがすぐに情報を集めてくれたらしい。
「出て行った馬車がいないということは、灰色神官達は貴族街に連れて行かれたということでしょうか?」
「貴族門を使って貴族街へ向かったのならば、開門に魔力認証が必要なので、城に問い合わせれば誰が貴族門を使ったのかわかるはずだ」
神官長はそう言ったけれど、答えが戻ってくるまでに何日もかかる貴族の仕事を待っているのは正直なところ辛い。
「ローゼマイン様、わたくし、いえ、シュティンルークからも報告がございます」
アンゲリカはするりとシュティンルークを撫でた。神官長の声でシュティンルークが話し始める。
「西門から変わった馬車が入ってきたという情報があった。馬車自体はちょっと金がある平民が使うような物なのに、御者の言葉遣いや態度が明らかに貴族に仕える者だったそうだ。三の鐘が鳴るより前に入って来ていて、四の鐘が鳴った後しばらくして南門から出て行くのが確認されている」
「南門……?」
「南門では馬車の中で物音がして中を確認しようとしたら、貴族の紋章が入った指輪を見せられ、黙らされたと一人の兵士が言っていた」
シュティンルークの言葉にわたしは神官長を見た。いくら何でも怪しすぎるだろう。
「まだそれほど遠くへは行っていないでしょう。確認だけでもしてきます」
「同行しよう。君を一人で放り出すわけにはいかぬ」
神官長がそう言って、部屋の中を見回した。
「下町の情報収集能力には正直驚かされた。……ただ、平民では貴族相手に証言としての価値は低い。必ず証拠となる紋章入りの指輪か、連れ去られた灰色神官達を押さえなければならぬ。良いな?」
「はいっ!」