Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (460)
閑話 アーレンスバッハ生活の始まり
アーレンスバッハに到着すると、すぐに冬の社交界の始まりである。困ったことにアウブ・アーレンスバッハは我々の到着寸前に亡くなっていて、貴族との繋がりを作ってくれる者はほとんどおらず、レティーツィア様とその側近と多少なりとも道中で繋がりを作れたことに胸を撫で下ろしている状態だ。
エーレンフェストへ書状を出した時には本当に危篤だったようで、アウブ・アーレンスバッハの穴を埋めるためにフェルディナンド様が呼ばれたというのが真相だ。
アウブが亡くなったため、跡継ぎであるディートリンデ様は出迎えに向かうこともできない。そして、エーレンフェストと最も縁の深いゲオルギーネ様が迎えに出立したけれど、夫の死を嘆くあまり、道中で体調を崩したそうだ。急遽レティーツィア様が呼び出され、側近の騎獣で馬車に追いつき、代理として出迎えることになったそうだ。
……ゲオルギーネ様のお言葉はとても信用できるものではないな。
ゲオルギーネ様は自分が次期領主となるためには努力を惜しまず、色々と企てては敵を陥れ、確実に自分の立場を作っていく方だった。今もアウブ・エーレンフェストに執着しているのだと言われれば、何の疑いもなく納得できる。そのくらい執念深くて怖い。
私は情報を集めるのが幼い頃から好きだった。自分の趣味で集めているので私にとってはどれも同じくらい大事なのだが、他人にとっては玉石混合の情報だ。くだらない物から重要な物まで大量にあることになる。
そんな私の情報をゲオルギーネ様は「情報精度が悪くて役に立たない」とおっしゃった。その言葉で私は自分の情報をゲオルギーネ様に公開する気が完全に失せ、同時にお仕えする気も消え失せた。
けれど、私はゲオルギーネ様と同級生だ。そして、母上と姉上がゲオルギーネ様の側仕えをしていた関係で、子供部屋にいる頃に「わたくしに仕えるためには文官にならなければ、側仕えでは異性のユストクスは側近になれませんよ」と言われた。
……そうか。だったら……
私は側仕えコースを取ることに決めた。母上と姉上が側仕えとしてゲオルギーネ様に仕えているのだから、別に自分が仕える必要はないと思ったのだ。
ただ、私が側仕えコースを選択したことで、「ユストクスは裏切り者です。信用できません」と言われ、ゲオルギーネ様の当たりが非常に厳しいものになった。
当時の私は知らなかったのだが、私がコース選択を決めた時期はジルヴェスター様が生まれ、母上がジルヴェスター様の筆頭側仕えに異動させられる話が出た頃のことだったらしい。私が側仕えコースを取るのは、自分の文官として仕えるのではなく、ジルヴェスター様に仕えたいからだろう、と思われたのだ。
正直なところ、どう思われても良かった。どちらにも付きたくなかったのだ。領主候補生らしく愛想の良い淑女の顔をしていても、その胸の内には激しい感情が渦巻いていて、敵を沈めるためには手段を選ばないゲオルギーネ様も、三歳くらいまでは病弱で寝込んでいることが多かったのに元気になった途端、信じられないくらいの暴れん坊になったジルヴェスター様も、仕えたいと思える要素がなかった。
「ユストクス、お茶を淹れてくれ」
「かしこまりました、フェルディナンド様」
私が名を捧げてでも仕えたいと思ったのはフェルディナンド様だった。私の情報を上手く使いこなし、適度に私を自由にさせてくれる良い主だ。
フェルディナンド様は先代の第一夫人であるヴェローニカ様に疎まれ、排除されようとしていたが、上手くかわしていた。皮肉なことだが、忍耐力、注意深さ、勤勉さなどフェルディナンド様の優秀さは図らずもヴェローニカ様が育てたと言える。
「厨房へ案内していただけますか、ゼルギウス?」
「はい」
アーレンスバッハから付けられた側仕えゼルギウスに声をかけ、私は厨房への道を教えてもらう。同時に私はゼルギウスにフェルディナンド様の好みなどを教えなければならない。
「今は客室ですから厨房まで向かわなければならず、少々手間がかかりますが、ディートリンデ様との星結びの儀式が終われば本館のアウブの居住区域に移動ですから楽になります」
フェルディナンド様に与えられたのは客室だ。まだ婚姻していないフェルディナンド様は本館のアウブの居室があるところへ入ることができない。星結びの儀式が終われば部屋を移動することになる。
……だが、いつになるか。
アウブの継承が春の領主会議で行われることになるが、その時に星結びの儀式が共にできるか否かは定かではない。ディートリンデ様が礎の魔術を自分の魔力で染めて、完全に我が物とする方が優先されるからだ。
……貴族院にいる間は染められないだろうし、どう考えてもフェルディナンド様の魔力の方が強いだろう。
礎の魔術はまだ亡くなったアウブ・アーレンスバッハの魔力で染まっているはずだ。親子なので魔力は似通っていて、扱うのにそれほどの不便はないはずだが、婚姻すれば夫婦の魔力はお互いに影響しあって染まり合っていく。フェルディナンド様の魔力の影響でアウブの魔力と反発する可能性が高くなることを考えると、婚姻は後回しにされる可能性が高いのではなかろうか。
「こちらは下働きが使う道ですが、厨房への近道なのです」
ゼルギウスがにこやかにそう言いながら下働き達が使う道も通って最短で厨房へ向かう。私はその道を覚えながら、周囲を忙しなく歩いていく下働き達の会話に耳を澄ませた。
冬の間は貴族間の関係の構築と情報収集が一番主な仕事だ。フェルディナンド様からもゲオルギーネ様の情報が少しでも得られないか、と言われている。
アウブ・アーレンスバッハが亡くなったため、次にアウブとなるディートリンデ様のためにゲオルギーネ様は居室を離れに移さなければならず、今は引っ越しの最中らしい。下働きの出入りが激しく、潜り込むには絶好の機会である。
ただ、準備には時間がかかる。まず、こちらの訛りを覚えなければならない。貴族院で交流し、領主会議などで交流がある貴族はほとんど違いがないのだが、下働きをしている平民に交じろうとすると訛りや独特の言い回しを覚える必要がある。エーレンフェストの下町に交じる時に覚えた下町訛りとは少し違うようで覚え直しだ。それでも、動作などは流用できそうだ、と周囲の下働きの様子を見ながら思った。
……でも、厄介だな。下働きまでお仕着せがあるのか。
下働きのお仕着せを手に入れなければ、潜り込むこともできないようだ。城に到着した時にゲオルギーネ様に挨拶した時に「こちらで一緒に過ごせるようになるとは思っていませんでした、ユストクス。グードルーンはご一緒ではございませんの? こちらでお会いすることはなさそうで、少し寂しい心地さえいたしますね」と言われたのだ。
つまり、女装してうろついたらすぐにわかりますよ、と釘を刺されたというわけである。ゲオルギーネ様は私が貴族院で好き勝手にやっていた頃を知っているので、少々やりにくい。
「そういえば、フェルディナンド様。フェシュピールの練習をしなくてもよろしいのですか?」
お茶を差し出しながら、私はフェルディナンド様に問いかけた。
道中でも宿に着くたびに「何か良い方法がないものか」と難しい顔でブツブツと言っていたけれど、結局フェルディナンド様は有効な味方の作り方が思い浮かばなかったらしい。何度か相談されたのだが、姫様が提案されたフェシュピールを弾くという案が非常に有効だと思ったので、その後私は思考を放棄している。
アウブ亡き今、手っ取り早く味方を作る必要があるのに、フェルディナンド様は人と接するのが苦手で、四角四面。与えられた課題は完璧にこなすけれど、合理性を重視しすぎて感情面はおざなりにしてしまう。
そんなフェルディナンド様だが、フェシュピールの音色は柔らかく、歌う声は染み入るようで貴族院時代も心待ちにしている者は多かった。今回もアーレンスバッハの者達の心を解す一助となるだろう。うっとりする女性は多く、多少なりとも印象は良くなるのが目に見えるようだ。
……姫様はよくフェルディナンド様を理解していらっしゃる。
私がクスリと笑うと、フェルディナンド様が少し嫌な顔をした。姫様の助言通りにするのが癪に障るらしい。
「フェルディナンド様はフェシュピールの名手でしたから、私もぜひ拝聴したいです」
ゼルギウスはフェルディナンド様と同時期に貴族院に在学していたようで、優秀さを知っていて、ぜひ補佐したいと名乗りを上げた側仕えだ。まだ完全には信用できないが、ゼルギウスの目にはフェルディナンド様に対する憧れと尊敬が溢れている。
ゼルギウスによると、フェルディナンド様の優秀さを知る者はアーレンスバッハにもいて、執務面では歓迎されているそうだ。ディートリンデ様にお任せするのは荷が重いと上層部が感じているようで、彼等を少しでも味方につけられるならば、それに越したことはないだろう。
「フェルディナンド様はレティーツィア様の教育係となるのですから、優秀さを見せつけることは有効だと存じます。始まりの宴で演奏されますか? それとも、別の機会を設けましょうか?」
ゼルギウスの説得にフェルディナンド様は諦めたような溜息を吐いて、始まりの宴でフェシュピールを弾くことを約束された。
「少しフェシュピールを弾く。下がっていろ」
「かしこまりました」
姫様から贈られた新しい曲の編曲もするということで、いつも通りの準備を整えると、私達はフェルディナンド様の前から下がる。付き従うのは護衛騎士のエックハルトのみだ。
私は荷物の整理をしたり、自分の部屋を整えたりしながら、どのようにして下働きの服を手に入れるか、そればかりを考えていた。
「ゼルギウス、お茶を片付けて来ます」
「一緒に行きます。まだ一人にはさせられませんから」
ゼルギウスは私に対する監視でもあるらしい。私は「道を覚えるのがそれほど得意ではないので助かります」と言いながら、茶器をゼルギウスに持たせ、自分はポットなどの少し重い方を抱えた。先程も通った下働きの道を通って厨房へ向かう。
……少々気は進まないが。
私達貴族が通りやすいように脇に避けている一人の下働きに、私はポットに残っているお茶と甘味を足すための蜂蜜をぶちまけた。
「すまない! 腕が当たってしまった」
「あ、ああ、洗えば何とかなるので、お気になさらず」
「そうです、ユストクス。貴方が気にすることではありません」
きちんと避けていなかった下働きが悪い、とゼルギウスが言うのを聞いて、私は厳しい顔で首を振った。
「いいえ、エーレンフェストではこのようなことをしてしまった時は責任を取ることになっています。ここはアーレンスバッハですが、それでは私の気が済まないのです。ゼルギウス、片付けを頼んでも良いですか? 彼の上司に詫びて来なければ」
「それはさすがに……」
「では、片付けを終えたら付いて来てくれますか?」
「……仕方がありません。同行します」
私を一人にしないように言われているのだろう。ゼルギウスは少しばかり面倒そうに溜息を吐いた後、下働きを統括している者のところへ連れて行ってくれることになった。
「連れ回してしまうことになるが、一緒に来てほしい。君の上司に詫びて、新しいお仕着せを支給してもらう。それでは仕事にならないだろう」
貴族の言うことに下働きが逆らえるはずもない。強引に事を運び、私は厨房で片付けを終えると、ゼルギウスと恐縮しまくっている下働きと共に、下働きを統括している部署へ向かい、事の顛末の説明と詫びを入れ、お仕着せを支給している部署へ連れて行ってもらった。
「貴族が下働き相手にそこまでする必要はありません」
「それでは私の気が済みませんし、フェルディナンド様に叱られます」
笑顔で押し切って私から詫びを入れ、金を払い、彼に新しいお仕着せの服を支給してもらった。
……名前や顔が確認されるわけでもないようだ。これなら貴族が一緒に向かって、金を払えば何とかなりそうだな。
新しいお仕着せが支給される流れを確認した私は、数日後、フェルディナンド様やエックハルトと打ち合わせてゼルギウスに仕事を与えてもらい、監視の目を外したすきに下働きに変装した。髪の色を変え、顔つきを多少変え、髪から体まで少し薄汚れた状態にした上でアーレンスバッハのお仕着せに似たような服を汚す。
「エックハルト、これを連れて行って、新しいお仕着せを支給してもらって来るんだ」
「はっ!」
フェルディナンド様に一筆書いてもらい、エックハルトと共にお仕着せを支給する部署へ向かった。そして、エックハルトから「自分の気が済まないし、フェルディナンド様に叱られます」とお金を払ってもらう。フェルディナンド様に一筆書いてもらった木札を見せることで、新しいお仕着せを支給してもらうことができた。
「エーレンフェストの客人は変わっていますね。下働きなどに一々構う余裕などないでしょう」
「いいや、エーレンフェストには孤児にさえ心を砕く聖女がいるのです。下働きを粗雑に扱うと主に叱られます」
エックハルトの言葉に「それはまた大変な聖女様ですね」と男は苦笑しながらお仕着せを渡してくれた。
「本当にお世話になりました。私は仕事に戻ります」
下働きのお仕着せを手に入れた私はその場でエックハルトに礼を言って分かれると、早速下働きの道の探索をし、ゲオルギーネ様の離宮へ向かう。新しい情報を掻き集めるのだ。
下働きに交じって仕事をしながら情報を集めた。下働きしか使わない物置で服を着替えてヴァッシェンで汚れを落とすと、何食わぬ顔でフェルディナンド様の居室に戻る。
「どこに行っていたのですか、ユストクス?」
「……ゼルギウス、フェルディナンド様に伺わなかったのですか?」
「調合室へ向かったと伺ったのですが、調合室にも姿が見えなかったのですが」
「あぁ。では、行き違いでしょう。回復薬を調合して、厨房へ向かったので」
全てが嘘ではない。厨房でカルフェ芋の皮剥きもしていた。あの手の下働きは周囲に大体お喋り好きな女性がいるのだ。良い収穫だった。
ゼルギウスの質問を軽く流し、私はフェルディナンド様にお茶を差し出す。
「フェシュピールの曲は完成しましたか?」
「あぁ。明日、披露する」
フッとフェルディナンド様が笑う。どうやら自信作のようだ。これならば何も心配いらないだろう。そう思っていると、茶器に隠れる位置にフェルディナンド様がそっと音を立てずに盗聴防止の魔術具を置いた。私はお茶請けを置く振りをしながら素早く魔術具を握り込む。
「ゼルギウス、風呂の準備を頼む。夕食までに入りたい」
「かしこまりました」
ゼルギウスがすぐさま踵を返すのを見ながら、フェルディナンド様が「報告を」と呟いた。今、この部屋の中にはフェルディナンド様とエックハルトと私だけだ。予想以上に他の視線があり、報告さえ儘ならない。時間を無駄にすることはできないので、私はすぐに報告を始める。
ゼルギウスが戻って来ても会話しているようには見えないように、机を整えたり、寝台を整えたり、と別のことをしながら声を出す。
「アーレンスバッハではエーレンフェストがあまり良く思われていないようです。現在の第一夫人であるゲオルギーネ様の出身地でありながら、あまりにも非協力的すぎるという意見が一般的でした」
エーレンフェストから輿入れし、エーレンフェストの領主が交代して以来、碌な援助もないゲオルギーネ様はとても可哀想なのだそうだ。エーレンフェストの聖女という魔力の豊富な養女を得たにもかかわらず、自分達だけ順位を上げてこちらに対する配慮が全くないのはけしからぬということだった。
「不満を逸らすにはエーレンフェストがちょうど良いのだろうな」
「おそらく。それから、ゲオルギーネ様の派閥には元第二夫人系の臣下が多いようです。元々の第一夫人と第二夫人の仲が悪く、第三夫人のゲオルギーネ様は跡継ぎを擁する第二夫人と仲良くしていたそうです」
ところが、第二夫人の処刑と跡継ぎの失脚があり、第一夫人が孫娘を養女とすることで跡継ぎを得る。第二夫人派はそのままゲオルギーネ様の方へ移ったらしい。
「第一夫人への反発はもちろん、ドレヴァンヒェルから連れて来られた跡継ぎ予定の養女レティーツィア様が幼すぎることが理由としてあげられていました。一番大きな理由は魔力不足のせいですね。領主候補生が減って魔力供給が大変になる中、小聖杯を満たす神官も中央へ移動して急激に減りました。ところが、旧ベルケシュトックの管理を任され、領地は増えました」
それも、グルトリスハイトを持たぬ王が境界を引き直すこともできないままに管理だけを任されたのだ。負担はとんでもないものになる。
「第一夫人は政変後に与えられた旧ベルケシュトックに力を注ぐのをどちらかというと後回しにしたそうです。自分達の基盤であるアーレンスバッハ内を充実させる方が優先だ、と。そんな中、ゲオルギーネ様はそのベルケシュトック分の小聖杯の魔力をどこからともなく調達してくれたらしいのです。そのような経緯からゲオルギーネ様は第二夫人系、旧ベルケシュトック領の住人に慕われているということでした」
「……前神殿長によって神殿に持ち込まれていた他所の小聖杯がそれであろうな」
フェルディナンド様が腕を組んでゆっくりと息を吐いた。それを横目で見ながら、私は寝台に危険物が潜んでいないか確認していく。
「エーレンフェストは魔力の豊富な聖女をアウブの養女にして余裕ができたにもかかわらず、ゲオルギーネ様のお願いを却下するのだからひどい、と言われています。こちらも余裕があるわけではないのですが、旧ベルケシュトック領に住まう住民にとっては小聖杯の有無が死活問題に直結しますからね」
「アーレンスバッハの領地のことをエーレンフェストに頼るのがお門違いなのだが、得られていた援助が突然打ち切られると恨み言があるのも仕方がないか……」
予想以上にゲオルギーネの勢力が大きいな、とフェルディナンド様が難しい顔で考え込んだ。
「ゲオルギーネ様は第二夫人やベルケシュトック系の支持はありますが、レティーツィア様を後継ぎとして戴く第一夫人派とは仲良くとはいかないようで、レティーツィア様が成人して跡継ぎになるというのが、ゲオルギーネ様の離宮周辺ではとても問題視されているようです。ディートリンデ様がいらっしゃるのに、レティーツィア様を跡継ぎに据える必要はないという声さえ聞こえてきました。何となく亡くなったアウブの望みや王命ということがあまり知られていないように感じられました。取り急ぎ報告するのはその辺りですね。誰と誰が良い仲であるとか、どこの野菜が新鮮だったとか、細かい報告は後日にします」
その報告の途中でフェルディナンド様が立ち上がった。ゼルギウスが風呂の準備を終えたらしい。
「ユストクス、魔術具の管理を任せる」
「かしこまりました」
始まりの宴でフェルディナンド様は歓迎の御礼という名目でフェシュピールを奏でられた。ユルゲンシュミットでは定番の曲を数曲と姫様が作曲してフェルディナンド様が編曲された曲を数曲披露する。
一番新しい曲は離れた故郷を思う曲だった。
姫様の目論見通り、うっとりと聞き惚れた女性にはフェルディナンド様自体が快く受け入れられたらしい。演奏が終わった後は女性に取り囲まれ、冬の社交界での誘いが殺到し始めた。この冬にどれだけの味方ができるかが大事なのだ。なるべく多くの誘いを受けて、顔を繋いでいかなければならない。
「フェルディナンド様のフェシュピールは相変わらず素晴らしいですね。ディッターの腕も衰えてはいないのですか?」
「……衰えている。去年、ハイスヒッツェには辛勝だった。あの頃は余裕で勝てたからな」
「ハイスヒッツェとまだ勝負していたのですか!? あちらはダンケルフェルガーの現役の騎士なのですから、腕は落ちていないということではありませんか」
驚きの声を上げるアーレンスバッハの騎士達を見回して、フェルディナンド様が不敵な笑みを浮かべる。
フェルディナンド様と同年代の貴族達が変わらぬフェシュピールの腕を褒め、当時のディッターに関する優秀さについて思い出話を始めれば、エーレンフェストという下位領地の神殿に入っていた母もない領主候補生とフェルディナンド様を見下していた者が見る目を変え始めた。
「わたくしの婚約者ですものね」
ディートリンデ様がホホホと笑いながらフェルディナンド様の隣に立つ。
……あぁ、フェルディナンド様の笑顔が深まった。
苦手な相手を前にした時の笑顔を見て、私は即座に胃薬の確認をした。