Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (466)
実技 神々のご加護
午後の実技は神の加護を得るというものである。生まれながらに持っている適性に加えて神々の加護を受けられると、それだけその属性の魔術が使いやすくなるため、専門コースに分かれる三年生では大事な実技だ。
この実技は貴族院の講堂の奥にある神々の祭壇の前で一人ずつ行われる。そのため、神々の名を全て覚える神学の座学に合格した学生から階級に関係なく講堂に集められる。エーレンフェストは全員が合格したので、今日は全員が講堂に集合だ。
「ローゼマイン様と実技でご一緒するのは初めてですね」
図書館から講堂へ向かう道すがらフィリーネが少し嬉しそうに笑う。これまでの実技は階級ごとに分かれていたので、フィリーネと実技で一緒だったことはない。そんなことで喜んでくれるなんてフィリーネは可愛いな、と思っていると、フィリーネはごそごそと書字板を取り出した。
「ハルトムートからローゼマイン様がどのような神々のご加護を得るのか、書き留めてくるように言われているのです」
「たくさんの眷属からご加護を受けても大丈夫なようにフィリーネと分担も決めました」
ローデリヒも得意そうに書字板を取り出して、そう言った。
……ハルトムートのバカバカ! 一体何を頼んでるの!?
「そのようなことをする必要ありません。余計なことを頼んだハルトムートはわたくしが叱っておきます」
ハルトムートが何を期待しているのか知らないけれど、どの神の加護を得たのかは基本的に自分が知っていれば良いことだ。
講堂に入ると、今回の実技を共に受ける人達が集まっていた。パッと見た感じではドレヴァンヒェルの淡い緑のマントとエーレンフェストの明るい黄土色のマントがほとんどで、それ以外の色は全て合わせても片手で数えられる程度しかない。二十人弱だろうか。さすがに神々の名前を全て暗記するのは簡単ではないようだ。
緑と黄土のマントが集まっているところへ近付けば、ヴィルフリートがオルトヴィーンと話をしている姿が見えた。「流行り病で初日合格は難しいと言っていたのは何だったのか」と言われているのが聞こえる。
「すまぬ。騙し討ちのようになってしまったな。だが、こちらもどうしようもない事情があったのだ。これから先もエーレンフェストは全力で行かせてもらう」
弁解しつつ、挑発という器用なことをしているヴィルフリートを心の中で応援するけれど、男同士の友情に巻き込まれたくはない。わたしは近付いていた足を止めて、講堂の中を見回した。青いマントのハンネローレが一人でぽつんと佇んでいる。どうやらダンケルフェルガーの三年生で初日合格したのはハンネローレだけだったようだ。
……さすがハンネローレ様! 本好き仲間だね。
「ハンネローレ様、ごきげんよう」
笑顔で近付いて声をかけると、ハンネローレがこちらを振り向き、ニコリと笑った。
「ローゼマイン様、ごきげんよう。エーレンフェストはこの場に全員いるのですね。とても素晴らしいと思います。わたくし、神々の名前を全て覚えるのにとても苦労しましたから」
「わたくしも苦労しました」
「まぁ、ローゼマイン様も?」
意外だというようにハンネローレがパチパチと瞬きをしながらわたしを見た。
「わたくし、洗礼式とほぼ同時に神殿長に就任したのですけれど、どの儀式にも神々の名が必要で、聖典は神々の名で埋め尽くされていて、覚えるのが大変だったのです。その分、貴族院の講義では少し楽ですけれど」
「洗礼式の頃から神殿長だなんて……」
ハンネローレの表情が曇った。ダンケルフェルガーでも神殿の地位は低いのだろう。そんなところにローゼマイン様が入れられるなんて、という悲しそうな顔になっている。
……あ、ここで訂正しなきゃまた養父様がひどいアウブと言われちゃう?
まずは身近なところから誤解を解いていくのが良いだろう。わたしは急いで言葉を付け加える。
「他領の神殿がどのようなところなのか存じませんが、エーレンフェストの神殿は居心地が良いのですよ。アウブも出入りされますし、ヴィルフリート兄様やシャルロッテも役職は付いていませんが、神事のお手伝いをしてくれています。それに、大領地との婚約が決まったフェルディナンド様も神殿を離れがたく思っていたのですよ」
「アウブも神殿に出入りしていて、フェルディナンド様も神殿を離れがたく?……そうなのですか?」
ハンネローレが信じられないというように驚きの顔で、わたしを見る。青色神官に変装して神殿に入って祈念式まで同行するアウブに、神殿の工房で引き籠って研究するのが大好きなフェルディナンドである。嘘は一言も言っていない。
ハンネローレは驚きの顔のまま、フィリーネやローデリヒに視線を向ける。フィリーネも笑顔で頷いた。
「わたくしもローデリヒもローゼマイン様の側近となってから神殿に出入りするようになりましたけれど、神殿は隅々まで美しく清められていますし、お食事もおいしいですし、神殿の側仕え達も貴族並みに良く教育されているのです」
「フェルディナンド様がアーレンスバッハへ向かってしまった今、新しい神官長はハルトムートなのですが、彼も嬉々として神殿に通っています」
ローデリヒがハルトムートの名前を出したことで、わたしはブリュンヒルデに手紙をクラリッサへ届けてもらい、説明のための場所を設けて、上司であるわたしから話をしなければならないことを思い出した。本当に粛清のあれこれで、しなければならないことを放り出していたようだ。
「ダンケルフェルガーのクラリッサがハルトムートの婚約者なのです。わたくし達にとっての神殿と他から見た神殿には大きな違いがあるようですから、詳しいお話はまたクラリッサに改めていたします」
「え、えぇ。クラリッサに伝えましょう」
微笑み続けているハンネローレだが、瞬きの回数も多くて何だかとても混乱させてしまったようなので、わたしは軽く挨拶をしてハンネローレから離れる。
……これでダンケルフェルガーだけでも養父様の悪い噂が少し弱まればいいんだけど。
ハンネローレから離れたわたしはフィリーネとローデリヒにもう一度神々の名を見直すように言った。
「神学の試験に合格しなければご加護を得る実技が受けられないのですから、神々の名を覚えておくことが重要なのです。ハルトムートの頼みはどうでも良いので、フィリーネもローデリヒも自分のことに集中しなければダメですよ」
貴族の適性は生まれつき決まっている。生まれ季節の適性は基本的に持っていて、二つ目以降は親の適性の影響を受けると言われているため、兄弟間では似た属性を持つことが多い。
魔力量は魔力を受け入れられる器の大きさによるらしく、妊娠中の母親が注ぐ魔力量によって器の大きさには違いが出るため、兄弟間でも差があることは珍しくない。この器は体の成長と共に大きくなり、成長期にどれだけ魔力を圧縮できるかで成長率に差がある。
「神のご加護を得られるかどうかで、魔術の使える範囲や必要な魔力量に大きな変化があるのですから、適性が少ないことを嘆くならば、二人とも今からでもご加護を得られるようによくよくお祈りを捧げておきなさい。ね?」
わたしが二人にそう言っていると、オルトヴィーンとの話を終えたヴィルフリートがこちらにやって来ていた。わたしの言葉を聞いて、首を傾げる。
「自分の行いで神のご加護を得て属性を増やすことはできると言われているが、講義で適性以外のご加護を得られたという話は聞かぬぞ」
わたしは貴族院内の情報にはどちらかというと疎いので、それは知らなかった。
「でも、参考書に属性を増やすことができるという記述がある以上は、増やすことができるのだと思います。……まぁ、適性があるにもかかわらず、属性の神のご加護が得られないこともあるのですけれど」
「は!? 適性があるのにご加護が得られなかっただと!? そのようなことがあるのか!? そちらは初耳だ」
ヴィルフリートが驚愕の顔になった。わざわざ広める必要はないので、口にしたことがなかったけれど、適性の加護が得られなかったアンゲリカは初耳レベルの珍しい存在だったらしい。
「……実はアンゲリカがそうなのです。風の適性があるにもかかわらず、神々のご加護が得られなかったと聞いています。英知の女神メスティオノーラや芸術の女神キュントズィールのご加護が得られないのはわかりますけれど、飛信の女神オルドシュネーリや疾風の女神シュタイフェリーゼのご加護ならば得られたのではないか、と思うのに不思議ですね」
風の女神シュツェーリアが守りと伝達を司る速さの象徴で、当然眷属には速さに特化した女神がいる。身軽で速さに特化した戦い方をするアンゲリカが風属性の全ての神から加護を得られないとは思えないのだが、現実はそうではなかった。
あまりにも身近に加護が得られなかった存在がいたせいか、フィリーネが真っ青になっていく。
「ローゼマイン様、わたくし、適性のある属性の神々からご加護をいただけなかったらどうしましょう?」
「そのような心配をする必要はありません」
適性が一つしかないのに、と不安がるフィリーネの言葉をクスクスと笑い飛ばしたのは、講義のために講堂へ入って来たヒルシュールだった。
「ヒルシュール先生、どうしてそのように確信を持って言えるのですか?」
「アンゲリカが何故風のご加護を得られなかったのか、よく知っているからです。あの子の補講に付き合わされたのは寮監であるわたくしですよ」
冬の間に合格できず、春の間補講で残る学生の面倒は寮監が責任を持ってみなければならないそうだ。ヒルシュールは溜息を吐きながら「本当に大変でした」と頭を振った。いくら教えても脳みそになかなか刻み込まれないアンゲリカの面倒を見なければならなかったらしい。
「ヒルシュール先生、どうしてアンゲリカがご加護を得られなかったのか、教えてくださいませ」
「神々の名を覚えていなくて唱えられなかったからです」
「え?」
……意味がわからないよ。神々の名前を全て覚える神学の試験に合格して初めて実技を行うんだよね? ヒルシュール先生は一体何を言ってるの?
「皆と同じようにアンゲリカも補講で試験に合格した直後に、このご加護を受ける実技を行ったのです。けれど、最初からおぼろげにしか覚えていなかったのか、試験が終わったのでもう良いと思ったのか、祈り言葉を覚える方に力を費やしたのか、アンゲリカは魔法陣の上で神々の名を唱えることができず、首を傾げていたのです」
……うわぁ、魔法陣の上で「困ったわ」のポーズになってるアンゲリカが目に浮かぶよ。
ついでに、魔法陣の周囲で頭を抱えるヒルシュールの姿も目に浮かんだ。「アンゲリカの成績を上げ隊」を結成して数人がかりで教えても大変だったのに、ヒルシュール一人でアンゲリカの相手は本当に大変だったと思う。
「アンゲリカの失敗から導かれる結論としては、神々の名を正確に唱えることができなければご加護が得られないということか」
「名前さえ満足に覚えていないような者には神々もご加護をくださらないということでしょうね。主であるローゼマイン様が貴族院にいらっしゃったことで、アンゲリカが無事に卒業し、わたくしがどれほど安心したことか」
そう言いながらヒルシュールは皆に説明をするために前へ向かう。今回の実技の先生はヒルシュールとグンドルフの二人のようだ。エーレンフェストとドレヴァンヒェルの合格者が多いせいだろうか。
「あ~、今日は人数が少ない。前の方に詰めて座るように」
ヒルシュールの研究仲間であり、ライバルでもあるおじいちゃん先生グンドルフの指示に、全員が前に集まった。それでも、いつもの癖だろう。自然と領地の順番に並んで座ることになってしまう。こうして見ると、全員が合格しているエーレンフェストは異様だ。
「それはこちらに運んでくださいませ」
下働きと思われる身なりの者がヒルシュールの魔術具を運び込んで来た。去年の講義でも使った映写の魔術具だ。設置を終えたヒルシュールがくるりと振り返る。
「では、神々からご加護を賜るための儀式について説明いたします」
ヒルシュールの説明をまとめると、まず、祈りの言葉を覚えなければならない。覚えた人から順番に儀式を行う。儀式に集中できるように祭壇のある最奥の間へ入るのは一人ずつなので、待ち時間が余れば明日の座学の勉強をしても良い。終わった者から退室しても良い、というものだった。
「こちらがお祈りの言葉です」
ヒルシュールが映写の魔術具で祈りの言葉を映し出す。どんな言葉を覚えなければならないのか、と身構えていたわたしは白い布に映し出された言葉を見て、肩の力を抜いた。
……いつものお祈りとあまり変わらないね。
「我は世界を創り給いし神々に祈りと感謝を捧げる者なり 高く亭亭たる大空を司る、最高神は闇と光の夫婦神 広く浩浩たる大地を司る、五柱の大神 水の女神 フリュートレーネ 火の神 ライデンシャフト 風の女神 シュツェーリア 土の女神 ゲドゥルリーヒ 命の神 エーヴィリーベ 息づく全ての生命に恩恵を与えし神々に敬意を表し、その尊い神力の恩恵に報い奉らんことを」
この奉納式や礎の魔力供給のお祈りでは眷属の名前が省略されているので、ここに全ての眷属の名前を加えて、最後に「我の祈りがつきづきしくおぼしめさば 御身のご加護を賜らん」とお祈りをすれば良いだけである。
「意外と簡単ですね」
「魔力供給の時の言葉と似ているからな。だが、さすがに簡単とは言い切れないだろう? これを間違うことなく言わなければならぬ」
ヴィルフリートの言葉通り、周囲を見回せば皆がブツブツ言いながら覚えようとしているのがわかった。意外なことに領主一族として魔力供給をしているはずの大領地のハンネローレやオルトヴィーンも難しい顔で映写の魔術具を見ている。
「ヒルシュール先生、覚えました」
わたしが席を立つと周囲が一斉に視線を向けて来た。ヒルシュールが呆れたように息を吐く。
「ローゼマイン様、いくら何でも早すぎませんか?」
「でも、わたくしは神殿長ですから。少し追加があるだけで、いつも神殿で捧げているお祈りの言葉とほぼ同じですもの」
「そうなのですか?」
少しでも神殿のイメージが変われば良いと思いながら、目を瞬く周囲にわたしは笑顔で頷いた。
「それに、礎の魔術に魔力供給する時のお祈りとも似ていますから、領主候補生が早いのはそれほど不思議ではありませんよね?」
「魔力供給をする時のお祈り? そのような物はない。聞いたことがないぞ」
オルトヴィーンの言葉にハンネローレが同意するように頷くのがわかって、わたしとヴィルフリートは思わず顔を見合わせた。
「エーレンフェストではアウブを始め、私や妹も同じように祈りの言葉を唱えながら魔力供給を行っている。ダンケルフェルガーやドレヴァンヒェルでは違うのか?」
「成人の領主一族が多いので魔力供給をすることが少ないが、供給の魔法陣に手を当てて魔力を流すだけだ。祈りの言葉など唱えたことはない」
「そこまでになさってください」
ヒルシュールがパンパンと手を打って、白熱しそうだったオルトヴィーンとヴィルフリートの会話を打ち切る。
「もしかすると長い歴史の中で廃れたことかもしれませんね。研究価値があるかどうかの話し合いはこの実技の後にいたしましょう。まずはお祈りの言葉を覚えてくださいませ」
……誰も研究価値についての話はしていなかったよね?
首を傾げていると、ヒルシュールとグンドルフがニィッと笑った。何だかちょっと嫌な予感がすると思っていると、ヒルシュールがわたしを手招きする。
「さぁ、ローゼマイン様は奥へどうぞ」
グンドルフに講堂の監督を任せたヒルシュールが講堂の奥に繋がる出入り口へ向かった。わたしはヒルシュールについて、祭壇のある最奥の間に入る。
神殿の礼拝室の祭壇よりも大きな祭壇だが、設えられているのは同じだ。神の像の他に奉納式で使うのと同じような赤いカーペットが敷かれている。花やお香など神への供物も準備されていて、小聖杯が並んでいないことを除けば、奉納式とほぼ同じである。
一つだけ大きく違うのは、神々の祭壇の前に全属性の魔法陣が刺繍された大きなカーペットが広げられていることだ。おそらくあの中央で祈りを捧げれば、赤い敷物を伝って魔力が流れていくのだろう。
「魔法陣の中央で跪いてお祈りを捧げれば良いのですよね?」
「えぇ。説明する手間が省けて助かります」
わたしは奉納式を行うのと同じように魔法陣の中央で祭壇に向かって立ち、一度巨大な祭壇を見上げた後、跪いた。そして、魔法陣に手を触れて、ゆっくりと魔力を注いでいく。
「我は世界を創り給いし神々に祈りと感謝を捧げる者なり」
それから、心を込めて最高神と五柱の大神の名を唱えれば、順番に魔法陣に光が浮かび上がって来て、それぞれの属性の印が書かれた場所で貴色の光の柱が屹立する。
「全ての属性に光が……まさか……」
ヒルシュールの驚きに満ちた呟きさえ聞こえるほど静かな部屋だ。
魔法陣に魔力を流しながら、集中して一つずつ丁寧に神々の名前を唱えていけば、眷属の名前の半分くらいに反応があった。そのたびに少しずつ小さな光が増えて、それぞれの属性の柱が高さを増して行く。
全ての神々の名を唱え終えたわたしは、締めくくりの言葉を口にした。
「我の祈りがつきづきしくおぼしめさば 御身のご加護を賜らん」
七色の光の柱が上に上がって行き、ぐるぐると回って乱舞しながら光の渦となり、どっとわたしに降り注いできた。そのまま光の流れとなって赤い布を伝って祭壇を上がって行き、それぞれの祭壇の神の像に吸い込まれて行った。予想以上に美しい神秘的な光景に見とれていると、突然祭壇の上に設置されている神の像が動き始めた。
「え?……わわっ!?」
ゴゴッと音を立てて神の像が動き始める。まるで奉納舞でも舞っているように、ゆっくりと回転しながら壇の上で左右に分かれ始めた。
「ヒルシュール先生、これは一体?」
監督役のヒルシュールを振り返れば、驚いているのかいないのかわからない顔でヒルシュールが祭壇を見上げている。
「まるきりフェルディナンド様の時と同じですね。もしかしたら、とは思っていたのですが、本当にこうなるとは……」
「フェルディナンド様の時もこのようになったのですか?」
「えぇ。貴族院に伝わる不思議話の一つがこれではないか、と興味深そうに見上げていらっしゃいました。それから、フェルディナンド様は不思議話について研究するようになったのです」
……フェルディナンド様もヒルシュール先生も余裕ありまくりですね!
こんな異常事態になって研究のことを考えられる余裕が羨ましい。
「そろそろ終わりますよ」
ヒルシュールが祭壇を指差す。真ん中を通れるように神の像が道を空けてくれたようにしか見えなかった。最も上に飾られている最高神の夫婦神が左右に分かれた後には、モザイク模様の壁にぽっかりと出入り口のような穴が開いているのが見える。
「ローゼマイン様、いってらっしゃいませ」
「どこに、ですか?」
「最高神が招くはるか高みに決まっているではありませんか」
その言い方では完全に死後の世界である。不吉なことを言わないでほしい。
「早く行ってくれなければ、あの穴が閉じなくて次の方が困るのです。騎獣を使っても良いので、急いで行ってきてくださいな」
わたしはヒルシュールに追い立てられるようにして騎獣を出すと、最上段の最高神のところへ向かった。この長い階段を自分の足で上がる体力などわたしにはない。
最高神のいる最上段まで騎獣で駆け上がると、わたしは騎獣から降りた。普通に祭壇に飾られている時はまるで最高神が仲良く手を繋いでいるように見えていたのだが、最高神が左右に分かれて向かい合えば、二人の手はその先に行くように示しているように見える。
四角に開いた穴はまるで供給の間に向かう時のようだった。油膜が張っているように揺らめいていて、先に何があるのかわからない。
初めて供給の間に入った時のように緊張しながら、わたしは足を踏み込んだ。
「……し、失礼します」
油膜のような入り口を抜けた瞬間、景色が一気に変わった。真っ白の石畳の上にわたしは立っていた。
白い床が円状になっていて、真ん中に同じ材質の白の彫刻のような大木がある。天井へと幹が伸び、大きく枝を広げ、その葉の間から木漏れ日が差し込んでいる光景には見覚えがあった。
「ここって……」
わたしが「神の意思」を採取した白い広場だった。すでにシュタープを得ているので、目新しい物は特に何もない。ただ、変わらず白い木が枝を広げているだけだ。
「……もしかしたら、昔はシュタープを取るのが卒業の時だったんだから、加護を得るのも卒業間際だったのかな?」
成長が止まる成人まで神の御心に届くように勉強やお祈りに励んで、加護を得て、シュタープを得ていたのではないだろうか。
「まぁ、わたしはもう持ってるからどうでもいいんだけど。フェルディナンド様もここでシュタープを取ったってことかな?」
首を傾げながらわたしは白い庭を後にして油膜の出入り口から祭壇へ出る。わたしが「神の意思」を採った時もこんな感じで祭壇のところへ戻れたら行き倒れずに済んだのに、と不満に思わずにはいられない。
……すっごい歩いたんだよね、あの時。
わたしは祭壇の上から下を見下ろす。ヒルシュールと魔法陣が見えた。
……あの魔法陣を書き留めておいたら、エーレンフェストでもう一回アンゲリカの儀式ができないかな?
速さを司る女神の名前だけ覚えるとか、自分が欲しい加護の神の名前を一人だけ唱えるとか、工夫すればアンゲリカも風の加護を得ることができるかもしれない。
そう考えたわたしは、自分の書字板を取り出して魔法陣を描き留めてから、騎獣で下へ降りる。
わたしが魔法陣から出ると同時に穴が塞がり、神の像の位置が元へ戻り始めた。ゆっくりと動きながら元の位置に戻っていく。
「それにしても不思議な光景ですね。儀式を行った全員に対して起こることではないのでしょう?」
「わたくしが知っているのは、フェルディナンド様とローゼマイン様だけですよ。本当に二人とも規格外ですこと」
全く驚いていなさそうなヒルシュールには言われたくないものである。
「さぁ、ローゼマイン様。フェルディナンド様は教えてくださらなかったのですけれど、あの中に何があったのか、わたくしに教えてくださいませ」
祈りを捧げた者しか祭壇に上がれなくなるらしく、フェルディナンドの時にヒルシュールは祭壇に上がれず悔しい思いをしたらしい。しかも、完全に黙秘を貫いて、全く何も話してくれなかったらしい。
興味津々の目で覗き込んでくる紫の瞳をわたしはむっとしながら睨んだ。
「フェルディナンド様がヒルシュール先生にも話さない方が良いと決めたことをわたくしがペラペラ喋るとお思いですか?」
……とりあえず、消えるインクの出番だね。まだ講義開始一日目なのに、ちょっと出番が早すぎじゃないかな?