Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (467)
皆の儀式と音楽
「ローゼマイン様、どの神のご加護を得たのですか?」
ローデリヒがうきうきとした様子で書字板を取り出してわたしを見てくるけれど、その書字板に書ききれるかどうかわからない。ついでに、周囲に注目されるのも面倒だ。せっかく集中していたフィリーネがハッと顔を上げて書字板を取り出したのを見て、わたしは頭を振った。
「ローデリヒもフィリーネもお祈りの言葉を覚えたのでしたら、儀式を行っていらっしゃい」
「ま、まだです」
「自分のことに集中するように、と言ったでしょう? わたくしは明日以降の座学の勉強をいたします」
わたしはリヒャルダや護衛騎士達が迎えに来なければ帰れないので、勉強をしながら他の皆の儀式が終わるのを待つことにする。
加護を得ると魔術を使う時の消費魔力に差があると言われているので、ちょっと使ってみたいけれど、皆がお祈りの言葉を暗記するために頑張っているところで使うわけにはいかない。授業妨害になってしまう。
「覚えたぞ。行ってくる」
「ヴィルフリート兄様、回復薬はお持ちですか?」
「あぁ」
ガタッと立ち上がって、わたしの次に儀式に向かったのはヴィルフリートだ。やはり魔力供給をする時に祈り言葉を唱えている分、覚えるのは早かったらしい。ヒルシュールと共に緊張の面持ちで最奥の間へ入って行くのを見送る。
エーレンフェストから二人目が向かったことで、他領の学生達の真剣さが少し増した気がした。
「やったぞ、ローゼマイン!」
しばらくすると、喜色満面でヴィルフリートが最奥の間から出て来た。駆け出さないようにできるだけ気を付けている様子で、かなり速足だ。
「全部で十二の神々からご加護を得られたのだ。ヒルシュール先生も驚いていた」
「十二の神々ですって?」
「ずいぶんと多くの眷属から加護を得たではないか、ヴィルフリート」
周囲がざわざわとし始めた。ヴィルフリートは六属性だし、アンゲリカと違って神々の名を間違えるようなことはしないので、ある程度の加護が得られると思っていたけれど、十二の神々からの加護というのは周囲が驚くほど多いらしい。
「ローゼマイン、其方はどうだった? たくさんの眷属からご加護を得たのであろう?」
……わたくしは四十くらいの神々からご加護を得ました、なんて言いにくいよね。黙ってよ。
ご機嫌のヴィルフリートを落ち込ませる必要もないし、十二でざわめく中に爆弾を落とす必要もないだろう。アンゲリカを見習って笑顔で誤魔化し、わたしは首を傾げる。
「確かにわたくしも複数の眷属からのご加護を賜りましたけれど、それほど珍しいのですか? 教科書や参考書にも書いてありましたし、全ての眷属の名前を覚えなければならないくらいです。実際、わたくしとヴィルフリート兄様の二人とも複数の眷属から加護を得ているのですもの。複数の眷属から加護が得られるのは普通ではないのですか?」
加護を得る儀式を始めて、二人が終わって二人ともあれば全く珍しくないと思う。わたしの言葉にハンネローレが困ったような笑みを浮かべた。
「普通は適性の数に合わせたご加護を得られるのですよ、ローゼマイン様。適性数を越えたご加護を得るにはこれまでの行いが大きく関わってまいります。騎士見習いやダンケルフェルガーの学生が火の眷属からご加護を複数得ることは珍しくありませんけれど、ヴィルフリート様のような武に特化しているわけではない領主候補生が複数の眷属の加護を得るのは珍しいですし、とても素晴らしいと思います」
……ダンケルフェルガーは戦い系の眷属の加護を得られる学生が多いんだ。なんか納得。
文官のクラリッサも戦闘能力が高いと聞いている。さすがダンケルフェルガーだ。もしかしたら、ハンネローレも戦い系の眷属の加護を得るのかもしれない。
「次に挑戦する方はいらっしゃいませんか?」
「……行きます」
「ヒルシュール、交代だ。オルトヴィーンならば、私が奥に入ろう」
オルトヴィーンとグンドルフが今度は最奥の間へ入る。わたしとヴィルフリートの二人が複数の眷属から加護を得たということで、期待に目を輝かせて最奥の間に入って行ったけれど、自分の適性数と同じだけのご加護しか得られなかったようだ。心持ちガッカリした顔で戻って来た。
「複数の眷属からのご加護は得られなかったよ」
それはオルトヴィーンだけではなく、他の皆も適性数を越えた加護は得られないまま儀式を終える。複数の眷属からの加護が珍しいというのが実証されていく中、ハンネローレだけはものすごく微妙な表情で出て来た。
「ハンネローレ様も眷属のご加護は得られなかったのですか?」
「いいえ、いただきました。時の女神 ドレッファングーアと武勇の神 アングリーフです」
「素晴らしいではありませんか。何故そのようなお顔をされているのでしょう?」
とても喜んでいる顔には見えない。非常に困惑した顔になっている。わたしの指摘にハンネローレは慌てた様子で周囲を見回した。二つに結われた淡いピンクとも紫とも言えない髪が耳の横で揺れる。
「も、もちろん嬉しいのです。嬉しいのですけれど、何故わたくしがご加護を得られたのかわからなくて……。ドレッファングーアやアングリーフのお目に留まるようなことは何一つできていないはずですのに」
本当に不思議なのです、と言ってハンネローレは退室して行った。
「ヴィルフリート様、ローゼマイン様。お先に失礼いたします」
水色のマントをまとったフレーベルタークの上級貴族がわたし達に挨拶をして退室すると、もう講堂に残っているのはエーレンフェストの学生だけになった。中級貴族や下級貴族は階級差を気にしてどうしても遠慮してしまうため、必然的にエーレンフェストの学生達は最後まで残ることになるのだ。
エーレンフェストの学生の中でもやはり階級順に儀式を行い、そして、他の者達と同じように適性の数と同じだけの加護を得て戻って来る。
「あとはローデリヒとフィリーネだけですよ。ローデリヒ、いってらっしゃい」
「私はフィリーネの結果が知りたいので、後が良いです」
「では、わたくしが先に行きますね」
ローデリヒの言葉にフィリーネが立ち上がった。腰に下がっている回復薬をギュッと握っているその顔は緊張に包まれている。
「心を込めてお祈りをすれば大丈夫ですよ、フィリーネ」
コクリと頷いて最奥の間へ入っていくフィリーネを見送った。
しばらくすると、フィリーネが儀式を終えて出て来た。喜びが押さえられない顔で、軽く駆けながらこちらへ向かって来る。頬を上気させ、若葉のような瞳を輝かせて、フィリーネは興奮気味に口を開いた。
「ローゼマイン様、わたくし、風の属性が増えました! 英知の女神 メスティオノーラのご加護を賜ったのです! 神に祈りを!」
流れるように喜びの祈りを捧げられるようになっている辺り、神殿にほぼ日参しているフィリーネはかなり神殿の習慣に染まっているようだ。思わず笑ってしまったわたしと違って、周囲の皆は驚愕に目を見開いた。
「え!? 属性が増えたのですか!?」
「どうやったんだい、フィリーネ?」
属性が増えたという報告にローデリヒがガタッと席を立ち、身を乗り出すようにしてフィリーネに問いかける。
「どうしてご加護を得られたのかはわかりません。ただ、ローゼマイン様に言われたように回復薬を使ってでも完全に魔法陣を魔力で満たし、お祈りを捧げただけです」
属性が増えたというフィリーネの稀有な報告に興奮したのはエーレンフェストの者だけではなかった。監督役のグンドルフが目を輝かせて近付いて来る。
「もっと詳しく聞かせてもらおう。フィリーネと言ったか? 下級貴族か? ならば、元々の適性は一つか? 一体何の属性だった?」
流れるような質問攻めにフィリーネが目を白黒させ、これからの儀式の参考に聞きたいことがある様子のローデリヒが困った顔になる。そんな周囲の様子に気付いたらしいグンドルフだったが、興味のある対象の前では敢えて空気を読まないタイプのようだ。最奥の間を指差した。
「あぁ、これ。そこの男子学生。早く最奥の間へ行きなさい」
グンドルフにそう言われ、ローデリヒが話を聞きたそうに後ろを何度も振り返りながら最奥の間へ向かう。わたし達はローデリヒを見送っていたが、グンドルフは好々爺の笑みを浮かべながら、さっさと質問を再開した。
「それで、適性は?」
「つ、土です」
「土の属性に加えて、今回新たに風の属性を得られたということか。ふむふむ。英知の女神 メスティオノーラのご加護を得たということは知的活動がお眼鏡に適ったということだと思われる。どのような活動をしていたのか、教えてほしいのだが」
ドレヴァンヒェルでは知的活動が盛んだけれど、英知の女神 メスティオノーラの加護を得る者はほとんどいないらしい。火の眷属の加護を得られやすいダンケルフェルガーのようにドレヴァンヒェルでは風の眷属の加護を得る者を増やしたいそうだ。
「グンドルフ先生、お気持ちはわかりますけれど、質問はローデリヒの儀式が終わるまでにしてくださいね。ローデリヒが戻って来たら、わたくし、寮へ戻りますから」
わたしがグンドルフに釘を刺すと、質問攻めの標的であるフィリーネが少しだけホッとしたように息を吐いた。
「わたくしがしていた知的な活動といえば、ローゼマイン様のためにお話し集めをしていたことでしょうか? それとも、写本をしていたことでしょうか? 現代語訳ができるように一生懸命にお勉強をしていたことかもしれませんし、もしかしたらフェルディナンド様の執務のお手伝いをしていたことかもしれません」
フィリーネが思い当たることを次々と述べていく。こうして考えてみると、フィリーネはずいぶんと頑張っていたようだ。
グンドルフがふんふんと頷きながら聞いている。どのような行動が加護を得るきっかけになるのか知りたいようだが、それくらいの知的行動はドレヴァンヒェルでは当たり前に行われているらしい。
「ローゼマイン様が買い取るための話を集めたり、書いたりするのはドレヴァンヒェルでもしていたし、もっと研究熱心な者もいるはずだが……」
フィリーネの行動ではこれと言って該当することがないようだ。グンドルフが更に質問を重ねようとした時にローデリヒが戻って来た。
「ローゼマイン様、終わりました」
そう言ったローデリヒは笑顔だが目が泳いでいて、どことなく挙動不審だった。出発前は気にしていたフィリーネの属性について話をしているのに、入って来ようとしなくて、少しでも離れたいように見える。
「ローデリヒ、儀式で何かあったのですか? まさか失敗したのではありませんよね?」
思いつめているように見えるローデリヒに最悪の事態を想定して質問すると、皆の視線が一斉に集中する。ローデリヒは「違います! 儀式は成功しました」と慌てて首を振った。そして、困惑した顔でそこに残る皆の顔を見回す。
「成功しました。しすぎました。……何故か、全ての属性のご加護を得たのです」
「全て? すごいではありませんか。ローデリヒ、よくやりましたね」
わたしも驚いたけれど、もっと驚いたのは貴族の常識を知っているグンドルフだった。
「眷属からのご加護で全属性になったのか!? そのようなことがあるなんて……」
「……グンドルフ先生、これは珍しいのですよね?」
「ご加護を得て全属性になるなど聞いたことがございません」
フィリーネも属性が増えたのだから、ローデリヒが増えてもそれほど驚くことではないと思うが、全属性になるというのはあり得ないらしい。
「何故だ? どうすればそのようなことが……?」
グンドルフの視線がローデリヒを捕らえた。ローデリヒはたじたじとしつつ、必死に答えを返す。
「私自身、わけがわかりません。その、魔法陣に魔力を通していくと、全ての属性の記号が光ったのです。まるで私が元々全属性であるように……」
洗礼式で適性があるとされた風と土に比べると半分以下の高さの光だったようだが、確かに全ての属性が光っていたのだ、と言う。全属性とは言っても、それほど質の高いものではないらしい。
「洗礼式では違ったのか?」
「はい、風と土に適性があると言われました」
「洗礼式から今まで大きく変わったことは?」
「……わかりません」
「何かあるはずだ。そうでなければ、二つしか適性を持たぬ者が全属性になるはずがない」
「私なんかが全属性を得られるなんておかしいのです。でも、何故ご加護が得られたのか、わかりません」
どんどんと重なるグンドルフの追及にローデリヒが困り切った顔になって俯いた。
「ローデリヒ、そのように自分を卑下する言葉を口にするものではありませんよ。せっかくご加護をくださった神々に失礼です。グンドルフ先生も稀有な事態に興奮するのはわかりますけれど、そのように問い詰めてはローデリヒが委縮するだけですから今日はご遠慮くださいませ」
わたしは主としてローデリヒを守るようにグンドルフと向き合った。
「グンドルフ先生、全属性のご加護を得られたことは本来喜ばしいことで、別に悪いことではありません。問い詰めるより、お祝いの言葉が先ではございませんか?」
「……ローゼマイン様のおっしゃる通りですな」
グンドルフがゆっくりと息を吐いて肩の力を抜くと、ローデリヒとフィリーネに属性が増えたことにお祝いの言葉を述べる。
「珍しいことかもしれませんけれど、魔力が扱いやすくなったというだけで、生活自体には大した違いはないでしょう? 奢って怠けていたらご加護が取り消されるかもしれません。ローデリヒもフィリーネもこれまでの頑張りが認められたのだと気持ちを切り替えて、寮に戻って明日の座学の勉強をいたしましょう。ね?」
「はい、ローゼマイン様」
ローデリヒは少し明るくなった顔で頷く。綺麗にまとまったと胸を撫で下ろした直後、奥の片付けを終えたのか、ヒルシュールが講堂へやって来て紫の目を光らせながらわたしを睨んだ。
「ローゼマイン様、これほど稀有な事態をそう簡単に流されては困ります」
「あら、ヒルシュール先生」
「確かに喜ばしいことですが、大変な事態でもあるのです。二つしか適性のない者がご加護によって全属性を得たというのは周囲を混乱させるだけですから、周囲には口外しないでください」
適性以上の加護を得られなかった学生達やグンドルフの興奮ぶりを見ていれば、確かにローデリヒが全属性を得たというのは混乱の元だろう。ここに残っているのはエーレンフェストの学生ばかりだ。わたし達は口外しないことを誓う。
「こちらでも属性を増やすことについて調べます。詳しいお話をしたいので、明日の夕食はご一緒させてくださいませ」
「わかりました」
……属性が増えて良かったね、じゃダメなんて面倒だね。ハァ。
寮に戻っても、ローデリヒの属性が増えたことは内緒だ。ヴィルフリートが複数の眷属から加護を得たこととフィリーネの属性が増えたことで夕食の時間が非常に盛り上がった。ローデリヒは自分が会話に参加できないのがもどかしいような顔で食事をしている。本当は自慢したくて仕方がないのだろうと思った。
次の日に行われた共通の座学も全員合格で、午後は音楽である。今年も音楽の先生からは新曲を、と言われそうなので、ロジーナと一緒に準備はした。何も言われなければ温存しておくつもりである。
「では、こちらが今年の課題曲です」
今年も課題曲と自由曲を弾くことになっているようで、課題曲が発表された。それを見て、わたしは軽く息を吐く。
……二年近く前にやった曲だ。懐かしい。……って、フェルディナンド様はどれだけハードル上げてくれてたんだろうね? ロジーナもどんどん練習させるだけで「もう十分なレベルですよ」なんて言ってくれないし。わたしの音楽教師は二人とも鬼だ。
課題曲の復習をしていると、アーレンスバッハの上級貴族が耳慣れた曲を弾き始めた。編曲されていて少しわかりにくいが、フェルディナンドに贈った曲だと思う。
……確か「ゲドゥルリーヒに捧げる恋歌」だっけ?
フェルディナンドが冬の社交界でお披露目をしたのが、アーレンスバッハ内で流行ったのだろう。おそらく社交の場で新しい曲を弾いてほしいとたくさん頼まれたに違いない。エーレンフェストと違って到着したばかりのアーレンスバッハでは、フェルディナンドも無下に断ることもできずに何度も弾く羽目になったのだと思う。
どんなふうにアレンジしたのか知りたくて耳を澄ませていると、アーレンスバッハの上級貴族が少し勝ち誇ったように笑った。
「これはフェルディナンド様が作曲されたアーレンスバッハの新曲なのです。エーレンフェストの新曲でも、ローゼマイン様の曲でもございません」
……えーと、主旋律を贈ったのはわたしなんだけど、まぁ、いいか。
苦虫を噛み潰すような顔を作り笑顔の下に押し込めて、味方を作ろうと奮闘しているフェルディナンドの邪魔をする必要はないだろう。
「わたくし、フェルディナンド様の作る曲はとても好きなのです。新しい曲でしたら、ぜひ聴かせてくださいませ。アーレンスバッハの方でなければ弾けないのでしょう?」
「わたくしもまだ練習中ですけれど、それでよろしければ……」
わたしがアーレンスバッハの曲であることを肯定すると、彼女はホッとしたように一つ息を吐いてフェシュピールを構えた。そして、歌付きで奏でてくれた。
……これ、恋歌じゃなくて、郷愁歌だ。
冬という蜜月が過ぎ去り、遠く離れることになったゲドゥルリーヒを想う歌だ。これをアーレンスバッハで歌えば、貴族院へ行って離れてしまう婚約者を想う歌だと思われるだろう。フェルディナンドの別れ際の言葉や約束を知っていれば郷愁の歌だとわかるが、普通は恋歌と誤解してもおかしくはない。
……誤解させておけ、ということかな?
脳内で「騙したのですね」と叫ぶディートリンデに「勝手に勘違いしたのはそちらだ」と涼しい顔で応えるフェルディナンドの姿が思い浮かぶ。そんなことになれば、確実にフェルディナンドの待遇は悪化する。なるべくディートリンデにはご機嫌でいてもらって、フェルディナンドの待遇を良くしてもらいたい。
……せめて、星結びの儀式を終えて配偶者の位置が確定するまでは!
下位の中領地からの婿入りだ。結婚までは余所者扱いになるので、フェルディナンドの待遇はディートリンデやゲオルギーネによって決められるのだ。少しでも居心地が良くなるようにこちらからも全力で補佐したい。
わたしがそう決意した直後にヴィルフリートが不思議そうに首を傾げるのが目に入った。サビの部分に聞き覚えがあったようだ。
「叔父上の曲であろうが、これはロー……」
余計なことを言いかけたヴィルフリートの肩を叩き、ニコリと微笑んで黙らせる。「余計なことを言わないでください」という心の声は通じたようだ。コクコクと何度かヴィルフリートが頷いた。
わたしは演奏を終えた彼女に礼を述べる。
「聴かせてくださって本当に嬉しかったです。とても素敵な曲でした、と作曲したフェルディナンド様にお伝えくださいませ。それから、もし、フェルディナンド様が他の曲を作られた時はまた聴かせてくださいませ」
「かしこまりました」
とりあえず、作曲したのはフェルディナンドだと皆の記憶に残るように連呼しておく。気分は選挙カーのウグイス嬢だ。
……フェルディナンド様、フェルディナンド様をよろしくお願いいたします。フェルディナンド様に安穏とした生活を! より良い待遇を心からお願いいたします。
本当にアーレンスバッハの貴族にはそう言って回りたい。多分、当の本人にものすごく嫌な目で見られるだろうけれど。
そんなことを考えていると、演奏を終えた彼女がわたしを見て、少し意地の悪い笑みを口元に浮かべた。
「ローゼマイン様、今年は新しい曲をご披露しないのですか? 教育係のフェルディナンド様がいらっしゃらなければ、新しい曲が作れない、ということはございませんよね? わたくし、ローゼマイン様の新しい曲を楽しみにしているのです」
そんなふうに挑発されれば受けて立つしかないだろう。フェルディナンドがいなくても、エーレンフェストには問題ないということを見せつけなければならないと言われているのだ。
……初日合格もしなきゃダメだしね。フェルディナンド様、マジ魔王!
「そんなふうに楽しみにしてくださっているなんて光栄です。せっかくですから、自由曲で弾かせていただきますね」
わたしはニコリと笑い返して自分のフェシュピールを持つと、先生のところへ行って採点を頼む。そして、椅子に座ってフェシュピールを構えた。
ゆっくりと息を吸って、ピィンと弦を弾く。今年の課題曲は一応恋歌に分類される曲だ。エスコート相手を求めて動き始めるお年頃のわたし達には必要な曲らしい。すでに婚約者が決まっているわたしには全く関係のない曲である。二年近く前に練習していた曲なので、特に問題なく弾き終えた。
そして、自由曲は風の女神シュツェーリアに捧げる曲だ。自分達の大事な人を守ってほしいという願いを込めている。アーレンスバッハへ向かったフェルディナンドはもちろん、粛清で家族を失うことになる子供達に向けた曲である。
弾きながら歌っていると、指輪に魔力が吸い出されていくのがわかった。魔力が祝福となって光があふれ始める。シュツェーリアの貴色である黄色の光だ。お披露目の時と同じような状況に驚きながら、わたしは魔力の流れを止めようとした。
……あれ? 止まらない?
普段ならば止められるはずなのに、魔力の流れが止まらない。どうしようと内心で絶叫しつつ、初日合格を逃すわけにはいかないので、わたしは演奏を続けた。
ずっと祝福は流れ続ける。演奏を終えるまで。
これまでと違うのは魔力が止まらないことと、消費魔力がほとんど感じられないことだ。
……もしかして、これが昨日の儀式の成果!?
皆が唖然としている顔が視界に並んでいるのがわかって、わたしは逃げ出したくなった。音楽の先生が目を瞬きながらわたしを見た。
「ローゼマイン様、これは一体……」
「……あの、風の女神の祝福です。昨日の儀式のせいで、少し祝福が溢れやすくなっているみたいですね。ほほほ」
笑って誤魔化せることなのかどうかわからないが、笑ってみた。
音楽の合格はもらえたけれど、このままではまずい。また魔力の扱いを練習し直さなければ、これまで以上にどこでも祝福が溢れそうだ。
……魔王なんて言ってごめんなさい。こういう時はどうしたらいいんですか、フェルディナンド様!?
保護者がいなくなったわたしはフェシュピールを抱えたまま途方に暮れていた。