Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (489)
イライラのお茶会 前編
フェルディナンドに手紙を書いて、ヒルシュール研究室でライムントに渡し、新しい魔術具の試作に一日を費やした。今ライムントが研究しているのは決まった時間になったら色々な色の光が降り注ぐ魔術具である。
この魔術具を使えば紙面に突然色が付くので、本に集中していても驚いて視線を上げてしまうのだ。その隙に本を取り上げると非常に簡単に読書を止めさせられる、と側仕えの間ではとても評判が良い。わたしとしては読み終わった本が勝手に書棚へ戻る魔術具の方が欲しかったのだが、「ローゼマイン様の図書館には必須でしょう」と側仕え達が強硬に主張したのだ。
「先に光が降り注ぐ魔術具を、その後にローゼマイン様が欲しいと思っている魔術具の研究をすれば良いではありませんか」
「ヒルシュール先生もそう思われますよね?」
ヒルシュールとライムントがあっさりと側仕え達の意見を採用したのは、食事の準備をする側仕え達によるヒルシュールとライムント懐柔作戦のせいである。
……おいしいご飯に弱い心境はよくわかるけど、なんか釈然としないよ! 準備させてるのはわたしなのに!
「光が降り注ぐ魔術具を研究するために図書館へ行ってきます」
「ライムント、わたくしも一緒に行ってシュバルツ達に資料があるかどうか質問を……」
「シュバルツ達に質問するだけならばライムントでもできますし、姫様は王族に図書館を禁止されているでしょう? 本を読みたいのでしたら、お部屋に戻りましょう」
……うぅ、わたしも行きたいよぉ。
リヒャルダにそう言われ、わたしはカクリと肩を落とした。禁止されると行きたくなる。自室にまだ読み終えてない本があるので我慢できるけれど、読み終わったら禁断症状に悩まされそうだ。
「ローゼマイン様、ヒルシュール先生に写本した資料をお渡しするのではありませんでしたか?」
リーゼレータがそう言って、紙の束を渡してくる。内容はシュバルツ達の研究をしていた人の本を写した物だ。
「過去にシュバルツ達の研究をした方が書き残したものです。これはお貸しするだけですから、ヒルシュール先生が必要だと思う部分を写してくださいませ。いずれフェルディナンド様に見せるための資料なのであげるわけにはいかないのです」
「このような資料、どちらにあったのですか? 二階の研究結果が置かれているところにはなかったはずです」
「閉架書庫にあったそうですよ。ソランジュ先生が貸してくださったのです」
わたしの言葉にヒルシュールが目を瞬きながらわたしと資料を見比べた。
「……弟子にお遣いを頼むけれど、ソランジュに尋ねることはあまりしていないかもしれません。閉架書庫にどれだけの資料があるのでしょうね?」
「閉架書庫は魔術具で保存しておかなければならないほど貴重な資料が置かれているところだそうですから、一度ソランジュ先生に尋ねてみると良いですよ」
貴重な資料が詰まった閉架書庫は今までのソランジュには把握しきれていなかった部分だそうだ。シュバルツ達が動くようになり、協力者が増えてシュバルツ達の魔力に不安がなくなったことで、やっと手を付けることができるようになった部分らしい。
ソランジュだけで図書館を守っていた時期に魔力がなくて、保存書庫に必要な魔力が供給できていなかったために多少劣化が進んでいたようだ、と言っていた。オルタンシアはそういう部分に優先して魔力を供給しているので、大変なのだそうだ。
……図書館にもっと魔力が必要なんだよね。
「ローゼマイン様、これをフェルディナンド様に渡す予定とおっしゃいましたけれど、研究ができる環境ではないでしょう?」
「まだ自室がなく、隠し部屋もないので研究どころではないようですけれど、フェルディナンド様からのお返事に研究がしたいと書かれていましたから」
資料だけは確保しておいてあげたいと思う。そして、隠し部屋ができて研究できる環境ができた時にはレッサーバスに道具や資料や素材をたっぷり詰め込んで、アーレンスバッハの城に乗りつけてやりたい。
……アウブ・アーレンスバッハから許可が出るとは思えないから、考えるだけで終わるだろうけど。
「他領に移った者が結婚するまでは客室で過ごすものです。ただ、フェルディナンド様の場合は移動が早かったですからね。隠し部屋のない状態が長く続くのは気詰まりでしょう。何とかなれば良いのですけれど」
そんなふうに二人でアーレンスバッハのフェルディナンドを心配していたはずなのに、「フェルディナンド様の代わりにわたくしがしっかり研究いたしますから」とヒルシュールはさっと頭を切り替えてしまった。
「ローゼマイン様はお部屋に戻って、読書をされてはいかがですか? また何か有用な資料があれば持って来てくださいませ。それから、フラウレルムへの報告をそろそろしておいた方が良いですよ」
……あれ? もうちょっとフェルディナンド様のお話をしようよ。
資料を写すことに集中し始めたヒルシュールに食い下がれるわけもない。ライムントの設計図ができあがるまで試作品係のわたしにできることはほとんどないので、自室に戻って読書をすることにした。早く読み終えて、次の本を借りたいものである。
読書をしていると、ポツポツとお茶会のお誘いが来るようになっていた。貴族院の社交シーズンが始まりつつあるようだ。側仕え達がシャルロッテの側仕え達と予定の調整をしながら、一緒に出席する返事を出していく。
それと並行して、わたしはフラウレルムに面会予約を取り付けてもらった。ヒルシュールに言われた通り、二度目の研究経過に関する報告書を渡さなければならないし、一度目の報告書が届いていないことをひとまず指摘しなければならないのだ。
フラウレルムも共同研究の経過は気になっているようで、試験の申し込みをした時と違ってすぐに日時の指定が来た。
わたしが報告書を持って行くと、フラウレルムはスッと手を差し出す。その手にはしっかりと手袋をしていて、その場ですぐに読もうとはしない。フェルディナンドが毒の警戒をしている時に似ていると思いながら、わたしは報告書を渡した。
「そういえば、フラウレルム先生。まだフェルディナンド様のところへ一度目の報告書が届いていないようなのですけれど、報告書はアーレンスバッハへ送ってくださっていますか?」
「では、アーレンスバッハの文官が少々怠慢なのでしょうね。わたくしは確かにアーレンスバッハへ送りましたから」
フラウレルムはわたしと目を合わせることなく、そう言った。わたしは頬に手を当てて、溜息を吐く。
「そうですか。では、ディートリンデ様に問い合わせが必要かもしれませんね。大領地の文官が怠慢だなんて困ったこと。情報の収集や整理を専門とするフラウレルム先生にとってもお困りですよね?」
「えぇ。それはそうね」
貼りつけたような笑顔でそう言ったフラウレルムの目がこちらの様子をチラチラと伺って来る。
「……ローゼマイン様はどのようにフェルディナンド様と連絡を取っているのですか?」
「フェルディナンド様はわたくしの後見人ですから、いくつか連絡を取るための手段はありますけれど、フラウレルム先生にお答えするのはライデンシャフトにシュツェーリアの盾を渡すようなものですよね?」
答えたところで意味はないし、何に利用するの? と返すとフラウレルムは「んまぁ!」と言ってそっぽ向いた。
「それよりも、フラウレルム先生はディートリンデ様の講義はいつごろ終わるかご存知ですか?」
「それこそライデンシャフトにシュツェーリアの盾を渡すようなものですわ」
「従姉弟同士のお茶会の予定や髪飾りをお渡しする必要もあるのですけれど、フラウレルム先生もご存知のように共同研究に忙しいですし、お茶会の予定が詰まって来ましたので、先に知りたいと思っただけなのです。どうしても予定が合わなければ、髪飾りは側仕えに持って行かせることにいたします、とディートリンデ様にお伝えくださいませ」
共同研究を三つ抱えている上に、今年しかできないということで社交をしようと張り切っている側仕え達に本を読みながら何となく返事をしていると、予定が勝手に埋まっているのだ。
わたしの本音としてはお茶会よりも本を読みたいのだが、今年はたくさんの領地と交流を持って、養父様やエーレンフェストの悪評を少しでもマシにしていくという仕事もある。悪い噂を積極的に流していそうなアーレンスバッハとのお茶会は後回しにしたいくらいの気分である。
……アーレンスバッハに行ってるフェルディナンド様の様子が気になるから、従姉弟会には出席はするつもりだけど、あんまり気は進まないんだよね。
「お姉様、お茶会の招待状が次々と届いていますけれど、どちらに参加されますか?」
「また届いたのですか?」
フラウレルムの研究室から戻ると、また招待状が複数届いていた。すでにいくつかのお茶会には参加が決定している。これ以上読書の時間を削られるのか、と少しばかりうんざりとした気分で招待状の木札を見つめていると、シャルロッテがなだめるように微笑んだ。
「本格的な社交シーズンの始まりですし、お姉様が共同研究で忙しいのは寮監を伝って、ほとんどの領地がご存知でしょうから、少しでも早い時期にお約束を取り付けたいのですよ」
領地対抗戦が迫ると、研究の追い込みで社交どころではなくなる可能性が高くなるからだ。シャルロッテの言葉にブリュンヒルデも微笑む。
「それに、ローゼマイン様が奉納式のために帰還しないのは初めてですから」
「わたくし、毎日社交は無理ですよ。多分、具合が悪くなります」
多少健康になっているとはいえ、予定を詰めすぎるのは危険だ。一日お茶会をしたら、二日読書をするくらいのペースで予定を入れておかなければ、突然体調を崩した時に対応できないと思う。
「そうですね。ダンケルフェルガーとの共同研究や王族からの呼び出しがいつあるのかもわかりませんから、あまり予定を詰めることはできませんね」
側仕え達と話し合い、お茶会の予定を入れていく。そこにオルドナンツが飛んで来た。
「アーレンスバッハのディートリンデです。わたくしも忙しくてなかなか時間が取れませんの。従姉弟同士のお茶会は四日後の午後に行いましょうね」
フラウレルムがディートリンデに伝言してくれたのはわかったけれど、側仕え同士の打診や打ち合わせもなく、決定事項として伝えてくるのはどうかと思う。
「……お断りはできませんよね?」
「お姉様が催促されたのでしょう? 予定をお兄様にも伝えましょう」
シャルロッテの言葉に溜息を吐きながら、側近達と予定を立て直し、了承のオルドナンツを送った。
そうこうしているうちにお茶会に参加する日になった。今日はシャルロッテとは別行動である。アーレンスバッハとの予定が入ったことで、調整せざるを得なくなったためだ。下位領地とのお茶会である。エーレンフェストは中立だったため、勝ち組に擦り寄るよりは受け入れられやすいだろうと考えている領地もあるらしい。
シャルロッテが言うには、できるだけ下位領地と仲良くして傘下に入れる方向で動かなければならないそうだが、そのような方法をわたしは知らない。エーレンフェスト自体が手探りで関係を変えている最中だそうだ。シャルロッテもわたしに教えられる程のノウハウはないらしい。急激に順位を伸ばした弊害である。
「わたくし、エーレンフェストの聖女と名高いローゼマイン様とお話してみたかったのです」
お茶会では基本的に持ち上げられてばかりだった。エーレンフェストのお菓子が褒められ、ロジーナの音楽を褒められ、もっと聴きたいとねだられ、何とか覚えようと他領の楽師たちが目を光らせている。
そして、本の貸し借りも行われた。
「去年は急でしたから、領地からの持ち出しの許可が出なかったのですけれど、今年は前もってアウブにも許可を取ったので……」
快く本を貸してくれる領地とは仲良くしたい。わたしは笑顔で受け取って、代わりにエーレンフェストの本を貸し出した。上位領地の方で流行っているので読みたかったらしい。
……やっぱり流行は上から流すのが正解だね。こうして読書がもっともっと広がると良いよ。
わたしが普通に笑っていられたのは本の貸し借りをするところまでだった。
下位領地の方はエーレンフェストがどのように順位を上げたのかがとても気になるようで、しつこいくらいに質問されるようになると、作り笑いで対応するしかなくなった。
「あまりにも急激でしたもの。たった数年間でこれほど順位を上げられるなんて、何か秘策があるのでしょう?」
「大領地との共同研究も同時に三つも行えるなんて、ローゼマイン様は本当に優秀ですこと。数々の流行に、共同研究、そして、養女となってからも神殿長を務めるお優しさ。ローゼマイン様の優秀さを見出して養女にしたアウブは慧眼でしたね」
「アウブ・エーレンフェストは実子以外の領主候補生を神殿に押し込めて魔力を奪うような酷い方だと皆様がおっしゃっています。なんておいたわしいこと」
そのたびに養父様の悪い噂を否定し、領主候補生は全員が祈念式や収穫祭のために農村を回っている話や教育に力を入れている話をするのだが、あまり信じてもらえない。不思議なことに「そのように庇われるなんて、ローゼマイン様はなんとお優しいのでしょう」と返されてしまうのだ。
……だから、違うって。ねぇ、ちょっと。こっちの話、聞いてる!?
何度も養父様の悪口を聞かされ、ヴィルフリートやシャルロッテばかりが楽をしていると貴族言葉で遠回しに言われ、わたしだけがやたら慈悲深い聖女だと持ち上げられ、否定しても聞き入れてくれない状態にイライラしてお茶会を終えた。
……全方位無差別威圧が出る前にお茶会が終わって良かった。わたし、マジ我慢した。
自室に戻って、エーレンフェストの他の者に報告する前に反省会である。わたしはお茶会に同行した側近達を見回した。
「あのように悪意のある言葉を聞かされたのはわたくしだけ、なのでしょうか? シャルロッテは面と向かって言われているのかしら?」
「さすがにアウブの実子にそのような噂を聞かせることはないでしょう。ローゼマイン様が養女で、噂通りに虐げられていると考えるからこそ味方のような顔でそう言ってくるのだと思いますよ」
ブリュンヒルデもリヒャルダも今日のお茶会には苛立っていたようだ。顔は笑顔だけれど、二人の声が少し荒れているように聞こえる。
「……悪意を向けられていたのはアウブやシャルロッテ様達だけではございません。一見、持ち上げているように見えましたけれど、聖女と呼ばれているローゼマイン様を貶めたいという悪意もありました」
「グレーティア?」
「エーレンフェストの聖女と持ち上げられていても神殿育ちで、アウブからは実子とは違う扱いをされていることにも気付かずに庇い、領地に魔力を捧げるなんて健気ですこと、とおっしゃっていたのだと思います」
それはさすがに悪く取りすぎではないか、と思ったけれど、言葉数の少ないグレーティアがわざわざ発言するということは、そのように考えられている可能性を考慮した方が良いということなのだろう。
「常に保護者の言いなりになっている、おとなしくて虚弱な聖女だと思われている可能性が高いです。ローゼマイン様がさらわれたり脅されたりする危険性を考慮してくださいませ」
「わかりました」
返事をしたのはわたしではなく、レオノーレだった。
反省会の後はアウブの実子がいないお茶会でどのように言われているのか情報を共有し、どの領地がどのように考えているのかを明らかにするため、わたしとシャルロッテは別々にお茶会へ向かうように、という指示が出た。
悪意ある噂のお話をしてくる領地を炙り出すためでも、「皆様、お優しいのですね。でも、アウブ・エーレンフェストはそのような方ではありませんよ」と返し続けるのは欝々とした気分になる。
お茶会のイライラを読書で発散すると、またイライラするお茶会に参加しなければならないのだ。これならば、奉納式のためにエーレンフェストに戻っていた方がよほど気楽だ。
……うぅ、今年こそエーレンフェストの神殿に帰りたかったよ。
そんな中、ディートリンデ主催の従姉弟会が行われるのである。行きたくなくても行かなければならないのだが、今の欝々とした気分で、わたしはフェルディナンドとディートリンデの婚約を祝えるだろうか。「ウチの大事なブレーン、返してください」と言わないように気を付けなければならない。
「マティアス、ラウレンツ、ミュリエラ、グレーティアはお留守番ですね。旧ヴェローニカ派の子供達が一斉にわたくしの側近となっていることを知られるのは得策ではありませんから」
「あちらがどの程度粛清について情報を得ているのかもわかりませんから、こちらの情報も伏せた方が良いでしょう」
どのような情報を出すのか、出さないのか、ヴィルフリートとシャルロッテも一緒に打ち合わせる。どんなにイライラしても顔には出さない。フェルディナンドの扱いが変わるかもしれないので、穏便に。
そう心に刻んで、わたしはヴィルフリートとシャルロッテと一緒にアーレンスバッハのお茶会室へ向かった。
「ごきげんよう、皆様」
「ごきげんよう、ディートリンデ様。お招きいただきまして嬉しく思っています」
ヴィルフリートが代表して挨拶し、わたし達は席を勧められる。ディートリンデはとても機嫌が良さそうだ。側仕え達が持ち込んだ物を渡している様子を見て、「あれは髪飾りかしら?」と微笑んでいる。
「今日はわたくしの楽師にアーレンスバッハの新しい曲を弾かせますね。フェルディナンド様がわたくしのために作曲してくださった恋歌で、ゲドゥルリーヒに捧げる歌なのです」
ホホホ、と笑いながらディートリンデが豪奢な金髪を軽く掻き上げて、楽師へ視線を向けた。楽師は一つ頷いて、音楽を奏で始める。音楽の実技でも聴いた郷愁歌だ。
「音楽の実技の時に聴いたな」
「えぇ。アーレンスバッハの新しい曲だと周知するために、音楽が得意な学生達に練習させましたから。フェルディナンド様が贈ってくださったのが、冬の社交界が始まる宴でしたから、時間がなくて大変でしたのよ」
ディートリンデは得意そうにそう言いながら、お茶を一口飲み、お菓子を食べて見せる。こちらから持ち込んだお菓子を一口食べて見せて勧めると、「フェルディナンド様の専属がアーレンスバッハへやって来るのは春の星結びが終わってからかしら?」と言いながら楽しそうに笑う。
……星結びが終わったら専属料理人を連れて行く? そんな話はなかった気がするけど。
フェルディナンドの専属料理人は神殿でハルトムートがそのまま使っているけれど、わたしが他人の専属について口出しするわけにはいかない。手紙で注意した方が良いかもしれないと思っていると、ディートリンデがゆっくりと満足そうに息を吐いてカップを置いた。
「フェルディナンド様との婚約が決まった時は憂鬱でしたけれど、最近は少し前向きに考えられるようになってまいりました」
「……憂鬱、だったのですか?」
「えぇ、当然ではありませんか。わたくしはアーレンスバッハの次期アウブですのよ。それなのに、お父様から配偶者と決められたのがずいぶんと年上で、下位のエーレンフェストの神殿に入れられていた母もない領主候補生ですもの。ガッカリするでしょう?」
ムッとするより先に驚いた。わたしにとってフェルディナンドは最優秀を取り続けた優秀な領主候補生で、文官、騎士、領主代理と何でもできる芸達者なマッドサイエンティストなのだが、エーレンフェストでどの程度の仕事をしてきたのか知らず、貴族院での在学が重ならなかった貴族から見れば、あまりにもひどい相手に見えるらしい。
……傍から見たら、フェルディナンド様ってそんなふうに見えるんだ。
「実際にお会いして、お優しい人柄と優秀さに少し安心したのです。フェルディナンド様はわたくしのために尽くしてくださるとおっしゃいましたから」
……お優しい人柄は多分作り笑顔から来る勘違いじゃないかな? いや、勘違いさせておくのが良いんだろうけど、騙されてるよって言いたくなるね。
フェルディナンドの優秀さを知って結婚に前向きになったようなので、わたしは心の声を抑えて、フェルディナンドの優秀さをアピールしていく。
「フェルディナンド様はとても優秀ですよ。貴族院でもたくさんの伝説が残っていますから。たとえば……」
「えぇ、存じています。どのような方なのか、情報を集めさせて驚きました。これならば、わたくしの配偶者として隣にいても問題ないでしょう」
その物言いにちょっとカチンときた。
……フェルディナンド様はすごいんだからね! 配偶者として隣に立つのに、ディートリンデ様こそ問題はないの?
そう言いたくなったのをグッと呑み込んだ。今日は我慢が必須である。
わたしが言葉を呑み込んで作り笑いになったのがシャルロッテにはわかったようだ。シャルロッテが少し身を乗り出すようにして、話題を変える。
「ご婚約が決まって憂鬱な気持ちになったということは、ディートリンデ様には想う方がいらっしゃったのですか? 新しい貴族院の恋物語にそのようなお話があったのです。ディートリンデ様に素敵な恋の思い出があるならば伺いたいです」
シャルロッテの言葉にディートリンデが何度か目を瞬いた後、悲しそうに深緑の目を伏せた。
「えぇ、もちろんございます。想いを捧げてくださった殿方もいらっしゃいましたけれど、わたくしは次期アウブですから。お父様が決められた相手と結婚することが決められていました。どんなに素敵な方でも、どれほどの想いを捧げられても、釣り合わない相手とは結婚できませんもの。わかっていても、わたくしからお別れを口にするのはとても辛いことでした。別れることが決まっていながら巡り合わせた縁結びの女神 リーベスクヒルフェを恨んだものです」
想い人のことを考えているのか、少し遠い目でディートリンデが語る。お別れの言葉を告げたのが夏だと言うので、貴族院の学生ではなく、アーレンスバッハの貴族のようだ。
……ディートリンデ様にとってもフェルディナンド様との婚約は辛かったんだ。
貴族院ではディートリンデに浮いた噂もなかったし、エスコート相手も決まっていないようだったので、フェルディナンドとの婚約は渡りに船かと思っていたけれど、そうではなかったらしい。
周囲はともかく、当人達にとってはお互いに歓迎できない婚約だったことを知り、儘ならない現実にわたしはそっと息を吐いた。