Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (49)
フリーダと身食いの話
熱の中に呑みこまれ、端からゆっくりと食われていくような感覚は以前と同じで覚えのあるものだ。前と同じように意識をなるべく集中させて、わたしは何とか熱を退けようと抗ってみる。
わたし、本をまだ作ってないんだって!
以前に抜け出た時のやり方を思い出しながら、熱を中心に集めようともがいてみるが、以前と違って熱量が多すぎる。
押しても、押しても、逆に押し返されて流されてしまいそうになる。
もうホント邪魔! 退いてよ! このまま死ぬ気なんてないんだから!
えいえいっ! と強気に自分の周りの熱を振り払っていると、突然ある方向に熱がぐわっと吸い取られ始めた。まるで掃除機のCMで大量のゴミがグオォォッと吸われて行くように、周囲の身食いの熱がなくなっていく。
このままなくなっちゃえ!
ぐんぐん吸い取ってくれる掃除機に詰め込むように、わたしも熱を送りだしていく。
どんどん熱が減っていくのが面白くて、次々と送り出していると、どこかで何かがパン! と弾けたような音がした。
それと同時に熱を吸い込んでいた動きがぴたりと止まる。送りこもうとしても戻ってくる。
あれ? 掃除機、壊れた?
何となくわたしが調子に乗って熱を送りこんだせいで、掃除機が壊れてしまったような気がする。
……もしかして、まずいことしちゃった? どうしよう?
一気に減った熱がふよふよと漂う中で、わたしはしばらく途方にくれた。もちろん、現状を教えてくれる人もいなければ、自分以外の存在があるわけでもない。
助かったみたいだし、後で考えよう。
せっかく熱量が減ったのだから、さっさと片付けてしまおう。先程と違って、半分ほどに減ったように感じる身食いの熱を中心に押し込んで行く。
少なくなった熱を抑え込んで蓋をしてしまうのは、難しいことではない。不用品をダンボールに詰め込んでクローゼットに押し込むように、ぎゅぎゅっとまとめて中心部に抑え込んだ。
やっと終わった達成感に包まれながら、ゆっくり意識が浮上していくのを感じていた。
目を覚ますと、また記憶にない世界でした。
いや、ホントに。
身食いとの攻防で身体中がぐったりとしているけど、頭はスッキリと冴えわたっているので、夢ではないと思う。
どこよ、ここ?
まず、薄暗い。日が暮れかけているのかと最初は思ったけれど、暗いのはわたしの頭の方だけで、足の方からはほんのりと光が入ってきている。
だから、視界は確保されていて、天井というか、わたしの視界いっぱいに深緑のだらんとした布が広がり、自分が寝ているベッドを囲っているのがわかった。足元の半分だけはカーテンが開けられたようになっている。
お姫様のようなひらひらしたレースではなく、完全に人目を避けるための厚みある布で覆われている天蓋ベッドだ。こんなに布を使えるのはお金持ちに決まっている。
もしや、今度こそテンプレのお貴族様に転生した!?
ベッドの素材もわたしのベッドとは全然違う。いつも寝ている藁ではなく、柔らかな素材の上に温かい毛織物のシーツと厚みのある温かい布団が被せられている。肌触りは良いし、すごく寝心地がいい。
麗乃時代はスプリングの利いたベッドで羽毛布団や柔らかい高級毛布を使っていたが、一年の生活でかなり記憶は塗り替えられたようだ。ゴロンと身体を横にしても、うごうごと頭を動かしても、枕や布団がカサコソ言わないし、シーツの下から藁が飛び出して、チクチクしないのが、不思議にさえ感じている。
藁布団もあったかいんだよ。慣れれば、ノミやダニに食われても寝られるようになるもん。慣れればね。
うぅ、こんな気持ちが良いお布団は久し振りだ。このままもっと寝ていたい。
トゥーリと一緒に使う自分のベッドは寝返りを打つのも気を付けなければいけないくらい狭いけれど、このベッドはゴロゴロしても大丈夫な広さがある。
ゴロゴロとベッドの端まで寄ってみると、ベッドサイドに椅子と小さな台があり、火の消えた燭台があるのが見えた。どれもこれもわたしには見覚えがないものばかりだ。
しかし、ゴロゴロすることで、完全に見覚えのあるモノが目に入った。自分の手や髪だ。
手を伸ばしたり、髪を引っ張ったりしたところ、マインの姿から変化がないことだけは確認できた。
……転生じゃなかったね。だったら、尚更ここどこ?
わたしは自分が意識を失う前のことを何とか思い出そうと、記憶を探る。そういえば、意識を失う前、確かベンノがギルド長に連絡するように言っていたはずだ。
「……あ~、もしかして、ギルド長の家かな?」
身食いの熱を何とかする魔術具を持っているという話だったし、ここはギルド長の家で間違いないだろう。お金持ち具合にも納得できる。
「すみません、誰かいませんか?」
身体がだるくて起きたくないけれど、現状把握はした方がいい。ベッドの端に寝転がったまま、のっそりと手を伸ばして垂れ下がっているカーテンのような布をちょっと引っ張る。
わたしの声が聞こえたのか、ゆらりとカーテンが揺れて、知らない人が天蓋の中に入ってきた。
「あ、あの……」
「少々お待ちくださいませ」
「え? あ、はい」
わけがわからないまま動くこともできず、布団にくるまって待っていると、身体が温かくなってきて、睡魔がやってくる。
ヤバい、また眠たくなってきた。
うつらうつらし始めた時、ドアの開け閉めをする音が聞こえ、静かな足音が近付いてきた。授業中に舟を漕いでいて、教師の足音に覚醒したように、一気に意識が戻ってくる。
「マイン、目が覚めたのね?」
ふわりとカーテンが揺れると、薄い桜色のツインテールが覗き、火の灯ったろうそくを持って天蓋の中に入ってきた。
「……あ? フリーダ?」
「えぇ、そうよ。ご自分の状況はどれほど覚えているのかしら?」
フリーダはろうそくを台に置き、ベッドサイドの椅子に腰を下ろす。話をする雰囲気を感じて、わたしも身体を起こそうとしたら、フリーダが押しとどめた。
「今回の熱は身体には相当負担だったはずよ。そのままいた方がいいわ」
「ありがと。でも、話をするのに寝転がっていると眠ってしまいそうだから……」
わたしが身体を起こしてベッドに座ると、フリーダは苦笑しながら「無理をしてはダメよ」と言った。
「えーと、自分の状況だったよね? わたし、ベンノさんのお店にいる時に身食いが噴きだして呑みこまれたところまでは覚えてる。……多すぎて一人ではどうしようもなかった身食いの熱がどこかに吸い取られていったんだけど、もしかして、フリーダが何とかしてくれたの?」
あんな風に急激に熱がなくなるなんて今まではなかった。おそらく、ベンノが言っていた魔術具を使ってくれたのだと思うが、そうすると高価な魔術具をわたしが壊したということにならないだろうか。
ザッと血の気が引いていくわたしとは正反対に、フリーダはやんわりとした笑顔で何度か頷いた。
「ほとんど正解ね。壊れかけ寸前の魔術具に詰め込めるだけ詰め込んだの。魔術具は壊れたけれど、マインの身食いの熱はかなり減ったと思うわ。どう?」
「うん、すごく楽になった。でも、魔術具って高いって……」
真っ青で尋ねると、フリーダはとても楽しそうなイイ笑顔で値段を提示してくれた。
「えぇ。先程壊れた物が小金貨2枚と大銀貨8枚なの。ベンノさんはマインが支払うと言っていたけれど、本当に支払えるのかしら?」
ベンノがリンシャンの追加情報に値段を付けた時、ベンノはこの魔術具の値段を知っていたとしか思えない。そうでなければ、あまりにもピッタリすぎる。
あれ? でも、最初は小金貨2枚って情報料つけてたよね? それじゃあ、足りなかったんじゃ……。
ベンノの言葉に多少の齟齬を感じながら、わたしはフリーダに向かって頷いた。
「……支払えます」
「本当に持っていたなんて……マインをもらい損ねちゃったわ」
軽く目を見張って驚いたフリーダが、少し不満そうに頬を膨らませる。
「お金が払えなかった時はマインをわたくしの店に登録させるって話だったのよ。おじい様はベンノさんに魔術具のお値段を小金貨一枚と大銀貨2枚と伝えたって言っていたから、先回りしていても絶対に足りないと思ったのに。わたくしよりベンノさんの方が一枚上手ね」
小金貨2枚をお断りしたわたし、グッジョブ! そして、情報料をギリギリまで上げたベンノさん、マジ英断でした!
こんな命がかかった魔術具の値段でまで罠を張るようなお店に就職した日には、繊細なわたしの胃に穴が開きますから!
ホッと胸を撫で下ろすわたしに、フリーダは少し唇を尖らせる。
「先程の魔術具は、例えるなら、カップから零れそうになった水を吸い上げただけのこと。カップの中の水がなくなったわけではないし、成長するにつれてまた水の量は増えていくの。わかるかしら?」
「はい」
一年前より半年前。半年前より一月前。一月前より今。どんどん扱いにくくなっていた身食いの熱は、魔術具に吸い取ってもらった今は落ち着いている。かなり減ったけれど、これからまた増えていくのは、自分が一番よく知っている。
「困ったことに、器が大きくなる速度より、水が増える速度の方が速いのよ。だから、多分、またいっぱいになるまで、あと一年くらいしかもたないと思うわ」
同じ身食いだからだろう、フリーダの言葉が正しいことは実感としてわかる。わたしが頷くと、フリーダは意識的に感情を排除したような無表情で淡々と言った。
「だから、マイン。よく考えて選びなさい。貴族に飼い殺されても生きるか。家族と共に生活をして、このまま朽ちるか」
「え?」
目を瞬くわたしにフリーダは困ったような笑みを浮かべた。
「魔術具は基本的に貴族が所有しているものなの。わたしの身食いを知ったおじい様がお金に任せて、貴族にとっては価値のない壊れかけの魔術具を買い漁ったから、我が家にはまだいくつか魔術具があるけれど、他を探しても、もうないと思うわ」
「ええぇぇぇっ!? 価値がない壊れかけが小金貨2枚と大銀貨8枚ってこと!?」
わたしが大きく目を見開くと、フリーダは何度か目を瞬いた後、ゆるく首を傾げた。
「命の値段だと思えば、それほど高いわけでもないでしょう? きちんと作動する魔術具は大金貨が必要になるもの。身食いの平民は生きていきたければ、貴族のためだけに働く契約をして、魔術具を買い、その借金を返すために飼い殺されるしかないのよ」
それが当然のこと、というように説明するフリーダの姿から、フリーダ自身も何度も何度も同じ説明を受けてきたのではないかと思い至った。
「……もしかして、フリーダも?」
貴族と契約して魔術具を買ったのか、と尋ねると、フリーダは花が開くような笑顔で頷いた。
「えぇ。わたくしはすでに貴族と契約しているの。15の成人まではここで過ごすことを許されているわ。成人式が終わった後は、貴族の愛妾となることが決まっているのよ」
「はぁ!? あ、あああ、愛妾!? 愛妾って意味がわかって言ってる!?」
可憐で可愛い幼女の口から出てくる言葉とは信じられず、口をパクパクさせると、フリーダが逆に驚いたようにわたしを見た。
「……その反応、マインは愛妾がどういう存在がご存じなのね?」
「だって、愛妾って、愛妾って……」
6~7歳の子供が普通知っている言葉ではない。しかも、意味がわかっていて、そんなものになると決まっているなんて平然と言うのが、あり得ない。
「第二夫人や第三夫人になるお話もあったのですけれど、正式な妻になってしまうと相続権や妻同士の優先順位などが煩わしいんですって。特に、我が家は下級貴族よりお金があるから、無用な軋轢を生む可能性が高いとおじい様がおっしゃっていたわ」
「ひいいぃぃぃっ! ギルド長! 子供になんてことを言うの!?」
思わず叫ぶと、フリーダは少し表情を厳しくしてわたしを見た。
「マイン、他人事ではないわ。生きていくことを選べば、貴族の世界で生きていくことになるの。うまく立ち回らなければ、魔術具があっても別の理由で殺されることも少なくないわ。自分の身を守るためには情報は大事なの。隠されたら、自分自身が危険なのよ?」
「ごめんなさい。考えなしはわたしでした」
相変わらず平和ボケした日本人思考が抜けていないようだ。安穏と生きられたぬるま湯のような世界とここは別の世界だ。
謝るわたしにフリーダは苦笑する。
「気にしないで。わたくしの場合はかなり特殊なの。おじい様がギルド長で、貴族の方々とも広く商いをしているでしょう? 繋がりが欲しい方も、援助を乞うてくる方もいて、自分や家族にとって条件の良いところを選ぶことができたんですもの」
「条件って……?」
なんとなく流れで首を傾げて問いかけると、よくぞ聞いてくれました! というような顔でフリーダが口を開く。
「わたくし、貴族街にお店を持てるの。旦那様のお屋敷に一室を賜わったり、離れを賜ったりするのではなく、自分のお店を持てるのよ。出店料も生活費も我が家持ちだけれど、貴族街に支店が持てるのと同じだし、身食いということで諦めていた商いができるようになるし、わたくし、とても楽しみなの」
キラキラに輝く笑顔でフリーダは笑う。
輝く将来が楽しみで仕方ないと全身で表現されて、わたしの方が戸惑った。
「……そう、なんだ。フリーダは好きな人と結婚とか、考えないの?」
「まぁ、マイン。何を言っているの? 結婚はどの道、父親が相手を決めるものでしょう? いくつかの候補の中から選ぶことはあっても、決められた相手と結婚することに変わりはないわ」
「あ……そうだね」
あぁ、わたしの常識、ここの非常識。
そういえば、結婚相手は父親が決めるんだ。完全に家と家のお付き合いなんだ。
「だから、貴族街に拠点を持てるということで家族は満足しているし、売り上げの3割を旦那様に納めることになるけれど、自分のお店が持てるし、旦那さまと物理的に距離を取ることで面倒事からも遠ざかることできそうだし、わたくしにとっては良い条件なのよ」
そんな可愛らしい笑顔で愛妾になる将来を語られると、常識が違うとわかっていてもわたしは複雑です。
「でも、マインには貴族にとっての利点がないでしょう? わたくしの愛妾などと言われる立場さえ羨ましいと思うような生活になるかもしれないの。よく考えて、ご自分が少しでも後悔しない生き方をしてくださいな」
あぁ、そうか。わたしも同じ身食いだから、生きるためには貴族の庇護が必要なんだ。
だから、次に身食いの熱が飽和状態になるまでに、自分の身の振り方を考えろ、と言われている。
貴族に飼い殺しにされるか、家族と一緒にいて死ぬか。
「ありがとう。どうするか、考えてみる。詳しい話が聞けて良かった」
「えぇ、マインの周りには詳しい人はいないでしょう? 身食いのことで悩むことがあれば、相談してくださいな。本当の意味で分かり合えるのは、わたくし達だけだと思うから」
身食いは滅多にない病気だから、知っている人も少ない。相談できる相手がいるのは、本当に心強いことだった。
「お世話になりました。わたし、帰らなきゃ」
どんどん部屋が暗くなっていくのがわかる。日が暮れていく時間なのだろう。早く帰らなければ、家族が心配する。
話が終わったので、ベッドから降りようとしたら、フリーダがわたしの体をベッドに押し戻す。
「ご家族には連絡してあるから大丈夫よ。このままお休みなさい」
「え?」
「ご家族は今日も先程までいらしていたのよ」
「今日もって、わたし、意識失ってどれくらいたってるの?」
日付が変わっているとは予想外すぎた。わたしが目を剥くとフリーダは頬に手を当てて、少し首を傾げる。
「昨日のお昼前に運び込まれて、今日はもう日が暮れるわ。かなり消耗していたようで、熱が下がってから意識が覚めるまでにずいぶんと時間がかかったみたい。意識が戻っても様子見で明後日の洗礼式までお預かりすることになってるわ」
わたしの知らないところで、色々なやり取りがあったようだ。報告された家族の様子を考えただけで、胃が痛くなる。
「明日の朝にはルッツも来るでしょうし、ご家族もいらっしゃると思うわ。もう一度目を閉じて、休んだ方がいいわよ」
「ありがとう、フリーダ」
「家族と話し合う前に、自分の意見をよく考えて。……明日、元気になっていたら、約束していたお菓子作りをしましょう」
カタリと立ち上がったフリーダがろうそくを持って、静かに出ていくと視界は真っ暗になった。
フリーダに言われたことを反芻して、色々と考えようと思っていたのに、身体は休息を求めているようで、座っていても瞼がとろりと下がってくる。
もそもそと布団の中に潜り込めば、寝心地の良い布団に抗えるはずもなく、かくんと意識は落ちた。