Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (493)
閑話 聖女の儀式 前編
わたくしはリュールラディ。貴族院に在学しているヨースブレンナーの三年生の上級文官でございます。
本日はダンケルフェルガーとエーレンフェストで共同研究をしている儀式に参加することになっています。わたくしはもう一度エーレンフェストの文官見習いであるミュリエラ様から伝えられ、自分で書き写した儀式の注意事項を見直しました。
「清めは終わりましたし、回復薬も準備しました。それに、お祈りの言葉も何とか覚えました」
「リュールラディはまだ御加護を得る儀式を受けていないのですか? あの儀式で唱える言葉とほとんど同じではありませんか。エーレンフェストは下級貴族でも一度で合格しているのでしょう?」
お姉様が呆れ顔になりましたが、神々の名前を全て覚えるのはとても大変なのです。一発で全員が合格してしまったエーレンフェストの学生と比べないでください。エーレンフェストの三年生は、入学した時から全員が座学に関しては初日合格しているのです。彼等を率いる領主候補生のローゼマイン様は実技でも最速合格なので、比べられても困ります。
「本当に、碌な情報も得られないのですから……」
「ローゼマイン様の情報を得られないのはお姉様も同じではありませんか」
ローゼマイン様が入学した年はハルトムートというローゼマイン様の側近が統率した「エーレンフェストの聖女ですから」という一言に集約できるような自慢情報しか得られず、二年生の時にはダンケルフェルガーのクラリッサ様に「ハルトムートのエスコート相手はわたくしです」と追い払われたのはお姉様です。
「お姉様と違って、わたくしはハルトムート様やフィリーネ様からローゼマイン様が好むお話やエーレンフェストに帰還する予定を知りましたし、ヴィルフリート様とハンネローレ様の会話から本の貸し借りで上位領地と繋がりを作っていることも知りました。今はミュリエラ様と仲良くしていますもの」
エーレンフェストが各地のお話を高額で買い取っていて、「少しでも高額で買っていただくためにローゼマイン様がどのようなお話を好むのかを聞きたいけれど、統率しているのが上級貴族なので」とヨースブレンナーの下級貴族にお願いされてわたくしは図書館へ赴きました。そこでハルトムート様とフィリーネ様から情報を得ることができるようになったのです。
……ローゼマイン様は恋物語を好んでいるそうです。「ウリアゲテキに」という言葉がよくわかりませんでしたけれど。
わたくしはきっとローゼマイン様と気が合うのではないかと思いました。わたくしも恋物語が大好きなのです。
新しくローゼマイン様の側近に入ったミュリエラ様もフィリーネ様から紹介されました。ミュリエラ様は恋物語が大好きな方で、二人で話し始めると各地の情報収集よりも恋物語のお話になってしまうのです。
……早くローゼマイン様と仲良くなって、エーレンフェストの恋物語の数々を読みたいものです。
ミュリエラ様からどのようなお話があったのか伺うのも楽しいですけれど、やはり自分で読みたいですもの。
……新しい貴族院の恋物語には時の女神が悪戯をする東屋で闇の神が大きく袖を広げて光の女神を覆い隠してしまう素敵な場面もあるのですって。あぁ、いつになれば読めるのでしょう。
「新しい本を読むためにエーレンフェストに嫁ぎたいなんて、ふわふわとしたことを言っていないで、もう少し現実を見るのですよ。あれだけ成績優秀者が増えて、周囲から注目されるようになったエーレンフェストには嫁ぎたくても簡単に嫁げません。数年前とは状況が違うのですから」
「エーレンフェストの中級貴族に嫁ぐならば……」
「お父様やお母様はエーレンフェストが低位をさまよっていた頃しかご存知ありませんから、エーレンフェストの中級貴族に嫁ぐなど許すわけがないでしょう? 浮かれたことを言っていないで、講堂へ向かいましょう」
お姉様はもう一人の上級文官見習いルストラオネに声をかけます。ヨースブレンナーから共同研究に参加するのは、わたくしとお姉様とルストラオネの三人です。
エーレンフェストはずっと底辺をうろうろしていた中領地で、政変を中立で乗り切ったことで順位を急浮上させました。そのため、魔力はずいぶんと温存されているようです。領地の生産量が上がり、安定していることからも土地を満たす魔力が豊富であることがわかります。
それに、この五、六年で貴族院の成績もどんどん上がっています。初めは低学年の座学だけがぐっと上がったので、順位を維持するために必死だな、と嘲笑されていたそうです。それはわたくしの入学前、ヨースブレンナーの方が順位は上だった頃の話だそうです。
しかし、実技でも成績を上げる生徒がちらほらと出始め、中領地とは思えない魔力量で実技を終える学生が出始めました。これは今でも続いています。
今では領地の半数以上の学生が上がっていることから魔力圧縮の良い方法を思いついたのだろう、と噂されています。
ローゼマイン様が入学してからは座学の初日全員合格で周囲の注目を集め、数々の新しい物を披露していました。けれど、中小領地から発信した目新しい物が流行するとは限りません。大領地の目に留まって広げてくれなければ、ただ物珍しいだけで終わってしまうのです。
中小領地のお茶会では社交シーズンに体調を崩してエーレンフェストへ帰還したローゼマイン様をお可哀想に、と言いながら、流行に関しては「大領地に拾っていただけると良いですね」と皮肉な笑みを浮かべている者が多かったのです。
一年生の終わりにエーレンフェスト主催で開催された全領地のお茶会で、アナスタージウス王子からエグランティーヌ様にエーレンフェストの髪飾りを贈られていたり、エグランティーヌ様とローゼマイン様が個人的にお茶会をして髪に艶を出す物をやり取りしていたりしたことが判明したことで、中小領地がどれだけ驚き、慌てたことでしょう。
……お姉様が代表として出席したので、わたくしは存じませんが、ローゼマイン様が倒れて途中で終わったことも含めて大変なお茶会だったようです。
それから慌てて情報を得ようとしても領地対抗戦を間近に控えていてはエーレンフェストの学生もつかまらず、領地対抗戦で集めれば良いかと気楽に考えていればローゼマイン様は欠席され、例年は閑散としているはずのエーレンフェストの場所は大領地のアウブ達が頻繁に出入りして中小領地は碌に近付けない結果に終わったのです。
二年生でもローゼマイン様は初日合格を果たして講義の場からはあっという間に消えましたし、社交シーズンはシャルロッテ様が全面的に対応していてローゼマイン様は全く姿を見せませんでした。
領地対抗戦でも中小領地の対応をしていたのはヴィルフリート様とシャルロッテ様で、ローゼマイン様はフェルディナンド様という後見人とダンケルフェルガーの対応に忙しくしていらっしゃいました。そして、表彰式は欠席、卒業式は中座されました。洗礼式を終えたばかりのような外見でとても目立つにもかかわらず、全く姿をお見かけしない方なのです。
そんなローゼマイン様がやっと社交シーズンにも貴族院にいることになりました。初めてローゼマイン様とお話ができる機会が巡って来たのです。
本の話題は楽しそうに微笑み、御自身の恋のお話については恥ずかしそうに言葉を濁してしまったローゼマイン様ですが、アウブの悪い噂になると、悲し気な顔になりました。
領主会議で得られた噂によると、アウブによって実子とずいぶんと差を付けられ、神殿に押し込められているため、貴族院にいることもできないということです。それはとてもお辛いでしょう。
ローゼマイン様は否定されますが、アウブの実子であるヴィルフリート様とシャルロッテ様が社交シーズンにエーレンフェストへ戻っていないことは周知の事実です。本当に同じ扱いをされているのであれば、全員で戻っているはずではありませんか。
「ねぇ、ローゼマイン様。わたくし、神殿のお話よりも共同研究のお話をしたいですわ。どのように大領地と研究されていらっしゃるのですか?」
神殿での儀式についてお話を始めたローゼマイン様を遮るようにして、インメルディンクの領主候補生ムレンロイエ様がダンケルフェルガーとの共同研究に参加したいと不躾なお願いをしています。
去年の領地対抗戦でインメルディンクの上級貴族がローゼマイン様を図らずも攻撃し、お咎めを受けたのです。ムレンロイエ様は「ローゼマイン様からインメルディンクが受けた損害についてはどなたも同意してくださらないのです」と以前のお茶会でおっしゃっていましたけれど、なんと厚かましいことでしょう。
ターニスベファレンからの被害が大きかったことも、上級貴族がお咎めを受けたことで順位を下げたこともローゼマイン様に責任があることではございません。周囲がムレンロイエ様をお止めしようとした時、考え込まれていらっしゃったローゼマイン様が顔を上げてニコリと微笑みました。
「ダンケルフェルガーと共同研究を行う過程で、エーレンフェストの神事を見せるというものがあります。ダンケルフェルガーの許可が取れたら、のお話になりますけれど、よろしければ参加されますか? 」
「まぁ、ご一緒させてくださいますの?」
……甘すぎます、ローゼマイン様。
わたくしは呆れてしまいましたが、周囲は我も我もと群がっていきます。インメルディンクが参加を許されるならば、自分達の領地の方が、という無言の主張がわかり、わたくしも慌てて参戦しました。
「お姉様、ダンケルフェルガーとエーレンフェストの共同研究に参加できるかもしれません!」
「よくやりましたね、リュールラディ」
ローゼマイン様が笑顔でおっしゃったように、ヨースブレンナーはダンケルフェルガーに共同研究に参加したいと早速申し入れました。
「ならば、ディッターだ!」
共同研究とディッターにどのような関係があるのか存じませんが、ダンケルフェルガーとディッターを行うことはわたくしの判断で決められません。アウブの判断を仰いだ結果、ディッターを行って共同研究に参加するように、というお言葉があり、騎士見習い達にディッターを行ってもらいました。
「リュールラディ様、ダンケルフェルガーが望んでいたのは宝盗りディッターでした」
「……宝盗りとは昔のディッターですよね?」
今は座学で少し習うだけの、実技で練習さえしていないディッターで勝負をすることになり、中小領地が合同で戦ったものの、あえなく敗北。回復薬が大量に必要な事態になったのです。速さを競うディッターならば、これほど回復薬も魔力も必要なかったため、ヨースブレンナーにとっては大変な誤算でした。
「今は採集地もずいぶんとやせ細ってきて、あまり良い素材が採れませんものね」
素材も良くないし、回復薬を作るにも魔力が大量に必要になります。文官見習い達が総出で作りましたが、回復薬の費用を騎士見習い達に払わせることもできません。アウブの命令で行った講義外の損害なのです。
わたくしはアウブに裁可をいただき、貴族院の費用から回復薬に必要な費用を出しましたが、そのために領地対抗戦に使える金額が一気に減りました。
けれど、騎士見習い達の頑張りのおかげでダンケルフェルガーから参加を許可する木札が申請した通り三人分届きました。持参しなければならない許可証だそうです。それをエーレンフェストの文官見習いのところへ持って行けば参加の注意事項が得られると言われ、わたくしはミュリエラ様と連絡を取りました。
「え? 共同研究に参加するために回復薬が必要なのですか?」
「えぇ。ローゼマイン様が行う儀式には魔力が必要ですから、持っていなければ困ると思います」
ミュリエラ様の言葉にわたくしは非常に悩みました。アウブに命じてもらい、騎士見習い達に頑張ってもらったのに、儀式に参加しないとは言いにくいです。けれど、これ以上魔力を使うのは、回復薬が必要になる事態は回避したいのです。
……インメルディンクのようにディッターを申し込まれた時に辞退しておいた方が賢かったかもしれません。
去年の強襲でターニスベファレンの被害が最も大きかったインメルディンクには中領地に相応しい人数の騎士見習いがほとんどいなかったため、ディッターに参加することはできず、辞退したと聞いています。
「ヨースブレンナーにエーレンフェストのような余力はありません。これ以上魔力を使うような儀式に参加してまで、共同研究に名を連ねる価値があるのでしょうか?」
わたくしの言葉にミュリエラ様は少し首を傾げました。
「わたくしは他領の余力に関しては存じませんけれど……ローゼマイン様の儀式は見る価値があると思います。神々に祈りを捧げること、神々に愛されるというのがどういうことなのか、よくわかると思います」
普段は恋物語に輝くミュリエラ様の緑の目が予想外に真剣だったことに息を呑み、わたくしは共同研究への参加を決意したのです。
講堂には二百人以上が集まっていました。あまりの大人数に驚き、自分と同じクリーム色のマントがたった三つしかないことがとても不安になりわたくしはお姉様のマントを軽く引っ張りました。
「お姉様、これだけたくさんの方が研究に参加するのでしょうか?」
「大半が領主候補生のようですから、付いている側近が多いのでしょう。実際の参加者はそれほどいないと思いますよ」
わたくしが入学した時にはヨースブレンナーの領主候補生が卒業していなかったため、卒業した領主候補生の側近であるお姉様と違って、わたくしには常に領主候補生が側近と共に行動するという意識がどうにも薄いのです。
……城で仕事をする時も領主候補生と関わることはほとんどありませんし。
「あの、フェアツィーレ様。あれは中央騎士団ではございませんか?」
ルストラオネが講堂の奥の方、シュタープを得る時に入った最奥の間に繋がる扉の前を示しました。ルストラオネが言った通り、何故か黒のマントをまとった中央騎士団がずらりと並んでいます。そのうちの数人はまるで先程まで戦いでもあったかのような恰好をしていました。回復薬などで傷を癒したけれど、服の傷みは隠せなかったような感じなのです。
「何があったのでしょう?」
「今回の共同研究のお話を持って来たリュールラディが知らないことをわたくしが知るはずないでしょう?」
そう言うお姉様の顔にも緊張が見えました。ダンケルフェルガーとエーレンフェストの共同研究で何が起こるのか、全く予想できません。よく考えてみれば、共同研究を行うのに講堂に人を集めるということがおかしいのです。
「この扉の向こう、最奥の間で儀式を行います。参加者は必ず許可証を提示してください。許可証のない方はあちらに入れません。一人ずつ順番にお願いします」
エーレンフェストとダンケルフェルガーの学生が大きな声でそう呼びかけています。その中にフィリーネ様とミュリエラ様の姿を見つけました。
最初に入って行ったのはクラッセンブルクです。クラッセンブルクは今領主候補生がいないので、上級文官見習いが揃えられているようです。五名並んでいるのが見えました。何故か皆が奥に入る直前で足を止めるのが不思議でした。
二位のダンケルフェルガーは共同研究を行う方なので、すでに中に入っているようです。三位のドレヴァンヒェルがクラッセンブルクの後に続きます。
「何故私が入れないのですか!? 私はオルトヴィーン様の護衛騎士です!」
「許可証がない方は入れません。それは護衛騎士も例外ではありません」
「そのようなことが許されると……」
護衛騎士が怒りを露わにした途端、中央騎士団がザッと動きました。
「許可証のない者は入れぬ。下がれ」
険のある鋭い目で睨まれ、不機嫌そうな低い声でそう言われ、護衛騎士はきつく歯を食いしばりながらゆっくりと下がっていきます。まさか許可証がなければ側近も入れないとは思いませんでした。
「護衛騎士を引き離すなんてダンケルフェルガーとエーレンフェストは何を考えているのでしょう?」
不安になりながらわたくしは許可証をきつく握りしめます。
そんな時、扉の向こうへ行ったはずの学生が一人戻されて来ました。藤色のマントなのでアーレンスバッハの学生でしょう。エーレンフェストとダンケルフェルガーの騎士見習い達に「護衛騎士が入れない以上、危険な可能性がある方は儀式に参加できません」と追い出されています。
「違います、わたくしは害意など……! ローゼマイン様が! ローゼマイン様の陰謀です!」
「詳しい話を聞こう」
エーレンフェストとダンケルフェルガーの騎士見習い達から中央騎士団に引き渡され、顔を引きつらせた女子生徒が講堂を出て行きます。
「な、中で何が起こっているのでしょう?」
わたくしの言葉にルストラオネが静かに首を振りました。
「わかりません。けれど、彼女の言ったことから推測できることは害意があるような危険な者を判別する何かがあるのだと思います」
「護衛騎士がいなくても安全を確保するための何かがあるのでしょうね。……敵意や害意がなければ何の問題もないはずです。クラッセンブルクとドレヴァンヒェルは出て来ていませんから」
お姉様は小声でそう言って、近くにいる小領地の人達をちらりと見ました。お茶会ではエーレンフェストを妬み、悪い噂をたくさん口にしていた人達がいます。
……わたくし、回復薬が大量に必要だったことに不満を漏らしてしまいましたけれど、これは敵意ではありませんよね!?
ドキドキしながらわたくしは自分の順番を待ちます。五人いたアーレンスバッハの文官見習い達のうち二人が追い出された以外には一人ずつ中に入っていきました。やはり、入る直前で動きを一度止めながら。
「あの向こうに何があるのでしょう? 必ず皆が動きを止めますよね?」
扉は開いているのですが、最奥の間は複雑な色の魔力の膜がかかっていて、奥が見えないようになっています。わたくしの前に入ったお姉様も同じように動きを止めました。
「次の方」
フィリーネ様に声をかけられ、わたくしは木札を胸の前で握りしめて進みます。扉の左右に立っている中央の騎士団が非常に怖いのですけれど、なるべく俯かないように気を付けます。
スッと膜を通り過ぎようとした途端、奥の光景が見えて、わたくしは皆と同じように足を止めてしまいました。
……どういうことですか!? 王族がこれほど揃っているなんて聞いていません!
中に入った途端、目に入ったのは黄色く透き通った半球状の物の中にずらりと並んでいる王族でした。一番手前には神殿長の衣装をまとっているローゼマイン様のお姿があります。
心臓が止まってしまうのではないか、と思うほどの衝撃に動きを止めていると「許可証をお出しくださいませ」とすぐ横から声がかかりました。わたくしは呆然としたまま、ダンケルフェルガーのクラリッサ様に許可証を渡します。
「これはシュツェーリアの盾で、中にいる者に敵意や害意を持つ者を入れないための神具です。護衛騎士も入れない中で儀式を行うので、このように選別させていただいています。どうぞ中に入って、ご挨拶を」
ローゼマイン様は微笑みながらそう言い、一歩脇に下がりました。左端からエグランティーヌ様、アナスタージウス王子、そして、トラオクヴァール王、アドルフィーネ様、ジギスヴァルト王子、ナーエラッヒェ様、が並んでいます。
まさか中位領地の上級貴族であるわたくしが直接王族にお目通りすることがあるとは夢にも思いませんでした。トラオクヴァール様はグルトリスハイトを持たぬため、ツェントに相応しくないと負け組領地では蔑まれていることが多いのですけれど、王族としての威厳がおありです。わたくしは足がガクガクと震えるのを堪え、ゆっくりと御前に跪きました。
「命の神 エーヴィリーベの厳しき選別を受けた類稀なる出会いに、祝福を祈ることをお許しください」
「許す」
王の声は予想以上に優しく響き、わたくしは少しだけ安心した心地になりながら祝福を贈り、挨拶しました。
「ヨースブレンナーのリュールラディと申します。ツェント・トラオクヴァールにお目にかかれたこと、心より光栄に存じます」
「本日の協力に感謝する、リュールラディ」
王に名を呼ばれて感謝されることになるなんて、全く考えていませんでした。わたくしのような上級貴族には光栄すぎて言葉が出ず、ローゼマイン様に促されなければその場で感激の涙を流していたかもしれません。
「リュールラディ様、ハルトムートが案内いたします」
促されて立ち上がると、青色神官の服をまとったハルトムート様がいらっしゃいました。貴族院を卒業した貴族が何故青色神官の服を着ているのでしょうか。入った途端に王族がずらりと並んでいた衝撃を何とか乗り越えたかと思えば、新しい衝撃にわたくしは目眩がするのを感じます。
「ハルトムート様、その衣装……」
「私は神殿長ローゼマイン様を支える神官長ですから。それに、私だけではありません。ヴィルフリート様もシャルロッテ様もお召しです。本日は特別ですが、本来、ローゼマイン様の行う奉納式は青色をまとう神官と巫女しか入れない儀式なのです」
皆に蔑まれている神殿の衣装を誇らしそうに見下ろしながらハルトムート様は去年と全く変わらない笑顔を浮かべました。ローゼマイン様の素晴らしさを語る時と同じ笑顔です。嬉々として神殿に向かっている姿が思い浮かんだのですが、貴族としてあり得ません。わたくしは首を振ってその考えを振り払いました。
「ここで待機してください」
ハルトムート様に案内されたのは赤い敷物が敷かれたお姉様の隣でした。中央を広めに円状に空けて、中心に近い方が上位領地、外になるほど下位領地になるように配置されています。完全な円ではなく、一部が真っ直ぐに開けられているところから考えると、挨拶を終えた王族が中央に移動するのではないでしょうか。
「本当にエーレンフェストの領主候補生は全員が神殿に出入りしていたのですね」
ハルトムート様が次に入って来たルストラオネを案内するために立ち去ると、お姉様が小さな声でそう言いました。
わたくしは改めて部屋の中を見回し、ハルトムート様のお言葉通り、ヴィルフリート様とシャルロッテ様が青色の衣装を着ているのを見つけました。着ている衣装を見れば、今日のために急いで借りてきた物なのか、誂えた物なのかすぐにわかります。成長途中のお二人の衣装はきちんと誂えられた物で、しかも、完全には新品ではなく、何度か袖を通していることがわかる物でした。
「実子と扱いに格差があるという噂はともかく、エーレンフェストでは領主候補生が神事を行っているのは間違いないようですね」
そう呟いた瞬間、ぶわっと突然風が吹いてきました。何事だろうか、と顔を上げれば王族を守るシュツェーリアの盾に弾かれた者がいたようで、エーレンフェストとダンケルフェルガーの騎士見習い達に連れ出される様子が見えます。
「私は敵意など持っていませんっ!」
「王族ではなく、わたくしに対する敵意でしょうか? けれど、今回の儀式はご遠慮くださいませ。護衛騎士を付けぬ儀式の場に敵意や害意のある方は困るのです」
ローゼマイン様はおっとりとそう言いながら連れ出される学生を見送りました。
連れ出されている者はローゼマイン様か王族のどちらかに敵意を抱いているそうです。それが本当なのか確認する術もないように思えるのですけれど、何故確信が持てるのでしょうか。
「大丈夫でしょうか? 本当でなければ大変ですよね? 敵意があるかもしれない、と王族に注視されるわけですから」
「けれど、明確に弾かれています。上位領地ではアーレンスバッハの二人だけでしたが、二人はローゼマイン様に明確に敵意があったことを本人が述べていました。けれど、先程の彼は政変に負けた領地の者です。これから先は何人も弾かれる可能性がございます」
ルストラオネの言葉通り、その後に入って来た者は何人も弾かれました。お茶会で政変に負けたことで順位が下がったり、領地が荒れたりしたことに対する不満を漏らしていた領地に偏っていたことから、王族に対する敵意があったのだと思います。
……ローゼマイン様は「わたくしに対する敵意だと存じますけれど」とおっしゃいますけれど、そうでないことは王族の方々がよくご存じでしょう。
何人かが追い出され、長い時間をかけた全員の入室が終わりました。壁際に立っていたダンケルフェルガーの領主候補生の二人を残し、エーレンフェストとダンケルフェルガーの騎士見習い達が退室して行きます。そして、文官見習い達はぴったりと扉が閉ざし、わたくし達と同じように位置につきました。
「では、中央へお進みくださいませ」
ローゼマイン様のお言葉で王族が順番に歩いて真ん中の空いているところへ歩きます。ローゼマイン様は王族が移動するのを待って、シュツェーリアの盾を消しました。
「では、これから奉納式を行います」
ヴィルフリート様から奉納式の説明があり、これから行う儀式が全員から魔力を集めて王族に献上する儀式であることを初めて知りました。
……そんな儀式のどこが共同研究なのですか!? どの領地も魔力不足だというのに、わたくし、騙されてしまったのではありませんか!?
わたくしの心の声は周囲の皆と同じだったようです。バッと顔を上げた皆を見回しながらシャルロッテ様が口を開きます。
「この共同研究はダンケルフェルガーやエーレンフェストの学生が神々の御加護を複数賜ったことから始まりました。神々に祈りを捧げる儀式を定期的に行っているという共通点から、祈りや儀式が大事なのではないかと仮説が立ったのです」
文句を言いかけた皆が口を閉ざしました。エーレンフェストの三年生に複数の加護を得た者がいることは知っていましたが、儀式との関係は知りませんでした。実際に下級貴族の一人は適性ではない属性から加護を得て、ある中級貴族は全属性になったというのです。
「エーレンフェストの神殿で神事を行っているお兄様とお姉様はそれぞれ十二と二十一の御加護を賜りました」
「私の体感ですが、これまでの七割ほどの魔力で調合などができるようになりました。魔力不足の時世では重要な研究になると思っています」
実際に十二の加護を得たヴィルフリート様の言葉には力がありました。調合をするにも魔力の消費が少なくて済むのならば、それは魔力が増えたのと同じではありませんか。
壁際に立ったままのダンケルフェルガーのレスティラウト様も口を開きました。
「参加するにあたってディッターの儀式を行ったダンケルフェルガーが神々の祝福を得た光景を見た者は多かろう。儀式によって力や速さが大きく変化することが確認された。これはこの研究の成果である」
ダンケルフェルガーが恐ろしいほどにディッターが強かったのは儀式による神々の祝福もあったようです。
目を瞬いていると、ハルトムート様が手に鈴のような物を持って中央にゆっくりと進み始めました。歩みに合わせて朗々とした声が部屋の中に響きます。
「初代王は神殿長でした。ツェントが、そして、アウブが神殿長として神々に祈りを捧げることが当然だった時代があったのです。今回の儀式に参加することで神々の力を身近に感じ、神殿の在り様を見直したり、神々の御加護を得る者が少しでも増えたりすることをローゼマイン様はお望みです」
わたくしは思わずローゼマイン様のお姿を探しました。シュツェーリアの盾を消したローゼマイン様は扉の前で静かに佇んでいます。自分達だけで独占するのではなく、皆が神々の加護を得られるように、という心映えがとても美しく思えました。ハルトムート様が「エーレンフェストの聖女」だと自慢するお気持ちが少しわかります。
「奉納式を行います。その場に跪き、赤い敷物に手を付けてください。そして、神殿長であるローゼマイン様のお祈りを復唱してください」
ハルトムート様の指示に従って、思い思いに座っていた皆が跪く体勢を取り、床に手を付けました。王族も同じ体勢を取っています。ヴィルフリート様とシャルロッテ様が中央から端の方へ移動して跪くのが見えました。
立っているのが壁際のダンケルフェルガーの領主候補生二人と中央のハルトムート様、そして、扉の前のローゼマイン様だけになったところで、シャン! と大きく鈴の音が鳴りました。
「神殿長、入場!」