Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (503)
乱入者
「エーレンフェスト、一旦盾に戻ってください! 怪我人も連れて戻って!」
相手が何を考えているのか、どれだけの準備があるのかわからない。そして、エーレンフェストの騎士見習い達はダンケルフェルガーとの戦いでボロボロだ。競技場内で倒れている騎士見習いもいるくらいだ。何をどうするにも癒しは必要である。
多少の怪我をしていようとも自力で動ける者達が怪我人を回収してシュツェーリアの盾に戻って来る。
ダンケルフェルガーの騎士見習いによって光の帯でぐるぐる巻きにされたユーディットも回収された。光の帯を使った者よりも魔力が高い者でなければ、切ることができない。わたしはユーディットを縛っている光の帯をメッサーで切った。
「ローゼマイン、ハンネローレ様もこちらで保護して良いだろうか? あちらの陣に一人で置き去りにされていたのだ」
「すぐにお入りくださいませ、ハンネローレ様。護衛騎士は何をしているのですか!? 乱入者を排除するより先にやるべきことがあるでしょう」
わたしは次々と攻撃魔術が降り注いでくる上を睨み上げてそう言うと、ヴィルフリートとハンネローレが入れる場所を開ける。
「癒しをかけます」
わたしは「シュトレイトコルベン」と唱えてシュタープをフリュートレーネの杖に変えると、その場に集う皆を一気に癒した。緑の光の柱が立ち、上空ではどよめきが起こる。このディッターに参加していたダンケルフェルガーやエーレンフェストにとっては見慣れてきた光の柱であるけれど、上空に集っている者達はどうやら光の柱を見ていない者達のようだ。
頭の冷静な部分でそんなことを考えながら、わたしは盾の中にいる騎士見習い達を見回す。気を失っていたブリュンヒルデも意識を取り戻したようだ。起き上がり、土や草が付いている自分の髪にほんの少し顔をしかめたブリュンヒルデはヴァッシェンで洗浄している。
……貴族は手でパンパンって汚れを払うんじゃなくてヴァッシェンするのか。
女子力の差が露わになった。すぐに綺麗になって、いつもどおりの様子を見せるブリュンヒルデに安堵していると、一瞬視界が点滅したように感じた。
「え……?」
ほんの一瞬だったけれど、身体が不調を訴え始めたに違いない。わたしは自分にあまり時間が残されていないのを悟る。
早くこの乱戦を終わらせなければと思いつつ、わたしは周囲の騎士見習い達を見回した。ルングシュメールの癒しで怪我は治ったはずだけれど、魔力の回復はまだ終わっていないはずだ。
「魔力の回復は各自回復薬を使ってください。それから、回復薬と魔術具の残りを確認して……」
やるべき指示を出していると、観客席から「危ないっ!」とか「きゃああぁぁ!」と口々に大きな悲鳴が上がる。急いで周囲を見回すと、ダンケルフェルガーの騎士見習いが一人、騎獣を失って墜落してきた。
ドッと鈍い音を立てて地面に叩きつけられた騎士見習いはピクリとも動かない。
「きゃっ!?」
「すぐに癒しを行います! 護衛を」
わたしが騎獣の魔石に手を触れるのを見たユーディットは即座に盾を出し、レオノーレは騎獣を出す。騎獣に飛び乗りながらレオノーレが盾の中を見回した。
「マティアス、ラウレンツ! ぼんやりしないで!」
わたしは自分の騎獣に乗ると、ダンケルフェルガーの騎士見習いのところへ向かう。本当ならば盾の中に連れて来てもらえれば一番良いのだが、衝撃に強い魔石の全身鎧で守られているとはいえ、あれほどの高さから墜落したのだ。頭を打っている可能性は高く、安易に動かすのは危険だ。
「ローゼマイン様が危険を冒してダンケルフェルガーの騎士見習いを救うのですか!?」
「目の前に怪我人がいて、わたくしには癒す力があるのですから行動するのは当然ではありませんか」
わたしが騎獣から降りて護衛騎士達の盾に守られながら指輪でルングシュメールの癒しを与える。ふわりと小さな緑の光を注いでいると、不意にラウレンツが「誰か嘘だと言ってくれ」と呟いた。
ラウレンツを見上げれば、護衛騎士達は揃って上空を見ている。何があるのかと目を凝らせばその上空に向かって、ダンケルフェルガーの観客席から次々と騎士見習い達が移動し、上空の乱戦に参戦し始めるのが見えた。
「いくらダンケルフェルガーには戦力があるからといっても、観客席から参戦すればどうなるか……」
恐れを含んだマティアスの言葉が終わるよりも先に、上空から競技場に向かって降り注いでいた攻撃魔術が観客席にも向かい始める。
「シャルロッテ!」
武寄りの文官や側仕えもいて、観客席に残っている全員がすでに守りの盾を張っているダンケルフェルガーと違って、エーレンフェストの観客席にいる者は非常に戦闘能力が低い。
魔術具調合のためにハルトムートから魔力を搾り取られてへろへろの文官見習い達、盾の出し方は知っていても戦闘訓練を受けていないため、咄嗟には使えない側仕え見習い達。多少戦闘の心得はあってもディッターには参加できない低学年の騎士見習い達。そして、領主候補生のシャルロッテである。
わたしの悲鳴の直後、焦りが窺えるヴィルフリートの声がシュツェーリアの盾の中で響いた。
「回復した騎士見習いはエーレンフェストの観客席を守りに行け! こちらに連れてくるのだ。回復中の者はここに残ってこちらの護衛を!」
「はっ!」
回復を終えたらしい騎士見習い達が一斉に観客席へ向かって飛び始めた。皆で盾を張って、守りながらシュツェーリアの盾に合流してくれれば少しは守りやすくなるだろう。
大丈夫だ、とわたしは自分に言い聞かせ、目の前の怪我人に集中した。
「……あ、私は……」
ダンケルフェルガーの騎士見習いが意識を取り戻した直後に飛び起きる。思わぬ動きにビクッとして、わたしはその騎士見習いのマントを引っ張った。
「今まで意識を失っていたのです。もう少し安静に……」
「いえ、聖女の癒しで傷は癒えました。問題ありません。心よりお礼申し上げます」
その場に一度跪いて礼を述べた騎士見習いは、礼を述べた直後にまた上空へ向かっていく。
それを見上げていると、目の前がまた点滅した。ほんの数秒間のことだが、視界が白と黒で点滅し、周囲が色を失ったように見える。回復薬を立て続けに二種類使って魔力の回復を行い、次々と魔力を使っているせいだろう。
騎士見習いが元気になって良かったと思うのと同時に、慌てて安全な盾の中から飛び出して癒す必要はなかったのではないか、と何だか釈然としない気持ちになった。
「ローゼマイン様、お顔の色があまりよろしくございません。盾に戻りましょう。同乗してくださいませ」
レオノーレが少し硬い表情でそう言って、わたしを抱き上げるとシュツェーリアの盾に戻り始める。
「ローゼマイン様、回復薬は……?」
「すでに飲み過ぎているのです」
レオノーレはわたしを抱えている腕に少し力を入れた。今、わたしがこの場を放り出して寮に戻るわけにはいかない。シャルロッテ達が盾に移動し始めた。非戦闘員達の安全はシュツェーリアの盾にかかっているのだ。
わたしが戻ると、シュツェーリアの盾の中ではヴィルフリートが必死に上空の乱戦を止めようと奮闘していた。
「ハンネローレ様、この有様ではディッターは無効でしょうし、海の女神の儀式で彼等の興奮を鎮めていただいてよろしいですか?」
「えぇ。すでにディッターは終わっていますから、それが良いでしょう」
憂い顔で上を見上げていたハンネローレがヴィルフリートに同意する。
「では、ハンネローレ様が儀式を行う間、攻撃が降って来ないように、我々で広域のヴァッシェンを行います。イージドール、ブリュンヒルデ。魔力は大丈夫だろう?」
イージドールに「広範囲魔術の補助具を取ってくれ」と声をかけ、ここにいる騎士見習い達の中で誰をハンネローレの護衛に付けるか、とヴィルフリートが盾の中に残っている騎士見習い達を見回す。
突然カァン! と大きな金属音が鳴り響き、「傾聴!」とルーフェンの声が大きく響いた。
「きゃっ!?」
「わっ!?」
ビクッとしたわたしやヴィルフリートと違って、周囲の騎士見習い達は一斉に姿勢を整え、上空のルーフェンへ視線を向ける。上空で混戦状態になっていた騎士見習い達も即座に攻撃を止めて姿勢を正した。
「こちらが要請しておらず、オルドナンツで確認したところ、王族より命令もない状況ではありませんか! 何故中央騎士団が貴族院にいるのですか!? そして、何故ディッターの邪魔をされるのです!?」
ルーフェンの怒りに満ちた声が響いた。上空の色とりどりのマントの中に、よく見てみれば黒のマントがいくつかある。ダンケルフェルガーのディッターに乱入するなんてずいぶんと命知らずな領地が多いと思ったけれど、中央騎士団の後押しがあったようだ。
「王族はエーレンフェストの聖女がダンケルフェルガーに移るのを憂えていらっしゃる。王族の憂いを払うのが騎士団の役目だ」
「おう!」
黒のマントをまとう騎士達が力強い声を上げると、中小領地の者達も加勢して同じように声を上げる。
「これは王族の望みなのです」
「勝利すればエーレンフェストの聖女を手に入れられるのです」
自分達を正義と称する中央騎士団の言い分と、煽られて行動を起こしたらしい中小領地の騎士見習い達にルーフェンは愕然とした顔になった。
「そのような理由で王命もなく、出撃したのですか!? どう考えてもおかしいではありませんか!」
「中央騎士団はツェントの騎士! ツェントの憂いを払う者! ツェントに敵対する者を滅ぼす者! 敵対する者は滅ぼせ!」
騎士の一人がルーフェンに向かって攻撃をする。中央に移籍し、同じく黒のマントをまとっているルーフェンに対する攻撃に周囲が呆気にとられた。ルーフェンだけは自分に向かってくる攻撃を即座にかわし、自分の生徒達を見回す。
「王命はない! 私は確認した! これ以上騎士団に加勢した場合は庇いきれぬ! 其方等は引け!」
ルーフェンは中央騎士団を相手にしながら、色とりどりのマントをまとう学生達に命じた。王族に加勢したわけではなく、自分達が罰せられる可能性があることを示唆された中小領地の騎士見習い達は蜘蛛の子を散らすように飛び去って行く。
一気に上空を埋めていた影が減り、残っているのは黒いマントをまとう中央騎士団の騎士が三名とルーフェン、そして、青いマントをまとうダンケルフェルガーの騎士見習い達だ。
「王命もなく、ディッターに乱入してくるなど言語道断! 縛り上げてツェントの前に引きずり出せ!」
レスティラウトの声にダンケルフェルガーの騎士見習い達が応じて、中央騎士団を捕らえようと戦い始める。けれど、中央騎士団は優秀さが認められ、中央へ移籍した騎士達の集まりである。いくらダンケルフェルガーとはいえ、学生である彼等は中央騎士団に敵わない。捕らえるには相手を上回る魔力が必要なのだ。
騎士を捕らえることができるのは成人間近の領主候補生であるレスティラウトくらいである。
ルーフェンや数に任せた騎士見習い達が一人の騎士を追い詰めていき、レスティラウトが捕えているのが見えた。
「ローゼマイン様ならば、捕らえられるのではございませんか?」
「残念ながらもっと近付かなければ届きませんし、今のわたくしにはシュツェーリアの盾を維持するので精一杯なのです」
期待されてもできることとできないことがある。むしろ、誰かにシュツェーリアの盾の維持を交代してほしいくらいだ。妙な吐き気がし始めた。正直なところ、もうこれ以上魔力を使いたくない。
そう思いながら上空を睨んでいると、黒のマントが大量にやって来た。騎士団への援軍かと思わず身構える。
「ルーフェンからオルドナンツを受けて急ぎ来てみれば、これは一体何の騒ぎだ!?」
増加した黒いマントから聞こえたのはアナスタージウスの声だった。本当に王族からの命令は出ていないようだ。アナスタージウスはあと二人になって追い詰められている中央騎士団の騎士を光の帯で縛り上げる。さすが王族。魔力は多いようだ。
「話を聞きたい。ダンケルフェルガーとエーレンフェストの領主候補生とその側近、及び、寮監の二人はここに残れ! それ以外は解散!」
できることならば、日を改めてほしいところだが、ルーフェンのオルドナンツによって緊急の呼び出しを受けたらしいアナスタージウスは、この場で全員の話を聞くことにしたらしい。
アナスタージウスの登場で上空の争いが収まったことに安堵したわたしは、気が緩んだせいで一気に具合が悪くなってきたことを自覚する。シュツェーリアの盾を消して、魔力を消費する物がなくなったのに気分の悪さは悪化するばかりで改善しない。
……王族の前で倒れるのはまずいんだよね? どうしよう?
「姫様!」
シャルロッテ達と一緒に観客席から移動してきたリヒャルダが、わたしを見て目を剥くと、素早くこちらに駆け寄って来た。
「すぐに寮へ戻りましょう。こちらの始末はヴィルフリート坊ちゃまとシャルロッテ姫様にお任せなさいませ」
「ですが、当事者のわたくしはアナスタージウス王子に残るように言われました。王族の命令に反することになりますよ」
わたしの言葉にリヒャルダは厳しい顔つきで首を横に振った。
「姫様が意識を失えば、話を聞くことができなくなるのですから、同じことではありませんか。この場は理由をお話しして寮に戻りましょう。これ以上王族の前で意識を失うような失点を重ねる方が大変です」
リヒャルダにそう言われ、わたしはアナスタージウスに寮へ戻りたいと申し出る。わたしを見たアナスタージウスは何かを思い出したようにものすごく嫌そうな顔をした後、わたしを追い払うように手を振った。
「その顔を見れば具合が悪いのはわかる。さっさと戻れ」
「恐れ入ります。アナスタージウス王子の寛大なお心に……」
吐き気を堪えながら跪いてお礼を言っていると、アナスタージウスが苛立ったような声を出して「エーレンフェスト、早くローゼマインを連れ出せ!」と命じた。わたしはすぐさまリヒャルダに抱き上げられる。
「ディッターを把握していたレオノーレ、マティアス、盾の中でずっと共にいたブリュンヒルデ、観客席から見ていたローデリヒは残ってわたくしの代わりにアナスタージウス王子にお話を……」
競技場から連れ出されながら、わたしが命じる。リヒャルダの肩越しにアナスタージウスの呆れ返ったような顔が見えた。
寮に戻ると、早速リヒャルダに「上から見えましたよ。回復薬を規定以上飲まれましたね」と叱られた。
「どうしても負けられない勝負ではございましたけれど、姫様の癒しを受けたり、回復薬を飲んだりできる騎士見習い達よりも、フェルディナンド様によって薬の量が厳密に定められ、自分自身を癒すことができない姫様の方がよほど御自分を大切にしなければなりませんよ」
効力の弱い回復薬で十分に回復できる騎士見習い達は何本でも回復薬を使えるが、フェルディナンド製の回復薬でなければほとんど効果がないわたしは飲み過ぎても体調を崩すから、と用量が決められている。
「回復薬の飲み過ぎでこの状態になった可能性が高い以上、今の姫様にこれ以上お薬を飲ませることはできません。症状が緩和するまで寝ているしかございませんね」
リヒャルダとリーゼレータに手早く着替えさせられ、ベッドに放り込まれる。ゆっくりと体を横たえることができる状況にわたしは目を閉じた。
わたしが動けるようになった時には三日ほど過ぎていたようだ。元気になった姿を見せるため、食堂で皆と食事を摂り、アナスタージウス達との話し合いの結果報告を聞くために小さな会議室へ移動した。
この場にいるのはヴィルフリートとシャルロッテとわたしとその側近達だ。
「中小領地や中央騎士団の乱入があったため、エーレンフェストとしては無効試合だと判断していたのだが、ダンケルフェルガーによると審判の指示がなかったため、試合は続行中でハンネローレ様が危険から逃れるために其方の盾に入るために陣を出た時点で勝負が付いたと言っていた」
このような勝ち方は非常に不本意なのだが、とヴィルフリートは言っているけれど、あちらが敗北を認めるならば、それで良いと思う。
「エーレンフェストにはあのような大規模なディッターを二度も三度もやり直す体力はございません。あちらが敗北だと感じているならば、それで良いではありませんか。ただ、ヴィルフリート兄様がおっしゃる通り、勝ち方があまりにも微妙なので、ハンネローレ様のお嫁入りに関しては取り止め、わたくし達の婚約解消をきっちりと諦めてもらえれば良いのではありませんか?」
わたしの提案にヴィルフリートはホッとしたように表情を和らげた。
「うむ。それが適当なところであろう。ディッターの勝負は神聖だとか、決まったことは実行するとか、ダンケルフェルガー側が言っていたが、それは領地対抗戦でアウブと交渉すれば良いのではないか」
ディッターを神聖視するダンケルフェルガーとの交渉は非常に面倒そうだが、こちらが勝利したことになっているのだから、交渉次第で何とかなるだろう。
「だが、以後、婚約解消に関する問題を起こさぬように、とアナスタージウス王子よりきつく申し渡された。次に事を起こせば、其方は王命によって王子に嫁がされることになる」
「はい?」
「……其方を守るには私は無力だと感じた」
ヴィルフリートがそう言って、肩を落とす。
「実は、ヒルデブラント王子より今回のディッターに関するお話があったそうです」
王命によって婚約者の決まっているエーレンフェストの聖女をダンケルフェルガーが奪おうとしている、というヒルデブラントからの訴えがあったらしい。アナスタージウスは王命ではなく、婚約の許可であることと、アウブ・エーレンフェストの決定によっては取り消しが可能であることを教えて、王族が口を出せることではない、と諭したそうだ。
「エーレンフェストがお姉様を他領に出す決意をされるならば、王族に欲しいと考えられていらっしゃるようですけれど……」
ダンケルフェルガーがディッターで勝ち取ったものを王族が横から取り上げるのは難しいこと、それから、領主候補生であるフェルディナンドを王命によってアーレンスバッハへ向かわせたため、これ以上領主候補生を減らせばエーレンフェストの礎の魔術に影響が出ることを懸念して、王族はわたしを召し上げるのを断念したらしい。
「だが、二度目はないそうだ。今度同じように貴族院中を騒がせるような事態になった時には王族で保護する、ということだった」
守りきれなかったと落ち込んでいるのはヴィルフリートだけではない。わたしの側近達も同じだ。
「今回は見逃してもらえたようなので、二度と起こさないようにすればよい、と前向きに考えましょう。それよりも、乱入してきた騎士や領地はどうなりましたか?」
わたしの言葉にヴィルフリートが表情を改めて背筋を伸ばす。
「ツェントの名を使われたため、中小領地に関しては不問とされることになった。ルーフェン先生がずいぶんと尽力されたようだ。そして、中小領地を扇動し、ディッターに乱入してきた中央騎士団の騎士達にはツェントより厳罰が下されることになった。王族の名を騙って学生達を煽ったのだ。これまで忠臣だと信じていらっしゃったツェントのお怒りと落胆は非常に深い」
「……忠臣である騎士達が王命もなく勝手に動くなど、おかしいと思うのですけれど」
わたしの言葉にマティアスが発言の許可を求めて挙手した。わたしが許可を出すとマティアスが「確たる証拠はないのですが」と前置きをした上で口を開く。
「トルークが使われた可能性があります」
「トルークというと……まさか!?」
トルークはゲオルギーネ派の集会で使われたと考えられている薬で、記憶を混濁させて幻覚を見せるような作用のある強い植物だったはずだ。
「アナスタージウス王子にご挨拶のために近付いた時、縛られていた騎士達から甘い匂いがしました。その時は何の匂いだったのかわからなかったのですが、寮に戻って来て、暖炉を見て思い出しました。あまりよく嗅いでいないので、間違いの可能性はあります」
「けれど、マティアスはほぼ間違いないと思ったから、発言したのでしょう?」
慎重派のマティアスは思ったことを何でも口にする方ではない。どちらかというと、熟考を重ねてある程度の確信がなければ口には出さないはずだ。
「彼等の記憶を覗いてみればはっきりとするかもしれません」
記憶を歪めるトルークが使われていれば、三人の騎士達も操られていた可能性が出てくる。王族はすでにトルークの情報をつかんでいるだろうか。流した方が良い情報なのだろうか。
「……貴族院や中央ではトルークがありふれていると思いますか?」
「ありふれているならば、危険な作用がある植物として、もっと皆に広く知られていると思います。おそらく、どこかの領地特有の植物ではないでしょうか」
薬学に関する講義を取っているシャルロッテの文官見習いが首を振って否定した。どこかの領地特有の物ならば、王族や中央が絶対に知っているとは限らない。
「養父様に許可を求めた上で、王族にトルークが使われている可能性を伝えましょう」
そう言って立ち上がりながら、わたしの胸にひやりとした不安がよぎる。
これほど近い期間にトルークを使ったのではないか、と思われる事件が出てくるのは、偶然の一致だろうか。
中央騎士団の騎士を操ることができる立ち位置の者とゲオルギーネが繋がっている可能性はないだろうか。仮にそうだとすれば、ゲオルギーネがエーレンフェストに戻ることは、わたし達が考えているよりもずっと容易くなるのではないだろうか。
わたしは手を上げて、虹色魔石の簪に触れる。魔石が揺れる感触に胸が騒いだ。