Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (505)
ライムントの研究とヒルシュールの注意
トルークに対する返事は翌日の朝にエーレンフェストから届いた。夕方に出したお手紙の返事が朝一番に届いたのだ。よほど重視していることがわかる。
「ヴィルフリート兄様、何と書かれていたのですか?」
「王族に話をするのはアウブが行うので余計なことはするな。手紙などを送っても検閲がある以上、トルークを使用した者に情報が筒抜けになる可能性もある。ついでに、エーレンフェストの内情をどこまで暴露するのかわからない其方等にはとても任せられない……と書かれている」
なるほど、と納得せざるを得ない理由だ。エーレンフェストの文官にもトルークに思い当たる者がいたのだから、同じ世代の文官ならば中央にはもっとよく知っている者がいる可能性もある。
「何よりも中央の騎士に対して本当にトルークが使われたとすれば、中央騎士団の内部か、そこに近付ける中央の中心人物に危険な者がいるということだ。其方等にこれ以上の危険はいらぬ、だそうだ。領地対抗戦の折、ローゼマインが星結びの儀式を行うことについて王族と話し合う必要があるため、その時に直接お話をするらしい」
ヴィルフリートが読み上げたお手紙の内容に頷き、わたしはトルークのことは養父様に任せることにした。確かにどこでどのように知ったのか、と問われればゲオルギーネに関することを話さなければならなくなるだろう。けれど、この冬の粛清については詳しいことを知らないし、これまでに起こったことも何をどの程度喋って良いのか悪いのかわからない。余計なことまで喋ってあちらこちらから叱られる結果になる気がする。
「とにかく余計なことはするな、と何度も書かれている。気を付けるのだぞ、ローゼマイン」
「わかっています。今日はヒルシュール先生の研究室へ行って、アーレンスバッハとの共同研究の最終確認をしてきます」
「うむ。私はドレヴァンヒェルとの共同研究の手伝いをするつもりだ。紙の品質を上げるには魔力が多くあった方が良いらしいからな」
わたしはフェルディナンドに届けてもらうためのお手紙を持って、ヒルシュール研究室へ向かった。今日、一緒に向かうのはリーゼレータとグレーティア、護衛騎士のテオドールとラウレンツだ。
その他は皆、領地対抗戦の準備に大忙しなのである。ブリュンヒルデは側仕え見習いの中心人物だし、文官見習い達はダンケルフェルガーとドレヴァンヒェルとの共同研究に引っ張りだこだ。そして、リヒャルダはエーレンフェストと連絡を取りながらフェルディナンド達のお迎え準備に奔走している。
「今日、レオノーレとマティアスは図書館へ魔物の研究に行っています。去年はレオノーレの知識で何とか勝てたようなものですから。ユーディットは遠距離射撃の練習をしています。彼女の命中率でずいぶんと状況が変わりますから」
ラウレンツの言葉にテオドールがちょっとだけ誇らしそうに笑って頷く。皆が頑張っているのだ。わたしも頑張らなくてはならない。
「ヒルシュール先生はいらっしゃいますか?」
リーゼレータが来訪を知らせて声をかけると、領地対抗戦の発表に向けて研究室に籠りきりなのだろうか、ライムントがぼさぼさになっている黒髪を急いで撫でつけながら出迎えてくれる。
「大変申し訳ございませんが、もう少々お待ちください。今、見苦しくないように整えている最中なのです」
そう言っているライムントの視線はわたしの背後にあるワゴンに釘づけだ。完全に餌付けされているように見える。ライムントが扉を閉めると、リーゼレータがクスリと笑った。
「研究室に向かうとローゼマイン様がおっしゃった昨夜と今朝にオルドナンツを送ったのですけれど、まだ片付いていないのですね」
きっと研究を優先していて、今朝のオルドナンツで慌てて片付け始めたのだろう。
再び扉が開けられた時には二人とも身綺麗になっていた。わたしは中に入ると、早速ライムントに進捗状況を尋ねた。
「フェルディナンド様からお手紙をいただきました。ライムントの研究は順調ですか?」
「録音の魔術具と図書館の魔術具についての発表を許されています。できれば、こちらをローゼマイン様に作成していただきたいと思います」
設定した時間になれば光る魔術具の他に、シュバルツ達の研究の一環で本や資料の検索をする魔術具ができたらしい。シュバルツ達のように動いたり喋ったりさせなければ、かなり魔力の節約になるようだ。
「この辺りはわたくしの研究でもあるのですけれど、今年はエーレンフェストの研究が賑わっていますからね」
例年はエーレンフェストのところで研究発表をしているヒルシュールだが、今年は共同研究がいっぱいなので、ライムントのところに便乗することにしたらしい。
「これらは貴重な研究ではあるのですけれど、少々地味なのですよ。神々の御加護を得るための研究やエーレンフェストの紙を使った新しい魔術具に比べると、人を引き付ける力はありませんね。図書館の役に立つ魔術具を作ったところで、図書館がそれほどないのですから」
資料自体が少なくて管理もそれほど大変ではないため、本や資料を検索するための魔術具は研究者くらいしか興味を持たないだろう、とヒルシュールが言う。わたしはとても嬉しいけれど、目玉にする研究としては人目を引く物ではないそうだ。
「つまり、図書館を増やせばよいということですね。これからわたくし……」
「図書館の増加は時代の流れに任せれば良いのです。それよりも早く試作品を作ってくださいませ」
……それよりってひどいよ。
わたしの図書館増加計画は口にする前からヒルシュールにピシャリと遮られ、わたしは肩を落としながらライムントに視線を向ける。
「ライムント、エーレンフェストではドレヴァンヒェルとの共同研究の中で書箱に自動的に戻る本の作成をしたいと考えているのです。以前、わたくしが作成してライムントに添削してもらった魔法陣を使いたいと考えているのですけれど、よろしいかしら?」
「エーレンフェストの紙を使って、ローゼマイン様の魔法陣を使うのですから、私の許可を得る必要などないと思いますが……」
本気でそう思っているらしいライムントが青い目を瞬いている。わたしはライムントが簡略化してくれたこと、そういう技術を誰でも持っているわけではないことを説明する。
「魔法陣改良はライムントが行ったことを明記しておきますね。こうして名を売っていかなければ、良いパトロンが付かず、研究者として大成しません」
中級貴族でも実家とそりが合わず、お金がないと言っている割にライムントは自分の技術や才能に無頓着だ。ベンノだったら「安易に無料で振りまくな!」と雷を落としているはずである。
「フェルディナンド様は貴族院で研究した技術や魔術具を売り払って、かなりの大金を手にしたと聞いています。ライムントは安売りしないように気を付けた方が良いですよ」
「……気を付けます」
「ローゼマイン様、お金の話はもう結構です。フェルディナンド様やわたくしが行っているように研究費など自分の研究成果を売れば得られるではありませんか。領地対抗戦まで日がないのですから、そちらに集中なさいませ」
欲しい時に必要なお金が集められるだけの研究成果を残しているヒルシュールは十分にすごいと思う。かなり安売りしている気がして非常に気になるけれど、これ以上はわたしが口を出すことではない。
「フラウレルム先生にはどのように報告するのですか?」
「すでに試作品は見せていますから、これから先は特には報告することがありません。……先日、最終確認の意味でフラウレルム先生に報告した時が大変でした」
ライムントが考えて師匠であるフェルディナンドが確認している研究なので、エーレンフェストとの共同研究である必要はないと言ったらしい。わたしはそれほど研究に協力していないので、共同研究ではなく協力者とすればどうか、とライムントは言われたそうだ。
わたしの協力がなくては試作品を作れなかったことを訴え、ディートリンデ様やフェルディナンド様にも相談します、と軽く脅して事なきを得たらしい。
「わたくしの婚約者の名で行う研究発表ですよ、とディートリンデ様が味方してくださるので助かっています」
従姉弟会の後、ディートリンデはフラウレルムに「報告がきちんと届いていないせいで、次期アウブであるわたくしが恥をかいたではありませんか」と怒っていたそうだ。もしかしたら、それで慌ててフェルディナンドにも報告が行ったのかもしれない。
「ねぇ、ライムント。フラウレルム先生の寮でのお立場はどのような感じなのですか? そのような横暴なことをおっしゃって、アーレンスバッハの皆は納得しているのですか?」
「エーレンフェストやローゼマイン様が関わらなければ、それほど口うるさくもありません。何でも、エーレンフェストとローゼマイン様に陥れられて妹君が大変な目に遭ったそうです。ビンデバルト伯爵の連座で処罰されたと聞いています」
そして、エーレンフェスト出身のゲオルギーネがせめてもの罪滅ぼしに、とフラウレルムに色々と便宜を図っているらしい。
……ビンデバルト伯爵って誰だっけって思ったけど、あれだ。神殿で暴れたガマガエルっぽい貴族。あの関係者はダメだ。絶対に仲良くできないよ。
目の敵にされる理由がわかれば、近付かない方が良いことがよくわかって、こちらからも避けやすくなる。
「そのため、エーレンフェストに敵意を抱いている学生とはとても上手く付き合っているようです。ローゼマイン様のシュツェーリアの盾に阻まれて、儀式に参加できなかった学生とか……」
アーレンスバッハの文官見習い全員が弾かれたわけではないけれど、二人が弾かれていたはずだ。ライムントは言いにくそうに視線を逸らせながら、教えてくれた。
「弾かれた彼女達はずいぶんとローゼマイン様を悪しざまに言っていました。彼女達は元ベルケシュトックの貴族で、魔力の援助を断ったエーレンフェストとローゼマイン様に怒りを抱いているのです」
その上で、今回は王族の前で恥をかかされた、と怒っていたようだ。それをフラウレルムがわたしの悪口を含みつつ慰め、妙な結束を固めているらしい。
「もちろん、中に入れた文官見習いが儀式でどのようなことが起こったのか、神々の御加護を得るための有用性などを報告していたので、アーレンスバッハ全体がそのように考えているわけではございません。エーレンフェストの元神官長であり、神事をご存知のフェルディナンド様の価値は急激に上がりましたし」
「そうですか。わたくし、少しはフェルディナンド様のお役に立てたのですね」
ちょっと嬉しくなったわたしはリーゼレータへ視線を向ける。リーゼレータがさっと動いてライムントにお手紙を差し出した。
「こちらをフェルディナンド様に届けてくださいませ。領地対抗戦にいらっしゃるフェルディナンド様に持って来ていただく物についても書かれているので、なるべく早く届けてくださると嬉しいです」
ライムントが「わかりました。ローゼマイン様が調合している間に寮へ一度戻ります」と受け取ってくれる。ホッとしたわたしと違って、ヒルシュールは不思議そうに目を瞬いた。
「あら、フェルディナンド様は領地対抗戦にいらっしゃるのですか? 婚約者をエスコートされる卒業式だけではなく? アーレンスバッハには残ることができる領主候補生がいないでしょう? 何日もお留守にできるのですか?」
アーレンスバッハの領主候補生はディートリンデとレティーツィアで、フェルディナンドは執務を任されているとはいえ、まだエーレンフェストの領主候補生だ。病床のアウブと第一夫人のゲオルギーネが参加するのであれば、フェルディナンドが領地対抗戦に参加できるはずがない。
……それとも、予想以上にアウブのお加減が悪くて、ゲオルギーネ様とフェルディナンド様がいらっしゃるのかしら?
その際も社交の場に出られないほど体調が良くないアウブに留守を任せて外出ということになる。
「アーレンスバッハには上級貴族となった元領主候補生が何人かいるので、彼等が留守を預かることになります」
礎の魔術に魔力を注ぐことはできなくても、執務の手伝いや留守を預かることはできるとライムントが言った。
「外で政治的な活動をするには領主候補生の肩書が必要でも、領地内の留守番には特に必要ありませんから。礎の魔術も、一日や二日供給しなかったところでいきなり変化があるわけでもないと聞いています。違うのですか?」
「エーレンフェストでは何かあった時のために、礎の魔術に魔力供給できる者が必ず留守番をすることになっているようです。このようなところでもアーレンスバッハとエーレンフェストは違うのですね」
ライムントが出かけていくのを見送り、わたしは調合を始めた。今回はライムントの研究に便乗するヒルシュールの魔術具作成である。
自分で作ればいいのに、と思ったけれど、「領地対抗戦での発表が終わったら差し上げます。図書館の魔術具など、わたくしには必要ございませんから」と言われれば、張り切って作るしかない。
……わたしの図書館に資料の検索システムを入れるんだ!
ヒルシュールが準備する素材を入れて調合鍋に入れて掻き回しながら、わたしはヒルシュールとちょこちょこと話をする。共通の話題はフェルディナンドしかない。
「……そんなわけで、ディートリンデ様が卒業式の朝にお迎えに来てほしいとおっしゃったそうです。アーレンスバッハ寮に泊まれなくなったフェルディナンド様はエーレンフェストのお茶会室でお泊りすることになりました」
「あらあら、あのフェルディナンド様がそのようなおままごとにお付き合いされるなんて……」
ヒルシュールが苦笑する。わたしが「ディートリンデ様のご機嫌を取るのも大変ですよね」と呟くのと、「よほどエーレンフェストに帰りたいのかしら?」とヒルシュールが口にするのは同時だった。
「え?」
「そうでなければ、ディートリンデ様を口先一つで丸め込んでアーレンスバッハの寮に居座るなり、ここで研究でもしながらゆっくり過ごすなりするでしょう。お茶会室の長椅子で休むことになっても、エーレンフェストに戻りたいのでしょうね」
自分よりもフェルディナンドのことをよく知っているヒルシュールの言葉に、わたしは嬉しくて悲しいような不思議な気持ちになった。お手紙の端々に書かれている「研究がしたい」という文字は、捻くれ者のフェルディナンドにとっては「帰りたい」という言葉だったのだろうか。
「わたくし、フェルディナンド様を全力でお迎えします」
「では、こちらを渡してくださいませ。お借りしていたシュバルツ達の研究についての写本とわたくしが研究した追加資料です」
ヒルシュール研究室に泊まると研究に没頭して徹夜になりそうだ、とお手紙に書いていたフェルディナンドに研究資料を渡せというのは酷ではなかろうか。
「ヒルシュール先生はフェルディナンド様の睡眠時間を削るおつもりですか?」
「それはローゼマイン様ではございませんか? フェルディナンド様が頭を抱えそうなことばかりされたでしょう? 王族を招いての儀式にローゼマイン様のご婚約が賭けられたダンケルフェルガーとのディッター……とても一晩で足りないと思われませんか?」
お説教で睡眠時間を削られるよりは研究に没頭できる方がマシでしょう、と言われて、わたしはすぅっと血の気が引いていく。
「領地対抗戦と卒業式において王族が参加された儀式の話題が出ないはずございません。参加した学生から話を聞いただけの先生方の間でも詳しい発表が心待ちにされています。今年の領地対抗戦の研究発表で一番注目を集めている研究ですよ。フェルディナンド様はさぞ詳細を知りたがるでしょう」
「うぐぅ……」
わたしは再会した時から延々と叱られる自分の姿が思い浮かんで、憂鬱になってきた。何とか一言だけでも褒め言葉をもらわなければなるまい。
「あの、ヒルシュール先生。周囲の領地の評価や評判はどのようなものでしょう?」
リーゼレータがヒルシュールのためにお茶を淹れながら問いかける。
「奉納式の後、シャルロッテ様が参加されたお茶会では褒められたり、笑顔で擦り寄って来たりする領地が増えました。そして、ディッター勝負の後は悪い噂が全く聞こえなくなってしまったのです」
それはお茶会だけではなく、文官見習いや側仕え見習いが情報を集めようとしても同じらしい。儀式に参加したことで擦り寄って来る領地が出てくることは予想できたけれど、気持ちが悪いほどに突然悪い噂の方が聞こえなくなったのです、とリーゼレータが言った。
そんなリーゼレータの言葉にグレーティアも頷く。
「儀式に参加できなかった中小領地は確かに恨み言を言っていたのです。それなのに、ディッター勝負を境に変わりました。近寄って来る中小領地の中には、笑顔の裏に悪意が感じられる方もいらっしゃいます。寮監という立場のヒルシュール先生が何かご存知であれば教えていただきたいのです」
ヒルシュールが少し考えを巡らせるように視線を伏せた。
「ツェントから直々にお言葉を賜り、御加護を得るための情報が一足先に得られたのです。参加できた領地からは面と向かって悪く言われることは少なくなるでしょう。王族と繋がりのあるエーレンフェストから少しでも利を得ようとするのは当然ですから、これを機に他領と仲良くできれば良いですね」
ヒルシュールは他人事のように言いながら、「笑顔の裏の恨み言の方が怖いですけれど」と零した。
「わたくしの耳に届いている範囲では、悪く言われることがたくさんあります。そのように笑顔で近付いてくる者ばかりではありません。元々あったアウブの噂に加えて、エーレンフェストは騙し討ちのようなことをしたのでしょう?」
共同研究に参加できると思えばディッターが必須だった。大変な負担が圧し掛かる中でディッターを終えて何とか参加権を得たと思えば、わたしが神具で敵意のある者を弾いた。
王族の前で弾かれたことに真っ青になって、少しでも心証を良くしようと中央騎士団の求めに応じれば、王命はなくて操られただけだった。
「その全てにダンケルフェルガーとエーレンフェストが関係しているのです。恨みも当然買っていますよ。そして、その恨みはより弱いエーレンフェストに向けられているように感じられます」
「そうですか……」
色々な意味で警戒が必要ですね、とグレーティアが呟くと、ヒルシュールは深く頷いた。
「つい最近の貴族院しか知らない貴女達には実感が薄いでしょうけれど、数年前までエーレンフェストは政変で順位を上げただけの下位領地でした。それがいつの間にか下位を抜け出し、王族と繋がりを持っているのです。妬んでいる領地はおそらく貴女達が考えるよりも多いでしょう」
ヒルシュールの言葉に、わたしはコルネリウス兄様が「低学年の頃とは全く違う」と言っていたことを思い出した。わたしはエーレンフェストが下位領地だった時にどのように扱われていたのか知らない。
「去年まではエーレンフェストの流行など一過性のものだという声が大きかったのですけれど、今年はローゼマイン様一人の力で領地の順位が上がったのだ、という声が大きくなっています。次々と出される流行、大領地との共同研究、王族との繋がり、全てがローゼマイン様の行動によるものだ、と周囲が認識したのでしょう」
「……どれもこれもわたくし一人でできることではないのですよ」
成績を上げるのも、印刷業を始めるのも、わたし一人だけではどうしようもない。協力している者がいるからできるのだ。わたしの主張にヒルシュールは少しだけ厳しい表情になった。
「えぇ。貴女お一人の力によるものではないでしょう。けれど、貴女の存在なしにはできなかったことです。他領から見たご自身の姿を正確に認識なさいませ」
魔力が多く、様々な流行や技術の知識を持ち、たくさんの神々から加護を得ている王族と繋がりのある最優秀で、婚約済みにもかかわらず、ダンケルフェルガーが力ずくで得ようとした女性領主候補生。
「わたくしはローゼマイン様を中心に一丸となっているエーレンフェストを見るのが好きなのです。ですから、周囲には重々お気を付けなさいませ。周囲を見る目を失ってはなりませんよ」
「はい」
わたしはそう返事をしながらもぐるぐると掻き混ぜ続ける。
「手紙を送ってもらいました」
ライムントが戻って来た。テーブルが片付けられ、ヒルシュールが料理を食べているのを見た途端、「ああぁぁ!」と情けない声を上げた。
「ライムントに下げ渡す分は取り分けてありますよ」
ヒルシュールの言葉に気を取り直したライムントが席に着いて、食べ始める。給仕をしていたリーゼレータがライムントにもお茶を淹れながら尋ねる。
「ライムント様。わたくし、とても気になっていることがあるのですけれど、発言してもよろしいでしょうか?」
「何ですか?」
「あちらの録音の魔術具はそのまま展示されるのですか? シュミルのぬいぐるみにして展示した方が可愛らしいと思うのですけれど」
わたしはリーゼレータが作ってくれたシュミルのぬいぐるみを思い出す。確かに魔術具その物よりは可愛くて、展示していても人目を引くと思う。レティーツィアに贈る予定の、まだ声を入れていない白いシュミルがいる。
「魔術具をぬいぐるみに入れるという発想はローゼマイン様らしくて、共同研究に参加されていらっしゃるのが一目でわかると思うのです」
フラウレルムの主導で、提案したライムントと添削したフェルディナンドの名前が大々的に出されてもシュミルのぬいぐるみになった魔術具があれば、わたしの関与がすぐにわかる、とリーゼレータが主張した。
主であるわたしの関与を宣伝するため、と言っているけれど、可愛いシュミルを展示したいだけのように聞こえるのは気のせいだろうか。
「確かに魔術具を飾るという発想はわたくしにもライムントにもフェルディナンド様にもありませんから、フラウレルム対策には有効でしょう。けれど、領地対抗戦までに仕上がるのですか?」
「もうほとんどできていますから、声を吹き込んで当日にお持ちします。普通の魔術具とシュミルのぬいぐるみを並べると、殿方にも女性にも楽しんでいただけると思いますよ」
リーゼレータがとても生き生きとした笑顔で請け負った。
そして、自室に戻るとリーゼレータはすぐに白のシュミルを仕上げて持って来た。
録音の魔術具は持ち主の魔力を登録し、登録者が魔力を注いでいる間しか音を録音することができない。レティーツィアに贈るシュミルにはわたしが声を吹き込むので、魔術具にはすでにわたしの魔力が登録されている。白いシュミルを抱えて考え込んだ。
「何を吹き込めばよいかしら? さすがに領地対抗戦で展示するのですもの。フェルディナンド様に対する注意を吹き込むわけにはいかないと思うのです」
そんなことをしたら再会と同時に頬をつねられる結果になるだろう。いくらわたしでもそれくらいはわかる。
「ローゼマイン様、ローゼマイン様。このような可愛らしい魔術具で殿方から愛の言葉を贈られるのは素敵だと思いませんか?」
ミュリエラがうっとりと緑の瞳を潤ませながらそう提案してきた。わたしにはこちらの愛の言葉を贈られても共感できないけれど、共感できる女性にはキュンとくるかもしれない。ライムントの発想ではない、ということは間違いなく強調できるだろう。
「貴族院の恋物語の中から選んで、どなたか殿方に吹き込んでいただきましょう。わたくし、素敵な愛の言葉を厳選いたします」
わたしには素敵さ加減がよくわからないので、ミュリエラに任せることにする。一緒に多目的ホールへ向かうと、ミュリエラが他の仕事よりも素早い動きで貴族院の恋物語から愛の言葉を厳選し始める。
「マティアス、ラウレンツ。二人のうちのどちらかで良いのですけれど、ミュリエラが選んだ愛の言葉をこちらのシュミルに吹き込んでくれませんか?」
わたしが多目的ホールへ行ってお願いする。テオドールとローデリヒは声がまだ幼いので、できればマティアスかラウレンツにお願いしたい。こういう時はハルトムートがいればよかったのに、と思わざるを得ない。照れも恥じらいもなく吹き込んでくれただろう。
わたしのお願いにマティアスは「え!?」と言って固まり、ラウレンツは「構いませんよ」と簡単に引き受けてくれた。
「では、ラウレンツに……」
「ちょっと待て、ラウレンツ。其方、あ、あ、愛の言葉など、このような場所で吹き込めるのか?」
マティアスが気の毒なくらいに動揺しながら多目的ホールにいる皆を示す。ラウレンツは不思議そうに肩を竦めた。
「意中の女性に言うわけでもないし、本を読むのと同じだろう? そこまで慌てるようなことではないと思うが……」
「いや、そういう言葉は相手もなく気軽に口にするものではない」
こんなところでもマティアスは真面目だった。二人のやり取りは面白いけれど、ミュリエラが貴族院の恋物語を手に、期待に満ちた笑顔で待っている。
「とりあえず、ラウレンツにお願いしてもいいかしら?」
「……主の要望を叶えることができない不甲斐ない側近で、申し訳ございません」
マティアスが悔やんだ様子でそう言いながら一歩下がった。別にそんなに悔やむことではないと思うのだけれど、マティアスは落ち込んでいる。
「マティアスが得意なところで役に立ってくれれば良いのですよ。それぞれ得意なところ、苦手なところは違うのですから」
「……恐れ入ります」
わたしは魔術具に触れながらラウレンツの声を録音する。ミュリエラが厳選した愛の言葉は神様がたくさん出てきて、やっぱりよくわからなかった。
愛の言葉はわからないので、わたしは最後に本の宣伝を吹き込んだ。たくさんのお客様にエーレンフェストの本をアピールする良いチャンスである。
「このように様々な愛の言葉にうっとりしたい女性にも、意中の女性を射止める素敵な愛の言葉を探している殿方にも、貴族院の恋物語はお応えします。貴族院の恋物語はエーレンフェストで夏から売り出しです。手に汗を握るディッター物語、騎士物語、ダンケルフェルガーの歴史も同時発売いたします。どうぞお楽しみに」