Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (506)
領地対抗戦の始まり(三年)
「できました! これでいかがでしょう、ローゼマイン様?」
領地対抗戦を翌日に控えた昼食の直前、イグナーツとマリアンネが調合室から魔術具を持って出てきた。二人の後ろからは何人もの文官見習い達が出てくる。
「ご覧くださいませ」
マリアンネが楽譜の書かれた紙をセットし、ハンドルを回してオルゴールのように音を奏でた。イグナーツはナンセーブ紙と改良された小さな転移陣を組み合わせ、書箱に本を送って見せてくれる。
「これから改善したい点はいくつもございますが、試作品として展示するならば及第点ではないでしょうか?」
さすがにこれ以上改善するのはもう少し時間が必要であるし、魔力も素材も足りないらしい。主として文官見習い達に協力していたらしいヴィルフリートとシャルロッテもちょっと疲れた顔になっているが、皆、達成感に満ちた顔をしている。
「素晴らしいと思います。よくこの短期間で形にしてきましたね」
「えぇ、本当に。上級貴族はすごいです。ローゼマイン様やライムント様の研究から多少の助言や提案ができても、わたくしでは調合ができませんから」
一緒に調合室に籠っていたフィリーネが尊敬の眼差しでイグナーツ達を見る。魔力量によってできる調合に差があるため、下級貴族のフィリーネではできない調合も多いようだ。
「貴族院にいる間は講義でたくさん魔力を使いますから、春から秋の間にできるだけ圧縮したいと思っていますけれど……」
「その間に我々はもっと魔力を増やします」
フィリーネ達には負けていられない、とイグナーツが挑戦的に笑った。この調子で切磋琢磨しつつ、皆が魔力を向上してくれれば良いと思う。
「発表の練習は大丈夫ですか?」
「……今からします。でも、これまでの研究内容と違って、自分達で考えて作った物なので大丈夫だと思います」
ドレヴァンヒェルの何人もが共同で作り上げている高度な調合や魔術具について、理解できないままに発表しようとするのではなく、自分達の手で一から作り上げた魔術具の説明なので発表内容は心配いらないそうだ。
「ローゼマイン様にエーレンフェスト紙について少し教えていただきたいです。発表しても良い範囲内で」
マリアンネのお願いを快諾し、午後からはドレヴァンヒェルとの共同研究の仕上げを一緒に行った。
わたしが一日中寮にいたので、騎士見習い達も一日中訓練ができたようだ。
「エーレンフェストからカトルカールが届き始めました。会議室に運び込みますね」
ブリュンヒルデの声に側仕え見習い達が一斉に動き始める。オトマール商会に頼んでいたカトルカールやクッキーが転移の間に届き始めたようだ。領地対抗戦に出すのは作り置きができる焼き菓子を中心にすると決めている。さすがに来客数が多すぎるので、寮の厨房だけでは対応できないのだ。
「今頃は城の厨房も大忙しでしょうね」
フェルディナンドに渡すための料理は城の料理人に頼んでいるのだ。あちらもこちらも忙しい雰囲気は、いかにも祭りの前の興奮に満ちていて心が浮き立ってくる。
「ローゼマイン様、カトルカールと一緒にフェルネスティーネ物語の二巻が届きましたよ。ハンネローレ様とお約束されていらっしゃったでしょう? オルドナンツでお知らせしておきましょうか?」
リーゼレータがフェルネスティーネ物語の入った木箱を持って来てくれた。ミュリエラが「まぁ!」と声を上げて、緑の瞳を輝かせたけれど、文官見習い達は明日の準備を優先してくれなければ困る。
「わたくしから送っておきます。ミュリエラは領地対抗戦が終わってからですよ。わたくしもまだ読んでいないのですから」
「姫様も領地対抗戦が終わるまでお預けですよ」
リヒャルダに大きな釘を刺され、わたしは仕方なく「はぁい」と返事する。「早く読みたいですね」と言いながら準備を進めるミュリエラとかなり心が通じ合った。
ハンネローレにフェルネスティーネ物語の到着を知らせると、ハンネローレからは「楽しみにしています」という弾んだ声の返事が届いた。
エーレンフェストの領地対抗戦の朝は甘い匂いから始まる。厨房ではサンドイッチとスープのような作り置きのできる朝食を作った後はすぐにお菓子作りが始められるのである。
普段よりも早めに朝食を終えた学生達は領地対抗戦の準備のために、それぞれが動き始めた。側仕え見習い達は下働きの者達に指示を出して、会議室に置かれていたお菓子を次々と運び出していく。ディッターに出場する騎士見習い達は最後の練習を行っていて、出場しない低学年の騎士見習いが領主候補生の護衛に付いている。
「では、我々も出発しよう」
文官見習い達に声をかけたヴィルフリートとシャルロッテが動き始める。わたしも会場設営のお手伝いをしたかったのだが、「ローゼマインが動くと低学年の騎士見習いでは不安だ」と言われてしまった。
「ダンケルフェルガーとのディッターに乱入してきた中小領地の者達がどのように動くのか予測できぬ。アウブ夫妻の護衛騎士として騎士団から多めに騎士を連れて来てもらえるように頼んでいるので、到着までは寮にいてくれ」
そこまで言われて、行きたいとは言えない。わたしは「わかりました。準備をお願いいたします」とヴィルフリートとシャルロッテが文官見習い達を連れて出て行くのを見送る。危険を避けるためには仕方がないけれど、何となく仲間外れの寂しい気分だ。
準備のために忙しない様子で寮へ出入りしている者はいるけれど、多目的ホールにいる者はもういない。がらんとした多目的ホールを見つめていると、リヒャルダが気遣うようにそっとわたしの肩に手を置いた。
「姫様、お茶会室の確認をしていただけませんか? フェルディナンド様やユストクスが休めるように準備が整いましたから」
「行きます」
わたしはリヒャルダと一緒にお茶会室へ向かった。厨房へ向かう階段に一番近い扉からお茶会室へ入ることができる。ガチャリと鍵が開けられ、リヒャルダが扉を開いた。一年生の時には全領地から代表者を招いてお茶会ができたことからもわかるように、お茶会室は結構広い。それが衝立でおよそ三つに分けられていて、まるで個人の部屋のようになっていた。
「入り口から最も遠い一番奥にはフェルディナンド様が眠るための長椅子を準備いたしました。姫様がおっしゃった通り、エーレンフェストから届けていただいた物です」
ザックに注文していたマットレスの長椅子である。わざわざエーレンフェストから届けてもらうのは大変なので難色を示されたけれど、板の上に布を張っただけの長椅子にクッションを並べて眠るよりはずっと寝心地が良いはずだ。マットレスがきちんと入っているのを手で押して確認し、わたしは満足して頷いた。
「こちらの木箱にはお布団を準備しています。ユストクスに説明すれば準備するでしょう。アーレンスバッハの側近の手前、色々と確認することもあるでしょうから」
布団が入った木箱の他には、長椅子のすぐ横には荷物を入れるためのチェストや明かりを点けるための魔術具が運び込まれていて、長椅子の周囲は衝立で囲まれている。
「天蓋は付けられませんけれど、こうして衝立があれば少しはフェルディナンド様も休みやすいと思われます」
寝ずの番をする側仕えが控えるための椅子なども準備されていて、一番奥は完全に休むためのスペースだ。真ん中にはテーブルと椅子がある。一緒に食事をすることを想定しているのだろう。椅子の数が多い。
「領地対抗戦の後の食事はアウブと学生が一緒に摂って労うことになっていますから、こちらで夕食を摂るのは、ヴィルフリート坊ちゃまと姫様だそうですよ。食事が終わった後、ジルヴェスター様もこちらに合流されるそうです」
一緒に夕食を摂れることに心が弾んだ次の瞬間、食事の間中ずっとお説教をされる可能性に気が付いた。お説教を回避する手段が必要だ。以前にエックハルト兄様から聞いた通りに研究の話題を持ち出して、今回もお説教を回避したいと思う。
「リヒャルダ、ヒルシュール先生から預かった資料もフェルディナンド様にお渡ししたいのです。ついでに紙とインクも準備してあげてくださいね」
「できていますよ」
さすがリヒャルダ。抜かりはないようだ。食事の話題は研究にしよう。フェルディナンドも研究に飢えていたようだし、それが一番良いに違いない。
「それから、最も扉に近いこちらが側近の休む場所になっています」
荷物を置くための木箱と布団は準備されているけれど、フェルディナンドが休むためのスペースに比べるとずいぶんと簡素だ。他領の者が休むのに良いのだろうか。
「騎士であるエックハルト様や勝手にあちらこちらをふらふらするユストクスは外でも寝られますし、アーレンスバッハから同行する側近は神経が尖って、とても寝ていられないでしょう」
エーレンフェストの者ならば寮から簡単に出入りできるお茶会室で、のうのうと寝られるアーレンスバッハの側近はいない、とリヒャルダは言う。フェルディナンド達にとっては信用できる者がいる故郷でも、アーレンスバッハの者にとってはそうでない。
「ですから、側近達が休むための準備はそれほど必要ございません。むしろ、朝食後には卒業生を迎えに他領の方がいらっしゃいますから、こちらは移動のしやすさとなるべく生活感を出さないようにするのを優先いたしました。」
フェルディナンドがディートリンデを迎えに行くように、エーレンフェストにも迎えに来る他領の者がいる。フェルディナンド達が朝食を終えると、すぐにお客様を迎え入れられるように整えなければならないそうだ。
「色々と考えてくれたのですね。ありがとう、リヒャルダ。他の側仕え達にもお礼を言っていたと伝えてちょうだい」
「かしこまりました」
一通りの準備ができているのを確認して、わたしは多目的ホールへ戻った。
「ローゼマイン様、ごきげんよう」
卒業生の保護者が続々と転移陣からやってくる時間となった。きらびやかな衣装で寮を素通りするように、対抗戦の行われる競技場へ父兄が向かうのも例年通りの光景だ。そう思っていると、転移陣から出て来た人影の中にコルネリウス兄様とアンゲリカとハルトムートが見えた。三人共、他の父兄達と同じような衣装だ。
「ローゼマイン様、おはようございます」
「三人共、どうして貴族院へ?」
「婚約者の活躍を見に来たのですよ。それに、私はクラリッサの家族に改めて状況が変わったことを報告して、許しを得直さなければなりません」
神官長になってしまったことで婚約解消を言い渡される可能性が高い。わたしのせいで、と思っているとハルトムートは「ローゼマイン様がお気になさることではございません」と言って笑った。
「ローゼマイン様が行った奉納式にツェントが参加されたこと、神事が見直されたことを考えれば、強硬な反対はないと思います。それに、反対されたところでクラリッサは一人でもエーレンフェストにやって来るでしょうから。その辺りの対応も含めて話し合いが必要なのです」
「……それは確かに話し合いが必要そうですね」
クラリッサの勢いを思い出して、わたしはクスッと笑った。猪突猛進でエーレンフェストに突っ込んできそうなので、先に対策は必要だろう。
「コルネリウス兄様も婚約者の応援ですか?」
わたしがからかうように笑いながら視線を向ける。婚約者の応援に来たのならば、今日は護衛騎士に対する態度ではなく、家族向けの対応でも良いだろう。
「コルネリウス兄様はレオノーレの活躍を見に来たのですか?」
「そういう建前で周囲に紛れることができる格好の護衛を増やすように、と言われている」
ローゼマインと一緒にレオノーレの活躍を見るよ、とコルネリウス兄様に言われて、わたしはちょっと嬉しくなった。今年のレオノーレがどんなふうに頑張っていたのか、たっぷり教えてあげなければならない。
「……二人が貴族院へ来たわけはわかりました。でも、アンゲリカは貴族院に婚約者などいないですよね?」
「トラウゴットが婚約者に相応しい強さを身につけたのか確認することになりました」
トラウゴットが強くならなければ、おじい様と婚約することが決まっているアンゲリカは少し悲しそうにそう言った。第三者の目線で考えるならば、すでに高齢のおじい様がアンゲリカを娶るよりはトラウゴットの方が年齢的にも釣り合う。けれど、アンゲリカの目線では大事なのは強さだ。トラウゴットはおじい様に全く敵わない。
「……という建前で神々の名前を覚える勉強から逃げ出したのですよ、アンゲリカは」
コルネリウス兄様が呆れたような顔で肩を竦めてそう言った。少しでも勉強から逃げ出したいアンゲリカと、さすがに孫と同年代の嫁を回避したいおじい様の利害が見事に一致したようだ。
「アンゲリカ、神々の御加護を得て自分が強くなるためですよ。……せめて、最高神と五柱の大神、それから、御加護が欲しい神様のお名前だけでも正確に覚えるようにしましょう」
「それだけならば頑張ります」
ちょっとやる気が出たらしい。ヨースブレンナーのリュールラディが芽生えの女神にずっとお祈りをしていて加護を得たのだ。ひとまず、加護を得たいと願う神の名前を憶えて祈りを捧げるところから始めなければならない。
「そういえば、ダームエルはお留守番ですか?」
側近の中でダームエルの姿だけが見えない。転移陣で移動できるのが三人までなので、後から来るのかと尋ねてみると、コルネリウス兄様が首を振った。
「魔力の感知が得意なので旧ヴェローニカ派の動きを監視するのにちょうど良いという理由もあるのですが、ダームエルには貴族院へ来るための建前がなかったものですから」
「私は貴族院に在学している恋人でも作れば良いと助言してあげたのですが、そんなことは無理に決まっていると嘆いていました」
ハルトムートの言葉にわたしは、ひぃっ! と息を呑んだ。そんなことを言われたらダームエルのガラスハートが粉々になってしまうではないか。
「ハルトムート、そのような爽やかな笑顔でダームエルをいじめるのは止めてくださいませ! 恋人ができなくて、結婚もできないダームエルに、婚約者の活躍を観に行くと自慢して、行きたかったら恋人を作れ、なんてひどすぎるでしょう!」
上級貴族であるハルトムートに文句も言えず、ダームエルが嘆いている様子が目に浮かぶ。わたしがダームエルの代わりに文句を言うと、ハルトムートは全く反省した様子もなく、小さく笑いながらわたしを見た。
「ダームエルがその気になれば何とかなると思っているからこそ、私は助言したのですよ。彼に恋人ができないと頭から決めつけているローゼマイン様の方がよほどひどいのではございませんか?」
「あ!?」
……確かにそうかも。ごめんね、ダームエル。わたし、ハルトムートの言う通り、決めつけてた。ダームエルだってその気になればできる、と信じてあげなきゃダメだったのに。主、失格だよ。
これからはダームエルを信じて、婚活はダームエル本人に任せよう。その気になればきっと恋人も結婚もできるはずだ。
そう思っていると、背後からコツンと軽く頭を小突かれた。
「問題娘、今日はおとなしくしていたか?」
振り返ると、養父様がわたしを見下ろしていた。目の下にクマができていて、頬が少しこけている。顔色もあまり良くない。粛清の後始末はよほど大変なのだろう。
「養父様、お久し振りです。……ずいぶんとお疲れのご様子ですね」
「誰のせいだと思っている? エーレンフェストに戻ったらガッツリ説教だ」
うりうりと頬を突かれながらそう言われて、わたしはうっと息を呑んだ。これはかなり大きめの雷が落ちそうである。
「あの、疲労回復にフェルディナンド様の回復薬を差し上げましょうか?」
「其方、私に止めを刺す気か?」
こちらとしては気を遣って申し出たのに剣呑な目で睨まれてしまった。
「別に止めを刺すような味の薬を出すつもりはありません。飲みやすい優しさ入りの方です。奉納式で配布するために準備したのがまだ残っているので……」
「今、回復薬を飲んだら眠気に襲われるから良い。準備ができているならば行くぞ」
軽く肩を叩かれて、わたしは思わず周囲を見回した。騎士団の騎士達は転移陣の間から到着しているけれど、養母様の姿がない。それに養父様の護衛に付いている騎士もお父様ではなかった。
「養父様、養母様やお父様はどうされたのですか? お姿が見当たらないのですけれど……」
「領地対抗戦に向かって人数が減ると、旧ヴェローニカ派に何がしかの動きがあるかもしれぬ故、カルステッドとボニファティウスに留守を任せている。……フロレンツィアは其方のように領地対抗戦の途中で倒れそうな顔色をしていたので、寝ているように申し付けてきた」
「え!? だ、大丈夫なのですか!?」
いつも穏やかに微笑んでいる養母様がそんな顔色をしているところを見たことがない。わたしが思わず声を上げると、「休むしかないのだ」と養父様が頭を振った。
「他領とのやり取りが多く、負担が大きい領地対抗戦は欠席させる。……明日の朝、一度様子を見に戻って、大丈夫そうならば卒業式には列席させるつもりだ。座って見ているだけの卒業式ならばこなせるかもしれない」
ひっきりなしに来客があって、一日中対応に追われるのは去年で経験済みだ。今年は奉納式を経験した領地の訪れも増えるだろう、と予測されている。とても体調不良の状態でこなせるものではない。
「今年は其方と私が一緒に社交を行い、ヴィルフリートとシャルロッテを組ませる。次々と問題を起こしたのだ。どのような来客があるかを考えるだけで頭が痛い」
「……申し訳ありません」
わたしは急いで準備を整え、自分の側近達と養父様、そして、養父様を守る騎士団の皆様と領地対抗戦の行われる会場へ向かう。道中では共同研究やディッターにおける皆の頑張りを伝えたり、今日の社交に関する打ち合わせをしたりした。
「マントとブローチの確認を行う」
領地対抗戦の会場の入り口には黒いマントの中央騎士団が何人もいて、出入りする人たちのマントやブローチを確認していた。去年強襲をかけてきたテロリスト達がベルケシュトックの魔石のブローチで貴族院へ侵入してきたためらしい。
わたしはアウブと一緒だったので一通りの確認だけですぐに中に入れた。
会場内にも中央騎士団があちらこちらに配置されていて、去年よりもずっと物々しい雰囲気になっている。黒いマントの騎士達が目を光らせる警備態勢に、居心地悪そうな表情をしている者も多い。誰かがベルケシュトックの礎の魔術を発見するか、ツェントがグルトリスハイトを見つけるまではこの不安定な状態が続くに違いない。
「ローゼマイン、エーレンフェストの場所はどこだ?」
「エーレンフェストの場所は明るい黄土色のマントがたくさん集まっているところです。わたくし、エーレンフェストの騎士団が到着するまで寮にいるように言われたので、会場に足を運んでいないのです」
ついでに、身長も低いので騎士達に囲まれると周囲は全く見えない。養父様は「なるほど。其方なりに安全対策はしていたのだな」と少し満足そうに言いながら歩いていく。
「そこはわたくしではなく、ヴィルフリート兄様を褒めてあげてくださいませ。わたくしは設営に携わるつもりだったのです」
「……其方はもっと自分の安全に気を遣え」
様々な色合いのマントがひしめく中を歩き、エーレンフェストの場所へ到着すると、すでに準備が整えられていた。
「こちらへどうぞ」
ブリュンヒルデが席に案内してくれる。そこで養父様から養母様の欠席と本日の対応の仕方が伝えられた。
「社交に出られないなど、母上は大丈夫なのですか?」
「明日は出られるかもしれぬ。それほどの心配はいらぬが、今日の社交が失敗に終わればフロレンツィアが気にするであろう。しっかりこなせ」
「はい」
ヴィルフリートとシャルロッテが一緒に座り、わたしは養父様と一緒だ。養父様はわたしの足をはたける位置に椅子を設置させ、「はたかれたら口を閉ざせ」と言った。
わたし達の後ろにはエーレンフェストの騎士達が並ぶ。ハルトムートとコルネリウス兄様とアンゲリカは父兄の恰好でわたしの近くにいる。
「どうやらこちらのテーブルにはダンケルフェルガーが一番にやってきそうですね。こちらを見ながら今にも駆け出しそうな状態に見えます」
周囲を見回していたコルネリウス兄様が警戒するような顔でそう言った。斜め前というか、競技場を挟んで向こう側にダンケルフェルガーの場所があるので観察はしやすい。集中して見てみれば、確かに他領とのライン上にアウブと騎士達がいて、ハンネローレがアウブの青いマントをつかんで止めようとしているのが見える。
……ハンネローレ様は大変そう。わたし、ダンケルフェルガーの子じゃなくてよかった。
そんなハンネローレとアウブのところへ細身の女性がアウブに近付き、何か言ったかと思うと、アウブはすごすごとテーブルの方へ戻って行った。細身の女性は多分第一夫人だと思う。テーブルにはレスティラウトも座っていて、その隣には見覚えのある髪飾りをつけた女性が見えた。婚約者の彼女だろうか。
「あれはフェルディナンド様でしょうか? アーレンスバッハのマントの中にエーレンフェストの色が見えます」
ハルトムートの声にわたしはダンケルフェルガーの隣にあるアーレンスバッハの場所へ視線を向ける。藤色のマントの中に明るい黄土色のマントが固まっていた。フェルディナンド、ユストクス、エックハルト兄様の三人だ。身を乗り出したいのを我慢しながら、三人の動きを注視する。
研究の展示がされているところでシュミルのぬいぐるみを持ったライムントが何やら一生懸命に説明をしていて、フェルディナンドがこめかみを押さえているのがわかった。ユストクスが笑いを堪えるように口元に手を当てている。どうやらシュミルのぬいぐるみはずいぶんと受けが良いようだ。
わたしもライムントと一緒にフェルディナンドへ説明したかったけれど、競技場を隔てて反対側にあるアーレンスバッハの場所はひどく遠い。
「エーレンフェストのマントをつけていても、フェルディナンド様はこちらにいらっしゃらないのでしょうか」
「あちらですでに執務に携わっているし、今年は婚約を宣伝する必要があるからな。挨拶には来るであろう」
わたしの呟きに養父様から返事が来た。挨拶に来てくれるならば、ハイスヒッツェのマントを渡す機会はありそうだ。リヒャルダが準備している木箱を見て、わたしは頬を緩めた。
「では、これよりディッターを行う! 呼ばれた領地から下へ!」
領地対抗戦はルーフェンによるディッターの開始宣言と同時に始まる。第一位のクラッセンブルクの宣言があり、一番にディッターを行う領地が呼ばれるのだ。
それと同時にダンケルフェルガーの一群が歩き始めたのが見えた。向かい側なので大きく回らなければこちらに来られないのだが、先頭を優雅に歩いているのは第一夫人で、少し早歩きになっているハンネローレが同行している。
……あれ? アウブ・ダンケルフェルガーは?
今にも飛び出しそうだったアウブはどうやらレスティラウトと共に居残りのようだ。席に座らされたままだ。
……またディッターって言われたら困るから、かな?
わたしが首を傾げているうちに、側仕え見習い達はダンケルフェルガーの来訪に備えて準備を始め、養父様が姿勢を正した。
「ぼんやりするな、ローゼマイン。来るぞ。……こちらの要望は其方に対する求婚をダンケルフェルガーが諦めることと、ハンネローレ様の嫁入りを断ることで間違いないな?」
「はい!」
エーレンフェスト側としてはこれ以上の面倒はもう勘弁なので、ダンケルフェルガーが婚約解消を迫らなければそれで良い、という意見の擦り合わせは報告書や手紙のやり取りでできている。
「ヴィルフリート、シャルロッテ。こちらではダンケルフェルガーを始め、上位領地の相手をする。其方等はそれ以外の客を頼む」
養父様の声にヴィルフリートとシャルロッテが大きく頷いた。
文官達と一緒にハルトムートが紙やインクの確認をし、コルネリウス兄様とアンゲリカは護衛しやすい位置につく。
「ごきげんよう、アウブ・エーレンフェスト」
ダンケルフェルガーの第一夫人が微笑んで前に立った。ハンネローレと同じ赤い瞳が微笑みの形に細められているけれど、その目はこちらをじっと観察しているのがわかる。
ディッター、ディッターと言い出すアウブ・ダンケルフェルガーとは全く違う怖さがあった。緊張して喉が干上がるのを感じながら、わたしと養父様は一度立って挨拶をし、席を勧める。第一夫人とハンネローレが席に着いた。
「印刷のこと、本のこと、儀式のこと……たくさんお話ししたい内容はあるのですけれど、まずは先日のディッターについてお話をいたしましょう」
お互いの領地の将来に大きく関わる事ですものね、と第一夫人が微笑んだ。