Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (51)
フリーダとお風呂
本当に成功するのか、緊張しながらわたしはオーブンを見ていた。このカトルカールはかなり貴重な材料を惜しげもなく使ったお菓子だ。
他人様の家で他人様の材料を使ったもので、しかも、初めてフリーダに作ってあげるお菓子なのだから、失敗はできない。
「マイン、まだなの?」
「そろそろ一度様子を見てみようか?」
イルゼがオーブンを開けて、少し様子を見る。いい感じに膨らんでいるのが見えた。けれど、奥と手前で少し焼き色が違う。
「イルゼさん、奥の方が良く焼けているみたいなので、反対にして入れてもらっていいですか?」
「あぁ」
くるりと反対にして、イルゼが鉄鍋を押しこんだ。
ミトンのような厚い手袋を付けていても、わたしは絶対にこの熱いオーブンに手は突っ込めない。料理人の慣れた作業に感動する。
ガチャンときっちり蓋を閉めた後、イルゼがわたしを見下ろした。
「焼け加減はどうやって判別するんだい?」
「えーと、竹ぐしみたいな細くて先が尖った長い棒を差し込んで、確認するんですけど、ありますか?」
「うーん、思い当たるのが、肉を焼くためのこんな棒しかないね」
ごそごそと探してくれたのは、バーベキューの時に肉や野菜を突き刺すような鉄串だった。鉄串で焼き加減を見たことがないので、正直、大丈夫かどうか、やってみなければわからない。
……なんかすごく大きい穴が開きそうだけど、竹ぐしがないなら仕方ないよね?
昔、竹ぐしがなくて菜箸を突っ込んだこともあるので、多分大丈夫だと思う。
イルゼがスッと棒を差し込んで様子を見れば、少しだけ生地がついてきた。
「まだ中まで焼けてないみたい」
「どうしてわかるの?」
「ここにちょっと生焼けの生地が付いてるでしょ? こういうのが付かなくなったら、焼けた合図だよ」
中まで焼けた時には、上が少しばかり濃い茶色になっていたので、ちょっとオーブンが熱すぎたかもしれない。けれど、わたしが使っていたオーブンと違って、温度調節が簡単にできないのだから、こればかりは職人の経験と勘に任せるしかない。
「次はオーブンに気を付けてみようかね」
イルゼがそう呟きながら、カトルカールをオーブンから取り出した。型から取り出すと、ふんわりと丸いカステラのようなケーキが焼けている。
「すごいわ!」
「あぁ、おいしそうだね」
焼き上がったカトルカールを見つめる二人の目がキラキラとしていて、わたしの胸には何とも言えない達成感が湧きあがってくる。
「本当は乾燥しないようにこのまま堅く絞った濡れ布巾に包んで2~3日休ませた後、食べる方がおいしいんだけど、ちょっとだけ味見してみようか?」
イルゼに包丁で細く切ってもらって、指でつまんでパクッと食べる。フォークを使うのではなく、匂いにつられて人が来ないうちに、作った人だけでひょいっと食べるのが味見の醍醐味だと思っている。
「うん、大成功の味」
パウンドケーキの形でしか食べたことがなかったけれど、丸い形でも、ケーキ型が鉄鍋でも、味は大丈夫だった。
わたしに続いて、味見に慣れているイルゼが口に入れる。
「へぇ、これは……」
少しばかり指でつまむのをためらっていたフリーダも、イルゼが味見をしたのを見て、急いで口に入れた。
「まぁ!」
味見した二人が目を丸くした後、ぐるんと顔をこっちに向けてわたしを見た。朝のギルド長にも似ている捕食者の目だ。
……なんか、ちょっと嫌な雰囲気?
妙な質問を受ける前に逃げ出した方が良さそうだ。わたしはフリーダの手をつかんだ。
「じゃあ、フリーダ。これはみんなで食べられるように、食後のデザートに出してもらおうね。次は湯浴みだよ」
台所を出るところでくるりと振り返って、お礼だけは忘れない。
「イルゼさん、お世話になりました」
お菓子作りをするうえで、わたし達は作業らしい作業をしていないけれど、小麦粉をふるったせいで、袖口が粉まみれになっている。時間もたっぷりあるし、リンシャンを使って、綺麗にしよう。
フリーダの手を取って台所から出ると、朝の支度を手伝ってくれた下働きの女性が待ち構えていた。
「お二人とも、あちらこちらへ移動する前に湯浴みをなさってください」
「まぁ、ユッテもマインと同じことを言うのね」
フリーダがクスクス笑いながら歩きだす。
ユッテは、わたし達がお菓子作りで汚れることを想定していたようで、お湯の準備をしてくれているらしい。着替えとタオルとリンシャンの入った壺が入った籠を持ったユッテがわたし達を案内してくれる。
「こちらへどうぞ」
ユッテが家の中の階段を下に下りていくのに、わたしは目を見張った。
ベンノの店でも、奥の部屋に上と繋がる階段があったので、家の中から店に行ける階段があることは不思議ではない。けれど、そこを自分が歩いていいんだろうか。わたしはこっそりとフリーダに尋ねた。
「……この階段下りたら、お店に行っちゃわない?」
「大丈夫よ」
ユッテはお店のある1階のドアを通り過ぎて、さらに下に下りていく。どうやら地下室に行くらしい。
階段を降り切ると、ドアが2つあった。かっちりとした立派なドアと普通のドアだ。
ユッテは立派な方のドアを開けて、わたし達を中に入れる。床暖房でもしているのか、と言いたくなるくらい足元が温かく、室温も高い部屋だった。
大きな木の台が二つあり、上には布がかかっている。まるでマッサージ用の台みたいだ。そう思ったのが、間違いではなかったと後で知ることになる。
「さぁ、靴も服も脱いでください」
どうやら、ここはマッサージ室兼脱衣場だったようだ。
ユッテに促されて、わたしは着ていた服を脱ぐ。フリーダもユッテに手伝ってもらって脱いでいた。
そして、もう一つドアを開けると、そこには6畳くらいの広さの浴室があった。日本の温泉の家族風呂くらいの広さで、湯船も大人が2~3人が足を伸ばせるくらいの大きさがある。
パッと見た感じ白い大理石のような床が広がっていて、同じ素材の湯船には、ひたひたにお湯が張られていた。湯船の端には壺を持つ少女の彫像があり、その壺からちょろちょろとお湯が出ている。
彫像からお湯が出る分、湯船からは少しずつお湯が流れ出し、そのお湯に温められていて、浴室は温かい。
天井はタイル張りで、天井に近い位置にある窓から、さんさんとした光が降り注いでいる。白い大理石で囲まれているので、反射して明るい雰囲気だ。
「ええぇ!? 何これ!?」
予想していなかった豪華風呂の出現にわたしが思わず声を上げると、くわんくわんと声が反射する。
ドアを開けた状態で固まっているわたしの驚きっぷりを見て、フリーダが楽しそうにクスクス笑って、浴室に入っていく。
「うふふ、驚いた? おじい様が貴族の館にあったお風呂を再現したものよ。普段使うものではないのだけれど、明日は洗礼式だから特別に使って良いと言われたの」
「お風呂なんて……あったんだ」
一年以上入っていなかったお風呂が目の前にあった。それも、麗乃の家のお風呂よりも広くて豪華だ。
「外国から入ってきたもので、貴族の間で美容と健康に良いと評判らしいわ。ただ、足元は滑るから気を付けて」
「うん」
ユッテが服を着たまま入ってきた。エプロンだけが変わっている。濡れることを想定した少し硬そうな素材で、ぐるりとスカート部分を取り巻いている。そのスカートも濡れないように少しばかりたくしあげられて、一部分が結ばれていた。
中に入ってきたユッテが早速フリーダを洗おうとしたので、わたしは慌ててリンシャンを取り出した。
「ユッテさん、洗う時にこれを使ってください。こうやって、ちょっと振って……」
わたしが説明したけれど、ユッテは少しばかり困った表情でフリーダを見下ろした。
「ユッテ、今日はマインに洗ってもらえばいいんじゃない?」
「えーと、わたしが洗っちゃっていいですか?」
ユッテが場所を譲ってくれたので、わたしはフリーダの髪を洗い始めた。その間にユッテは石鹸をタオルに擦りつけて、フリーダの身体を洗い始める。
「ここみたいに洗い場があって、お湯をたっぷり使える時は、こうして直接手に取ったものを髪につけて洗ってね。爪を立てないように、指の腹で頭皮を丁寧に洗うの」
「くすぐったいけど気持ちいいわ」
フリーダはおそらくユッテによってよく手入れされているのだろう。もともと髪もさらりとしていたし、艶もあった。リンシャンを使う必要はなかったかもしれない。
富豪層はすでに自分の美容術を確立してる可能性も高いから、リンシャンは売りにくいかもしれないな。
フリーダの髪を洗いながら、そんなことを考えていた。ベンノに要報告かもしれない。
「こんな風に全体を洗ったら、髪を洗い流します。頭皮についた液を全部流せるように丁寧にすすいでください」
わたしがそう言うと、ユッテはフリーダの身体の泡を桶で流した。身体だけ綺麗になると、フリーダはスタスタと湯船に向かって行って、トプンと中に入る。
何をするんだろうと見ていると、フリーダは縁に頭を置いて、髪を湯船の外に垂らした。すると、ユッテが湯船から垂れ下がる髪を丁寧にすすいでいく。
ほほぉ、あんな風にして頭を洗ってもらうのか。わたしがすすぐよ、って言って、ザパァッとお湯をかぶせないでよかった。大変なことになるところだったよ。
お嬢様の風呂の入り方に目を丸くしているうちに、すすぎ終わったようだ。ザパザパとお湯が使える環境が素晴らしい。
フリーダが洗い終わったので、わたしもリンシャンを使って、頭を洗おうと壺に手を伸ばした。ザパリと湯船から出てきたフリーダが、目を輝かせてやってくる。
「わたしもマインの髪を洗ってみたいわ」
「……わたしはいいけど」
お嬢様にそんなことをさせていいの?
ちらりとユッテに可否を問う視線を向けると、軽く溜息を吐いて、ユッテもわたしの近くに腰を下ろした。
「では、お嬢様。わたしと一緒に洗いましょう。わたしもこのリンシャンの使い方を練習したいですから」
「いいわよ」
練習したいと言いながら、お嬢様が失敗しそうになったらフォローしてくれるんですね。ユッテさん、ありがとうございます。
二人がかりで髪を洗ってもらえば、大きな指と小さな指がもぞもぞ動く。ひどくくすぐったい気がするが、笑うわけにもいかずに我慢していた。
「マインの髪はとても指通りが良いわね」
「もともと真っ直ぐな髪だから、するっと逃げちゃって紐で縛れないんだよ。だから、簪を使ってるんだけどね」
「木の棒で髪がまとめられるっていうのも不思議よね」
「うーん、周りに物がないから、わたしとしては苦肉の策だったんだけど……」
ユッテはある程度わたしの髪を洗った後は、フリーダに髪を洗うのを任せて、わたしの体を洗い始めた。フリーダに髪を洗われている状態では逃げることもできず、わたしはおとなしくされるがままになっていた。
「これでマインも綺麗になったわ」
しばらくわたしの髪をわしゃわしゃしていたフリーダが満足そうに手を引いたので、わたしは桶を手に取ろうとした。
しかし、わたしが桶をとるより早くユッテが桶を取り上げる。
「さぁ、髪を流しますから、お湯につかってください」
「じ、自分でできますけど?」
「マインさんはお客様ですから。さぁ」
笑顔で押し切られてしまったので、わたしもフリーダと同じように湯船につかって、縁に頭を置いた。
バサリと髪を垂らすと丁寧にユッテが洗ってくれる。温かいお湯がかかり、優しい手が髪をゆすり、頭皮を撫でてくれる。
あぁ、美容室みたい。気持ちいい。
ユッテはフリーダの湯浴みをいつも手伝っているのだろう。慣れた手つきはとても心地良くて、このまま眠ってしまいそうだ。
「ねぇ、マイン。浴室を使わない時はどうやって頭を洗うの?」
フリーダの質問にわたしはハッと覚醒した。ここは美容室ではない。寝てはダメだ。
フリーダの声がした方を視線だけで探すと、すすすっと隣に寄って来ていたフリーダが縁に頭を置いて、同じポーズをとったのが見えた。
湯気の向こうの天井にある、タイルのモザイク模様を見上げながら、わたしはいつもの洗い方を説明していく。
「浴室を使わない時は、あれくらいの桶に半分くらいのお湯を入れて、リンシャンを入れてよく混ぜるの。それから、桶に髪を浸しながら、液を髪にかけて洗っていくんだよ。髪に液が残らないように、何度も何度も布で拭って、櫛で梳いていくの」
多少髪に残っても平気でしょってくらいに薄めた液で、何度も洗って、なるべくリンシャンが残らないように何度もタオルで拭うのだ。これも、お湯がない状況で何とか頭を洗いたかったわたしの苦肉の策である。
ウチにこんな浴室があったら、悩まなかった。
「リンシャンはマインのもの?」
「ううん、ベンノさんが全部の権利を持ってるよ。そろそろ売りだされるはず」
「そう……」
フリーダが何か言いたそうにしたが、フリーダが声を出すより早く、ユッテの手が止まった。
「これで大丈夫でしょうか?」
「ありがとうございます。すごく気持ちよかったです」
わたしが起き上がってお礼を言うと、ユッテはスッと立ち上がった。
「では、わたしは次の準備をしてまいります。お二人ともよく温まって出てきてくださいね」
「はぁい」
ユッテが浴室から出るのを見送って、わたしはたぷんと肩まで湯につかる。お湯をすくって、顔をパシャリと洗って、深々と息を吐いた。
ふはぁ、極楽、極楽。
「マインったら、とろけそうな顔をしているわ」
「だって、お風呂、気持ちいいんだもん。こんなに手足を伸ばして、肩までお湯につかれるなんて贅沢すぎるよ」
「マインはお風呂が気に入ったのね?」
「そりゃ、もう! 毎日でも入りたいよ」
フリーダの言葉にわたしは満面の笑みで大きく頷いた。しかし、フリーダはあまり楽しそうな笑顔に見えない。
「……フリーダは気に入らないの?」
「嫌いではないけれど、熱くて、お風呂を使った後は頭がくらくらするの」
「それ、のぼせてるんだよ。つかりすぎ」
反射的にわたしが答えると、フリーダは目を丸くした。
「そうなの? よく温まりなさいって言われるから、湯浴みの時と同じように温まっているだけよ?」
「湯浴みのお湯って、すぐに冷めるでしょ? でも、このお風呂はあの彫像からずっと熱いお湯が足されているじゃない。だから、同じ時間入っていたら、のぼせて気持ち悪くなるんだよ。今日は早目に出てみたら?」
「そうするわ」
フリーダと一緒に早目に上がる。わたしの感覚では早目だったが、フリーダはかなり温まっていたようで、全身がピンクに染まっていた。
「気持ち悪くない? 大丈夫?」
「今日は平気よ」
お風呂を出たら、香油でマッサージをするとユッテは言うが、わたしはそれを辞退した。
香油マッサージは気になるけれど、わたしの場合、次はお風呂に入れない。ウチに帰った後のトゥーリとの拭き合いで香油を綺麗に落とせるかどうかわからない。
わたしは服を着て、髪を拭きながら、フリーダがマッサージしてもらうのを眺めていた。
「マッサージなんて、優雅だよね」
「わたくしはこのような時間はあまり好きではないけれど、貴族社会に入っていくならば、慣れておいた方が良いとおじい様がおっしゃるの」
あぁ、と納得した。フリーダにとっては熱くて、気持ち悪くなるだけなのにお風呂に入るのも、少しばかり面倒そうな顔でマッサージを受けるのも、全部貴族社会に慣れるための練習なのだ。
知っているのと全く知らないのでは、フリーダの先の人生に大きな違いがあるだろう。
「……そうだね。慣れる機会があるなら、慣れておいた方が良いよ。常識や習慣の違いってかなり大きいから」
「おじい様もそう言ったわ。だから、この家の中には貴族の館にある物がいくつも取り入れられているのよ」
婚前の生活とあまり変わらない生活をしているはずのコリンナの家とは、同じ商人の家でもずいぶん雰囲気が違うと思っていたが、ギルド長の家が豪華なのは、金持ちの商人の家だからという理由だけではないようだ。食事も風呂も生活用品も全て品質が段違いなのは、フリーダのために貴族の生活にあるものを取り入れているからなのだろう。
「溺愛されてるねぇ」
「……先に向けての投資ですわ。貴族街でわたくしがお店を持っても困らないように、せっかくの足がかりを無駄にしないように、おじい様も今から色々と考えているのよ」
少しばかり不満そうにフリーダが唇を尖らせる。フリーダの意見の全てが間違っているとは思わないけれど、愛情もなく出来ることではない。
「店を持つことがフリーダの夢だから、応援してくれているんでしょ? 髪飾りを注文してきた時のギルド長なんて、完全に孫娘しか見えていないただのおじいさんだったよ」
「……そう」
もしかしたら、フリーダはかなり人恋しいんじゃないかな?
身食いであまり外に出ることができなくて、やっと身食いから解放された時には、貴族との契約に縛られた。貴族の愛妾になることが決まっている以上、それに向けて生きていくことになり、境遇が全く違う周囲に友人などできないだろう。
貴族社会で生きていくための強かさと計算高さを身につける必要があり、店を経営できる知識を成人までに身に付けなければならないフリーダは、間違いなく勉強漬けの毎日だ。自分のためには違いなくても、命も生活も家族の期待も圧し掛かってくるのだから、多分幼女の肩にかかる重圧は半端ないと思う。
おまけに、家族はお金をかけてくれるけれど、将来の自分への打算も透けて見えているので、素直に甘えられないところもあるのかもしれない。
だから、わたしに執着するのかな?
同じ身食いで、洗礼前から商売に足を突っ込んでいて、ルッツに言わせると変な趣味に暴走するところがよく似ているという共通点があるらしい。他の子供に比べたら、共通点が多くて、多少話が合いそうなのは間違いない。だから、囲い込みがしたいのだろうか。
「マイン、すごいわ。髪がつるつるよ!」
わたしがぼんやりしているうちに、マッサージを終えて、着替えたフリーダが自分の髪に指を通して、驚嘆の声を上げた。
櫛で丁寧に梳いているユッテも嬉しそうにフリーダの髪を手に取っている。
「えぇ、とても仕上がりが良いですわ」
「喜んでもらえてよかった。ちょっとは魔術具を頂いたお礼になったかな?」
「あら、マインは対価を支払ったのだから、そんなことは気にしなくて良いのよ?」
実に商人らしいフリーダの言葉に苦笑しながら、わたしは首を振った。
「お礼をしたいと思ったわたしの気持ちだよ。もし、ギルド長がフリーダのために魔術具を集めてくれていなかったら、お金だけあってもどうしようもなかったからね」
「……それもそうね」
ゆっくりとしたお風呂を終えて上に戻った時には台所からまたいい匂いが漂ってきていた。どうやら、イルゼが再度カトルカールに挑戦しているらしい。
「せっかくの新しいレシピだから、きっちり覚えないとね」
イルゼの頼もしい笑顔に小さく笑う。美味しいレシピが普及したら、わたしも嬉しいので、しっかり応援だけはしておく。
「イルゼが新しく焼くなら、わたくしが作った分は食べても大丈夫よね? マインとお茶を楽しみたいので、準備してちょうだい」
「すぐに運ばせるよ」
食堂でお茶をしようとしたら、ちょうどルッツがやってきた。
「よぉ、マイン。すっげぇイイ匂いがしてるな」
お菓子に関する嗅覚が鋭いのかな? なんて、わたしがひそかに笑っていると、ルッツは顔を合わせるなり、目を細めて、わたしの顔を覗きこんできた。
「何、ルッツ? どうしたの?」
「おい、マイン。お前、今日ちょっと無茶しすぎてないか? 熱が下がったからって、張り切りすぎただろ? すぐに寝ろ。疲れから熱出すぞ」
「え? え? 嘘? 体調良いよ?」
わたしは自分の顔をぺたぺたと触りながら首を傾げたが、ルッツは眉を寄せたまま首を振った。
「興奮して気付いていないだけだ。あんまり良くない」
「あら、でも、身食いの熱は落ち着いたはずだし、今日はお菓子を作って、一緒にお風呂に入っただけですわよ?」
フリーダもわたしを援護するように、今日したことを並べて首を傾げた。
ルッツはこめかみを押さえるようにして、溜息を吐いた。
「……そうか。アンタは身食いがなければ、健康な人なんだな。マインは身食いがなくても虚弱なんだよ。身食いで倒れたのか、疲れて倒れたのか、慣れてないヤツには区別するのが難しいレベルで突然倒れるんだ」
ルッツの言葉にフリーダとわたしは思わず顔を見合わせた。
「マイン、そうでしたの!?」
「フリーダは虚弱じゃないの!?」
お互いが勝手に解ったつもりになっていたようだ。
フリーダは身食いさえ治れば大丈夫と思っていて、わたしはフリーダも身食いで虚弱だから一緒に活動しても大丈夫だと思っていた。
「風呂とか、オレにはよくわからないけど、どうせ初めてのところだから、いいところを見せようとして張り切って色んな作業したんじゃないのか?」
「うぅ……。それほど作業はしていないけど」
ずっと緊張感に包まれてはいたし、フリーダが大丈夫なら自分も大丈夫だろうと、甘く考えていたのは事実だ。
「今日は動きすぎの顔になってる。自分の弱さを甘く見るなよ。本当にひ弱なんだぞ?」
「そんなに弱い弱いって連呼しなくてもいいじゃない」
「本当のことじゃないか。だいたい、明日が洗礼式で家に帰る日なんだろ? これで熱出したら、家族に怒られるなんてものじゃないぞ?」
身食いの熱を何とかしてもらって、お礼と思って勝手に色々して、熱出してぶっ倒れたなんてことになれば、恩を仇で返すことになってしまう。
元気に帰ることを楽しみにしている父が怒って、フリーダ宅に多大な迷惑をかけたと母に叱られて、トゥーリに「どうしてマインはおとなしくしていられないの?」って呆れられるに決まっている。
「あわわわわわ……」
「そうですわね。お預かりしておいて、体調を崩させるわけにはいきませんもの。マイン、今日はもうお休みなさい。ね?」
心配そうなフリーダにもそう言われて、わたしは大きく頷いた。
「そうする。ありがと、ルッツ。教えてくれて。……フリーダ、悪いけどルッツにこの『カトルカール』分けてもらっていい?」
「えぇ、もちろんよ。ユッテ、マインを部屋まで連れて行ってあげてちょうだい」
「かしこまりました」
客間に案内されて、ベッドに横になると、自分がかなり疲れていたことがよくわかる。
全身がぐったりしていて、身体がほんのり熱いのは、久し振りにお風呂に入ったことだけが原因ではなかったようだ。
さすがルッツ。一目で見抜くとは……。
失敗できないプレッシャーの中でお菓子を作るのも、いつもの湯浴みではなく、お風呂にだっぽりと入るのも、マインの身体では初めてだったから加減がわからなかったのだろう。
他人の家って結構緊張するし、ルッツの言うとおり張り切りすぎちゃったかな。
柔らかな布団が自分のぬくもりで温まる頃には、わたしの意識は完全に落ちていた。