Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (517)
別れと成人式
そして、卒業式の朝である。二の鐘が鳴るより少し前にグレーティアが起こしに来た。
「ローゼマイン様、起きてくださいませ」
「まだ早いのではありませんか」
そう言いながら、わたしはもぞっと布団の中で寝返りを打って、グレーティアを見上げた。
「グレーティアが起こしに来るのは珍しいですね。リヒャルダに何かあったのですか?」
「少し早い時間ですが、二の鐘からフェルディナンド様と朝食をご一緒するように、とアウブより連絡がございました。リヒャルダはお茶会室で朝食準備をしています」
グレーティアにそう言われて、わたしは飛び起きた。朝食の後のお茶会室の片付けが忙しいので、当初は朝食を一緒に摂ることは禁止されていたのだ。
「フェルディナンド様はアウブとお酒を飲み、色々とお話をした後でまだ研究資料に手を伸ばしていらっしゃったそうです。ローゼマイン様達が朝食に伺うことで確実に起こしてほしいそうですよ」
早めに起こして時間までにフェルディナンドを送り出せ、と養父様が命じたらしい。三人の側近が同行すればお茶会室の片付けが速く終わるという目算もあるそうだ。
……わーい! 養父様、ありがとう!
グレーティアとブリュンヒルデに手伝ってもらい、わたしはいそいそと着替え始める。今朝、部屋の中にリーゼレータやレオノーレの姿が見えないのは二の鐘に合わせて朝食を摂りに行っているせいだ。朝食を終えて、両親がやって来るまでに軽く湯浴みを終えなければならない。
「卒業生は支度が大変ですからね」
アンゲリカがあまり準備をしていなくて、リーゼレータと両親の三人がかりで準備させていた二年前を思い出してクスクスと笑いながら、わたしはオルドナンツを出した。
「おはようございます、フェルディナンド様。準備ができたので、これからお茶会室へ朝食に向かいますね」
部屋を出ると、シャルロッテも準備を終えていた。階段を下りるとヴィルフリートもいる。皆でお茶会室へ向かえば、準備をしてくれていた側仕え達が出迎えてくれる。お茶会室に作られていた側近達のスペースはすでになく、長椅子はこれから卒業生が迎えを待てるように配置が変更されていた。荷物を置くための木箱はどうやらフェルディナンドのスペースに運び込まれているようで見当たらない。
「すでにずいぶんと片付いていますね」
「えぇ。こちらに朝食の準備が整っていますよ。さぁ、姫様方はこちらへどうぞ。貴方達は食堂で朝食を終えていらっしゃい」
お茶会室まで同行してくれた未成年の側近達は食堂へ向かい、わたし達領主候補生はリヒャルダに案内されてテーブルへ向かう。到着の声が聞こえたのだろう。フェルディナンドも衝立の向こうから出てきた。服装は整っているけれど、まだ寝足りないような顔をしている。
「おはようございます、フェルディナンド様」
「あぁ、おはよう」
「何だか目が覚めていないようなお声ですけれど、研究資料の読み過ぎですか?」
二年前にヒルシュールと徹夜で研究の話をしていた時のような顔をしている。ぼーっとしているフェルディナンドは非常に珍しい。
「……それもあるが、あの長椅子は予想以上に寝心地が良かった」
「フェルディナンド様がよく眠れたのでしたら、わざわざ運び込んだ甲斐がありましたね。春に荷物を運ぶ時、一緒にお運びしましょうか?」
急な知らせによりアーレンスバッハへ向かったので、フェルディナンドは本当にすぐに必要な生活必需品と最低限の結婚祝いの品々しか持って行っていない。季節が変わった後に使う生活用品やこの冬に各地の貴族達から送られてきた贈り物の数々はまだエーレンフェストにある。
「今はまだ客室にいるので必要ない」
「春になって、星結びの儀式が終わってからのお話ですよ?」
「……私が自室を得たら、その時に考えよう」
先々のことまで考えるフェルディナンドにしてはどうにも煮え切らない返事だが、確かに部屋を得る前に持ち込まれても困るのだろう。わたしが「必要になれば教えてくださいね」と答えると、フェルディナンドは頷きながら席に着く。そして、わたしを手招きした。
「ローゼマイン、こちらへ。熱は下がったのか?」
「今朝は調子が良いように思いますけれど……」
わたしはおとなしくフェルディナンドの前に立つ。熱や脈を計るフェルディナンドの様子にシャルロッテが「お姉様は体調を崩されていたのですか?」と驚きの声を上げた。
「領地対抗戦で疲れて、少し熱っぽかっただけです。きちんとお薬を飲みましたし、今朝は熱も下がっていますから」
「うるさい、ローゼマイン。口を閉じろ。脈が計りにくい」
「申し訳ございません」
いつも通りの診察を終え、「熱は下がっているが、あまり無理をしないように」というお言葉をいただき、わたしも席に着く。
「最近はお姉様が寝込むことも少なくなっていたので、体調を崩されていらっしゃるとは思いませんでした」
「初めての表彰式に感激したせいもあるでしょうね。昨夜の夕食の様子はどうでしたか、シャルロッテ? 養父様はこちらのお部屋にいらっしゃると同時に、大人の時間だとわたくし達を退室させたので、様子を聴くことができなかったのです」
朝食を摂りながら、わたし達は参加できなかった食堂での夕食の様子をシャルロッテに尋ねる。優秀者を多数輩出したことで学生達も盛り上がっていて、楽しい夕食だったようだ。
「そういえば、わたくし達が寝た後、フェルディナンド様は養父様とどのような話をしたのですか? 久し振りにお酒を交わしたのですから、お話が弾んだでしょう?」
わたしがフェルディナンドに話題を振ると、フェルディナンドは少し考えるように目を伏せた後、「後でジルヴェスターから聞けばよい」と首を振って詳細を教えてはくれなかった。
朝食を終えてテーブルの上が片付けられると、ユストクスが何やら色々と並べ始めた。録音の魔術具が二つ、それから、革袋が一つだ。フェルディナンドが魔術具を一つ、ずいっとわたしの前に押し出した。
「こちらが頼まれていた録音の魔術具だ。君の側仕えの要望に従い、注意する言葉を延々と入れている」
「フェルディナンド様、わたくしの要望はどうなったのですか?」
「さて……」
「ひどいです」
むぅっと頬を膨らませながら、わたしは渡された魔術具を再生してみる。フェルディナンドの言葉通り、最初から「食事の時間だ。何をしているのか知らぬが、速やかに手を止めなさい」というお小言が入っている。
……他は何だろう?
「ローゼマイン、この場ではなく、せめて、自室で聞きなさい。同じ部屋の中で自分の声がするのは妙な気分だ」
顔をしかめたフェルディナンドに止められてしまった。この場で全部聞きたかったけれど言うことを聞かなければ取り上げられそうなので、自室に持ち帰ることにする。
そして、魔力を通さない革の袋を渡された。開けてみると、もう一つの魔術具と紙が入っている。
「君は昨夜ゼルギウスの魔力を登録した魔術具に声を吹き込んだので、こちらが余ったであろう? 私としてはこの研究を更に進めたいと思っている。こちらの魔術具はここに書かれている通りに使って、結果を教えてほしい。結果は手紙で良い」
「わかりました」
元々共同研究だったものだし、研究を続けると言われれば断りようもない。わたしは革袋を受け取った。
「それから、予備として残っている分は私がもらっても良いか? 次の冬までに使い方を色々と考えてみたいと思っている」
「作ったのはフェルディナンド様ですし、お金も払ってもらっていますから、もちろん構いませんよ」
フェルディナンドを起こして一緒に朝食を摂れば、わたし達のお仕事は終了だ。後はフェルディナンドが正装に着替えてディートリンデを迎えに行くことになる。わたし達は着替えや片付けの邪魔になるので、多目的ホールに移動しなければならない。
「ローゼマイン、リヒャルダ。二人がこの部屋を誂えてくれたとジルヴェスターより聞いている。一晩、とても寛いで過ごせた。礼を言う」
フェルディナンドがわざわざ礼を言ってくれるほど寛いでくれたことがよくわかった。リヒャルダとどうしたら心地良く過ごせるのか考えていたのが認められたことが、昨夜褒められなかったせいか、殊更に嬉しい。嬉しいのに、また離れなければならない別れの挨拶であることを実感して、すごく寂しい。
「そういう時は、ありがとうってきちんと言ってくださいませ」
寂しい気分を少しでも振り払いたくて軽口を叩く。いつも通りの皮肉な笑みや一言で流してくれると思っていたら、フェルディナンドは今まであまり見たことがない優しい笑みを見せた。
「……ありがとう、ローゼマイン、リヒャルダ」
それだけを言うと、本当に時間がないようでフェルディナンドはさっさと衝立の向こうへ姿を消す。あまりにも珍しいフェルディナンドの素直なお礼の言葉に目が潤んだのはわたしだけではなかったようだ。リヒャルダも目を潤ませながらわたし達に声をかける。
「さぁ、多目的ホールへ向かってくださいませ。フェルディナンド様はお召替えをしなければなりませんから」
玄関ホールには講堂の準備に向かう在学生が集まっているのが見えた。わたしがそちらへ向かおうとすると、ヴィルフリートに止められる。
「其方はリヒャルダに言われた通り多目的ホールで待機していろ。昨日の領地対抗戦でも体調を崩したのに、今から張り切っていたら今年も途中で退席することになるぞ。ディートリンデ様のお相手を務める叔父上も其方の姿が会場から消えれば心配するであろう」
反論の余地がない。わたしは今年も準備を皆に任せ、多目的ホールで護衛騎士のユーディットと一緒に待機することになった。多目的ホールにいると、卒業生の保護者達がやってくる。レオノーレ、リーゼレータの両親がやってきて挨拶をすると、子供達の部屋へ向かっていく。
保護者の波が過ぎ去った頃にやってくるのが、エスコート相手の面々だ。きっちりと正装したコルネリウス兄様とハルトムートが「おはようございます、ローゼマイン様」と多目的ホールに顔を出した。
「レオノーレの両親が先程来たので、準備にはもう少しかかると思いますよ、コルネリウス兄様。ハルトムートは早めにクラリッサを迎えに行ってあげてくださいませ。待ち時間はとても不安になるそうですから」
これまでの勢いから考えると、迎えに行かなければクラリッサの方がやって来そうだけれど、あまり女の子を不安にさせるものではない。
「結婚の許可は得られたのでしょう?」
「色々な事情を考えた結果、それが一番無難であるという回答をいただきましたから」
……それは結婚の許可としてどうなのだろうか。
周囲が納得しているならば良いけれど、本当に大丈夫なのか、少しだけ心配にはなる。ハルトムートと話をしていると、城で顔を見たことがあるヴィルフリートの側近が近付いてきた。
「ローゼマイン様、少しご挨拶をさせてください」
そう言ってきたのはリーゼレータのお相手のトルステンだ。ヴィルフリートの文官ということと名前は聞いたけれど、顔と名前が一致しなかったので全く実感がなかった。穏やかそうで落ち着いた雰囲気の人だ。多分、リーゼレータとは波長が合うのだろう。
「リーゼレータをどうぞよろしくお願いいたします」
「かしこまりました」
トルステンとの挨拶を終える頃には一度エーレンフェストに戻っていたらしい養父様と養母様がやって来た。養父様はどことなくおろおろした様子で養母様を椅子に座らせる。
「ありがとう存じます、ジルヴェスター様」
「養母様、お体の具合はいかがですか?」
わたしの質問に養母様は少し青ざめた顔で微笑んだ。どう見ても体調が良いようには見えない。
「少し転移陣に酔ってしまったようです」
「だから、エーレンフェストで休んでいれば良いと言ったではないか」
「学生達にとっては一生に一度の卒業式ですもの。わたくしの我儘であることは存じていますけれど、祝ってあげたいではありませんか」
養父様と養母様が何度も繰り返されているのがわかるやり取りをしている。こういうところを見ると、養父様は本当に養母様が好きなことがよくわかる。
「姫様、そろそろ講堂へ参りましょう。保護者が入場する前に入っていなければ、目立ちますからね」
「養父様と養母様はどうされますか?」
「ギリギリまでここでフロレンツィアを休ませるから、其方は先に行け」
ただでさえ歩くのが遅いのだからな、と言われ、わたしはリヒャルダとユーディットを連れて講堂に向かった。
去年と同じように壁が取り払われ、講堂にはまるでコロッセウムのように階段状の観覧席ができている。講堂の中心には奉納舞や剣舞を行うための白い円柱状の舞台が設置されていて、その向こうには祭壇が見える。
「こちらが領主一族の席ですよ」
「お姉様はこちらへどうぞ」
去年の保護者席とは違い、舞台にとても近い場所だ。ここからならば奉納舞の様子もよく見えるだろう。シャルロッテに手招きされて、わたしは席に着く。
「父上と母上はいらっしゃったのか?」
「えぇ。ただ、養母様が転移陣に酔ってしまわれたようで、ギリギリの時間まで寮で休むようです」
「それほど容態が良くないのか。心配だな」
懐妊している可能性が高いことはまだ周囲には漏らしてはならないと養父様に言われている。他領のアウブ達がたくさんいて、第二夫人の問題など面倒が色々とあるため、エーレンフェストに戻ってから知らせるのだそうだ。
卒業生の入場が始まるギリギリになって養父様と養母様はやってきた。何か薬を飲んだのか、休んでいたのがよかったのか、感情や体調を表に出さない貴族の習性か、養母様はいつも通りの微笑みを浮かべながら席に着く。
「養母様、あまり無理をしないでくださいませ」
「それは貴女にも言えることですよ、ローゼマイン?」
養母様がクスクスと笑った時、卒業生が入場するための扉が開いた。卒業生が入場してきて、舞台の上にずらりと並んでいくのだが、一際目を引き、周囲をざわりとさせる存在があった。
……あああぁぁぁっ! フェルディナンド様、説得失敗してるよ!?
得意そうな微笑みを浮かべて入場してきたディートリンデの髪がこれでもかというほどに盛られていた。まず、飾りをたくさん盛れるように、と考えたのだろう。マリー・アントワネットのように髪自体をかなり高めに盛っている。色合いだけでも十分に豪華な金髪を更に高さを出して盛り上げることで、より豪華にしている。
そこに赤に近い色合いのエーレンフェストの髪飾りが三つ、そして、その周囲をこれでもかというほどにレースやリボンで飾っている。周囲を唖然とさせるほどすごいことになっていて、隣を歩くフェルディナンドの作り笑いが虚ろに見えるのは気のせいではないだろう。
……いや、ある意味すごいよ。まさかあんな髪型をユルゲンシュミットで見るとは思わなかったからね。
よくよく見てみれば、エーレンフェストの髪飾りは全てが使われているわけではなかった。きっと花の飾りを控えめにしなければ王族に対する不敬になると周囲に説得されたのだろう。そして、花を控えて、別の飾りを使うことにしたに違いない。
……エーレンフェストの髪飾りの花は王族の飾りに合わせて減らされてるよ? でもね、リボンやレースであそこまで飾り立てていたら花の数なんて全く関係がないと思うんだけど。何より、奉納舞、できるの?
わたしは思わずアーレンスバッハの領主一族が座る席を見た。ゲオルギーネが涼しい顔で座っている。娘の奇行を止めなかったのだろうか。
……止めてたら、この状態で入場してくるわけがないもんね。ゲオルギーネ様は何を考えてディートリンデ様を好きにさせているんだろう?
わたしはとても不安な気分になったけれど、ものすごい注目を浴びているディートリンデ本人はとても満足そうだ。舞台の上にエスコートを終えると、卒業生ではないお相手は決められた席に移動するのだが、フェルディナンドがすでにとても疲れているように見えた。
そして、中央神殿の神殿長による成人式が行われ、音楽の奉納が行われる。寮ではレオノーレ達が出てくる前に出発してしまったため、今日はレオノーレとリーゼレータの晴れ姿を見ていない。それなのに、ディートリンデに視線の全てを奪われて、わたしはまだ二人を見つけられていなかった。音楽の奉納のためにディートリンデが舞台から降りるこの時間が唯一のチャンスだ。
「リーゼレータはどこかしら? ディートリンデ様にばかり目が行ってしまって、見つけられません」
「お姉様のお気持ちはよくわかります。わたくしも自分の側近が見つけられませんから」
大勢がいるところを見回せば盛られた頭が一番に目に入るのだ。控えめな装いのリーゼレータがどこにいるのかわかるわけがない。歌っている中にいるはずなので、必死に目を凝らす。ディートリンデがいなくなっただけで、とても見やすくなったようだ。
「いました。リーゼレータです」
淡いクリーム色の衣装を身につけ、まとめ上げた髪に同色の髪飾りが飾られているのが目に入った。リーゼレータはいつも一歩下がった感じなので、美人であることが目立たないけれど、今日はとても綺麗に見える。
……ミュリエラのお話によると、他領の学生にもモテモテだったみたいだからね。
何とかリーゼレータを発見できた音楽の奉納が終わると、次はレオノーレの剣舞である。音楽の人達は舞台から降りて、今度は舞台を取り巻く形に移動した。代わりに舞台に上がるのは、青の衣装をまとった剣舞を行う者達だ。二十名が舞台の上に上がる。女性の数が少ないため、レオノーレはすぐにわかった。赤紫のような葡萄色の髪に白と赤の花が見える。冬生まれなのだろう。
シュタープで出した剣を構えれば、音楽が流れ始め、それに合わせて剣が光を反射して閃く。力強く鋭い剣の動きの中に、女性らしい動きがある。レオノーレの剣舞は流れるように優雅で、鋭い剣を握っているにもかかわらず、どことなく柔らかく感じられる。
「レオノーレは本当に綺麗ですよね」
「うむ、見事だな。だが、アレクシスも負けてはおらぬ」
ヴィルフリートが自分の側近を誇って笑う。
どちらがすごいのか話をしているうちに、剣舞も終わった。
「次は奉納舞か。……あれで舞えるのか?」
養父様の呟きは全員の心の声を代弁していたと思う。ひらひらとした奉納舞用の衣装を身につけたディートリンデに会場の全ての注目が集まっていた。