Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (520)
本の貸し借りと心の拠り所
「それから、奉納式を来年も行うという共同研究をお断りされた、とアウブ・クラッセンブルクから少し相談を受けたのですけれど……」
「えぇ。エーレンフェストの負担が大きすぎるのです」
今年はエーレンフェストで急いで奉納式を終えて道具を持ちこんだこと、その管理者である神官長の出入りは当日しか認められず非常に負担が大きいこと、魔力回復薬の準備もお願いされたこと、来年はわたしが奉納式のために戻る可能性が高いことを述べる。
「クラッセンブルクはこの共同研究で何をしてくださるのでしょう?」
「それを話し合いたいとアウブはお考えになっていたようですよ。交渉はそこから始めるものでしょう?」
交渉する前に断ち切られる形になって困惑していたらしい。
「でも、他領の神殿に貴族院で奉納式を行うので神具を貸し出すように、と命じることはできません。次の年の収穫量に影響がございます。奉納式の時に説明したように魔力回復薬はわたくしのレシピではございません」
わたしの言葉にエグランティーヌはフェルディナンドに視線を向ける。誰のレシピかすでに見当は付いているらしい。けれど、フェルディナンドはエグランティーヌの視線を黙殺した。
来年であれば、フェルディナンドは星結びの儀式を終えてアーレンスバッハの者になっている。クラッセンブルクとエーレンフェストの共同研究には全く関係がないということだ。協力する意味がない。
そして、クラッセンブルクとの共同研究でレシピを公開するよりも、何かあった時のための切り札として置いておいた方が良いと考えたのだろう。ディートリンデの尻拭いや連座回避のための切り札はいくつあっても足りないはずだ。
「もちろん、王族に魔力を少しでも提供したいというクラッセンブルクの気持ちには賛成します。けれど、一度限りではなく恒例にするおつもりでしたら、せめて、中央神殿から神具と神官の貸し出しができて、クラッセンブルクのレシピで良いので魔力回復薬を参加者の分だけ準備してくださって、エーレンフェストからは神殿長として儀式に参加するだけで良いという状態にできなければ貴族院での奉納式は難しいと考えています」
準備や後片付けに大事な読書時間を取られたくないです、という思いは上手くオブラートに包めたと思う。我ながらよくできた、と思った瞬間、フェルディナンドは出来の悪い子を見る目でわたしを見ながらこめかみをトントンと軽く叩いた。
……ん? 何か失敗したっぽい?
「ローゼマイン様のおっしゃることはよくわかりました。一度のことならばまだしも、長く続けるのは難しい事柄はたくさんございますもの。今日のお話は王族の皆やアウブ・クラッセンブルクにお伝えいたしますね」
エグランティーヌとの話し合いは卒業式が終わる時間より早めに切り上げられた。アナスタージウスにはわたしを呼び出して話をするように言われたけれど、フェルディナンドを呼ぶことはエグランティーヌの独断だったからだ。緊急で必要なことなのでアナスタージウスも理解は示すけれど、ヤキモチでちょっと面倒になるらしいことが遠回しにそれとなく伝わって来た。
……相変わらずアナスタージウス王子はエーヴィリーベみたいだね。
挨拶を終えると、わたし達は早々に離宮を出た。並んで歩いていても盗聴防止の魔術具がなく、それぞれの側近がいる以上、フェルディナンドと込み入った話ができるわけでもない。話題は奉納舞の魔法陣ではなく、共同研究に限られる。
「君は本当に馬鹿ではないか? 何故アウブと相談すると言って話を切り上げなかった?」
「共同研究に関しては学生の領分ですから相談は特に必要ないそうですよ」
わたしが養父様に言われたことを述べると、「普通はそうだが」とフェルディナンドが眉間に皺を刻んだ。
「君の場合は学生同士の共同研究ではなく、互いのアウブに加えて王族まで巻き込む規模の研究になっているではないか。それに、あの程度の条件では恒例行事となるぞ。君の卒業後はどうするつもりだ?」
「メルヒオールが神殿長に就任することが決まっているので、これから教育をすれば大丈夫だと思います」
メルヒオールの後にはこれから生まれる赤ちゃんもいるし、とわたしは心の中で呟く。その赤ちゃんが貴族院に入学する頃にはヴィルフリートの子供が生まれるのではないだろうか。ハルトムートのようにメルヒオールの側近にも神官長をしてもらう予定なので、たとえ恒例行事になっても続けることは可能だと思う。
……って、ヴィルフリート兄様の子供はわたしが生むことになるんだっけ? うーん、どういう感じになるんだろう?
恋愛と結婚と妊娠と出産は麗乃時代にも経験していない未知の領域だ。どんなことになるのか、あまり想像できない。
アナスタージウスの離宮に繋がる扉からエーレンフェストの扉まではそれほどの距離はない。少し会話をすればすぐに着いてしまうような距離だ。
「では、フェルディナンド様はお体に十分気を付けて執務をしてくださいませ」
「何度も言うことではない。君こそ自分の体調に気を配るように。少し丈夫になったからと油断してはならぬ」
「はい。……フェルディナンド様と次に会えるのは春の星結びでしょうか?」
「さて、どうなるか……」
会える、という言葉をくれず、フェルディナンドは少し考えるようにして呟いた。
「中央神殿が厄介なことを言い出す可能性もある。面倒事に巻き込まれるようなことをしてくれるな、と心から願っているが、君にはいくら言っても無駄であろう」
「うっ……。これでもできるだけ回避しようと頑張っているのですけれど」
わたしは別に面倒事に首を突っ込みたくて突っ込んでいるわけではない。気が付いたら渦中にいるだけだ。けれど、フェルディナンドには理解してもらえないようで、冷たい目で見下ろされて「全力で首を突っ込んでいるようにしか見えぬ」と言われてしまった。
「主観と客観で認識に差があることは多いですものね」
「そうだな。君は客観的に自分を見られるようになりなさい」
そんな話をしているうちにリヒャルダが寮への扉を開けた。わたしは寮に入るために足を踏み出し、フェルディナンドはそのまま扉の前を通り過ぎて、六位のアーレンスバッハの扉へ向かっている。同じ色のマントを羽織っていても、入る扉が違うのが何だか変な気分だった。
「ハァ、何とか終わったな。王族の離宮への護衛というのは緊張でどうしても肩が凝る。フェルディナンド様がいてくださってよかった」
寮に戻るなり、お父様がそう言って首や肩を回し始めた。盗聴防止の魔術具に区切られた中でわたしが何を言うのか、何をしているのかわからないままにじっと立っているのは、結構疲れることだったようだ。
「わざわざ護衛をしてくださってありがとう存じます、お父様。エーレンフェストの様子はいかがでしょう?」
「……それはエーレンフェストに戻ってから話をした方が良いだろう。貴族院には持ち込まない、と決められているからな」
お父様は少し悩むような仕草を見せてそう言った後、躊躇いがちにわたしの頭を撫でた。
「どうかなさいまして?」
「いや、三年連続の最優秀だったのであろう? よくやった。護衛任務に就いている時はどうしても声をかけられないからな」
エーレンフェストに戻ると褒める機会がなくなるので今の内に褒めてくれるらしい。
「こんなふうにお父様に褒められたのは初めてのような気がします」
「そうだったか?……だが、今年も父上がずいぶんと興奮していたぞ。放り投げられたり、抱き潰されたりしないように気を付けねばならぬ」
おじい様の気持ちは嬉しいけれど、暴走されると本当に命の危機に陥るので警戒は必要だ。今年も手を繋いで歩くくらいはできれば良いと思っているが、上手くいくだろうか。
わたしは皆が卒業式から戻って来るまでの時間、お父様が護衛できるように多目的ホールの暖炉に近い椅子に座ってフェルネスティーネ物語の二巻を読んで過ごした。ゆったりと読書ができたことで、最近はゆっくりと読書をする余裕がなかったことに気付いた。そのくらい忙しかったようだ。
「ローゼマイン、戻っているか?」
ヴィルフリートが戻って来るなり、慌てた様子で多目的ホールへ飛び込んで来た。他の学生達も一緒だが、卒業生達はいない。これから卒業を祝う食事会があるためだ。
「どうかなさいまして、ヴィルフリート兄様?」
「ハンネローレ様がダンケルフェルガーの本やレスティラウト様の絵を持って、お茶会室へ来たいというお願いがあった。其方が帰還する前に渡したいそうだ。新しい本も貸してほしいとおっしゃっていたが、いつならば大丈夫なのだ?」
フェルネスティーネ物語の二巻も確認したし、貸してしまっても問題はないだろう。何よりもダンケルフェルガーから借りられる神話の零れ話がわたしには楽しみでならない。
「早いうちが良いと思うのですけれど、さすがに明日というわけにはいかないですよね?明後日に致しましょうか。わたくしから了承のオルドナンツを送っておきますね」
「うむ、其方に任せる」
わたしはブリュンヒルデにダンケルフェルガーとの調整を頼み、ミュリエラにフェルネスティーネ物語の二巻を読む許可を出す。領地対抗戦と卒業式を終えて、皆がホッと緩んだ気持ちになっているようだ。準備に奔走していた忙しない雰囲気はなくなり、「今年も終わりましたね」という空気になっている。
「領主候補生は側仕えを一人連れて、会議室に集まってほしいとアウブからのお言葉がございました」
養父様の側仕えにそんな声をかけられて、わたしはリヒャルダと一緒に会議室に向かった。会議室の護衛は騎士団の者が行うようで、護衛騎士は入室を禁じられる。おそらくエグランティーヌと話し合ったことを質問されるのだろう。
養母様は具合が悪くなって自室で休憩しているようで姿が見えない。ヴィルフリート、シャルロッテ、わたしが揃ったところで養父様は口を開いた。
「まず、卒業式に出られなかったローゼマインに、卒業式の様子を報告しておこう」
「はい」
「中央神殿の神殿長が、奉納舞で浮かんだ魔法陣が次期ツェントを選ぶための物だと発言したことで大変な騒ぎになった」
資料室で魔法陣の資料を見たことがあっても、実際に魔法陣がある場所やどのような儀式で浮かび上がる物なのかなどの情報はなかったようで、本当に存在したことに中央神殿の者達はとても感動しているらしい。
けれど、奉納舞で様々な醜態を見せたディートリンデが最も次期ツェントに近いと言われた貴族達はこぞって懐疑的な目になっているそうだ。元々、神殿の言葉はあまり信用されたり、重用されたりしていないので仕方がないかもしれない。
「これでメスティオノーラによって正当なるツェントにグルトリスハイトが与えられる時が来るだろう、だそうだ。ローゼマイン、あの魔法陣についてフェルディナンドは何と言っていた?」
養父様も呆れたような口調で「あの娘が次期ツェントはあり得ないだろう」と言いながら、フェルディナンドの言葉を尋ねてくる。
「フェルディナンド様は次期ツェントの候補を選ぶ物だとおっしゃいました。それから、魔法陣を起動させることもできなかったディートリンデ様は候補にもなれないだろう、と」
「そうか。少しは安心したが、アレは本当にツェントを選出する物なのか……」
それからの流れでわたしはエグランティーヌと話をした内容を説明する。フェルディナンドの忠誠が再び疑われたこと、その誤解を解くことで何故かフェルディナンドに叱られたことも話した。
「王族の理解が一応得られたのか……。それは助かった」
「それから、クラッセンブルクとの共同研究についてもお話がありました。あちらが全ての準備を整えてくださって神殿長として参加するだけならばいいですよ、と返事しています」
きちんと交渉するように注意されたことも付け加える。養父様はとても難しい顔になって「貴重な忠告だな」と頷いた。
次の日、養父様はあまり具合の良くなさそうな養母様を連れて、さっさとエーレンフェストへ戻って行った。わたしはフィリーネ達と一緒に他領の学生から預かった情報や原稿の分類や支払ったお金に関する確認をし、それ以外は読書をして過ごす。
「では、御加護を得るための儀式に行ってまいります」
奉納式に参加した領地の卒業生は加護を得る儀式のやり直しができるので、卒業生達が連れ立って講堂へ出かけて行った。
新しく加護を得られたのは、やはり祝福を得るための儀式の練習を何度もしていた騎士見習いが多かったようだ。レオノーレやアレクシスが武勇の神 アングリーフや疾風の女神シュタイフェリーゼの加護を得ていた。
「わたくしも新しくルングシュメールの御加護を得ました」
そう報告してくれたのはリーゼレータだ。皆を癒すわたしを見て、ぜひ加護が欲しい、と訓練する騎士見習い達にかけまくっていたらしい。リーゼレータが騎士見習い達に人気が高かったのはそのせいかもしれない。
……いや、それだけじゃないけどね。顔は整っていて綺麗だし、側仕えで細かいところによく気が付く気配りさんだし、刺繍や裁縫が得意だもんね。女子力、高っ!
わたしはリーゼレータをもう少し見習った方がいいかもしれないと少しだけ思った。でも、読書時間を削る気はない。女子力より読書時間の方が大事に決まっている。
その次の日はハンネローレと本の貸し借りをする日である。フェルネスティーネ物語の二巻を準備して、わたしはお茶会室で待っていた。チリンと扉の向こうでベルの音がして、ハンネローレが入って来る。
「帰還準備がお忙しい時にこうしてお時間をいただけてありがとう存じます。本当にフェルネスティーネ物語の二巻が気になっていたのです」
「わたくしもダンケルフェルガーの本が気になっていたので、こうしてハンネローレ様とお話しできる時間ができてうれしいです」
約束の時間にハンネローレがやって来て、挨拶をしているうちに次々と文官見習い達が本や絵を持って入って来る。ダンケルフェルガーの分厚い本が二冊、そして、レスティラウトの絵はずいぶんとたくさんあった。
「あら、二冊も……?」
「ローゼマイン様にはたくさん貸していただきましたし、少しでもお詫びになれば、と思いまして……。お母様に許可をいただきました。両方とも神話の本です」
……第一夫人、なんて良い人!
文官見習い達同士で本の貸し借りを終えたことで、わたしはハンネローレに席を勧めた。ヨーグルトムースのタルトを一口食べて見せて、お茶を飲めばお茶会は始まりである。
「お兄様が貴族院でお描きになった絵です。こちらはエーレンフェストでお好きなようにしてくださいませ」
わたしは文官見習い達を通して手渡されたイラストをパラパラと捲っていく。ディッター物語の挿絵も選ぶのに困るほどの枚数がある。これはレスティラウトのイラストのファンであるヴィルフリートや作者であるローデリヒに選んでほしいものだ。
「本当に素晴らしい絵ですね」
そう言いながらディッター物語のイラストを見ていると、何故かわたしの奉納舞の絵になった。羊皮紙だけではなく、植物紙にもたくさん素描が描かれていた。パラパラと捲ればくるりと回るように見える。何だかアニメーションになりそうだ。
「こちらは彩色されているのです」
くるくると丸められている大きな紙を広げると、こちらも奉納舞の絵だった。上げられた腕とそれに合わせてふわりと動く袖、くるりと回ることで空気をはらんで膨らんだスカート、翻る夜空のような色合いの髪、そして、光を帯びて複雑に光る魔石の数々。間違いなくわたしの絵なのだろうけれど、誰これ? と言いたくなるくらいに別人だ。広げた絵を見た側近達が大きく目を見開き、少しざわりとする。
「……あの、ハンネローレ様。こちらは奉納舞のお稽古の時の絵ですよね? レスティラウト様の目にはこんなふうに見えたのでしょうか?」
恐る恐るハンネローレに尋ねた。魔石が光ったのか珍しかっただけで、モデルは別人だと言われた方がしっくりくる。
「魔石が光を帯びた舞は、お兄様がすぐにでも描きとめたいと思うくらいに美しかったようですよ。わたくしはお稽古に集中していたせいで見逃してしまい、残念でした」
わたし達が退出した後、数多の光に彩られて素晴らしく緊張感がある舞だった、と周囲が話をしているのにハンネローレは話に乗れなかったらしい。
ハンネローレに「そうなのですか」と相槌を打ちながら、わたしはすぐに絵をくるくると丸めていく。とても自分の絵とは思えないし、レスティラウトが描いた物だと思うと何だかちょっと照れくさい。
……これは封印しておいた方が良い気がする。何となく。
「もしかして、奉納舞がレスティラウト様のお好きな題材、なのでしょうか?」
「そうですね。お兄様はエグランティーヌ様が舞う絵を描いていらっしゃったこともあるので、奉納舞はお好きな題材かもしれません」
ハンネローレの答えに何となく安堵した。わたしの絵がこれほど綺麗ならば、エグランティーヌをモデルにした絵はもっと綺麗に違いない。
「エグランティーヌ様の奉納舞の絵はわたくしも一度拝見したいです。このように綺麗に描いてくださってありがとう存じます、とレスティラウト様にお伝えくださいませ」
わたしの言葉に「はい、必ず」とハンネローレは笑顔で答えた。
「奉納舞と言えば、今年の奉納舞は大変でしたね。光の女神が意識を失ってしまったのですもの。闇の神のレスティラウト様も驚かれたのではございませんか?」
「えぇ。驚いていらっしゃいました。ディートリンデ様がまさか自分の方に向かって来ているとは思わなかったようで……」
髪が解けてしまった成人女性を相手にどのように対応して良いのか、レスティラウトはとても困ったそうだ。成人女性が髪を下ろすのは寝台の上くらいである。下ろした状態を見るのは夫と側仕えくらい。それなのに、ディートリンデは公衆の面前で髪が解けた上に、意識を失って倒れたのである。
「ローゼマイン様はあの時に舞台に浮かんだ魔法陣をご存知ですか? 次期ツェントを選出すると中央神殿の神殿長が言っていた物ですけれど……」
「あの地下書庫に詳しい資料があるようですよ。ハンネローレ様ならば、領主会議の時に調べられるのではありませんか? 王族も資料を必要としているでしょうし」
フェルディナンドに聞いたとか、王族に質問を受けたということは一切口にせず、調べることはできると答えておく。ハンネローレは「領主会議の時はとても忙しくなりそうですね」と頷いた。
「それはそうと、ハンネローレ様。ダンケルフェルガーやレスティラウト様のご様子はいかがですか? 領地対抗戦の折、投降したことでずいぶんと責められていらっしゃるように聞こえましたから心配だったのです」
「わたくしは大丈夫です。お兄様は絵をたくさん没収されて、とても落ち込んでいらっしゃいますし、お母様に注意された騎士達がとても静かなので、いつもよりも過ごしやすいくらいです」
ハンネローレが苦笑しながらそう言った。大袈裟に言っているところはあるのだろうけれど、ハンネローレが辛い思いをしていないのならばそれで良い。
「今は領地に戻ってからフェルネスティーネ物語の二巻を読むのが楽しみです」
今度こそ幸せな結末が見られるかしら? と微笑むハンネローレの笑顔が胸に痛い。
……ごめんね、ハンネローレ様。その本、実はフェルネスティーネが王子と引き裂かれて、別の男と王命で結婚させられるところで「次巻に続く」なの!
でも、ネタバレはしない。せっかくなので、楽しんでほしいものである。
「貴族院の恋物語も楽しかったですから、フェルネスティーネ物語の続きも楽しみです。そういえば、ローゼマイン様はどのような殿方に心惹かれるのですか? シャルロッテ様は不屈の精神で何度も挑戦する殿方を素敵に思う、と以前に伺いましたけれど、ローゼマイン様の好む殿方についてはお伺いしたことがございませんもの」
……こういう話題、麗乃時代以来かも。なんかちょっと懐かしい。
ここで男に興味なんてないのです、なんて馬鹿正直に答えたら、女性社会から弾かれても文句は言えない。こういう会話には共感とか秘密の共有感が大事なのである。
「ローゼマイン様はヴィルフリート様のことを親の決めた婚約者だとおっしゃったでしょう? どなたか心を寄せる相手や理想の殿方がいらっしゃるのですか?」
……フッ、わたしは麗乃時代も友人関係を円滑にするために、妄想の片思い相手を作り上げていた女。この程度の話題は何ともないよ。
お隣のしゅーちゃんと付き合っているのかと邪推されたり、しゅーちゃんの彼女に変な目で見られて問い詰められたりした時に大活躍だった妄想片思い相手の出番である。
こういう時にはこの場にいる者は知らない人をモデルにするのが良い。下手に知られている人をモデルにしてしまうと、変な誤解をされて変な噂が流れてしまうことも多々あるし、完全に妄想の相手だと、「どの人? 見てみたい」と言われた時に自分が困る。最終的に「全然相手にはされてないんだけどね」と付け加えておけば完璧である。
……さて、誰にしよう?
この場で聞き耳を立てている側近達も含めて、あまり知らない人が良い。貴族院で関わる人はダメだ。
……うーん、貴族の知り合いは除いて、ルッツとフランあたりを適当に混ぜれば良さそう?
「婚約者と決められた相手はヴィルフリート兄様ですけれど、わたくしにも大切に思う方はいるのです。わたくし達だけの秘密ですよ、ハンネローレ様」
わたしが声を潜めると、ハンネローレは軽く目を見張った。
「い、いらっしゃるのですか?」
「えぇ。幼い頃……洗礼式より前からわたくしを支えてくれて、共に歩んできた方がいます。落ち込んだり、挫けそうになったりした時はいつも助けてくれました。今は、その、簡単に会えない関係になってしまいましたけれど、それでも、その方との約束がわたくしの心の拠り所なのです。……ここだけの秘密ですよ?」
わたしの打ち明け話にハンネローレはコクコクと何度も頷く。
「ハンネローレ様はどのような殿方を好ましいと思われますか?」
「わ、わたくしですか? そうですね……。お兄様と反対の方が好ましいと思います。その、お兄様はわたくしの意見をあまり聞いてくださらないので」
ハンネローレはそう言いながら少し周囲を見回して「お兄様には秘密ですよ?」と唇に人差し指を当てた。周囲の側近達が非常に微笑ましい物を見る目になっているが、その気持ちはよくわかる。
こうして、わたしは麗乃時代の経験を生かして秘密を共有するという女の社交を無事にこなし、ダンケルフェルガーの本を二冊も借りることができた。
……わたし、今日は完璧じゃない?
こうして貴族院での社交を終え、わたしはエーレンフェストに帰還した。