Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (535)
クラリッサの来襲
「うふふん、ふふん。……完璧じゃない?」
今日は下町の商人達との会合の日である。予備を含めて準備したお守りの数々と話し合わなければならないことを羅列したメモ書きに加えて、フーゴのレシピを準備した。オトマール商会からの申し出でイルゼのレシピとフーゴのレシピを交換することになっているのだ。イルゼのレシピはこの夏にイタリアンレストランで出すためのメニュー案で、出資者であるわたしに確認を取るという体裁である。
……新しいレシピ、ひゃっふぅ!
三の鐘が鳴ったら城からローデリヒとフィリーネがブリュンヒルデとグレッシェルの文官、それから、やる気のある若手の文官達を連れて来ることになっている。それより先に商人達がやって来るので、案内役のザームが呼びに来たら会議室に移動するのだ。
「ローゼマイン様、神官長が入室許可を求めています」
フランに許可を出すと、部屋の扉が開かれる。いつも余裕のある笑みを浮かべているハルトムートが珍しく困惑した顔で入室してきた。
「どうかしたのですか?」
「今日は下町との大事な会議なので報告するのは後でも良いかと思ったのですが、嫌な感じに胸騒ぎがするので先に報告しておきます。……クラリッサがダンケルフェルガーを出発したそうです」
「はい?」
ハルトムートとの結婚をわたしの側近になるための手段にしているクラリッサは「結婚が延期されるのは構いませんけれど、わたくしの側近入りが延期されるのは許し難いのです」と怒っていたらしい。女性はただでさえ妊娠、出産、子育てで職から離れなければならない期間がある。だから、結婚が延期されれば、その期間は間違いなく仕えられる。ハルトムートの婚約者として早急にエーレンフェストへ向かいたい、と主張したらしい。
本来はハルトムートが神官長になった時点で婚約解消されてもおかしくないのに、解消されなかった。それは「武を以て課題を得、勝ち取った婚約を解消させられるのは本人だけ」というダンケルフェルガー特有の謎の主張がアウブ・ダンケルフェルガーに通ったためである。
領地対抗戦で親族にアウブ・ダンケルフェルガーを加えて話し合いが行われた結果、「アウブ・エーレンフェストの許可が得られたら領主会議の時にクラリッサは移動する」ことになったとハルトムートから聞いた。
「養父様から許可が出たということですよね?」
「はい。フェルディナンド様がいなくてローゼマイン様が非常に大変なので、ダンケルフェルガーのような上位領地の側近が増えれば喜ぶだろう。クラリッサを歓迎する、とアウブ・エーレンフェストがおっしゃったそうです」
それ自体は特に変だとは思わない。フェルディナンドがいなくて大変なのも、上位領地の文官であるクラリッサが来てくれて助かるのも事実だ。
「……でも、何故今出発なのですか? 領主会議はまだですよ? 貴族院を通じて来るのですか?」
人がいない貴族院は転移陣を守る騎士が交代で番をしているだけで、基本的には封鎖されている。クラリッサを迎えようと思えば、全てを開けて、人を配置しなければならない。大掛かりな予定変更が必要になる。
「ダンケルフェルガーからは何の連絡もいただいていませんよね?」
「私もアウブより伺ったのが昨夜でした。何でも、アウブ・ダンケルフェルガーはフェルディナンド様の現状に自領の行動が大きく関与していることを大変心苦しく思っていたそうです。そして、少しでも早くクラリッサが向かうことでエーレンフェストが楽になるなら、それもまた良いことではないか、と零したそうです」
……アウブ・ダンケルフェルガー!
それをしっかりと聞いてしまったクラリッサが自分の側仕え達を連れて、エーレンフェストの負担にならないように貴族院を経由するのではなく、陸路でエーレンフェストに向かって意気揚々と出発したらしい。春を寿ぐ宴の次の日、それも朝早くの出発だったそうだ。
冬の社交を終え、娘の卒業と成人祝いを終えたクラリッサの両親は休みを得てゆっくりと目覚めた爽やかな朝に、娘がすでに出発してしまったことを知らされて、慌ててアウブのところへ駆け込んだらしい。「またダンケルフェルガーの暴走がエーレンフェストに迷惑を……」とアウブ夫妻が青ざめ、緊急用の領主間の連絡手段を使って、お詫びと報告が来たらしい。
「非常に申し訳なさそうなアウブ・ダンケルフェルガーから、フレーベルターク境界門に迎えを出してほしい、という要望がアウブ・エーレンフェストに届いたそうです。クラリッサの両親が彼女達を追いかけているそうですし、母上は急いで部屋を整え、迎えを出す準備をしなければならない、と昨夜から家に帰っています」
クラリッサの予定変更はある意味迷惑だけれど、人手がないのは本当だからある意味助かる。非常に微妙なところだ。どちらにせよ、あちらから両親を含めてすでに出発してしまったならば仕方がない。境界門まで迎えに行くのは花婿側の礼儀である。
勝手なことをしているけれど、それでも一応気を遣ってくれているようで、ダンケルフェルガーから最も近いアーレンスバッハとの境界門ではなく、この街から一番近いフレーベルタークとの境界門まで来てくれるらしい。ダンケルフェルガーから旧ベルケシュトック領を通り、フレーベルタークを経由してエーレンフェストに来る日数を考えれば、迎えに行く準備はできるだろう。
「ハルトムートが出発して、戻って来るのはいつになりそうですか? 祈念式の調整も必要でしょう?」
ダンケルフェルガーの花嫁御一行が出発したところならば、フレーベルターク境界門に到着するのは祈念式に出発する頃になるはずだ。
「ひとまず両親と話し合って、準備が整ってからの話になります」
「ダンケルフェルガーが親切で行うことは、相手にとって困ったことになると決まっているのでしょうか。クラリッサにこちらの都合も確認してください、と一言くらいは文句を言わなければなりませんね」
予定を変更するのは面倒なのだ。祈念式のように関わる人数が多ければ多いほど、変更の影響は広がる。ハァ、と溜息を吐いたところでザームが部屋に入ってきた。商人達が到着したらしい。
「クラリッサがやって来るのは、すぐのお話ではありません。もう少し詳しく決まればまた連絡します。会議室へ向かいましょう。平民向けのお守りを配るならば、文官達が来る前に配った方が良いかもしれません」
ハルトムートの言葉に頷きながら、わたしはお守りの入った箱を抱えたモニカと護衛騎士のコルネリウス兄様を連れて会議室に向かった。
ザームから報告のあった通り、オトマール商会からギルド長、フリーダ、コージモ。ギルベルタ商会からオットー、トゥーリ、テオ。プランタン商会からベンノ、ルッツ、マルクが来ている。
……懐かしい顔ぶれが揃ってると安心するね。
前に会ったのはフェルディナンドがアーレンスバッハへ向かう話をした時だった。成人を控えたトゥーリ達はまた大人っぽくなったような気がする。わたしも成長しているけれど、気が付いてくれているだろうか。
「ローゼマイン様」
代表のギルド長が胸の前で右の拳を左の手の平に当てた。商人が行う春の挨拶だと気付いて、わたしも同じように胸の前で右の拳を左の手の平に当てる。
「雪解けに祝福を。春の女神が大いなる恵みをもたらしますように」
挨拶をしている間にもフランやザームはお茶を淹れたり、お菓子を持ってきたりしている。わたしはモニカに指示を出して、お守りの箱をテーブルに出してもらった。そして、フェルディナンドから伝えられた懸念を皆に説明する。
「商人同士のことはわたくしよりも皆の方がよく知っているでしょう。けれど、何かあっては心配ですから、平民向けのお守りを作成しました。エーレンフェストの商人を束ねる貴方達に渡したいと思っています。受け取ってください」
「ありがたく頂戴します。確かにそろそろ慣れから不都合が起こる頃合いです。こちらも気を引き締めて夏を迎えたいと思います」
ベンノが貴重な忠告を噛み締めるような顔でそう言った。モニカが皆にお守りを配っていく。トゥーリの手にも、ルッツの手にも渡った。
他の皆がお守りを大事そうに受け取る中、二人だけは「本当に大丈夫なのか?」と言いたそうな視線を一瞬だけわたしに向ける。二人の中でわたしは未だに何もできないマインの姿の方が色濃いのだろう。その視線が懐かしくもあり、悔しくもある。
……二人ともひどい。わたしだってちょっとは成長してるんだよ! これでも貴族院では最優秀なのに! ちゃんと考えて作ったんだからね!
さすがにそんなことは口にできないので、わたしは余ったお守りを手に取って丁寧に使い方を説明する。ついでに、フェルディナンドの言うままではなく、自分で「ちゃんと考えた」部分の主張も忘れない。
「わたくし達が持つようなお守りでは、少し強めに肩がぶつかった程度の衝撃でも作動してしまいます。それでは日常生活に支障があるでしょうから、大怪我をするような衝撃の時に作動するようにしました」
フェルディナンドは貴族が基準なので、わたしは下町の生活基準をきちんと考えたのだ。きっと他の貴族にはできないはずだ。ちょっとだけトゥーリが感心した顔になっているのを見て、わたしは胸を張った。
……すごいでしょう? うふふん。
「ご配慮いただけて大変嬉しく存じます」
「グーテンベルク達の分も作っているので、キルンベルガへ出発する前に渡しますね。多くの貴族達の目に触れる前に隠してください。平民には過分だと思う者はいるでしょうから」
「プランタン商会の者は知っているかもしれませんが、孤児院の子供達が増えました。これから工房へ出入りするでしょう。その時には工房の手伝いを通じて、商人とのやり取りを仕込んでください。わたくしが神殿長の職を退いても下町の者が意思疎通できるようにするための文官として育てたいと思っています」
「ほぅ、それは重大な任務ではございませんか」
ベンノが面白がるように少しだけ眉を上げて「お任せください」と言う。孤児院の子供達が貴族の血を引く子供達で、後に貴族となる者だと理解したに違いない。
「わたくしの代わりに商人達と話し合いができる文官を育てるため、今日は新しい領主候補生と何人もの文官が同席します。どのようなやり取りをしているのか見せるのが目的なので、基本的には見学です」
けれど、グレッシェルの話になった時だけはブリュンヒルデとその文官が発言するだろう、と説明しておく。
「それから、わたくし、次の冬までは基本的に神殿で過ごすことになっています。ですから、ギルベルタ商会も神殿に来ていただけますか? 衣装や髪飾りが必要なのです」
「かしこまりました。ローゼマイン様は季節一つで成長されたように見受けられます。新しい衣装も必要でしょう」
オットーに成長したことを認めてもらって、わたしは嬉しくなった。洗礼式の後、祈念式の前くらいで一度神殿に来てほしい、とお願いしているとザームが入ってきた。城からの文官達が到着したらしい。
それまで席に着いていたギルド長、ベンノ、オットーが席を立つ。そして、商人達は全員が跪いた。貴族を迎え入れる準備ができたことを確認すると、わたしも席を立って入室の許可を出す。メルヒオールを先頭にぞろぞろと貴族達が入ってきた。顔を知らない文官が何人かいる。
「まずは紹介させてくださいませ。こちらはメルヒオール。アウブ・エーレンフェストの息子で、わたくしの後で神殿長に就任することが決まりました。これから神殿業務やこのような話し合いの場についても引継ぎを行っていく予定です」
商人達は一斉にメルヒオールに向かって挨拶をする。
「水の女神 フリュートレーネの清らかな流れのお導きによる出会いに、祝福を賜らんことを」
平民に挨拶をされ、祝福を贈るのは初めてなのだろう。メルヒオールが少し緊張した面持ちで指輪を緑に光らせた。
「それから、わたくしの側近として顔を合わせたことがおありでしょうけれど、この春、アウブの第二夫人として婚約いたしました。ギーベ・グレッシェルの娘であるブリュンヒルデです」
「グレッシェルの改革では色々と協力してもらうことになるでしょうけれど、よろしくお願いしますね」
ブリュンヒルデとの挨拶を終えると、わたしは席を勧めた。貴族側で席に座るのはわたしとブリュンヒルデとメルヒオールだけで、それ以外の側近や文官達は後ろに立つ。商人達も立ち上がると、先程と同じようにギルド長、ベンノ、オットーが席に座り、トゥーリ達ダプラ見習いと側仕えは後ろに立った。
「商人達にとっても一番重要なグレッシェルの改革について話をしましょうか」
わたしはエーレンフェストの下町を美しく作り変えたのと同じように、グレッシェルも綺麗にして他領の商人を受け入れられる町にする計画を話し、養父様に提案したようなことを述べていく。
「来年、グレッシェルで商人達を受け入れられるようにすることで、今年は基本的に交易枠を広げない方向で行きたいと思います」
「すでに街が飽和状態なので、ありがたい限りです」
ギルド長は少し安心したようにそう言った。
「ですから、ギルド長はグレッシェルに二号店を出す商人を募集してください。オトマール商会からはイタリアンレストランの二号店を出してほしいと思っています。他領の商人からずいぶんと人気が高いでしょう? グレッシェルにも同じような店が必要だと思うのです。もちろん、わたくしも出資いたします」
ギルド長がちらりとフリーダを振り返る。フリーダが発言の許可を求め、料理人や給仕の教育をどうするつもりなのか、尋ねた。
「神殿に青色神官見習いや青色巫女見習いが増える予定です。彼等の料理人として雇い、練習を積ませるのはどうでしょう? わたくしも料理人を補充したいと思っているので、フーゴに教育を任せるつもりです」
フリーダが少し視線を落とす。間違いなく、頭の中は様々な計算でいっぱいに違いない。
「イタリアンレストランがかなり評価を得ていることから、飲食店協会に属する料理人見習いにはイタリアンレストランを希望する者が増えています。フーゴの教育が受けられるならば神殿に向かう者もいるでしょう。料理人見習いを探してみましょう」
何人くらいまで引き受けられるのか、給料はどのくらいになるのか、仕事の時間や環境について質問がされる。わたしは自分が青色巫女見習いだった頃のフーゴ達の勤務形態を思い出しながら一つ一つに答えていく。
「二号店は非常に魅力的なお話だと存じますが、来年の夏には使えるようにするのは少し難しいかもしれません。秋に改革が行われるのであれば、家具の注文が間に合わないのではないでしょうか?」
高級食事処を作るのに苦労していたベンノが顎を撫でながらそう言った。秋にエントヴィッケルンが行われ、内部がどのようになっているのか確認して、内装の発注を専門の工房にするのでは確かに間に合わないだろう。
ベンノの言葉にブリュンヒルデが接収した家具を使うことを説明し始めた。
「家具や調理道具はアウブの権限で貴族の館から移動できる物があります。そちらを使用すれば、家具の準備は問題ないでしょう?」
「グレッシェルには新しく宿泊施設も作るのですけれど、そちらも同じように家具を入れる予定です。宿泊所で働く者や給仕の教育は人を募ってもらっています。ねぇ、ブリュンヒルデ?」
わたしの言葉にブリュンヒルデが「はい、ローゼマイン様」と頷いた。
「グレッシェル周辺から集められた人達をギーベ・グレッシェルが手配した馬車でエーレンフェストに連れて来ます。ですから、この春に仕事内容を叩きこみ、夏の忙しい時がどのような状態になるのか教育してほしいのです」
「大変だとは思いますけれど、自分達の二号店を動かす人材を教育できる上に、今年の宿泊施設や給仕の手が増えるのです。ちょうど良いでしょう?」
わたしの言葉にベンノが「実にローゼマイン様らしい提案です」と唇の端を上げる。フフッと笑い合っていると、ブリュンヒルデが「あの、皆様。よろしいかしら?」と商人達に声をかけた。
「わたくしとアウブがお話をした結果、この夏の終わりまでならば、二号店の設計を自分でできることになりました。ですから、内装の発注も容易になると思います」
「それは二号店を出そうと決める者が多くなるでしょう」
ギルド長が少し身を乗り出した。都市を一新するようなエントヴィッケルンは早々行われることではない。商人達ははるか昔に作られた店を改装しつつ、そのまま使っているのである。自分の設計で作ってもらえるとなれば、改装費もかからない。
ブリュンヒルデの合図で背後に立っていた文官が一枚の紙を差し出した。できれば、二号店がほしい商会のリストだそうだ。
「こちらの商会には商業ギルドからも二号店を出すように働きかけてほしいと思っています。商人が目当てにしている有名店から二号店を出してもらわなければ、グレッシェルはエントヴィッケルンで宿泊施設だけを整えた都市になってしまいます。それでは商人の分散という当初の目的が果たせなくなります」
……ブリュンヒルデ、下町にも行ったことがなかった上級貴族のお嬢様だったのに、すごく頑張ってるな。
ブリュンヒルデが文官達を通すのではなく、直接平民の商人と話をしている姿に感動を覚える。ほんの二年くらいで、驚きの変化ではないだろうか。
ブリュンヒルデはギーベ・グレッシェルや養父様と色々な話をしたようで、グレッシェルの計画でもわたしが知らないことに話題が移っていった。わたしは会話の主導をブリュンヒルデに任せ、会議室の中を見回す。
ブリュンヒルデの後ろに並んで話を聞いている文官達は、驚きに目を見開いている者、これからの仕事のやり方だと食い入るように見ている者、少しばかり苦い顔をしている者、様々だ。
グレッシェルに関する話が少し途切れたところで、わたしはルッツに声をかける。
「グレッシェルのお話が終わったようですから、印刷業の話をしたいと思います。プランタン商会のルッツ、キルンベルガへの移動は去年と同じ感じで良いのかしら?」
「変更を許可していただきたい点がいくつかございます」
ルッツが自分の書字板を取り出した。
「出発の時期と戻って来る時期については同じで問題ありません。けれど、今年はインク工房のハイディが妊娠中のため、本人が向かうことはできず、弟子に任せたいという要望がございます」
……なんと! ハイディが妊娠!?
研究したがるハイディを抑えることを考えると、ヨゼフもここに残ることになる。新しい素材が、研究が、とハイディはとても悔しがっているようだが、妊婦が長期間遠出するのは良くない。キルンベルガで出産することになってしまう。
「許可します。ギーベ・キルンベルガに願い出て、新しい素材をお土産にもらいましょう」
「助かります」
同じように大喜びするハイディの姿が思い浮かんだのだろう。ルッツが苦笑した。
「鍛冶職人のザックからも今年は弟子を向かわせたいという要望が出ています。彼は今年の星祭りに新郎として出席するそうです」
……あぁ、そういうお年頃だよね。
下町の女性は貴族と同じように二十歳までに結婚することが多いけれど、男性は二十代前半で結婚する者が多い。貴族より少し遅めだ。家族を養っていけるようになることを考えるとその頃が一番適当なのだそうだ。初めて会ったのが成人になる頃だったヨハンやザックは今がちょうど適齢期と言える。
「ヨハンはどうかしら?」
キルンベルガに行けるのか、嫁の当てはあるのかという両方の意味で尋ねると、ルッツは軽く頷いた。
「ヨハンの星祭りは早くて二年後です。工房の親方の孫娘が成人するのを待ってから結婚する予定だと聞いています」
……相手がしっかりいるのか。まぁ、あれだけの技術だもん。親方が手放したがらないよね。
「ヨハンからは今年の移動に弟子のダニロを同行したいという申し出がありました。勝手が違う他の工房で仕事をするのに自分が苦労したため、引継ぎ期間を確保したいそうです」
「ザックもヨハンも許可します。それから、インゴにも弟子を出すように伝えてください。インゴにはグレッシェルの宿泊施設の内装やわたくしの図書館の本棚を注文する予定なのです」
アウブが主導で行う改革なので、養女であるわたしの専属にも参戦してもらわなければならない。
「直轄地の祈念式が終わったらキルンベルガへ出発するので、新しく向かうことになる弟子の皆にも準備を怠らないように伝えてください。それから、今年も祈念式でハッセの孤児院と人員の交換をするので、例年通りに馬車と護衛の兵士の手配をお願いしますね」
「かしこまりました」
ルッツが頷いて書字板に書き込む。メルヒオールが不思議そうに「他にも孤児院があるのですか?」と尋ねてきた。
「えぇ、隣町のハッセにも孤児院があるのです。ハッセの住民との交流が多いので、ここの孤児院とは少し違った雰囲気になります。お互いが良い影響を与えられるように毎年灰色神官達を四、五人ほど入れ替えているのです」
教育という点では新しい本がすぐに届き、元側仕えの神官や巫女が多いエーレンフェストの方が優っているけれど、貴族がほとんど訪れない環境で畑を耕したり、住人との交流があったりするので情緒面ではハッセの方が良いかもしれない。
「一度行ってみたいですね」
「養父様の許可が得られたら、祈念式の時に連れて行ってあげても良いですよ」
「え? 良いのですか?」
ハッセで祈念式を見学して、小神殿で一泊し、側近の騎獣でエーレンフェストに戻るという小旅行的な日程ならば大丈夫だと思う。
「祈念式がどのようなものなのか、どのような神事を行うのか、知っておくことは悪いことではありませんから。商人や職人達も親や親戚を通じて、どのような職場でどのような仕事をするのか見学するのですよね?」
わたしがルッツやトゥーリに視線を向けると、二人は揃って頷いた。
「実際に仕事をする前から仕事内容を知っておくと、仕事への意欲もわきますし、準備することもできます。とても大事なことだと思います」
トゥーリがニコリと笑うと、ルッツはちょうど良いとばかりに木札を取り出した。
「プランタン商会の見習いを志望している子供に工房の見学をさせたいと考えています。許可をいただけるでしょうか?」
「神殿内は建前として洗礼式前の子供を入れてはいけないことになっているのですけれど……」
わたしはそう答えながら木札に目を通した。志望者の名前にカミルと書かれている。
……うぇっ!? カミル!? 見間違い!? 見間違いじゃない! 同名の別人!?
動揺を表に出さないように必死で自制しながらルッツを見上げる。ルッツの翡翠の目が得意そうだ。間違いない。本当にカミルなんだ。
……うわーっ! もう見習い先を探す年になってるなんて! わかっててもわからないよ!
わたしの記憶に残っているのはおむつでお尻をもこもこにしたカミルがよちよちと歩いている姿くらいだ。プランタン商会の見習いを目指していることも知らなかった。
……許可を出したい。ものすごく出したい。今すぐ出したい。
でも、これは簡単に決めて良いことではない。フランやギルと話をして、これから先に同じように見学希望をする者が出た時に受け入れられるのかどうかを確認しなければならないことだ。
「検討します」
「どうぞよろしくお願いします」
……カミルがプランタン商会の見習いになったら、ちょっとくらいは会う機会ができるかも!? やったー! 神に祈りを!
心の中が祝福の嵐になっているところにオルドナンツが飛び込んで来た。オルドナンツに馴染みのない商人達がビクッとして、慣れているわたし達は誰のところに止まるのか、動きを見守る。オルドナンツはハルトムートの腕に止まり、口を開く。
「クラリッサです」
……なんで!?
オルドナンツは領地の境界を越えることができない。クラリッサがオルドナンツを送れるということは、今エーレンフェストにいるということだ。ダンケルフェルガーを出発したという情報をもらったのは今朝のはずなのに、何故エーレンフェストにいるのだろうか。
「今、エーレンフェストの西門に到着しました。アウブの許可証を持たない他領の貴族は入れられぬ、と門番に止められています。どうしたらいいかしら?」
……に、西門!? この街まで来てるの!? え!? どうやって!? 怖い!
わたしはハルトムートと顔を見合わせた。驚愕の事態に、文官達も商人達もポカーンとしている。カミルと会えるかもしれないという喜びは一瞬で吹き飛んだ。
……あぁ、もう!
フェルディナンドやわたしの周囲がわたしの暴走に頭を抱える心境がよくわかった。これは手綱が必要で、きっちりと言い聞かせなければならない。
……そう、フェルディナンド様のように!
クッと顔を上げると、ハルトムートがさっとオルドナンツ用の魔石を差し出してきた。わたしはシュタープで軽く叩いて、鳥の形にする。
「クラリッサ、兵士の言葉に従い、西門で待機です。できなければ即刻ダンケルフェルガーに送り返します」
シュタープを振ってオルドナンツを飛ばすと、自分の背後で護衛に立っているコルネリウス兄様を振り返り、ダームエルとアンゲリカを呼んでもらう。速足で入室してきたダームエルとアンゲリカに命じる。
「クラリッサの相手を兵士達にさせるのは大変です。すぐに西門へ向かってください。そして、わたくしが到着するまでクラリッサを待機させておいてください。商談を終えたら行きます」
「はっ!」