Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (55)
ルッツの家庭教師
手仕事の髪飾りを作っていると、トントンと玄関のドアをノックする音が聞こえた。
顔を見合わせた後、トゥーリが様子を伺いに行く。
「はい、どなた?」
「オレ、ルッツだけど。簪部分、持ってきた」
「わかった。今開けるね」
トゥーリが鍵を開けてギギッとドアを開けると、ひやりとした外気と一緒に雪を落としきれていないルッツが入ってきた。
「うわぁ、寒そう」
「吹雪はひどいの?」
「井戸への道が結構塞がってたけど、今はまだマシ」
そう言いながら、ルッツは入ったばかりのところで、完全に雪を落としてしまう。
「これ、簪部分。兄貴達が3個ずつ作ってたから、9個ある」
ルッツが髪飾りの簪部分をテーブルの上に並べた。ずらりと簪部分が並べられると、トゥーリが立ち上がって、できあがっている髪飾りの部分を持ってくる。
「あ、じゃあ、できてる分を完成させちゃおうか? そうしたら、簪部分がいくつ足りないかわかるでしょ?」
わたしが熱で寝ている間に、たくさんできていたようだ。テーブルの上に並んだ飾りを見て、わたしはルッツに問題を出す。
「飾り部分が12個。ルッツが持ってきた簪部分は9個。足りない簪部分は何個でしょう?」
「あ? えーと、3個」
「正解。よくできました。よく勉強してるね。髪飾りを作るのはトゥーリと母さんでお願い。わたし、ルッツの勉強見るから」
ルッツのもう片手には石板と計算機の入ったバッグがあるのを見つけて、わたしはそう言った。
トゥーリは目を何度か瞬いた後、首を傾げる。
「門で計算してるって聞いたけど、本当にマインに教えられるの?」
「文字や計算を教えるくらいできるもん」
あまりの信頼の無さにわたしがむぅっとむくれて見せると、ルッツが横で苦笑した。
「マインは文字や計算はすげぇよ。まぁ、力の無さもすげぇけど」
どうせなら、前半だけで止めておいてよ。
ルッツを睨んでみても、母もトゥーリも笑っているので、全く意味がない。
バッグからルッツが石板と石筆を取り出したので、わたしも失敗作の紙から使える部分だけを切りだして束ねたメモ帳と煤鉛筆を自分の木箱から取り出すために寝室へと駆けだした。
ルッツに勉強を教えるという名目で、本作りをしようと考えたのだ。
普段、母とトゥーリがせっせと手仕事をしている横で本作りをするのは、自分だけさぼっているようで居心地が悪いけれど、ルッツに教えながらだったら、二人とも書いているという動作に違いはないので、それほど目立たないはずだ。
さぁ、本作りの続きだ。
暇を見つけては時々書いているので、少しずつ束ねられたメモ帳に母の寝物語は溜まってきたが、まだ本と言えるほどは書けていない。
うきうきでメモ帳と煤鉛筆と石板と石筆を抱えて、わたしが台所へと戻ろうとした時、母の声が聞こえてきた。
「ねぇ、ルッツ。カルラも家族も商人になるの、反対しているんでしょ? このままでいいの?」
いきなり始まった真面目な話に息を呑んで、わたしは足音を立てないように気を付けながら、そぉっと台所に戻る。
質問をする母の隣には固まって動けなくなっているトゥーリが、正面には強張った顔で母を見るルッツがいる。
わたしがルッツの隣に座ると、母はゆっくりと息を吐いて、ルッツとわたしを交互に見ながら、口を開いた。
「わたしはね、もしかしたら、ルッツが商人になると言いだしたのはマインのせいじゃないかと思ってるの。マインがなりたいと言って、面倒見が良くて優しいルッツがそれに付き合っているんじゃないかって」
「そんなことない! オレが商人になりたくて、マインに紹介してもらったんだ。オレがマインを巻き込んだんだよ、おばさん」
ルッツが即座に否定した。ルッツが旅商人になりたいと思っていて、話を聞いて、市民権という存在を知って、商人になることを決めた。その決心した過程にわたしは正直関係ない。
母は小さく頷きながら、ルッツを静かに見つめる。
「そう。商人になりたいのはルッツなのね。でも、マインと同じところに見習いに行けば、今までと同じようにルッツはマインの面倒を見ようとするでしょう? マインの面倒を見ながら、仕事ができるほど見習いという立場は甘くない。マインの面倒を見ることに気を取られて仕事が中途半端になるわよ」
母の忠告はルッツの胸に刺さったのだと思う。思いもよらぬことを言われたとばかりに、ルッツが息を呑んだのが隣に座っていたわたしにはわかった。
そして、その言葉はわたしの胸にも刺さった。母の言葉は間違いではない。
わたしが奥歯を噛みしめていると、ルッツがグッと頭を上げた。
「……オレ、どうしても商人になりたいって思ってる。マインがいたから、商人になれるようになったんだ。だから、できる限りマインの役に立ちたいと思ってるけど、オレが商人になりたいのはマインのためってわけじゃない」
そう、ルッツは自分の夢がある。自分がやりたい事のためには職人ではなく、商人の方が都合良くて、ベンノやマルクと接することでどんどん心を固めていった。
わたしと一緒に行動するのが、商人になるためには一番近道だったけれど、別にわたしのために商人になるわけではない。
「では、ルッツはマインがいなくても、例えば、体が弱って仕事を辞めることになっても、商人を続けられるのね?」
テーブルの上でグッと強く両手を組み合わせたルッツが、母の目をじっと見つめたまま、ゆっくりと頷いた。
「続けるよ。当然だ。母さんも父さんも職人になれとしか言わないけど、やっと自分で切り開いた道だから諦めたくない。今、マインに止めろって言われても、オレは商人になる」
「そう。……だったら、いいの。カルラから話を聞くだけで、ルッツときちんと話をしたことがなかったから、気になっていたの。きちんと話してくれてありがとう」
カルラおばさんにとっては、わたしがルッツを付き合わせているように見えるのだろう。
わたしの体調の都合で振り回しているのは確かだから、完全に間違えているとは言えないけれど、だからこそ、ルッツの話は半分くらいしか聞いていないのかもしれないし、厳しく言えばルッツは意思を曲げると思いこんでいるのかもしれない。
この間、「止めてくれ」って言われたけど、断っちゃったし……。
カルラおばさんから母がどんな言い分を聞いたのか知りたいけれど、何となく話してくれない気がする。気になるなら自分で聞きなさい、と言われそうだ。
「エーファおばさん、オレも聞きたいことがあるんだ」
「何かしら?」
ルッツの声に母は少し首を傾げた。静かにルッツを見つめる目は、真面目に答えることを約束しているのがわかる目だ。
安心したように、小さく息を吐いたルッツが口を開いた。
「エーファおばさんは、どうしてマインが商人になることを反対しないんだ? 父さんや母さんが言うように、本当に商人が周りの人に嫌われる嫌な職業なんだとしたら、何故?」
まぁ、手数料を取って、利益をピンはねしていくのが商人だから、職人からはあまり良く思われていないのはわかるけど……。周りの人に嫌われる職業って言い方は、ちょっとひどくない?
わたしの心の声が聞こえたように母はわたしを見て苦笑した後、困ったように眉を下げた。
「商人に対するイメージは人によって違うから、職業については何とも言えないわ。でも、そうね……。反対しないのは、マインはずっと身体が弱かったから、かしら?」
「え? 身体が弱かったから?」
わけがわからないと言うように、首を傾げるルッツを見て、母は小さく笑った。
「正直、マインに仕事ができるなんて思っていなかったの。他の人がマインを必要とすることがあるなんて、考えられなかった。だから、マインが得意なことで誰かの役に立てるなら、その仕事をマインが一生懸命できるなら、わたしは反対なんてしないわ」
母の言葉に胸がぎゅっと締めつけられる。自分に向けられた母の愛情を感じて、じんと目の奥が熱くなってくる。
「そっか。……オレも一生懸命頑張るから、許してもらえねぇかな」
隣で零れた苦い響きの言葉にわたしはルッツの手を握る。
「許してもらえると良いね」
「あぁ」
「そのためには、まず、お勉強だよ」
「そうだな」
ルッツが笑ったことで、ふっと雰囲気が緩んだ。
真面目な話をしていた空気が霧散していき、息を詰めて座っていたトゥーリがハァと息を吐いて動きだした。裁縫箱を手にとって、髪飾りを簪部分に縫いつけていく。
それを横目で見ながら、わたしはルッツの石板をトントンと軽く指先で叩いた。
「最初は基本文字の復習からね。全部覚えているか、書いてみて」
「わかった」
ルッツに課題を出した後は、メモ帳に母から聞いた物語を書きとめて、本作りの続きをする。煤鉛筆は擦ると鉛筆より真っ黒になるけれど、インクと違ってお金がかからないところがいい。
物語の続きを書きながら、時折ルッツの石板に視線を向ける。ためらうことなく、文字を書いている姿が見えた。
ルッツの勉強は順調すぎるくらい順調だ。
勉強できる機会が限られていて、これからベンノの店で一緒に仕事をすることになる見習いの中で、ルッツが一番不利な状況であることを理解しているので、食らいつくように知識を呑みこんでいる。
ギスギスしていて、商人になることを許してくれない家庭での雰囲気から、ルッツは最悪の場合、家を出ることさえ考えている。だからこそ、一層焦って少しでも知識を詰め込もうとしているのがわかる。
「基本文字はもう完璧に全部覚えたね。字も丁寧に書けてる。すごいよ、ルッツ」
「マインのお手本がいいんだ」
何度も線を引いて、書き慣れなければ、文字を綺麗に書くことは難しい。前世の記憶があるわたしとは違う。そう考えると、ルッツの努力には本当に頭が下がる。
「基本文字が書けるようになったから、次は単語を覚えていこうね。一番よく使いそうな発注書の書き方で練習しよう」
わたしは自分の石板に、材木の発注書を書いてみた。紙を作る時にわたしは何度も発注書を書いたので、すらすらと書ける。書きながら、その過程で知ったベンノがお付き合いしている工房の名前や親方の名前も一緒に教えていく。
「これが材木屋さんの名前ね。ここが発注する人。わたし達の時はベンノさんが買って、わたし達に届けてくれていたから、ベンノさんの名前が入ってたの。これが材木の名前……」
ルッツはわたしの石板を見ながら、一生懸命自分の石板に書き写していく。
「春になって、紙を作るために注文する時はルッツが発注書を書いてみる?」
「えっ!?」
「書けるように練習してね」
「おう」
目標を定めるとかなりやる気が出るようで、真剣に綴り間違いがないか確認しながら練習し始めた。
その様子をしばらく見た後、わたしはメモ帳を広げて、母の物語を書きとめていく作業を始めた。母の寝物語集が完成するまでにはまだまだ時間がかかる。
「次は計算の練習をしようか?」
物語を一つ書き終えたわたしは大きく伸びをして、隣のルッツに声をかけた。
石板に何度も単語の練習をしていたルッツが顔を上げて頷き、石板を片付けてバッグから計算機を取り出した。
「じゃあ、今日はこれ」
わたしの石板に問題を書いていく。今日は3桁の足し算と引き算だ。8問書いた後はルッツが計算機を使う様子を見ていた。
前と違って、ほとんど迷いなくルッツの指は計算機を弾いていく。
「計算機を使うの、速くなったね」
「マインが覚えろって言った、一桁の足し算を覚えたら、かなり楽に使えるようになった」
「うん、覚えてるわたしより速いよね……」
ルッツに教えているような簡単な計算では、わたしの場合、どうしても暗算ですぐに答えが出てしまうので、計算機を使う指のスピードがなかなか上がらない。計算機を使うより、筆算の方が速いのは相変わらずだ。
ルッツの練習のために計算機を貸しっぱなしだからね。
そう自分に言い訳をしてみる。触る時間が短いので、上達しないのは仕方ない。自分の手元に計算機があったからといって、ルッツほど真剣に練習するのかと聞かれれば、ちょっと答えられないけれど。
「足し算も引き算も大丈夫そうだね。桁が大きくなっても、やり方は一緒だから」
「数字が大きくなるとちょっと混乱するけどな」
ルッツはそう言って頬を掻いたけれど、計算機を使い始めて一月くらいなのだから、十分な成果だ。
「掛け算や割り算のやり方はわたしも知らないから、どうしようもないんだよね」
計算機の使い方がわからないので、ひとまず、掛け算や割り算の考え方と九九を教えてみることにした。九九の読み方は「いんいちがいち」ではなく「いちいち いち」のようにこちらの数字の読み方を適当に当てはめる。多少言いにくくても、数字が並んだ時に答えがさっと出てくれば問題ない。
大きい数字も読めるようになったし、お金に換算することも間違わずにできるようになってきた。
ルッツの吸収力なら、新人教育の間に頑張れば何とかなると思う。
……わたしは、どうしようかな?
さっき母が言っていた『マインの面倒を見ながら、仕事ができるほど見習いという立場は甘くない。マインの面倒を見ることに気を取られて仕事が中途半端になるわよ』という言葉がわたしの胸にも深く刺さっていた。
ルッツが仕事をするうえで、わたしは間違いなく足手まといになる。体力がなくて、腕力がなくて、基本的には役立たずだ。
商品開発には多少役に立てるだろうけれど、こちらの常識がいまいち分かっていないので、事情を知っているルッツがいないと困ることが多い。
そういえば、ベンノさんにも心配されたな。
この体調で本当に働けるのか、と聞かれたことを思い出し、わたしはうーんと考え込む。思い悩む時間だけはたっぷりある冬の間に、きちんと考えておかなければならない。
ルッツの、そして、店のみんなの足手まといにならずに仕事ができるのだろうか。
わたしはどうすればいいんだろうか。
次の日になっても良い答えが出なくて、考えながらかぎ針を動かしているわたしに父が声をかけてきた。
「マイン、体調が良いなら、門に行くか? 今日は吹雪が止んでいるんだが」
「うん、行く!」
わたしはガタッと立ち上がって、すぐに出かける準備を始めた。トートバッグに石板と石筆を入れて、寒い外に出るために何枚も服を着込む。
門にはオットーがいる。オットーなら、商人の視点で、そして、身内ではない第三者の視点で、厳しい意見をくれるに違いない。
オットーさんに相談してみよう。
わたしがこのままベンノさんのお店の見習いになっても大丈夫かどうか。