Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (552)
王族との話し合い
「……いや、ヴィルフリートは呼ばぬ」
わたしの提案に対して、少し考えた養父様は首を横に振った。
「どうしてですか? ヴィルフリート兄様にとっても大きな問題ではありませんか」
「あぁ、その通りだ。だが、ヴィルフリートを呼んだところで何が変わる? 何をどのように感じたとしても、王に命じられてしまえば抗えるわけではない。ヴィルフリートが貴族院で不用意に騒ぐだけの結果にしかなるまい」
エーレンフェストがローゼマインを手放せるか否か、ということは領主一族ならばわかりきっている。「エーレンフェストから出せない」とツェントに主張するのはアウブ夫妻で十分だ。それに、まだ王族から正式に話があったわけでもないのに、「ローゼマインが次期ツェント候補である」ということは勝手に広められるようなことではない。ヴィルフリートに不満を叫ばれたり、側近達に情報が伝わったりするのは困る、と養父様は言った。
「其方との婚約が解消になれば、ヴィルフリートは次期アウブとなることがほぼ不可能だ。荒れるのは目に見えているのに、この差し迫った時にヴィルフリートの相手をする時間はない。王族と対面する前にエーレンフェストの方針を決めて交渉の対策を練ったり、条件を考えたりする方がよほど重要ではないか。ヴィルフリートは未成年で領主会議に出られるわけでもないし、王族に招かれてもいない。ここに呼ぶ必要性を感じぬ」
事後承諾にはなるが、結婚相手を決めるのは親なので特に問題はない、と養父様はとても不本意そうな顔で眉間に皴を刻みながら言った。アウブらしい言葉と表情が一致していないな、と思いながら見ていると、養父様は不本意そうな顔をそのままわたしに向けてくる。
「其方も同じだぞ」
「え?」
「王族との話し合いに其方も招かれておらぬ。そして、私はアウブ・エーレンフェストだ。できる限りの交渉はするが、エーレンフェストは決して強者ではない。其方の意に染まぬ結果になるかもしれぬ。それは覚悟しておいてほしい」
アウブ夫妻が招かれているけれど、わたしは招かれていないので、交渉は全て養父様と養母様に任せるしかないそうだ。
「わたくしは養父様に大事な家族と自分の命を救っていただきました。結果が想定外になることは多々ありますが、養女として言われた通りに責務をこなしてきたつもりです。ですから、養父様がわたくしの家族と神殿の皆とグーテンベルク達を守ってくださる限り、アウブ・エーレンフェストとして下した判断には、養女として従います」
養父様が奥歯を噛みしめるのがわかる。その悔しそうな顔に愛情を感じながら、わたしは養母様に盗聴防止の魔術具を差し出した。
「アウブ夫妻が招かれているのであれば、養母様に秘密にしておくことはできませんもの。養父様、説明をお願いしますね」
「私がするのか?」
「一番衝撃の少ない伝え方をお願いします」
養父様が悩みながら口を開く。養母様は「貴方の表情を見る限り、悩む時間が惜しいのではなくて?」と微笑みながら先を促す。次期ツェント候補であることを聞いた養母様は、笑顔のままでしばらく固まり、「冬の報告書で少しは慣れたつもりでしたけれど……」と溜息を吐いた。
「王族としては余計な混乱を避けたいでしょうから、わたくしが候補に挙がったことは、養父様と養母様とお父様の胸の内に収めておいてくださいませ」
「わかっている。王族がどのような状況を望んでいるかもわからぬからな」
王族が望んでいるのは現状維持だとエグランティーヌから聞いている。大領地と大領地が争うようなことにはならず、ジギスヴァルトを次期ツェントとして盛り立てていくことが……と、そこまで考えてハッとした。
それはエグランティーヌの望みで、アナスタージウスはエグランティーヌの憂いを払いたいと言っていたのだから、二人だけの望みかもしれない。「わたしにグルトリスハイトを取らせてジギスヴァルトの第三夫人にする」というのは、ツェントやジギスヴァルトの口から聞いたことではない。王族内で情報の断絶があることから考えても、決めつけるのは危険かもしれない。
「養父様のおっしゃる通り、王族がどのような状況を望んでいるのかわかりません。ですから、王族のことを考えるのは後回しにいたしましょう。王族からエーレンフェストにとっての利益を搾れるだけ搾り取るにはどうすれば良いのかを養父様は考えるべきです」
「ローゼマイン!?」
王族のことを考えるのは後回しにしよう、とわたしが提案すると、養父様と養母様は目を見張った。
「わたくしをジギスヴァルト王子の第三夫人に、と望んだアナスタージウス王子は、エーレンフェストのことはエーレンフェストで何とかせよ、とおっしゃいました。王族ではなく、エーレンフェストが最大の利益を得られるように、去年のダンケルフェルガーとの出版交渉を参考に、決して譲れない最低ライン、これくらいは得られる利益、ここまで取れたら上等という大勝利ラインを決めておくと良いと思います」
養父様とお父様が顔を見合わせて「商人のような顔になっているぞ」と苦い笑みを浮かべる。今回の呼び出しでいきなり交渉が始まることはないはずだけれど、準備だけはしておいた方が良い。
わたしは中央神殿に入る場合と次期ツェント候補についての話が出た場合の両方について、具体的な条件を出してみる。連れていく側近に制限を付けられたくないとか、領主候補生としての扱いをしろとか、エーレンフェストの図書室以上の本が欲しいとか、どれもこれも個人的な利益ばかりだ。
「こら、ローゼマイン。それではエーレンフェストの利益がないぞ」
普段は文官から出された意見をまとめたり、良いと思うものを選んだりしているだけなのだろう。養父様はわたしの口から出てくる条件に嫌な顔をする。
「そう思われるのでしたら、養父様や養母様も条件を出してくださいませ。今回の件は、どこまで話を広げて良いことかわからないのですから、普段と違って文官に相談できません。自分達でエーレンフェストの利益を得なければならないのですよ」
ハッとしたように養父様と養母様がエーレンフェストの利益について意見を出し始める。普段から文官の話を聴いて、会議では他領のアウブ達と話をしているから、一つが出れば後は早い。次々と出てくる利益や条件をわたしは書字板に書き留めていく。これを優先順位で並べておけば、王族との話し合いでも少しは助けになるだろう。
「今回は王族の要望が出されるくらいでしょう。ただし、王族も交渉相手であることに変わりはありません。利益があるならば協力するのは構いませんが、こちらへの利益が全くないならば協力できかねます、という姿勢だけは崩さないでください。それから、養子縁組を解消するにはわたくしの同意も必要ですから、わたくしの意見も聞いてくださいとお願いしてみてくださいね」
次の日、わたしは地下書庫に行くのをお休みすることになった。熱が下がったばかりで動き回ったらまた熱を出すとオティーリエが心配し、クラリッサが「ローゼマイン様のお体が一番大事です」と強硬に反対したためである。
「ローゼマイン様は一日中地下書庫で文献ばかり見ているのです。さぞお疲れでしょう。ゆっくり休んでくださいませ」
わたしは側近達の言うままに寝台に戻りつつ、書箱を指差す。
「では、クラリッサ。ゆっくり休みたいので、そこの本を取ってください」
「寝台で本を読むおつもりですか!?」
「頼まれているお仕事と趣味は別物ですし、のんびりするために本は必須でしょう?」
クラリッサに驚かれて、わたしは「そんな反応をされたのは久し振りです」と言いながら、途中までしか読めていなかった本の題名を指示した。クラリッサが書箱を開けて、本を取り出してくれる。
「ハルトムートから聞いていましたが、実際に見ると驚きますね」
「最近のローゼマイン様は忙しすぎましたし、丈夫になられたため、ゆったり過ごせる読書の時間がありませんでしたものね」
リーゼレータはクスクスと笑いながら、本が読みやすいように寝台を整えてくれた。わたしはオティーリエに頼んで、ハンネローレかマグダレーナにお休みのお知らせをオルドナンツで飛ばしてもらい、本のページを捲る。クラリッサの「領主会議にいってきます」という声が遠くで響く頃には、わたしの意識は完全に本に奪われていた。
わたしがのんびりと読書を楽しんでいると、オルドナンツが飛んできた。白い鳥が本の上に降り立ったせいで、嫌でも視界に入る。
「ヒルデブラントです。体調を崩されたようですね。お見舞いを届けたかったのですが、未成年であるローゼマインはここにいないことになっているのでダメだと母上に叱られました。……早く良くなってください」
可愛いお見舞いオルドナンツにわたしは小さく笑いながら、「熱は下がったけれど、側近達が心配するので様子を見ているだけです。明日には地下書庫へ行きます」と返事を送った。
次の日はヒルデブラントに約束した通り、地下書庫へ行った。養父様と養母様は王族の呼び出しに行っている。どんな話し合いになるのだろうか。結果は寮に戻らなければわからない。
地下書庫にはハンネローレ、ヒルデブラント、マグダレーナがいた。今日はアナスタージウスとエグランティーヌも社交があるようだ。
「ごきげんよう、ローゼマイン様。お元気になられたようで安心いたしました」
お茶会で倒れるわたしが祠を巡ったのだから体調を崩すのではないか、とハンネローレは心配してくれていたらしい。もう大丈夫ですよ、と微笑んでいると、ヒルデブラントも近付いてきた。
「ローゼマイン、良くなってよかったです」
「お見舞いのオルドナンツをありがとう存じます、ヒルデブラント王子」
お礼を言うと、ヒルデブラントが紫の瞳を輝かせて嬉しそうに笑う。ヒルデブラントは王族にしては感情表現が素直で可愛い。メルヒオールと何となく似ているような気がして、わたしはつい甘い顔をしてしまう。
昨日は何をしていたのか、とヒルデブラントと話をしていると、不意に視線を感じた。振り返ると、マグダレーナがじっとこちらを見つめているのが見える。目が合うと、マグダレーナはニコリと微笑んで、書庫を指差した。
「そろそろ書庫に入りましょう、皆様」
そして、黙々と写本に励んでいると、肩を軽く叩かれた。
「ローゼマイン、少し良いですか?」
「何でしょう、ヒルデブラント王子? わからない文字でもございましたか?」
質問を受けるのは初めてではない。わたしはヒルデブラントに顔を向ける。ヒルデブラントは思い詰めたような顔でわたしを見つめながら、口を開いた。
「ハンネローレと母上が休憩をしているうちにお話ししておきたかったのです。……ローゼマインがグルトリスハイトを手に入れてツェントになるのですか?」
「……わたくしは王族ではないので、その資格はございませんよ」
ヒルデブラントの口からそんな言葉が出るということは、王族の間でわたしが次期ツェント候補であるという情報が共有されたようだ。ハンネローレには聞かせられないという分別はあるようだけれど、このようなところで話しても良いことなのだろうか。
疑問に思っているうちに、ヒルデブラントはそっとわたしの手を取った。
「ローゼマイン、私は貴女を助けたいのです」
どういう意味だろうか、と目を瞬いていると、カツカツと速足の靴音と共にマグダレーナが進み出てきた。
「ヒルデブラント、何をしているのですか?」
「母上」
ヒルデブラントが真っ青になっているところを見れば、言ってはいけないことだったのだろうと見当はつく。マグダレーナはわたしを見下ろした。
「ローゼマイン様、ヒルデブラントは何と言ったのでしょう?」
「わたくしを助けたいとおっしゃいました。もう体調は良いのですけれど、ヒルデブラント王子はとてもお優しいですね」
グルトリスハイトについては触れず、わたしはニコリと微笑んだ。マグダレーナは探るような視線をわたしとヒルデブラントに向けて、仕方がなさそうな顔で「ヒルデブラント、休憩にしましょう」と話を打ち切った。
ヒルデブラントがわたしと接触しないようにマグダレーナが監視しているような状態で、お昼ご飯を終え、黙々と現代語訳していると、ジギスヴァルトがやってきた。領主会議が始まってから、この地下書庫でジギスヴァルトの姿を見るのは初めてだ。
ジギスヴァルトは王族の都合で地下書庫に通うことになっているわたしとハンネローレを労い、「今日はゆっくりと休んでください」とハンネローレに帰るように促す。
「過分のご配慮、恐れ入ります」
ハンネローレは心配そうにわたしを何度か振り返りながら、書庫を出ていく。わたしも立ち上がろうとしたら、ジギスヴァルトから座り直すように言われた。
「ここでなければ、貴女と話ができませんから」
穏やかな笑みを浮かべながら、ジギスヴァルトがわたしの正面に座る。そして、徐に口を開いた。
「アナスタージウスからは貴女と話をする際には率直すぎるほど率直に言わなければ伝わらないと言われています。ですから、なるべく通じるようにお話をしたいと思っているのですが、よろしいですか?」
アナスタージウスの言い分はちょっとだけムッとしてしまうが、間違いではない。王族との話し合いで行き違いが出るよりは率直に言ってくれる方が望ましい。
「わたくしが率直すぎても処分対象にはしないでくださるのであれば……」
「大事なツェント候補を処分などできません」
小さく笑ってそう言った後、ジギスヴァルトは真っ直ぐにわたしを見た。
「アナスタージウスから報告があり、我々は貴女が次期ツェント候補だと知りました。それから、王族の登録がなければグルトリスハイトを手に入れることはできないということも……」
ディートリンデが魔法陣を光らせたことや星結びの儀式で、中央神殿の言葉を貴族達が少しだけ信用し始めているらしい。古い儀式を蘇らせて、正しいツェントを得るのだ、と。だからこそ、わたしでもグルトリスハイトを手に入れることができると考えたそうだ。けれど、それは正しくなかった。
「王族ではないわたくしには資格がございません。資格がなければ得られないのですから、王族がグルトリスハイトを手に入れるのが一番です。エグランティーヌ様にお願いするのが良いと思いますよ」
「残念ながら、王族にはそのような余裕がないのです。これは内密にしておいてほしい話なのですが……」
ジギスヴァルトは困った顔で教えてくれる。図書館の礎に当たる魔術具の魔力が枯渇しかけていたように、中央にある魔術具は魔力が枯渇しかけている物があるらしい。
「緊急事態で魔力供給できる者が少ないから、と動きを止めている魔術具が中央にはたくさんあります。……先日、そのうちの一つが崩壊しました」
「崩壊、ですか?」
「魔力を完全に失えば、崩れる魔術具もあるようなのです」
わたし達が普段使っている魔術具は魔力がなくなかったからといっても崩れることなどない。けれど、古い魔術具は魔力が完全に尽きると、形さえも残さずに崩れ落ちてしまうそうだ。
「自分達の代ではるか昔から受け継いできた貴重な魔術具を崩壊させてしまうわけにはいかないでしょう? 父上を始め、我々は特に重要ではないと判断して放置していた魔術具に回復薬を使いながら魔力を次々と注ぎ込んでいるところです。とても祠を巡って大量の魔力を注ぐことはできないのです」
早急にわたしを王族に取り込んでグルトリスハイトを手に入れ、魔力と貴族達を従える権力が必要なのだ、とジギスヴァルトは訴える。確かに、放置しておけば国が簡単に崩壊しそうだ。
「本来ならば貴女が成人するのを待ち、婚姻によって王族にするべきであるのはわかっています。けれど、我々は成人まで待てません。すぐにでも我々は貴女を王族に迎え入れたいと思っています」
エーレンフェストの養子縁組を解消し、ツェントの養女となる。そして、グルトリスハイトを手に入れて、成人後はジギスヴァルトと結婚してほしいらしい。それが王族にとって最善の未来だそうだ。
ディートリンデと結婚して、連座になってしまうフェルディナンドを救うことを考えれば、今すぐにでもグルトリスハイトを手に入れることができる状況は悪くない。もちろん、エーレンフェストの現状を考えれば、飛びつくことはできないけれど。
「父上は協力してもらう以上、エーレンフェストに利益をもたらすべきだと考え、様々な提案をしました。けれど、アウブ・エーレンフェストには受け入れられませんでした」
「……どのような提案をされたのでしょう?」
わたしの質問にジギスヴァルトは「かなり優遇しているのですけれど……」と前置きをして教えてくれる。
「ローゼマインの出身領地であるエーレンフェストを優遇して順位を上げ、貴族達をできるだけ多く中央に召し上げ、ツェントとなる貴女の立場を強化することも申し出たのですが、断られました」
他の大領地ならば影響力を増えるので喜ぶはずの王族からの提案は、「養子縁組の解消をするのも吝かではないが、双方に利のない契約は成立しない」とすげなく却下されたそうだ。
……まぁ、そうだろうね。
「エーレンフェストは一体どれほど強欲なのか、と困っているのです」
「ジギスヴァルト王子、エーレンフェストは急激に順位を上げたため、他領への対応や貴族としての在り方が上位領地に相応しくありません。しばらくは順位を維持するか、少し下げるくらいにして内政を充実させていかなければならないのです。順位を上げられては困ります」
わたしがエーレンフェストの内情をぶちまけると、ジギスヴァルトは驚きに目を見張った。どちらからも尽くされる立場なので、下位領地と上位領地の振る舞いの差をジギスヴァルトはあまり深刻に感じていなかったらしい。気を付ければ直すことが可能、という程度に考えていたようで、何年もかけて矯正することだとは認識してなかったそうだ。
ついでに、今年は順位を上げるよりも勝ち組領地として扱ってほしい、という要望だったため、エーレンフェストはとても野心のある領地だと思っていたらしい。
「では、貴女の立場を強化するための貴族の引き抜きは……?」
「ただでさえ人数が多くはなかったのですが、この冬に大変な理由があり、粛清が行われました。貴族が減少しすぎていますから、できるだけ多くの貴族を中央へ、と言われるとエーレンフェストが立ち行きません」
ジギスヴァルトは無言で頭を抱えると、わたしを見つめた。かなり思い違いがあり、すれ違いがあったようだ。
「そういうわけで、エーレンフェストにはエーレンフェストの事情がございます。すぐに王族の養女になるわけにはまいりません」
「どのような事情でしょう? それは崩壊が迫っているユルゲンシュミットを救うことよりも大事なことなのですか?」
ジギスヴァルトの言葉にはどうしようもない焦りがある。それでもわたしだって譲れない。
「そちらの問題は魔力不足の一言で終わる問題でしょう? こちらはわたくしでなければ、ダメなのです」
「聞かせてください」
ジギスヴァルトが少し身を乗り出した。
「わたくし、エーレンフェストで印刷事業と神殿長と孤児院長と領主一族の責務を担っています。このうちの領主候補生の責務はすぐにでも兄弟に任せることが可能です。けれど、他はそう簡単ではございません」
神殿長の引継ぎをメルヒオールと側近に任せるにしても、全ての神事を見せようと思えば一年は必要だし、孤児院をこのまま引き継いでくれるようにしなければならない。そして、印刷業務に関してもお母さまへの引継ぎに加えて、グーテンベルク達の出張をどうするか、わたしが中央へ出るならば専属達をどうするのかなど、片付けなければならない問題はたくさんある。
「それから、わたくしとの婚約によって次期アウブは内定していましたが、それが崩れることになればエーレンフェストは荒れます。ある程度の準備は絶対に必要なのです。政変で大変なことになったので大領地の争いを避けたいと考える王族ならば、粛清で大変なことになったので領地内のギーベの争いが起こるのを避けたいと考えるアウブのお気持ちを理解していただけると思います」
エグランティーヌもジギスヴァルトも政変のような争いが起こるのを避けたいと言っていた。そのために、ジギスヴァルトの第三夫人になってほしいと申し出ているのだ。こちらの事情が全く理解できないとは言わせない。
「それに、養母様は妊娠中です。赤子が生まれるまで魔力の供給はできません。来年の今頃には養父様が第二夫人を迎える予定ですし、冬には妹が貴族院で加護の儀式を行います。少なくとも来年でなければ、魔力的な問題でわたくしはエーレンフェストから動けません」
「エーレンフェストよりもユルゲンシュミットの方がよほど緊急かつ大変なのですが……」
ジギスヴァルトが言い募るのを聞き流して、わたしはニコリと微笑んだ。
「王族に足りない魔力は何とかしましょう。ですから、魔力でわたくしに一年分の時間を売ってくださいな。そして、大領地の常識ではなく、エーレンフェストの事情を考えた上で、エーレンフェストとわたくしにとって利になる条件を受け入れてくださいませ」