Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (553)
商人聖女 前編
ジギスヴァルトは一瞬真顔になった後、ニコリと微笑んで「申し訳ありませんが、よく聞こえませんでした」と言った。わたしはもう一度魔力で時間を買いたいと申し出る。
「……魔力を一年分で、一年分の猶予ですか? 元々は王族七人分の魔力です。いくらローゼマインの魔力が多くても一人で賄える量ではありません」
物の道理をわかっていない子供に言い聞かせるように穏やかな笑顔でわかりきったことを言うジギスヴァルトに、わたしはニコリと微笑む。さすがにそれだけの魔力を自分一人で賄えるとは、わたしだって思っていない。
「わたくし一人で賄うなど、一言も申し上げていません。今、ここには魔力をお持ちの方がたくさんいらっしゃるではございませんか」
ジギスヴァルトはまた一瞬真顔になった後、微笑む。今度は少しばかり笑顔がぎこちなくて、まるで何とか理解しようとするように「……たくさんいらっしゃる?」とわたしの言葉を小さく繰り返した。どうやら一時停止してから微笑むのは、ジギスヴァルトが驚いた時の反応らしい。
……フェルディナンド様の処理落ちみたいなものかな。
笑顔の下で驚愕しているらしいジギスヴァルトに余裕があるように見せるため、わたしは更に笑みを深めながら、必死に頭を回転させて自分の勝利条件を思い浮かべていく。
最上の勝利は、わたしのためではなく、王族のために奉納式をするのだと刷り込んで、王族主体で開催してもらって、奉納式の準備を中央に丸投げして、一年以上の時間をもぎ取る。ついでに、宣伝下手なエーレンフェストが各領地に恩を売るのを手伝ってもらう。そうして優位な立場になってから、養女になる条件としてのエーレンフェストの言い分をできるだけ呑ませる。
まずは前哨戦として一年以上の時間稼ぎから攻めていきたい。王族の話と命令を唯々諾々と聞き入れるお貴族様のお話し合いではなく、わたしの土俵に引きずり込んで、話の流れと主導権を握るのだ。
わたしは完全に商人モードにスイッチを入れてジギスヴァルトを見つめる。正面にいる彼は王族ではなく、交渉相手だ。養父様や養母様を見てもわかるように、普通の王族は交渉を文官に任せていて、承認や却下をするだけの立場である。側近が入ってこられないこの地下書庫の中ならば、外に出るよりよほど勝算は高い。
……最低ラインは、どんな手段を使っても一年以上の時間をもぎ取ることと、フェルディナンド様の待遇改善について王族の確約を得ること。わたしはやるよ! ベンノさん、力を貸してね!
「領主会議で奉納式を行いましょう」
「まさか会議のために集まっているアウブから魔力を得るつもりですか? そのようなことは前代未聞で……」
わたしの提案にジギスヴァルトは少し笑顔を引きつらせた。けれど、王族にはすでに貴族院で学生から魔力を集めた実績がある。学生でもアウブでも大した違いはないだろう。付け加えるならば、わたしはアウブだけから魔力を取るつもりはない。会議についてきている側近達にも儀式に参加してもらうつもりだ。
……取れる時に、取れるところから、取れるだけ、取っておくもの。……だよね、ベンノさん?
「あら、どうしてそのように驚かれるのでしょう? 奉納式はジギスヴァルト王子のお望みを叶えるためにも必要なことではございませんか」
奉納式と自分の望みが繋がらないようで、ジギスヴァルトは少しばかり困惑した顔になった。さらりと豪奢な金の前髪が揺れる。
「私の望み……? では、王の養女となり、グルトリスハイトを手に入れ、成人後には私と婚姻してくださるのですか?」
「違います。わたくしがアウブや会議に同席した文官達から伺ったジギスヴァルト王子の望みは、わたくしを中央神殿の神殿長にし、各地に派遣して神事を行い、各地の収穫量や加護を増やしたいというものです。貴族の底上げはユルゲンシュミット全体で最優先に行わなければならないことなのでしょう?」
ジギスヴァルトが「それは……」と反論しかけたところに、「ジギスヴァルト王子はアウブ・エーレンフェストにそうお望みでしたよね?」と畳みかける。ほんの数日前に本人が言ったことで、エーレンフェストの貴族達を困らせた要望だ。今更言い逃れなどさせるつもりはない。
「ですから、わたくしは王子のお望み通りに奉納式を行うのですよ。各地のアウブや貴族達は神事に参加することで神殿や神事の重要性を理解し、収穫量や加護を増やすことができるようになりますし、中央神殿は魔力の多い者による神事を望んでいたのですから当然協力してくれるでしょうし……」
エーレンフェストの聖女を中央神殿の神殿長にして各地に派遣し、神事についての知識を広げるべきだと主張している各領地の貴族も、魔力がなくて神事を再現できないから魔力豊富な神殿長が欲しいと言っていた中央神殿にも奉納式への参加を断らせる気は全くない。皆のお望みどおりに神事を行い、魔力を搾りつくしてくれよう。
「王族が最優先と考える各領地の底上げができる上に、大量の魔力が手に入りますし、わたくしが養女になるまで一年間の猶予ができるのです。誰にとっても損がない素晴らしい案でしょう?」
わたしの言葉を真顔で聞いていたジギスヴァルトがハッとしたように瞬きをして、ゆっくりと微笑みを浮かべた。
「……確かに素晴らしい案だと思いますが、一体いつ行うつもりですか?」
領主会議は二週間以上かかることもある。まだ一週間以上あるので、貴族院で奉納式を行った時のことを考えても準備期間は十分だ。領主会議と並行して準備を行うので、ちょっときつめのスケジュールにはなるけれど、中央貴族はエーレンフェストよりずっと人数が多いので問題ない。
「領主会議の最終日でよろしいのではございませんか? それだけの時間があれば、準備も可能だと思います」
「さすがに急すぎます、ローゼマイン。大勢の者が動くのですから、予定にないことはできません」
十分な時間を取って文官や側仕えが予定を立て、それに沿った生活をするのが常なのだろう。王族であるジギスヴァルトは他人の事情に否応なく巻き込まれて予定変更を余儀なくされる経験などないに違いない。余計な予定を入れられることに拒否感を示した。
それに、王族に対する貴族としては変化球ばかりを投げるわたしに対してどのように返せば良いのか、相談できる者もいなくて困り果てているのがわかる。でも、わたしはジギスヴァルトを追い詰める手を緩めるつもりは毛頭ない。
……これから先の王族との交渉で養父様が楽になるように全力で行かせてもらうよ!
わたしは驚きの表情を作って「ジギスヴァルト王子に奉納式を渋られるなんて、わたくし、思いもしませんでした」と頬を押さえながら、少し目を潤ませてジギスヴァルトを見つめる。
「他領に神事のやり方を教えてユルゲンシュミットの底上げをすることは最優先だとおっしゃったのは、他ならぬジギスヴァルト王子ではありませんか。……もしかして、他領のアウブを黙らせるためだけに、然程急ぎでもないにもかかわらず、エーレンフェストの領主候補生を中央神殿に入れようとしたのですか?」
わたくしを中央の神殿長に、という王族からの要望に養父様はとても困っていたのに急ぎでも何でもなかったなんて……、とアンゲリカを真似てできるだけ悲しそうに睫毛を震わせて目を伏せると、ジギスヴァルトは笑顔を忘れたように慌てて首を横に振った。
「待ってください、ローゼマイン。誤解です。少しでも早くユルゲンシュミットの貴族達の底上げが必要であることに間違いはありません。……ただ、そういう大規模な神事はもっと中央神殿や文官達と話し合い、予定を合わせて準備をするものではありませんか。そのような予定も時間もないところに、あまりにも唐突だったので驚いたのです」
……ふーん。あ、そう。そういうこと言うんだ?
言い訳をするジギスヴァルトに今度はわたしの方が真顔になってしまう。「わかっていただけましたか?」と微笑むジギスヴァルトを見つめながら、わたしは冷笑を浮かべた。
「ジギスヴァルト王子、わたくし、疑問があるのですけれど……よろしいでしょうか?」
「何でしょう?」
「王族が少しでも早くグルトリスハイトが必要なのは理解しました。けれど、わたくしの人生の予定には王の養女などありませんでした。王の養女となるということは、本来ツェントとアウブの間でお互いに納得できるように十分に時間をかけて話し合い、予定を組んで準備する期間が必要なことではございませんの?」
ジギスヴァルトが笑顔のまま無言で固まったのをじっと見つめながら、わたしは更に言葉を重ねる。
「十分な話し合いの時間も準備期間もなく領主候補生を王の養女にしろと命じるのと、領主会議の最終日までにまだ時間のある奉納式の準備を命じるのと、どちらが唐突で大変なことでしょう?……王族にとって、わたくしとの養子縁組は奉納式より簡単に済ませられることなのですか? エーレンフェストもわたくしもずいぶんと軽く見られているようですね」
わたしが面と向かって王族の言動を非難すると、ジギスヴァルトは真顔で何度も瞬きをしながらわたしを見つめた。もしかしたら、わたしのことを何でもおっとりと言うことを聞くお嬢様だとでも思っていたのだろうか。それとも、今までは遠回しな貴族言葉で色々と言う者がいても、面と向かって率直に非難されたことがないのだろうか。
「貴女の養子縁組は本当に緊急で差し迫っているからです。決して貴女を軽んじているわけではありません」
「緊急で差し迫っているのは王族の魔力不足でしょう? わたくしの成人を待つこともできず、エーレンフェストを混乱に陥れたとしても養子縁組が必要なくらいに緊急なのでしたら、こちらに無茶を命じるのと同じように中央神殿と各地のアウブへ奉納式の準備を命じればよろしいではありませんか。相手の予定や意見を聞かずに自分の都合だけを振りかざすのは王族の得意技ですのに」
「王族は自分の都合だけを振りかざしていると思われているのですか……?」
これでもできるだけ利害調整をしているつもりです、と意外そうな顔で口にするジギスヴァルトにわたしは思わず嫌な顔になってしまう。
「こうしてわたくしの意見を聞こうとしてくださっているので、調整する気持ちがあることだけはわかります。けれど、王族の都合を主張するだけでこちらの事情は聞き流していらっしゃるし、こちらに利益を提供することは全くできていませんよね? そもそも、魔力が必要なのも、グルトリスハイトが必要なのも、王族の養女になることも、神事について各地のアウブに教えることも、王族の望みです。どれ一つとしてエーレンフェストやわたくしの望みではございません。そこはご理解いただけていますか?」
本当はグルトリスハイトが手に入ったら読みたいなと思っているが、そんなことはこの場ではわざわざ口にしない。王族主導で奉納式をしてもらえるように、わたしはジギスヴァルトをガンガン追い込んでいく。
「わたくしが面倒な奉納式を提案したのは王族のためですよ。神事など、アウブが自領の神殿を調べて、各自で何とかすればよいことです。自領のことは自領で何とかするものだとアナスタージウス王子はおっしゃいましたもの」
わたしの言葉をじっと聞いていたジギスヴァルトは少しだけ首を傾げた。
「奉納式をするのは一年以上の時間を魔力で買うためで、時間を必要としているのは王族ではなく、ローゼマインとエーレンフェストではありませんか?」
「エーレンフェストにも必要ですけれど、本当に時間が必要なのは王族だとわたくしは思っています」
きっと王族はどれだけ探しても見つからなかったグルトリスハイトが目の前にぶら下げられた状態で周囲が見えていないのだろう。よく理解できないという顔をしたジギスヴァルトに、わたしは現実を突きつける。
「わたくしが最もグルトリスハイトに近いと判明してほんの数日ですが、養女にすると簡単におっしゃる王族側の受け入れ準備はすでに終わっているのでしょうか? 確か洗礼式を終えた王族には離宮が与えられるはずですよね?」
養子縁組の契約をするだけならば簡単に終わるかもしれないが、王の養女として生活をするならば、離宮の準備、家具や生活道具の搬入、中央貴族からの側近候補の選出、エーレンフェストから連れていく側近の生活環境の準備、中央のマントやブローチを揃えるなど、すぐに思いつくだけでもかなりたくさんの準備が必要になる。
「何の準備もなく養女になどできないと思うのですけれども、もしかして王族は養女となるわたくしには離宮など必要なくて、成人するまでは神殿長として中央神殿に放り込んでおけばよいとお考えですか? それとも、ほんの数日で離宮の準備まで全てを整え終わっているのでしょうか? あぁ、それだけ優秀な中央貴族が揃っていらっしゃるならば、奉納式の準備など一日もかかりませんね。頼もしいこと」
ジギスヴァルトは笑顔のままで深緑の目を少しさまよわせ、地下書庫の外の側近達のスペースに視線を向けた。マグダレーナとヒルデブラントもそちらにいるが、話し合いの邪魔をしないように言われているのか、こちらの様子を気にしつつも入ってこようとはしない。
「……あ、いや。それは……。養母となる母上か、婚約者となる私の離宮に客室を準備させるつもりで……」
苦しそうに答えを捻り出したジギスヴァルトにわたしはわざとらしく驚いて見せ、「あら、実子には離宮を与えて養女には客室を与えるのが王族の慣例ですか?」と微笑む。
「そのような慣例、初めて知りました。実子と養子を差別しているとひどい噂をされている養父様と養子縁組をした時は、実子と同じように整えられたお部屋をいただいたのですけれど、王からいただくのは他人の離宮の客室ですか。その待遇で、わたくしやエーレンフェストを軽視しているわけではない、とおっしゃるのですね?」
ジギスヴァルトは痛いところを突かれた顔になった。必死に言葉を探しているのがわかる。王族の取り繕った笑みが完全に消えていることから、自分が確実に優位に立ったことを確信して、わたしはジギスヴァルトを見つめる。
「このように王族の不備を突けば、わたくしは奉納式を行わなくても一年間の時間を手に入れることが不可能ではありません」
王族からの申し出に対して不備を指摘し、不満を言いながら「養子縁組を解消しません」と言い張るのは、王族からの心証やこれから先を考えれば取らない方が良い最後の手段である。けれど、エーレンフェストの養子縁組を解消しない限りは王の養女になれないのだから、一年間逃げようと思えば全く方法がないわけではないのだ。
「突然の奉納式は予定になくて唐突で面倒なことですから、善意と言っても王族は信じてくださらないかもしれません。でも、わたくしは皆が利益を得つつ、一年分の時間を得るための提案をしたつもりなのです。わたくし、奉納式に協力した方がよろしいですか? それとも、奉納式以外の方法で一年間の時間を得ましょうか?」
わたしはジギスヴァルトをじっと見つめて問いかける。ジギスヴァルトもじっとわたしを見ている。真意がどこにあるのか、探るような目だ。
しばらくの見つめ合いの後、ジギスヴァルトがフッと息を吐いた。
「……貴女の配慮をありがたく思います。奉納式を行うようにツェントに進言しましょう。準備は……」
腹を括ったらしいジギスヴァルトからエーレンフェストに神事の準備が回ってこないように、わたしは先手を打って準備について思い浮かぶことをつらつらと並べていく。
「祭壇や神具の使用許可を得ることがエーレンフェストでは難しいですから、奉納式の準備は中央にお願いしますね。舞台は出さない状態で講堂を広く使えるようにすれば、アウブ以外の側近にも儀式に参加していただけるでしょう」
ジギスヴァルトは一度真顔で固まった後、ニコリと微笑んだ。
「ローゼマイン、貴女はアウブだけではなく、側近まで参加させるおつもりですか? 一体どこまで魔力を取るおつもりなのでしょう?」
「取れる時に、取れるところから、取れるだけ、取っておくもの、とわたくしは教えられて育ちました」
わたしが得意顔で胸を張ってベンノからの教えを披露すると、ジギスヴァルトは何とも言えない困惑の顔で「アナスタージウスが言っていた、神殿育ちで常識が違うというのはこういうことですか」と呟いた。
……惜しい! 神殿育ちじゃなくて、平民育ちでした!
「付け加えるならば、利益を継続的に取れると尚良いそうですよ。今回の場合ならば、参加領地に対して毎年の領主会議で加護の再儀式を行うことを餌に奉納式を恒例行事化する、という感じでしょうか。加護の儀式は時間がかかりますから、一度の領主会議でできるのは二つの領地くらいですね。でも、十年に一度くらいの割合で加護を得る儀式に再挑戦できるとなれば、どなたも真剣に神事に取り組むでしょう」
本気で底上げをしたいならば、大人にも儀式を行う場を提供しなければならない。そして、大人が真剣に祈るようになれば、子供はつられるものだ。
「それに、アウブ・クラッセンブルクから共同研究として貴族院の奉納式を恒例行事にできないか、という打診がございましたから、上手くやれば春の終わりと冬にたくさんの魔力が集まりますよ」
「ローゼマイン、魔力はそのように簡単にやり取りするものではありません」
「王族は手段を選んでいられないくらいの緊急事態なのですよね? 魔力を集める方法は色々と考えた方が良いのではありませんか?」
わたしの発言にジギスヴァルトは目を見開いたまま、完全に固まった。どうやら王族にとってはあまりにも想定外の提案をしてしまったらしい。
「少し思い付きを述べてみましたけれど、どこからどのように魔力を引っ張って来るのか、奉納式を毎年恒例にするかどうかなどは、今のわたくしには全く関係のないことですね。今は奉納式の準備についてのお話を進めてもよろしいですか?」
「……はい、どうぞ」
あまり頭が動いていなさそうなジギスヴァルトのために、わたしは奉納式の準備の手順を手元の紙に記しながら説明をする。
「各領地へ日時や持参する物を知らせるのはオルドナンツや招待状を使えばそれほど手間はかかりません。離宮に残っている貴族に空の魔石を準備させ、中央神殿に神事の準備を命じれば、領主会議の進行にはそれほど負担がかからないと思います。そうそう、貴族院と中央神殿の二カ所に聖杯がありますし、祈念式が終わった今ならば小聖杯も魔力を溜めるために使えますから、中央神殿に準備させてください」
そこでわたしは一度ペンを止めて、顔を上げた。わたしの笑顔を見た瞬間、ジギスヴァルトが頬を引きつらせる。嫌な予感がしたのだろうか。それは正しい。
「あと、エーレンフェストの協力によって実現した奉納式であることを王族からしっかり宣伝してくださいませ。ずっと下位領地だったエーレンフェストは引き立てを待つだけで、どうにも宣伝下手なところがございますから」
「待ってください。王族がエーレンフェストの宣伝を行うのですか?」
どうしてそうなるのか、と言いたそうなジギスヴァルトにわたしは当たり前の顔で頷いた。
「わたくしと神官長であるハルトムート、青色神官の衣装をまとえる護衛騎士の出張費用です。エーレンフェストとしては何の見返りもなく協力はできません。王族はこちらの利益を考えてくださる、とおっしゃいましたよね?」
一度唇を引き結んだジギスヴァルトが、難しい顔で溜息を吐いた後、穏やかに微笑んだ。そして、各地へ恩を売るための協力を約束してくれる。立ち回りが上手くないエーレンフェストの貴族に任せるよりも効果的に他領へ恩を売ってくれるだろう。これで養父様も喜んでくれるに違いない。
……養父様、ベンノさん。わたし、やったよ! 前哨戦は完全勝利じゃない?
「それにしても、魔力をそれだけ取ったら、各領地から不満が起こりませんか?」
わたしは書いた紙をジギスヴァルトに渡すと、奉納式の準備の流れに目を通しながら、ジギスヴァルトは奉納式の問題点を口にする。
「奉納式で徴収する魔力は神々の御加護を得るための神事への参加費で、今回の受講料です、と予め告げておけば後から文句はそれほど出ないでしょう。不満な領地は参加しなければ良いだけですから」
「それでは参加する領地が少なくなるのでは?」
参加者が少なくなれば集められる魔力は少なくなる。準備の労力と釣り合うのか、と心配しているジギスヴァルトを見て思う。この人は本当に王子様だな、と。
「奉納式に参加しなければ将来の収穫量や神々の御加護で目に見えて差が出るけれど、周囲の領地が富んでいくのを後悔しながら指をくわえて見ていれば良いというふうに煽れば、簡単に食いついてくださると思います」
来年一緒に奉納式をしようと言っていたクラッセンブルクは貴族院での奉納式を餌にすれば出席するだろうし、加護を得ることに領地一丸となっているドレヴァンヒェルは興味を持って参加するだろう。それに、貴族院の奉納式に出られなかった領地は絶対に参加したがるはずだ。
「あとは、加護の再儀式を可能にすることができれば大きな見返りになりますし、地下書庫で手に入った儀式の情報について匂わせれば飛びつく領地は多いでしょう。参加する価値があると思わせればよいだけですから、人を集めるのはどうにでもなりますよ」
わたしの提案にジギスヴァルトは五秒ほど目を閉じてゆっくりと息を吐いた後、ニコリと微笑んだ。かなり動揺させてしまったらしい。もしかしたら、温室育ちの王子様にはちょっと悪辣に聞こえたかもしれない。
……まぁ、わたしの師匠はベンノさんとフェルディナンド様だから、ちょっとくらい悪辣でも仕方がないよね!
「あ、それから、今回は神事を経験したことがない領地に教えるための奉納式ですから、冬に貴族院で経験した王族は参加する必要がないと思います」
王族からの魔力提供は必要ないですよ、と言うと、ジギスヴァルトは目に見えてホッとしたような顔になった。
「わかりました。王族と中央で儀式の準備を行い、各領地に参加を促すことにします。ただ、回復薬の準備はエーレンフェストにお願いしてもよろしいですか? 中央の分は王族が使う方を優先したいのです」
「回復薬は各自で準備する物でしょう? 普段から腰に下げているのですから、忘れないように注意喚起だけすれば十分ですよ」
ジギスヴァルトが「貴族院の奉納式ではエーレンフェストが準備していたのでは?」と目を丸くしたけれど、あの時と今回ではエーレンフェストの立場が全く違う。
「貴族院の奉納式はこちらの研究に協力していただくためだったので、見返りが必要だと考えて準備しました。けれど、今回は神事について知りたいと望む者に、王族と協力し、労力と時間を割いてわざわざ教えてあげるのです。こちらが回復薬を準備する必要など全く感じませんし、回復薬の準備をするよりは地下書庫の文献を読み進める方がよほど大事でしょう?」
……エーレンフェストに戻ったら引継ぎなどで読書をする余裕もない一年間になるはずだからね。
わたしがこの地下書庫に通えるのは領主会議の間だけだ。回復薬作りより読書時間の方が大事に決まっている。
「回復薬を有料で売ることについては考慮してみても構いませんけれど……貴族院で出した物を売りに出せばドレヴァンヒェルが買い占めてレシピ解析に躍起になりそうですもの。講義で習う中でも効果の高い回復薬ならば売っても構わないのですけれど、誰でも持っている薬なのでエーレンフェストの利益にはならないと思います」
採集地で騎士達に採集をさせて、領主会議の対応に忙しい文官達を動員して回復薬を作らせてもエーレンフェストには負担だけで利益がない。
「……エーレンフェストが急激に富んだわけがわかりました。そして、領地内の貴族が急激な順位上げについてこられないというのも、よく理解できた気がします」
疲れをにじませた笑顔のジギスヴァルトに、わたしはニコリと微笑んだ。
「相互理解が深まったようで何よりですね。では、奉納式の準備については終わりましたし、次はわたくしが王族の養女になるための条件をもう少し詰めましょうか」
「まだあるのですか!?」
……え? 前哨戦が終わっただけで、肝心の話し合いは始まってもいませんよね?