Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (556)
領主会議の奉納式
「ローゼマイン様、わたくしも今回は参加できることになりました。アウブにお礼を申し上げてくださいませ」
シュバルツ達のように動く図書館の魔術具を作るために必要な素材について書かれた木札を渡しながら、ヒルシュールは上機嫌でそう言った。手渡される木札の内容と口に出ている話題が全く違うので、お礼を言えば良いのか、話題に乗れば良いのか、少しばかり頭が混乱する。
「木札、ありがとう存じます。それから、奉納式の参加が認められたようで何よりです」
貴族院で行った奉納式は研究だったため、学生の領主候補生と上級文官に限った。けれど、研究欲の旺盛な先生方にとっても加護が増加する神事とは興味のあるものだったようだ。
そして、今回、領主会議で奉納式が行われることが決まったが、招待状が出されたのは各領地のアウブとその側近に対してで、教師に向けた招待状はなかった。「また教師は弾かれるのか」とヒルシュールが不満を漏らしていたので、養父様から王族にオルドナンツを送ってもらい、希望する教師にも招待状を送ってもらえるようにお願いしたのだ。
……参加人数は多い方が良いからね。王族だって大喜びだよ。
「それにしても、今回は回復薬が自前なのですね。グンドルフが悔しがっていました。エーレンフェストが配った回復薬はずいぶんと効力があったと学生が言っていましたから、自分の体で効力を試してみたかったそうです」
やっぱりドレヴァンヒェルは薬が目当てだったか、と思いつつ、わたしはクスと笑って受け流す。ヒルシュールは目をキラリと光らせて、わたしを見た。
「王族は領主会議における儀式の恒例化を狙っているようですけれど、御加護の再取得だけでは少し不満が出るかもしれませんよ」
「あら、そうなのですか?」
「十年に一度くらいの頻度で再挑戦できるのは良いのですけれど、魔力の使用感に変化が出るのはいくつもの御加護を賜ってからです。ずっと魔力を提供しなければ儀式に再挑戦できないのに、最初の一、二年目に当たった領地はほとんど御加護が増えないでしょう?」
ヒルシュールの言う通りだ。加護を得るには魔力の奉納量と神々の目に留まるような普段の行いに大きな関係があるので、何となく生活していて簡単に加護が増えるわけではない。
毎日のように神殿に来て「誰が一番にシュタープを神具に変えられるのか」と一見アホっぽい勝負をしながら神具に魔力を奉納していたわたしの側近達が得た加護数と、わたしがユレーヴェ漬けになった時から数えて五年ほど祈念式と礎で奉納しているヴィルフリートの加護数を比べれば頻度や量が重要であることがわかると思う。
「御加護を得にくい不利な順番を割り当てられるのは負け組領地になるでしょう。ただでさえ魔力が乏しいのに、最初の再取得ではほとんど御加護を得られず、その次は十年以上奉納式で搾り取られなければ効果が感じられないのです。先々を考えれば周囲と差が出るので参加しないわけにはまいりません。けれど、非常に厳しい十年になることを思うと、不満を抱く領地は出てきます。ですから、ローゼマイン様。不満を逸らすために回復薬を配りませんか?」
ヒルシュールの指摘に、わたしは少し考え込む。確かにそういう不満を逸らすためには目先の利益も大事かもしれない。でも、それはヒルシュールが王族に進言して、王族が考えることで、わたしやエーレンフェストの仕事ではないと思う。
「……不満を逸らした方が良いと思うならば、王族に進言して中央所属の先生方が協力して回復薬作りを頑張ると良いですよ。先生方の内の一人か二人は効果の高い回復薬のレシピをお持ちでしょう?」
エーレンフェストが頑張ることじゃないですよね、とわたしがニコリと笑って拒否すると、ヒルシュールはつまらなそうに肩を竦めた。
「わたくしの研究時間を削ってこれから回復薬を作るのですか?……負け組領地のために回復薬を作ったところで、何の利益もございませんね」
「心の底から同意いたします。わたくしも大事な読書時間を削って何の利益もないことなどできませんもの」
今回の主催は王族ですから勝手な真似はしません、とヒルシュールに宣言すると、ヒルシュールはフッと笑った。
「そのようなことをおっしゃっても、ローゼマイン様が不満を解消するために何かできないか考えるのはお見通しです。貴女は一見自分には何の利益もないことをいたしますから。……貴族院の講義もずいぶんと大きな変更が行われることが決まりましたけれど、ローゼマイン様のご意見でしょう? 自分の意見が王族を動かしていることを自覚なさいませ。否応なく取り込まれますよ」
ヒルシュールに注意されたが、もう遅い。取り込まれることは内々に決まっているのだ。けれど、ヒルシュールの言い方を聞けば、わたしが王の養女になることは広がっていないようだ。
「貴族院の講義にどのような変化が起こるのですか?」
「魔力の圧縮や加護を得てからシュタープを取得した方が良いという意見が王族から出ました。卒業年に取得するように戻したいという意見でしたが、シュタープの扱い方を各領地で実務の中で教わるよりは貴族院で練習した方が良いという意見が圧倒的に多く、協議を重ねた結果、シュタープの取得が三年生に戻されることになりました」
シュタープを早く得てくれる方が教師としては講義が簡単になるので、これまでは誰も一年生でのシュタープの取得に対して反対意見を出していなかったらしい。領主会議も後半に差し掛かったところで、あまりにも突然出た要望なので、ヒルシュールはわたしの関与を疑ったそうだ。
……くぅっ、悔しいけど正解だよ!
「それに合わせて教師は、一、二年生の講義を昔のやり方に戻すように指示を受けました。グンドルフ先生達が中心となり、この冬までに準備をすることになっています」
そう簡単に講義内容は変えられない、と教師達は訴えたけれど、わたし達が二年生の時に、フラウレルムが簡単に昔の教育範囲を講義に取り入れた実績があることを例に出され、断りきれなかったようだ。
……へぇ、フラウレルム先生の暴走が王族の役に立つこともあるんだね。
「それから、貴族院の講義に奉納式を取り入れられないか、という打診もございました。今はまだ神殿に向かうのが難しい領地が多いけれど、少しでも早く神事を経験し、加護を得るために周囲と争うようにしながらお祈りを始めることは重要だから、という理由です」
ただし、こちらは教師陣に全くノウハウがないため、却下されたらしい。数年間はエーレンフェストとクラッセンブルクの共同研究として奉納式を行い、最終的に貴族院の講義に組み込むことになったそうだ。
「ですから、今年の貴族院が始まれば共同研究について申し出があると思いますよ。クラッセンブルクは今回の奉納式の準備を手伝うことで、王族から準備の仕方や儀式の流れの情報を得ると聞いています」
……王族もクラッセンブルクも仕事が早いな。エーレンフェストには特に要請がない気がするんだけど。今日なんて夏に販売される聖典絵本のお試しセットを持って行って宣伝をしてきたって、報告を受けただけだし。
そこまで考えたところで、ハッとした。そういえば、準備を全てクラッセンブルクが負うならば、儀式を行うくらいは構わない、と以前に話をしていたはずだ。わたしがアウブ・クラッセンブルクとの話を説明すると、ヒルシュールは納得の顔を見せた。
「あぁ、なるほど。すでにそういうお話をされていたのですね。いずれは講義の一環になるということで回復薬を自分で準備させるようにすれば、クラッセンブルクの負担がぐっと少なくなるということでした」
……回復薬の準備って結構大変だからね。
作るのももちろん大変だけど、一番大変なのは素材を集めることだ。昔のエーレンフェストの採集場所ではそれだけの素材が採れなかった。多分、他領の採集場所は今も素材が多くはないと思う。
「エーレンフェストはずいぶんと簡単に回復薬を準備していた、とクラッセンブルクが訝しんでいましたよ」
……採集地を自分達で回復させれば良いだけなんだけど、お祈りの言葉も知らなきゃできないよね。
むーん、と考えていると、リーゼレータが温かい食事の入った箱を持ってきた。ヒルシュールが持ってきてくれた木札に対する報酬だ。色々な情報をくれているので、もっと色を付けた方が良いかもしれない。
「リーゼレータ、こちらです」
話を終えるまで壁際で待機する姿勢を見せたリーゼレータをヒルシュールはホクホクの笑顔で手招きして箱を受け取った。
「では、わたくし、ローゼマイン様に必要な素材のメモをお渡ししたので、研究室に戻ります」
「あ、あの、ヒルシュール先生。わたくし、まだお伺いしたいことが……」
「ごきげんよう、ローゼマイン様。次にお会いするのは領主会議の奉納式でしょうね」
まだ話は終わっていなかったのに、ヒルシュールはご飯を抱えると踵を返して足早に帰っていった。取り残されて呆然とするわたしを見て、リーゼレータが肩を落とす。
「……申し訳ございません、ローゼマイン様。まさかお話の途中なのにヒルシュール先生が帰ってしまうとは思わなかったのです。もう少しゆっくりと準備するべきでした」
「ヒルシュール先生は貴族院の教師ですけれど、貴族院で教えられる貴族の在り方から最も遠いですからね」
行動が読めなくても仕方がない、とわたしはリーゼレータを慰める。わたしだって突然話を打ち切られて背中を向けられると思わなかった。あの人は自由すぎる。
「慰めてくださってありがとう存じます、ローゼマイン様。でも、すでに何年もヒルシュール先生と接しているにもかかわらず、行動を予測できなかったわたくしが側仕えとして未熟なのです。せっかく情報を得られる重要な機会でしたのに……」
……気持ちはわかるけど、貴族の規範から程遠いヒルシュール先生の行動を読むのは難しいから仕方がないよ。側仕えはエスパーじゃないからね。
そして、地下書庫で現代語訳を進め、昼食時にマグダレーナを通じて王族と奉納式の打ち合わせをしつつ、領主会議の最終日を迎えた。急な予定ではあったけれど、準備は無事に終えられたようだ。
わたしは朝食を終えて身を清め、神殿長の衣装を着つけてもらうと、青の衣装を着た側近達と一緒に奉納式の開始時間より早めに指定された控室へ向かう。
……うわ、イマヌエルだ。
控室に入ると同時に「お待ちしていました」と出迎えてくれたイマヌエルの顔を見た瞬間、星結びの儀式の後で先回りして待ち構えられていたことを思い出した。何となく不気味なイマヌエルから距離を取りたくなると同時に、コルネリウス兄様にそっと肩を押されて先導していたハルトムートの後ろに隠れるようにちょっとだけ移動させられる。
わたしがコルネリウス兄様を見上げると、わたしを安心させるように少し笑った後、表情を引き締めて、ずいっと前に出てハルトムートに並ぶ。二人が睨みを利かせながらイマヌエルと挨拶を交わし、わたしは準備されていた椅子に座った。
「近いうちにローゼマイン様を中央神殿の神殿長にお迎えできそうで、非常に嬉しく存じます」
「先日も言ったように、ローゼマイン様はエーレンフェストの領主候補生で、中央神殿の神殿長になる予定は全くありません。今回の奉納式も王族の要望に応えただけなのです」
ハルトムートが「いい加減に理解しろ」と言わんばかりの冷たい笑顔でそう言うと、イマヌエルもハルトムートに冷笑を向けた。
「今日の神事が終われば、すぐにでも王族からの要望がエーレンフェストに向けられるでしょう。ローゼマイン様を中央神殿の神殿長として召し上げる、と。領主候補生を中央に移す術がないわけではない、と伺っています」
エーレンフェストでは王族からの命には逆らえません、と微笑むイマヌエルにハルトムートが少しばかり驚いた顔を向けた後、フッと挑発的に笑った。
「おや、中央神殿の神官はご存じないのですか? 領主候補生が中央へ移動できるのは婚姻によってのみ、と定められています。そして、結婚した者は神殿長にはなれません。つまり、中央に移動することがあったとしても、中央神殿にローゼマイン様が入ることはあり得ないのです。……あぁ、もしかしたら、王族は中央神殿ではなく、王族にローゼマイン様を取り込もうとお考えなのかもしれませんね」
フェルディナンドに指摘されるまで領主候補生が移動できないことを知らなかったイマヌエルは、その辺りの貴族の事情を本当に知らなかったようだ。「王族が取り込む……?」と軽く目を見張って衝撃を受けた顔になった。どうやら本気で王族から攻めれば、わたしを中央神殿の神殿長にすることができると考えていたらしい。
……エーレンフェストの養子縁組を解消するって方法がないわけじゃないし、実際に中央神殿に入れないか、という話が王族からあったから、中央神殿はそれなりに勝算を持ってたんだろうな。
でも、領主会議の途中でわたしはグルトリスハイトに最も近い次期ツェント候補になってしまった。王と養子縁組という方向に話が進み、中央神殿のことは完全に王族の頭にないだろう。
……領主会議の間に一気に立場が変わっちゃったからね。
「イマヌエル、貴方は講堂にいてください。貴族達の入場や整列の説明をしなければならないでしょう?」
ハルトムートと睨み合うイマヌエルが鬱陶しくて、わたしは軽く手を振って退室を命じた。けれど、イマヌエルは退室するのではなく、今日の儀式の不満点を述べ始める。
「ローゼマイン様、奉納式は祭壇に向かって行う儀式です。貴族達を円状に並ばせるのはお考え直しくださるように王族へ進言してください」
イマヌエルは聖杯を中心に置いてそれを貴族達がドーナツ状に取り巻くことになる奉納式に強い拒否感を示している。けれど、王族にいくら言っても聞き入れてもらえなかったらしい。
今回の奉納式は神々に魔力を奉納するのではなく、自分達で使うために聖杯に集めるのだから、祭壇に向かうわけにはいかない。祭壇に向かって奉納式を行うと、祭壇に並んでいる全ての神具に魔力が流れ込んでしまう。
「他の神具に魔力が流れ込めば、それだけ中央神殿は助かります」
「わたくしは魔力的な意味で中央神殿を助けるつもりはありません。各領地の収穫量が年々落ちてきているのは、魔力が多めの青色神官や青色巫女を中央神殿に差し出したせいではありませんか。むしろ、中央神殿には各領地の神殿を助けてほしいと思っているくらいです」
政変の後で、魔力が多めの見習い達が貴族社会へ戻ったことも大きいけれど、中央神殿に人が集められたことが小領地の神殿にとっては大変な痛手だったはずだ。エーレンフェストの神殿に残っていた青色神官を見ればわかる。
「……そういうことを踏まえて、尚、今回各領地から得た魔力を中央神殿に寄越してほしいとおっしゃるのでしたら、講堂で王族と話し合ってくださいませ。本日の主催は王族です。わたくしではありません」
もう一度手を振って退室を求めると、ハルトムートとアンゲリカが半ば無理やりイマヌエルを待合室から追い出してくれた。レオノーレが心配そうな顔でわたしを覗き込む。
「大丈夫ですか、ローゼマイン様? すでにお疲れのように見えますけれど」
やや焦点のあっていない狂信者らしい熱を孕んだイマヌエルの目が苦手だ。気持ちが悪い。向き合っているだけで体力を奪われていくような気がする。
「ありがとう存じます、レオノーレ。考えなければならないことがたくさんあるせいで、少し寝不足なのです。奉納式を行えない程ではないのですけれど、イマヌエルの相手をする余力はありません」
今はまだ王の養女になる話を側近達にもしていない。エーレンフェストに戻ってからのことを考えると、溜息が出た。婚約解消についてヴィルフリートと話をして、次期アウブをどうするのか協議して、側近達の意向を確かめて、神殿でメルヒオールに後継教育をする。そして、下町と移動に関する話をしなければならない。
……フェルディナンド様にも消えるインクでお手紙、書かなきゃ。連座回避と隠し部屋の獲得に成功したことと、ユルゲンシュミットごとエーレンフェストを守ることになったこと。他には、危険な銀の布とかオルタンシア先生がディートリンデ様に言っていた意味の分からない言葉とか……いっぱいあるんだけど。養父様、お手紙を出すのを許してくれるかな?
「ローゼマイン様、貴族の入場が終わりました。すでに神事の説明も終えています。本日は中央神殿の神事ですから、今日こそは私が神官長としてお供しましょう」
わたしがぼーっと先々のことについて考えている間に、儀式の時間になったようだ。呼びに来たイマヌエルに手を差し出された。次の瞬間、イマヌエルが差し出した手をハルトムートが笑顔で払いのける。
「いくら何でもそれは無謀だと思います。貴族でもない青色神官に領主候補生やアウブ達の中心で魔力の奉納などできるわけがありません。流れに抗えず、魔力が枯渇して、最悪の場合は死にます。円周部分にいても危険なのではありませんか?」
ハルトムートはイマヌエルを払いのけた自分の手を丁寧に拭いた後、「私は其方が死んだところで何とも思いませんが、ローゼマイン様はお気になさるでしょう」と、わたしに手を差し出した。わたしはハルトムートとイマヌエルを見比べて、ハルトムートに手を差し伸べる。
「さすがに儀式中に死なれるのは困ります。ダームエル、貴方は円周上で儀式を行ってください。そして、魔力が厳しくなってきたら、合図してくださいね」
「かしこまりました」
「他の護衛騎士の皆は儀式を行わず、護衛業務に専念してくださいませ」
「はっ!」
わたしは自分の側近達に囲まれて講堂へ向かった。背後にいるアンゲリカがイマヌエルの動きをものすごく警戒しているのがわかる。
「神殿長、入場」
鈴の音と共に中に入れば、赤い布の上でドーナツ状にずらりと並んで跪いている貴族達が一斉に顔をこちらへ向けた。イマヌエルが不満を零していた通り、貴族院の奉納式と同じように祭壇に向かうのではなく、中心に置かれた聖杯に向かっている。
……なんか円グラフっぽい。
貴族達がそれぞれの領地のマントを付けているので、割合を示す円グラフのように見える。やはり大領地は人数が多く、小領地は人数が少ない。きちんと説明がされたのか、中心に近いところにアウブ夫妻がいて、外に向かう程魔力が弱くなるような配置になっているようだ。
わたしがドーナツ状の貴族達の間を歩き始めると、「イマヌエルはここまでです」とダームエルが円周上でイマヌエルを止める小さな声が聞こえた。イマヌエルのことはダームエルに任せて、わたしは足を進める。
エーレンフェストの明るい黄土色の方へ視線を向けると、一番前に養父様の姿が見えた。本来はその隣に並んでいるはずの養母様は妊娠中のため不参加だ。騎士団長であるお父様と数人の騎士団は円の外で立って警戒をしている。
……あ、中央貴族も参加するんだ。
赤と青のマントの間に黒いマントをつけている団体がいるのが見えた。ただし、王族は儀式に参加しないので、そこにはいない。多分、文官と側仕えだと思う。
王族は貴族達の輪から少し離れ、赤い布がないところに並んで立っている。そして、その周辺には中央騎士団が護衛として仁王立ちし、睨みを利かせていた。
円状になっている貴族達の中心部分に到着すると、大きな聖杯が二つと小聖杯がいくつも並んでいる。中央にはギーベの役職に就いている者はおらず、ツェント以外の王族がギーベのように離宮やその周辺に魔力を配るために管理しているので、集めてくるのはそれほど大変ではなかったそうだ。
聖杯の中に空の魔石が準備されているのも確認して、わたしは一つ頷いた。これだけあれば大丈夫だろう。
「アウブ・エーレンフェスト、そして、ローゼマイン。我々の急な頼みに応えてくれたこと、ここにいる全ての貴族を代表して感謝する」
ツェントの謝辞に両腕を交差させながら跪いて応え、わたしは床に敷かれている赤い布に手を置いた。わたしの傍らでハルトムートも跪いたけれど、青色の衣装を着た護衛騎士達はその場に立ったままだ。
「我は世界を創り給いし神々に祈りと感謝を捧げる者なり」
「我は世界を創り給いし神々に祈りと感謝を捧げる者なり」
他の皆が復唱するのを待ちながら、祈りを捧げる。
最初は不揃いだった声が段々と揃ってくるのは貴族院で行った奉納式と同じだ。手を突いている赤い布に光の波ができて、聖杯に流れ込んでいくのも見慣れたものである。
……あれ? 貴族院の神具だけ光ってる?
自分のシュタープを使って神事を行えば光の柱が立つけれど、神殿の神具を使っても光の柱は立たない。これまでの経験からそう思っていたけれど、片方の聖杯だけが赤く光り始めた。
赤い光をゆらりとまとう聖杯は、まるでこれだけが本物だと主張しているようにも見える。そして、その赤い光は炎のように揺らめき、火の粉が天に舞い上がるようにふわりふわりと小さな赤い光がゆっくりと上に上がっていく。光の柱が立ち上がるのとはまた違う、初めての不思議な現象だ。
……フリュートレーネの夜に見た不思議な光に似てるかな?
目を奪われていると、ダームエルの「ここまでです」という声が聞こえた。わたしは床から手を離してゆっくりと立ち上がる。
「儀式は終わりにしましょう。皆様、床から手を離してくださいませ。そろそろ魔力の厳しい方が出る頃合いです」
中級貴族くらいの魔力を持つ下級騎士のダームエルにとっては限界でも、領主会議に参加する階級の貴族ならば完全に魔力が厳しいということはないはずだ。それほど効力のない回復薬でも問題なく回復できるだろう。
実際に礎の魔術に魔力供給をしているアウブ達は特に何ということもないという顔をしていたし、初めて神事に参加した貴族達も疲れた様子を見せているが、貴族院の奉納式のようにぐったりとした様子を見せている者は多くない。
……これから先の恒例化を見据えて搾りすぎず、きちんと経験させることができたし、完璧じゃない?
そう思って満足の笑みを浮かべた直後、円周上で儀式に参加していたらしい青色神官や青色巫女が倒れて意識を失っているのが見えて、「あ」と小さく口元を押さえた。
……あっち、忘れてた。っていうか、いつも神事をしてるんだから、自分の限界くらいわかるでしょ? なんで倒れてるわけ!?
ものすごく驚いたけれど、大して驚いていないような顔でわたしは貴族達を見回して、必要な人は回復薬を飲むように促す。ざわざわとした雰囲気になり、皆がそれぞれの回復薬を口にするのを見回しながら、わたしは奉納式について話をした。
「これは本来冬の儀式で、春の祈念式の時にギーベに渡す小聖杯や直轄地を潤す聖杯を魔力で満たすためのものです。ご自分の領地の神殿で貴族達が祈りを捧げ、魔力を奉納すれば領地の収穫量は上がるでしょう。そして、祈りを捧げることで、貴族は神々からの御加護を得ることができるようになります」
ヴィルフリートが得た加護の数を参考として述べておいた。わたしの説明を聞いていたツェントがゆっくりと頷き、学生に神事を経験させるためにこの冬も貴族院で奉納式を行うことを述べる。
「神々の御加護を得るためには子供の頃からもっとお祈りが必要になる。今年も貴族院ではエーレンフェストとクラッセンブルクの共同研究として奉納式を行う予定があり、両者から承諾を得た」
……エーレンフェストに正式な打診って、あったっけ?
地下書庫で非公式に尋ねられたけれど、養父様に話は通っているのだろうか。それとも、貴族院のことだから養父様の許可は必要ないのだろうか。どちらにせよ、これだけ大勢の前でツェントに宣言されれば、勝ち組領地に入れてもらった体面を考えても「できない」とか「やらない」とは言えないだろう。
できない、と言えないのは参加を促された各領地も同じだ。「まだ魔力を奪われるのか」と言いたそうに空になった回復薬の入れ物を見ている貴族の姿には哀愁が漂っているようにも見える。
「ツェントもおっしゃるように、神々からの御加護を得るため、そして、ユルゲンシュミットを支えるために儀式を行うことは必要です。けれど、回復薬を必ず使うことになるので、学生達には少し厳しいでしょう」
わたしの言葉に反応して顔を上げる貴族達の姿がいくつもあった。多くは負け組領地だ。
「貴族院の奉納式ではエーレンフェストが去年のように回復薬を準備してくださるのですか?」
「いいえ。少し想像すればおわかりいただけると存じますが、貴族院の全員分を準備するのは大領地であるクラッセンブルクにとっても、中領地であるエーレンフェストにとっても負担です」
期待に満ちた眼差しをバッサリと切り捨てて、わたしは微笑みながら首を横に振った。わたしが一年後にはいなくなる可能性が濃厚なのに、エーレンフェストにそんな役目を負わせることはできない。
「ですが、皆様が回復薬を作ることが少しでも楽になるように、採集地を回復させるためのお祈りの言葉を教えたいと思います」
「……は? 採集地ですか?」
何を言われたのかわからないという顔の貴族達に、わたしは大きく頷く。教えるのはお祈りの言葉だけだ。素材の品質を高めたければ、自分達で回復させれば良い。それも見越して、魔力を搾り取るのは控えめにしてあげたのだから。
「貴族院の各領地に与えられている採集地には不思議な魔法陣が埋め込まれています。地面に手を突き、今日と同じように領地の貴族が総出で魔力を奉納しながらお祈りを捧げれば、採集地を回復させることができ、品質の良い素材を得ることができるようになるでしょう。回復薬作りが容易になりますし、自分達で儀式を行うこともできるということです」
ざわざわとうるさくなってきた貴族達に向かって、わたしは祈念式で使うフリュートレーネに捧げる祈りの言葉を教える。一度では聞き取れなかった者に「もう一度お願いします」と言われ、わたしは何度か祈りの言葉を口にしながら、完全には満たされていなかった聖杯にこっそりと自分の魔力を注いでいく。
「聖杯から今度は緑の光が……!?」
「……あら? 失礼いたしました。お祈りの言葉を唱えていたので、うっかり別の儀式になるところでした」
慌てて聖杯から手を離して、取り繕った笑みを浮かべる。危うくちょっと失敗するところだったけれど、準備されていた聖杯を全て満たすことができたので、一年間の猶予は問題なく得られるはずだ。
こうしてわたしは恙なく領主会議の奉納式を終えることができた。
ちなみに、帰還前にエーレンフェストの採集場所で大人達に採集場所の回復をしてもらった。大人数でやれば、一応回復はさせられるようだ。わたしがいなくなったからといって、採集地の回復ができないということはなさそうなことを確認できて少し安心した。