Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (563)
子供の魔術具 前編
その後も隠し部屋でお母様と色々な話をした。わたしはお母様があまり見られない貴族院でコルネリウス兄様とどんなふうに過ごしていたのか、神殿にやってくるエックハルト兄様が何をしていたのかなどの話をして、お母様はアウレーリアとジークレヒトの話やブリュンヒルデがどんなふうに頑張っているのかを話してくれる。
本当に眠たくなるまでたくさんお話をして、何だかすごくすっきりした気分で眠った。自分でもビックリするくらい深く眠れたわけだが、起きたら完全に寝坊だった。この家の側仕えに「もうそろそろ三の鐘が鳴りますよ」と言われて「どうして起こしてくれなかったのですか!?」と思わず叫んでしまうくらいにはよく寝てしまった。
どうやら話し込み過ぎて普段の就寝時間より遅くなったから、起こさずに寝かせてあげて、とお母様の指示があったようだが、護衛騎士達に迎えに来てもらえるように指示を出していたのに寝坊なんて恥ずかしすぎる。
「……お、おはようございます」
「今朝はずいぶんとゆっくりだね、ローゼマイン。もう皆が来ているよ」
コルネリウス兄様に寝坊をからかわれ、迎えに来てくれている護衛騎士達に謝って、わたしはもそもそと遅い朝食を摂る。
「よく眠れたようで何よりですよ。貴女が城へ戻る前に少しお話をしたいのだけれど、いいかしら?」
わたしが朝食を摂る横で、お母様がお茶を飲みつつ、印刷業の引継ぎに関する話を始めた。お母様の後ろにはミュリエラが控えていて、文官らしく仕事をしているのが見える。楽しそうな雰囲気に、主従関係が上手くいっていることがわかってホッとした。
「平民との話し合いが貴女抜きでも何とかなれば、他は特に問題なさそうですね。……そういえば、ローゼマイン。神殿の側仕えはメルヒオール様のために置いて行くということでしたけれど、貴女の絵師はどうするのですか?」
「中央で印刷を始める時にはヴィルマを呼びたいと思っていますから、お母様には渡しませんよ」
ヴィルマはわたしの絵師です、と主張すると、お母様は「あら、残念ですこと」と大して残念でもなさそうに言って、クスッと笑った。
「でも、貴女が神殿を出れば、誰かに買われる可能性もあるでしょう? 中央へ連れていっても身の置き所がないのは下級貴族以上でしょうし、貴女が絵師として買い上げて、我が家に預けておくというのはどうかしら? 貴女が成人するまで心配ですもの」
「その間はお母様がヴィルマに絵を描かせるのですね?」
わたしがちろりとお母様を見ると、お母様はフフッと笑った。ヴィルマの絵の才能を買ってくれていることがわかっているのだから、余所に預けるよりはよほど安心だ。
「わたくし、ヴィルマには孤児院を任せているので、孤児院の管理を交代できる者がいれば、そして、ヴィルマがそれを望むのであればそうします」
「駄目よ、ローゼマイン。貴女がいなくなれば、わたくしは自分が欲しい灰色巫女を手に入れます。主がいなくなって側仕えではなくなった灰色巫女に選択肢などありません。それをよく理解したうえで、自分の側仕えをどうするのか考えなさい」
「……はい」
灰色巫女達の扱いについて諭され、迎えに来ていたダームエルに昨夜話したことを伝えたと言われ、わたしは朝食を終える。何ということはない顔で護衛業務に就いているダームエルを見上げた。
「わたくしはダームエルの希望を尊重しますから、結論が出たら教えてくださいね」
「恐れ入ります」
そんな話をしていると、養父様からオルドナンツが届いた。なんと王族から子供用の魔術具が12個届いたらしい。
「突然な上に、ずいぶんと中途半端な数が届いたのですね。養女になるのはご破算になる可能性もあるのに、先に送って来るなんて……」
「おそらくあちらはご破算にするつもりがないのでしょう。報酬を先に送ることで、何が何でも貴女を養女にするつもりなのだと思いますよ」
少しでも早く貴族を増やしたいこと、貴族として洗礼式を受けるためには一年のロスが大きいことを考えればエーレンフェストは拒否できないだろう、とお母様は言った。
「今は城にお戻りなさい、ローゼマイン。時間があればいつでもいらっしゃい。またお話ししましょう」
「はい、お母様」
わたしは護衛騎士達と城に戻った。そして、領主一族が集まって、魔術具を受け取るのか、送り返すのか話し合いをした結果、早急にエーレンフェストの貴族を増やすために魔術具を受け取ることになった。報酬を先に送ってくるほど養女にしたいのだから、送り返したところで王族の意志は変わらないはずだ。それならば、一年を無駄にして、洗礼式を受けられない子供が出る可能性を考えれば、少しでも早く魔術具を与えてあげたい。
「……養父様、孤児院にも魔術具を回してくださいますか?」
「洗礼式時点の平均的な中級貴族程度の魔力がなければ、回復薬の無駄遣いになるし、子供の体にも負担がかかりすぎる。そして、今、下級貴族をたくさん増やすよりはもう少し後にも生まれるだろう、魔力が高めの子供のために魔術具を残しておきたい。故に、一定量の魔力があること、思想等に問題がないことを条件に孤児院の子供にも与えることを許可する。ただし、面接は神官長であるハルトムートにさせよ」
孤児院長であるわたしではなく、神官長であるハルトムートが責任を持って思想等の面接を行うことになった。基本的に孤児院の者に甘いわたしの面接結果はどうにも信用できないそうだ。信用できないと言われると、ちょっとムッとするけれど、わたしが身内に甘いのは多くの人から指摘されていることなので、どうしようもない。
「派閥の子供だけではなく、孤児院にも魔術具が与えられることになってよかったですね、ローゼマイン姉上」
メルヒオールの言葉に頷き、わたしは子供の魔力を計るための魔術具を養父様に借りて、メルヒオールや側近達と一緒に神殿へ移動することになった。
「おかえりなさいませ、ローゼマイン様」
「ただいま戻りました」
神殿の側仕え達の出迎えを受け、わたしは神殿長室に入る。神殿長の衣装に着替えると、それぞれから領主会議中の報告を受ける。特に何事もなく神殿の青色見習い達も孤児院の子供達も日々を過ごしていたようだ。そして、カンフェルとフリターク達を中心に春の成人式の準備は終わったらしい。
「何事もなかったようで安心しました。……わたくしからはかなり重要な報告があります」
側仕え達が姿勢を正す中、わたしは一年後にエーレンフェストを去ること、次の神殿長がメルヒオールになることを伝えた。中央へ行くとか、王の養女になるとか、余計な情報は口にしない。灰色神官、灰色巫女である皆は貴族に問い詰められた時に答えずにいることが難しいのだから、最初から知らないのが一番だ。
「ローゼマイン様が成人と同時に神殿長をお辞めになることはわかっていたことです。それが早まっただけですから……」
フランは少し寂しそうにそう言って微笑む。主に置いて行かれるのは慣れています、と言われると胸が痛い。
「本当は皆を買い上げて、わたくしの図書館に置くことも考えたのですよ。けれど、貴族街は居心地が良くないと以前言っていたでしょう? わたくしがエーレンフェストを出たら図書館を誰が管理するのかわかりませんし、わたくしが向かう先は神殿ではないので居場所がないと思うのです」
グルトリスハイトを手に入れてアーレンスバッハを解体できれば、フェルディナンドをアーレンスバッハから戻すことができると思うし、フラン達を任せることもできたと思う。けれど、はっきりとしたビジョンが見えない状態ではメルヒオールに任せるのが一番安心できる。
「ローゼマイン様のおっしゃる通り、先行きの不透明さが神殿の比ではありませんね。私は神殿以外の生き方を知りませんし、これまでの言動を見た限りではひどい主ではないようですから、メルヒオール様に仕えるので問題ございません」
「他の神殿に移るのであれば、間違いなく皆を連れていったのですけれどね」
わたしの言葉にフランは「それならばハッセの小神殿に入ったことがある私も同行したでしょう」と笑った。
「ただ、ヴィルマだけは別の選択をしてもらわなければなりません」
「別の選択ですか?」
わたしの側仕えになる前と同じように孤児院へ戻るつもりだったらしいヴィルマはひどく戸惑った顔になった。ある程度克服はしたけれど、決して男性恐怖症がなくなったわけではないヴィルマは不安そうにわたしを見る。
「わたくしの専属絵師となるか、わたくしがいなくなった後、お母様の専属絵師になるか……。一年以内に選んでくださいませ」
お母様と話し合った内容を伝えると、ヴィルマは「孤児院はどうなるのでしょう?」と自分のことではなく、孤児院の心配をした。
「今のやり方を変えずにおくために、モニカかリリーを孤児院の管理をする側仕えとしてメルヒオールに召し上げてもらえるように交渉するつもりです」
ヴィルマのやり方を知っている者を後釜に据えるつもりであることを伝えると、ヴィルマは「お心配り、ありがとう存じます」と微笑んだ。けれど、それは安心した笑顔ではなかった。周りを見回してみれば、不安そうなのはヴィルマだけではなく、モニカやフリッツも不安そうだ。
「……ローゼマイン様、お気になさらず。今のお顔を見れば、ローゼマイン様にとっても急であまり喜ばしくない移動であることは察せられますし、我々に対して過剰な程にお心を砕いてくださっているのはわかっています」
メルヒオールがそんなにひどい扱いを孤児院に対してするとは思わないけれど、くるくると責任者が変わる今の状態ではメルヒオールもいつまで神殿長職にあるかわからない。孤児院のことや灰色神官達の扱いを考えてくれる上役がいつまで続くのか、という不安なのだ、とザームに言われた。
「メルヒオールは男の子ですから、そう簡単に移動することはないと思います。少しでも安心して皆が過ごせるように、わたくしも引継ぎに力を注ぎますね」
「よろしくお願いします」
皆に移動のことを伝えると、その次は孤児院の子供達に与えられる魔術具の話だ。魔力量の検査と面接で、貴族の子供に与えられる魔術具を与えられる可能性があることをヴィルマから子供達に伝えてもらうことになった。
「貴族になるためには一定量の魔力を魔術具の魔石に溜めておかなければなりません。少しでも早く与えなければ貴族になれない子も出てきます。いつならば、面接ができそうですか?」
「今日は子供達が森へ出ていますから、明日以降であれば大丈夫です。日取りを教えていただければ、魔力持ちの子供達を孤児院で待機させておきます」
わたしはハルトムートと話し合って日取りを決めることを伝えて、側仕え達を解散させた。それぞれの仕事に側仕え達が散っていく。
「フラン、わたくしの移動についてプランタン商会のベンノと話がしたいのです。孤児院長室を使いたいのですけれど……」
「かしこまりました。連絡を取って、都合の良い日を決めます」
「ザーム、神官長室へ行ってハルトムートと孤児院で面談を行う日時を決めてきてくださいませ」
「かしこまりました」
「フリッツ、今年は紙が大量に必要になります。タウの実をなるべく多く拾ってください」
「かしこまりました」
モニカが運んできた手紙や書類に目を通しながら、わたしは次々と指示を出していく。一段落したところで、フィリーネがそっと声をかけてきた。
「ローゼマイン様、魔術具を与えられた孤児院の子供達の回復薬はどうするのですか?」
「わたくしが準備するつもりです。……そうね、わたくしの文官見習いは書類仕事ばかり優秀で調合の機会が少ないと指摘されたことですし、フィリーネとローデリヒに作ってもらいましょうか」
さすがに孤児院の子供達の回復薬を養父様が都合してくれるとは考えていない。孤児院長であるわたしが負担するしかないだろう。
「わたくし、自分ではコンラートのための回復薬を準備できそうにないので、魔術具を取り戻してもコンラートを貴族にするのは諦めました。けれど、孤児院の子供達に回復薬が与えられるのであれば、コンラートにも回復薬を与えてやってほしいのです。お願いします、ローゼマイン様」
コンラートが貴族として生きていくことができれば……、と強く願われて、わたしはフィリーネに向き直る。
「下級貴族の魔力量では体への負担が大きすぎると言われていますが、それでもコンラートが望めば回復薬を与えることはできます」
「本当ですか? ありがとう存じます」
自分だけでは素材を集めて、回復薬をたくさん準備してコンラートを貴族にすることはできなかった、とフィリーネは顔を綻ばせる。喜ぶフィリーネの笑顔は可愛いけれど、弟を貴族に戻すことしか考えていないようで、現実は見えていない。
「でも、フィリーネ。貴女はわたくしに名を捧げ、コンラートを買い取って、中央へ同行したいと言いませんでしたか? コンラートを貴族にした後はどうするのですか? わたくしに名を捧げていない未成年のコンラートを中央へ連れていくことはできませんよ」
「え?……あ」
「貴族として育てるには大変なお金がかかります。フィリーネ自身が貴族院に通いながら、コンラートの生活費を捻出して、貴族院へ通わせることができますか?」
フィリーネは口を閉ざして自分の手を見つめた。何も持たずに実家を飛び出した下級文官見習いのフィリーネのお給料では自分の生活費や学費を捻出するくらいしかできないだろう。翻訳料や情報量などで少しずつお金を渡してはいるけれど、先祖が残してくれた物が全くない状態で貴族として生活をするには本当にお金がかかる。今からお金を貯めなければ、成人式の晴れ着を誂えることもできないくらいだ。
「コンラートを青色神官見習いではなく、弟として貴族にするならば、実家に戻ることを勧めます」
「ローゼマイン様!?」
「お母様に聞きました。フィリーネのお父様は入り婿で、本来の跡取りはフィリーネだ、と」
フィリーネが実家に戻って入り婿の父親と後妻に乗っ取られている実家を取り戻せば、先祖から残されてきた魔術具や教材、お直しをすれば着られるかもしれない衣装などがあるはずだ。裕福な生活はできないだろうけれど、城で部屋を借りて住みながら、全てをフィリーネが二人分揃えなければならない生活よりはマシだと思う。
「男児のコンラートが孤児院に入った以上、確かにわたくしが本来の跡取りです。でも、わたくしは未成年ですから、成人するまでは後を継げません。今戻ってもお父様とヨナサーラ様の好きにされるだけですし、どれだけお母様の物が残っているのかもわかりません」
生活のために売られた物も色々ある、とフィリーネは首を横に振った。
「孤児院から洗礼式を受けて青色神官見習いとして神殿で生活させることもできなくはないですけれど、アウブを後見人とする親のない貴族になります。コンラートをフィリーネの弟として貴族にするならば、孤児院から出す必要がありますよ」
孤児院にいるままでは、貴族社会ではフィリーネの弟としては認識されない。
「二人が実家で過ごせるようにお母様に後ろ盾になってもらうとか、成人済みの殿方とフィリーネが婚約して親から守ってもらうとか……。何か方法を考える必要があると思いますよ」
フィリーネが途方に暮れた顔でわたしを見る。そんな顔で見られても、洗礼式で親が決まるとか、孤児院から洗礼式に出る子供はアウブを後見人にするとかはわたしが決めたことではないし、覆せることでもない。
「まずはコンラートとよく話し合ってください。回復薬をたくさん飲んで苦しい思いをしても貴族として洗礼式を受けたいのか。貴族になるにしても、孤児院からなるのか、実家に戻るのか」
フィリーネが持っている母親の形見の魔術具があるし、孤児院の子供達に回復薬を配るならば、コンラートに配るのも構わないと思っている。けれど、二人の親ではないし、一年で孤児院長でもなくなるわたしはコンラートの将来に責任を持てない。
わたし達のやり取りを聞いていたダームエルが難しい顔になった。
「今日これから孤児院の面談で、明日はプランタン商会と面会ですね」
「春の成人式も間近ですし、夏の洗礼式もすぐです。それが終われば、アウブがアーレンスバッハへ向かうのですから、何とも忙しないですね、ローゼマイン様」
魔力量を計るための魔術具を抱えたハルトムートと予定の確認をしながら、わたしは孤児院へ歩いていく。後ろには母親の形見の魔術具を抱えたフィリーネもいる。皆と同じように貴族になりたいと言った時に差し出せるようにしておきたいそうだ。
先を歩いていたフランとザームによって孤児院の扉が大きく開かれ、そこに跪いて並ぶ五人の子供の姿が見えた。三歳くらいの小さい子から洗礼式間近の子供まで並んでいる中にディルクとコンラートがいる。
すでにヴィルマやハルトムートから何が行われるのか説明があったようで、ハルトムートが手に持っている魔術具を見て、緊張した顔になっていた。
「では、早速魔力量を計りましょうか。名前と年齢を教えてください」
ハルトムートは大きい子供から手早く順番に魔力量を計っていく。年齢によって魔力量は増えるので、規定の量も変わる。ハルトムートは年齢から魔力量が養父様の言った規定量に達しているかどうかを判断し、子供を左右に分けていった。左にはディルクともう一人男の子がいて、右にコンラートと男の子が二人いる。
「左に並んだ二人は魔力量がアウブに言われた規定量を超えています。望めば、アウブから魔術具を賜ることができるでしょう」
ハルトムートはそう言ったけれど、ディルクの隣でヴィルマに抱えられるようにして立っている男の子は三歳くらいでかなり小さく、何を言われているのかよくわかっていないような顔をしている。
「ヴィルマ、彼には中級貴族の魔力があり、洗礼式までまだ時間もあります。魔術具を与えた方が良いでしょう。まだ思想も何もある年齢ではありませんし……」
ハルトムートは三歳くらいの子供から思想について聞きだすのを早々に放棄し、貴族を確保する方向で決定した。そして、緊張で顔を強張らせているディルクに向き直る。
「さて、ディルク。貴方の魔力量は規定を超えています。魔術具を望めば手に入りますが、どうしますか?」
「ちょっと待ってください! ディルクはただの孤児です。貴族の子ではありません。魔術具を得られるなんておかしいと思います!」
右側に並ばされた一人の男の子が叫ぶ。ディルクは顔をしかめて俯き、その子の言葉を聞いている。ハルトムートは不思議そうな顔で首を傾げた。
「ここにいるのは全員孤児で、ディルクも其方も同じではありませんか。何を言っているのです?」
「違います。私は貴族の両親が……」
「貴族として洗礼式を受けていない子供は貴族ではありません。そして、孤児院にいる以上、ただの孤児です。貴族の価値で計るならば、魔力量が多いディルクの方が価値はある。それだけの話ですよ」
ピシャリと子供の反論を撥ね退けたハルトムートはディルクに向き直る。
「ディルク、魔術具を望みますか?」
ハルトムートの橙の瞳は今まで孤児に見せてきた柔和なものではない。貴族になることを望むディルクの決意を静かに見据える面接官の顔になっている。
ディルクが一度振り返った。
わたしはディルクの視線の先を追ってみる。食堂の奥の方で固唾を呑んでディルクの答えを待っているデリアがいた。ぎゅっと指を組み合わせ、唇を噛んで小さく震えている。
デリアの蒼白な顔は前神殿長にディルクを奪われた時のものによく似ていた。お願いだから、魔術具なんて望まないでほしい。自分の側からいなくならないでほしい。家族を奪わないで。そんなふうに心の内で叫んでいるのが聞こえてくるようだ。
ディルクはデリアから視線を外し、ハルトムートの方を向いた。そして、ゆっくりと息を吸って、顔を上げる。
「……魔術具を望みます」
その瞬間、デリアが目を見開いて「嫌!」と叫んだ。悲鳴のような声に皆の視線がデリアに集中する。けれど、ディルクだけはもう振り返らない。ハルトムートを真っ直ぐに見つめて、もう一度魔術具を望んだ。
「ハルトムート様、私は魔術具が欲しいです」
「ディルク、何のために、でしょうか? 今から魔石を染めるのはかなり苦痛を伴う大変な作業になりますし、ディルクの大事な姉は貴族になることを望んでいないようですよ。それなのに、どうして貴族となることを望むのですか? そして、貴族になって何をするつもりですか?」