Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (564)
子供の魔術具 後編
静かに尋ねるハルトムートにディルクは拳を握った。
「私は貴族になって、神殿長か、神官長か、孤児院長になりたいです」
「ほぅ?」
ハルトムートが少し面白がるようにディルクを見つめる。けれど、その目は依然として鋭いままだ。
「ローゼマイン様が来るまで孤児院はひどい状態だったのに、ローゼマイン様が良くしてくれたから、私達は食事を得られて、冬に凍えることなく過ごせるのです」
「よくわかっているようで何よりです」
ハルトムートは出来の良い生徒を見るような顔で頷きながら先を促す。
「それに、灰色神官に危険が及んだ時に助けてくれるような貴族はローゼマイン様だけで、未成年のローゼマイン様が神殿長でいられるのは神官長がしっかりと支えているからです」
ディルクの言葉にハルトムートがとても満足そうだ。支えてもらっている自覚があるので反論はしないけれど、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ釈然としない部分もある。何だかディルクがハルトムートに洗脳されているような気がしないでもない。
「去年の春、神官長が変わるという話を聞いて、灰色神官や灰色巫女達はとても困っていました。神官長が変われば、神殿や孤児院がどんなふうに変わるかわからないって」
わたしが孤児院長として色々と改革をしたのは神官長であるフェルディナンドの許可があったからだ。孤児院長が何をするにも神官長にお伺いを立てる様子を見ていれば、どちらの立場が上なのか、自ずとわかるのだろう。新しい神官長がわたしの計画に否を出す者であれば、孤児院は元に戻ってもおかしくない。以前の孤児院を知っている成人済みの灰色神官達はとても不安がっていたそうだ。
「ローゼマイン様はハルトムート様を神官長にしてくださいました。優しくてローゼマイン様に意地悪をしない神官長だったので皆で喜びました。でも、私はローゼマイン様がいた孤児院しか知らなかったので、その時は大人達がどうしてそこまで喜ぶのかあまりよくわかりませんでした」
洗礼前で孤児院から出ることもなく、孤児院にやって来る貴族はわたしの側近ばかりで嫌な貴族にあった記憶がないディルクは、大人の不安や安堵に共感できなかったらしい。
それはコンラートが孤児院にやってきた時も同じで、貴族の子だから、と大人達は緊張していたけれど、ディルクは同じ年頃の子供がただ嬉しくて仕方がなかったそうだ。
「コンラートは自分達と同じでした。それまではフランが持ってきてくれる黒い石を使うのが私だけだったのに、コンラートも一緒に使うようになっただけです」
身食いのディルクと貴族出身のコンラートの二人は魔力が溢れないように黒の魔石で時々魔力を抜いていた。自分だけが行っていた魔力抜きを二人でやるようになったことで、コンラートとの仲間意識は強まったけれど、ディルクが貴族の子と孤児の差を感じることはなかったらしい。
「でも、冬にたくさんの貴族の子供達が来た時は、どの子供も偉そうで、大人の言うこともなかなか聞かなくて、貴族の子が何故そのようなことをしなければならないとか、貴族に戻るまでの辛抱だとか言うのです」
同じように孤児院で過ごしているのに孤児院の者ではないという意識を持っていて、大人達を含めて自分達が下に見られているのが嫌でもわかったらしい。それは平等を前提とする孤児院でディルクが初めて出会った、嫌な意味での身分差だったようだ。
「こういう貴族が孤児院長や神官長になったら私達はどうなると思う? とコンラートに言われて、私はやっとわかりました」
季節一つ分を過ごして、親に引き取られることなく残された子供達の意識が変わらないことを目の当たりにして、ディルクは普通の貴族の子が孤児としての意識を持つことがないことを肌で感じたらしい。
そして、先日。ヴィルマが取り乱しながら孤児院へ戻ってきて、あと一年でわたしとハルトムートが神殿からいなくなること、メルヒオールが後任になること、ヴィルマが買い取られることを伝えた。神殿長、神官長、孤児院長、孤児院の管理者の全てが変わるのだ。孤児院はパニックになったそうだ。普段は取り乱すことがない大人達の混乱状態がディルクにはとても怖かったようだ。
「孤児院が困らないようにどうしたらいいのか考えたけれど、わかりませんでした。孤児院のことをちゃんと考えてくれる良い貴族がいればいいけど、良い貴族は少ないのでしょう? 昔の孤児院に戻るのは困るのです。……デリアは孤児院から出られないので」
ディルクがそう言いながらデリアを振り返る。一生孤児院から出られないデリアがどんなふうに生きていくのかは、孤児院の在り方に大きく左右される。ディルクを大事にしすぎて罪を犯し、孤児院から出られなくなったデリアが不安にならずに生きていくためには神殿長や神官長が良い貴族でなければならないのだ。
「別に神殿長も神官長も貴族である必要はありませんよ、ディルク」
元々は青色神官から選ばれていた役職だ。貴族になる必要はない。ハルトムートが静かに指摘すると、ディルクは首を横に振った。
「前はそうだったけれど、今は領主一族が神殿長で、貴族がたくさん神殿に出入りするようになってきたから違うと聞きました。貴族を抑えられるのは、貴族しかいないって。違いますか?」
「違いませんね。確かに貴族ではない青色神官に、貴族は止められません」
粛清の後で孤児院に戻ってきた元側仕え達から、青色神官と貴族でもあるわたし達の間には越えられない壁がある、と聞いたらしい。親が罪を犯したため、青色見習いとして神殿で生活をしている貴族の子供達がいるくらいだ。ただの青色神官では何があっても太刀打ちできない。
「私はローゼマイン様が教えてくれたやり方を守り、孤児院の皆やデリアが悲しい思いをせずにいられるようにしたいです。そのために貴族の神殿長や神官長になりたい」
いくら欲しいと思っていても、貴族の地位など手に入る物ではない。ディルクは諦めていた。けれど、魔力のある孤児達に魔力量によって選別して魔術具を与えられるという機会が巡ってきたのだ。洗礼式を貴族として受けなければ、貴族として認められることはない。
「……今を逃せばもうないのです」
「孤児院に貴族の子供達がたくさん入って、救済措置として魔術具が配られる機会は今回限りでしょう」
粛清が起こったこと、子供達が連座回避できたこと、貴族の数が著しく減って早急に増やす必要があること、王族から魔術具を得ることができたこと、ディルクが洗礼前だったこと。あらゆる意味で今しかない。
「でも、ディルクの大事な家族は反対のようですよ?」
ハルトムートは泣きながら首を振っているデリアを指差す。ディルクはものすごく困った顔でデリアを見た。
「ディルク、お願い。考え直して。貴族として洗礼式を受けたら、あたしはもうディルクに会えない。もう家族とは呼べなくて、言葉とか態度も改めなきゃいけなくなるの。どんなにひどい状況になっても我慢するから、離れていかないで」
デリアの言葉の一つ一つが胸に刺さる。家族と離れたくない、と叫んでいた過去の自分を見ているようだ。家族と離れなければならず、これから先家族と呼び合えないことがどれだけ辛いことなのか知っている。
……ディルク、行かないであげて。側にいてあげて。デリアは本当に貴方を大事にしていたの。生きていくうえで何よりも大事な心の支えなんだよ!
心の中ではそう叫んだけれど、わたしは口を噤んでいた。孤児院長であるわたしが言えば、それは命令になる。それに、今はハルトムートが面接中なのだ。それぞれの選択を尊重すると言っているわたしが嘴を挟むような真似をしてはならない。
ディルクはハルトムートに一言断って、デリアのところへ向かう。行かせたくないというようにディルクを抱きしめるデリアを慰めるように深紅の髪を撫でる。
「デリアが教えてくれたじゃないか。ローゼマイン様が私達に何をもたらしてくれたのか、孤児院がどんなふうに変わったのか。そして、余所の貴族や高位の貴族からどんなふうに私達を守ってくれたのか」
デリアが側仕えだった頃は神殿長のスパイであることを警戒して、あまり親しくはしていなかった。そんな関係だったのに、デリアはわたしのことをとても良いようにディルクに話していたようだ。ディルクの黒に近い焦げ茶の目は、自分にとってのヒーローを語る熱で燃え上がっている。
「デリアと同じようにハルトムート様も孤児院に来たらいつも教えてくれます。ローゼマイン様がどんなにすごいのか。頑張っているのか」
……ちょっと、ハルトムート!? 孤児院で何してるの!?
わたしが愕然とした気分でハルトムートを見ると、ハルトムートは「ご満悦」という言葉がピッタリな表情で頷いている。
「ローゼマイン様も御自分の大事な物を守るために領主の養女になったって、ハルトムート様は言いました。私もローゼマイン様のようにこの孤児院と一緒に育った仲間を守るために貴族になりたい。わかってください、姉上」
デリアが泣き崩れた。家族と離れたくはない。けれど、ディルクをこれ以上引き留めることもできない。その狭間で揺れているせいで、ディルクにしがみついていたデリアの手が緩んだ。
ディルクは少し緩んだデリアの腕から抜け出し、自分に向かってもう一度伸ばされたデリアの手を振り返ることなく、ハルトムートの前に戻ってくる。
「せっかくローゼマイン様が良くしてくれた孤児院が元に戻らないようにしたいです。お願いします、ハルトムート様。私を貴族にしてください」
ディルクの真っ直ぐな目をハルトムートは静かに見据える。
「回復薬を多用して魔力を溜めるのも辛いですが、今、孤児院から洗礼式を受ければ犯罪者の子として周囲からは見られます。世間の目も風当たりも強いでしょう」
ディルクが洗礼式を受ける時は、養父様を後見人にして旧ヴェローニカ派の子供達と一緒に受けることになる。他の貴族達からは犯罪者の子供とひとまとめにされ、一緒に洗礼式を受ける子供達からは本当は平民のくせに、と言われる可能性も高い。
「それにもかかわらず、貴方達を保護してきたローゼマイン様はいなくなります。生半可な覚悟では貴族になれませんよ」
「……生半可な覚悟で、孤児が貴族になりたいなんて言えません」
焦げ茶の瞳と橙の瞳が交差する。
数秒の後、ハルトムートがフッと表情を和らげた。
「いいでしょう。アウブにお願いして、貴方の魔術具をいただきましょう」
「恐れ入ります」
ホッとしたようにディルクが体の力を抜いた。両腕を交差させて一度跪いた後、立ち上がってデリアのところへ向かう。
「あの、デリア」
ディルクが声をかけてもデリアは涙がいっぱいの水色の目で睨むだけで返事をしない。ただひたすら睨まれて、先程までの威勢が良かったディルクが少しオロオロとし始める。
「デリア、怒ってる?」
「……デリアではなく、姉上と呼んでくれなければ返事はしません」
「えぇ!?」
予想外の言葉にディルクが驚きの声を上げると、デリアはツンと顎を上げながら顔を逸らす。
「ディルクが貴族になるまで、ここから出ていくまで、姉上と呼んでくれなければ返事をしないことにしました。家族であるあたしに内緒で、こんな大きな事を決めた罰です。もー! ディルクは困ったところばっかりローゼマイン様の真似をするのですから!」
「困ったところではなくて、カッコいいところ!」
「思い付きで大変なことをしでかすところですから、困ったところで間違っていません! もー! ローゼマイン様は昔からそうなのです!」
……えぇ!? わたしのせいなの!?
デリアの照れ隠し的な反応であることはわかるけれど、とんだとばっちりである。私の背後に立っている護衛騎士達が、わたしの昔の所業を並べるデリアと「でも、それはこんな利益だった」と言い合うディルクの微笑ましい姉弟喧嘩に小さく笑う。
「思い付きで色々とするのは、昔からですか」
「変わっていらっしゃらないのですね」
「いえ、ローゼマイン様は変わられました」
ハルトムートが得意そうに胸を張る。
「昔よりずっと影響力は広範囲に、そして、大きくなっているのですから、成長しています」
……それ、フォローでも何でもないからね!
姉弟喧嘩のネタとしてわたしが辱められているところに、フィリーネがそっと声をかけてきた。
「ローゼマイン様、コンラートと話をしてきてもよろしいでしょうか?」
わたしが許可を出すと、フィリーネは魔術具を持ってコンラートのところへ歩いていく。
「コンラート、少しお話をしても良いですか?」
「はい、姉上」
コンラートの答えに頷き、フィリーネは自分の抱えている魔術具を差し出した。
「貴方にはお母様が残してくださった魔術具があります。わたくしには準備できなかった回復薬を、今ならばローゼマイン様が貴方にもくださるとおっしゃいました。貴族に戻ることができるのです。わたくしの弟として洗礼式を受けませんか?」
フィリーネの言葉にきょとんとした顔でコンラートが首を傾げた。
「回復薬があってもお金がないのに、私がどうやって貴族になるのですか? 領主様からの魔術具を得た者には領主様が後見につく、とヴィルマが言っていましたが、私にはつかないでしょう?」
孤児院から洗礼式を受ける子供達はアウブが後見人になり、その教育には粛清された貴族から接収したお金や道具を使うことになっている。領主が指定した魔力量に満たず、フィリーネの弟として洗礼式を受けることになれば、コンラートには領主の後見人はつかない。
「姉上は孤児院に来た時はいつも貴族院に必要な物を揃えるのが大変だと言っているではありませんか。私の分まで準備するのは無理だと思います。私達が漉く紙が何十枚、何百枚も必要なくらいにお金がかかるのですから」
家を出て、自分の生活を自分で支えなければならない未成年のフィリーネがコンラートまで抱え込むのは難しい。それはコンラートの方がよくわかっているようだ。
「……コンラートが貴族に戻るならば、わたくしは家に戻るつもりです。お母様が残してくださった物がまだ残っているならば、貴族院へ通うのも何とかなるでしょう」
これまでに自分が買った教材もあるし、家に残っている物があれば二人で貴族院へ行くこともできるし、わたしの側近であることを前面に出して父親にお金を出してもらっても良い、とフィリーネが言う。
「姉上、私はヨナサーラ様に魔術具を取り上げられ、貴族として生きられないから、そして、父上が私を助ける気がないから、生きるためにここへ来たのです。あの家にだけは戻りたくありません」
コンラートを貴族に戻すために実家に戻ることを提案したフィリーネだったが、コンラートは「絶対に嫌です」と拒絶した。
「ねぇ、コンラート。貴方が貴族に戻れるのは今だけなのです。孤児達に魔術具が与えられ、ローゼマイン様が回復薬をくださる今だけ……。灰色神官として生きていくのと、貴族になるのは全然違うでしょう?」
フィリーネの再三の言葉にコンラートは「その魔術具は姉上の子供のために置いておいてください」と首を横に振った。断られたフィリーネは悲しそうに眉を寄せた後、一度目を閉じて、自分を落ち着かせるようにそっと息を吐く。
「コンラートが貴族にならない道を選ぶのであれば、わたくしにはもう姉弟として生きていく道は残されていません。コンラートと一緒に過ごすためには、貴方を買い取るしかなくなります」
「……私を買い取るのですか? 何の役にも立ちませんよ」
「弟と一緒に過ごしたいというわたくしの我儘ですよ」
フィリーネは微笑みながら指を四本立てた。
「……わたくしには四つの道があります。コンラートを孤児院に置いて、名を捧げてローゼマイン様に付いていく道。エーレンフェストで成人まで過ごして、コンラートを孤児院に置いてローゼマイン様を追いかける道。コンラートを貴族にするために実家に戻る道。貴族にはならない貴方と過ごすためにエーレンフェストに残る道」
フィリーネがゆっくりとした口調で自分の道を述べるのをコンラートは静かに見つめる。
「わたくしが自分の将来を選べるように、コンラートが自分の将来をどのように考えているのか教えてください」
「……私は……」
コンラートはそこで言い淀んだ。フィリーネに言っても良いのかどうか悩むように口を開けたり閉じたりしながら、様子を窺う。フィリーネはそんな様子を見ながら、困ったように笑った。
「コンラートが教えてくれないと、わたくしの我儘を通してしまいますよ?」
「……私は、孤児院のために生きていきたいです。姉上と一緒にではなく、一番辛かった時に助けてくれた孤児院の皆と一緒に生きていきたいと思っています」
「そうですか……」
フィリーネは落胆したように肩を落とした後、「教えてくれてありがとう」と呟く。
「孤児院でどんなふうに生きていくつもりですか?」
「フリターク様のような青色神官になりたいです」
粛清で連れていかれても取り戻してもらえるような神殿長や神官長の信頼が厚い青色神官。神殿長や神官長が留守の時には神殿を任されるような青色神官。自分で稼いで自分の生活を賄うことができる青色神官。それがコンラートの理想だそうだ。
……フリタークがコンラートのヒーローになってたなんて、初めて知ったよ。
「プランタン商会のルッツが言っていました。工房のことに詳しい青色神官が欲しい、と。私は工房に立ち入れる青色神官になりたいです。それに、ディルクと約束したのです。ディルクが魔術具をもらって貴族になることができたら、私は自分で生活できる青色神官を目指してディルクを支える、と」
二人で孤児院を守っていくのだ、とフィリーネとよく似たコンラートの黄緑の瞳がキラリと輝いた。
「姉上が我儘を言ったように私も我儘を言っても良いなら、成人までエーレンフェストにいてください。そして、洗礼式を終えた私が青色神官になれるように、ちょっとだけ助けてくれると嬉しいです」
貴族になるほどではなくても、青色神官見習いになるのはお金がかかる。
コンラートは下級貴族で魔力が少ないから、洗礼直後ではほとんど魔力供給で役に立たない。魔力の供給量に応じて領地から与えられる補助金に差があるので、少し成長して魔力が増えて自活できるまでの支援をしてほしい、とコンラートは言った。
「父親に見捨てられるくらいに魔力が少ない私が貴族になるよりは、青色神官としてディルクやメルヒオール様を助ける方がずっと役に立てるはずです」
コンラートは孤児院で貴族以外の生き方を見つけたようだ。簡単に買い取られてしまう灰色ではなく、自活できる青色神官になりたいと願っている。
「わかりました。わたくし、成人まではエーレンフェストでコンラートを見守りながら、一緒に孤児院を守っていきます」
フィリーネがニコリと笑ってそう言った。自分で納得した道を選べたようで、わたしもホッとする。そして、フィリーネが道を選べたならば、主であるわたしはそれを支援してあげればよい。
フィリーネの生活を支えてもらえるようにお母様への根回しはもちろん、貴族が出入りする機会が増えても神殿が荒らされないように、エーレンフェストの最高権力者である領主一族に協力を依頼しなければならない。
……どこから手をつければいいかな?
少し明るくなった気分で先のことを考えながら、フィリーネとコンラートのやり取りを見つめる。コンラートは自分の望みをフィリーネに伝え、それが受け入れられたことがとても嬉しかったようだ。今までよりずっとフィリーネに甘えているように見える。
「以前、姉上は商人と貴族の会合にも出ているとお話してくれましたよね? どんなふうに貴族と商人がお話をするのか、ローゼマイン様がどんなふうに活躍したのか教えてください」
「それは構いませんけれど……コンラートは商人の会合に出たいのですか?」
商人の会合は青色神官の仕事ではないような……と思ったけれど、楽しそうなコンラートには言えない。それに、もしかしたらコンラートが本当に工房に出入りする青色神官になった場合、プランタン商会側が意見を求めるために会議への出席を求めることがないとも限らない。
「最近は工房へ来るプランタン商会の人達から商売のことも少しずつ教えてもらっています。私はローゼマイン様のように商魂たくましくて交渉の巧みな青色神官になりたいのです」
……ちょっと、コンラート。目指す先が何かずれてない!?
「ローゼマイン様のような交渉ができる青色神官ですか……。道は険しく遠いですよ」
「頑張ります」
張り切るコンラートを見下ろしていたフィリーネがわたしをちらりと見て、クスクス笑った。
「フィリーネはずいぶんと落ち着いてコンラートと向き合っていましたね」
わたしに相談した時は結構混乱していて感情的だったけれど、今日の孤児院でのやり取りは落ち着いているように見えた。もちろん、内心は色々な感情がぐるぐるしていたのだろうけれど、それを外には見せなかった。わたしがそれを褒めると、フィリーネは照れたように頬を染めた。
「ダームエルに叱られたのです」
「え?」
「一年でローゼマイン様がいなくなることで道の選択を迫られ、コンラートの扱いに悩む中で、突然コンラートが貴族に戻れる可能性が出てきたことが嬉しくて、後先を何も考えずに飛びついてしまいました」
フィリーネは恥ずかしそうに自分の失敗です、と語る。
「わたくし、ローゼマイン様以外に頼れる保護者がなく、今まではリヒャルダ達が色々な相談に乗ってくれていたのですけれどいなくなってしまいましたし、コンラートのことは城の皆には相談できませんから……」
洗礼前の子供は数に含まれないのにコンラートの処遇を相談できない、とフィリーネは呟く。孤児院に入った以上はフィリーネの弟でないので悩む必要はない、というのが基本的な貴族の見解らしい。
「ローゼマイン様以外に親身になってくれそうな人がいなかったのです」
フィリーネとしてはもうそこしかない、と思ったそうだが、それをダームエルに咎められたらしい。
「ダームエルに言われました。コンラートを孤児院に入れた時点でローゼマイン様が責任を持つ部分は終わっているのに煩わせてはならない、と」
フィリーネの家に乗り込んでコンラートを救ったところでも踏み込みすぎだと叱られていたわたしに多くのことを望みすぎだ、と指摘されたらしい。コンラートを貴族にするのも、どのような形で中央へ連れていくのかも、わたしが考えることではない、と言ったらしい。
「ローゼマイン様はわたくしの主で、わたくしの選択や将来には親身になってくれるし、相談すればコンラートのことでも頭を悩ませてくれるけれど、それに甘えてはならない。わたくしの主で保護者だけれど、コンラートの保護者でも何でもないから、孤児に対する以上の援助を求めてはならない、と」
そして、フィリーネに選べる道やできる範囲の援助について話をしてくれて、コンラートの希望をまず聞くように言われたそうだ。
……何それ、ダームエルがカッコいい!
「どうしてもコンラートが貴族になりたくて、わたくしが援助したいと望むならば、婚約者になっても良いとまで言ってくれたのです」
「え!? ダームエルは求婚したのですか?」
「求婚というよりは、必要ならば助けられるという選択肢をくれただけです。でも、そのダームエルの言葉に甘えるのは、主であるローゼマイン様に甘えるよりもダメなことだと思いました」
フィリーネはそう言って照れたように笑う。
「わたくし、いつだってダームエルに手を引いてもらっていました。守ってもらわなければならない妹のような頼りない女の子を卒業して、胸を張って隣を歩きたいと思ったのです。ですから、ダームエルに甘えることのない道を選んだのですよ」
確かにフィリーネがコンラートに対して挙げた選択肢にダームエルは一度も出てこなかった。
……でも、これってダームエル側から考えたら、振られたことになってない?
わたしは「自立した女になったらクラリッサに聞いたように、わたくしから求婚するのです」と言うフィリーネを応援しつつ、ダームエルに視線を向ける。ダームエルはこちらを向こうとしなかった。
……いつかフィリーネが求婚してくれるって、教えてあげた方がいいかな?