Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (565)
魔紙の準備
朝食を終えてフェシュピールの練習をしていると、城から側近達がやって来る。護衛騎士の交代があり、今日の予定が確認されるのである。
「今日の午後に予定されているベンノとの話し合いはあまり外に漏れないようにしたいので隠し部屋を使いたいと思っています。ダームエルに護衛をお願いしますね」
「ローゼマイン様、文官の同行はどうされますか?」
ハルトムートに笑顔で問われて、わたしは一瞬口籠った。自分の秘密を守るためには命令を絶対に守れる名捧げ組から選ぶしかない。そして、やる気に溢れているハルトムートと「ハルトムートを選んでください」と言わんばかりに顔を逸らしている他の皆を見れば、わたしには選択肢が一つしかなかった。
「うぅ、ハルトムートにお願いします」
「かしこまりました」
午前中はモニカとフランに隠し部屋の準備を頼み、神官長室で執務と引継ぎを行う。メルヒオールとその側近達もいたので、今後の孤児院について話をした。わたしが孤児院長を兼任していたので、メルヒオールの側近から孤児院長も任命してほしいことを告げると、メルヒオールがものすごく困った顔になった。
「孤児院長ですか……。神官長の役職は文官の仕事に似ているので、私の側近から任命するのは容易です。でも、孤児院長は平民の子供の面倒を見るのですよね? 文官より側仕えの方が仕事の内容としては近いのかもしれませんが、今までの仕事と違いすぎて一年で引継ぎができると思えません。まだ私は側近も少ないですし……女性の方が適任だと思います」
メルヒオールの側近はどうしても男の方が多いので、幼い子供もいる孤児院の管理は管轄外と考える者ばかりらしい。周囲の貴族の目を考えると、神殿の側仕えに女性を入れるのも側近達には抵抗があるようだ。外聞が大事なのはわかるけれど、困った。わたしの側仕えはメルヒオール付きにするつもりだったけれど、モニカ達はどう考えても引き取ってもらえないことになる。
……すぐには印象を変えるのも難しいからね。どうしよう?
「孤児院は魔力のない者がほとんどですけれど、今は旧ヴェローニカ派の子供達がいますし、わたくしの工房があります。ですから、以前と違って領主一族の管理が必要だと思うのですけれど……」
旧ヴェローニカ派の子供達がどのように育つのか、印刷業に造詣が深い者の買い取りを願う者がいた時にどのように対処するのかを考えると、領主一族かその側近か、アウブに報告するのが容易な者に孤児院長を任せた方が良いと思う。
「ならば、シャルロッテ姉上か、ブリュンヒルデの側近にお願いしますか? ただ、母上の出産が終わるまでシャルロッテ姉上は忙しいですし、ブリュンヒルデは結婚が終わっていませんから、引継ぎが難しいですね。……残していくローゼマイン姉上の側近はブリュンヒルデ以外にいないのですか?」
メルヒオールの提案にポンと手を打って、わたしは同じ部屋の中で執務をしているフィリーネに視線を向けた。わたしの側近で引継ぎが容易な人材としてはうってつけだ。
「……フィリーネ、孤児院長になりますか?」
「わたくしですか!?」
「成人するまでの三年間、コンラートを見守るのでしょう? ならば、孤児院長はうってつけの仕事だと思うのです。わたくしの側で仕事内容を見てきましたし、孤児院長は役職手当もつきます。わたくしがいなくなる以上、安定した収入が必要でしょう?」
見習いのお給料の他に、神殿でのお手伝い料や本の写本代などでフィリーネに金銭的な援助をしてきたけれど、わたしがいなくなると収入が激減することになる。お母様が家に住まわせてくれるので食と住は問題ないけれど、それ以外に必要な支出を賄うための収入がなければ困るだろう。
「中継ぎという形で三年間孤児院長に就任し、フィリーネが孤児院を任せられると思う者に引継ぎをしてください。養父様達には話を通しておきますから」
孤児院に何度も行っていて、コンラートが孤児院にいるフィリーネならば、孤児院に無体なことはしないはずだ。次の孤児院長も慎重に選んでくれるだろう。
「でも、わたくし、お部屋の準備も何もできません」
「孤児院長室を家具ごと下げ渡しますし、側仕えはモニカとニコラをそのまま、それに、フランかザームのどちらかを付けましょう。わたくしの我儘でフィリーネの仕事を増やすのですから、三年間の孤児院長室の維持費は主であるわたくしが持ちます」
何か理由がなければフィリーネだけにお金を融通するのは難しい。孤児院長を任せるという理由があれば援助もしやすい。
「わかりました。引き受けます」
「ローゼマイン姉上の側近が孤児院長ならば安心ですね。フィリーネ、神殿に来た時に私のお手伝いもしてくれると嬉しいです。……さすがに一年間で全ての引継ぎは不安なので」
メルヒオールがフィリーネを頼ってそう言ったことで、フィリーネは嬉しそうに笑って頷く。わたしもニコリと微笑んだ。
「メルヒオール、フィリーネのお手伝いは有料ですよ。仕事内容と拘束時間でいくら払うのか、表を作成しておきますからきちんと払ってくださいませ。本来の仕事以上の仕事をしてもらっているのですから、自分の側近にも支払うと良いですよ」
わたくしは側近に払っています、と胸を張ると、メルヒオールの側近が少し期待した顔でメルヒオールに視線を向けた。
そして、昼食後、孤児院長室の隠し部屋に同行を許されるのが初めてで浮かれているハルトムートとダームエルとアンゲリカと神殿の側仕え達を連れて孤児院長室に移動した。ニコラが準備してくれたお菓子とフランが準備してくれたお茶を飲んでいると、ベンノとマルクがやってきたので、挨拶を交わして隠し部屋に入る。ここまではいつも通りだ。
いつも通りではないのは、今までフランとギルとダームエルくらいしか入れなかった隠し部屋にハルトムートが入ったことである。正面に座ったベンノは少しばかり驚いた顔を見せて、わたしの背後に立つハルトムートに視線を一度向けて「よろしいのですか?」とわたしに問う。どこまでぶちまけた話をしても良いのか計りかねているベンノを見ながら、わたしはそっと息を吐いた。
「……彼の名を受けたので大丈夫です。主の命令には違反できないので、ここでの内容を漏らすな、と命じれば外に漏らすことはありません」
「ローゼマイン様が名を受けてくださって嬉しく存じます。重要な話は隠し部屋でしているという話を聞いて以来、ここに同席したいと常々思っていました」
ハルトムートが感激したように言う様子をベンノがやや引きつった笑顔で見ている。内心では今すぐに帰りたいとか、よくこんなヤツの名を受けたな、と思っているに違いない。
……名捧げをゴリ押しされなかったら、わたしだって受けるつもりはなかったよ。
「遠慮なく何でもお話ししてくださって結構ですよ、ローゼマイン様。私は貴女が平民の出身であることも、ギュンターの娘であることも、その頃からベンノと親交があることも存じていますから」
「え!?」
全く想定していなかった言葉にわたしは思わず動きを止めた。目を見開いてハルトムートを見つめたまま、動けない。
「孤児院や工房で話を聞いて、矛盾を少しずつ潰していけばある程度の正解にたどり着くことは可能です。最終的な正解はフェルディナンド様にいただきました。ですから、お気になさらず、お話しください」
「気になります! 何ですか、それは!? わたくし、今まで一言も知らされていませんよ!? ダームエルは知っていたのですか!?」
ハルトムートが調べていたことを知っていたのか、とハルトムートの隣に立つダームエルを振り返ると、ダームエルも驚きの表情を浮かべて慌てて首を振っていた。
「知りません。初めて知りました」
「さすがに名捧げをしていない状態で、この情報を口にするとローゼマイン様が気に病むと思いましたから」
ハルトムートは爽やかな笑顔でそう言った。口止めをするためにどうすれば良いのか、下町への影響はどうなるのか、貴族達にそれが広がったらどうしよう、とわたしが悩まないように名捧げまでは口を閉ざしていたらしい。
「ハルトムート、他の誰かに漏らしたということは……?」
「そんな勿体ない真似はしません。孤児院や工房に何度も出入りして皆の緊張と警戒を解き、当たり障りのないことしか言わない灰色神官達からかなり丁寧に情報を集めて、小さな矛盾を丁寧に潰して推測した上で、その場で処分されるかと思うようなフェルディナンド様達の視線を浴びながら手に入れた正解ですよ。何故何の苦労もしていない者に教えなければならないのですか?」
わけがわからないというような顔でハルトムートに言われ、わたしもわけがわからない気分になった。「ダームエルが重用される理由を知りたかったから」という理由だけでそこまでできるハルトムートの基準が理解できない。そこまでして正解を手に入れて、自分の胸の内に抱えて満足できる精神構造がわからない。
「……うぅ、何だかもう疲れました」
ハルトムートのせいで本題に入る前にどっと疲れた。肩の力を落とすと、正面のベンノが気を取り直したように姿勢を正すのが目に入った。
「それで、今回は一体何のお話でしょう? 他領の商人がいつ来てもおかしくない時期にわざわざ呼び出すのですから、大変なことが起こったことだけは理解しています。領主会議で何か大変なことでもございましたか?」
忙しいんだからさっさと本題に入れ、と言わんばかりの赤褐色の目に睨まれて、わたしも一度姿勢を正す。
「ギルド長に伝えることはこちらの手紙に記しています。ベンノには他に漏らせない内密の話をしたいのです」
「心得ています」
手紙を受け取ったベンノがマルクに渡して、こちらを向いた。
「細かい事情は教えられないのですけれど、わたくし、一年後にエーレンフェストから離れることになりました」
「……一年後? 秋にはグレッシェルの改革があり、プランタン商会の二号店が開店するというのに、春には別の領地について来いということですか?」
必死に抑えているけれど、「お前は俺を殺す気か!?」とベンノの顔にはしっかりと書いてある。わたしは慌てて首を横に振った。
「いいえ。エーレンフェストでは養父様が許可してくださったので、わたくしは事業にも好きに関わることができます。けれど、他領では未成年に事業を任せないそうです。ですから、わたくしが成人する三年後まで印刷関係者に移動はありません。あちらの状況の確認や店や工房の準備もしなければなりませんし……」
わたしが説明するのをベンノは少し手を挙げて制すると、腕を組んで呆れたような笑みを浮かべた。
「つまり、一年後には動けるようにしておいた方が良いということですね?」
「え? 違います。三年後で……」
「ローゼマイン様が出した事業計画は常に前倒しになるのです。三年後を目途に準備していたら絶対に間に合わない事態になります」
「はぅっ!? ベンノさん、ひどいですっ!」
成人まで動かせないと言っているのに! とわたしがベンノを睨むと、フッとベンノが笑った。
「経験と事実に基づいていますから、ひどくありません。移動はグーテンベルク達全員ですか? 領主一族が他領へ移動するならば、専属は連れていくものでしょう?」
「できれば来てほしいですけれど、グーテンベルク達には無理にとは言いません。遠いですし、現地の者との軋轢もあるでしょうし、今のように近い距離で便宜を図ることができるとは限りませんし、全員を連れていくとエーレンフェストの印刷業が後退するでしょうから」
まだやっと後任が育ってきたという時期にグーテンベルク達を全員引き抜くようなことはできない。
「……ただ、印刷工房は欲しいので、準備が整ったらグーテンベルク達に例年のような出張だけはしてもらうつもりです。それから、三年を待たずに連れていく者もいます。ギルベルタ商会からトゥーリと他数名、染色専属のルネッサンスは絶対に連れていくつもりです。専属達については彼等が望めば家族で受け入れるつもりなので、こちらの意向を伝えてください」
「かしこまりました」
「それから、フーゴとエラも専属の料理人として連れていきます。同じように家族で受け入れるつもりなので、内密に根回しをお願いしてよいですか? エラは出産のためにお休みに入っているのです」
下町から練習のために神殿へ来ている料理人見習い達についてはフィリーネが孤児院長室を使うので、そちらで練習してもらうことになることを伝える。
「孤児院長室の厨房にはニコラがいるので大丈夫だと思います。フィリーネが成人するまでの三年間は孤児院長室にわたくしが予算を出すので、これまでと同じようにできると思います」
「なるほど。……ローゼマイン工房の責任者はどうなりますか? 以前と違って、印刷業が領主主導の事業になっていますから、こちらで買い取ることもできないでしょう?」
領主主導の事業であり、神殿の孤児院という立地上、プランタン商会が買い取って運営するのは難しい。
「本来はわたくしがあまり手を出せるところではないのですけれど、三年間はギルを付けてフィリーネに任せればこれまで通りに経営できると思います」
「……三年後は?」
「孤児院長に就任する領主一族の側近か、印刷業を束ねるお母様が責任者になると思います。三年間で文官がある程度育っていることを期待するしかありませんね。それから先は、ディルクとコンラートが孤児院や工房を守れる貴族や青色神官を目指すそうなので、今から色々と教え込んでおくことをお勧めします」
コンラートが商人系神官を目指すらしい、と告げると、ベンノが面白そうに唇の端を上げる。
「グーテンベルクとして他領に移動させることを考えるならば、ギルと他数名の灰色神官達の扱いをどうされますか?」
「三年後の移動を目途にわたくしが新しい印刷工房の職人として買い取って、フィリーネと一緒に移動させます。ニコラもその時に一緒に買い取るつもりです」
残していく者、一緒に連れていく者、三年後に追いかけてくる者。それぞれについて養父様と話をして、買い取られないように確保したい。いきなり事業が潰れないように残していく者やその利益を手札に交渉すれば、何とかなるだろう。
「ふむ、専属の移動や引継ぎについてはわかりました。グーテンベルク達が戻って来てからになりますが、話をして根回しをしましょう。……ローゼマイン様と同時に移動する専属にプランタン商会は必要ありませんか?」
ベンノがそう言ってわたしを見た。「自分の希望は伝えなさい」というお母様の言葉を思い出し、わたしは背後に立つハルトムートやダームエルからは顔が見えないことを計算した上で、昔と同じようにニッと挑戦的に笑う。
「もちろん一緒に来てくれたら嬉しいですよ。三年後のグーテンベルク達の受け入れがかなり楽になるでしょうし、一緒にいてくれるだけで心強いです。でも、死ぬほど忙しいと思いますから……ベンノさんの手腕によるのではありませんか?」
「ほほぅ……。私の手腕ですか」
受けて立つと言わんばかりに笑うベンノにわたしはトロンベ紙の注文を申し出る。何の準備をするにも先立つ物は必要だ。
「色々と大変なことになるのですから、店の利益には協力しますよ。大口の注文です。不燃紙をありったけ売ってくださいませ」
「不燃紙?……ありったけとはまた……」
「フェルディナンド様からの要望で、最低300枚は欲しいのです」
最高品質の魔紙を作ろうと思えば、トロンベ紙でも品質が足りないくらいだ。品質を上げるための研究や調合が必要になる。なるべく早く手に入れなければ、言われていた期限に間に合わない可能性もある。
「これから工房でも作らせるつもりですが、在庫があるならば全てください。できるだけ急いでくださると嬉しいです」
「在庫全て……。お支払いもその場で可能ですか?」
「フェルディナンド様が残してくださったお金があるので、全く問題ありません」
わたしに譲られたお金だけれど、わたしには自分で稼いでいる分もあるので、フェルディナンドのために使ったところで何の問題もない。
「店に戻り次第、在庫を確認し、マルクに届けさせましょう」
金額が金額なので、マルクが届けてくれるらしい。ベンノの背後に立つマルクを見上げ、「よろしくお願いします」と言うと、マルクは見慣れた穏やかな微笑みで返してくれた。
ベンノとの話し合いを終えると、「ローゼマイン様に気安く頼ってもらえる彼等が羨ましい」と嘆くハルトムートを「頼りにしていますから、メルヒオールへの引継ぎをお願いします」と神官長室へ押しやり、わたしは神殿長室へ戻る。
メルヒオールとその側近の教育をハルトムートに任せ、わたしは自分の後任の孤児院長がフィリーネになることを皆にはっきりと伝え、モニカ達をそのままフィリーネ付きの側仕えにすることを告げた。新しい孤児院長が馴染みのある貴族であることに、神殿の側仕え達は安堵の表情を見せる。
「モニカにはフィリーネの側仕えをしてもらうので、ヴィルマがいなくなった後の孤児院の管理はリリーに任せましょう。さて、フィリーネ。一年しか時間がありません。貴族院に行く期間を考えると、残りは半年と言っても過言ではありません。早速引継ぎを始めましょう」
モニカに孤児院の資料を出してもらい、フィリーネの前に積み上げる。
「フィリーネはこちらの資料で孤児院の一年間のお金の流れです。どの季節にどの程度のお金が必要になるのか把握してください。今は旧ヴェローニカ派の子供達が増え、養父様からの援助が増えているので、変則的なお金の流れになっています。そこに気を付けて、フィリーネに説明してくださいね、モニカ」
「かしこまりました、ローゼマイン様」
積み上げられた木札の資料に一瞬引きつった顔を見せたフィリーネが気を取り直して木札を手に取った。モニカと二人で木札を見ながら、話し始める。
「フラン、この後でマルクが来るからお茶はもちろん、お金の準備もお願いします」
「かしこまりました」
マルクが持ってきてくれるトロンベ紙を入れられるように隠し部屋を開けていると、オルドナンツが飛んできた。白い鳥がそっとわたしの腕に降りてきて嘴を開く。
「お久しぶりです、ローゼマイン様。イルクナーのブリギッテです。魔紙の準備が整いました。転移陣で城へ送るつもりなので、御都合の良い日をお知らせくださいませ」
料金と転移に使うくらいの魔力が籠った魔石を木箱に入れて送り返してほしい、と言われ、わたしはタイミングの良さに目を輝かせる。
「ローゼマイン様、最高品質の魔紙を作るのでしたら、城の工房を使う方が良いのではありませんか?」
「……何故ですか?」
ローデリヒにそう言われて、わたしは首を傾げた。
「ここの工房にはクラリッサが入れないので、大騒ぎすると思うのです。それに、最高品質の魔紙を調合するのであれば、私やフィリーネより上級文官の二人に補佐してもらう方が良いと思います」
わたしの代わりに調合をしたり、調合の補佐をしたりするのは文官の仕事なので、神殿で調合をして仲間外れにするとクラリッサが大変なことになるらしい。去年の共同研究の結果をよく知るマリアンネやイグナーツも城にいるので、そちらでした方が……と勧められる。
「でも、城は皆がとても忙しいのでしょう? フェルディナンド様のために調合をしていると、うるさく言う方がたくさんいると思うのです。わたくし、城で調合をするのは気が進みません」
「……ローゼマイン様にはもう一つ工房があるではありませんか。図書館の工房で調合をすればいかがですか?」
ダームエルの提案にわたしはポンと手を打った。確かに図書館の工房ならば、クラリッサも入れるし、うるさい人達はいない。魔紙以外の素材を探すにもちょうど良い。
ブリギッテには「明日の三の鐘に送ってください」というオルドナンツを、城のリーゼレータには「明日イルクナーから紙が届くので、料金と魔石と騎獣へ紙を運ぶ人手を準備してください」というオルドナンツを、図書館のラザファムには明日以降の予定を伝えるオルドナンツを送った。
本当に急いで店に残っている在庫のトロンベ紙をかき集めたようで、マルクが六の鐘が近くなっているような時間に木箱を抱えてやってきた。フランも一緒に数に間違いがないか確認し、お金を払う。大金貨五枚が支払われることに側近達が驚いているけれど、気にしない。
フランとザームに隠し部屋へ紙を運んでもらい、ついでに、工房に魔紙の在庫がないか確認して買い取って来てもらうことにする。今は少しでも多くの魔紙が必要だ。
「ローデリヒ、城に戻ったらドレヴァンヒェルとの共同研究の中で使った魔紙が残っていないか、シャルロッテとヴィルフリート兄様の側近に尋ねてみてください。明日、買い取ります」
次の日は神殿にある魔紙を掻き集めて騎獣に載せると、予定通り城に行った。リーゼレータがイルクナーの紙を受け取ってくれていたので、更に騎獣に載せてもらう。そして、調合の補佐をするクラリッサとハルトムートと護衛騎士達を連れて、図書館へ向かった。
「おはようございます、ラザファム」
「お帰りをお待ちしておりました、ローゼマイン様。こちらにお茶の準備ができています」
笑顔のラザファムに捕まって、下働き達が魔紙を騎獣から工房へ運び込む間、お茶をすることになった。盗聴防止の魔術具を差し出され、フェルディナンドの様子や連座回避について詳しい説明を求められたのである。
クラリッサとハルトムートに調合の準備を任せて、わたしはお茶をしながらラザファムにフェルディナンドの話をした。連座回避の説明だけではなく、今集めている魔紙や素材の話もする。
「アーレンスバッハでフェルディナンド様の隠し部屋ができるので、夏の葬儀の時にこちらから調合に必要な道具や素材を送るつもりなのです」
「それはとてもお喜びになるでしょう。フェルディナンド様がこの家の中で一番長い時間を過ごしていらっしゃったのは工房ですから」
ハルトムートとクラリッサが呼びに来るまでの間、ラザファムは昔話もしてくれた。
この図書室にあるフェルディナンドの蔵書の一部分はハイデマリーの所蔵していた物だったらしい。フィリーネと同じような境遇で、ヴェローニカ派の後妻に家を乗っ取られたハイデマリーは自分の家の図書室からありったけの本を持ち出し、フェルディナンドの館に収めたそうだ。
……この家に伝わる貴重な知識は渡さないって、自分の主であるフェルディナンド様に献上したんだって。
エックハルト兄様はハイデマリーのことを思い出すので、この館の図書室にはあまり近付きたがらなかったらしい。
「エックハルトも少しは傷が癒えてきたのでしょう。去年は図書館へ入って、懐かしそうに蔵書を見つめていましたよ」
「そうですか……」
話が一区切りしたところでクラリッサが声をかけてきた。調合の準備が整ったらしい。
「ローゼマイン様の文官らしい仕事ができて嬉しいです。昨夜、魔紙の品質を上げる研究結果の見直しをしたのですよ」
意欲的なクラリッサに促されてわたしが立ち上がるのをラザファムは何だか懐かしそうな顔で見ている。
「ローゼマイン様はどのくらい工房に籠られますか?」
「……そうですね。葬儀までに最高品質の魔紙のサンプルを作って、フェルディナンド様に問題がないか確認してもらうつもりなので、数日間は工房に籠ることになると思います」
数日間、と心配そうな顔になったラザファムにわたしは急いで付け加えた。
「でも、フェルディナンド様と違って、わたくしは食事の時には工房から出ますから心配しないでくださいませ」
ラザファムが苦笑しながら「かしこまりました」と頷いた。