Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (579)
冬の子供部屋と貴族院の始まり
冬の社交界が始まると、子供は子供部屋へ移される。わたしは初対面の子供達の挨拶を受け、旧ヴェローニカ派の子供達が仲間外れにされたり、嫌がらせを受けたりしないように気を配りながら、勉強やゲームを進めていった。
貴族院へ行く年齢の子供達は粛清の期間を貴族院で一緒に過ごしていたせいか、それとも、くるくると状況が変わっても貴族院では変わらない雰囲気を維持したいと思っているのか、特に隔意なく接している。
それにつられているのか、貴族院入学前の子供達にもギスギスした空気は見られない。皆でゲームに熱中したり、勉強時間には優秀な成績を出したりしてお菓子を得ようと必死だ。
「もう少し雰囲気が悪くなるか、と思っていたのですけれど、予想以上に雰囲気が良いですね」
「うむ。シャルロッテが、ローゼマインがいなくなった頃の子供部屋のような雰囲気になるかもしれぬと心配していたが、そうでもなかったな」
アウブ夫妻は社交で忙しくなるため、夕食を共にするのは子供だけだ。そのため、夕食の後が子供部屋の反省会や貴族院での計画についてゆっくり話をする場になる。忌憚ない意見を話せるように範囲指定する盗聴防止の魔術具を使用している。
シャルロッテとヴィルフリートは子供部屋の雰囲気が悪くならなかったことに安堵していた。メルヒオールは楽しい子供部屋に喜んでいるようだ。
「大人の派閥争いに巻き込まれるのはエーレンフェストだけで、貴族院では他領に勝つために協力し合うという感覚がある程度馴染んでいるのかもしれません。このままの雰囲気を維持してほしいものです」
「その感覚を持ったまま成人して、エーレンフェスト内の勢力争いより他領との関係を見られる貴族を育てていかなければなりませんね」
シャルロッテの言葉にヴィルフリートも頷きながらメルヒオールに視線を向ける。
「私が驚いたのはメルヒオールが予想外に上手に子供達を導いていることだ。去年は粛清のため北の離れに隔離されていたので心配していたが、今年は問題なく子供部屋を率いていけそうだな」
「兄上、それは神殿の孤児院で皆とゲームをしたり、話をしたりしていたからだと思います。人数は少し多いですけれど、あまり変わりませんから」
メルヒオールはニコッと笑ってそう言った。本人が言う通り、孤児院での経験が役立っているようで、自分がゲームに没頭するのではなく、時々周囲を見ることができているように見える。
「わたくしが心配なのは今年の一年生の学習進度です。去年の子供部屋では学習の機会が少なかったでしょうから……。大丈夫でしょうか?」
座学の方は子供部屋で二年ほどしているので、それほど問題はない。全員高得点がとれるかどうかは微妙なところだが、初日合格はできる。ただ、フェシュピールの練習が足りていないのがよくわかる。去年に比べて下級貴族と中級貴族の差が激しいのだ。
「お姉様、ここで心配しても仕方がありません。わたくし達の楽師がいるうちに少しでも練習してもらったり、個々の学習進度をよく確認したりして対応しましょう」
シャルロッテの言葉にヴィルフリートは「個別に学習進度を確認か……。一年生の時の悪夢が蘇るな」と呟き、わたしに暴走しないように注意する。
……図書館がかかっているわけでもないのに暴走するわけがないよ、失敬な。
「私はディルクやベルトラムが上手く馴染めるのか心配でしたが、二人とも大丈夫そうで安心しました」
ディルクもベルトラムもカルタやトランプのゲームは孤児院で遊んでいたため、ゲームに勝ったらお菓子を手に入れて喜んでいた。わたし達の目があるからだと思うけれど、あからさまに邪険に扱われることはないし、馴染んでいるように見える。
けれど、ディルクは貴族になろうと決意して半年くらいだ。ゲームに勝てても歴史や地理にはかなり弱いし、フェシュピールの練習も頑張らなくてはならない。何より貴族としての常識を覚えることが課題だ。
ベルトラムはあらゆる場面で自分の立場の見直しをしなければならないのが課題だろう。粛清さえなければ上級に近い中級貴族だったが、今は孤児として洗礼式を受けた中級貴族だ。中級貴族の中では最底辺になる。この差が大きい。洗礼式を終えてしまった今、ラウレンツに兄と呼びかけることもできないのだ。自分の立場に戸惑っているのがよくわかる。
「アウブの後見を受けて孤児院から洗礼式を受けた貴族は初めてです。多少の不利は仕方がないでしょうが、あまり不利益を被らないように子供部屋ではメルヒオールが気を付けてあげてください」
「はい、ローゼマイン姉上」
城の旧ヴェローニカ派の子供部屋で寝泊まりしている青色見習い達もそれほど不都合はないようだ。「自分の側仕えがいる神殿の方が落ち着きますけれど大丈夫です」と青色巫女見習いの一人が言っていた。収穫祭という長旅を通して主従関係が深まったらしい。離れてちょっと寂しいようだ。気心の知れているフラン達と離れると寂しくなるので、その気持ちはわかる。
「旧ヴェローニカ派に恨みを抱いている者や子供達に辛く当たる者が、子供部屋の側仕えとして付いているのでなければよいのですけれど。……任命したのは養母様でしょう? シャルロッテは寝泊まりする部屋に付けられている側仕えの人となりを知っていて?」
「大丈夫です、お姉様。わたくしは貴族院へ行くので、わたくしの側仕えを付けています。心配いりません」
生まれたばかりの子についていなければならない養母様の代わりにシャルロッテが自分の側仕えを付けてくれたらしい。それは心強い。
「あ、そうそう。シャルロッテ、鍛冶職人に注文していた物が届きました」
「もう完成したのですか? 嬉しいです、お姉様」
紋章入りのコインのようなペンダントトップが完成したのだ。もちろん、シャルロッテに贈る物だし、二人でデザインを考えたのだからコインほどシンプルな物でもない。紋章の周囲には透かし彫りでシャルロッテの女紋や加護を得たい神の記号を彫り込んでもらっているため、結構豪華である。繊細で細かい装飾はヨハンの得意とすることなので、かなり素敵な仕上がりになっていた。
神々の記号のところには小さな魔石が入るように穴が開いていて、シャルロッテが自分で魔石を入れることになっている。防御用ではなく神々の加護を得るためのお守りとして使うには、自分の魔石を使う方が魔力は通りやすくて祈りが届きやすい気がするらしい。
「ローゼマイン姉上、何のお話ですか?」
「離れていても姉妹の繋がりがわかる物がほしいとシャルロッテにおねだりされたので、わたくしの紋章の入ったペンダントトップを専属の鍛冶職人に作らせたのです」
「私も姉弟ですが、私の分はないのですか?」
メルヒオールが悲しそうに表情を曇らせてわたしを見てきた。そんな顔で見られても困る。
「離れても姉妹だと思える印が欲しいというシャルロッテの思いが嬉しいから作らせたのです。離れても姉だと思ってほしい、とわたくしから押し付けるような物ではないでしょう? 他領に行けば他人ですし、アウブとの養子縁組を解消すれば尚更ですもの」
離れたら他人ではありませんか、と当たり前の顔で言われることを考えると、欲しいとお願いされたならばともかく、こちらから姉弟の証を贈るなんてとてもできない。
「私はローゼマイン姉上を尊敬していますし、離れたら寂しく思います。私も姉弟の証が欲しいです」
「メルヒオールがそのように思ってくれるならば作らせますよ。今すぐに注文すればヨハンは冬の間に作ってくれるでしょう」
まだ雪が深いとはいえない今ならばヨハンに注文が届くはずだ。冬は外に出られないので時間があると聞いたことがあるし、今は仕事を与えた方がヨハンも気が紛れるだろう。
わたしが快諾すると、メルヒオールはぱぁっと笑顔になった。わたしがシャルロッテのデザインを説明しながら、メルヒオールのためのペンダントトップを二人で考えてデザインしていると、隣でヴィルフリートも何やら描き始めた。
「私はこういうのがいいぞ、ローゼマイン」
「……え? ヴィルフリート兄様もわたくしとの繋がりが欲しいのですか?」
懐いてくれていたシャルロッテやメルヒオールはともかく、ヴィルフリートには婚約をものすごく嫌がられたし、結構言いたい放題に言われた。今更わたしとの繋がりを欲しがる意味がわからない。わたしが不満顔を見せると、ヴィルフリートは少しだけバツの悪い顔になった。
「兄妹関係ならば良いのだ。私はここしばらくの間、それを心底実感している」
ヴィルフリートのピリピリしていた雰囲気が綺麗に消えている。言いたいことを全部言ったことで尖ったナイフの思春期を通り過ぎたということだろうか。
正直なところ、どうしてここまで態度が変わるのかわからないくらいだ。わたし達は婚約者らしいことなど何一つしていなかったので、婚約前も、婚約中も、婚約解消が決まった後もわたしは特に意識が変わっていない。それなのに、ヴィルフリートは態度がころころ変わっている。
「婚約解消が決まってからはヴィルフリート兄様の対応がずいぶんと変わりましたが、婚約者と兄妹はそれほど違いますか?」
「全く違うではないか。……あぁ、もしかすると、其方はまだわからないのか? うむ、成長すればそのうちわかると思う。私も婚約した当初は違いがわからなかったからな」
「今はわかるのですか?」
「あぁ。兄妹と婚約者は完全に別物だし、其方と私では遅かれ早かれ同じ結果になったはずだ。私にはとても耐えられぬ」
わたしの頭から下までさっと視線を走らせた後、ヴィルフリートは優越感に満ちた笑みで「ローゼマインも早く成長すると良いな」と言った。そして、ヴィルフリートは自分の欲しいデザインを差し出してくる。何だか本当に悟った顔をしていて、先に成長された感じがしてちょっと悔しく思いながら、わたしはデザイン画を受け取った。
……あ、でも、この無意味なカッコよさにこだわるところは全然成長してないね。
次の日、すぐにヨハンへ注文を出してもらえるようにギルベルタ商会へ遣いを出してもらう。
それからは貴族院へ出発する日まで夕食時に話し合いをしながら子供部屋の様子を見たり、貴族院の予習をしたり、ハルトムート達と共に奉納式の手順の話し合いをしたりして日々を過ごした。
四年生の出発日、わたしとヴィルフリートは貴族院へ出発した。
「こちらで寛いでいてくださいませ、ローゼマイン様。わたくし、グレーティアと共にお部屋を整えてまいります」
リヒャルダの代わりに成人済みの側仕えとして貴族院へ来てくれたのはリーゼレータだ。今年はまだ上級貴族のブリュンヒルデがわたしの側近にいるので、王族や上位領地とのやり取りを任せられること、留守番をしているクラリッサを押さえるためにオティーリエはエーレンフェストに残ってもらわなければならないこと、わたしと中央へ行くならば顔繋ぎが必要なことなどが理由だ。
「リーゼレータ、奉納式のために最後に来るハルトムートやコルネリウス兄様達のお部屋も準備できているかどうか、確認してくださいませ」
「かしこまりました」
リーゼレータとグレーティアが荷物の片付けに行くと、ブリュンヒルデが多目的ホールへ案内してくれる。わたしは久し振りにブリュンヒルデが淹れてくれたお茶を飲みながら、側に控えてくれているブリュンヒルデと話をする。
「ブリュンヒルデ、グレッシェルはどうですか?」
「領主一族の側近達が協力してくださったおかげで、とても綺麗になりました。クラリッサの広域魔術の補助魔術陣は素晴らしかったです。秋にはあちらこちらの木工工房からどんどんと荷物が運び込まれ、あっという間に建物に扉や窓がはまりました。馬車がたくさん行き交う光景を見て、商業地区の道を広めにしておいてよかった、とお父様が胸を撫で下ろしていらっしゃいました。この冬は各店が内装を整えていると思います」
次々と職人達がやってきて建物を整えていき、それに合わせて周辺からどんどんと職人達の冬支度のための物資が運び込まれる。人口が急に増えてグレッシェルはすごい賑わいを見せているらしい。
「新入生に入ってくるベルティルデの様子はいかが? わたくしはどのように接すると良いかしら?」
「ベルティルデはローゼマイン様の側仕えになるのを楽しみに、エルヴィーラ様にお仕えしていたので召し上げてくださると嬉しく思います」
この冬だけでもわたしの側仕え見習いとして仕えさせてあげてほしい、というのが姉であるブリュンヒルデの答えらしい。わたしはすぐに了承した。
「ブリュンヒルデがベルティルデを鍛えるのでしょう? でしたら、メルヒオールの側近も一緒に連れ回してくれないかしら? メルヒオールの学生の側近をわたくしが預かることになっているのですけれど、わたくしのお部屋には入れないでしょう? せめて、上位領地とのお茶会の根回しや準備など、実際に見なければわからないことを見る機会だけでも与えてほしいのです」
一番上位領地とのやり取りの経験があるのがブリュンヒルデだ。卒業前にできるだけ後任を育ててほしい。
「かしこまりました。これから先のエーレンフェストのためです。できる限り頑張りたいと思います」
ブリュンヒルデは養母様を通じてアーレンスバッハの布をもらったことを教えてくれ、第一夫人を立てたわたしの判断を褒めてくれた。
「世代交代をしようと思っている時にライゼガング系の古老が盛り上がっても大変でしたし、フロレンツィア様を立てることがアウブとのお約束ですもの。ローゼマイン様がフロレンツィア様を立ててくださって助かりました」
養母様とブリュンヒルデは同じ派閥に入っている。せっかく女性の派閥はまとまっているのに、今の時期に派閥を割るわけにはいかないそうだ。
「社交に疎いわたくしではそれほど役に立たないでしょうけれど、できるだけのお手伝いはしますからね」
「恐れ入ります。……でも、お手伝いをするのは側仕えであるわたくしの仕事ですよ、ローゼマイン様」
フフッと笑ってブリュンヒルデが立ち上がる。次にやってきたのはミュリエラだった。お母様に名を捧げ、印刷業のために忙しくしていると聞いている。
「ローゼマイン様、貴族院ではまたよろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願いします、ミュリエラ。印刷業の方はどうかしら?」
「ローゼマイン様が提案された少ない魔力で動く魔力の転移陣を使って、見本だけでも各地から城へ送れないか、文官達で頭を悩ませています。試し刷りの確認のためには何度も使うので、劣化が激しいのともう少し魔力を節約できないかというところに課題があります」
少しでも早くわたしに新しい本を届けるためにお母様が提案して頑張ってくれているらしい。
……お母様!
「ヒルシュール研究室のライムントに今の課題を伝えて改善のアドバイスをもらうか、ミュリエラが一緒に研究してみると良いと思いますよ。わたくし、今年は図書館の魔術具を作るのに忙しいのです」
感激しながらわたしはミュリエラにライムントとの研究を勧めておいた。
次の日にはシャルロッテがやってきて、その次の日にはテオドールも側近として合流し、キルンベルガで滞在していたグーテンベルク達の話を聞かせてくれる。
二年生が到着して一息吐いたら、講義で使うための素材採集だ。高学年の中にはすでに素材採集に行った騎士見習い達もいるけれど、文官見習いや側仕え見習い達はまだ行っていない。危険が少ないように皆で一緒に行くのだ。
騎獣に乗って寮を飛び出す。助手席に乗っている護衛騎士見習いはユーディットだ。外に出ると、上空には光る線が見えた。領主会議の時に見えていた魔法陣だ。一体何の魔法陣なのか気になって、わたしは魔法陣の全体像を見るために騎獣の高度を上げていく。
「ローゼマイン様、どこまで上がるのですか?」
不思議そうな顔でユーディットに問われて、わたしはハッとした。周囲には困惑気味の護衛騎士見習い達が騎獣で追いかけてきている。
「本当はもっと上がりたいのですけれど、皆が心配しますもの。帰りにしましょう」
わたしは採集地へ降りると、一部にシュツェーリアの盾を張った。
「わたくしは危険がないように盾を張るだけです。神事によって神々の御加護を得られるように採集地の再生は皆で行ってくださいませ。領主会議の時に貴族院に来ていた大人が回復してくれているので、皆でもできます」
他領の学生達は自分でしているのだから、エーレンフェストも同じようにしなければその内エーレンフェストの学生だけ得られる加護の数が少ないということになってしまうかもしれない。それに、来年にはわたしはいなくなるのだ。どの程度の回復ができるのか、確認しておかなければならない。神事に関しては今のところエーレンフェストが一歩リードしているのだから、皆に頑張ってほしいものである。
「回復薬作りの素材は多めに集めておくとよいですよ。奉納式もありますから、例年より必要になります」
回復薬のための素材をフィリーネがたくさん集め、気合いを入れた顔で採集地の回復の儀式に参加する。わたしが祝詞を教え、学生達は輪になって復唱しながらフリュートレーネに祈る。領主会議の時と同じように採集地が回復していく。下級貴族や低学年の子が途中で地面から手を離して離脱したけれど、無事に採集地は回復した。
「わたくし、少し気になることがあるので上空高くまで騎獣で行って確認してきます。ヴィルフリート兄様とシャルロッテは皆を率いて先に寮へ戻ってくださいませ」
「お姉様は何を確認されるのですか?」
「……王族案件なので秘密です」
「わかりました。お気を付けて」
他の人には見えない魔法陣なので言っても意味がない。わたしはレッサーバスに乗り込むと、上空へ上がった。魔力の線がある部分を越えて、高く、高く駆け上がる。
「ローゼマイン様、どこまで行くのですか!?」
「貴族院を一望できる高さまでです。もう少しですよ、ユーディット」
こんなに高くまで上がったことがない、とビクビクしているユーディットに目的地を告げながら上がり、わたしは下を見下ろした。雪に覆われて白で染まった貴族院の敷地を覆うように神々の貴色の線が走って魔法陣になっている。魔法陣の先は雲海しか見えない。何というか、魔法陣に合わせて貴族院が作られているようにも見えた。
……選別の魔法陣。
貴族院を覆う魔法陣は神殿長の聖典の初めや奉納舞の舞台に浮かび上がっていたのと同じ、王を選別するための物だった。領主会議の時から全く様子が変わっていないように見える。祠を巡って魔法陣を作り出したわたしが貴族院にいなかったのだから当然かもしれないけれど、消えるわけでもないらしい。
……祠で魔力を奉納して祈りまくっていたら出た魔法陣だから、王の選別に関係があるのは間違いないんだろうけど……。王の養女になって王族に登録されたら変化があるのかな?
聖典には詳細がないし、魔法陣が出たところで記述に変化もない。神事の度に聖典を開いていたのだから、何か変化があればわかるので間違いない。地下書庫の書物もあまり詳細には書かれていない。もしかしたら、まだ読んでいない部分にあるのかもしれないけれど、あそこの記録は王になるために苦労した人達が「自分達も苦労したんだ。お前も苦労しろ」という感じの突き放したヒントしかない。
……魔法陣を動かすのに必要なのは魔力だから、この上から祝福を振りかけたら動くとか? それとも、魔力がたっぷり詰まった大きめの魔石を落としてみるとか? いや、でも、さすがに貴族院全体に魔力を行き渡らせるのは大変だし、魔石を落としたら危険だよね。うーん……。
いかにしてこの魔法陣を起動させるのか考えてみたけれど、あまり良い考えが思い浮かばない。
……祈りを捧げて出てきたんだから、発動にも祈りがいるとか? もう一回祠を巡ってみる? それとも、どこか祠以外にお祈りをする場所があったっけ? わたし、結構どこでも祈ってるからなぁ……。
この魔法陣が出た後に講堂で領主会議の奉納式を行ったけれど、特に何も起こらなかった。
「何かわかったのですか、ローゼマイン様?」
「見えた物はありますが、その先を考えてもよくわからないので寮に戻ります」
わたしの発想が貧困なのは、今に始まったことではない。答えが出るかどうかわからないことにいつまでも護衛騎士達を付き合わせるわけにもいかないだろう。
「ねぇ、ユーディット。貴族院でお祈りをする場所というとどこかしら?」
「先程採集地でお祈りをしましたけれど、普通はお祈りをする場所は講堂の奥ではありませんか? 祭壇があるところで祈るのですよね?」
結構どこででも祈っているわたしはすぐに思いつかなかったけれど、普通の人が祈りを捧げるのは礼拝室に決まっている。よく考えてみると、領主会議の時は講堂で祈ったのであって、祭壇のある最奥の間ではなかった。最奥の間の祭壇に向かってお祈りすると、何かが起こるかもしれない。
……あれ、次の奉納式って祭壇?
もしかしたら魔法陣が動くかもしれない。何の心の準備もなく妙なことが起こる前に気付いてよかった。奉納式の前に王族へ連絡を入れた方が良さそうだ。
「ユーディット、大変結構ですよ! きっと皆がユーディットに感謝するでしょう」
「え? え?」
わけがわからないというように菫色の目を瞬くユーディットにニコリと笑いながら、わたしは寮へ戻った。
次の日は新入生の移動日だ。ブリュンヒルデの妹のベルティルデが上級生に連れられて多目的ホールへ入ってきた。今日の新入生はお客様として上級生に歓迎され、もてなされるのである。
ベルティルデはわたしの近くの席に案内され、姉のブリュンヒルデにお茶を淹れてもらい、嬉しそうに微笑んだ。姉妹でよく似たサラサラのストレートの髪が揺れる。ブリュンヒルデの髪は深紅だが、ベルティルデの髪はローズピンクだ。くりくりとした飴色の瞳は二人ともそっくりだと思う。
「歓迎します、ベルティルデ。わたくしの側仕え見習いとして、ブリュンヒルデからよく学んでくださいませ」
「はい、ローゼマイン様」
わたしの周囲にはメルヒオールの側近の見習いも連れて来られ、これから先の予定について話をする。図書館へついて来てもらおうと思えば講義はなるべく早く終わらせてもらわなければならない。
「一年生が一番先に講義を終えられるはずですから、しっかりお勉強してくださいませ。主であるメルヒオールのためにも良い成績を残してくださいね」
「はいっ!」
ニコラウスがやってきたことで新入生は全員が到着した。上級生も全員が多目的ホールに入っている。わたしは今年の共同研究の話をし、文官見習い達を領主候補生の側近であるなしに関係なく振り分けていく。
「去年は危うくドレヴァンヒェルに研究成果を盗られるところでした。秘密の保持や最後の手段、エーレンフェスト独自の部分を持つことを考えて研究に当たってくださいませ」
そんな話をしているうちにダームエル、アンゲリカ、レオノーレ、ハルトムート、コルネリウス兄様が到着する。奉納式に青色の衣装をまとって参加する成人メンバーだ。
「今年は下級、中級、上級と領主候補生の三度に分けて奉納式があるので、全ての神事に出る五人は大変だと思いますけれど、よろしくお願いします」
「エーレンフェストの奉納式までには終わらせなければなりません。中央神殿やクラッセンブルクとの日程の調整はお任せください。ローゼマイン様の講義に差し支えないようにいたしましょう」
ハルトムートが笑顔で請け負ってくれる。こんな時はとても頼りになると思うのだ。胸元の紋章入りの魔石を触ってニヤニヤしていなかったら完璧だった。
「あぁ、皆様。揃っていますね。寮監のヒルシュールです」
例年通り、ヒルシュールがやってきて今年の予定を告げる。進級式や親睦会の予定も例年通りだ。説明を終えると、ヒルシュールは真っ直ぐにわたしのところへやってきた。
「ローゼマイン様、図書館の魔術具を作るための素材は集まりまして? 希少な素材が多かったので心配だったのです」
「大丈夫です。どの素材もフェルディナンド様から譲り受けた工房にありました」
「まぁ、さすがフェルディナンド様ですね。これでわたくしの研究も進みます。安心しました」
……え? 心配していたのは、自分のためってこと!? やっぱりヒルシュール先生とフェルディナンド様は間違いなく似たもの師弟だよ!
相変わらずなヒルシュールに諦めの溜息を吐きながら貴族院の生活は始まる。
わたしは皆が必死に予習している中、進級式までの貴重な自由時間を久し振りの読書で過ごした。エーレンフェストの各地で刷られた新しい本を多目的ホールで読んでいく。ディッター物語には挿絵が入っているし、ダンケルフェルガーの歴史本や例年通りの貴族院の恋物語など新しい本がいくつもある。
王の養女になることが決まってからは、引継ぎに必要な資料は読めても本に没頭する時間はなかった。最後に時間を忘れて本を読み耽ったのはいつだっただろうか。喉が渇いて仕方がなかったところに水を一気飲みしたような充足感を覚えて、わたしは満足の息を吐く。
……あぁ、幸せ。やっぱり本がないと生きてるって感じがしないよね。