Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (581)
初週の講義 前編
親睦会の次の日から講義が始まるため、親睦会から戻るとすぐに皆が必死に勉強を始めた。
「今年は講義内容が大幅に変わることが予め連絡されているので、ドレヴァンヒェルの学生達は手強いと思われます。順位を維持できるように頑張りましょう」
「エーレンフェストでは昔の講義内容もずっと勉強してきた。それほど恐れることはなかろう」
奉納式に関する話し合いを終えたシャルロッテとヴィルフリートが学生達を鼓舞しつつ、勉強に参加する。神事のためにやってきた成人組の内、ダームエル、コルネリウス兄様、レオノーレ、ハルトムートが教師役をして、勉強時間の足りなかった一年生の勉強を見てくれている。
アンゲリカはわたしの護衛だ。決して役に立っていないわけではない。アンゲリカがいるおかげで護衛騎士見習い達が勉強に集中できるのだから、勉強以外では役に立っている。神殿で執務をしている時と同じだ。
「リーゼレータ、アンゲリカ。オルドナンツを送るので自室に戻りましょう」
わたしは勉強している皆の邪魔にならないようにアンゲリカとリーゼレータを連れて自室に戻ると、オルドナンツを飛ばした。ソランジュには新入生の登録を予約するため、エグランティーヌにはハルトムートとコルネリウス兄様に関する謝罪と奉納式で何かが起こりそうだという注意を飛ばす。
ソランジュからは「二日後のお昼休みに登録に来てくださいませ」と返事が戻ってきた。そして、エグランティーヌからは「奉納式に何が起こるのか、領主候補生コースの講義の後で詳しい話がしたい」と返事が来た。
……何が起こるかなんてわたしにわかるわけがないんだけど、何てお返事すればいいんだろうね?
次の朝、朝食の後もギリギリまで見直しをし、学生達は初日の講義に向かう。
わたしの学年は午前に座学で、午後に実技だ。午前の座学は問題なく全員が合格した。カリキュラムの変更に戸惑っている領地も多かったが、上位領地はしっかり勉強している者が多かったようだ。
午後の実技は調合で、やや効果の高い回復薬の調合が課題だった。時間短縮の魔術も使い、わたしは自分の調合を手早く終わらせる。フェルディナンドの依頼で作っていた魔紙の調合に比べると、簡単すぎて講義が終わる時間まで手持無沙汰になった。
さっさと調合を終えてのんびりとした気分で教室内を見回していると、皆が少しずつ手慣れてきているのがわかる。特に文官見習いは調合の機会が多いせいで手慣れている者が多い。
「見回せば誰が文官見習いなのか、すぐにわかりますね。手つきが違いますもの」
「誰よりも早く高度な技術を用いながら調合を終わらせたローゼマイン様は領主候補生ではありませんか」
薬草を丁寧に切っているハンネローレが苦笑気味にわたしを見た。
「あら、ハンネローレ様。わたくしは文官でもあるのですよ。ですから、調合が手慣れていても不思議ではないのです」
「普通の領主候補生は自分で回復薬を作ったり、魔術具を作ったりしないのだぞ、ローゼマイン」
相変わらず薬草を切る手つきが危なっかしいヴィルフリートがメッサーを握ってそう言った。ハンネローレの手つきも似たり寄ったりなところを見れば、領主候補生があまり調合をしないのはわかる。
「オルトヴィーン様は比較的手慣れていらっしゃいますもの。ヴィルフリート兄様はゲヴィンネンより先にもう少し調合の腕を磨いた方が良いのではありませんか? 細かく切るのが苦手ならば、せめて大きさを揃えて切らなければ均等に魔力が籠りませんよ?」
フェルディナンドならば素材の下準備で失格を出しているはずだ。わたしの指摘にヴィルフリートは「むぅ……」と唸りながらメッサーを睨んでいた。
次の日も座学は難なくクリアだ。わたしの側近達が教えているせいか、一年生も比較的高得点で合格しているらしい。
今日のお昼は図書館で新入生の登録をする日なので、わたしは急いで昼食を終えると、一年生と自分の学生の側近を引き連れて図書館へ向かった。さすがに図書館登録は奉納式が全く関係ないので、成人の側近達は寮でお留守番である。
「ローゼマイン様は図書館が大好きなのでしょう? それに、白と黒のシュミルがいるのですよね? お姉様に伺いました」
シュバルツ達が可愛いとブリュンヒルデやリーゼレータから聞いていたらしいベルティルデは弾んだ足取りで歩いていく。
「可愛らしいですけれど、勝手に持ち出されないように防衛の魔術がたくさん仕掛けられています。シュバルツ達には不用意に触れないように気を付けてくださいませ」
新入生にそう注意をすると、ソランジュから送られてきた招待用の木札を入れて扉を開け、図書館へ向かう。例年通りに閲覧室に入る扉の前の回廊でソランジュとシュバルツ達が迎えてくれた。
「お久し振りですね、ソランジュ先生」
「お元気そうで何よりです、ローゼマイン様」
わたしがソランジュと挨拶をしていると、シュバルツ達がわたしの周りを取り囲む。相変わらず可愛い。
「ひめさま、きた」
「ひめさま、ひさしぶり」
「シュバルツとヴァイスも久し振りですね。……オルタンシア先生は執務室ですか?」
ソランジュと一緒に執務室に向かって歩き始めたわたしが尋ねると、ソランジュはとても困った顔になった。
「オルタンシアは体調が良くないようで臥せっているそうです」
「オルタンシア先生のお部屋は図書館にありますよね? そうです、というのは……?」
司書が寝泊まりする部屋があるのは図書館なのに、伝聞系なのがよくわからない。わたしが首を傾げると、ソランジュはゆっくりと首を振った。
「オルタンシアは夏の半ばに、旦那様から呼ばれて中央の御自宅に戻られたのです。その時はお元気だったのですよ。けれど、貴族院が始まる前にオルタンシアの旦那様から連絡があったのです。秋の終わりから臥せっているため、この冬は司書の仕事ができないと……」
貴族院は雪深くて、体に良い環境とは言えない。仕事が気になって療養できないようでは困るので、オルタンシアにはしっかり休んでほしいと思う。
「秋の終わりから、というと結構長いですよね? もうお元気になられていて様子見のためにお仕事を控えていらっしゃるのであれば良いのですけれど」
「えぇ、本当に。心配ですけれど、貴族院が始まる時期ですからお見舞いにも行けません。そろそろ回復されていらっしゃると信じましょう」
また司書が一人になって寂しそうな笑みを浮かべたソランジュが新入生の登録を済ませていく。わたしはその間に一度執務室を出て、閲覧室に入った。
「シュバルツ、新しい本は入っていて?」
「こっち」
シュバルツの案内で本棚を見て回る。参考書に新しいのが増えていた。閲覧室を見て回る途中で閉架書庫の扉が見えて、領主会議の時にオルタンシアがディートリンデに何か言っていたことを思い出した。
「結局、シュラートラウムの花って何だったんだろう? フェルディナンド様も調べておくって手紙の返事にあったきり音沙汰なしだよね」
フェルディナンドは忙しくてそれどころではないかもしれない。そんなことを考えていると、フィリーネが呼びに来た。どうやら新入生の登録が終わったようだ。
「では、また参りますね」
「えぇ、今年は大掛かりな神事があるのでしょう? 大変だと思いますけれど、応援しています。お忙しいでしょうけれど、余裕があればまた図書館へお立ち寄りくださいませ」
「はい」
ソランジュの激励に嬉しくなりながら図書館を出ようとすると、シュバルツ達がわたしを引き留めた。
「ひめさま、まりょくほしい」
「オルタンシア、いない」
「あぁ、そういえば貴族院が始まってから全く魔力供給ができていませんでした。ローゼマイン様、大変恐れ入りますが、供給していただいてよろしいですか?」
オルタンシアがソランジュに残していった魔石の魔力がもうないらしい。わたしはシュバルツ達の額の魔石を撫でて魔力供給をしながら、ソランジュを見つめる。
「ソランジュ先生、オルタンシア先生がいらっしゃらないのでしたら、王族を通じて図書委員に魔力供給をお願いしていただいた方が良いと思いますよ。わたくし、今年はエーレンフェストに戻る期間が長いのです」
「そうですね。ヒルデブラント王子に連絡してみましょう。王子はオルタンシアの旦那様に剣を教えていただいているようなので、オルタンシアの容態をご存知かもしれませんし……」
ソランジュの雰囲気が少し明るくなったことにホッとして、わたしは図書館を後にした。
今日の午後の実技は音楽である。去年と同じように課題曲と自由曲を弾くというものである。
神殿にいる間はロジーナがフェシュピールの練習時間をできるだけ確保していたので、特に問題なく課題曲を弾くことができた。けれど、パウリーネは「合格」とは言わずに、少し不満そうな顔でわたしを見つめる。
「……パウリーネ先生、何でしょう?」
「去年のような祝福が足りていませんよ、ローゼマイン様」
「え? 祝福が必要だとは聞いていませんけれど……」
去年の講義と違って、領主会議の時の祠参りでシュタープが強化されたので祝福が勝手に飛び出すことはなくなったのだ。そんな裏事情は言えないけれど、音楽の試験に祝福が必要だとは聞いていない。
「真剣に祈りながら弾けば祝福になるのでしょう? クラッセンブルクやフレーベルタークとの共同研究で神事の重要性を周知しようとしている今、ローゼマイン様のお祈りが足りないようでは困りますよ」
祝福付きで弾くように、と言われたわたしは腑に落ちないものを感じつつ、フェシュピールを抱え直した。指輪に魔力を込めながらフェシュピールを弾き、神々に祈りを捧げながら歌う。水の女神に捧げる歌なので、緑の祝福の光が溢れていく。
「素晴らしい演奏でした。フリュートレーネもさぞお喜びのことでしょう」
パウリーネは満足した笑顔で合格をくれたけれど、わたしは非常に先行きが不安になってきた。
……あれ? これってもしかして奉納舞でも同じこと言われそう?
音楽の実技を終えて寮の自室に戻る。学生の側近達は多目的ホールで勉強中なので、ここにいるのはリーゼレータとレオノーレとアンゲリカだ。わたしは音楽の実技で祝福するように言われたこと、奉納舞でも同じことを求められるかもしれないことを側近達に相談した。
「先生方が求められるのでしたら、祝福してもよいのではございませんか? 抑えなければならないと我慢するよりは楽なのでしょう?」
「ローゼマイン様に負担がなければ問題ないと思いますけれど、何か心配事でもございますか?」
リーゼレータとレオノーレの言葉に、わたしは少しだけ視線を落とす。
「講義で他の誰にも求められないことをわたくしだけに求められるのが腑に落ちないのです」
別に負担があるわけではないけれど、講義の合格不合格にわたしだけ祝福の有無を加えられるのが納得できない。ただでさえ注目されているのに、更に特別視されてしまうではないか。
「むしろ、ローゼマイン様を特別視させるために行っているとは考えられませんか?」
「レオノーレ?」
「他の学生とは違い、特別であることを目に見える形で周知させることでローゼマイン様が王の養女になることを周囲に納得させやすくなるのではないか、と思いました」
レオノーレの言葉に一瞬納得しかけて、わたしは慌てて首を横に振った。王族は秘密裏に準備すると言ったのだ。貴族院の先生方に情報を流すとは思えない。出身領と深い結びつきのある先生の方が多いので秘密でも何でもなくなるだろう。
「理由や目的はどのようにでも言い繕えますから王族が裏で動いていてもおかしくないと思いますし、中途半端に情報が伏せられているのでしたら、他領の者が中央神殿入りを確信しているかのように振る舞っていた理由もわかります」
レオノーレによると、奉納式の打ち合わせでもエグランティーヌは三回ともわたしに神事を行ってほしかったようで、わたしが特別であるように見せることが目的のように思えたらしい。
「ローゼマイン様は変則的な手段で王族に入るのですから、嫉妬や僻みから逃れるためには特別視された方が優位に働くこともあるでしょう」
周囲から「自分達とさほど変わらないのに、どうしてあの子が?」と思われるのと、「あの子ならば仕方がない」と思われるのでは雲泥の差がある、と説明されてわたしは納得した。
「良い方向に動くならばそれで良いです。わたくし、夕食まで少し読書をしますね」
「お待ちくださいませ、ローゼマイン様。読書の前にこちらをご覧くださいませ」
リーゼレータがスッと木箱を差し出してきた。
「ローゼマイン様の講義終了を待っている間にライムントから預かりました。フェルディナンド様とレティーツィア様からのお荷物です。お手紙も入っていますよ」
不審な物が入っていないかどうか調べるために、木箱とお手紙はすでに改められている。蓋を開けると小さなガラスの壺に赤と緑と黄色の魔石のような物と紐の付いた小さな筒とお手紙が入っていた。
「お手紙によると、ランツェナーヴェの方にレティーツィア様がいただいたお菓子と玩具のお裾分けだそうです。一度しか使えないけれど、とても美しい物だと書かれていました。エーレンフェストの皆で楽しんでほしいそうです」
わたしが送ったお菓子やお料理がとても嬉しかったようで、フェルディナンドから「珍しい物が好きだから喜ぶだろう」と言われて分けてくれることにしたようだ。
「フェルディナンド様からはアーレンスバッハについての情報がいくつか書かれていました。明日の試験合格に自信がおありでしたら、夕食の時間まで隠し部屋でお返事を書いていてもかまいませんよ。学生達の勉強を見るのはハルトムート達に任せられますから」
「ありがとう存じます、リーゼレータ」
「お姉様は扉の前で護衛を、レオノーレはコルネリウスのお手伝いで一年生の教師役をお願いしますね」
筆頭側仕えとしてリーゼレータは二人に仕事を割り振って、わたしが講義で使ったフェシュピールや勉強道具を片付け始める。
わたしは木箱を抱えて隠し部屋に入り、手紙を読んだ。さっと目を通せば、レティーツィアのお手紙にはリーゼレータが言った通りのことが書かれている。魔石のような物はカラフルなキャンディで、小さな筒はどうやらクラッカーのような物らしい。紐を引くと、キラキラとした綺麗な物が飛び出すのだそうだ。フェルディナンドが仕組みを知りたがって、一つ取り上げられたらしい。
……あのマッドサイエンティスト、おとなげないよ!
レティーツィアが「玩具と引き換えに課題を少し減らしていただきました」と書いているので、泣き寝入りしたわけではないようで少しだけ安心する。レティーツィアもフェルディナンドに慣れてきたのだろう。
「さて、フェルディナンド様のお手紙には何が書かれているのかな?」
貴族院が始まるまでに礎を染められたこと。そのため、フェルディナンドは魔力登録をして礎に魔力供給をするようになったこと。レティーツィアも魔石を使った供給の練習を始めたこと。秋の終わりにランツェナーヴェが帰り、境界門を閉めることができたこと。領地対抗戦でわたしが送った料理のレシピを買い取りたいことが書かれている。
「……ゲドゥルリーヒの質問については何も書かれていないみたい。大したことのない質問だったのかな?」
触れても特に光る文字がない。催促がなかったことに安堵と微妙な不安を覚えた。
……うーん、領地対抗戦で会った時に直接問い詰められそうな気がする。
「まぁ、その時は質問すればいいよね? フェルディナンド様がどういう意味でゲドゥルリーヒを使っているのか、いくら考えてもわかりません。わたくしのゲドゥルリーヒを知って、フェルディナンド様は何をしたいとお考えなのですか? 説明が全く足りていないと思いますって」
うんうん、と一人納得しつつ、わたしは返事を書いた。表面にはレティーツィアへのお礼に加えて、「わたくしの料理のレシピは高いですよ。商談が楽しみです」と。そして、裏面には光るインクで「魔力供給を引き受けるなんて何を企んでいるのですか?」と書いておいた。
次の日も座学は順調だ。実技は調合で、魔力を通しやすくするための薬を作ることになった。教室の前方に白く張られた布に調合の手順を映し出しながら、「何に使う薬かご存知でしょう?」とヒルシュールがフフッと笑いながら問いかける。
「アウブの許可を得た犯罪者等の証言の裏を取るために同調しやすくするために使います」
わたしも記憶を覗く時に飲まされたことがある薬だ。自分に使われた薬の用途くらいは知っている。自信満々で答えたら、ヒルシュールがものすごく微妙な顔になった。
「……また特殊な例が出ましたね」
「特殊ですか?……他に何か使い道がございましたか?」
わたしが首を傾げていると、何故か周囲の学生達は引き気味の顔で「え?」とわたしを見ていた。「何を言っているのだ?」「何故知らないのか?」と雄弁に物語っている視線が痛い。ヒルシュールが呆れた溜息を吐きながら説明してくれた。
「この薬は一般的に結婚した男女がお互いを染め合うために使われるのですよ、ローゼマイン様。アウブの許可がなければ使われないような特殊な事情の薬を共通の講義で教えるはずがないでしょう」
……あぅ。でも、そんな使い方、フェルディナンド様から聞いたことがないよ!?
将来の必需品ということで作り方を教えられる薬なのだそうだ。フェルディナンドに教えられたので作り方はわたしだって知っていた。けれど、一般的な使い方は知らなかった。
……一般的な方を教えてくださいよ、フェルディナンド様のバカバカ!
心の中でフェルディナンドを罵りながら、わたしは手早く調合する。下級貴族でも使う薬なので調合自体は簡単だ。
「調合は完璧なのですけれど、本当に妙なところが抜けていらっしゃいますね、ローゼマイン様は」
「それはわたくしの師に言ってくださいませ。……それより、どうしてお互いを染め合うためにこのような薬が必要なのですか? 一体いつ使うのですか?」
調合を終えた薬を提出しながらヒルシュールに質問すると、ヒルシュールは珍しく困った顔になって「本当にフェルディナンド様は……」と額を押さえた。まだ誰も調合が終わりそうにないため、ヒルシュールは仕方なさそうな顔でわたしの質問に付き合ってくれる。
「そもそも貴族は親が持っている魔力の属性を引き継いで生まれます。それはご存知ですね?」
「はい。あとは誕生季の属性も付くのですよね? 生まれながらに持っている属性を適性といって、自分の適性は洗礼式のメダルで確認できます。適性のある属性の魔術や調合は楽になります。……ですよね?」
わたしが習ったことを思い出しながら答えると、ヒルシュールは「その通りです」と満足したように頷いた。
「魔力を流してもそのままでは混じり合いません。自分以外の魔力には反発します。血の近い親族ならば反発は少ないのですけれど、それはご存知ですか?」
トロンベ討伐の時にフェルディナンドから魔力を流されて苦痛だったし、その反発を利用して傷を塞いだとフェルディナンドは言っていた。それに、ハンネローレが扱える海の女神の神具は親から魔力を流して写し取った物だが、わたしが写し取ろうとしたら悲鳴を上げられたのだ。
わたしは得意満面で「はい。経験済みです」と頷いた。ヒルシュールが一瞬止まって何度か瞬きをした後、「経験……?」と呟く。何かおかしなことを言っただろうか。
「深く質問するのは止めましょう。つまり、そのままでは受け入れられない他人の魔力を受け入れるために、薬を用いて染まりやすくするのです。この薬を含んだ飲み物は、一般的に閨へ入る前に飲むのですよ」
そして、これから自分はこの魔力を受け入れるのだ、と心の準備をするために、婚約する時はそれぞれの魔力の籠った魔石を贈り合い、身につけて肌に馴染ませておくのだそうだ。お守りなどと違って、婚約時に贈る魔石はじわりと魔力が漏れる物らしい。
「そうなのですか。初めて知りました……って、ん?」
……あれ? わたし、もしかしてフェルディナンド様の魔力に染められてない?
ヒルシュールは特殊な使い方と言ったけれど、記憶を覗かれる時にわたしはフェルディナンドにあの薬を使われたはずだ。同じように親の魔力の属性を引き継いでいない身食いなのに、ディルクには適性がなくて、わたしには適性が出た理由はそれではないのか。
……わたし、冗談抜きでお嫁に行けない体になってない!? 魔力的に考えて!
「あ、あの、ヒルシュール先生。つかぬことをお伺いいたしますが、そのお薬を使うのは一度きりですか? 一度お相手の魔力に染まったら、そのままなのでしょうか?」
わたしがオロオロしながら質問すると、ヒルシュールは呆れた顔になった。
「何をおっしゃるのですか? 薬を使って少々染めたところで、時間がたてば魔力は次第に自分の色に戻っていきますよ。自分の中で新しく魔力が作られる時は元の魔力が作られるのですから」
夫婦でもラブラブな時期は染め合ってとても近い魔力になっているけれど、次第に相手の影響は薄れていくものだそうだ。妊娠期間中は子供を父親の魔力に近付けるため、なるべく頻繁に魔力を流すようにした方が良いらしい。妻が妊娠中に他の妻を娶らない方が良い理由はその辺りにありそうだ。
「そうですか。時間がたてば問題はないのですね。ホッといたしました。ところで、薬を飲んだ後はどのように魔力を流すのですか?」
わたしが何の気もなく質問すると、ヒルシュールはものすごく苦い顔になった。こめかみを押さえた後、深い溜息を吐く。
「……ローゼマイン様、その辺りの質問はエーレンフェストに戻ってからエルヴィーラ様やフロレンツィア様になさいませ。外見が幼いので見逃されがちですが、もうさすがに知らなければならないお年頃ですよ」
……あぁ、性教育関係か。そういえば、閨に入る前って言ってたね。貴族特有の儀式とかやり取りがあるのかと思ったけど、つまり、そういうことか。
わたしはすぐに納得できたけれど、教室の真ん前で堂々と質問することではなかったようだ。教室の皆が何とも言えない微妙な顔で気まずそうにしているのが目に入った。調合が終わっても提出のために前に出ることができなかった子もいるようで、困りきっているのがわかる。
……ご、ごめんなさい。以後、気を付けます。