Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (588)
礎の魔術
結局わたしはおじい様に幼い子供のように抱き上げられたまま、養父様の執務室に到着した。扉の前にはお父様と騎士団の副団長が立っていて、おじい様に抱き上げられたわたしの姿に目を瞬いている。
……まぁ、この大きさになって、抱っこされて登場するとは思ってなかったよね?
お父様はちらっとコルネリウス兄様を見たので、わたしを心配してくれたのだと思う。けれど、満足そうなおじい様に一瞬だけ仕方がなさそうに表情を緩めて微笑むと、お父様はすぐに表情を改めて扉を開けてくれた。
「ローゼマイン様、アウブ・エーレンフェストがお待ちです」
「はい。……おじい様、ここまでありがとう存じます」
わたしはおじい様に降ろしてもらって、執務室の中、一人で待っている養父様のところへ慎重に歩いていく。扉が閉まった音につい振り返ってしまったせいで、直後、足がもつれて派手にすっ転んだ。
「ぶはっ! 重要な話だと私が緊張して待っているのに何をしているのだ、其方は?」
「うぅ、まだ大きくなった体に慣れていないのですよ。しばらくは城内を騎獣で動いてもいいですか?」
思わず吹き出してしまったらしい養父様が笑いながら近づいてきて、手を貸してくれる。わたしは養父様に助けられて立ち上がり、今度はもっと慎重に足を進めた。
「今朝も着替えの最中に足がもつれて転んだり、おじい様と歩こうとして膝がカクッとなったり大変だったのです」
「其方の騎獣というと、あれか。……今の外見になってもあれを使うのか?」
「わたくしのレッサーくんは可愛いのです。グリュンとは似ても似つかないではありませんか」
養父様に嫌そうな顔をされて、わたしはムッとする。わたしのレッサーバスは可愛いし、とても便利なのだ。別の騎獣に変えるつもりなどない。
「騎獣だけではなく、言動が外見と全く合っていないな。見た目だけならば、今の其方は本当に聖女だぞ?」
「ヴィルフリート兄様にも言われましたし、鏡だって見たのですから一応自覚しています。でも、取り繕うくらいならばまだしも、中身なんてそう簡単に変わるようなものではありませんから仕方がありませんよね?」
養父様だって大して中身は変わってないよね? と意味を込めて微笑むと、養父様は苦笑気味に「……まぁ、私から強くは言えぬな」と頷いた。
きちんと椅子に座って向き合い、わたしはゆっくりと息を吐く。養父様も表情を引き締めた。
「それで、姉上のことだが……礎を奪う方法がわかったというのはどういうことだ?」
礎を奪われるのはアウブとして最悪の事態である。土地を奪われるだけではなく、命も奪われるのだ。当然だろう。前アウブは礎の位置を知っているのだから、奪い返されることを警戒する新アウブによって礎を奪った時点ですぐに殺される。
妻子も同様に命を奪われる可能性が高い。子を一人くらいは残しておいて、先住の貴族を従えやすいように新アウブの子と結婚させることはある。けれど、ゲオルギーネの場合は本人がエーレンフェスト出身なので、養父様の子供を残しておかなければならない理由はほとんどない。白の塔に閉じ込めて魔力を奪うという公に出ることない死人同然の生を送ることになるだろう。
「確証があるわけではないのです。けれど、聖典の盗難騒動のことを思い出すと、間違いないと思います」
「聖典の盗難事件だと? 何か抜け道や新しい魔術具の情報ではなく?」
養父様が不可解そうな顔でわたしを見つめる。他に抜け道があるかどうかはともかく、メスティオノーラの書を手に入れた時に流れ込んできた神殿や聖典の役目を考えると、大きく外れてはいないと思うのだ。
「結論から言いますね。各領地の礎は神殿の礼拝室の真下にあるのです」
「……は!?」
養父様の動きが数秒止まった。そして、ぶるぶると頭を振って、もう一度「は?」と言った。ずいぶんと動揺しているらしい。
「もちろん白の壁に囲まれた一室ですし、魔力的に区切られている空間ですから、神殿の誰もが入れるような場所ではありません」
「それはそうであろうが……。城ではなく、神殿にあるというのは……」
「アウブから次期アウブに譲られる物が、礎に転移するために必要な鍵となる魔術具で、アウブの部屋に礎に向かう扉があるのですもの。城の中にあると皆が思い込むのは不思議ではないと思います。これまでの歴史上で礎を求めて、城の中を荒らしていた者達にとっては盲点だったということですね」
わたしの言葉に養父様がものすごく苦い顔になった。
礎に向かう鍵になる魔術具を引き継ぐことなく、アウブが亡くなってしまった場合、次期アウブは礎に向かうために必要な魔術具を探すところから始まる。大体の場合はアウブが身につけていたり、アウブの隠し部屋においてあったりするのだけれど、形状も何もわからないため、苦労するのだ。
「でも、アウブから渡されるアウブの部屋と礎を結ぶ鍵が失われても、大事なアウブとしての役目を果たせるように予め次期アウブに渡される鍵があったのです。役目を果たしながら、ゆっくりともう一つの鍵を探せるように……」
供給の間から礎に魔力を注ぎつつ、必死に礎の場所を探す必要など本来はなかったはずなのだ。
「ローゼマイン、私は次期アウブに渡される予備の鍵など知らぬし、渡されておらぬ。まさか父上は姉上に渡し……」
「違います」
気色ばむ養父様にわたしは首を左右に振って否定した。
「養父様は建国神話を憶えていますか?」
「まぁ、多少は……」
一体何の話だ、と養父様が突然の話題変換に戸惑ったようにわたしを見る。けれど、別に唐突に話題を変えたつもりはない。
「では、初代王が神殿長だったことはご存じでしょう? 神に祈りを捧げる神殿に礎を設置するのは、初代王にとって当たり前のことだったのです」
自分達の祈りだけではなく、神殿で祈る全ての祈りを礎に流すために、そして、神々に祈りを伝えやすくするために礎は神殿と共に作られるのだ。付け加えるならば、神殿に置かれている神具や聖典も礎を設置する際にツェントが作り出す。これはツェントの仕事に書かれているので、グルトリスハイトを手にしていなければ知らないことだと思う。
「それから、しばらくの間、各領地の次期アウブが神殿長を務めていました。今の養父様ならばご理解いただけると思いますけれど、神事を行い、加護を増やしたり、魔力を増やしたりするためには大事な役割だったのです」
「なるほど」
時代が下ると、次期アウブが神殿で神殿長として神事を行っている間に、城と神殿の両方に出入りできる別の領主候補生が領地内の貴族を束ねて発言権を得るようになっていく。神殿長だった次期アウブがアウブとなっても、魔力を奉納して神事を行うだけのお飾りとして扱われるようになった。神事と政治が少しずつ離れていき、神殿に入るのを拒否する領主候補生が出始めた。そうして、初代王が作ったシステムは次第に当初の目的を忘れられていった。
「歴史はもうよい。結局、何なのだ?」
「つまり、次期アウブである神殿長が必ず継承する聖典の鍵こそが神殿から礎に向かうための扉を開けられる鍵なのですよ」
だから、大昔はアウブが先に死んでもそれほど困らなかった。
「ゲオルギーネ様は前神殿長と親密なお手紙のやり取りがありましたから、そちらから流れた情報かもしれないと思っています。ゲオルギーネ様の関係者で聖典の持ち主だったのは、あの方だけですから」
普通の貴族は神殿に近寄らない。だから、神殿に関する知識は貴族院の講義でさらりと習うだけだ。出入りすることもなく、基本的には蔑む場所なので深く知ろうとはしない。
ゲオルギーネ自身が神殿に近付いたことがあるかどうかはわからないけれど、前神殿長は城や貴族街には度々行っていたようだし、ゲオルギーネを可愛がっていたことは残されていたお手紙からもわかる。
「だが、そのような情報を知っていれば、姉上はもっと早くに礎を奪おうとしたはずだ。アーレンスバッハに嫁入りする前、私がアウブになる前、エーレンフェストを訪れた時……」
「ゲオルギーネ様がいつ礎のことを知ったのか、によると思います。わたくしが神殿長になってから情報を得たのであれば、聖典の鍵を得ることは難しくなったでしょうし……」
「……あぁ、そうか。私が許可を出し、姉上が形見として叔父上の手紙を持ち帰ったことがある。姉上から送られてきた手紙がほとんどだったが、叔父上が出し損ねていた手紙も数通あったのだ。あの時の手紙のどれかにその情報があったのであろう」
養父様はひどく疲れた顔で頭を抱えた。手紙の内容は渡しても問題のない物ばかりだと確認をしてから渡したらしい。貴族ではなかった前神殿長には魔術的な小細工などできない、と考えていたそうだが、別に魔術具を使わなくても暗号を使えば相手に伝えることは可能だ。
「今、聖典の鍵は神殿長である其方が持っているのだな?」
「神殿に保管されています。ですが、城へ来たり、養父様から礎の場所を聞き出したりしなくても礎を手に入れる手段があるということが最も重要なのです。ゲオルギーネ様に名捧げをしていたダールドルフ子爵夫人による聖典の盗難事件があったことを考えても、ゲオルギーネ様は神殿側の入り口を狙っているのではないかと思います」
わたしの推測に養父様は深々と息を吐いた。
「間違いなさそうだ。城の礎は警戒しているし、ボニファティウスと共に隠し通路などは対策を立てた。だが、神殿から礎を奪うことができるということは考えてもいなかった」
神殿を襲撃されれば礎を奪われるのも時間の問題だ。基本的に魔力の少ない青色神官達が管理しているのだから、ゲオルギーネには鍵を奪うのも容易いだろう。
「わたくしやメルヒオールが神殿にいる時は護衛騎士もいます。けれど、わたくし達が不在になれば神殿はとても手薄になります。奉納式を除く冬の社交界の期間。それから、春の祈念式と秋の収穫祭。聖典の鍵を神殿に置いたまま、わたくし達は神殿を空けています」
ゴクリと養父様は喉を鳴らした。こうして考えると、神殿はあまりにも無防備だ。滞在する領主候補生を守るための護衛はいるけれど、礎を守る物は鍵一つである。
「礎の場所や聖典の鍵の譲渡をどうするのか、養父様はよく考えてくださいませ。神殿に礎があることをどのように隠し、どこまでの情報を公開して防衛するのかはお任せします。神殿の守りを突然強化し始めれば、周囲は不思議に思うでしょう。けれど、全く何の対策も立てないというわけにはいかないでしょう? どのように礎の防衛計画を練るのかはアウブのお仕事です」
少なくとも、春の祈念式が終わればエーレンフェストを去るわたしの出る幕ではない。礎に関与が可能になる聖典の鍵を次期アウブと定めていないメルヒオールに譲っても良いのかどうか、その辺りから考えてほしいものである。
「礎の防衛に関しては神殿も考慮に入れよう。姉上が実行に移すのは春の祈念式の時期が一番怪しいな……」
「何故ですか? 春ではなく秋かもしれませんし、冬かもしれません。来年かもしれませんし、再来年かもしれませんよ?」
怪しいと言いながら、断定しているような養父様の言葉にわたしは唇を尖らせる。そんなふうに思い込んでいては、足元をすくわれることになるかもしれない。けれど、養父様は確信を得たように深緑の目をギラリと光らせた。
「其方が長く臥せっていることは全領地が知っている。はるか高みに上がったのではないか、と大騒ぎして解雇された教師もいた。そして、其方の帰還はまだ他領に知られておらぬ。神殿の守りが薄くなっていると判断しているであろう。何より、フェルディナンドが本館に居室を得る前に勝負をかけると思う。あれを遠ざけておくことが可能なのは、星結びを行う領主会議までだ」
……そういえば、情報を得るのが難しくなったとフェルディナンド様のお手紙にも書かれてたね。
「貴重な情報を感謝するぞ、ローゼマイン。姉上の先手に回れるのは初めてだ」
「祈念式が狙われているのであれば、もう近くまでやって来ていても不思議ではないと思います。あの銀の布を使えば境界を越えるのが容易いのですから」
養父様が一度きつく目を閉じる。
「ランツェナーヴェの使者は銀の布をまとっていた。同じ物か、色が銀色なだけなのかどうかわからぬ。だが、ランツェナーヴェから大量の布を仕入れることができるのであれば、姉上の戦準備は整っていると考えても良いかもしれぬ」
メスティオノーラの知識に銀の布は出てこない。トルークに関する知識もなかった。作り出されたのが最近すぎるのか、外国の知識は入ってこないのか。それとも、フェルディナンドが持っているのか。
「ところで、ローゼマイン。其方は一体どこでそのような知識を手に入れたのだ?」
話を終えて立ち上がったわたしに養父様が尋ねる。わたしは「……どこだと思いますか?」と質問で返してニコリと微笑む。
しばらくわたしを見ていた養父様は何とも言えない顔になった。
「……まさか、本当に得たのか?」
何を、とは言わなかった。わたしもわざわざ聞かない。それでも十分にわかる。
「七割にも満たないほどですし、肝心なところが結構抜けていて、結構使い勝手が悪いのですよ」
そう言いながら、わたしは出口に向かって慎重に歩く。執務室を出る寸前でくるりと振り返った。
「わたくし、すぐに神殿に戻りますね。まず、鍵の確認をしたいのです。聖典が入れ替えられていたのですから、鍵にも毒以外の何かが仕掛けられている可能性があります。わたくし、本である聖典は匂いや見た目や重さで本物かどうか判断できるのですけれど、鍵に関しては全く自信がありません」
わたしが胸を張ってそう言うと、養父様は頭を抱えて呻いた。
「よく確認してくれ。後生大事に守る鍵に妙な仕掛けがあれば目も当てられぬぞ」
「はぁい。では、失礼いたします」