Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (593)
革袋の中身とカミルの洗礼式
二重底になっているため、袋を開けて上から覗いただけでは中身が見えない。底の部分を切らなければ隠されている物を取り出せないため、わたしはシュタープを出して「メッサー」と唱えて、ナイフに魔力を多めに流していく。
この革袋は魔力を通さない革で作られている。自分以外の魔力を弾く性質を持つ魔獣の皮で作られている物だ。魔力を通さないという点では銀の布と同じだけれど、魔獣よりも強い魔力を使ったシュタープ製の武器ならば切れる。銀の布はどんなに強い魔力も通さないが、何の変哲もない金属製の刃物ならば切れる。大きな違いがあるのだ。
「この辺りなら中身に傷が付かないかな?」
なるべく端の方にナイフの刃を走らせていく。多めに魔力を流し込んでいるので撫でるような力でもスッと切れ込みが入った。
「リューケン」
シュタープの変形を解除して消すと、ドキドキしながら早速その切れ目に手を入れてみる。フェルディナンドはこの中に一体何を隠しているのだろうか。カサリとした感触が指に触れる。取り出してみると、白い紙に包まれた五センチほどの楕円形の塊だった。それから、小さく折られた紙が見えた。
わたしは白い塊をテーブルに置くと、先に紙片を広げてみる。フェルディナンドの字があった。急いで書いた物なのか、ずいぶんと字が崩れている。
「なになに? この紙の中身はクインタという者の名捧げの石だ。いずれ私が取りに行くので、決して触らずに他の者の手が届かぬ君の隠し部屋に置いておいてほしい……って。こんな中途半端な扱いじゃなく、ちゃんと受け取ってあげなきゃクインタさんが可哀想じゃない」
どうして自分で名前を受けずにわたしに預けるのかな?……と思った瞬間に、クインタが誰の名前だったのか思い出した。
「あ! え? クインタってフェルディナンド様の名前じゃなかった!? え? え? じゃあ、これって……フェルディナンド様の名捧げの石ってこと? ちょっと待ってよ。なんで他人の物みたいな書き方……」
何故この館の自分の荷物を置いている部屋に隠しておかないのか。何故こんな大事な物を自分で管理しないのか。録音の魔術具が入っていた革袋の底に隠してあるのか。そもそも捧げる相手がいないならば、どうして名捧げの石なんかを作ったのか。次々と疑問ばかりが頭に浮かんでくる。
「もしかして誰かに名を捧げてたけど返された? うーん、フェルディナンド様が誰かに名を捧げるって状況がいまいち思い浮かばないんだけど、名捧げの石を作ってるならその線が濃厚かなぁ……」
事情はよくわからないけれど、名捧げの石を作る必要があったことと、それがわたしの目の前にあるのは事実のようだ。
この革袋を渡された時はまだフェルディナンドがアーレンスバッハで隠し部屋を得る前だった。安全だと思える隠し場所がなかったのだろう。自分で持っているのも危険な状態だったのだろうか。他に預けられる人がいなかったのか。何故よりによってわたしなのか。
「もしかしてフェルディナンド様に信用されてるのかな? いや、それは考えにくいね。わたしがフェルディナンド様の本当の名前をエアヴェルミーン様から聞いて知るなんて予想できるはずがないから、どっちかというと、知らない人の名捧げの石なんてわざわざ触らなそうと思われたのかも? あぁ、それならありそう」
紙に包まれている塊を見て、何とも言えない気分になった。自分の石さえ手元に置けないと感じるなんて、アーレンスバッハはどれだけ危険な場所なのだろうか。
「こんなの、預けられても困るんだけど……」
わたしがつんと指で突いただけでコロンと転がる頼りない塊。ここにフェルディナンドの生殺与奪を握ることができる魔石が入っているのだ。
「わたし、フェルディナンド様の名前がクインタってことを知っちゃったし、名を奪おうと思えば簡単に奪えるんだよ?……まぁ、フェルディナンド様の命を背負う覚悟なんてできないから、このまま置いておくけど」
誰の名前であっても何の覚悟もなく受け入れるなんてできない。それに、触らずに置いておけというメモが入っている物だ。わたしは保管係としてフェルディナンドが取りに来るまで預かっておくだけで良い。わたしは見なかったことにして、紙に包まれた塊を革袋の中に入れ直す。
誰の石であっても安易に手に取ることができないわたしは、多分フェルディナンドの思惑通りの行動を取っているに違いない。フェルディナンドの良いように操られている気がする。ちょっとだけ悔しい気がしたけれど、こんな大事な物を預けられる相手として一応の信用を得られているのだと思えば大して腹も立たなかった。
……仕方がないので預かってあげますよ。だから、早く取りに来てくださいね。
それからは戦闘特化のシュミルや戦いに使えそうな魔術具を作ったり、孤児院の皆に声をかけて避難訓練をしたり、アドレットに蔵書情報を登録しているうちに日が過ぎていく。
最終的にわたしは魔力と物理、どちらの攻撃にも反撃する戦闘特化のシュミルを三体作った。三カ所ある神殿の門を守るためで、門番に持たせる魔石で主を認識させるようになっているのだ。
シュミル作成を手伝ってくれたハルトムートによると、「作成に貴重で高品質な素材や作成者に全属性が必要な魔術具ですから、作れる者はかなり少ないですよ」ということだった。わたしに名を捧げたことで全属性になっているハルトムートやクラリッサだが、加護の再取得を行って眷属神の加護を得たハルトムートはギリギリ作れたけれど、クラリッサは属性が少なすぎて作れなかったのだ。
喋らせないこと、機能を特化させることでかなり魔力の節約に成功したので、作成はともかく使う分には少ない魔力で動く。完璧だとわたしは思ったのだけれど、少ないというのはわたしの基準のようで「役に立つことはわかったが、緊急時以外にはなるべく動かすな」と言われている。常に門番と共に門へ置いておいて、神殿の門に誰かが来た時や下町の門で騎士団への救援信号が上がった時に作動させることになった。
工房に籠って調合をしているうちに冬の成人式が終わり、春の洗礼式が間近に迫ってきた。この洗礼式にはカミルが神殿へやって来ることになっている。もうずっと姿を見ることさえできなかったカミルの洗礼式だ。当然、わたしは張り切っていた。
「春の洗礼式はわたくしが儀式を行います」
「ローゼマイン姉上はなるべく人前に出ない方が良いのでしょう? 私が頑張ります。冬の成人式もできましたし……」
メルヒオールは確かに冬の成人式を魔力の籠った魔石を使って立派にやり遂げた。それ自体はとてもすごいと思う。成長を感じて、姉としてとても誇らしい。でも、春の洗礼式を譲るつもりはない。カミルの洗礼式で祝福するのはわたしだ。
「……わたくしがエーレンフェストで行うことのできる最後の儀式ですもの。ねぇ、メルヒオール。お願いですから、わたくしにやらせてくださいませ」
「ローゼマイン姉上の最後の儀式、ですか」
「えぇ、そうです。移動する前にエーレンフェストの平民達に最後の祝福を贈りたいのです」
エーレンフェストの聖女らしさを前面に押し出して、メルヒオールやハルトムートを必死に説得する。養父様にもお願いして、わたしは春の洗礼式で神殿長として最後の儀式を行う権利を勝ち取った。
「こうしてローゼマイン様に儀式用の衣装を着せるのも最後なのだと思うと、とても寂しい気がいたします」
モニカとニコラが儀式用の衣装を着付けながらそう言った。成長したわたしは普段使いのお直しが終わるまで、神殿では儀式用の衣装を着ていたので、二人が着付けをする手に躊躇いはない。しばらくの間は成長した体に上手く着付けるのに手間取っていたことを考えると、慣れてきたな、と思う。
「フィリーネの儀式用の衣装の着付けは終わったのかしら?」
「そちらはヴィルマが対応してくれました。フィリーネ様は青色巫女見習いですから、そろそろ礼拝室へ向かう頃だと思います」
祈念式に向かわなければならないし、これからは青色巫女見習いとして行動しなければならないフィリーネに、わたしの青色巫女見習いの時の儀式用の衣装を譲った。お直しをして丈も綺麗に合わせたようだ。ローゼマイン工房の紋章が付いているままだけれど、そのままで良いと言われたので、そのままにしている。
「ローゼマイン様のお支度が整いました」
「では、参りましょう」
フランに先導されて礼拝室へ向かう。大きくなった分、歩く速度も速くなった。けれど、どうやら癖になっているようで、フランは少し振り返って速さを確認する。その時の視線が小さい頃のわたしの頭の辺りなのだ。違ったというように視線を上げたフランが「もう歩みを合わせる必要はないのですね」と少し寂しそうに笑った。
わたしが成長したから、そして、近いうちにエーレンフェストから離れてしまうから。二つの意味が籠ったフランの言葉に鼻の奥がツンと痛くなる。
「……離れがたいですね」
「今日はローゼマイン様の最後の儀式です。どうぞローゼマイン様がもたらした変化を御自分の目で確かめてくださいませ」
「わたくしのもたらしたもの、ですか?」
フランは礼拝室の扉の前に立ち、ゆっくりと振り返る。
「必要がない者として孤児院に押し込められていた灰色達は職を得て、食事を得て、エーレンフェストの産業を支える者になりました。何となく神殿を訪れていた平民達は本物の祝福があることで真剣に祈るようになりました。それぞれの理由がございますが、貴族達が当たり前のように神殿へ立ち入るようになりました。メルヒオール様が次代の神殿長となることで、領主一族が神殿を守ることが確約されました。そして、今や神殿や下町を守ろうと領主様が動いてくださっています」
ヴェローニカに疎まれて神殿に追いやられたフェルディナンドや平民上がりのわたしが去った後、領主の実の息子であるメルヒオールが神殿を守り、神殿長になることには大きな意味があるのだ。
「神殿長、入場!」
礼拝室から聞こえてきた声に合わせてフランが扉を開いた。穏やかな笑顔で送り出され、わたしは聖典を抱えて礼拝室に足を踏み入れる。
小さい子供達がポカンとした顔でわたしを凝視しているのがわかった。きっと「ちっちゃい神殿長って聞いてたのに小さくない!」とでも思っているのだろう。そんなことを考えるだけでちょっと楽しい。
ゆっくりと足を進めていくけれど、ずらりと並んでいる子供達の頭が自分の目線よりずいぶんと下にあって、小さくて可愛いと思う。普通にそう思ったことで、自分が本当に大きくなったのだと実感した。
「ローゼマイン様」
当然のようにハルトムートが手を差し出した。もう大きくなったので、聖典を持っていても階段を上がれるけれど、差し出した手の行き場がなくなるだろう。わたしはハルトムートに聖典を渡し、エスコートされて壇上に上がった。
「……あ」
祭壇の前に踏み台はもう必要ないのだけれど、準備されている。ハルトムートが祭壇に聖典を置くと、苦笑気味に踏み台を奥に押しやった。
祭壇の前に立って礼拝室の中を見回せば、フランの言葉を嫌でも実感できた。貴族院に入ったので望めば寮に入れる青色見習い達が加護の増加や居心地を理由に神殿での生活を選んでいる。メルヒオール、メルヒオールの側近、フィリーネが青色の衣装を着て整列していた。
自分の洗礼式の時には少し厳しい顔で子供達の監視をしていた灰色神官達は誇らしそうに胸を張って並んでいる。洗礼式を受ける子供達もだらだらとした雰囲気は欠片もなく、少し緊張した面持ちで真っ直ぐに前を向いていた。
神事における変化を感じながら、わたしはカミルを探して視線を走らせる。
……カミル、どこだろう?
前の方には富豪の子供達が来るので、カミルは後ろの方にいるに違いない。少し視力を上げながら探すと、比較的簡単に見つかった。
……カミルだ。あれ、カミルだよ!
父さんとよく似た青い髪をしていて、男の子らしい活発さが感じられるけれど、顔立ちが昔のトゥーリと似ている。近所の子供達と一緒に並んでいるからこそ、すぐにわかった。プランタン商会の見習いになるための教育を受けているせいで一人だけやけに姿勢が良くて、リンシャンで艶の出ている髪をしているために目立っているのだ。
……母さんったら刺繍じゃなくて、染め布を使ってるし。
白に刺繍で縁取りをするのが洗礼式の晴れ着なのに、母さんは自分が染めた布で縁をぐるりと囲っている。新しいエーレンフェストの染めを推しつつ、わたしとの繋がりが見えるようになっていた。カミルと顔を合わせたことがないわたしにもすぐにカミルがわかるように考えてくれたのだと思う。
……でも、きっと母さんの意図とは違う形で、来年以降には染め布で縁取りをするのが流行るだろうね。
刺繍の苦手な母親には染め布で縁飾りを作るのが大歓迎されるに違いない。わたしだったら、「これ、新しい流行だから。領主様のお嬢さんの専属がしてたから手抜きじゃないよ」と理由をつけて絶対に真似をすると思う。
そんな流行の始まりを感じつつ、神事は始まった。聖典の物語を読み聞かせ、祈りの仕方を教えて、祝福を贈る。
「水の女神 フリュートレーネよ 我の祈りを聞き届け 新しき子供の誕生に 御身が祝福を与え給え 御身に捧ぐは彼らの想い 祈りと感謝を捧げて 聖なる御加護を賜わらん」
緑の祝福の光がちょっと多めに溢れたけれど、仕方がない。これでもトゥーリの成人式で最後の最後にやらかしたことに比べれば何倍もマシだ。我慢は体に良くないのだ。
……わたしがエーレンフェストの平民達に贈れる最後の祝福だから、とメルヒオール達には言い訳しようっと。
祝福が終わると、灰色神官達によって子供達が退場するために扉が開かれる。大きく開いた扉の所には家族が揃っていた。父さんと母さんとトゥーリがいて、何故かルッツも一緒にいる。
父さんと母さんとルッツがわたしの成長した姿を見て、目を丸くしているのがわかった。一度近くで会っているトゥーリの顔に驚きはない。どちらかというと、「ほら、わたしの言った通りでしょ?」とでも言いたそうな得意顔に見える。
父さんと母さんはわたしを見て目を丸くした後、嬉しそうに笑ってくれた。急成長を不気味だと思うのではなく、わたしの成長を喜ぶ親の顔だ。胸の奥が温かくなった。
「皆揃ってこんな前まで来なくていいのに!」
カミルが恥ずかしそうに言いながら速足で歩いていった。ルッツが笑って「いいじゃないか」とカミルの頭を軽く叩きながら視線を上げて、わたしに軽く手を振る。手を振り返したいのを我慢して、わたしは笑顔を深めるだけに留める。
……遠いなぁ。
カミルの洗礼式を祝う家族の輪に入れない自分の立場が、わかっていても、ひどく遠くて悲しい。
……こんな距離の触れ合いさえ、最後なんだよね。
中央へ行ってしまえば、こんな些細なやり取りさえ簡単ではない。子供達が全員退室したことできっちりと閉ざされた扉を見つめ、そっと溜息を吐く。
「ローゼマイン様、お手を」
わたしの家族のことを知っているハルトムートは最後まで何も言わずに付き合ってくれた。差し出された手に自分の手を重ねて壇から降り、わたしは礼拝室を出る。
「ローゼマイン様、城からオルドナンツが来ました」
礼拝室の外で控えていた護衛騎士達が厳しい顔つきで並んでいる。コルネリウス兄様が一歩前に進み出て口を開いた。
「祈念式の日程を始め、エーレンフェストの防衛について領主一族で話し合いを行うそうです。ローゼマイン様とメルヒオール様は護衛騎士、文官、側仕えを一人ずつ連れてきてください、とのことでした」
最後の儀式、家族との触れ合いで感傷に浸る余裕さえ与えられないようだ。わたしはメルヒオールと視線を交わし、一つ頷く。今は気軽に神殿から離れられない。誰を残しておくのか、神殿の防衛は問題ないのか確認が必要になる。下町や神殿を危険にさらすわけにはいかないのだ。
「わたくしが会議に連れていくのは、コルネリウス、ハルトムート、リーゼレータの三人です。何かあった時に対応できるようにダームエル、アンゲリカ、マティアス、ラウレンツの四人の護衛騎士と、孤児院長のフィリーネを神殿で待機させます。城へ向かうための護衛にレオノーレとユーディットを呼んでください」
「はっ!」