Ascendence of a Bookworm: I'll Stop at Nothing to Become a Librarian RAW novel - Chapter (599)
二人の情報と名捧げの石
「……それはそうかもしれませんけれど……」
レティーツィアを心配して不満たっぷりにエックハルト兄様を見上げると、エックハルト兄様はじろりとわたしを睨みながら盗聴防止の魔術具をわたしの目の前に揺らした。
わたしが盗聴防止の魔術具を手に取ると、エックハルト兄様は何ということもなさそうな普通の顔になった。けれど、その目の奥には抑えがたい怒りが見える。
「フェルディナンド様の命令が最優先だ。気にかけてはならぬ。そう自分に言い聞かせていなければ切り捨てていたかもしれぬ」
「はい!?」
あまりにも物騒な言葉にわたしは息を呑んでエックハルト兄様を見上げた。そこにあるのは普通の顔だ。まさかレティーツィアを切り捨てるところだったなんて微塵も感じられない。
「二人だけで供給の間に入っていったのに、フェルディナンド様から自分の命の危機を知らせる伝言が届いたのだぞ? どのような状況だったのか知らぬが、命の危機に陥れた犯人はレティーツィア様しかおらぬ。少なくとも私がレティーツィア様から名捧げ石を渡された時、ディートリンデ様は供給の間にはいなかった」
わたしは何度か目を瞬いた。エーレンフェストの魔力供給の間はアウブの執務室のタペストリーの向こうにあるので、領主会議などで不在ではない限り、基本的に養父様がいる。
「二人だけ? アーレンスバッハの供給の間はアウブの執務室ではないのですか?」
「いや、アウブの執務室にある。だが、アウブの執務室とディートリンデ様の執務室は別だ。自室の近くにわざわざ作っている。自分が遠くの執務室に行くのではなく、文官が来ればいいとおっしゃったそうだ」
アウブの自室と執務室が離れているのは信用できない貴族を領主一族の生活圏に立ち入らせないためなのだが、ディートリンデは特に気にしていないらしい。
「フェルディナンド様はレティーツィア様の魔力供給の訓練を行う時、危険人物が入らないように非常に警戒して行っている。今日の午後も二人で魔力供給の間に入り、我々はアウブの執務室の外側で警戒に当たっていた」
エーレンフェストでも魔力供給中にアウブの執務室へ入れるのはアウブと血が近い上級貴族の側近だけで、扉の内側にも外側にも護衛騎士が付いて非常に物々しい雰囲気になる。同じように、アーレンスバッハでは魔力供給中、他領出身のエックハルト兄様とユストクスは執務室に入れずに扉の外で待機することになるようだ。
「そうしたら、顔色を変えたレティーツィア様が震えながら扉を開けて中から出てきた」
レティーツィアは「フェルディナンド様が……行け、と……」と言いながら、名捧げ石の入った金属の籠をユストクスに差し出したらしい。フェルディナンドが名を返すのは、命の危機を感じた時だけ。臣下を巻き込まないように、そして、エーレンフェストへ確実に情報を運ぶために行われることだと予め言われていたことで、命の危機状態にあることを悟ったらしい。
「即座に私がその場で彼女の身柄を拘束して詳細を問い詰めようとしたら、部屋から一緒に出てきた彼女の護衛騎士に阻まれ、ユストクスに首根っこを引っ掴まれたのだ」
魔力供給中に扉の外でディートリンデ達を警戒していたら、背後から突然フェルディナンドの名捧げ石を持ってこられて「行け」と命じられたのだ。エックハルト兄様の動揺は大変なものだっただろうし、レティーツィアの身柄を確保しなければいけないと考えたこともわかる。でも、エックハルト兄様を止めようとレティーツィアの護衛騎士やユストクスが咄嗟に動くのも納得できる。
……フェルディナンド様がかかっている時のエックハルト兄様、マジ怖いから。
「本来ならばあの場にいた護衛騎士を振り払ってでも彼女の身柄を拘束し、フェルディナンド様が名捧げ石を渡さねばならないような状況に陥った経緯を洗いざらい吐かせるべきだった。だが、事情聴取よりフェルディナンド様の命令が最優先だ、とユストクスに怒鳴られたのだ。彼女の身柄と情報を確保できなかったことに対して文句があるならばユストクスに言え」
ユストクスにも文句は言えないな、と思った。そんな状態のエックハルト兄様とレティーツィアを一緒にしておくのは非常にまずい。ユストクスが二人を引き離したのは英断だったと思う。
……フェルディナンド様の安否が確認できていない状態でレティーツィア様とその護衛騎士に手を出したら大問題だから! レティーツィア様より先にエックハルト兄様が捕らえられるよ。
「私が気にかけぬようにしているのに、其方は何を考えてレティーツィア様を庇っているのだ? ローゼマインがフェルディナンド様を救出するために奮闘していると聞いたからアウブには何も言わずに済ませたが、犯人を誤認している。ディートリンデ様は頭が軽くて愚かだが、まだ処分するための大義名分はない」
腹立たしそうに睨まれて少し言葉を探す。言い方をよくよく考えなければ、エックハルト兄様にとってレティーツィアはディートリンデ以下の存在になってしまう。
「……わたくしに見えたのはレティーツィア様がフェルディナンド様に伝言を託されて出ていく辺りからですが、それから少したってからディートリンデ様が入ってきておっしゃったのですよ。ゲオルギーネ様が計画を立てて、ディートリンデ様が実行し、レティーツィア様を動かした、と」
エックハルト兄様の目が険しくなった。
「エックハルト兄様のおっしゃる通り、レティーツィア様が毒を当てたようですけれど、フェルディナンド様はすぐに何か薬を飲んで対処していました。今、本格的な危機に陥っているのは、ディートリンデ様が更に痺れ薬のような毒を盛って動けなくした状態で手枷をはめ、供給の魔法陣を起動したからなのです」
毒も心配だが、もっと心配なのは魔力の枯渇だと告げると、エックハルト兄様はギリとわたしに聞こえるほど強く奥歯を噛みしめた。
「あのような女に操られるとは、レティーツィア様には全く教育が足りていなかったようだな。其方の進言があっても緩めるべきではなかった」
吐き捨てるようにそう言ったエックハルト兄様がわたしの手から盗聴防止の魔術具を取り上げる。そして、わたしを縋るように見た。
「……ローゼマイン、間に合うのか?」
「そのためにエックハルト兄様は戻られたのでしょう?」
わたしが尋ねると、エックハルト兄様は真顔になって首を横に振った。
「いや、私が戻ったのはフェルディナンド様が集めた情報や証拠をアウブに届け、フェルディナンド様の死を確認したら後を追うためだが?」
「絶対に間に合わせますから、馬鹿なことは考えないでくださいませ! フェルディナンド様もエックハルト兄様も諦めが早すぎます!」
ユストクスは装飾過多なだけで大した情報が入っていないハルトムートの話を聞くのは早々に止めて、夕食の席に着いた。
「レティーツィア様の毒よりも魔力枯渇が危険だということは本当ですか、姫様?」
「毒の影響ももちろんあると思います。でも、即死のはずの毒が効かず、フェルディナンド様は何か飲んでいました。薬に効果があったとすれば、一番危険なのは魔力枯渇です」
わたしの言葉を吟味するようにユストクスが考え込む。
「即死のはずとは? どのような症状になるのかわかりますか?」
「即死で魔石になるはずの毒だったとディートリンデ様がおっしゃいました。それが効かなかったので、痺れ薬で体の自由を奪い、魔力を枯渇させることにしたみたいです」
「……食後に工房を貸してください。解毒薬を作ります」
ユストクスの食べるスピードが速くなった。品は良いけれど、手の動きが速い。
「構いませんけれど、ハルトムート達が作っている中に該当する薬がないか確認してからにしてくださいませ。色々な種類を作っていましたから」
「準備の整い方に驚きます。今日の午後ですよね? 姫様が情報を得たのは……」
ユストクスが脱力したようにカトラリーを置いて、わたしを見た。
「わたくしがフェルディナンド様に関する情報を得たのは今日の午後ですけれど、エーレンフェスト防衛のために一月ほど準備をしていたのが大きいのですよ。わたくしが今日行ったことは、アウブから許可をもぎ取って、ダンケルフェルガーの協力を取り付けて、側近達に出発準備を頼んだくらいです」
「フェルディナンド様の死を覚悟して情報と証拠品を持ち込んだら、今夜救出に向かうので姫様と合流しろ、ですからね。……本当に驚きましたし、感謝しています。姫様がいらっしゃってよかった、と心から思います。こちらにあった姫様の情報は行方不明でしたから」
ユストクスは椅子の背もたれに体を預け、全身の力を抜くように息を吐いていく。
「姫様が行方不明の中、ランツェナーヴェから船が到着したと連絡を受けてアーレンスバッハへ戻ることになったのです。本来ならば、領主会議の後に来るはずだったのですよ。いくら追い返せ、と言っても……」
「ちょっと待ってください。ランツェナーヴェが来ているということは、境界門はどうなっていますか?」
「当然開いたままですよ。いくらフェルディナンド様が注意をされても、閉じようとはいたしません。境界門の開閉ができるのは一人ですから」
それも実はディートリンデではなく、彼女の姉が礎を染めていたわけだが、そんなことはどうでも良い。大事なのはすでに境界門が開いているということだ。アーレンスバッハの国境門のところにある境界門は閉ざされている時期だと思っていたので、アウブ・ダンケルフェルガーに頼んで国境の境界門からアーレンスバッハとの境界門へ転移陣を設置してもらおうと考えていた。アーレンスバッハの国境の境界門が開いているならば、大幅に時間が短縮できるかもしれない。
「ユストクス、ダンケルフェルガーとアーレンスバッハの境界門と国境門ではどちらが貴族街に近いですか?」
「国境門ですが?」
「それは好都合ですね。予定より早く着けそうです」
わたしがにんまりと笑うと、ユストクスが体を起こして「どのような方法で間に合わせるのですか?」と好奇心に満ちた目になって身を乗り出してくる。
「そんなことより、ゲオルギーネ様の動向は何かご存知ですか? ディートリンデ様によると、出発の準備を終えてオルドナンツを待っているということでしたけれど、アーレンスバッハの城からエーレンフェストへはどのくらいかかるのですか?」
「馬車ならば七日ほど、騎獣ならば二日ほど……すでに境界近くまで移動した状態でオルドナンツを待っている可能性があります。ゲオルギーネ様の離宮から十日ほど前に荷物を積んだ馬車が出発しています」
「養父様にオルドナンツを……」
立ち上がろうとしたら、ユストクスがそれを手で制した。
「アウブには寮で同じ質問をされました。すでにご存じですよ」
「あ、そうでしたね。でも、二人はどのようにして貴族院へ行ったのですか? アウブの許可がなければ転移の間には入れないでしょう?」
アーレンスバッハは違うのだろうか、とわたしが首を傾げると、ユストクスが苦い笑みを浮かべた。
「……星結びの前から礎への魔力供給をするのと引き換えに、フェルディナンド様が契約したのです。冬以外にもライムントを貴族院へ置くこと。その様子を見るために師であるフェルディナンド様と我々が貴族院へ赴けるようにすること、と」
フェルディナンドが指導するライムントの研究が二年連続で表彰されたことで周囲は後押しムードが強かったらしい。ライムントを城の中の妙な派閥争いから遠ざけるため、同時に、貴族院をいざという時の脱出経路にするための契約だったそうだ。
「助けを求めたところで、他領に行った者をそう簡単に受け入れることはできません。ですから、フェルディナンド様は領主会議で暴露する前に何かあれば、ランツェナーヴェとアーレンスバッハの癒着や危険な発言などを録音した魔術具と引き換えにエーレンフェストで受け入れてもらえるように交渉しろ、とおっしゃいました」
……自分の臣下には名捧げの石を返したり、取引材料を持たせたりして完璧に対応するのに自分は!? 自分のことはどうなの!?
自分のことを完全に後回しにするフェルディナンドの悪癖にふんぬぅ、と怒りを溜めていると、ユストクスが茶目っ気たっぷりの目で「……ですが、困りましたね」と全く困っていない顔でわたしを見た。
「何が困るのですか?」
「いざという時の指示は我々だけに出ているわけではないのです。フェルディナンド様から姫様に伝言がございます」
何だかすごく嫌な予感がする。それでも、聞かないわけにはいかないだろう。わたしは口をへの字にしながらユストクスを促した。
「ユストクスとエックハルトとラザファムを君に預ける。エーレンフェストから動かず、おとなしく待っていろ。そうすれば、私の死と共に全て君の物になるから、約束通りにユルゲンシュミットごとエーレンフェストを救えるぞ、だそうです。我々には意味がわからなかったのですが、姫様にはわかりますか?」
……全てわたしの物になる?
メスティオノーラの書を指しているのだとピンと来た。どのようにしてフェルディナンドはわたしがメスティオノーラの書を得たことを知ったのか、わからない。けれど、一つの書を分け合っていること、フェルディナンドの死によって完全になることを知っているとしか思えない。
……エーレンフェストから動かずに待ってろって、つまり、助けに来るなってことだよね? ふぅん。
何とも言えない怒りが全身を巡っていく。わたしはフェルディナンド本人を脅迫したはずだ。幸せにならないと許さない、と。アーレンスバッハどころか、王と中央を敵に回したとしても助けに行く、と。
「意味はわかりましたが、断固として拒否します。フェルディナンド様の死を待つ趣味など、わたくしにはありません。いくら怒られても、わたくしはフェルディナンド様を助けるのです。手段なんて選びません」
「それでこそ私の妹だ」
エックハルト兄様は心底嬉しそうに笑った。ユストクスも同じように嬉しそうに微笑みながら盗聴防止の魔術具を取り出した。何だろうと思いながら手に取ると、ユストクスはわたしを意味ありそうな目で見つめる。
「姫様はご存じですか? 名捧げの石は臣下を生かしも殺しもします。主の死で共に死にますが、主の魔力によって窮地で生かされることもあります。生かすために使うこともできるのですよ」
フェルディナンドの名捧げの石を奪って生かせと唆されていることに気付いて、わたしは顔を引きつらせた。頭が真っ白になって、怒りよりも動揺が上回る。
「……ユストクスは知っていたのですか?」
「あの革袋を準備したのは私ですから」
「なるほど。……ではなくて、ちょっと待ってくださいませ。だって、それは、つまり、わたくしが……」
無断でフェルディナンドの名を奪って、命を担うことになるのだ。絶対にフェルディナンドは許さないと思う。それ以前に、了承の取れていない名を手に入れるようなことはしたくない。わたしがぶるぶると首を横に振ると、ユストクスが凄みのある笑顔でニコリと微笑んだ。
「姫様、手段を選ばないのですよね?」
「それはそうですけれど……」
「フェルディナンド様を救うためならば、アーレンスバッハも中央もツェントでさえも敵に回しても構わない、とアウブ達に宣言したのですよね? 違いますか?」
「ち、違いません。違いませんけれど……」
「……たとえ全てを敵に回したとしても他領の礎を奪ってフェルディナンド様を助け出すという覚悟に比べれば何ということもないと思いませんか?」
それとこれとは別問題だ。決意とか覚悟の種類が違う。フェルディナンドはわたしに名を捧げるつもりもないし、わたしはフェルディナンドの命を背負うなんて考えたこともなかった。
「一番の危険が魔力枯渇ならば時間が稼げるでしょうし、自分以外の魔力に包まれている間はフェルディナンド様も少し楽になるはずです。」
主の魔力に包まれる恍惚感についてハルトムートが気持ち悪く語っていたことがある。恍惚感はともかく、主の魔力で包まれるという形で外部から魔力を与えることができるならば、確かにフェルディナンドは楽になるのかもしれない。ぐらりと心が揺れる。
「でも、それならばわたくし以外の者でも……」
「フェルディナンド様が最終的に預ける先として選んだのは姫様です。それを他の者に渡すようなことができますか?」
咎めるようなユストクスの視線にわたしは「できません」と首を振った。
「今は緊急時ということで手段を選ばず、救出できたらすぐに事情を説明しつつ、名を返せば良いのですよ。ずっと手元にフェルディナンド様の名があるのも落ち着かないでしょう?」
フェルディナンドの危機を救うために今だけです、と何度も繰り返されて、わたしはじとっとユストクスを睨む。
「……あの石、箱に入っていませんでした。作り方を教えてくださいませ」
食後に工房で名捧げの石を包む箱を作り、仮眠をとるために自室に入った後、隠し部屋でわたしはフェルディナンドの名を奪った。自分の魔力が箱を包み込み、白い繭のようになる。
白い繭のようになった名捧げの石を握ってわたしは魔力を注ぎながら命じた。
「フェルディナンド様、諦めないでください。絶対に助けに行くので、どんな手段を使っても構いません。生きてください」